『学校が教えない ほんとうの政治の話』斎藤美奈子(2016年)を読書。
政治への関心を高めるための基礎的な本です。それを幾つかの二項対立から導いています。
二項対立は、体制派と反体制派、資本家と労働者、右翼と左翼、国家と個人、保守とリベラルです。
以前民主党政権を評価する本を読んで大変参考になったが、本書も教えてもらう事が多々あった。
お勧め度:☆☆☆(大変読み易い)
キーワード:<「選挙に行け」って言わないで>ひいきのチーム、学校/社会、ホーム/アウェイ、<2つの立場>体制派/反体制派、百姓一揆、大塩平八郎の乱、明治維新、自由民権運動、足尾鉱毒事件、米騒動、不満、<2つの階級>資本家/労働者、経済格差、資本主義、労働運動、社会主義、自民党/社会党、新自由主義/社会民主主義、<2つの思想>右翼/左翼、天皇、大アジア主義、イデオロギー、自衛隊/日米安保条約、反共/反米、テロ、<2つの主体>国家/個人、成田空港/諫早湾干拓/普天間基地、全体主義/個人主義、基本的人権、公害病、自由権/参政権/社会権、戦後民主主義、<2つの陣容>保守/リベラル、安倍政権、安全保障政策/集団的自衛権、憲法改正、領土問題、歴史認識問題、ナショナリズム、緊縮財政、原発問題、選挙、<リアルな政治を学ぶには>権力の監視、政治的リテラシー
<プロローグ 「選挙に行け」って言わないで>
・大人は若者が選挙に行かないと嘆きます。2014年衆議院選挙の投票率は、20代33%、30代42%でした。20代で2/3、30代で半分が投票していません。
・政治に関心がないのは、「ひいきのチーム」がないからです。プロ野球ファンは、毎日ゲームに一喜一憂します。NHKは春夏の高校野球大会を放送します。それは全国のファンが放送を見るからです。普通は地元の高校を応援しますが、事情通になると、独自の基準で「ひいきのチーム」「ひいきの選手」を持ちます。
・選挙に行かないのは、「ひいきのチーム」「ひいきの候補者」がいないからです。大人がAKB48の総選挙に参加しないのと同じです。
・政治に興味がない人は、「誰が政治をしても一緒」となります。ところが「ひいきのチーム」がある人は、どんなに天気が悪くても、どんなに大切な約束があっても選挙に行きます。
・「ひいきのチーム」がない原因は学校教育です。小学6年生の社会/中学3年生の公民で、政治の仕組みを教え、民主主義/憲法の3原則/三権分立などを教えます。ところが「ひいきのチームを持ちなさい」などとは絶対言いません。文部科学省の方針や教育基本法で禁じられているからです。
・では社会人になるとどうでしょう。日本社会は「政治的である事」を嫌います。「ひいきのチーム」を隠します。もし喋ると干されます。芸能界/放送業界では特にそうです。マスメディアは「中立公正」がモットーなので、キャスターは自分の意見を絶対言いません。
・お分かりでしょうか。日本では学校でも職場でも、「リアルな政治」は学べないのです。
・「ひいきのチーム」を持って下さい。簡単に言えば「ホーム」「アウェイ」です。「ホーム」を見付ければ、「アウェイ」にも関心が向きます。社会の仕組みがクリアに見えてきます。さらに友達も増えます。これは同じチームを応援するサポーター同志が仲良くなるのと同じです。※ある本に、「誰でも良いから一人の政治家に関心を持ちましょう。そこから政治への関心が深まります」と書かれていた。
・本書の目的は「ホーム」「ひいきのチーム」を見付けてもらう事です。そのため各章で、2つの選択肢を掲示します。※読み易い本だ。
<第1章 2つの立場-体制派と反体制派>
・「このままで良いんじゃない」では政治に参加できません。「今の世の中、なんかおかしい」「就職できないよ」「生活できないよ」と思うと、政治参加の第一歩です。
・政治的ポジションには「体制派」「反体制派」しかありません。「体制派」は「今のやり方で良い」と思っている人、「反体制派」は「別のやり方に変えたい」と思っている人です。「どっちでもない」と思っている人や政治に無関心な人は「ゆる体制派」で、「体制派」に含まれます。
・「日本は平和だし、インターネットも使えるし、世の中こんなもんでしょう」と考える人は「体制派」です。「格差はあるし、ブラック企業はあるし、戦争に向かってるし」と考える人は「反体制派」です。
・政治を考えずに暮らせる幸せな人は「ゆる体制派」です。逆に「反体制派」の人は、「そちらを選ばざるを得なかった人」とも云えます。突然「ゆる体制派」の人が「反体制派」に転じる場合もありますが、これは「政治への目覚め」と云えます。
・江戸時代は幕藩体制でした。幕藩体制は264年続きます。この体制は、大名に領地を与える一方、参勤交代/改易などの制限を課しました。士農工商の身分を設け、年貢を取り立てました。江戸時代でも、一揆などの「反体制派」が存在しました。江戸期には、3千件以上の百姓一揆がありました。彼らは「もう我慢ならない」と思い、死を覚悟で一揆を起こしたのです。
・キリスト教も「反体制派」です。1612年幕府はキリスト教を禁じます。1637年島原・天草で数万の民衆が武装蜂起し、「島原の乱」が起きます。幕府は12万の兵を送って鎮圧します。これは「体制派」と「反体制派」の華々しい戦いです。
・一方の仏教は体制と結び付きます。寺は土地などを与えられ、代わりに「宗門人別改帳」で住民を管理します。※一向一揆などを起こしたのに、この転換は不思議だな。
・江戸幕府が揺らぐのは、天保(1830~44年)頃からです。天保大飢饉などで百姓一揆が頻発します。1837年「大塩平八郎の乱」が起きます。彼は大坂東町奉行の元与力で陽明学者です。豪商の米買い占め/奉行の不正にブチ切れて、門下生と蜂起します。
・黒船来航後、西郷隆盛/大久保利通/坂本龍馬などが「尊皇攘夷」を掲げます。下級武士は不満を募らせていたのです。彼ら「幕末の志士」は明治維新を成し遂げます。これに失敗していたら、ただのテロリストでした。彼らは戊辰戦争で勝ち、「体制派」になります。
・彼らが「体制派」になると、「反体制派」への対応に追われます。廃藩置県/地租改正/徴兵令で新しい体制を築きます。1877年「西南戦争」で旧士族に担がれた西郷隆盛を討ちます。
・忘れてはならないのが「自由民権運動」です。これはそれまでの内乱と大きく異なります。まず彼らの要求は、国会を開け/憲法を作れ/地租を軽減せよ/不平等条約を改正せよ/言論・集会の自由をよこせ/地方自治を認めろなど近代的です。またその中心人物は、板垣退助/後藤象二郎/大隈重信など、明治維新を成した”土肥”のメンバーです。
・この運動は豪農・農民/商工業者も巻き込み、福島事件/高田事件/群馬事件/加波山事件/秩父事件/大阪事件/静岡事件と全国に広がります。政府は国会開設/憲法制定を約束し、妥協を図ります。一方で関係者を処刑し、保安条例(1887年)で言論を弾圧します。保安条例は結社・集会を禁止し、警察の権限を拡大し、出版を制限するものです。
・運動の基本は、集まる事と情報を伝える事です。その意味でも日本国憲法21条「表現・結社の自由」は大切なのです。※これは重要なポイントだな。今はインターネットがある。
・もう一つ重要な反体制運動が「足尾鉱毒事件」です。これは足尾銅山の鉱毒で、渡良瀬川流域に被害が及んだ事件です。農民が銅山の操業停止と損害賠償を求めますが、政府は相手にしませんでした。農民は東京で抗議活動したり、田中正造が天皇に直訴しますが、運動は鎮圧され、谷中村は廃村になります。
・この2つの反体制運動は言論による抵抗で、これに政府は言論弾圧で対応します。しかし対応が難しい時は、警察・軍隊の暴力を使用しました。有名なのが「日比谷焼き打ち事件」(1905年)「足尾暴動事件」(1907年)「米騒動」(1918年)です。
・特筆すべきは「米騒動」です。「都市人口の急増とシベリア出兵で、米の需要が増える」と見越した商人が、米を買い占め、米価が高騰します。富山県魚津で運動が始まり、全国に広がります。米の安売りを要求しますが、時には打ち壊しも起きました。参加人数は70~100万人と云われています。
・政府はこれを軍隊で鎮圧します(治安出動)。「治安出動」は、「光州事件」(1980年)「天安門事件」(1989年)などが有名ですが、実は自衛隊も認められています。
・この「米騒動」で寺内内閣は退陣し、大正デモクラシーが始まります。※平民宰相・原敬の誕生だな。
・話を現代に戻します。多くの人は「ゆる体制派」で、「反体制派」は「やむを得ずなった人」です。中には社会正義から「反体制派」になった人もいます。そのため「体制派」は悪代官で、「反体制派」は正義の味方と思われるかもしれませんが、そうでもありません。全ての人の要求を満たす事は難しいし、反体制派の運動を無規制にすると、激化しテロに発展する恐れもあります。平和な世の中を維持するのは、政府の義務です。※赤軍派とかオウムとかあった。
・体制の中枢を「権力」と云います。政府/国会議員/裁判官/官僚/警察/経済界のトップなどです。「権力」は10人が不満を持っていても、90人が満足すれば「良し」とします。もしあなたが「体制派」を目指すなら、猛勉強して権力に加わって下さい。
・一方「反体制派」の人は、10人が不満を持っていると、「何とかすべきだ」と考えます。そのため”分からず屋”と思われ、出世街道から外されます。「反体制派」になると、精神の自由は得られますが、金銭で不自由します。
・「体制派」からすると、皆政治音痴の”ゆる”でいて欲しいのです。「政治について語るのは、カッコ悪い」と思われているのは、「体制派」が勝っているからです。「この世の中、おかしいよね」と思っている人は「反体制派」の有資格者です。「反体制派」である事に、誇りと自信を持って下さい。
<2つの階級-資本家と労働者>
・人間は生まれながらにして平等ですが、現実は不平等です。特に経済格差は切実です。日本は戦後の高度経済成長により経済格差は少なかったのですが、1990年代頃から感じられるようになり、「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」「派遣切り」「雇い止め」「内定取り消し」などの言葉が次々と生まれます。
・そして今は「貧困」が社会問題になっています。特に若い世代が深刻で、子供の16%は貧困世帯に属し、20~24歳の貧困率は21%、一人親家庭(大体母子家庭)の貧困率は54%です。
・原因の一つが仕事環境です。ブラックバイト/風俗で働く女子/就職できなかった人/就職したのがブラック企業などです。90年代初頭にバブルがはじけ、企業は人件費を節約するため、正規雇用者を低賃金の非正規雇用者(派遣労働者、パートタイマー、アルバイト)に切り替えたのです。最大の原因はグローバル化です。企業は利益を最大化するため、工場などを新興国に移しました。また産業の中心が情報産業に移り、IT化が進み、熟練の職人/ホワイトカラーが不要になりました。必要とされるのは賃金の安い保育/介護/飲食となったのです。
・政治で最も重要なのは国民の生活を安定させる事で、失業者を減らしたり、貧困層を減らす事です。雇用/賃金/労働条件などの問題を労働問題と云いますが、これを考えるのは政治参加の第一歩です。
・あなたはお金持ちでしょうか、貧乏人でしょうか。お金持ちは社会の上部、貧乏人は社会の底辺にいます。これを「階層」「階級」と云います。一方「士農工商」は代々受け継がれる「身分」です。
・中世(鎌倉時代~江戸時代)は封建社会で、封建領主が領民を支配していました。領民は作った作物を封建領主に収奪される不平等な社会でした。
・今の日本は「資本主義経済」「自由主義経済」で、資本主義社会です。この社会は経済力を付けた領民が封建領主を倒す事で生まれました。体制が代わる事を「革命」と云いますが、これは「市民革命」です。英国の清教徒革命(1641~60年)/米国の独立戦争(1775~83年)/フランス革命(1789~99年)などが市民革命です。
・ところが資本主義も平等でなかったのです。お金のある経営者は規模を拡大し、儲けを増やします。一方働く人は暮らせるだけの給料しかもらえません。そこでカール・マルクスは、「資本主義社会は『資本家』(経営者)と『労働者』(従業員)の2つの階級からなる」「『資本家』は『労働者』から搾取されている」と説いたのです。「毎日へとへとになるまで働いても、儲けは資本家の懐に入るんだ。おかしいじゃないか」と。※マルクスは共産主義を説いたのではなく、資本主義の問題を述べたらしい。
・「資本家」「労働者」は分かり難いので、「経済を支配する人」「経済に支配される人」と考えても良いと思います(※余り変わらない)。あなたが労働者なら、「私は労働者階級だ。上には”経済の支配者”がいる」と自覚すべきです。マルクスは、「経営者に対し労働者が力を合わせ、労働条件や賃金アップを要求すべき」と説いたのです。彼の『共産党宣言』の最後の一文は、「万国のプロレタリア団結せよ」となっています。
・日本には労働者の権利を守るための「労働三法」(労働組合法、労働関係調整法、労働基準法)があります。これらは「労働運動」で勝ち取ったものです。労働者の権利は憲法・法律で守られています。もしブラック企業/ブラックバイトで悩んでいたら、民間グループ(ユニオンなど)に相談して下さい。
・資本主義がスタートした頃は、みなブラック企業でした。ルポタージュ『女工哀史』(細井和喜蔵)には、紡績工場で働く女工の実態がレポートされています。鉄鉱業・印刷業・鉄道で働く労働者も同様でした。※『蟹工船』は聞いた事がある。
・労働運動は明治からありました。1897年(明治30年)片山潜らが労働法の制定を求めて「労働組合期成会」を結成します。明治30年代に鉄工組合/日本鉄道矯正会/活版工組合などが結成されます。
・しかし政府(体制派)は資本主義の主役である資本家(経済の支配者)と手を組んでいます。1889年「大日本帝国憲法」が発布され、翌年衆議院選挙が実施されますが、選挙権は15円以上税金を納めている人(人口の1%)に限られました。
・「治安警察法」(1900年)により労働運動は壊滅的な打撃を受け、期成会などの組合は解散します。1904年幸徳秋水らが『共産党宣言』を訳しますが、発禁になります。労働運動は反体制運動ではないのですが、弾圧されます。
・しかし明るいニュースもありました。1925年(大正14年)「普通選挙法」が公布され、1928年最初の衆議院選挙が実施されます。ところが昭和初期、各地で労働争議/小作争議が起きますが、「普通選挙法」と同時に制定された「治安維持法」により鎮圧されます(3.15事件、4.16事件)。
・労働運動は「階級闘争」であり、政府は労働運動が「革命」に発展するのを恐れたのです。「階級闘争」とは、下の階級が上の階級を倒し体制を変える事で、「社会主義革命」「共産主義革命」です。
・20世紀に入ると実際に「社会主義革命」が起き、社会主義国家が誕生します。1922年「ロシア革命」によりソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)、1949年中国(中華人民共和国)が誕生します。どちらの国も「市民革命」「社会主義革命」の2段階になっています。ロシアではロマノフ王朝を倒した「二月革命」、中国では清王朝を倒した「辛亥革命」が先に起こっています。※面白い共通点だな。当時は社会主義が最先端だったのかな。
・社会主義国は平等を目指す国家です。生産手段(農場、工場)を国営化し、市場経済を廃止または制限し、計画経済を行います。一方で社会保障を充実させます。しかし社会主義には贅沢品を入手できない、労働意欲を減退させるなどの問題があり、結局上手く行きませんでした(後述)。
・また体制が代わると、新しい特権階級が生まれます。そして法則「体制は反体制派を全力で叩き潰す」が始まります。1930年代スターリンが権力を握ると、「大粛清」を始めます。彼はピーク時、共産党員/軍人/一般民衆を70万人を処刑したとされます。
・中国では、1966年「プロレタリア文化大革命」が起きます。これは失敗続きの毛沢東が起こした政治闘争とされます。「紅衛兵」が「走資派」の知識人・宗教者を血祭りにします。※社会主義国は一党独裁が多いのでは(東欧諸国はどうだったのか)。複数政党制であれば、これらは回避できたのでは。そうなると民主主義国かな。
・話を日本に戻します。敗戦により「労働三法」(労働組合法、労働関係調整法、労働基準法)が制定され、団結権・団体交渉権・ストライキ権が認められます。これらはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向でした。ところが1950年頃から労働運動を抑圧し始めます。それは米ソ対立の激化で、「日本で革命が起こったら、どうするんだ」となったのです。
・20世紀後半は米ソによる「東西冷戦時代」です。西側諸国の議会では、資本家寄りの政党と、労働者寄りの政党が対峙するようになります。日本では「自由民主党」(自民党)と「社会党」です。自民党が与党を長く務め、社会党が野党第一党になり、これを「55年体制」と呼びます。社会党は自民党の半数の議席しかありませんでしたが、労働者・生活者に優しい政策を掲げ、自民党の暴走を止めました。
・両党は支持母体も異なります。自民党の支持母体は、経団連(経済団体連合会)/経済同友会/日本商工会議所/農協(現JA)/日本医師会などです。一方社会党の支持母体は総評(日本労働組合総評議会)です。総評には自治労(全日本自治団体労働組合)/日教組(日本教職員組合)/国労(国鉄労働組合)が所属していました。
・日本最大の労働運動は「三池争議」(1959年)です。エネルギーが石炭から石油に替わった事で三池炭鉱が5千人を解雇したのです。労働組合は無期限のストライキに入り、会社はロックアウトを決行します。しかし高度経済成長により、激しい労働運動はこれが最後になります。
・55年体制の日本は貧富の差も小さく、「安定した時代」でした。企業は、終身雇用制/年功序列型賃金/企業別労働組合で労働者をそれなりに守り、生産性を高めました。
・日本は資本主義の国ですが、政府は経済に介入しました。三公社五現業(国鉄、専売公社、電電公社、郵政、造幣、印刷、国有林野、アルコール専売)は国営に近い形態で運営されました。景気が悪くなれば、大型公共事業が行われました。税収も多く、累進課税が行われ、社会保障制度も整いました。※今は税収が少なく、社会保障は細るばかり。
・マルクスは中間層(自営業者、官僚、知的労働者など)は消滅するとしましたが、日本では中間層が増大します。自民党と社会党は共存していました。
・1980年代になると東欧で民主化運動が起き、各国で社会主義体制が崩壊します。1985年ゴルバチョフがソ連の最高指導者に就きますが、1991年ソ連は崩壊し、15の共和国に分裂します。
・日本でも1993年細川護熙を首相とする非自民連立政権が誕生し、55年体制は終わります。自民党は勢力を保ち存続しますが、社会党は社会民主党と云うミニ政党になります。1989年総評は、他の労働組合と合併し「連合」(日本労働組合総連合会)に替わります。
・大雑把に言うと、資本主義は「自由」、社会主義は「平等」を重んじます。また「自由」は「自分の好きなようにする事」、「平等」は「皆を同じにする事」で両立しません。そのため社会主義の消滅は、資本主義/自由主義諸国を堕落させたと思います。社会主義革命の怖れがあると、福祉の充実/労働者の暮らしの安定を政策に含めますが、今はやりたい放題です。しかし中間層が少なくなったため、マルクスの「資本家VS労働者」の図式は今でも意味があります。
・資本主義にも様々なやり方があります。ケインズ経済学は「政府は積極的に市場に介入すべき」としました(大きな政府)。1929年世界恐慌後、米国は財政出動し、経済を回復させました。戦後、各国は福祉国家への道を歩みました。
・21世紀では、2つの潮流があります。1つは「新自由主義」(ネオリベラリズム)です。これは政府の介入を最小限にする「小さな政府」です。英国サッチャー首相/米国レーガン大統領が推進しました。「新自由主義」では「民営化」「規制緩和」が行われ、効率化/価格低下/サービス向上などのメリットがあります。一方で人件費の削減/赤字部門の切り捨てが行われ、大企業に有利です。また「緊縮財政」のため、医療・社会保障は後退します。※この辺り基本的な事なので退屈。
・もう1つの流れが、欧州型の「社会民主主義」(社民主義)です。これは「大きな政府」に近く、「高福祉・高負担」になります。出産・保育・教育・医療・介護などの社会サービスを国が保障します。「所得再配分」が重視され、高い税金が課せられます。スウェーデン/ノルウェー/デンマークなどの北欧の国が採用しています。
・ここで質問です。あなたは新自由主義/社会民主主義、どちらを支持しますか。これは選挙での重要なポイントです。米国では共和党/民主党、英国では保守党/労働党の違いになります。日本だと自民党も民進党も前者寄りです。
・55年体制の頃は自民党も「大きな政府」で、農業/文化/医療などに補助金を出していました。また企業も住宅手当・休業手当などを出していました。しかし今は社会サービスを国・企業に期待できなくなっています。
・民営化/規制緩和は中曽根康弘政権(1982~87年)の頃から進められ、小泉純一郎政権(2001~06年)で明確に新自由主義に舵を切ります。「構造改革」はこれを指します。電電公社/国鉄/道路公団/専売公社などが民営化されました。規制緩和としては、大規模小売店法の廃止(2000年)や労働者派遣事業法の改正(2006年)などがあります。大企業には好ましい改革ですが、赤字路線の廃止や駅前商店街の衰退などの弊害が起きています。
・社会民主主義の政党には、他に社会民主党(ドイツ)、社会党(仏国)、社民党/共産党(日本)などがあります。政権を取った民主党(2009~12年)も社会民主主義の政策を実現しますが、「子ども手当」は挫折します。「高福祉・高負担」の実現には、政府と国民の間の強い信頼感が不可欠です。政治資金の私的流用があるようでは、これは無理です。
・資本主義も複雑化し、「資本家」「労働者」は明確でなくなりました。ただ「階級」の概念は今でもあります。資本家・富裕層の味方なのか、労働者・貧困層の味方なのか考えて下さい。
<第3章 2つの思想-右翼と左翼>
・右翼と左翼の対立もあります。辞書を見ると、「右翼は保守派/国粋主義/ファシズムなどの立場」「左翼は急進派/社会主義/共産主義などの立場」となっています。今は右翼/左翼とも、相手を罵倒する言葉になっています。今の右翼/左翼はへたれですが、かつては誇りを持ち、それぞれの思想と心中しても良いと思っていました。そのため一般市民からは敬遠される存在でした。
・簡単に言えば、右翼=国粋主義者、左翼=社会主義者(共産主義者)です。右翼の源流は、日清戦争後(明治30年代)の「日本主義」です。これは欧化主義への反発から生まれたもので、日清戦争に勝ち、「日本、いけるじゃん」となったのです。
・一方左翼の源流は、「平民主義」(?)「自由民権運動」かもしれませんが、流行ったのは明治40年代です。1903年(明治36年)『共産党宣言』を訳した幸徳秋水/堺利彦が、「平民社」を結成しますが、これは社会主義革命を起こそうとする大胆なものではなく、日露戦争反対が目的でした。右翼が戦争に賛同し、左翼が反対するのは、今に通じます。※歴史で習うのは自由民権運動位までで、以降は自習となる。
・右翼と左翼の最大の違いは、天皇に対する考え方です。右翼は国粋主義者で、天皇を崇拝し、日本を「神の国」にしようと考えています。
・一方左翼は平等を重んじるので、天皇は打倒すべき存在です。天皇の暗殺を企てる人もいました。そのため機関誌は発禁となり、集会は禁止され、メンバーは投獄されました。1910年「大逆事件」により12人が処刑されます。計画とは無関係の幸徳秋水も処刑されます。体制は反体制派を徹底的に叩き潰すのです。
・その後も左翼は、日本共産党/労働者農民党として勢力を拡大します。1923年関東大震災の時、左翼の大杉栄が警察官により殺害されます。1928年には「治安維持法」により共産党員が大量検挙されます(※初の普通選挙の時かな)。政府にとって左翼は、最も憎むべき反体制派です。これは今の政府にも見られます。
・話を天皇に戻します。明治政府は天皇をどう考えていたのでしょうか。「大日本帝国憲法」第1条で「日本は天皇が統治する」となっています。政府は国を統治するため、天皇を利用したのです。これは右翼の思想と一致します。
・昭和になると、これはエスカレートし、日本は「頭のおかしい右翼の国」に変わります。天皇は「現人神」になり、国民に「国家神道」を信じさせます。伊勢神宮を頂点とする神社は公的機関になり、戦死者は「招魂社」(現靖国神社)に祀られます。学校では神話を歴史として教えます(皇国史観教育)。日本は「カルト宗教国家」に変わりました。
・昭和初期、恐慌により中小企業は倒産し、失業者は増え、賃金は払われなくなります。農村も不況/凶作になり、身売りが横行します。そのため左翼は争議を起こします。
・一方右翼も世の中を変える行動に出ます。それはエリートである軍の青年将校たちです。士官には貧しい家の出身も多く、また皇国史観教育により天皇崇拝の念は強力です。彼らは天皇に代わって政治をしている政治家を許せなかったのです。1932年「血盟団事件」で前大蔵大臣・井上準之助が射殺されます。同年海軍青年将校による「5.15事件」で、首相・犬養毅が暗殺されます。1936年陸軍青年将校による「2.26事件」で、大蔵大臣・高橋是清/内大臣などが暗殺されます。「2.26事件」は4日間も続き、完全な軍事クーデターです。首謀者17人が処刑されますが、軍の発言権は益々強まっていきます。撲滅された左翼とは違い、軍は人気があったのです。
※国民は大陸進出に期待したのかな。最近、「軍の横暴は、国家機関を横並びにした大日本帝国憲法の欠陥による」とする本を読んだ。
・右翼の思想の柱が、天皇と「大アジア主義」です。大アジア主義は「アジア諸国が連携し、西欧に対抗する」思想です。しかし為政者はこれを大陸進出を正当化する根拠にしました。
・日清戦争に勝ち台湾を植民地にし、日露戦争に勝ち大韓帝国も植民地にします。軍は益々図に乗り、1932年「満州国」を建国します。1937年盧溝橋事件を切っ掛けに、中国に進出します。1941年ハワイの真珠湾を攻撃します。
・日本はこれを「大東亜戦争」と呼びますが、それはこの背景が「大東亜共栄圏構想」(大アジア主義)だったためです。日本は空襲や原爆投下により被害者のイメージを持っていますが、加害者である事を忘れてはいけません。
・ここまでを纏めます。左翼は「天皇制の打倒」「労働者・農民による平等な国」が目標です。一方右翼は「神の国」「アジアを日本の支配下に置く」が目標です。どちらも過激ですが、左翼は撲滅され、右翼は政府に乗っかります。日本が「カルト宗教国家」になったのは、左翼が撲滅されたからと考えます。やはり思想弾圧/言論弾圧が行われ、「言論の自由」がない社会はダメなのです。
・敗戦で日本は「右翼の時代」から解放されます。連合国に占領され、GHQの下で民主化が図られます。天皇は「人間宣言」により「神」でなくなり、1947年「日本国憲法」第1条で「象徴」になります。神社は一宗教法人になり、200あった右翼団体は解散させられます。日本は主権在民となり、「思想良心の自由」「表現の自由」「言論の自由」「結社の自由」が保障されます。
・右翼は「冬の時代」になり、左翼は「春の時代」になります。認められなかった共産党は正式な政党になり、議席を獲得します。しかし右翼も左翼も本質は変わりません。「いつか神の国を作ってやる」「いつか社会主義革命を起こし、平等な国を作ってやる」です。これらを「イデオロギー」と云います。
・天皇の地位は中途半端なものになります。天皇は退位せず、国体は護持されます。極東国際軍事裁判(東京裁判)により、元首相・東条英機/元首相・弘田弘毅ら7人がA級戦犯として絞首刑になり、BC級戦犯として1千人が死刑になります。また20万人が公職追放されます。ところが天皇の責任は追及されませんでした。これは日本とGHQが、国体護持で取引したためと考えられます。
・戦後の右翼/左翼の活動の場は、議会の内外の2つになります。両翼の議会内での政治活動・言論活動は、右派/左派が適切でしょう。議会外での両翼の活動は反体制的であり、戦前に負けず過激です。
・まず議会内(体制内)での対立を見ます。右派として自民党(保守系)、左派として社会党/共産党(革新系)が存在しました(55年体制)。保守系(右派)と革新系(左派)の大きな対立ポイントは、「自衛隊」「日米安保条約」です。
・1950年「朝鮮戦争」が始まり、警察予備隊が組織され、1955年「自衛隊」に格上げされます。革新系はこれを憲法9条違反と批判します。保守系は憲法は自国防衛を禁止していないと反論します。
・もう1つが「日米安保条約」です。政府要人は「米軍がいてくれた方が助かるな。経済復興一本に集中できる」と考え、1951年「日米安保条約」を結びます。1952年日本は独立しますが、米軍は残留します。
・戦後の右翼/左翼のスローガンを単純に云うと、右翼・右派=反共、左翼・左派=反米です。右翼はソ連が最大の脅威で、左翼は米国の横暴が許せなかったのです。※それぞれのイデオロギーは少し置いといて、現状の東西冷戦に置き換わったんだ。
・戦後で欠かせないのが「60年安保闘争」です。左翼・左派は安保条約が日米同盟に強化される事に反対します。終戦から15年しか経っておらず、民衆も戦争に反対していました。左派の議員・党員/労働組合/学生団体/市民団体/知識人/一般市民などによるデモが拡大します。1960年5月新安保条約は強行採決されます。デモは激化し、6月国会議事堂前のデモで女子学生が亡くなります。この時の参加者は主催者発表33万人、警視庁発表13万人でした。
・この安保闘争により、岸首相は退陣します。また左翼は一層「反米」になります。左翼の動員力を怖れた右翼は、「反共」をさらに強めます。
・1960年代高度経済成長により大衆運動は沈静化します。しかし反体制派は過激化します。1960年右翼の少年が、日比谷公会堂で演説していた社会党の浅沼稲次郎・委員長を刺殺します。翌年には右翼の少年が、中央公論社の社長宅に侵入し、お手伝いなどを殺害します。この事件を機に、メディアの皇室批判はタブーになります。
・その後も右翼によるテロが起きます。1987年「朝日新聞阪神支局襲撃事件」、1990年「長崎市長樹撃事件」などです。また1970年三島由紀夫は自衛隊の決起を促し、割腹自殺します。
・一方の左翼も過激になります。1955年共産党は穏やかな「体制内左翼」に転換しますが、学生などがそれと決別し、「新左翼」になります。彼らは多くの派閥(セクト)に分かれ、ベトナム反戦/70年安保反対などの活動を行います。1969年全共闘(全学共闘会議)が東大の安田講堂を占拠し、機動隊が投入される事件が起きています。
・この頃の若者は、右翼/左翼とも頭のネジが飛んでいました。1970年代に入ると学生運動は下火になりますが、「新左翼」の行動はさらに激化します。1970年「よど号ハイジャック事件」、1972年「あさま山荘事件」「連合軍事件」「テルアビブ空港乱射事件」が起きています。「新左翼」のセクト間では「内ゲバ事件」も起きています。
・昭和後期(※1980年代かな)、右翼は「北方領土奪還」「日教組粉砕」「自主憲法制定」などを掲げ、左翼の牙城を「日教組」とします。しかしこれらに対し、彼らが努力した様子はありません。
・左翼も似たり寄ったりです。左翼は「米帝粉砕」「反帝反スタ」「大学解体」などを掲げますが、それに対する行動は見られません。1960年代後半世界中でベトナム反戦運動が起きますが、市民の気持ちは冷めていました。1970年の大学進学率は17.7%で、彼らはエリートでした。成田空港建設反対運動に行くのがステータスでしたが、1970年代後半から運動は後退します。
・1990年代中頃から、右翼/左翼はネットを主戦場にし、形を変えて登場します。
<第4章 2つの主体-国家と個人>
・あなたは国家と個人、どちらが大切ですか。その前にまず国家を説明しましょう。国家は国民/国土/国家権力からなります。一般的に国・国家と云えば、国家権力を指します。日本が国家らしくなったのは天武天皇の頃です。それから江戸時代までが、封建制の時代です。この時代は国民とは呼ばず領民で、国民と呼ばれるのは明治以降です。
・国のリーダーは、「国家と個人、どちらも大切」と言います。しかし国益と人権が対立するケースは多々あります。例えば税金が上がる、医療・介護の負担が増えるなどがあります。
・最悪なのが戦争です。先の戦争で300万人が亡くなりました。「国家総動員法」により、国民は戦争に協力しました。言論の自由はなく、国債を買わされ、赤紙が来れば戦場に向かい、学生は工場で働かされました。全て国のためです。
・近年では新幹線/高速道路/飛行場などの建設で土地を売り渡す事もあります(※これは結構な額になるのでは)。原子力発電所/軍事基地などの危険な施設もあります。これらの場合、補償金が支払われ、さらに「アメ」も用意されます。そのため誘致を望む人もいます。これらでは、賛成派(国益優先派)と反対派(人権優先派)に分かれます。
・3つの大型公共事業を具体例として取り上げます。①成田空港反対闘争-1966年政府が「新東京国際空港」を成田市三里塚に建設すると閣議決定します。住民は事前に知らされなかったため、農家1500戸が反対同盟を結成し、これに全国の学生・労働者が加わります。1971年国は「行政代執行」で住民を立ち退かせます。1978年成田空港は開港しますが、滑走路は計画の3本ではなく、1本だけとなります。成田空港は今でも夜間の離発着はできません。
・国益優先派は「空港は必要なんだ、反対するのは農民のエゴ、国に協力しろ」と言います。人権優先派は「土地を強制的に収容して、強引に建設を推し進めるな。そもそも住民の合意を得てないだろ」「国の事業なら住民は犠牲になっても良いのか」と言います。
・②諫早湾干拓事業-諫早湾(有明海の一部)の干拓事業で自然環境の問題です。1986年国が農地造成/水害対策を目的に、3千ヘクタールの干拓事業を決定します。有明海では魚介/海苔などが獲れ、漁民の生活の糧になっています。また減反政策が行われている中での農地造成は、理屈に合いません。そこで漁民/環境保護団体が反対運動を起こします。しかし1992年予定通り全長7Kmの潮受堤防が完成します。今でも佐賀県の漁業関係者と福岡県・長崎県の農業関係者の間で対立が続いています。※佐賀県と長崎県は新幹線でも対立している。
・国益優先派は「一度始まった事業を止められるか」「どうせ補償金を吊り上げたいだけだろ」と言います。人権優先派は「国はゼネコンとつるんで大型土木事業をやりたいだけだろ。ゼネコンは自民党のスポンサーだからな」「漁民の生活はどうするんだ」と言います。
・③普天間基地の移設問題-2010年代のホットな話題です。普天間基地は世界で最も危険な飛行場と云われ、1996年日米首脳会議で基地の返還と、代替地を沖縄県内に建設する事が合意されます。政府は辺野古への移設を押し進めています。
・2009年民主党が大勝し、鳩山由紀夫首相が県外移設を公言します。しかしこの話は流れます。2013年政権に復帰した安倍晋三首相は予定通りとします。翌年、辺野古移設に反対する翁長雄志知事が当選し、国と沖縄県(県民)の対立は激化し、法廷闘争に至っています。
・国益優先派は「米軍基地は絶対必要だ。沖縄は基地のお陰で食ってるんだろう」と言います。人権優先派は「計画を一方的に進めた国が悪い。沖縄県民は環境破壊にも、基地にも怒ている。計画を白紙撤回しろ」と言います。
・ごみ処理場/葬儀場(※火葬場?)/県道などを含め大型公共事業では、国に限らず地方自治体でも個人との対立が見られます。
・国益優先派は「全体のためには、ある程度の個人の犠牲は仕方がない」(全体主義)と考えます。一方人権優先派は「有益な事業でも、個人の生活を犠牲にしてはダメ」(個人主義)と考えます。
・個人主義はルネサンス/宗教革命の頃から意識されるようになった思想で、利己主義とは異なります(※利己主義は資本主義から生まれた思想かな)。個人主義は近代市民社会の根幹となった思想で、個人の自由と権利を最重要とします。
・一方全体主義は国家/民族などの全体の利益を最優先します。現代では「国家より個人が大切」が常識になっています。全体主義は、戦時中の日本/ナチスドイツ/ムッソリーニのイタリア/スターリンのソ連など、化石化した思想です。
・日本国憲法の三原則の1つが「基本的人権の尊重」です。基本的人権は「生まれた時から尊重される権利」で、「天賦人権説」と云われます。
・為政者は国の事を考え、その国家権力は強大です。人間一人ひとりは弱いので、個人主義は大切にしなければいけません。「空港が必要なんだよ。農民は無視だな。立ち退かないなら、行政代執行だ」となってはいけません。
・話を公害病に変えます。日本には「四大公害病」があります。イタイイタイ病(富山県)/水俣病(熊本県)/有機水銀中毒(新潟県)/四日市ぜんそく(三重県)です。日本は高度経済成長しましたが、一方で公害が酷く、川はドロドロで匂いも酷く、海も汚染され、煙がもうもうと立ち籠めていました。これらは何れも被害者が企業・国に訴訟を起こしています。
・①イタイイタイ病-神通川でカドミウムにより発生した慢性中毒で、100人が死亡しました。大正時代からあり、風土病と考えられていましたが、1955年上流の三井金属工業の廃液が原因と分かります。1968年公害病と認定され、1971年被害者が勝訴します。
・②水俣病-1953年頃から発生した水銀中毒です。手足のしびれ/言語障害/運動障害などの症状があり、患者数は1万数千人で、1500人が亡くなっています。原因は新日本窒素肥料から排出されたメチル水銀です。公害と認められたのは1968年で、1996年に国が責任を認めています。
・③新潟水俣病-1964年頃に発覚した病気です。阿賀野川の昭和電工から排出されたメチル水銀が原因です。1967年裁判で被害者が勝ちますが、患者の認定が滞り、再度裁判になり、1996年和解が成立しています。
・④四日市ぜんそく-1960年頃から目の痛み/激しい咳/呼吸困難などの症状が多発します。原因は石油コンビナートから排出される硫黄酸化物です。1967年被害者が6社を相手に訴訟を起こし、1972年勝訴します。
・この様に裁判で公害病と認められても、認定を巡って波乱があります。しかしこれらの公害裁判により国民は公害を知り、国は公害対策基本法(1967年)/公害健康被害補償法(1973年)を作りました。
・公害裁判は2つの事を教えてくれました。1つは個人と全体の関係です。被害者が訴訟を起こしたのは自分のためですが、そこには自分達と同じ目に遭う人を出してはいけないと云う思いがあります。要するに個人の権利の主張は全体を救う事になっているのです。もう1つは、自分の権利は自分で主張しなければならない事です。
・権利の話を続けます。自由と権利は様々な闘いから得たものです。1863年リンカーンが奴隷解放宣言を出し、黒人は奴隷からは解放されますが、人種差別からは解放されませんでした。丁度100年後、20万人の黒人がデモで「仕事と自由」を要求し、公民権(参政権などの人権)が認められます。人は「世の中、おかしくない」となり、限界に達すると立ち上がるのです。
・日本では、1922年部落差別からの解放を目指す「全国水平社」が結成されます。「賎民解放令」は出されていましたが、差別は存続していました。「全国水平社」が出した「吾が特殊部落民よ団結せよ」は日本の人権宣言と云われています。アイヌの人達も同様です。
・在日韓国人・朝鮮人の差別も根強いものです。2000年「指紋押捺制度」が廃止され、2012年「外国人登録法」(?)が撤廃されています。公務員の国籍条項は外されましたが、地方参政権は認められていません。
・障害者の権利も今だ制限されており、就学/就職/資格試験などで差別を強いられています。
・「マイノリティ」(少数派)の声は為政者に届き難く、人権が尊重され難いのです。マイノリティは長い年月を掛けて、自由と権利を得てきたのです。女性もそうですし、「性的少数者」(LGBT)も同じでしょう。
・日本国憲法は基本的人権を認めており、その条項は大変多くなっています。基本的人権には「自由権」「参政権」「社会権」の3種類があります(※習っただろうが忘れてる)。自由権は「国家が侵してはいけない権利」で、奴隷的拘束・苦役からの自由/思想良心の自由/信教の自由/表現の自由/移転および職業選択の自由/学問の自由などがあります。参政権には、選挙権/被選挙権/請願権(公務員のリコール、公権力への要望)などがあります。特に注目して欲しいのが社会権で、「請求権」(※こちらの方がピンとくる)とも呼ばれます。国民が国に要求できる権利で、幸福追求権/生存権などがあります。
・日本国憲法は「国家に侵されない自由」(自由権)「国家に色々要求する権利」(社会権)を認めているのです。この様な精神を「立憲主義」と云います。ただし「公共の福祉に反しない限り」となっています。これは「個人と個人の権利がぶつかった場合、調整が必要」を意味します。※「国家と個人の権利がぶつかった場合」は明記されていないのかな。
・「国家と個人」「全体主義と個人主義」を見てきました。「体制派と反体制派」(第1章)はそれぞれ「全体主義と個人主義」に近いかもしれません。「資本家と労働者」(第2章)も同様です。「右翼と左翼」(第3章)は共に全体主義と云えます。ただし右派は全体主義、左派は個人主義でしょう。
・右派の人は言います。「国家あっての国民だぞ。国防は必要だ。中国/北朝鮮を見ろ。軍隊を持ち、核武装しろ」「格差なんて個人の努力が足らないからだ。国家財政が借金だらけなのを知らないのか」。左派の人は言います。「国家は個人を幸福にするためにあるんだから、再分配政策に力を入れてもらわなくては。貧困対策/学費無料化/雇用対策/ブラック企業対策に取り組んでもらわないと」「国防、そんなのは最低限にして、外交交渉で解決してもらわないと」。
・戦後日本の体制派は「自民党政治」です。これには政府/官僚組織/財界/マスメディアが含まれます。民主党政権に対し「何で政治の素人に従わないといけないんだ」と意地悪したと思います。そのため自民党を批判する左派の人は「私は少数派・反体制派」と感じていたと思います。
・しかし第二次世界大戦後の国際社会は「個人主義」で、日本国憲法も左派的な憲法で、「自民党政治」も個人の自由と権利を重んじてきました。逆に全体主義的な思想は日陰の存在で、誰も口にしませんでした(※ナチス/ヒトラーなどはタブー)。今も「国民戦線」(仏国)「ドイツ国家民主党」(※「ドイツのための選択肢」とは別にあるんだ)などの排外主義(全体主義)を掲げる党があますが、異端の「極右政党」とされています。また反ユダヤ主義の「ネオナチ」や白人至上主義の「クー・クラックス・クラン(KKK)」などの団体も同様に扱われています。
・お分かりでしょうか。個人の自由と権利を重んじる個人主義(左派)が体制派だったのです。これを「戦後民主主義」と云います。次章でこの戦後民主主義がどうなるかを話します。
<第5章 2つの陣容-保守とリベラル>
・やっと今を考える段階になりました。私(著者)は明らかに左派です。個人の権利と自由を優先するし、人権のために闘った人を尊敬します。金持ち優遇/弱者切り捨てに反対し、憲法改正にも反対です。支持政党がない「無党派層」ですが、自民党には入れません。私は反体制派と思っていましたが、言論界/出版界/人文科学系の学界は左派なので、言論の世界では体制派だったのかもしれません。
・私の目からは、現状は「最悪に近い状態」です。野球に例えると、1点リードで9回裏となり、二死満塁でバッターに安倍晋三首相を迎えた感じです。
・政治は振り子のように、右と左を繰り返します。今は左(戦後民主主義)から右(個人の自由が制限される)に方向を変えようとしています。左派が応援する民主党政権は、三者凡退(鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦)で終わり、2012年自民党で最も右派カラーの強い安倍政権が誕生しました。この政権は憲法改正を強く主張し、安全保障の枠組みを大きく変え、歴史認識にも強硬な発言が目立ちます。
・第一次安倍政権は、「戦後レジーム(戦後民主主義)からの脱却」を掲げ、教育基本法に「愛国心」を入れ、防衛庁を防衛省に格上げし、憲法改正に必要な国民投票法を成立させました。
・自民党は保守政党ですが、党内に右派/左派がいます。そのため憲法は改正されず、中国/韓国との武力衝突も発生せず、マスメディアも何とか言論・表現の自由を保障されていました。そのため戦後民主主義が維持され、左チームが1点リードしているのです。今が歴史の転換点かもしれません。一応民主主義ですが、全体主義に向かう転換点かもしれません。
・日本では右派を「保守」、左派を「リベラル」と呼びます。しかしリベラル(自由主義)は保守思想なので、左派とリベラルは同じではありません。そのため「国益優先派」の「ゆる右翼」「保守」を「右派」、「人権優先派」の「ゆる左翼」「リベラル」を「左派」とします。※リベラルが出てくると、話がややこしくなる。
・安倍政権が今までの政権と大きく異なるのは、戦争への考え方です。安全保障政策は、戦争放棄を謳った「憲法9条」と、軍事同盟と云える「日米安保条約」の調整でした。歴代の政権は「個別的自衛権(専守防衛)を認めるが、自衛隊は軍備・戦力でない」としてきました。ところが安倍政権は閣議だけで、「集団的自衛権も認める」とします。安倍政権は「日米安保条約は『日本が攻撃された時、米軍が共に戦う』となっている。これを対等にする」とします。
・2014年7月「集団的自衛権の行使容認」を閣議決定します(解釈改憲)。さらに翌年9月これを受けた安保関連法案(安保法)を強引に通します。2013年12月国民の知る権利を制限する「特定機密保護法」も強引に通しており、3年連続で安全保障政策を変革しています。
・左派は言います。「集団的自衛権を使いたいなら、先に憲法を変えろ」「米軍がやってきた事は、ベトナム戦争/パナマ侵攻/イラク戦争など全部侵略戦争だ」。右派は言います。「現実を見ろ。北朝鮮は弾道ミサイルを打ち、中国船は日本の海域に侵入している。憲法改正は待ってられない」。ちなみに北朝鮮/中国船には、個別的自衛権で対応できます。
・世論調査では、安保法に賛成が4割近く、反対が5割となっています。しかし海外で自衛隊員が殺されると、これが逆転する恐れがあります。※逆に「やっぱり止めとけば」となるのでは。
・憲法改正も焦点の1つです。憲法改正は、①両議院で2/3以上の賛成、②国民投票で半数以上の賛成が必要です。次の参議院選挙の結果次第で①はクリアできます。
・日本国憲法は個人主義的な憲法なので、「護憲派」は左派、「改憲派」は右派です。右派は安倍首相に逆転打を期待しています。
・右派は言います。「日本国憲法は米国に押し付けられた憲法。9条は現状に合っていない。憲法改正はどの国でもやっている」。左派は言います。「最終的に政府が認めたので、日本国民の憲法だ。平和だったのは、この憲法のお陰」。
・世論調査では、憲法改正に賛成・反対が拮抗しています。「自民党憲法改正草案」(2012年)が発表されています。基本的人権は大幅に削減され、「緊急事態条項」が加わっています。全体主義者(右派)は拍手喝采し、個人主義者(左派)は卒倒する内容ですが、皆さんも是非確認して下さい。
・右派は「現実的な国防」を目指し、左派は「戦争阻止」を目指しています。両派は「領土問題」でも考え方が大きく異なります。日本には3つの領土問題(北方領土、竹島、尖閣諸島)があります。尖閣諸島は日本の支配下にありますが、2010年中国漁船の船長を拿捕し外交問題になります。2012年政府が魚釣島などを買い上げ、日中関係はさらに悪化します。竹島は、2011年李明博・大統領が上陸し、2016年日本は教科書に「竹島は日本の領土」を明記します。領土問題に敏感なのが右派で、関心が薄いのが左派です。
・両派の意見対立に「歴史認識問題」もあります。これは日中戦争/太平洋戦争の戦争責任の問題ですが、侵略戦争/南京大虐殺/国旗国歌/慰安婦問題/靖国参拝などの問題を含みます。大雑把に纏めると、左派は言います。「日本がやったのは侵略戦争で、創氏改名/慰安婦など謝罪すべきだ」。右派はこれを「自虐史観」と批判し、言います。「マスコミの言う事を信じるな。日本にはアジアを欧米から解放する正義があった」「残虐行為/慰安婦など、向こうが言っているだけだ。ナメられるな。大体戦後生まれの俺達に戦争責任はない」。
・「自虐史観」は新語で、これが広まるのに小林よしのり『新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論』が貢献しています。当書は「『日本は侵略戦争をし、朝鮮を植民地にした。日本は加害者、反省・謝罪しろ』などは、左翼の市民グループの陰謀」とします。当書は右派のバイブルになります。戦後民主主義は左派的なもので、「二度と戦争はしない」「子供を戦場に送らない」などの祈り・誓いで、飽きられます。そこに当書が彗星のように現れ、読者は「日本に正義があった」「日本は正しかった」「反日マスコミに騙されていた」となったのです。
・愛国心/ナショナリズムは自然な感情ですが、危険な感情でもあります。2001年「同時多発テロ」が発生し、ブッシュ大統領は「対テロ戦争」を宣言します。アフガニスタンを空爆し、イラクを軍事攻撃します。ところが4千人の米兵が亡くなり、米国経済は疲弊し、「テロ撲滅」もなりませんでした。
・為政者はナショナリズムを煽ります。また悪政を隠すため、仮想敵を作ります。中国/韓国が反日感情を煽るのもそのためです。
・ナショナリズムは右派のお家芸です。近年日本でも近隣アジア諸国を憎悪する人が増えています。切っ掛けは、2002年小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、日本人拉致事件が発覚した事です。攻撃材料を得た右派は張り切ります。
・右派は攻撃対象を北朝鮮から韓国に広げます。山野車輪『マンガ嫌韓流』は、「サッカー・ワールドカップでの韓国サポーターの態度の悪さ」「土下座/戦後賠償の要求」「強制連行のうそ」「歴史の改変」「反日マスコミ」などを批判しています。この本もベストセラーになり、右派の教科書になります。
・歴史認識問題は政治にも影響します。特に「慰安婦問題」「靖国参拝問題」は影響します。慰安婦問題は中国/韓国の女性が、日本兵の性の相手をした問題です。「慰安所」は400ヵ所あり、数万~数十万人の慰安婦がいたとされます。問題の焦点は強制連行があったか否かです。
・靖国神社は戦死した日本の軍人・軍属を祀っています。問題はそこにA級戦犯も含まれている点です。右派は言います。「政治家が参拝して何が悪い。外国が口を出すのは内政干渉だ」。左派は言います。「政治家の靖国参拝は国益を損ねる。大体政教分離に反する」。
・戦争は終わったのに不思議ですね。ただしこの排外主義/差別が人を傷つけ、命を奪う事もあります。2016年ヘイトスピーチを規制する法律が成立しています。
・歴史認識問題は80年代からありました。しかし「河野談話」「村山談話」にあるように、リベラルに対応していました。河野談話は、1993年宮沢喜一首相時の官房長官・河野洋平が出した談話で、元慰安婦に謝罪しています。この時、政府は軍の関与を認めています。村山談話は、1995年村山富市首相が出した文書で、戦争について謝罪しています。宮沢/河野はリベラルな政治家で、村山は左派政党(社会党)の党首でした。これらによりアジアでの友好関係や日本への信用は保たれていました。ところが右派にとっては「土下座外交」でした。
・『新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論』がベストセラーになった1998年から、『マンガ嫌韓流』がベストセラーになった2005年頃は、経済格差が問題になった時代です。ナショナリズムの高まりと格差問題が同時に進行しています。一般に経済の悪化とナショナリズムは連動します。景気が良いと「良いよ」で終わりますが、景気が悪いと「あいつらが仕事を奪った」「あいつらが利益を独り占めしている」となるのです。また政治への関心を強めますが、かつては左翼思想だったのが、今は右翼思想に向かっています。※左翼はないので右翼か。でも右翼で格差は解消されるのか。
・両派の対立を、生活に密着したテーマから見てみます。小泉政権(2001~06年)は新自由主義路線を明確に打ち出します。これは緊縮財政で福祉予算を削り、自由競争を煽り、格差を拡大させる右派的な政策です。
・一方の左派的な政策は、財政出動し公共事業を行い、雇用を生み、社会保障を充実させます。最低賃金を上げ、公共住宅を整備し、教育費・医療費・介護費を補助します。問題は財源で、高所得者の所得税を上げ、不動産売買の税率を上げ、企業減税を見直します。
・ところが日本の左派は、これらの左派的な政策に無関心でした。それは財務省の「財政再建が最優先」「企業を優遇しないと、企業が海外に出て行く」に脅されていたのです。そのため左派の政党/新聞/市民も緊縮財政論者になっていました。
・子ども手当/公立高校の授業料無償化(※無償化と無料化はどう違うのか)/高速道路の無料化などを公約にした民主党も、緊縮財政に走り、消費税アップまでやると言い出します(※財務省の圧力かな)。消費税は一律に掛かるので、「累進課税」とは逆の「逆進性」を持ちます。さらに消費増税は経済を、さらに冷やします。
・安倍政権は財政出動型で左派的でした。「アベノミクス」の量的緩和は、日本銀行がお金をバラマキ、景気を回復させましたが、2014年4月消費税を8%に上げ、緊縮財政に戻っています。元々安倍政権は再分配に熱心ではありません。大企業の税率を下げ、生活保護費を減額し、労働者派遣法を改正し非正規雇用を増やしました。これが安倍政権の経済政策と思います。※トリクルダウンかな。
・左チームは「何でこの政策が支持されるか分からない」と言います。右チームは「アベノミクスに効果があるかは分からない。でも信じるしかない。野党に任せると景気は益々悪くなる」と言います。安倍政権の経済政策が左派的なのは、国民の生活がそこまで逼迫しているからと考えます。
・最後にエネルギー問題/原発問題に触れます。原発の是非が問われる切っ掛けは、2011年福島第一原発の事故です。大量の放射能で、5年経っても帰宅できない人が4万人います。
・廃炉が決定している原発を除くと、日本には50基の原発があります。原発推進派は言います。「原発は安全です。日本が安定した電力を得るには原発しかない」。原発反対派は言います。「原発は安全じゃない。福島を見ろ。使用済み核燃料の処分場もない。大体原発が動いてなくても、電力は足りている」。
・原発立地地区は企業城下町と化しており、原発がないと立ち行かない地域もあります。しかし止めた方が良いと思います。これは労働問題にも関係しています。国際放射線防護委員会の年間許容放射線量は1ミリシーベルトです。ところが作業者の年間許容放射線量は、100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げられました。労働者の健康が維持できない経済は、繊維女工/炭鉱労働者の時代と同じです。
・原発の是非は、右派/左派の対立と無関係かもしれません。しかし事故当時の民主党政権は、2020年代で原発ゼロを目指していました。しかし今の安倍政権は、原発をベースロード電源としています。そのため右派の人は原発賛成、左派の人は原発反対の傾向にあると思います。ただし原発の再稼働に反対するデモで政治に目覚めた人もいます。また原発の是非は、今の「国家と個人の対立」で最もホットな話題かもしれません。
・ここまで日本を騒がせている政治的トピックに対する右派/左派の考え方を述べてきました。あなたはこれらを考慮して投票すると思いますが、選挙では安全保障政策/憲法改正/領土問題/歴史認識/原発などは争点になっていません。ガッカリすると思います。これはどの党も一緒で、「景気を良くする」「社会保障をやる」など、誰もが納得する政策しか公約しません。そのため選挙後に公約にない法案が提出されてビックリします。
・今の公明党は、自民党の政策にブレーキを掛ける役割をしていません。あなたが右派なら自民党に入れて下さい。ただしいまの自民党は右に向かっており、憲法改正/国防軍への昇格/言論の自由の制限/教育への介入を行い、「ニッポン万歳」の国になるでしょう。
・あなたが左派なら、気に入る野党がなくても野党に入れて下さい。ただし民主党は「維新の党」と合併して民進党になり、保守とリベラルが混合した信用できない党になっています(※今は国民民主党と立憲民主党)。リベラルな社民党/生活の党(※今は自由党)は虫の息です。共産党は組織力があり、議席を増やしています。ところが「暴力革命を肯定する党」と思われ、「ゆる体制派」からは投票されません。しかしこれは柴犬を指して、「あいつの祖先はオオカミ」と言っているのと同じです。
・冷戦崩壊後、左派は解体し、民進党のような右とも左ともつかぬ党が野党第一党になりました。その隙に、自民党は右派カラーを鮮明にし、議会の2/3を獲得しました。今、左派・リベラルは9回裏のピンチにあります。
・本書は体制と反体制、資本家と労働者、右翼と左翼、国家と個人などの対立軸を見てきました。これらは選挙に直接関係しませんが、自分の立ち位置を判断するヒントになります。あなたの「ひいきのチーム」は見つかったでしょうか。
<エピローグ リアルな政治を学ぶには>
・冷戦が終結した頃、右翼/左翼はなくなると思っていました。ところがネットでは「ネトウヨ」「反日サヨク」と罵倒し合っています。「今は右や左のイデオロギーの時代ではない」と言う人が多いので、この本を書く事にしました。
・「偏りは良くない」「メディアは中立公正、不偏不党であるべき」「両論併記」など、近年は間違っていると思います。そのため政治音痴になった。メディアの役目は「権力の監視」です。※日本のメディアは、政府の報道機関になっている。
・政治参加するには党派性を持つ必要があります。そのためには地図がいる。丁度選挙年齢が18歳に引き下げられたので、本書は若者を対象にしています。
・どこで政治を学ぶかについて、「街頭で学ぶ」「日々の暮らしから学ぶ」「新聞を読む」「ネットから学ぶ」など様々な意見があります。いずれにしても選挙の時だけでは無理です。野に放り出される前に、地図が必要です。
・やはり政治参加するには「どうしてこんな目に遭わないといけないの」などの私憤・義憤が有効でしょう。そうなれば政治的リテラシーは自ずと磨かれます。情報を集め、人と話し、本を読み、ニュースを見る。その積み重ねです。私憤と義憤の二人連れだとパワーも違います。「こんちくしょう」がスタートかもしれません。あなたの行く道が見えた時は、地図を破り捨てても構いません。