『アメリカ 異形の制度空間』西谷修(2016年)を読書。
米国の自由をテーマにしています。それをキリスト教世界での新大陸発見から解説しています。
他の米大陸諸国と異なり、自由を重んじるピューリタンが建国した事で、米国の「自由の制度空間」が確立した。
一方でその犠牲となったインディアンや、米西戦争に始まる「自由の制度空間」の世界への拡大や、近年の「新自由主義」の拡大を述べている。
しかし本書の主旨は「自由の制度空間」の称賛ではなく、その絶対的な否定である。
序章が難読で心配したが、前半はそれ程難しくなかった。しかし終盤になると文章も雑になり、冗長的・抽象的・文学的に感じ、ダレてきた。
内容的には歴史/政治/経済/哲学/宗教/言語などの要素を含んだ重厚な本である。
お勧め度:☆(内容的には☆☆)
キーワード:<序>規範性、自由、解放、<アメリカという呼称>大地、アメリゴ・ヴェスプッチ、<自由の前史>キリスト教圏、エンリケ航海王子、トルデシリャス条約、レコンキスタ、洗礼、征服、<キリスト教世界の転換>宗教革命、英国/仏国、私掠、自然権/国際法、自由、<所有に基づく自由>洗礼、ピューリタン、インディアン、所有権、ジョン・ロック、制度空間、<独立革命と米国の拡大>ハイチ、ステート、奴隷、<自由の空間としての西半球>明白な天命、自然状態、モンロー主義、米西戦争、共産主義、民主化、<自由の繁茂と氾濫>経済的自由/市場、経済主義革命、私物化、産業革命、法人、自動車、科学的管理法、テクノ・サイエンス、アメリカ化、グローバル化、<結び>制度空間、唯名論、制度性、<自由主義の文明史的由来>テロとの戦争、グローバル化、ショック・ドクトリン、宗教/政治/経済、進化論、キリスト教、自由主義経済
<序>
・1776年「アメリカ合州国」(※本書は合州国としている)が独立します。最初は大西洋岸に縦に伸びる国でしたが、数十年後に太平洋まで国土を拡大します。建国から170~180年後には世界最大の工業国になり、世界を領導する国になります。21世紀になり凋落が語られますが、その規範的影響力によて、「アメリカ的なもの」は世界に浸透しています。
・本書は米国の成立事情や政治・社会を考察するのではなく、「アメリカなるもの」を支えている規範性を「自由の観念」から考察します。
・アメリカは米国や大陸の呼称としてだけではなく、欧州の外部に作られた「例外領域」であり、「自由の制度空間」です。移民の入植によって「自由の領域」は入植者の権利になり、やがて独立し、政治権力を持つようになった。
・この「自由」は、排他的で不可侵の権利である。ジョン・ロックによれば、この権利は「個人を自由にし、その自立を保障し、それを社会的責任のある主体にするもの」である。
・やがてこの「自由」は、先住民が暮らしていた空間に拡張され、制度化された。先住民に委ねられていた大地は、資産として解放され、人為的な権利になり、登記簿に不動産として登録された。土地だけでなく、あらゆる存在にこの原理が適用された。これが「アメリカ」と名付けられた「自由の制度空間」である。
・この「アメリカなるもの」は国境を越えて拡張し、米国は「解放者」になり、「所有権による自由」により文明化した。※米国は海外領土を余り持たなかったが、どこの地域を指しているのか。米国の中西部の事かな。
・アメリカの自由は、「無住の地が、移民に委ねられた前提」なしに成立しなかった。この「原罪」を帳消しにするため、米国は「解放」を使命とし、これを世界中で力尽くで行った。
※「抽象的・冗長的で、最悪の本」と思ったが、本論を読むと十分理解できる。
<第1章 アメリカという呼称>
○アメリカの多義性と一義性
・アメリカは一義的でない。「アメリカ合州国」(※以下米国で表記)を指す場合もあれば、「アメリカ大陸」を指す場合もある。しかし20世紀米国の影響力は絶大で、「アメリカ映画」「アメリカ様式」などは米国のものを云う。
・この多義性は、アメリカが名付けられた経緯に由来している。発見された大陸はアメリカと名付けられたが、当時は大陸のほんの一部だった。その後大陸の全貌が知られるようになり、この大陸全体がアメリカとなたった。
・またこのアメリカ大陸で、国名にアメリカを冠しているのが「アメリカ合州国」しかないのである。他の何れの国も、先住民に由来する国名を採用した。※これは米国が征服国家のためかな。また米国が先にアメリカを付けたので、後続国家はアメリカを付け難い。
○夢の投影
・アメリカは地理学/政治学/国際関係などで多義的に使われるが、それぞれは決して曖昧なものではない。
・アメリカは欧州人が未開の地とした「新大陸」「新世界」に付けた名前である。この大地に多くの移民が、夢を持って移り住んだ。しかしそこに住んでいた先住民は、アメリカと名付けられた事など、知る由もなかった。
○創始する名前
・アメリカは特別な名前で、それ自身を創始する名前である(※意味不明)。アメリカはその名と共に生まれた。欧州人が新大陸を発見し、命名し、移民によって存在するようになった。「アメリカの新石器時代」と語られるが、コロンブス以前にアメリカは存在しなかった。
・もちろん地名は、その様なものである。トルコの都市イスタンブルは、オスマン・トルコが命名した。それ以前はビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリスだった。さらにそれ以前はギリシャの植民都市ビュザンティオンだった。
・アメリカの場合は少し違って、それ以前の名前は見当たらない。先住民は自分達を超える存在を「大地」としただけで、名前を付していない。それは彼らに大地を所有する観念がなかった事による。欧州人はこの大地をアメリカと名付け、このアメリカが世界に展開された。
○命名の由来
・アメリカの命名の由来は明白である。1507年ロレーヌ(ドイツ)の地図製作者マルチン・ヴァルトゼーミュラーが、航海士アメリゴ・ヴェスプッチ(1454~1512年)にちなんで、地図にアメリカと書き込んだ事に始まる。この地図『世界誌入門』は、プトレマイオス図(※ローマ帝国の地図だけど)の改訂版として欧州中に流布した。
・厳密に言えば、新大陸の発見は1492年コロンブスである。しかし彼は新大陸をインドと信じていた。またスペインの女王からインド到達を目的として支援されていたため、インドでないとマズかったのである。そのためカリブ海の島々は西インド諸島と呼ばれ、この地域はインディアスと呼ばれ、住民はインディオと呼ばれた。
・1498年ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマが東回りでインドに到達し、コロンブスが発見した大陸がインドでない事が明白になるが、それでも彼はインドと信じていたようである。その後ヴェスプッチが、「これは未知の大陸である」と有力者に報告し、新大陸発見は彼の功績となる。
○早とちりの名付け
・ヴェスプッチは野心的な冒険家ではなかった。彼は船団に雇われた水先案内人だった。ブラジルからインドへの航路を見付けるため南下したが、陸が続いたため、これを大陸としたのである。彼は50歳近くになり、船に乗り始める。彼は格段に教養があったため、これを新大陸と推し量れた。そして航海の見聞を雇い主のポルトガル王/メディチ家に送っていたのである。
・1503年この報告を商売に目ざといイタリアの印刷業者が4枚のパンフレットとして出版したのである。しかもラテン語に翻訳し、表題を『新大陸』とした。翌年には『新世界とフィレンツェのアメリゴ・ヴェスプッチによって新たに発見された国々』が刊行されている。
・そして『世界誌入門』の出版社達はこれを入手し、定番だったプトレマイオス図を改訂し、未知の大陸にヴェスプッチの文書のラテン語訳を書き入れた。これが欧州中に広まり、アメリカが定着する。
○名付けの陰で
・ロレーヌの業者はコロンブスに言及していない。彼らはヴェスプッチの功績と早とちりしたのである。そのため6年後(1513年)の『世界誌入門』の新版は、アメリカではなく「未知の大地」となっている。しかし「時すでに遅し」だった。
・このアメリカの命名にヴェスプッチは関与しておらず、イタリアの印刷業者とロレーヌの地図製作者によるのである。彼は58歳(※1512年?)で引退し、1512年命名者としての栄誉を受ける事はなく没する。未亡人は生活のためスペイン王に年金を請う状況だった。
○歴史は過ちを正さない
・ヴェスプッチは「コロンブスの功績の簒奪者」と非難される。最初の強力な告発者は、『インディアス史』を書いたバルトロメオ・ラス・カサスである。彼の父はコロンブスの航海に同行している。また彼は、1502年ドミニコ会教師としてエスパニョラ島に渡り、インディアスに長く留まり、征服者の残虐非道を告発し、インディオの最初の擁護者になっている。※こんな人がいたのか!
・彼は新大陸の発見者をコロンブスとし、この地をインディアスと呼び、ヴェスプッチを簒奪者とした。しかし真の簒奪者はヴェスプッチだった訳ではなく、印刷業者/地図製作者、そしてそれを鵜呑みにした世間だった。
・これはメディア化した社会ではよくある事である。当時は活字印刷が広まる時代で、この命名は不朽のものになる。6年後の訂正は既に遅く、歴史はこの過ちを訂正できなかった。
○膨張する名前
・最初にアメリカと記したヴァルトゼーミュラーの地図には、大西洋の西側に南北に細長く新大陸が描かれていたが、アメリカの名前は、ブラジルの辺りに書き込まれている。これはヴェスプッチが、ブラジルから南下した事にもよる。その後2つの巨大な大陸の全貌が分かるようになると、アメリカはその両大陸を指すようになる。コロンブスの名にちなんだコロンビアは、その一部に名を残す。※本章は結構面白かった。
<第2章 「自由」の前史>
○「自由」の由来を問う
・米国は「自由の国」と云われ、人々は政治的自由/経済的自由/宗教の自由/表現の自由/生き方の自由などを享受する。それゆえ伝統・因習に囚われず、競い合いの中で社会は活性化し、世界の進歩・発展のパイオニアであり続けている。移民の玄関口であるマンハッタン島では「自由の女神」が出迎えている。人々は「自由」を第一の価値とし、これを広める事を使命とした。
・最初の移民は、1602年ピルグリム・ファーザーズである。彼らは英国教会の迫害から逃れたピューリタンである。彼らだけでなく、全ての移民が「自由」を得られると信じてやって来た。新大陸は「自由」が約束された地だった。
○キリスト教世界とその外
・欧州人からすると、アメリカは「無住の土地」で、手つかずの大地だった。そこには肌の色の違う人間が住んでいたが、それは未知の動植物に過ぎなかった。移住者は土地を自由に所有し、先住民を奴隷のように扱った。それはキリスト教徒の当然の権利だった。これはスペイン/ポルトガル/英国/仏国/オランダなどの全ての欧州人が同様だった。
・欧州人としたが、正確にはキリスト教徒、もっと正確に云えばラテン・キリスト教世界(ローマ教会)の人である。「ヨーロッパ」(欧州)が認識されるのは、大航海時代が進み、欧州がアジア/アフリカ/アメリカと地理的・文明的に異なる事が意識されてからである。
・当時欧州を纏めていたのはローマ教会だった。フランク王国のシャルルマーニュはイスラームの侵入を食い止め、ローマ教皇に領地を寄進し、800年ローマ帝国の帝冠を受けている。当時の欧州は教皇を頂点とするラテン・キリスト教世界(キリスト教圏)であり、東のビザンツ正教圏/南のイスラーム圏と対峙していた。
○自閉からの出口を求めて
・キリスト教圏はイベリア半島での「レコンキスタ」(失地回復)/エルサレムでの「聖地回復」により、ビザンツ正教圏/イスラーム圏と交渉を持つようになる。これは外部の世界に展開する契機になる。
・古代ローマ以来、キリスト教圏は辺境で、東はイスラーム圏に閉ざされていた。東方の富・嗜好品に関心を寄せ、イタリアがその表玄関だった。東方の香辛料・宝物を得るには、莫大な出費が掛った。
・ポルトガルは地中海への出口を持っておらず、最辺境だったが、エンリケ航海王子(1394~1460年)に恵まれる。彼はアフリカ北部セウタに遠征し、そこでイスラームに刺激される。彼はフェニキア人が地中海からアフリカを回って紅海に達した逸話や、アフリカ東部にキリスト教国王プレステ・ジョアンがいると信じ、臣下にアフリカ南端を回ってインドに達する航路を何度も探索させた。
・彼の死後1488年、バルトロメオ・ディアスによりアフリカ南端が発見され、喜望峰と命名される。この10年後(1498年)ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰経由でインドに到達する。
○キリスト教世界の大反転-地中海から大西洋
・一方スペインは大西洋進出への関心は薄かったが、ポルトガルの成功でコロンブスの「西インド航路」開拓を支援する。これにより「新大陸」を手にする事になる。
・これによりキリスト教世界の布置(※配置)が変わった。それまでは地中海の周囲にラテン・キリスト教/ビザンツ正教/イスラームが並存していた。ところがポルトガルは南方に向かい、スペインは西方に向かい、グローバルな世界になり、中心は地中海から大西洋に移った。
○世界分割の先取り
・ここでこだわるのはキリスト教圏である。彼らが大地を「領有」できたのは、キリスト教の権威による。名高い「トルデシリャス条約」(1494年)がある。これはスペイン/ポルトガルが結んだ条約で、大西洋上に縦に分割線を引き、東の大地をポルトガルが領有し、西の大地をスペインが領有する取り決めである。このおかしな条約はその後も適用され、地球の反対にあるモルッカ諸島の領有を裁定する際に、「サラゴサ条約」(1529年)として更新される。ちなみに太平洋上の分割線は東経135度で、日本の明石を通過している。
・ここで需要なのは、教皇アレクサンドル6世が「トルデシリャス条約」を裁定している事である。要するに支配の正統性は、ローマ教会により与えられていた。そのためこの大西洋上の分割線は「教皇子午線」と呼ばれる。
・ポルトガル/スペインは「レコンキスタ」により成立した国である。1469年カスティーリャ王女イザベルとアンゴラ王太子フェルナンドの結婚によりスペイン連合王国ができるが、二人は「カトリック両王」と称された。つまり王権はキリスト教世界の復興により正当化され、教皇の認証によって正統化された。※塗油の儀式とかあったな。
・1492年スペインはイスラーム王国のグラナダを陥落させ、「レコンキスタ」を完了する。この時ムスリム/ユダヤ人に、キリスト教への改宗か国外退去を強要した。これによりイベリア半島のキリスト教化がなされる(※当初は寛容だったはず)。この勢いでイザベル女王はコロンブスの「西インド航路」開拓を支援する。「新大陸の征服」は「キリスト教世界の拡張」として展開された。
○キリスト教世界の回復と拡張
・アフリカの南には「死線」があるとされ、船員が集まらなかった。そのためエンリケ王子は、教皇に贖罪を保証してもらい、船員を集めた。彼はキリスト教国王プレステ・ジョアンとの邂逅を夢見ていたが、アフリカ南端を回る航路の開拓を自分一代でできると思っておらず、ヴェルデ岬以南で新たに発見した大地をポルトガル領とする事を教皇に保証してもらった。
・コロンブスの新大陸発見でこの分割線は横から縦に変わる(トルデシリャス条約)。この奇妙な取り決めは「新たに発見される陸地」が対象で、すでに領有されている東方ビザンツ圏/イスラーム圏は対象でない。世俗王権による領土拡大は「レコンキスタ」の延長であり、神の代理人である教皇の下で行われたのである(※複雑な説明がされているが簡略化)。そのため領土拡大の仕上げは布教であり、蛮民への救済(※改宗?)だった。
○名付けと領有
・実際コロンブスは島に上陸すると、サン・サルバドル(救世主)と命名し、スペイン王家の旗を立て、その領地である事を宣言した。彼はこの島がグアナハニと呼ばれている事を知っていた。それを知っていて、新たに命名したのである。この行為はキリスト教世界の「洗礼」である。罪深い野蛮なグアナハニは、洗礼(名付け)により救われるのである。※自分勝手な理論だ。
・こうして彼は上陸した全ての島に王旗を掲げた。これに抵抗する者はなかった。それは2つの世界が余りにも異なったからである。先住民は相手が欲しがる物(金銀、香辛料など)を何でも与えたが、一方で捕獲網で浚われた。キリスト教徒にとってこれは当たり前の事で、「神の栄光」を広めるのは使命・義務だった。※コロンブスらは、相当残虐な行為を行っている。
・彼には野心があった。彼は航海で鍛え、地誌を学び、多くの書物を読んだ。彼は発見した陸地はスペイン王家に帰するが、自分が副王(総督)となる事を要求している。スペイン宮廷での確執もあり、第3回の航海は鎖に繋がれての帰国する。新大陸発見から15年後(1506年)、彼は孤独な死を迎えている。※ヴェスプッチと同じ感じだな。
○発見という権原
・新大陸の相貌が明らかになるに連れ、「神の栄光」は野心や欲望に変貌する。彼らは剣・騎馬・姦計で征服し、「コンキスタドール」(征服者)と呼ばれた。これは称賛する称号だった。彼らは島々から大陸に足を踏み入れ、1521年アズテク(メキシコ)を滅ぼし、次にインカを滅ぼした。その範囲は南の大陸全域に及んだ。ただしブラジルの一部はポルトガルが領有した。
・この「発見」「領有」は、キリスト教の「洗礼」を根拠としている。その後5世紀に亘って、このキリスト教の法的原理が世界の規範となった。
・もちろんこの「神に栄光」は幸いをもたらさなかった。宣教師ラス・カサス(前述)は、島の人口が1/10に減少したのを知り、スペイン国王に告発する。これは『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』として纏められるが、冒頭から読むに堪えられない虐殺行為の連続である。その結果、インディオの保護は義務付けられたが、アフリカからの奴隷は認められた。
・この空前絶後の独善は、その後の世界秩序のベースになる。それはその後の歴史を彼らが担ったからである。
<第3章 キリスト教世界の転換>
○宗教革命と「自由」の主張
・キリスト教徒は、神の僕(しもべ)として、信仰を知らない者を騙し、捕縛し、殺戮した。彼らは悪習に溺れた者を無知から目覚めさせるのが務めだった。これを非難する者もいたが、そこからもたらされる莫大な利益が、それを止めさせなかった。
・そんな中、キリスト教世界で変容が起こる。「宗教改革」である。当時キリスト教が世界の在り方を決めており、これは単に「改革」と呼ばれた。また「宗教」も、この頃から使われ始めた言葉である。
・「改革」は1517年、マルチン・ルターが聖堂の扉に「95ヵ条の論題」を貼り出した事に始まる。彼はローマ教会から破門されるが、それに敵対するドイツ諸侯に保護される。またその十数年後、英国では国王ヘンリー8世の離婚問題から、英国教会を創始する。そして1541年ジュネーヴでジャン・カルヴァンが「神権政治」(?)を始める。これによりローマ教会の権威は傷付き、各地で新教派と旧教派の抗争が始まる。
・当時聖書はラテン語訳で、あらゆる典礼もラテン語で行われた。そのため人々は聖職者を必要とし、贖宥状(※免罪符だな)を買ったりした。しかしルターはこれらを否定し、「信仰によってのみ神に向き合える」とし、ドイツ語訳の聖書を提供した。またカルヴァンは仏語訳の聖書を提供した。これによりプロテスタントは教会から解放された。
○信仰の「自由」から地上の「自由」へ
・「改革」は信仰の形を変えた。ローマ教会に背いても神に背いた事にならず、むしろ直接神と向き合えるのだ。ルターは「信仰義認」(信仰によってのみ義となる)を説いた。この時から「自由」が「新しい道を開く燈明」となる。※良く分からない。
・ローマ教会の威光は弱まるが、教会により正統性を確保されていた世俗権力は、相対的に地位を高める。かつては「破門」によりキリスト教世界から締め出されたが、それを恐れる必要はなくなった。
・こうしてキリスト教世界は二重の反転を遂げる(※地理的と権力的かな)。地中海の北岸に閉ざされていてが、大西洋を交通路としグローバルに拡大された。そして神による一元的秩序から、世俗的権力が対立抗争する力動的秩序(諸国家間秩序)に変質した。統治は「オトリタス」(権威、※ラテン語「auctoritas」かな)から「ポテスタス」(権力、※ラテン語「potestas」かな)に変わった。この頃から後者による統治を、政治(Politics)と呼ぶようになる。
・こうして英国/仏国/オランダは、教会の秩序から「自由」になり、台頭する。一方ポルトガル/スペインは古い秩序に留まった。※仏国は旧教国では。
○英仏の北アメリカ進出
・イベリア両国に続いて新大陸に進出したのは旧教国の仏国だった。1533年国王フランソワ1世は教皇より、「トルデシャリス条約/サラゴサ条約は、今の時点の領有だけに及ぶ」との言明を得る。翌年セントローレンス付近を探索させ、カナダ・ケベックの植民地の足掛かりになる。
・連合王国を形成しつつあった英国は、英国教会創設で混乱していた。そのため商人が独自に大西洋貿易に乗り出した。エリザベス女王(位1558~1603年)の時代には、国王の許可を得た私掠船が大西洋で活躍する。
・その代表例がジョン・ホーキンス/フランシス・ドレイクなどである。ドレイクはスペイン船団を襲い、大量の銀を奪う。これで彼に出資していたエリザベス女王は、莫大な配当を得た(※凄い話)。その後彼は海軍中将に任命され、1588年「アルマダ海戦」で無敵のスペイン艦隊を壊滅している。この海戦は海洋覇権がスペインから英国に移る転機であり、「アメリカ」が南の大陸から北の大陸に移る転機にもなった。
・1497年英国はカナダ東南岸/デラウェアなどに到達しており、北アメリカの領有を主張するようになる。1580年頃ハドソン湾/ヴァージニアの植民地建設を始める。
○企業経営としての植民
・プロテスタントの登場は世俗権力を台頭させ、キリスト教世界の秩序を変容させた。新大陸に根拠を持たなかった仏国の国王フランソワ1世は教皇と交渉し、トルデシャリス条約の効力が限定的である事を取り付ける。世俗権力は宗教的権威から離脱し、北アメリカの植民は南の征服から1世紀遅れるが、そこは国家による領有と富の獲得が公然の目的となる。
※北アメリカの植民が遅れたのは不思議だな。距離的は近いし、気候も良いのに。考えられる理由は、①アジアへの航路開発が目的だったので南下した、②偏西風が妨げたかな。
・ここで特徴的なやり方をしたのが英国だった。集権化が遅れた英国は、船乗りに私掠特許状を与え、スペインなどの商船を襲撃させた。今で云う「民間活用」である。この私掠船団は国王・貴族の投資対象になった。マゼランに次ぐ世界周航を果たしたドレイク(前述)は、スペインの銀輸送船団を襲い、エリザベス女王は膨大な配当を得た。
・ヴァージニアに特許状を得た会社が設立され、資金を集め、植民活動を行った。要するに独占企業が植民を行った。これはインドでの東インド会社(※1600年設立)にも引き継がれる。
○ヨーロッパ国際法秩序とその外
・この様な状況の中で、キリスト教世界の法的規範も変わってくる。当初はポルトガル/スペインが大地の領有権を分け合った。これはキリスト教徒の使命であり、教皇の権威に支えられていた。ところが教皇の権威が揺らぎ、他国の大西洋進出が始まると、「トルデシャリス条約」の効力も揺らいでくる。宗教改革により世俗権力は自立し、主権領邦国家(※神聖ローマ帝国下の国家)を形成した。「三十年戦争」(1618~48年)を経て、主権国家間秩序(ウェストファリア体制)が形成される。
・しかしこの欧州秩序が新世界を一方的に規定していたのではない。新大陸での征服の荒々しさは衝撃を与え、サラマンカ学派(※スペイン・サラマンカ大学)のフランシス・ビトリアはスペインのインディアス支配を批判した。彼は人間の権利を「自然権」とし、インディオを擁護した。また「万民に及ぶ法」(国際法)を、国家の法の上位に位置付けた。この過程で法源は聖書から世俗的なローマ法に移行した。
・オランダのグロチウスは『自由海洋論』を提起する。彼は「海洋の自由」を主張する。これに英国の法学者が、領土に隣接する海域を「領海」とし、その外を「公海」と反論した。この考え方が、今も続いている。※国際法はこの頃に生まれたのか。
・17世紀になると教皇子午線の意味も変わり、旧世界と新世界を分ける分割線になる。旧世界では世俗権力がせめぎ合うが、一定の友誼は保たれた。一方新世界は何の制約もない、自由に奪い合う領域となった。※無法地帯だな。
○ラインの彼方の自由
・これを仏国を例にすれば、「欧州では同じ旧教国のスペインと争わないが、新大陸では別」となる。これについてはカール・シュミット(1888~1985年)を参照しない訳にはいかない。彼は『大地のノモス』に、「世界が初めて地球規模になり、『新しいグローバルなラウム秩序』(※ラウムは空間の意味)を要求するようになった」「新世界は自由なラウムであり、先占と拡張の自由なフィールドとして現れた。これは粗野なつかみ取りだった」と書いている。
・教皇子午線は東回りインド航路と西回りインド航路を分ける分割線だった。ところが教皇の権威が低下し、世俗権力の権益争いが露わになると、この分割線は旧世界と新世界を分ける分割線となった。この兆候は、1559年仏国とスペインの間で交わされた「カトー=カンブレシス条約」に表れている。この条約の密約で、「欧州では協調するが、新世界ではその限りではない」とした。やがて仏国はカリブ海/北米ルイジアナに拠点を持つようになる。
・この教皇子午線は「友誼線」と呼ばれるようになる。つまり分割線のこちら側は条約・平和・友誼を原則とするが、向こう側はその限りではない。※これについてシュミットが詳しく述べているが省略。
○まとめ
・スペイン/ポルトガルは地中海の閉じた世界を大西洋の広大な世界に広げた。彼らはローマ教会の権威により世界を分割した。新大陸を例に取ると、まず「領有」が宣言され、「洗礼」され、キリスト教世界に統合された。これは武力により行われた。こうしてスペインは新大陸の南半分を「征服」した。その頃「宗教改革」が起き、ローマ教会の権威は揺らぎ、プロテスタントの「自由」が主張されるようになる。「三十年戦争」により欧州の秩序は、主権国家間秩序(近代欧州)に変わる。一方カリブ海は「海洋の自由」が原則になり、仏国・英国がスペインと対立する構図になる。
・つまり欧州では国際法秩序が形成されたが、分割線の外ではその拘束は解除された。この例外地帯こそ「自由の空間」であり、「戒厳令」も同様である。※ここでシュミットの「自由なラウム」についての引用があるが省略。
・分割線の性格の変化が起こるが、メキシコ以南のスペイン領は既成事実となっていた。一方フロリダ以北は国家間秩序を支える国際法の例外地帯で、自由に委ねられる解放区となった(※新大陸を例外地帯/解放区など、微妙に違う言葉に変える。こんなのが多い)。これから北アメリカへの植民が加速するが、この「自由」が北アメリカの初期条件となる。やがて移民した彼らは、旧世界の秩序と対抗するようになる。
・その先駆けになったのが英国教会の迫害から逃れたピューリタンだった。彼らはアメリカに「信教の自由」を求め、大西洋を渡った。これはファラオに追われたモーゼの「出エジプト」に見立てられた。
<第4章 所有にもとづく「自由」>
○新世界の洗礼
・長らく「アメリカ大陸の発見」と云われてきた。しかしこれには、「西洋を中心とした一方的な言い方」として批判があった。しかし「欧州人による新大陸の発見」であれば不当とは云えない。その地はアメリカだった訳ではなく、発見から暫く経ちアメリカと呼ばれた。すなわちアメリカは欧州人が付けた名前で、先住民には与り知らぬ名前だった。しかしこの名前は欧州人により世界に広められた。
・新大陸はラテン・キリスト教、とりわけスペインに領有された。コロンブスは最初に辿り着いた島にサン・サルバドルと名付け、次の島にはエスパニョラと名付けた。これはキリスト教の「洗礼」で、名付けによりキリスト教世界に帰属した。そしてキリスト教王が領有した。
○名付けと実体化
・こうして島々は名付け/領有された。さらに大陸が全容を現してくる。そして地理学者(※地図製作者?)によりアメリカと名付けられる。そうしてアメリカは、あらゆる夢や願望が投影されるトポス(※場所)となる。※同じ事の繰り返しが多い。
・トマス・モアは『ユートピア』(1516年)を書き、モンテーニュは「カンニバリズム」(※人食い)を考察し、シラノ・ド・ベルジュラックは「月世界旅行」を夢見る。ホッブスやロックもアメリカに刺激された。
・やがて様々な欧州人が移り住むようになる。冒険家もいれば、実直な植民者もいれば、徒刑囚人もいた。これによりアメリカは現実のものになった。彼らは、この地を「新世界」と呼んだ。そこでは先住民は自然物と同等に扱われた。
○生粋のアメリカ-なぜ米国だけがアメリカなのか
・コロンブスの上陸は1492年、地図製作者の命名が1507年で、その後カトリック王国(旧教国)が100年に亘って征服を行う。そして1620年、英国を追われたプロテスタント(ピューリタン)が、手付かずの北米のボストン郊外にプリマス植民地を開く。その後アメリカが建設され、1776年アメリカ合州国が誕生する。
・アメリカは南北大陸を指すが、それを冠するのは米国しかない。コロンビア/ボリビアは人名が、アルゼンチンは伝承が、ブラジルは樹木が、メキシコ/カナダは現地語が国名となった。米国しかないのには理由がある。
・英国の植民地はピューリタンにより開かれた。1534年英国王ヘンリー8世は、離婚問題から英国教会を作り、16世紀後半英国の教会として定着する。英国教会はローマ教会に服さなかったが、典礼は踏襲した。これに対しカルヴァン派は英国教会と対立し、聖書による信仰の浄化(ピューリファイ)を求めた。彼らがオランダ/アメリカに逃れたのである。
・英国は国力を付け、1588年ドーバー海峡でスペイン艦隊を破る。かつてジョン・カボットが大陸北東岸に到達した事があり、北東岸への植民が始まる。
・ピューリタンは「信仰の自由」を求めた。彼らは自分達を不退転の旅に出た族長アブラハムや、モーゼの「出エジプト」になぞらえた。彼らは自分達を「選ばれた民」と信じ、冒険心/征服欲/一攫千金などを望んだのではなく、「信仰の自由」を求めた。その「約束の地」がアメリカだった。
・また彼らはは、メイフラワー号の船内で「市民政体」を誓約している。これは社会契約の諸端で、英国植民地の範となる。英国植民地は事業として運営され、それぞれが自治政体を形成するが、それぞれがステートとなった。※正しく「United States of America」だ。
・13のステートは本国と対立し、アメリカ合州国として独立する。彼らにとってアメリカは「精神的自由」「社会的的自由」「自由貿易」などを意味し、本国からの独立を意味した。この様に米国には、他の国にはない神学的・政治的な意味が含まれている。
・英国植民地の建設が盛んな時期に、本国で「ピューリタン革命」(1642~49年)「名誉革命」(1688~89年)が起きている。これも英国植民地で、自治・自由の意志が強い要因である。
・ピューリタンは勤勉・倹約を重んじた。これが結果的に商業・産業を発展させた。米国には王侯・貴族はおらず、奢侈・浪費は栄光の証しではなかった。※以前「福音主義」に関する本を読んだ。当初は勤勉などをモットーとしたが、その後逆転し、結果的に富を得た人が「信仰に篤い」となった。
○アメリカとその影-非対称的二重性
・アメリカの誕生により、そこに元々住んでいた住民との間に二重性がもたらされた。「インディアン」と勝手に名付けられた彼らは、欧州的な権利を持たなかった。彼らはアメリカの建設により排除されていく。
・移住民は土地を確保し、柵で囲った。先住民は「外部」に追いやられた。アメリカは拡大し、「外部」(先住民)は武力で圧迫された。先住民は「保留地」以外、住む場所がなくなった。両者の戦いは、1636年マサチューセッツでピクォート族を一掃した時に始まり、1890年第7騎兵隊がスー族を皆殺しにするまで続いた。※今でも西部劇とかあるのかな。
○消去される「外部」
・13州だった米国は、半世紀後には太平洋岸まで拡大される。この「フロンティアの拡大」は「外部の消滅」でもあった。この間、大陸には非対称の空間が存在した事になる。
・ディー・ブラウン『わが魂を聖地に埋めよ』は、19世紀後半のインディアン諸部族の苦難の運命を、戦いや裁判の記録から克明に描いている。そこには「亡くなった父親はアメリカ人が大いなる河(ミシシッピー川)を渡った事を聞くだけだった。我々は銃や火薬の事を知った。今は連発銃である。我々はコットンウッドで初めてアメリカ人を見た」などが書かれている。
・大陸は「アメリカ人」に征服され、先住民は「アメリカ・インディアン」「ネイティブ・アメリカン」などと呼称されるが、そこには抹消された存在の痕跡がある。
○制度空間としてのアメリカ
・大陸はアメリカに征服されたが、「征服国家」「強奪の国」などとは云われない。それは彼らの「土地取得」が一方的で、かつ合法的だったからである。先住民にとって大地は万物を生み出す「母」であり、人間が「所有」し、「売買」するものではなかった。
・大地に欧州人が現れた時、先住民は彼らを追い出さなかった。先住民は新参者に食料・衣料を与え、トウモロコシの育て方を教えた。ところが欧州人は土地を「自分に固有のもの」とする「所有」を始める。それを国家が保障した。
・まず土地は国家により「領有」され、それを個人が「所有」した。そこには法秩序が存在した。17世紀半ば、欧州で「国家間関係」「国際法秩序」が規範的枠組みとなるが、これはその端緒だった。そのため英国が「領有」するニューイングランドに仏国人が侵入すれば国家間紛争の種になる。そこでは先住民の存在はなく、先住民はその「外部」に置かれた。
○権利と権利なき者
・英国の場合、国家が土地を「領有」し、それを「会社」が植民事業として個人に無償・有償で分与した。スペイン/仏国の場合、本国に富を持ち帰るのが目的だったが、英国の場合、移民者自体が自立するのが目的だった。
・17・18世紀欧州で主権国家が形成され、「私的所有権」が確立されるが、新世界でも同様だった。ただし欧州では伝統的事情(王権・教会による封建制)があり、個人が土地を排他的に所有するには、大規模な社会的再編が必要だった。英国で「囲い込み」(エンクロージャー)が行われたが、これは土地の資産化・流動化に有効だった。※忘れている。そんな内容だったかな。
・ところが新世界では、先住民は法の埒外にあり、土地の「所有」は容易だった。土地は「私的所有」され、所有権を軸とする制度的空間になった。
・「法外」に置かれた先住民は、武器を備えた「アメリカ人」に駆逐された。一応部族の代表は土地の交渉をするが、「権利譲渡」の意味を理解できず、文書にサインするだけだった。「権利」を得た「アメリカ人」は柵を廻らし、先住民を追い出した。抵抗する者は武器で斥けた。先住民が土地を取り返そうとしても、彼らが正当な権利者として認められる事はなかった。
・1776年アメリカ合州国は独立する。1829年大統領に就いたアンドリュー・ジャクソンは「インディアン移住法」(1830年)を制定し、インディアンをミシシッピー河以西に移住させる。この時チェロキー族の悲劇(涙の道)が起きている。さらにそこで鉱物資源が見付かると追われ、カリフォルニアでも金鉱が見付かると追われた。19世紀終りには、わずかな保留地に閉じ込められた。
○所有に基ずく「自由」
・土地の私的所有権は、この制度空間を特徴付ける「自由」の基盤である。土地を所有する事で、人は自立し、意欲を持ち、責任ある主体となった。米国には当初からこの基盤があった。英国植民地の先駆けだったマサチューセッツ/ヴァージニアでは、特にそうだった。移住民は植民会社の下で、自治的な植民地社会を建設した。王領植民地でも同様な植民地社会を建設した。
・「メイフラワー号の誓約」は、「社会契約」の嚆矢だった。他の英国植民地も同様に約定文書を作り、共同統治の政体を作った。
・米国は、これらの自治政体が連合し、本国から独立した。米国は積極的に市民に土地を払下げ、開拓・開発を促した。例として「先買権法」(1841年)「ホームステッド法」(1862年)などがある。前者は入植者に土地と市民権を与える法律である。後者は5年の農業実績があれば65ヘクタールの土地を無償で払い下げる法律で、先住民の住む場所を奪った。こうして米国は自作農・自営業者達の国になった。
・この「所有に基づく自由」は、ジョン・ロック(1632~1704年)の考え方が定式化したものである。彼は『市民政府論』で、個人が自立し、自由に振る舞う基盤を「所有」とした。この自由な個人に対比されるのが「奴隷」だった。「所有者となった人は、誇りが生まれ、公正さや他人を慮る寛大さも生まれる」「人はまず自分自身を所有しなければならない」「国は所有権などの自由を保護しなければならない」とした。
・この考え方は市民革命の指針になったが、アメリカでは、この導入は容易だった。所有には使用/占有/共有などがあるが、排他的な所有は「普遍性」を持っている。ただしこれには、①所有の対象が法的に扱いうる物件である、②所有する人間が「自由な個人」である、の2つの条件が必要になる。アメリカはこの条件を満たしていた。※先住民を除いて、無からのスタートだからな。
・ロックは「人間は自身の主人であり、自分と云う人格の所有者であり、その人格の行為・労働の所有者である」とした(※中々感嘆する言葉だ。習ったような、習わなかったような)。所有には3つの位相がある。まず自身(自分と云う人格)を所有しなければならない。つまり自己の身体の所有者であり、「奴隷」ではないのである。その人間が自然を耕し、作物を得れば、それは彼の所有になる。「労働」の成果は彼の所有になる。所有からもたらされた様々な財も、彼の所有となる。彼はこの秩序を守ろうとする。ここに「自由な個人」となる。
・この考え方は、19世紀のヘーゲル/マルクスに引き継がれた。「自由」が「所有」「労働」に基礎付けられた事は、人間が「経済」の領域に置かれた事を意味する。「経済」の「宗教」「政治」からの分離は、「市民社会」の形成と軌を一にしている。政治的な自立と経済的な自立は両立しなければならない。そうでなければ「人格の所有者」になれない。※複雑な解説がされているが、理解できないので簡略化。
○国家のリベラリズム
・「所有」は観念的・制度的な虚構である。それは出発点の「自己の所有」に表れている。労働による成果の「所有」は認められるとしても、大地の「所有」は擬制である。ところが経済化された近代では、「所有」が原理となり、市場経済が成り立っている。
・資本主義は、労働・貨幣・土地の3要素が商品化された事で成立した。ただ欧州では土地に所有権を設定するのに抵抗があり、それに2世紀を要した。ところが新世界では、当初からこの「オーナーシップ」(※言葉を変えるな、所有だろ)が存在し、この「オーナーズの自由」が民主主義の根拠となった。
・英国は本国の利益を確保するため、アメリカ植民地の商工業の発展を抑制する政策を続けた(※独立戦争の時、植民地は軍備どころではなかった)。「七年戦争」(1756~63年)では、全ての刊行物に課税された。独立戦争の切っ掛けとなった「ボストン茶会事件」(1773年)は、経営難となった東インド会社に茶の独占販売を認める茶法への反発だった。
・アメリカ植民地は、本国による利害の押し付けに対し、経済活動の自由を要求した。米国の「リベラリズム」は個人から要求されたものではなく、国家を定礎するものとして主張された。対外的に主権を行使し、同時に内部を統合する「国家理性」を想定すると、この「国家理性」を限定するのが「個人の自由」の要求だとすると、米国の「リベラリズム」は国家の原理として掲げられ、国家が「個人の自由」の保証を体現している。
※この節はいきなり「リベラリズム」「国家理性」などが出てきて、理解不能。ただし「代表なくして課税なし」は知っている。
○消えゆくバートルビー
・住む場所を奪われた先住民は、①保留地に囲い込まれて生き延びる、②アメリカの制度空間に身を寄せる、の2つの選択肢しかなかった。後者を選択すると先住民を説得したり、保安の任に就かされるが、それは「裏切り」だった。スー族の長老は、その保安官に殺害され、その2週間後にスー族は皆殺しにされた。
・アメリカ社会で生き延びる人もいた。彼は字を覚え、法律事務所で土地の登記書類や抵当記録をひたすら筆写した。彼は「せずに済めば、ありがたい」と言った。彼は筆写しなくなり、解雇され、監獄に収容される。これはハーマン・メルヴィル(1819~91年)の『代書人バートルビー』に出てくるバートルビーの運命である。これは欧州の現代哲学の好みの素材になっている。彼らはプロレタリアート/アウシュヴィッツ/難民に目配せするが、この「受動的拒否」が喚起する「アメリカの影」には目を向けない。※好んで素材にしているので、その歴史的経緯を批判しているのでは。
・メルヴィルは、この作品の2年前に『白鯨』を書いている。その捕鯨船の名前はインディアンの部族を想起させる「ピクォード」である。それは居場所を持てず「破壊された人間」となったインディアンの運命を思わせる。
・アメリカ文学者・荒このみは論文『バートルビーの「ある神秘的なる目的」』を書いている。そこには弁護士とインディアン青年が実在したとある。彼が証書・登記簿の書き写しに倦み、次第に周囲に居心地の悪さを蔓延させる物語に、「破壊された人間」を見るのは、自然な事と思われる。
・この作品には「ウォール街の物語」の副題が付いていた。ウォール街の名前は、インディアンの侵入に備える防御柵が由来である。やがてここに木材取引所ができ、今の証券取引所となった。この作品が書かれた頃には、ウォール街は既に金融の中心になり、法律事務所がひしめいていた。この場所はアメリカの制度空間を象徴する場所である。
・アメリカは、自然の所有を認める事で成立した制度空間である。アメリカは、インディアンを抹消し、大地を登記簿上の物件に置き換えた。土地を法的に保証された物件として、市場に投げ込んだ。「フロンティアの西進」は大地を不動産化するプロセスであり、これがアメリカの制度空間を具現している。※自由だけでなく、何でも商品化・市場化する米国の原点が窺われる。
<第5章 独立革命と米国の拡大>
○独立革命
・1776年「制度空間アメリカ」は英国から独立する。20世紀後半、アジア/アフリカで多くの国が独立するが、アメリカ合州国の独立はこれらと大きく異なる。20世紀の独立は、欧州列強による植民地支配からの独立であり、先住民による異民族からの独立だった。ところが米国の独立は、英国移民による本国からの独立である。先住民はこの独立に兵力として利用される事はあっても、主体的に関わっていない。従て結果として、対峙する相手が英国王から米国大統領に代わっただけである。この独立は、端的に言えば、英国人同士の経済的な対立である。※独立の様相も様々だな。中南米の独立は、どうなんだろう。これらの独立は米国に近かったかな。
・新大陸に入植した英国人は、自分達の制度の下で植民地を建設した。そのため先住民は排除された。他方アフリカなどの植民地では、先住民は欧州人に支配・統治された。
・従てこの独立は同じ制度を持つ英国人同士の戦いであり、その意味でこの独立は王制を廃止した「革命」で、欧州的な出来事である。※英国の部分的な革命か。面白い見方だ。
・同様なのがオランダの独立である。オランダは宗主国スペインの植民地となっていたが、その重税に反発があった。また北部にはカルヴァン派の商人が多く、カトリックの強要にも反発があった。1568年独立戦争が起き、最終的に1648年「ウェストファリア条約」で独立が承認される。※80年間の独立闘争なんだ。
○アメリカにおける、もう一つの独立
・米国と対照的な独立が、ハイチの独立である。コロンブスが最初に上陸したエスパニョラ島は、17世紀末西半分が仏国領、東半分がスペイン領になる。西半分の仏国領は黒人奴隷により、砂糖とコーヒーで世界の半分近くを生産するようになる。
・フランス革命を機に、人口の9割を占める黒人奴隷らが独立闘争を起こす。彼らはナポレオンの4万の軍隊を退け、史上初の黒人共和国を成立させる。
・彼らは国名をハイチとする。これは先住民タイノ族の言葉で「高い山」を意味した。独立闘争を戦った彼らは、山に逃れタイノ族に助けられたのである。タイノ族は絶滅するが、国名として残った。彼らは先住民から受けた恩義を忘れず、国名をハイチとした。※ハイチの独立については、全く知らなかった。ちなみに大坂なおみ選手の父がハイチ出身。
・ところがプランテーション社会を維持するのは難しく、また西欧諸国との利権争いもあり、独立の指導者は自ら皇帝を名乗るなど、共和制にならなかった。新しい指導者は倒した敵を模倣した。※日本での平家や豊臣秀吉だな。
・さらに仏国は軍事力を背景に巨額の賠償金を要求し、ハイチはそれを呑まされる。その返済に100年を要した。その後は米国の軍事圧力を受け、独裁政権となり、1986年やっとそれから解放される。世界初の黒人共和国は、世界で最も貧しい国の一つである。西欧社会は彼らを許さなかったようである。
○脱欧州的政体
・米国独立の別の側面に注目する。彼らは単一の国家として独立を目指したのではなく、13の植民地それぞれが独立を目指した。それは各植民地が自治の単位だったからである。この13の植民地(ステート)が連合して独立した。日本は「United States of America」を「アメリカ合衆国」と訳しているが、米国は国家と同様に振る舞う「州」(ステート)の連合である。これは欧州にない政体だった。※「合衆国」は「合州国」に直した方が良いな。ソ連/ロシア/ブラジルは連邦だな。インドにも州がある。
・当時欧州のスタンダードは主権国家だった。最高権力者として国王が存在し、それを他国が主権国家として認める必要があった(国家間秩序、ウェストファリア体制)。この体制は宗教的な対立を棚上げし、国家を主権の最上位の単位とする体制である。国家は戦争の単位になり、お互いに牽制し合い、突出した強国が生まれない要因になった。
・米国は各ステートが独自の法を持ち、主権を持った。国家が拡大するにつれ、連邦政府の役割は拡大したが、最終的に統合的な権力を持つようになるのは南北戦争後である。
・従って米国を欧州と同様な国家と考えない方が良い。「United States of America」を素直に解釈すると、「アメリカにおけるステート連合」である。米国は領土を拡大し、「自由」を広げるたびに、そのステートを増やしていった。アラスカ/ハワイもステートとなった。
○ステート連合の拡大
・米国は西に拡大する。1803年仏国からルイジアナを買収し、1845年テキサス共和国を併合し、1848年カリフォルニア/アリゾナ/ネバタを獲得し、太平洋岸に達する。
・これらの領土拡大に先住民は関与していない。彼らにすれば、いつの間にか英国領/仏国領になり、その後いつの間にか米国領になった事になる。
・アメリカ人からすると、先住民は厄介な存在だった。1830年大統領アンドリュー・ジャクソンは「インディアン移住法」を定め、先住民をミシシッピー川以西に強制移住させる。チェロキー族は2千キロを移動し、1/4の人が亡くなった。その後も鉱山・金鉱の発見で追いやられる。アメリカ人は先住民の生活の資だったバッファロー4千頭を全滅させている。
○タタンカ・ヨタンカの言葉
・インディアンが奴隷にならなかったのは、宣教師ラス・カサス(前述)の存在が大きい。彼は早くから先住民を使役するスペインのエンコミンダ制を批判し、国王に説いていた。1550年「インディアス会議特別法廷」で、彼は「供犠の風習は一部で、その悪習を糺すとして膨大な犠牲を求めてはいけない」とし、インディオを擁護し、スペイン人支配の残忍さを説いた。彼はこの論戦に勝ち、インディオは奴隷使役に服さない代わりに、黒人奴隷が送り込まれる事になる。※キリスト教も供犠らしいが。
・アフリカには元々奴隷制が存在した。その買い手に欧州人が加わり、奴隷貿易に発展した。インディアンは奴隷にならなかったが、土地を追われた。抵抗する事もあったが、それも絶える。この状況を述べたのが「タタンカ・ヨタンカの言葉」である。※大地を賛美し、それを破壊する侵入者を批判する「タタンカ・ヨタンカの言葉」が書かれているが、長いので省略。
<第6章 「自由の空間」としての西半球>
○丘の上の町
・米国は「自由の国」と云われる。これは国民だけでなく、世界の人々がそう思っている。初期のピューリタンを始め、アイルランドで弾圧/飢饉に苦しんだ人々(19世紀半ば、※ジャガイモの疫病があった)、東欧・ロシアでポグロムに晒された人々(19世紀後半、※大粛清ではない、ポグロムはロシアによるものか?)、ナチスから逃れた人々などが「自由」を求め米国に渡った。彼らは、政治的・宗教的迫害からの解放、因習・偏見からの解放、困窮からの脱出、成功への期待など、様々な「自由」を求めて渡った。彼らは必ずしも成功する訳ではないが、成功した者は「アメリカの自由」を賛美する伝道者になった。
・ピューリタンを率い、マサチューセッツ植民地を建設したジョン・ウィンスロップは「我々は丘の上の町になる」と鼓舞したが、そこには「神に選ばれた者」の自負があった。彼らは富の蓄積を「功徳の証し」としたため、それは世俗的信条と区別が付かなくなった(※福音主義だな)。いずれにせよ聖書に基づくピューリタンの言説は、「自由」を享受しようとする人々の「自由の天命」となった(マニフェスト・デスティニー、明白な天命)。
・アメリカの大地取得も「明白な天命」であり、「自由」はアメリカ人の信条・原理になり、それを掲げ発展し、20世紀には世界から仰ぎ見られる「丘の上の町」になった。
○自然と自由
・「自由」については様々な議論がある。政治的・経済的・社会的・精神的などに分類して考察する事もできる。基本的には「他に従属しない」「拘束を受けない」と云えるだろう。これが法的根拠を持てば、「権利」となる。物に対しては、「占有・所有されていない」となる。「新大陸の発見」は、正にこれに当る。ローマ法には「先占取得」の観念があり、欧州諸国は「発見」を根拠に、新大陸の各地を領有した。
・新大陸は「弱肉強食」の「自然状態」だった。ここから「自由」と「自然の掟」が結託する。「自然の法」(※掟と法の違いは?)である「弱肉強食」は、「神の摂理」である。そのため「自然状態」で発揮される「自由」も「神の摂理」とされた。※難解な文章。結局は自由至上主義かな。哲学的になってきた。嫌な流れだ。
○2つの自然状態
・「新大陸の発見」後、欧州で「自然状態」「自然法・自然権」が論議される。17世紀のこの論議にアメリカが引き合いに出された。「自然状態」には2つの見方があった。先住民の世界を楽園とする見方と、そこは「弱肉強食」の世界で、契約秩序が必要とする見方である。後者は「文明」を体現する欧州からの見方で、アメリカに「自然状態」を投影し、様々な近代政治思想を作り上げていった。※難しい文章。「アメリカをベースに、様々な近代思想が作られた」って事かな。
・「自由」と「自然」の結託は別の場所でも見られる。アダム・スミス『国富論』は独立革命の前年に書かれた。その「レッセ・フェール」は、「各人のなすがままに任せるのが、市場経済に望ましい」とする考え方である。ここで「自由放任」と「自然」が結び付いている。「自然に任せれば、『優勝劣敗』の掟が作用し、優れた商品が残る」とする考え方である。
・欧州では古い伝統的な束縛があり、「自由市場」を成立させるのは困難だったが、「空白」だったアメリカには、これらがなかった。
・これをさらに促進させたのが、19世紀後半(※随分後だな)の進化論思想である。これはダーウィンの生物進化論ではなく、むしろハーバート・スペンサーの哲学的進化論である。これは「経済における『自由放任』は生存競争を促進し、『自然淘汰』を推し進め、『最適者生存』の状況を作る」とする考え方で、簡潔に言えば「自由競争が最も効率的に最適化する」とする考え方である。
○移民の世界-自由の相
・アメリカには迫害・困窮から逃れようとする人が集まり、成功を競う活力によって目覚ましく発展し、20世紀には世界の範になった。西への拡大や商工業の発達は、新しい人口を必要とした。19世紀後半の鉄道建設では、中国から大量の労働者を雇っている。その後も欧州/アジアからの移民が流入し続けた。
・米国は「移民の国」である。一方先住民はこの制度空間から排除された。北アメリカの征服は「自由の制度空間の創設」であり、「自然状態からの解放」だった。
・大分後に先住民も「権利」が与えられる。しかしそれは滅亡の危機から保護が求められたからである。そんな中でアメリカ社会に吸収される先住民もいたが、それも移民としてだった。
・通常は移民はマイノリティだが、アメリカでは全てが移民で、彼らが「自然状態」の上に人為の世界、「法=権利」で構成される社会を作り出した。ただし彼らは別種の移民も導入した。アフリカから黒人を輸送し、「動産」として使役に供した。1863年奴隷は「解放」されるが、市民権を得るのはそれから100年後である。
○「自由」の西半球
・キリスト教諸国は分割線を設け、「友誼」の世界と「自由」の世界に分けた。独立した米国は、自分達を「西半球」とし、欧州の介入を拒むようになる。ラテン・アメリカの各地で独立が相次いでいる中、1823年モンロー大統領がこの姿勢を教書で明確に打ち出した。※モンロー主義は、こんなに古いのか。
・この教書の内容は、「①米国は欧州に干渉しない。②米国は南北アメリカの独立を承認する。③植民地独立へのスペインの干渉は、米国の脅威」だった。米国は「旧世界」に対し「西半球」の分離を主張した。
・欧州各国は植民地確保を競っていたが、米国には広大な土地があり、その必要がなかった。米国は海運・漁業も盛んだったが、海洋進出する必要もなかった。蒸気船を実用化させたのは米国で、それを大河で運行し、主要な交通路となった。
・しかしその大陸も余地がなくなり、1890年米国は「フロンティアの消滅」を報告する。そうなると海洋に進出するしかない。この理由に、「①急速な工業の発展は、市場を必要とした。②インディアンの掃討に貢献した騎兵隊を、海軍が海兵隊として吸収する必要があった」がある。そこで起こったのが「米西戦争」(1898年)である。
○「自由」のレジームの展開
・1820年前後、中南米の多くの国が独立した。これは北米と違い、スペイン人/インディオ/黒人/混血の全てを含んだ植民地全体とスペインとの戦いだった。モンロー宣言はこの時期に出されている。
・キューバはスペインの最後の植民地になり、スペインは厳しい弾圧体制を敷いた。米国は、ここを「マニフェスト・デスティニー」の新たな展開場所とした。この背景に、①ビジネス・チャンスを窺う起業家、②部数を伸ばそうとする新聞、③力を試そうとする海軍がいた。
・1898年ハバナ湾で米国戦艦メイン号が爆発を起こす。メディアは「リメンバー・メイン」を掲げ、主戦論を煽る。米国はカリブ海とスペイン領フィリピンでスペインと開戦する。米国は双方で勝利し、キューバを保護領とし、フィリピン/グアムを領有する。
・この報復から開戦するパターンはその後も続く。太平洋戦争での「真珠湾攻撃」、ベトナム戦争での「トンキン湾事件」、9.11「同時多発テロ」、全て同じパターンである。任務を求める軍、ビジネス・チャンスを求める財界も、21世紀に入っても続いている。
・また「アメリカの戦争」の特徴は、「自衛」よりも、「民族の解放」などが主張される。そこには「自由」を広める事を使命とする「マニフェスト・デスティニー」がある。
○「自由」の輸出
・しかしこの戦争で現地の人が「解放」された訳ではない。1902年キューバは独立するが、米国の内政干渉権を認めている。半世紀後のフィデル・カストロの革命まで親米国家だった。フィリピンでは一緒に戦った現地兵士を締め出し、フィリピンを保護国(=領有?)とした。結局支配者がスペイン人からアメリカ人に代わっただけだった。
・米国による「解放」を享受できるのは、米国の企業家・投資家や現地の所有者・富裕層である。それは米国がもたらす「自由」は、「所有に基づく自由」だからだ。持てる者には「権利を行使する自由」だが、待たない者は無慈悲な労働市場に投げ出されるだけである。
・米国はこの「自由」を力尽くで広める。時には軍を派遣し、時には軍事政権/独裁者などの同調者を作る。同調者は利益を得るが、社会は分断され、貧富の差は拡大し、社会は不安定になる。米国が作った親米政権は決まって腐敗し、残虐になる。※著者が一番言いたかったのは、これかな。
○「西への運動」の延長
・19世紀末米国は、アメリカ大陸や中国沿岸(※フィリピン?)に「自由」を輸出するようになる。モンロー主義の束縛もあり、「西への運動」は「西半球」に留まった。工業生産で英国を抜き、その欧州は「第一次世界大戦」に陥り、米国の手助けが必要な状況になった。平和維持のためジュネーブに国際連盟が作られるが、モンロー主義の束縛により参加しなかった。国際連盟は機能せず、「第二次世界大戦」が勃発する。戦後米国を中心とする国際連合が創設される。
・米国は日本に勝利すると、「西への運動」は朝鮮/ベトナムへと広がる。
○2つの世界化原理
・欧州の列強はウェストファリア体制をベースに、広域支配圏(植民地支配)を競合的に展開し、国際法秩序を世界化・普遍化していた。これに対し米国は「自由のレジーム」を展開しようとした。これは「自由」の原理であり、道徳的に優位な主張が重ねられていた。欧州の支配秩序を「征服」とし、一方「自由のレジーム」を「自由をもたらす解放」とした。※「自由の制度空間」は米国の事で、「自由のレジーム」はグローバルに展開するものかな。
・しかし「第二次世界大戦」後はソ連との対抗が始まる。欧州は二分され、中国は社会主義化した。社会主義は私有財産を否定し、土地は公有となり、生産手段は国家が管理し、産業も国家が運営した。この思想は、自由主義を根底から否定する思想だった。
・共産主義は資本主義社会の階級分裂によりプロレタリア革命が起きる思想だったが、これが産業化が最も遅れていたロシアで起こった。※確かに不思議だ。やはり混乱期でないと、新しい体制を形成できない。
○冷戦と「自由」のその後
・共産主義はプラトンにもキリスト教にも無縁ではない。また19世紀欧州でその運動が育ち、20世紀前半には諸国家を揺るがす影響力を持ち、冷戦期には西側諸国では政治勢力の一角になった。
・ところが米国では共産党は蛇蝎のごとく嫌悪された。冷戦期の始まりには、マッカーシズムが吹き荒れた(※GHQのマッカーサーとは別)。それは共産主義は私有財産を否定し、米国の存立根拠を奪うからだ。これは「共産主義フォビア」(※恐怖症)と云われる病理的なものだった。米国は自由主義の盟主としてソ連と対立するが、そこには病理的な社会背景があった。
・20世紀末そのソ連が崩壊し、米国はヘゲモニーを掌握する。ベトナムで挫折した「自由のレジーム」を世界化・普遍化するチャンスを再び得た。米国は「9.11」を機に、ハイテクを駆使した「軍事革命」とメディア・コントロールで、「自由のレジーム」を中東地域/ユーラシア大陸(※イラン、アフガニスタン?)まで拡大しようとしている。
・欧州諸国は植民地支配の困難さや不当性を認めている。一方米国に領土的野心はなく、目的は「解放と民主化」を掲げ、アメリカ的「自由」を広める事にある。
○アメリカ的「民主化」
・1973年9月11日チリの社会主義政権がCIAに支援された軍によるクーデターで倒される。米国は南米に社会主義政権ができるのを許さなかった。この手の話は枚挙に暇がない。米国に不都合な政権ができると、反対勢力を育て、クーデターを起こさせ、親米政権を作らせる。あるいは米国人保護を口実に軍事介入し、反米政権を潰している。※結局昔も今も米国ファーストは変わらない。
・ソ連崩壊後、米国は「自由民主主義」を共通の価値とし、各国をその達成度で格付けした。しかし米国が要求する「民主主義」はそんなものではなかった。
・例えば2006年パレスチナ評議会選挙で、米国が期待するファタハが破れ、イスラーム原理主義のハマスが圧勝した。民衆は腐敗したファタハを嫌ったのだ。ところが米国はこのハマス政権を認めず、困窮するパレスチナへの援助を打ち切った。
・米国が要求する「民主主義」は、「独裁」の排除にある(※先に親米独裁政権を作らせるとあったが)。そのため「独裁政権」を軍事攻撃で倒し、「暫定統治機構」を建て、選挙を通し「民主的な政権」を建てさせる。ところがその政権は「親米政権」でなければならない。そのため予め親米的な人物を用意し、彼が選ばれるように仕向ける。
・「9.11」後、ハミル・カルザイに民兵を付けアフガニスタンに送り、彼を大統領に選出させるが、その統治はカブール周辺にしか及んでいない。イラクでは全く上手くいかず、米国が望まないシーア派の政権となった。
・米国が行う「民主主義化」の背後には「自由」のイデオロギーがある。この「自由」は本質は経済的自由である。これは貧富の格差を「自然」として認める。そして財力を持つものは選挙で権力も手にする。選挙はマーケティングと同じ手法で操作される。そして彼らはグローバル経済のアクターになり、そのグローバル経済の「安全」や国内の不安定要因(?)の除去に骨を折る。そのため米国は「民主的国家」への援助を惜しまない。
・「民主化」とはこの様な仕組みである。今は米国政府だけでなく、投資家/IT企業もこれに加担している。選挙はマーケティングに、政治は経済に解消(吸収?)された。「自由のレジーム」では、戦争も「民主化」も「民営化」されている。
<第7章 「自由」の繁茂と氾濫>
○「所有」と「自由」とオーナーシップ
・もう一度確認すれば「アメリカ」は、大陸の名前でもないし、巨大な国の名前でもなく、「自由の制度空間」の名前である。そこでは統治機構(政府)により、「自由」は「権利」に昇格した。この「自由の制度空間」を支えているのは「私的所有権」である。そして他人の「所有」を尊重し認める事で、責任ある自立した市民になる。これは”proper”に「所有」と「固有」の意味がある事かろも説明できる(※詳しい説明がされているが省略)。
・これはジョン・ロックの主張だが、主従関係や身分秩序が存在する欧州で、それから解放するための理論だった。ところが歴史的束縛がない「アメリカ」では、これが社会秩序の原理になった。
・人は自身を「所有」し、自身の労働で得た土地などを「所有」する。他人の「所有」を尊重する事で、責任ある人となる。これは「所有権」を基にした「オーナシップ社会」(※初耳)である。
○経済的自由と政治的自由
・「オーナシップ社会」はジョージ・ブッシュ・ジュニア大統領が掲げた政策だが、その財産所有/経済的自由/自己責任は植民地建設からの原則である。移民は土地を所有し、植民地の発展に寄与するが、本国との利害対立から独立する。そして連邦政府は各州の「自由」を保障し、外部に「自由のレジーム」を主張した。
・「自由」は自然を含む全てのものに適用された。大地は切り売りされて、市場に投入された。この「自由」は生きた個人だけでなく、団体(法人)にも認められた。いずれにしても米国の「自由」は経済的なものである。
・「経済」の言葉は18世紀末から流通するようになった。これは米国の歴史と一致する。「レッセ・フェール」の言葉が象徴するように、「経済」が自律するためには、政治からの「解放」が必要である。英国からの独立も、これに相当する。
・経済的自由と政治的自由は性質が異なる。「政治」も「解放」を必要とした。長い宗教戦争を経て、主権国家は宗教から「解放」された。さらに政治的自由は、個人を国家権力から守る事を要求した。しかし経済的自由は、さらに「市場に委ねる」事を要求した。※政治的自由/経済的自由で一冊の本になる。
・政治的自由は、国家と個人の存立の確保だが、経済的自由は、「市場メカニズム」の無制約な作用の実現である。経済的自由が信を置くのは「見えざる手」で、これにより自由・公正な競争が行われ、社会が適正化される。
・政治的自由は個人を保護するものだが、経済的自由は個人より市場を保護する。そのため個人は市場に投げ込まれ、サバイバル・ゲームを演じさせられる。
○ホモ・エコノミクスの民主主義
・近代経済学は人間を、「自己保存に駆られ、利己的で、合理的に判断する」(ホモ・エコノミクス、経済人)とした。これにより社会での富の生産・流通が活発になり、競争の結果、選別/格差が生じるが、「最大多数の最大幸福」が成されるとした。この「功利主義」が近代経済学を支えている。
・この「経済人」は、正しくアメリカ人である。彼らは土地を得て、自己利益を追求し、本国から独立した。この独立は「革命」である。身分制と結び付いた君主権力による統治から、「自由のレジーム」を維持するための政府による統治への「革命」である。この政体は「デモクラシー」と呼ばれる。また「自由のレジーム」は経済の原理なので、この革命は「経済主義革命」と云える。※この考え方も面白いが、ピンと来ない。「代表なくして課税なし」からなら、経済目的の革命と云えそう。
○統治の「私物化」
・王権による統治から市民による統治への「革命」は、統治の「民営化」であり、権力の「私営化」である(※経済用語が政治に使われている。不思議な感じ)。「民営化」とは国有・公有のものを私的所有に移管する事である。これらは総じて「私物化」と云える。
・政治は規範的拘束が伴う「公的」(パブリック)な活動だが、経済は私人の「自由」に委ねられた「私的」(プライベート)な活動である。
・米国では財界と政界が通じており、財界人が選挙に出なくても政府に入れる。湾岸戦争時、ブッシュ政権の国防長官を務めたディック・チェイニーは、退任後、軍事企業最王手のハリバートンのCEOに就ている。さらにブッシュ・ジュニア政権で彼は副大統領に就き、「9.11」後の「テロとの戦争」を推進している。そして10年間の兵站をハリバートンに受注させている(※そんな人物が副大統領だったのか。軍産複合体だな)。これは米国では汚職にならない。米国では政界と財界の行き来が自由で「回転ドア」と云われている。
○「私人」としての企業
・この共和国(米国?)の樹立には、帝政以前のローマが喚起された。ローマの共和制も奴隷を有した。ただし古代の奴隷制は戦争によるもので、人種差別とは関係ない。米国の奴隷制は、農業よりも商工業が発達する事で不都合になった。特に米国の東北部では流動的な労働力を必要とした。
・米国が独立した1776年、資本主義のバイブル『国富論』が刊行される。英国は産業革命が進み始めた時期で、米国もこれに同調した。蒸気機関/鉄道は英国で発明されたが、蒸気船は米国が先行した。資源は豊富だが、労働力が不足する米国では、機械化・組織化が一層進展した。
・それを可能にしたのが「株式会社」である。それは英国の私掠船団に王室・貴族が出資したのが始まりだが、社会道徳に反するとして禁止になった。ところが「有限責任」として復活する。所有/経営を分離し、経営者の責任も限定した。これは有効な資金調達方法になった。
・この会社は人間と同様に「人格」を認められ、「法人」と呼ばれた。19世紀末、連邦裁判所で「自然人と同等の権利を持つ」とされた。この「法人」は利益追求に走るようになる。
・「法人」は痛みも苦しみも感じないが、法的・経済的な力は個人に比べ絶大である。他の国も米国企業と競争するため、この方式を取らざるを得なかった。特にグローバル化以降は、これが世界標準になる。
○自動車産業と「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」
・19世紀機械化・自動化により大量生産が行われるようになる。その集大成が20世紀初頭の自動車産業である。自動車は多種多様な製品の組み合わせだが、ヘンリー・フォードはこれらの工場を一ヵ所に集めた。自動車が安価に生産されるようになり、瞬く間に普及した。※よく聞く話だ。
・これにより道路は整備され、ガソリンスタンドが各所に設置された。郊外にレストラン/ショッピングセンター/ホテル/シアターなどが作られ、社会は一新された。ただし石油は世界情勢を動かす決定要因になった。
・この自動車の技術革新は、後の電化製品/コンピューター/携帯電話などのひな型になった。これらは物質的に豊かな「アメリカ式生活様式」になった。
・「古い秩序」(欧州)は世界戦争により焦土化したが、「西半球」は世界の兵器工場になった。米国は石油化学/電気/医療/核などの技術を集約し、世界に君臨する国になり、市民は「アメリカ式生活様式」を享受した。他国は米国を「丘の上の町」として仰ぎ見るようになり、世界も大量生産/大量消費に向かう。
○人間の「科学的管理」
・米国の産業は飛躍したが、それはエジソン/ベルなどの発明だけでなく、ヘンリー・フォード/フレデリック・テーラーなどのエンジニアリング/マネージメントも貢献している。
・動力機械により人間は労働から解放され、「自由」(※時間?)を享受するのが夢想だった。ところが過酷な労働は社会主義を生んだ。
・効率性・生産性から機械化は追及された。機械は正確に作業を行い、サボらないし、病気にならないし、不平を言わない。人間をこの機械と同様に評価するのが「科学的管理法」である。
・テーラーの「科学的管理法」はフォードの工場に採用され、圧倒的な効率化を実現した。この「科学的管理法」は、単純作業に不満を持つ労働者のモチヴェーションを刺激する手法まで含んでいる。※そうなんだ。
・そこでは人間は「不安定な機械」として扱われる。その根源は「心」である。これに対し「心理を排除する心理学」(行動主義、※初耳)が開発された。そこでは人間はブラック・ボックスとして扱われ、インプットとアウトプットだけの関係に還元される。
・「行動科学」(※行動主義?)はやがて「人間工学」「社会工学」に発展し、社会運営のあらゆる場面に導入された。
・フォードはモチヴェーションを高めるため、労働者の賃金を上げた。これは工場の効率を高めただけでなく、彼ら自身が自動車を買い、市場を拡大させた。
○効率のヴァーチャル世界
・米国の「科学崇拝」には特徴がある。ケプラー/ニュートンの場合は「神の摂理」の解明にあった。ところが米国の「科学」は実用的技術に向けられ、これは「テクノ・サイエンス」と云える。
・彼らは意のままにならない環境を、操作可能な人為的システムに置き換える。自然を科学的に扱える「人工的自然」に置き換える。生身の人間を「工学的対象」に置き換える(人間工学)。
・自律的に働く市場は「ヴァーチャル」のものであり、人間も「ヴァーチャル」な「ホモ・エコノミクス」に還元される。社会は万能の技術である「エンジニアリング」、マネージメントは「見える手」(※説明なし)に委ねられる。これが「テクノ・サイエンス」である。
・これは物質面だけでなく、精神面も管理する。選挙行動などの意志選択も操作する。そして社会の最も強力なアクターを「法人」とした。※これが言いたかったのか。
・このシステムの効果を享受するには「オーナー」でなければならない。そうでなければ「機械にも劣るもの」とされる。その彼らには「自己のオーナーであり、その自己を投資する『自由』がある」と説いて、彼らを労働市場に解き放っている。※近年の経済格差問題だな。
○「アメリカ化」する世界
・「自由な制度空間」は未曽有である。大陸は「無主」とされ、「自由」に委ねられた。米国が短期間で富と繁栄を実現した事で、米国人は自身を称賛し、他国を憐れんだ。そして他国を「アメリカ」にするのを使命と思った。また他国の少なからぬ人も、米国に行く事/「自由」を享受する事/自国が「アメリカ」のような社会になる事を願った。※独立から100年位で世界一の国になったので、称賛されるな。
・「アメリカ」が特に魅惑したのが文化・生活領域である。どこの国の知的・社会的エリートも「アメリカは進歩的・先進的・解放的で、アメリカは模範になる」とし、アメリカ流を広めた。※冒頭に「アメリカは地理的な意味だけではない」と述べていた件だな。
・世界は「アメリカ」への同化を願った。ところが世界は「更地」ではないし、住民は「孤立した個人」でもないので、同化を試みた社会は自律性を崩壊させた。
・米国は世界を「解放」するため、「他者の解放」「正義の戦い」を仕掛けた。「不朽の自由作戦」「石器時代に戻す」を掲げ、アフガニスタンを爆撃し、「移民」ならぬ「難民」を生んだ。
○自由の「原罪」
・「アメリカの自由」には「原罪」がある。大陸を「無主」とした事で「アメリカの自由」が生まれた。そのため、そこで別の生き方をしていた者は無に帰された。「ジェノ」(geno)はギリシア語で”生まれ”を意味する。正に米国が生んだものは「ジェノサイド」だ。
・「自由の制度空間」は大地を「無主」とみなし、「所有権」を設定し、それを法で「権利」とし可能になった。「自然」を人為的な擬制で覆い尽くし、規範とした。
・キリスト教は「人は皆『原罪』がある」と説き、「それを解くのが信仰(救済)である」とする。しかし「アメリカ」は「自由」を掲げるが、その「原罪」を認めない。「アメリカ」を世界に広める事で、罪から逃れようとしている。前に進み、それで逃れる事を宿命とした。
○脱領土的拡張とその破綻
・確認しておくが、「アメリカの拡大」は領土的な拡大ではない。米国は欧州に対峙するため連邦政府を作った。「アメリカの拡大」はこの「異形の制度空間」の拡張(世界化)で、これにより「原罪」を帳消しにしようとした。
・西洋の世界化が20世紀半ばの世界戦争で終焉し、領土的抗争が破綻した時、「アメリカ」の時代が訪れる。「アメリカ」はその制度空間を広めようとするが、この時対抗したのが別の制度空間のソ連だった。しかしそのソ連は自壊し、「アメリカ」を押し留める壁はなくなり、「グローバル化」の時代になる。
・「グローバル化」は経済をベースにし、政治的統治から経済的統治に軸足を移した。国家による規制を排除し、市場による決定を重視する。脱領土的な経済が、領邦的な政治をコントロールする。「グローバル化」は「アメリカ」の「自由な制度空間」を世界に広める事である。※政治は国家単位でしか機能せず、経済(グローバル企業など)はグローバルに活動するので、政府は企業を管理できなくなったとする本を最近読んだ。
・「グローバル化」は「新自由主義」であり、「テロとの戦争」である。世界に「無主」の地などなく、これは各地で抵抗を起こした。この試みは破綻に直面している。
○全能幻想の倒錯
・「自由」は経済とは別の広がりを持つ。人は束縛から解放される事で、夢を見て、万能の思いを抱く。「白人の作った悪習を変える」「人を牛馬のように扱い、子供を市場で売買する制度をなくす」、これらは「Yes We can!」でなければならない。「軍事基地のため土地を奪われる」「無人機で誤爆され、殺される」「劣化ウラン弾で被曝する」、これらをなくす。これらも「Yes We can!」でなければならない。「悪習や災厄をなくし、安寧や幸福を増やす」、これらには「Yes We can!」と唱和しよう。
・「月を手に入れる」「不老不死を求める」「自然全てをコントロールする」、これらには「Yes We can!」と言えない。「遺伝子操作で望ましい人間に改良する」「不良品が出ないように、人間の『生産』を医療でコントロールする」、これらは「Yes We can!」だろうか。
・これらは現実的な話である。遺伝子操作された農産物が、米国政府の後押しで世界に押し付けられている。人間に関するバイオ技術は「自然の沃野」とされ、膨大な利益を生む「約束の地」とされている。米国に特許を独占されないため、他国も開発競争に血眼になっている。
・冒険を冒すのは成功を求めるからである。これは人間を「全能幻想」に溺れさせる。ところが人間には限界がある。これは人間が独力で生きて来たのではない事で明白である。
・「アメリカ」は「自然」を、人為的空間である「経済」に置き換え、「新しい自然」とした。ここでは不測な事は起こらず、計測可能で合理性が物を言う。ここでは人間より機械が信頼され、常に効率が問われ、科学技術が世界を変えるとされ、常に革新が求められる。しかしこの「原罪」を認めない世界は、世界を破綻に導いている。※同じ内容が何度も出てくる。
・この「異形の制度空間」を広める最後のアクセルが踏まれた。「テロとの戦争」「ヴァーチャル金融」である。しかしこれは破綻し、黒人大統領が生まれた。この「アメリカ」を内側から変えようとしてきたのが黒人である。彼らは長い間、忍耐強く、多くの犠牲を払いながら権利を獲得してきた。これは「希望」である。※人種問題が出て来たが、これだけみたい。まあ彼らは本書のテーマの「自由」に関してはマイノリティかな。
・しかし「アメリカ」は「テロとの戦争」を止めないし、「正義の旗」も掲げ続ける。そうである限り、この「異形の制度空間」を鏡とし、そこに未来を投影する事は金輪際できない。
<結び>
○世界史にとっての「アメリカ」
・本書は米国の形成史でも、通常の枠組みの政治・社会の分析でもない。「アメリカ」は制度空間であり、どの様に進化発展し、どの様に世界に影響を及ぼしてきたかを述べてきた。大陸が発見され、連合国家が独立し、強大な国家になり、今巨大なビルが倒れようとしている。「アメリカ」が何で、どの様な影響を及ぼしてきたかを述べてきた。
・「アメリカ」は「所有に基づく自由」の内在的・合法的な原理に支えられた「制度空間」である。そして外部を作り、それを「力の正義」(正義の力?)で駆逐していった。自らの「成功」を駆動力に、この「制度空間」を普遍的・規範的なものとして、世界に拡大させた。こうして世界は「アメリカ」を主観的・客観的に浸透させた。
・この「制度空間」を支えたのが、「孤立した個人の自由」と「所有権」である。「自然」を要素分解して、「所有権」の対象にした。「自然」を登記簿上の不動産にし、人為的な制度でフィクショナルな権利を与えた「自由な人間」の操作に委ねた。
・「アメリカ」は、科学的自然と人間の生存世界をパラレル(?)に考える「人工世界」を形成した。そこには「全能幻想」(Yes We can!)が潜在する。
・米国が衰退しても、この「制度空間」は世界に浸透し続けるだろう。イノヴェーションによる経済成長、人体も含む自然の資源化・市場化、作業のオートメーション化、知の所有権化、社会のIT管理、これらを市場システムに委ね、世界は「ポスト・ヒューマン」に向かうだろう。
・しかしこの「制度空間」は破綻するだろう。人間の身の丈に合った「規範空間」(?)が再生されるだろう。少なくとも「再生可能」な世界でなければならない。ここで想起されるのが「タタンカ・ヨタンカ」の賛歌である。果てしない欲望を実現する「輝ける未来」ではなく、「7代先の子孫の幸福」のために生きる世界である。
○方法について
・本書はどの「アメリカ論」とも似ていない。それは「唯名論的」方法を取っているからである。これは事象を考察する時、名前が示す実在を自明のものとして扱うのではなく、その名前の成り立ちや、どの様に振る舞い機能し、対象(※名前の事?)を造形してゆくのかを考える方法である。※あるもの(名前)を考察する時、当然その歴史や周囲との関係を考慮するけど。
・「アメリカ」は輪郭も定かでない未知の対象に付けられた名前で、そこに人々が移り住んで実質化された。そしてその特質が「自由を制度化した空間」となった。「唯名論的」に考えれば、「アメリカ」の意味は一義的に決まる。
・「概念」も同様である。「歴史」は、ヘロドトスが『歴史』を書いた事で、ギリシャ世界の理解のよすが(?)となった。出来事の因果関係を記述する事で、「歴史」が実質化された。「歴史」の概念が所与となり、人々はその観念の枠の中で時間を永遠に遡る展望を持つようになる。
・その後の人々は以前に遡って「歴史」を語れるようになった。本書もこの方法意識を働かせている。これにより思考の束縛を解き、考察の対象の輪郭を一層明確にしている。
・もう1つは「制度性」への着眼である。「唯名論」が名辞(※概念を言葉で表したもの)の創設的・造形的な役割なら、これは名辞が実質的に機能する規範性である(※嫌な哲学的方向に向かっている)。言葉の規範性に支えられ「制度性」は作用し、社会とそこに住む主体は造形される。※意味不明。前文からすると、「言葉の規範性」が制度性なのでは?
・「制度性」は法学/哲学/社会学/心理学/言語学/政治学/歴史学が対象とするものではなく、それらを貫く「主体とその社会の生」を機制(※構成)するもので、人類学と云える。
・この発想は法制史学者・人類学者ピエール・ルジャンドルに負っている。彼により「主観と客観を接合している言語の規範性と制度性に着目する。これによりその都度の人間(主体)の再生産と社会の再編成が同時に担われる」との考えに途を付けてくれた。※難解。
・彼は西洋法制史から出発し、法・制度一般と精神分析(法の無意識、?)の研究を経て、「西洋的規範空間」の研究に至った。著者は「唯名論的」検証から始めたが、これは彼よって支えられ、勇気づけられている。
<補論 「自由主義」の文明史的由来>
○テロとの戦争、経済の審問、アメリカの自由
・著者は「テロとの戦争」を戦争/政治の領域から批判してきましたが、「経済」の領域から批判しないと埒が明かないと思うようになります。それは「テロとの戦争」がグローバル化と密接に関係しているからです。
・選択・決定の場だった「政治」は、グローバル化により「経済」の要請に全面的に規定されるようになります。「政治」は国家を領域としますが、「経済」は無領域のため、「経済」とグローバル化は親和性があります。そのため「政治」と「経済」の逆転現象が起きています。これに就いては『経済を審問する』に纏めています。※読みたい。
・もう1つは「アメリカは何か」です。「テロとの戦争」の胴元となった米国は政治的・経済的、特に道義的にダメージを受けます。
・米国は100年そこそこで世界最大の国になり、世界を領導し、世界をアメリカ化しました。世界の要請が近代化なら、米国はそのモデルとなりました。しかし米国は「解放」「自由」の名の下に、世界秩序/産業経済を押し付けてきました。
・ところが自らの失敗で、地政学的条件が変わりつつあります。「アメリカの没落」が囁かれていますが、「グローバル化」「経済の全域支配」などの「アメリカ的なもの」は「人類の未来」を大きく規定しています。
○新自由主義の理念と行動
・ナオミ・クライン(※日系人ではない)が『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(原著2007年)を書いています。当書は「新自由主義」が世界に浸透していく現場を次々に描いています。1973年「9.11」(チリでの反共軍事クーデター)以降、「新自由主義」が国・社会を作り変える現場を、時系列に辿っています。
・「新自由主義」のドクトリンは、小さな政府/民営化/規制緩和です。ミルトン・フリードマンとその弟子(シカゴ学派)が主張するこのドクトリンは、「市場原理に委ねれば、最適な結果となる。そのため、それを阻害する政治介入/法的規制/伝統的な習慣を一掃する必要がある」とします。これは社会主義だけでなく、ケインズ主義にも敵対しています。
・彼らは経済の「自由放任」を主張していますが、全く束縛のない自由な市場は存在し得ません。この「自由市場」の強要は、共産主義と同様に「理念信仰」です。※この考え方は面白いな。
・「自由市場」を強要するには、「更地」にする必要があります。その機会が、反革命/クーデター/戦争などによる国家崩壊や、大災害などによる社会崩壊です。これを機会に、「自由市場が最適な解」として、そのルールを強要し、効率の良いものを残し、非効率のものを排除します。
・これが1973年チリの軍事クーデターです。社会主義国の誕生を望まない米国は、CIAを通じて軍事クーデターを起こさせ、フリードマンの弟子「シカゴ・ボーイズ」を送り込みます。※この話は知らなかった。
・「新自由主義」は機会あるごとに南米に広められ、サッチャー/レーガンで採用され、世界銀行/IMFでの影響力も高まります。英国は植民地を失い、高社会福祉政策で経済・財政は危機に陥っていました。米国もベトナム戦争などで財政赤字が巨大化し、高賃金により産業は空洞化し、ドルの変動相場制で経済の主軸は「金融」に移行します。「新自由主義政策」は国家を身軽にする政策でした。
○「自由」のアリーナ
・この考え方は「競争による淘汰」で全てが決まります。「富の再配分」は「不公正」となります。失敗し利得を得られず没落するのは、努力・才覚が足らないからで、「自業自得」「自己責任」です。この結果を受け入れるが「公正」で、そんな人は放置し、支援してはいけません。これにより犯罪が増えても、刑務所を増やすなど厳罰化するだけです。これで新たな事業セクターが開拓されます。
・利得を得たのは努力をしたからです。従って企業経営者などの高額報酬は認められます。そのため格差拡大の一途になります。中間層は解体され、貧困層/ホームレスが増え、一方で検問所と塀に囲まれた特別居住区に高額所得者が住むようになります。
・公共事業を利潤目的の事業にし、競争させます(民営化)。これにより事業を効率化し、経済規模を拡大させます。公的/非営利の事業も、競争主義の市場に投げ込みます。これには軍事/教育も含まれます(※最近これに関する本を読んだ)。この市場原理は全能なので、あらゆる領域に適用され、我々の身体にも適用されます(※臓器売買、遺伝子操作、出産?)。
・この「新自由主義」はグローバル化と不可分です。グローバル化は先進国の企業には、先行技術開発により市場を独占する機会になります。「未開拓な地域」の国家崩壊・社会崩壊を利用し、「新自由主義」を押し付けるのです。これが「ショック療法」で、ナオミ・クラインが描いた事です。
・これが南米諸国、ソ連の崩壊後、中国の市場経済の導入時、アジア金融危機、イラク戦争後、スマトラ沖地震後のスリランカ、ハリケーン・カトリーヌ後のニューオーリンズなどで行われたのです。※事例が山程あるな。
○行動主義と「ショック・ドクトリン」
・「ショック・ドクトリン」は、国家崩壊・社会崩壊した空白地帯に自由市場のルールを植え付ける事で、心理学の「ショック療法」になぞらえています。この言葉は、シカゴ・ボーイズ自身が使った言葉です。
・ソ連崩壊後に市場経済を導入する際、徐々に導入するのは手ぬるいとして、一気に導入したのです。後は市場原理で最適化されるとしました。しかし民営化と云うより、国家資産の私物化で、結果的にオリガルヒーと呼ばれる富裕層が形成されます。
・「ショック療法」は行動心理学で使われる用語です。例えば「うつ病」の患者の頭に電極を付け、電流を流し、それまでの心理状態を麻痺させ、新しい人格を作る荒治療です。これに米国の軍の特務機関やCIAが目を付け、研究を行いました。電気ショックで意識をグダグダにして、自白させようとしました。グアンタナモ米軍基地(キューバ)/アブグレイブ刑務所(イラク)にその専門員を配置しました。
・ナオミ・クラインは、この「ショック療法」と「新自由主義」の展開を同形としたのです。
○心を不要にする「心理学」
・行動心理学は行動を重視する心理学です。心理学には、神学・哲学に由来し魂・精神を扱うものと、実験心理学があります。心はモノではないので解剖できず、推論するしかありません。この方向を突き詰めたのが、フロイトの「無意識」における精神分析です。※内容を知らない。
・一方後者は、「人間も物質である以上、基盤(?)がある」とし、実験から推論します。行動主義は、この流れです。行動主義は功利主義的(※効率最優先)なので心の中は暗箱のままで良く、インプット(刺激)とアウトプット(行動)の関係が分かれば良いのです。人の内面/反省などは無視します。つまり人間も、遺伝と環境で決定されるとなります。心理学と言いながら心理を否定し、人間の行動を刺激と反応に還元しています。そのため電気ショックの発想が出てくるのです。※実際はもっと高度な学問では。
・これが発展し「サイバネティックス」になります。これは人間がやっても、動物がやっても、機械がやっても、あるいは人間と機械がやっても同じとなります。「サイバネティックス」の草創期にフォン・ノイマンがいます。彼がノイマン式コンピューターを発明し、それが今のコンピューターです。このコンピューターにより人間の遺伝子は解明され、遺伝子の操作も可能になるでしょう。「サイバネティックス」も「グローバル化」であり、新自由主義による市場の深化です。※市場の深化かな?
・実は「サイバネティックス」の主唱者ノーバート・ウィーナーは、「これは人類を幸福にしない」と悲観していました。しかし多くの人は「これで何でもできる」と開拓に邁進します。
※技術革新は巨大化は難しくなったので、微小化に向かっていると思う。サイバネティックスについては無知識だ。
・この電気ショックで人格を空白化(解放)し、そこに別の人格を植え付けるエンジニアリング的発想が、「新自由主義」に横滑りしたのです。そのためナオミ・クラインは「新自由主義」の展開を「ショック・ドクトリン」としたのです。※この例えは中々。
○経済の領域と「自由」
・「新自由主義」に、なぜ「新」が付くのでしょうか。19世紀からの自由主義経済はロシア革命/世界恐慌/世界戦争で瓦解し、国家が経済に介入する体制に移ります。一方に社会主義、他方にケインズ主義となります。冷戦の負担で英米は立ち行かなくなり、「市場の自由が全てを解決する」とのフリードマン的な考え方が台頭します。これは「市場の自由」を徹底する新しい考え方だったのです。しかし経済は元来「自由」なものです。そこに権力が脅しをかけ、お金を集めてきたのです。
・実は「経済」は比較的新しい言葉で、経済学者が登場するのは18世紀末です。アダム・スミスは『国富論』の表題を『政治経済学』としたかったのですが、それが既にあったので『国富論』としました。彼は『国富論』で「国家の家政」を述べたのです。
・近代以前はキリスト教(ローマ教会)が世界理解の枠組みで、神学が知識の権威でした。ところがプロテスタントが登場し、ラテン・カトリック世界が分裂し宗教戦争が起こると、世俗国家が現世の事柄を決する担い手になります。これにより「宗教」は押しのけられ、「政治」が前面に出ます。
・これをカール・シュミットは「中性化」とします。要するにローマ教会は存在するが、ものを言わせなくしたのです。またこれは「政治」の「宗教」からの解放と云えます。※世俗化かな。
・この政治国家の時代に「公共的」な枠組みとは異なる、富を生む「私的」な活動が盛んになります。政治国家もこれを活用するようになります。これがポリス(政治)とオイコノミア(家政)が統合した「ポリティカル・エコノミー」(政治経済学)です。さらにここから「経済」が分離し、経済学となります。つまり「政治」は「宗教」から「自由」になり、「経済」は「政治」から「自由」になったのです。※この考え方はシンプル。
○経済的自由主義
・アダム・スミスは「市場の自由」を擁護し、市場の調整機能を主張します。当時は重商主義で政治権力が通商を統制しようとしますが、彼は「生産・取引などは自由にさせた方が良い」「経済活動には『見えざる手』が働く」としたのです。
・自由主義は人間を「孤立した個人」と考えます。これにより誰もが「生きる権利」(生存権)を認められ、その反面「責任主体」となるのです。言い換えると人間は「孤立した個人」として社会に放たれ、そこで競争し、没落したら才覚・努力が足らないのです。そこで貧民・弱者を救う事は、本人のためにも、社会のためにもならないのです。今日の「新自由主義」は、この「粗野な自由主義」に回帰しています。
・自由主義経済を纏めると、個人の利己的欲望が基本要素です。その個人の解放・自由が第一の意義です。その個人は「市場」に放たれます。「市場」は自由競争により、価格などの「最適解」を生み出し、全体の富は拡大します(経済成長)。これをポランニーは「自己調整機能」としました。
・このシステムは、全体の拡大により正当化されます。そのため個々の失敗・不幸は必要悪となります。これは「最大多数の最大幸福」であり、「功利主義」と云われるものです。※自由主義経済=功利主義かな。第二の意義はあるの?
・この考え方は進化論とも深い関係にあります。ただし著者はダーウィンの進化論を科学的理論とは思っていません。この理論は生物界の現状を肯定するだけの機能しか果たしていません。またダーウィンの進化論をイデオロギーにしたのがハーバード・スペンサーとされますが、これも基本的に変わらないと思っています。※この説明では両理論が非科学的な理由が良く分からない。
・ダーウィンは生存競争/最適者生存の原理を説きます。これは「市場原理」そのものです。彼は自然界の原理も経済の原理と一致すると考えたのです。※市場原理が先で、ダーウィンの進化論が後なんだ。
・マルクス主義が近代合理性/経済学の視野(?)を越えられなかったように、ダーウィンも「個への固執」と云うキリスト教のドグマ(?)を逃れられなかった。※前者も後者も理解できず。終盤は説明不足が多い。
○キリスト教由来の人間観
・ユダヤ教/キリスト教/イスラームはセム族一神教です。この中でキリスト教は独特です。他の宗教では、神と人間は隔絶していますが、キリスト教はイエスを通し、神と人間が繋がります。また人間の行いにより、地上に「神の国」が実現されるとしています。※これがプレステ・ジョアンや「約束の地」なのか。
・アウグスティヌスは神学を打ち立てますが、彼は「地上の国」と「神の国」の止揚として、「神の国」の実現を想定しています。それが「自由」の実現であり、「罪からの解放」であり、それが「救済」です。
・西洋の「自由」には2つの淵源があります。1つは「奴隷」でない身分を云います。もう1つは「罪からの解放」で「救済」を云います。これは具体的には「欲望からの解放」ですが、「神への隷従」で得られます。※贖宥状(免罪符)があるな。他は何だ。善行か。
・神学者は「なぜ人間は悪を成すのか」に悩みます。「自由意志(※欲望?)からの解放は、神の恩寵しかない」(絶対他力、※神の力?)とします。17世紀になると少し合理的になります。ライプニッツは、「多少の悪があるから、全体として旨く行っている。不幸・災厄は善のための必要悪である」(予定調和)と考えます。
・これは『蜂の寓話』を書いたバーナード・マンデヴィルの考え方に似ています。彼は「私悪」を肯定しています。これはアダム・スミスの「見えざる手」にも通じます。さらにヘーゲルの「否定的なものが闘争を通じ自己実現したものが、現実的・合理的世界である」にも通じます。
・これらは人間を「分断された個」とし、それぞれの「存在への固執」(欲望の自由な発現)を世界の展開の動因としています。また全体的様相を善として肯定しています。つまり個々の罪を、全体的に包摂する理論です。※しつこいのでうんざり。感想文も雑になる。
・自由主義経済学は、「個人の利己的な自由な活動が、社会全体を豊かにする」と主張します。そこでは市場の自己調整機能が想定され、市場への介入を拒否しますが、それは「神の摂理」だからです。システムに不首尾が起こると、「自由」が不徹底とし、さらなる「自由」を要求します。
・経済学はこの理論のため、「ホモ・エコノミクス」と云う人間のモデルを設定しています。この類型(※モデルだろ)は、生存を保持するため「コナトゥス」(合理的)でなければいけません。
・この「ホモ・エコノミクス」に連想されるのが「移民」(特にアメリカへの移民)です。彼らは孤軍奮闘し、富を蓄財したのです。これにより自由主義経済は、「アメリカ」で最も純粋に実現されたのです。
・またこの「孤立した個人」もキリスト教に認められます。イエスは孤児で、母親や妹が訪れても、「自分に係累はいない」と否認しています。また弟子にも「係累を断ち切り、孤独な個として自分に従え」と要求しています。※これは知らなかった。
○自由主義経済の市場と人間
・自由主義は人間の自由を要求しますが、これには両義性があります。主体の立場で欲望を追求する事を求めているのか、あるいは人間は自由に欲望を追求すべきと言っているのかです。前者は単なる利己的要求で、後者は規範の要請になります。後者は個人の無制約な利己的行動が、社会全体を最適化するとしています。つまり個々人の自由/行動の無制約性は、全体の善に奉仕するため正当化されます。※ライプニッツの弁神論も解説しているが、同じ内容なので省略。
・ロバート・ハイルブローナーと云う学者が『入門経済思想史 世俗の思想家たち』を書いています。この題は”言い得て妙”です。経済学は特定領域の専門研究のように思われますが、世界を抽象的に見ている、一つの見方です。この見方は客観的合理性や世俗性の装いをまとい、キリスト教の伝統に規定されています。※本書がマクロ経済を対象にしているから言える事。
・自由主義経済では人間は「孤立した個人」に分離されます。人間は「競争のアリーナ」(市場)に投げ込まれ、その闘いに勝った者が「最適者」になります。この市場では選択調整機能が阻害なく働く必要があり、その「自由」が法的・政治的に確保されなければなりません。この人間を「管理」するのが、「心」を必要としない行動心理学です。またこの市場が円滑に機能するよう「統治する人」(選民)が必要になります。※米国の資本家・政治家?
・西洋以外の社会には、この「自由」の脅迫装置はなく、「自由」による操作も望んでいません。またどの社会にも、孤立したり遺棄される事から保護する仕組みや慣習が備わっています。この「自由の空間」を成立させるのなら、既存の社会を一旦破壊しないと導入できません。要するに自由主義は共産主義と同様に理想主義なのです。
・社会が正常に動いている時は抵抗力が働くため、「自由の空間」を持ち込むのは困難です。そのため自然災害や必要ならクーデター/戦争を起こさせ、社会を壊し、そこに「自由の空間」を持ち込みます。
・ナオミ・クラインは、「ここ30年で『蘇った自由主義』『弱肉強食の市場システム』が世界広まった」「社会を茫然自失に陥らせ、そこに『自由』を押し付けた」と書き、これを「ショック・ドクトリン」と呼んだのです。
○「自由」の世界で廃棄される人間
・自由市場の社会は人間的ではありません。人は「最適者」になるため「自由な競争」を勝ち抜かねばなりません。しかしまず先に企業が勝ち抜かねばなりません。効率を上げるため、人員を削減し、経費を抑制し、商品の価格を下げ、市場を奪います。これにより賃金は抑制され、人々は失業します。そうなれば軍隊に入ってもらいます。徴兵制は必要ありません。
・一方で野原・森・岩山だけでなく、水・空気さえも「資源化」し、市場に売りに出します。人間の人体(腎臓、肝臓など)も資産です。何でも市場に出せます。今はインターネットがあるので、どんな顧客の要求にも応えられます。
・人間は自由主義に麻痺されています。今は「人間とは何か?」を問わねばなりません。「人間も進化し、今はポスト・ヒューマンの時代だぞ、尻込みするのか」と反論されますが、そんな社会に「人類の未来」はありません。「孤立した個人」と「自由」で「最適化」を目指す世界を問わねばなりません。
※本論で言い足らなかったようで、補論で自由主義経済を徹底的に否定している。この補論が余りにも強烈なので、本論の内容を忘れてしまった。ざっと読み直そう。
<あとがき>
・本書を書く切っ掛けは、2008年リーマン・ショック直後、雑誌『世界』から論評の依頼を受けた事です。米国は冷戦終結後、「エンパイアー(帝国)」と見立てられるが、「テロとの戦争」も成果はなく、ウォール街も破綻し、世界統治の基軸が揺らいだ。この機会に、米国の成り立ち・特質・政治・宗教・経済などの関係を纏め、『世界』に4回の連載をさせてもらった。それが本書の第4章~第7章です。ここでは「アメリカ」を様々な観点から「自由な制度空間」として捉えた。これに「アメリカ」の前史であるキリスト教との関係を、第1章~第3章として書き加えた。
・原稿はほぼ完成していたが、纏める機会を逸していた。オバマ大統領の任期満了を控えた時期、講談社学芸クリエイトに見てもらい、出版となった。その時『自由主義の文明史由来-ナオミ・クライン「ショックドクトリン」から』を補論として収録した。
・本書を考察する際、ロバート・M・ベラー『破られた契約』、森孝一『宗教から読むアメリカ』、カール・シュミット『大地のノモス』、ディー・ブラウン『わが魂を聖地に埋めよ』、藤永茂『アメリカン・インディアン悲史』、テッサ・モーリス=スズキ『自由を耐え忍ぶ』を参照させて頂いた。