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『分断社会を終わらせる』井出英策/古市将人/宮崎雅人(2016年)を読書。

現在の不安の原因は、経済成長を前提とし救済を行う「勤労国家レジーム」の破綻にある。
この不安を解消するため、財政での再分配をどうすべきかを解説している。
前半は分断の現状を、後半は財政での改革を解説している。

基本的には、基礎的ニーズを普遍的に提供する「大きな政府」を推奨している。

現状を理解できる最良の本である。また「分断」や「欲望と共有」などの言葉を実感できる。

お勧め度:☆☆(量が多い)
内容:☆☆☆(詳細であり、データを適切に使用している)

キーワード:<分断社会・日本>再分配、政治不信・自己防衛、増税・負担、勤労国家レジーム、所得減税/公共投資、人件費、限定性・選別性・自己責任性、再分配の罠、自己責任の罠、必要ギャップの罠/世代間対立、<不安の発生源>自由/介入、負担者と受益者、共存型の再分配/救済型の再分配、労働市場/社会保険/労働倫理、女性、国と地方、都市と農村、世代間公平性、分断社会/低位均衡の財政/想像力、<恫喝と分断による財政再建>健全性、マスメディア/記者クラブ、既得権、総額重視/公共投資/地方交付税/生活保護受給者、低位均衡の財政/公平性、<不幸の連鎖からの脱却>税収/租税抵抗、国民負担率、軽減税率、必要原理/現物給付、経済成長/エンブレース効果、教育/女性の就労、効率性、合意形成/社会的信頼、<来るべき時代の胎動>社会保障・税一体改革/民主主義、平等主義、政府債務/国債、国民の家構想/サルトショーバーデン協定、地域家族モデル、予算制度改革、女性の就労・子育て、所得制限、介護、過疎地域、選ぶ民主主義/創る民主主義、<縮減の世紀>必要/欲望、市場経済/議会制民主主義/財政、福祉国家、個人化

<はじめに>
・日本は海外から評価されるが、日本社会には言い知れぬ不透明感がある。日本の地位は格段に低下し、少子高齢化し、投票率は下がり続けている。これらの問題はどの先進国にも見られる要素である。本書はこれらの不安に対し、財政の面から解き明かしていく。

<序章 分断社会・日本>
1.私達の社会が傷んでいる
○途上国に接近する日本
・東日本大震災で「絆」が再評価されたが、分断は進んでいる。日本は経済面/政治面/社会面で先進国と云えない状況にある。

・「世界価値観調査」(WVS)を見ると、「所得は平等にされるべきか」の質問に、日本は58ヵ国中39位であった。同位の国は、大半が途上国である。
・所得を再分配する方法は、①富裕層を高課税にする、②低所得者に給付を行うである。OECDで日本は、①は最下位、②は下から3番目である。日本はここまで「平等」の薄い国になった。※米国より小さな政府かな。
・では平等と対の「自由」はどうだろう。先のWVSで「自由を感じるか」で、日本は下から7番目である。平等も自由も満たされないなら、国への「愛国心」はどうだろう。WVSの「国のため戦争で戦えるか」で、日本は最下位である。では「人権」はどうだろう。WVSの「人権への敬意があるか」の質問に、34番目であった。これらの結果から、日本は平等/自由/愛国心/人権がない、荒んだ社会である事が分かる。

・小泉政権末期、国民は格差解消を求め、民主党政権が誕生した。しかし再分配政策は「バラマキ」とされ、民主党政権はあっさりと倒れる。安倍政権が返り咲くと、全く逆方向に進む。生活保護は削減され、診療報酬/介護報酬は抑制された。争点は憲法改正/特定秘密保護法/集団的自衛権など国家の基本理念に向かった。しかし国民はこれにも反対した。
・左右のイデオロギー対立はなくなり、無党派層は拡大した。人々は政治に失望し、自己防衛に走るようになった。※ここまでは分かり易い。

○冷淡で無関心な社会
・WVSや「国際社会意識調査」(ISSP)で示されるように、日本人は政府・公務員を信用していない。前者は56ヵ国中43位、後者は35ヵ国中最下位である(※腐敗は少ないと思うが)。これは深刻なレベルである。この状況なので、国民は納税に反対し、公務員の給与/定数の削減を求め、借金の責任を政府に押し付けている。

・財政で多くを占めるのが社会保障である。この大半は高齢者に向けられる。これに対し「高齢者が過大な給付を受けている」「自分が払ったお金が戻ってこない」などの批判がある。
・2014年所得税/法人税/消費税の基幹税の1つ消費税が増税された。純粋な増税は33年振りである。消費税は高齢者にも掛かり、「世代間公平」を満たすものとされた。
・年金の保険料は、1980~2002年で男性は7回、女性は17回も引き上げられている。2003年以降も小刻みに引き上げられている。※そうだった?
・自分の利益を追求し、負担を他者に押し付ける精神は、リベラリズムの敗北であり、お上意識/年長者を敬う心/絆などの保守層の価値観を傷付け、社会の病根となった。

2.弱者に冷淡な社会はこうして生まれた
○勤労国家レジームの成立
・障害者・高齢者・女性などの社会的弱者に冷淡な社会はどう作られたのかを、財政面から見る。終戦直後、国民の生活はどん底になり、救済は当たり前で、財閥などの富裕層は屋敷を差し出した。1946年財産税も導入されている。※財産税なんかあった?

・所得税も所得に応じ、20近くに区分され、最高税率は7割を超えた。しかし国民の生活が楽になると、控除額が引き上げられ、課税される最低所得も引き上げられた。1960年代から地方向けの公共投資が行われた。これで地方に雇用を提供した。これにより「地域間」「所得階層間」の所得再分配が行われた。池田首相は「20%ルール」を設け、中間層の租税負担率を20%以下に抑えた。
・所得減税し公共投資に支出を傾けると、社会保障・教育などの公的サービスが拡充できない。しかしこの背景に「勤労の美徳」があった。「勤労の能率を高め、生産性を高めるのが望ましい」としたのである。
・そのため勤労者は所得と戻ってくる税(?)を貯蓄に回した。それは貧弱な公的サービスに備えるためである。その貯蓄は企業の設備投資に向かい、成長と減税の資金循環が出来上がった。

・ところがニクソンショック/オイルショックにより高度成長は終わる。しかし政府は所得減税/公共投資を続け、多額の借金を抱え込んだ。これが「勤労国家レジーム」である。

○経済の長期停滞と財政赤字の累積c
・バブル崩壊後の1990年代は、勤労国家レジームが全面化した時代だ。政府は過去の成功体験から離れられず、所得減税/公共投資を実施した。ところが以前とは経済状況が大きく異なっていた。賃金の強力な下落圧力である。

・企業は不動産を担保に資金を借り入れていたが、不動産価格の下落で新たな担保が必要になった。その借金の返済に、人件費の削減が進められる。政府もこれに労働規制緩和で応えた。
・グローバリゼーションもこれを後押しした。BIS規制により自己資本比率は8%以上を要求され、銀行は貸し渋り・貸し剥がしをした。国際会計基準により、キャッシュフローの改善が求められ、これも人件費削減/雇用の非正規化を進めた。

・賃金が下がり、雇用は不安定化し、消費は停滞した。人口も伸び悩み、これも消費を停滞させた。物の価値が下がり、お金の価値が上がった。企業の借金が増え、益々人件費の削減が求められ、負の連鎖となった。
・もう1点忘れてはいけないのが、都市化と賃金の関係である。公共投資の抑制により、都市に人口が流入した(都市化)。これにより都市にサービス業が集中した。しかしサービス業は生産性が低いため、これも賃金低下の要因になった。
・賃金は低下したが、相次ぐ円高で、ドルに換算した賃金は上昇した。これに対応するため企業は海外に生産拠点を移す。これは国内の雇用・需要をさらに減退させた。※完全に負のスパイラルだな。

・政府は所得減税/公共投資を続け、企業の負担軽減・優遇措置(※具体的な説明なし)を行うが効果はなく、税収は激減した。こうして残されたのが巨額な財政赤字である。

○犯人探しの政治
・勤労国家レジームの問題点は、成長を前提にしている事で、結果的に債務を積み重ねるだけになった。そもそも勤労国家レジームの特徴は何か。
・所得減税/公共投資が骨格のため、社会保障は就労できない人への現金給付などに集中し、サービスなどの現物給付は限定的になった。資源が限られるため、対象が低所得者・高齢者・地方などに限定された(限定性・選別性)。勤労により所得が増大するため、「自己責任」で問題なかったのである。

・ところが1990年代になると高齢化/女性の社会進出/雇用の非正規化が進み、育児・保育/養老・介護のニーズが高まった。政府はこの新しいニーズに対応できなかった。※「モノから人へ」が求められたのかな。
・高齢化により年金・医療・介護の費用は膨らんだが、財政事情から、その負担は現役世代に向けられた。これにより現役世代は結婚・出産を諦めるようになる。2000年代になると所得は低下し、さらに減税も停止された。公共投資は削減され、農村は疲弊した。
・マスコミはこれに飛び付き、地方のハコモノ/特殊法人/生活保護の不正受給/高齢者の医療費/公務員の人件費などのムダを批判し、受益者をバッシングした。

・ムダの削減/行政改革が焦点となり、保守とリベラルの境界は曖昧になった。ただし政府と財界の距離感は残され、政府は財界寄りで、非正規雇用化・賃下げは度を越した。労働者は会社の利益のため、これを受け入れざるを得なかった。
・結局モデルを変えられず、「生き辛さ」がもたらされた。政治批判・財界批判を繰り返すだけの「犯人探しの政治」の時代になった。一方で弱者への寛容さは失われた。※正しく「失われた30年」だな。

3.勤労国家の負の遺産
○救済がもたらす再分配の罠
・勤労国家レジームは好循環から負の循環に変わり、負の遺産である「3つの罠」を残した。まずは「再分配の罠」である。「弱者を助ける」「困った時はお互い様」と教えられてきた。しかし今は、救済者は「受益者」、それ以外の者は「負担者」となり、寛容の問題になった。
・再分配の集中度と再分配政策への支持との関係を見ると、貧しい人へ再分配が集中する国ほど、再分配政策への支持が低くなる。これは特定の人が受益者になると、負担者が反対する「再分配の罠」である。
・この背景にあるのが勤労国家レジームの限定性・選別性だ。日本では救済(施し)を受けるのは恥ずかしい事で、自分の苦しい状況を隠した。そのため「20%ルール」「所得制限」を設け、救済を弱者・高齢者・地方に限定・選別した。
・ところが所得の減少が見られるようになると、既得権を持つ受益者への妬み、低所得層への不信、地方への不信が強まった。

○広く負担を課し、広く給付する
・所得が低い層に対する現金給付/税・保険料負担と、相対的貧困率(低所得者の割合)/ジニ係数(所得格差を示す)の関係を見ると、成功した国には2つのタイプがある。1つは現金給付を厚くし、税・保険料の負担を少なくするオーストラリアなどの国である(※豊富な税収がいる)。もう1つは、現金給付を厚くし、税・保険料の負担も大きくするデンマーク/スウェーデンなどの国である(※北欧型かな)。しかしここで注意しないといけないのは、前述の高福祉・高負担の国では再分配が支持されていない点である。

・以上から2つの事が分かる。①低所得者の現金給付し、負担を軽くしても、再分配の支持は得られず、格差是正にならない(※格差是正になるのでは?)。②低所得者に課税しても、格差は是正できる(※高福祉・高負担かな)。この2つは、私達の常識と大きく異なる。※本書での「私達」は日本国民の場合と、著者3名の場合があるので注意。
・デンマーク/スウェーデンなどの国は、低所得者にも負担を求め、中高所得者にも「取り分」を与えている。これは日本にない発想である(※高福祉・高負担、大きな政府だな)。単純に低所得者への給付を増やすだけの問題ではない。日本の伝統的な価値観/格差是正の仕方を考えないと、中高所得者の怒りを買い、格差拡大の原因になる。※要するに「低所得者だけの救済は実施できないので、格差は存続する」かな。

○そもそも日本は自己責任社会
・2つ目の罠は「自己責任の罠」である。日本は歴史的に小さな政府で、財政規模/社会保険料/公務員の数は少ない。何度も繰り返すが、この公的サービスの不足を、貯蓄で補ってきた(自助)。2000年代になると「自己責任」の言葉が用いられるようになるが、そもそも日本は「自己責任社会」だった。社会を維持するためには、個人の所得・賃金を下げるしかなかった。
・当然ながら、日本は医療・教育の市場化が求められ、その私的負担も高い国になった。1990年代、可処分所得の増加が求められ、所得減税/公共投資が続けられ、財政赤字は急増した。自己責任のスパイラルが起きている時に、レジームチェンジは難しかった。
・望まれる経済成長は実現せず、納税者の不満は強まり、税への抵抗を強めた。これが「自己責任の罠」である。

○ぶつかり合う高齢者と現役世代のニーズ
・3つ目の罠は「必要ギャップの罠」である。高齢者は当然だが、現役世代もいつかは高齢者になる。そのため高齢者向けのサービス給付に賛成する。そのため高齢者のニーズばかりが優先され、世代間対立を生んでいる。※面白い考え方だな。
・世代間対立は、タイムラグによっても助長される。「子育て支援」は高齢者からすると、「妻が仕事に出て、子供をほったらかし、それを支援する政策」となる。介護も同じである。高齢者が若い頃は、「妻が高齢者の面倒を見ていた」のである。なので「介護保険料を支払うのは当然」となる。また勤労国家レジームでは社会保障を、高齢者向けの現金給付に限定していた。

・しかし経済が委縮すると、「専業主婦世帯」と「共働き世帯」の数が逆転する。女性の就業が進み、子育て/高齢者介護のニーズは激増した。「専業主婦が高齢者を支える」保守的イメージは非現実的になり、世代間の対立は深刻になった。※結局経済の低迷に、制度の改変が全く追い付いていない。

・この必要のズレが「必要ギャップの罠」だ。これは政策への支持で明確に分かる。医療・年金や高齢者への政策に対する支持は年齢と共に高くなるが、少子化対策への支持は30代がピークで、以降減少する(※全くシルバー民主主義だ)。この傾向は、他でも見られる。アジア通貨危機以降は、「景気対策」が最も望まれる政策であったが、2003年「医療・年金の整備」がこれを追い越し、首位を走り続けている。
・1970年代に定着した勤労国家レジームは、私達の考え方を規定してきたが、経済環境/社会構造/財政ニーズの変化が様々な対立を生み、「分断社会」が作られた。※勤労国家レジームは経済成長依存型レジームとした方が分かり易い。

4.未来を「選ぶ」から「創る」へ
○絡まり合う罠
・勤労国家レジームの残骸とグローバル化による社会・経済の変動から生み出された分断社会で、合意する事は難しい。この3つの罠(再分配の罠、自己責任の罠、必要ギャップの罠)が複雑に絡み合い、問題を複雑にしている。経済成長は少子高齢化/グローバル化の中では望めない。弱者への冷淡は、日本人の性質ではなく、この自己防衛せざるを得ない社会が、寛容さを失わせた。
・強者への嫉妬・妬みは反感(ルサンチマン)を生んだ。多くの人が公務員をバッシングするが、親が子に一番なって欲しい職業は公務員となった。小泉政治/橋下政治が支持されたのは、このルサンチマンによる扇動と動員だった。※動員は、よく分からない言葉だ。
・しかし私達の不安は見えてきた。旧レジームに代わる新しい利益分配のメカニズムを創るしかない。そのための議論を始めなければならない。

○未来への道を創る決断
・日本の袋小路は、保守的な政治伝統と制度設計によって作られた。そのため今のリベラルや左派の主張では修正できない。※あっさり言い切った。保守の思想がダメなのに、なぜリベラルではダメなの?
・アンソニー・ギデンズは「第3の道」を説いた。しかし今の日本に「第3の道」の意味はない。これまでの財政論議を見ると、こうした危機感・問題意識は共有されていない。
・1つ目の道は、小さな政府をより小さくし、経済成長を促す道である。1990年代に「ネオリベ」「ネオコン」が唱えた主張である。しかし政府は莫大な債務を抱え、財界を手助けしたが、賃金は抑制され、物価は下がり、景気は悪化した。この道は既に失敗が証明されている。※小泉政権での、「まだやり足りていない」かな。
・2つ目の道は、勤労国家レジームの強化である。これは守旧派・保守主義者が主張している。しかし公共事業を大規模化する末路を、既に目にしている。多額の借金を抱えた勤労国家ができる対策も限られる。
・3つ目の道は、可能な時に増税を行って、格差を小さくする道である。これはリベラル・左派の発想に近い。しかしこれも3つの罠が邪魔をしている。

・日本で常に言われるのが「経済成長を前提とした格差の是正」である。これはリベラル・左派でさえ経済戦略をマニフェストの柱にしている事から分かる。しかしこのケインズ流の「財政を経済成長の道具」とする考え方から脱しなければならない。財政は「生の基盤を整えるためのもの」である。※やっと新しい指針が示された。やはり今までの政治は財界が動かしていたのかな。
・私達は、経済成長に未来を託す道は、3つしかないと信じ込んでいる。勤労国家レジームは経済成長が止まると危うい社会になるが、それが現実となった。借金漬けとなった勤労国家に、私達の生活を保障する力はもうない。選択肢がないからと、小さな政府を追及しても、生き辛さは解消されない。今は歴史の分岐点にある。日本人の価値観と向き合いながら、新しい道を切り拓く決断が求められている。
※冗長的だったが、日本の現状を十分理解できた。

<第1章 不安の発生源>
・勤労国家レジームの負の遺産「3つの罠」(再分配の罠、自己責任の罠、必要ギャップの罠)は、冷淡な社会を作り出した。本書の目的は、これらからの脱却だが、本章では序章で述べた現状を、さらに深く探る。

1.救済か、リスク/ニーズの共有か
○不自由で不確実な社会
・「世界価値観調査」(WVS)の「自由感」に関する調査を見る。「自分の人生を、どれだけ自由に動かせるか」の調査である。なんと恐ろしい事に、日本は60ヵ国中下から2番目である。※この数字は驚くな。

・生まれた環境によって、自由は制約される。これを補うのが、政府の再分配による「介入」である。自由を保障するため、この介入は支持されるはずである。
・面白い傾向がある。「社会は自由である」と感じている人ほど、「社会は公正である」と考え、所得の再分配政策に否定的である(※成功者は現状を肯定する)。もう少し丁寧に言うと、自由感を高めるのは、所得・学歴・健康である。それらが高い人は、生活満足感が高く、「貧困は本人の責任」「社会は公正」と考え、「格差是正は不要」と考えている。従って自由感の低さは、「所得格差の是正は必要」と考えている人が多数と云える。

・「世界青年意識調査」を見ると、決断の機会が多い若者層(18~24歳)は、「社会で成功する要因」を「運やチャンス」としている。要するに「親の所得や環境で決まる」と考えている。これは社会を観察し、未来の不確実性を確信しているからと考えられる(※過去の環境から、未来の不確実性を確信?)。この自由感のなさ/未来の不確実性は、当然ながら財政による再分配や安全網を期待するはずである。

○再分配を支持しない日本の不思議
・人の寿命は分からないし、失業・事故は突然やってくるし、将来の物価・生活水準を予想するのも難しい。この不確実性のために作られたのが、税と社会保障による所得再分配である。
・ところが日本はこれに失敗している。OECDの調査を見ると、子供/若者/成人/高齢者の各世代で相対的貧困率が高い。これは可処分所得に対する純便益(=現金給付-社会保障料・税)の割合が低い事からも分かる。※小さな政府を続けてきたからだな。

・近年「貧困問題」が注目されるようになったのは、平等主義が失われた事による。「国民生活基礎調査」での「平均所得」と「中位所得」の推移を見ると、1990年代後半より共に低下している。また中位所得は平均所得より100万円程度低くなっている。2013年では、国民の61%が平均所得以下の所得であった(※要するに菱形からピラミッド形に変化している)。所得分布を1990年/2000年/2013年で比較すると、1990年に存在した中間層(400~700万円)が、2013年には低所得層(400万円以下)に移っているのが分かる。※中間層の喪失だな。

・6割以上の人が平均所得を下回っているので、大規模な所得再分配が支持されるはずであるが、その傾向は見られない。

○「救済型の再分配」と「共存型の再分配」
・この謎は、スウェーデン/デンマークなどの「大きな政府」の国で再分配政策が支持されていない事から解ける。これらの国では「支出増・負担増」の組み合わせが、必ずしも支持されていない。※次の調査を見ると、北欧諸国は「高齢者・失業者への政策は政府の責任」として支持している。この再分配政策が何なのか分からないが、再分配政策を支持しているのでは。
・「高齢者に対する政策は、政府の責任ではない」「失業者に対する政策は、政府の責任ではない」を問う国別の調査を見る(※否定の問いとは)。当然高齢者に比べ、失業者への政策は「政府の責任でない」が増える。その中で日本は、高齢者への政策は「政府の責任でない」とする割合が最も高い。失業者に対しても、日本は4番目に高い。※日本は高齢者にも冷たいんだ。日本は自己責任の国だな。

・以上から、北欧諸国で所得再分配への支持が低い理由が分かる。要するに、特定階層だけに有利な政策は支持できないのである。北欧諸国は多くの人を受益者とする財政制度になっている。これらの国は「皆が受益者になる」事で、負担者と受益者の対立を避けている。もし救済が叫ばれると、高所得者の道義的責任が強調され、一方で低所得者の自己責任が強調され、双方が対立する事になる。※再分配の罠かな。
・福祉国家は共通するリスクに対処するのであって、他人のリスクを善意で引き受けてもらえると考えるのは、楽観的過ぎる。実際は老齢年金/失業保険/介護保険/教育/住宅政策などは所得の再分配になっているが、そこには単純な格差是正/弱者救済ではなく、社会全体でリスクに備える制度になっている。

・日本は受益者を広げる必要があるが、勤労国家の負の遺産である限定性・選別性/自己責任性が、それを阻害している。所得を失うリスク/失業するリスク/病気になるリスクなどに個人で対処するのは難しい。これらを「救済型の再分配」ではなく、社会全体で共有する「共存型の再分配」が求められる。※大きな政府に向かうしかないかな。

○「救済型の再分配」が分断を招く
・北欧諸国と異なるニュージーランドを紹介する。同国は格差が拡大しているが、格差是正に対する政策は支持されていない。多くの人は自分は中間層と信じている。そのため「自分はもらえないので、払いたくない」となっている。
・高所得者への課税を強化したいが、高所得者は少数なので、十分な調達ができるとは限らない。また中間層は低所得層に共感できず、負担増に忌避感を持つ。これらは、「再分配政策は、特定の人を支援する『救済型の再分配』」と考えている事による。
・財政が厳しいと、「本当に救済が必要な人だけ救済しよう」とする。この理屈は正しそうである。しかしその選別が正しくできるのだろうか。※そのため近年の政策は所得制限などが外され、一律が多いのかな。

・この理屈が採用されると、2つのルートで分断が促進される。1つ目は、低所得者への給付が十分か否かに関係なく、高所得層・中間層から低所得者への給付の縮小が主張される。これは「幸福の平等」ではなく、「不幸の平等」である(再分配の罠)。政府は多数派(高所得層、中間層)に従うしかなく、給付は縮小され、格差は是正されない。
・2つ目は、「救済すべき対象」が重なり合う事で、対立が助長されるケースである。「救済に値する人」を正しく選別できるのだろうか。同じ中間層の家庭でも、その状況は様々である。正しく選別できないと、これは受益者に対する不満や、これを実施した政府への不信になる。

2.対立し、分断する人々
○労働市場における分断
・福祉国家は不確実性に備えるために整えられた。もしリスクが特定の階層に集中するなら、そのリスクは共有されない。労働市場は、その集中するリスクを象徴している。

・どの国も再分配により貧困率を低下させている。しかし日本は再分配を行っても、貧困率を低下できていない。日本では世帯の成人全員が就業しても貧困率が高い。要するに「雇用の質」に問題があると考えられる。※ワーキングプアだな。
・正規雇用においては、年功賃金は維持できなくなっている。一方で年功賃金でない非正規雇用は増加している。また正規雇用に就いても、昇給/企業福祉を受けれない「名ばかり正社員」も多い。

・2002年20~34歳だった人が5年後に、どうなったかを見ると。正規労働者は、8割が正規労働者として就業している。一方非正規労働者は4割が正規労働者になり、3割が非正規労働者として就業している。この事から非正規雇用に就くと、正規雇用への移行が難しい事が分かる。※逆だな。正規/非正規の労働者が同数なら、非正規から正規への移動の方が多い。非正規労働者の残り3割は無職かな?
・非正規雇用に就くと収入が不安定で、医療ニーズ/失業リスクに備える社会保険制度が必要になる。正規労働者は被用者保険に加入するが、非正規労働者は国民年金/国民健康保険に加入する。これは国民皆年金・皆保険体制だが、保険料を払えない人はリスクに晒される。

○社会保険制度から疎外された人
・国民年金においては、非正規労働者/自営業者の滞納が発生している。これは知識不足や収入の低下による(※元が取れないので、自主的なのもあるのでは)。これにより年金の受給資格を失い、将来貧困リスクに直面する。
・医療保険において国民健康保険料を滞納すると、「短期被保険者証」「被保険者資格証明書」が交付され、医療費が全額負担となり、受診が抑制される恐れがある。この基礎的な医療ニーズを満たされない世帯が続出している。要するに保険料を支払えない低所得世帯は、社会保険制度から排除されている。

・日本の社会保障は社会保険と生活保護で、失業・病気・高齢などに対処してきた。一方、高等教育・住宅・子育てなどは自己負担で賄ってきた。それを支えてきたのが企業の長期雇用/政府の公共投資だった。しかしこれらが機能しなくなり、勤労国家レジームは崩壊した。
・日本の非正規労働者は、規制緩和/高齢者福祉の後退/産業支援の選択と集中を支持している。保険料を納められない、本来救済されるべき非正規労働者は、保険制度から排除される。彼らは雇用を悪化させる規制緩和を支持し、格差を拡大させる歳出削減を支持する(※これらは本当だろうか)。労働市場の分断は、ますます弱者を貧窮させている。
・公的保障を受けられないのであれば、民間保障に委ねるしかないが、それは不可能である(※当たり前)。「自己責任の罠」は事態を悪化させている。

・この事態が深刻なのは、若者層において正規/非正規の分断が顕著な事である。これは労働者の意識を変化させている。1970・80年代は「勤勉に働く」意識が見られた。それは企業が安定雇用を提供していたからである。ところが経済が停滞し、非正規労働者が増加し、意識が変化してきた。

・「世界価値観調査」(WVS)や「社会階層や社会意識に関する全国調査」を見る(※「SSPプロジェクト」がある。後で調べたい)。この調査で「働く事は社会への義務」(労働倫理)を問うている。この労働倫理は若者層の方が高くなるが、収入で大きく異なり、低収入だと労働倫理が低下する。また労働倫理と「成功には努力が重要」の関係を見ると、若者層以外では両者に相関関係があるが、若者層では相関関係がなくなり、成功の要因を「運やチャンス」と認識している。この現状を米田幸弘は「互恵的義務の消失」と表現している。雇用の不安定化で、労働を義務とする意識が薄れたのだ。
・若者層からも長期雇用・年功賃金を求める声が上がっている。しかし正社員になれたとしても、それは「ブラック企業」かもしれない。

・そんな中で若者層で増加しているのが「世の中のためになる仕事が重要」とする「社会貢献的労働志向」である。しかし彼らの労働倫理は高いが、格差是正に懐疑的である。※若者層の分断・多様化かな。この解説だけでは、よく理解できない。

○放置された女性の貧困
・雇用の分断は、性別の問題とも関係が深い。「職が乏しい時、男性を優先すべき」とする人の割合と「男女就職率の格差」には、相関関係がある。日本はその両者が高くなっている。戦後の日本は、男性が働き、女性はその補助をし、扶養されるものだった。そのため女性に対する救済制度は整備されなかった。
・非正規雇用により所得が減少する男性は晩婚化・非婚化した(※これは男性の問題)。女性は自分が選んだ結果なので、出産/子育てを犠牲にして働くのは当然とされた。これらは自己責任で、社会が面倒を見るものではないとされた。

・男性以上に女性は貧困のリスクが高い。若者層では男女の平均給与に差はないが、年齢が上がると差が広がる。安倍政権は女性が活躍できる社会を目指しているが、解消できていない。
・高校生の調査では、女子は強い就業意欲を持っているが、雇用が不安のため、専業主婦を希望している。男子は子供を持つ事に否定的で、女性の就労に肯定的である。

・自己責任社会が前提にしているのは、財政による所得移転ではなく、私的(親子間、家族間)の所得移転である。これは自民党のマニフェス(自助・共助・公助)からも分かる。しかし所得が低下し、高齢者は貧困に苦しみ、家族が個人化・分解(?)する状況では、家族を当てにできない。※全滅だな。

○国と地方の対立
・日本人は公務員を批判するが、これは行き過ぎの感もある。公務員の総数は「総定員法」により決まり、給与は「人事院勧告」で決まる。そのため公務員の数を減らす事で、人件費を抑制してきた。
・公共部門は民間部門と違い、不況期でも雇用を減らさない。そのため欧州では女性を公的部門で雇用する事が多い。しかし公共部門/民間部門で非正規雇用が進んだ日本では、景気変動に対する耐性は弱い。※公共部門での非正規化か。これは知らなかった。

・巨額の債務を持つ政府は人件費の抑制を強く求められ、非正規雇用を進めた。本来は公務員減少によるデメリットと、人件費削減によるメリットを比較すべきだが、それが成された形跡はない。それどころか国と地方で、「どちらがムダ遣いをしているか」の批判合戦となった。「ラスパイレス指数」(?)が作成され、ムダが追及された。高齢化/女性の社会進出で公的サービスは拡大するのに、非正規雇用による人件費の抑制が行われた。

○都市と農村がいがみ合う
・安倍政権で新たな動きが加わった。日本創生会議の報告書「増田レポート」による「地方創生」である。これは、20~39歳の女性が半減する市区町村を「消滅可能性都市」とした。これは3大都市への人口流出を食い止めるため、地方の大中規模都市を「人口のダム」とする提案だった。すなわち「農山漁村の衰退は止む終えない」とする提案である。

・この地域間の分断は突然現れた訳ではなく、2000年代より表面化していた。2014年の調査で「地域の将来に不安を感じるか」の質問に、東京都34%に対し、町村は58%と高い割合だった。この認識のズレは、2000年代の「ハコモノ批判」にも表れている。公共事業は半減され、兼業先を失った農家は都市へ流れた。そして地方自治体(※以下自治体)の消滅が喧伝されるようになった。
・これに拍車を掛けたのが小泉政権の「三位一体改革」だった。この改革で地方は課税を掛けられる領域を3兆円増やされるが、国から地方への財源は10兆円削減された。これは戦後の地方財政史に残る惨事だった(※こんな改革だったかな。財源移譲とか言っていたけど)。都市を優先し地方を切り捨て、財政を圧縮する事で、租税負担を軽減したのである。※小泉政権は新自由主義だからな。

・「増田レポート」の第2弾では、「高齢者の地方移住」が推奨された。しかしこの様な発想を黙認してはいけない。
・この「国と地方」「都市と農村」の分断は、自治体間の競争にも繋がった。企業の誘致合戦である。2000年代に入り、地域間の所得格差は広がっている。※原発の誘致とかもあるかな。

○分断を利用した負担増-世代間公平論
・最後に世代間公平性について解説する。この問題は年金制度の賦課方式/積立方式が論点だった。ところが積立方式への移行が困難である事からこの論点は後退し、税負担の在り方/社会保障給付の在り方/資産相続などの広い文脈が論点になっている。
・本来高齢者の所得保障は、高齢者だけでなく、現役世代が両親の面倒を見る責任から解放されるメリットがある。また自身の将来への安心感にもなる。しかし序章で述べた「必要ギャップの罠」により、教育や労働政策への支出は少ない。この問題は次章で詳述する。

・2015年経済財政諮問会議で「金融資産の保有状況に応じ、基礎年金の国庫負担分の給付を停止する」事が掲示された。しかし生活保護世帯の4割が高齢世帯であり、高齢世帯の内実は多様である。また高齢期には多額の医療費が掛かり、裕福とは断定できない。これも特定層を狙い撃ちする議論である。
・政府税制調査会で少子高齢化に関し、次の指摘があった。①再分配機能が高齢者に集中している。②裕福な高齢者は子供に資産を残し、この連鎖が再生産されている。③他方、人口構造の変化や世帯の多様化で、家族と同居する高齢者でも救済されない場合がある。

・先の高所得者の年金給付停止は、世代間の対立(必要ギャップの罠)/所得階層間の対立(再分配の罠)/社会保障を自分達でする(自己責任の罠)が凝縮された結果である。これは高齢者は基本的には裕福であるとの想定から出発している。
・高所得者・資産家に応分の負担を求めるのなら、所得・資産課税を用いるべきだ。豊かな人を引きずり下ろす政策は、妬み・怒りを呼び起こす。※所得・資産課税はそれに相当する政策では。

3.「3つの罠」が生み出す分断社会
○人々を分断する「低位均衡の財政」
・社会には、所得階層/雇用形態/性別/政府(国と自治体)/地域/世代において分断が見られる。これと「3つの罠」(再分配の罠、自己責任の罠、必要ギャップの罠)との関係を、再度整理する。
・公平性の観点から、あるカテゴリーの負担増が正当化される事がある。しかしこの「公平性」は曲者である。「優遇される者」「優遇されない者」が区別され、特定階層への負担増、あるいは特定階層への受益削減により、分断が強化される。この再分配を「低位均衡の財政」と呼ぶ。

・ここで起きるのが、負担増と受益削減の合戦で、「再分配の罠」である。その結果格差是正に失敗し、政府は批判され、支出削減に向かう。救済は「本当に救済が必要な人」に絞られるが、その識別は不可能である。しかし「本当に救済が必要な人」は屈辱的な状況に置かれ、少しでも不正な行動をすれば袋叩きに合う。
・日本は従来から自己責任を重視し、バブル崩壊後はさらに弱者に自己責任を求めるようになった。これが「自己責任の罠」である。社会は分断され、「あの人は困っていない」「あの人は自己管理能力が低い」「あの人の態度は受給者にふさわしくない」「あの人は社会に貢献していない」と批判している。この議論は中間層のガス抜きになるかもしれないが、不毛な議論である。

○想像力の欠如が分断を深める
・こうして「優遇される者」「優遇されない者」の対立を強化してきた。しかし高齢者への支出により、現役世代は負担を軽減されている。子育てへの支出も同様であり、これにより社会全体の労働力は増し、経済成長が促され、税収は増え、社会全体の利益になっている。要するに「必要ギャップの罠」は、想像力の欠如が原因なのである。

・「必要ギャップの罠」は、世代内にも存在する。同じ世代でも子供がいる世帯と、そうでない世帯がある。人は将来を予測できない。いつ亡くなるか予測できない。子供がいないと、現役期の負担は少ないが、高齢期に助けてもらえる人がいない。仕事や貯金があっても、いつ病気になるか分からない。そのため社会でリスクを分散し、負担を分かち合うのに意味があるのだ。これは冷静に考えれば、当然の事である。再分配が批判されるのは、リスクが個人化され、社会が分断されたからである。

・欧州では教育/医療/育児・保育で、無償化・低料金化された領域は少なくない。一方日本は義務教育しかない。低所得者の利益/農村の利益/障害者の利益/母子家庭の利益など、個別利害の塊である(※意味不明)。その結果財政は利益分配の争いの場になり、「自分自身で対応すべきで、過度な負担を課されても仕方ない」と正当化されている。※よく分からない。こんな話だったかな。
・この様な議論が始まれば、再分配政策の議論は難しくなる。負担の回避、受益の削減、自己責任からの弱者放置、尊敬すべき人(※高齢者?)への罵倒など、「3つの罠」は深刻化する。

・今の日本に求められるのはリベラルの「連帯」「公平」だが、保守層の好みより、それは正反対の意味になっている。今の財政では真の「公平性」を主張できない。分断を解消する方策が示されない限り、リベラルな価値は意味を持ち得ないし、彼らが嫌悪する社会を作る事になる。
・今の日本は分断社会の前に立ち尽くしている。「分断を生む議論は避けるべき」だが、その解消は難しい。また財政に関する議論も偏見に満ちている。

<第2章 恫喝と分断による財政再建>
・この様に財政再建論議は、社会の分断を加速させる望ましくない論議になっている。1995年「財政危機宣言」が出され、2000年代に入ると、財政再建が重要課題になった。しかし財政が良くなる事と、社会が良くなる事は別問題である(※逆のトレードオフに近いのでは)。本章では財政問題に焦点を当てる。

1.財政危機が来る?
○何度も修正された財政健全化の定義
・「財政は危機的な状況にある」「このままでは日本は破綻する」、よく聞く主張である。政府は、「2020年基礎的財政収支を黒字化する」と公約した。これが財政健全化の目安とされている。ところがこの「健全性」の定義は時代によって変化している。※面白い話だな。
・1965年度までは一般会計の収支均衡が「健全」とされた。その後「投資のための経費は建設国債で、普通の経費は税で」とされた。その後は赤字国債が発行され、均衡財政は放棄される。しかし「健全性」の定義は修正され、健全/不健全が判断された。

・例えば、「1人当たりの借金が800万円」とされる。あるいは家計に例えられ、「年収600万円なのに、支出が960万円で、毎年300万円以上の借金をして、ローン残高は8400万円ある」とされる。これらから私達は国家破綻の恐怖に陥る。
・しかしこの説明は適切なのか。国債の8割は個人ではなく、機関(日銀、銀行、生損保)が保有している。しかしそれは国民の預金や保険料である。また国の借金だけでなく、資産も国民のものである。そこには米国債・外貨準備などの対外債権も含まれる。
・要するに単純に財政を家計に例えるのは正しくない。政府は課税と云う手段を持ち、破綻しないため、低い金利でお金を借りられる。

○対GDP比に意味はあるか
・日本の債務残高を対GDP比で示す事も多い。日本は200%を越え、主要先進国で最も高い。海外の権威が、「対GDP比で90%を超える国の経済成長率を平均すると、-0.1%であった」とした。しかしその後「2.2%だった」とする別の報告がされ、「債務残高と経済成長は無関係」とされた。別に、「国債は10年などの償還期間があり、1年分(GDP)と比較する意味はない」とする報告もある。
・歴史的に見れば、財政破綻は海外投資家の国債保有率/外貨準備/国際収支などを背景に、外国への資本逃避が起きる事で発生している。

○肩車型社会論で危機を煽る
・財政危機を煽るのに、人口構成も利用される。「2050年高齢者は4割に達し、現役世代1.2人が高齢者1人を支える肩車型社会になる。今の制度は持続不可能である」とする。これは65歳以上を高齢者としているが、65歳以上でも働いている人がいる。正しくは「(就業者数+非就業者数)/就業者数」を用いるべきではないか。この値は、10人で1人を支えた1955年でも、6人で1人を支えた1985年でも約2で変わらない。※それなら1955年も1985年も失業率は2割を超える。ところで現在の数値は幾らなんだ。

・財政危機を煽るこれらの数字は、適切と云えない。「財政危機宣言」が出された後、財政危機は一向に訪れない。危険度を表す長期金利も空前の低さである。数字を見誤ってはいけない。

2.恫喝とルサンチマン
○財政当局とマスメディアの相互依存
・数字だけでその真実を語る事はできない。序章/第1章で様々な分断を検証した理由もそこにある。数字は自分の立場を正当化するため、都合よく利用される。私達は「財政を健全化する」よう、「数字の魔術」で恫喝されてきた。それを担ったのが、政府の「財政制度等審議会」やマスメディアである。

・2004年読売新聞は以下を記事にした。「財政制度等審議会は、現状のままなら10年後には財政破綻するとした。政府は財政構造改革を進めるため、国民に痛みの代償を示すべきだ」。この記事は財務省とその記者クラブの共同作業で作られる。それは権力の意向に沿った報道で、御用機関と云える。※記者クラブの問題が出るとは思わなかった。
・なぜこの様な記事が作られるのか。それは彼らは、政府が提供する情報に依存しているからである。記者クラブの記者が、政府の政策を批判する記事を書くのは期待できない。

・思想の異なる「読売新聞」「朝日新聞」で「財政再建」が用いられた回数を、1995年以降で調べると、全く差がない。2000年代後半に増えているが、これにより国民は「財政再建」の言葉が脳裏に刷り込まれた。
・この要因にマスメディアへの信頼がある。「世界価値観調査」(WVS)を見ると、日本は政府/公務員を信頼している割合(24%、31%)は低いが、新聞・雑誌を信頼している割合(71%)は高い。

○人々のルサンチマンと支出の削減
・人々は政府・公務員を信頼していないため、支出の削減に賛成しているとも云える。これを利用したのが小泉首相だった。彼は「抵抗勢力」を掲げ、それと闘う姿勢を示した。「郵政選挙」の際、以下の記者会見を行っている。「郵便局の仕事は国家公務員でないと、できないのでしょうか。民営化を拒むのは、公務員の特権を守ろうとしているのでは」。人々は「既得権」と闘う政治家を熱烈に支持し、公務員の特権が剥奪されるのを期待した。
・一方行政改革では、国と自治体のどちらが支出削減に努力しているかを競わせた。人々は公務員へのルサンチマンを掻き立てられ、「公務員バッシング」が吹き荒れた。根拠のない「政府支出が小さいほど、経済成長率が高い」との主張が信じられた。

3.総額重視の財政
○総枠締付の由来
・1つ疑問が残る。なぜ政府は増税ではなく、国民の不安を煽り、歳出削減を選んだのか。それは日本には「3つの罠」(再分配の罠、自己責任の罠、必要ギャップの罠)があり、増税が難しかったからである。※3つの罠は歳出削減を選んだ結果では。

・この疑問は歳出面からも捉えられる。日本の財政当局(大蔵省、財務省)は、従来から「総額重視の予算編成」を行ってきた。1930年代「管理通貨制度」に移行し、財政規模が膨張するが、その後の15年戦争/占領期/高度経済成長期/オイルショックを通じ、大蔵省は物価上昇の抑制に腐心した。そこで組織(※各省?)の最優先課題を予算の総額管理に置いてきた。※難解。物価上昇/最優先課題/総額管理が繋がらない。
・特に1970年代後半のオイルショック後は、「総枠締付方式」である「シーリング予算」を厳格化し、各省の予算の伸びを抑制した(※縦割り行政もあるかな)。「個別審査主義」であれば歳出構造を大きく変える事ができるが、「総枠締付方式」で総額を圧縮するのが伝統になった。

○政府の扇動と財務省の総額抑制
・総額が抑制されるようになると、既得権者同士の争いになり、「犯人探しの政治」が始まった。まずは「公共事業悪玉論」から公共投資が削減された。
・また「地方交付税により自治体の財政改善意欲がそがれている」(地方交付税によるモラルハザード論)から、2015年「経済財政諮問会議」で「自治体間のコストを比較し、単位費用を低コストの自治体に合わせる」(トップランナー方式)が提案された。これにより1.1兆円のコスト削減が可能とされた。
・公務員は特にルサンチマンの対象であった。政府の「扇動」と財務省の「総額抑制」で、対立は深刻化された。※総額重視/総枠締付/総額抑制と類似の言葉がある。

○際限のない既得権者の拡散 ※既得権者と既得権益者が混在するが、既得権者で統一
・ここ30年「犯人探し」は、「民から官へ」から「受益者全体へ」に変わった。1988年規制緩和が実施され、独占的・寡占的地位を失う企業が既得権者とされた(※地位を失って、さらに犯人にされる?)。1997年には官僚が既得権者とされた(※具体例なし)。2001年小泉政権により、政治家・官庁が既得権者とされた。2005年「郵政選挙」が行われ、郵便公社/道路公団が既得権者とされた。
・ここで見逃せないのが、「官」以外への拡散である。混合医療や医師免許が改変されないのは、「医師の既得権」として批判される。2009年になると正社員/年金受給者/生活保護受給者なども既得権者に加えられる。その後は「農業が大規模化しないのは、農地制度の既得権」として、農家も加えられる。2011年東日本大震災の復興では、「漁協の既得権」が批判される。TPP交渉では、「農協の既得権」が批判される。

・特に批判されたのが生活保護受給者だった。しかしこれは憲法の「健康で文化的な生活を営む権利」を奪うものである。ここで問題となったのが、生活保護費の生活費が、最低賃金を上回っている点だった。
・日本の保守政治は「働かざる者、食うべからず」の勤労思想から来ている。自民党は野党時代、「『手当より仕事』を基本とする生活保護」を公約とし、政権に復帰すると、生活保護基準を見直した。

4.公平性と政府支出の削減
○低位均衡の財政
・既得権者を引きずり下ろす「犯人探しの政治」を、「低位均衡の財政」と結び付けて解説する。これは「総額重視の予算編成」と深く関わっている。既得権者同士を対立させ、支出の削減を図るのだ。

・もう一つは「公平性」である。給付を低い方に合わせ、平等化する。その原型は政府管轄健康保険にある(※国民健康保険の前身かな)。この赤字に国庫負担が導入されるが、「公平性」の観点から自己負担論が起きる。勤労国家レジームは選別性・自己責任性・限定性が特徴で、社会保障制度の既得権者は細かく区分された。歳出削減のため、「公平性」から給付が引き下げられた。これが「低位均衡の財政」である。

○拡大する負担の公平
・この様に「負担の公平」は、まず医療保険に導入され、やがて社会福祉にも拡大される。近年では介護保険に適用され、在宅介護と介護施設の利用で「負担の不均衡」が是正されている。「障害者自立支援法」(2005年)においても「負担の公平」の観点から、入所施設での食費・日常費が自己負担となっている。難病対策においても、「負担の公平」が重視されている。
・医療費の窓口負担は現役世代3割に対し、後期高齢者は1割とされていたが、70歳以上は2割に引き上げられた。年金においても、世代間の不公平から、給付の引き下げが主張されている。※マクロ経済スライドかな。

○ワンセットで議論される公平性と支出削減
・同じく国立大学と私立大学の授業料の公平論があり、国立大学の授業料の引き上げが主張されている。東大などの授業料は年間54万円だが、早慶の文系で110万円/理系で150万円となっており、高所得層の授業料の引き上げが提案された。
・この提案は、同じ大学であれば受益するサービスは同じだが、負担能力に応じ負担額を変える提案であり、論理は異なる。しかしこの根底は、支出の削減で一貫している。これら全てが「低位均衡の財政」であり、増税を避けた総額重視の予算編成である。

<第3章 不幸の連鎖からの脱却-必要=共存の社会へ>
・政府は至上命令の歳出削減から、「低位均衡の財政」に邁進している。本章・次章は、これの代替案を掲示する。本章では、「財政の健全性」について考え、その上で「市場原理」(?)に対抗する「必要原理」を打ち出す。そして「成長=救済」モデルを「必要=共存」モデルに転換する重要性を論じる。次章では、これの実現可能性を論じる。

1.必要原理とは
○大きな政府=巨額の借金ではない
・多くの人は財政破綻を怖れ、「恫喝の政治」「低位均衡の財政」に屈している。一般政府支出(対GDP比)と公的債務残高(対GDP比)の関係を見ると、相関関係は見られない(※当然税収による)。しかし日本は「公務員が多い、公務員を減らせ」と訴えている。そこで公務員の割合と公的債務残高の関係を見るが、ここにも相関関係はない。逆に債務残高が大きい日本/ギリシャ/ポルトガル/スペイン/イタリアでは、公務員の割合が少ない。※ギリシャは公務員が多いのでは。そうではなくて縁故採用が多いかな。

・サライマーティンが政府規模と経済成長の関係を調べたが、この関係も見られなかった。一方でペリイは「政府規模の10%拡大は、経済成長を0.5~1%下げる」と報告している。※公共投資は経済成長に直結するけど。経済は、各国の地理/資源/歴史などの条件によるからな。
・しかし彼らは高負担と高成長率は両立できるとしている。その理由を、①高い社会的信頼が、政府の非効率を相殺する。②高負担・高福祉の国は、様々な領域で市場に任せている。※ピンとこない。自由市場を越えた規制緩和かな。

○財政を巡る2つの健全性
・政府規模と財政赤字に決定的な関係はない。日本の巨額な政府債務は、低成長による税収減/景気対策のための減税が原因である。すなわち租税抵抗が強かった事にある。
・1990年代「勤労国家レジーム」の減税/公共投資で景気対策を行うが、賃金は下落し、不況は長引き、増税に踏み切れなかった。さらに社会・経済の諸問題は解決せず、分断を生み、租税抵抗を強めた。国民は政府に失望し、「増税の前に、ムダ削減」となった。小さな政府を、さらに小さくする事で受益感は薄まり、さらに租税抵抗は強まった。※負のスパイラルだな。

・財政は2つの事を教えた。①均衡財政のため支出を削れば、租税抵抗が起きる。②社会・経済の問題を解決すれば政府は信頼され、租税調達力が高まる。①の「健全財政=支出削減」の見方には疑問が残る。医療・年金・失業対策・住宅支援を削減した事により、国民の健康状態が悪化するケースが多々あるからだ。ギリシャは経済危機で支出を削減し、感染症が拡大し、うつ病患者・自殺者が増加した。※日本は、その手前の状態なのかも。
・帳尻を合わせる事と、国民の生存を保障する事のどちらが「健全な財政」と云えるのか、固定観念を捨てて考えてもらいたい。

○国民負担率の落とし穴
・国民負担率=(税収+社会保険料)/国民所得である。しかしこれを単純に「国民の負担」とするのは間違いである。例えば育児を考えると、それは公的サービス/市場からの購入/家族などによるケアで満たされる。もし国民負担率を下げ、公的サービスを縮小すれば、国民はそれを自身で負担しなければいけない。富裕層であれば市場から購入できるが、今の社会では家族・コミュニティからの支援は期待できない。
・現実は現役世代が直接育児を負担している。そのため就労を諦めている。働かざるを得ないシングルマザーは、過度の負担に喘いでいる。つまり国民負担率の軽減は、弱者への負担の押し付けになる。※逆なんだ。四公六民とか云って、批判してはいけないな。

・社会は一定のサービスを必要とする。それを国民全体で分かち合うのか、サービスを必要とする人に負担させるのかである。米国は社会支出が対GDP比で29%もある。しかしその割合は公的20%/私的10%で私的社会支出が高くなっている。一方スウェーデンは社会支出は26%で、その割合は公的24%/私的2%となっている。米国はこれを、減税政策で可処分所得を増やす事で実現している。しかしこの政策は「自己責任の罠」を生む。この違いは、国民の人間観・社会観の違いでもある。

○効果の薄い軽減税率
・再分配には2種類ある。北欧・仏国のように支出を重視するタイプと、米国のように税(※減税?)による再分配を重視するタイプである。日本は後者で、軽減税率が注目されている。しかしこれは最悪のものだ。

・2015年「与党税制協議会」が、軽減税率の範囲・特徴などを発表した(※その内容が説明されているが省略)。しかし軽減税率に逆進性の是正効果はほとんどない。ノーベル経済学賞のJ・マーリーズは高所得層も食料費に多額のお金を使うため、是正効果は弱いとしている。
・欧州は軽減税率が導入されているが、軽減税率の税収を補うため、普通税率が高止まっている。また食料品業界以外からの反発がある。※贅沢税(酒税、たばこ税など)みたいな方法もある。
・財務省の提案した軽減税率は不評だった。マイナンバーを持ち歩くのは不便/個人情報が流出する/端末の準備が大変などである。これらは本質を外している。本質は手間がかかる割に、再分配効果が薄い事だ。

○必要原理の提唱
・私達は「3つの罠」から抜け出すため、減税などの再分配ではなく、生存・生活に不可欠の基礎的ニーズを財政が満たす「必要原理」を提唱する。これは経済成長が目的ではなく、経済成長はこの変革の結果である。※目的と結果の入れ替えだな。
・しかしここで障害になるのが「公平観」である。戦後の日本は「成長=救済」モデルを形作ってきた。そこでの「弱者救済」は、救済する者と救済される者の対立を生み、分断を生じさせた。
・分断を解消するには、社会共通のニーズである教育/医療/育児・保育/養老・介護などの現物給付を、無償化・低価格化する必要がある。これらは再分配が目的ではない、人間の必要を満たすのが目的である。※最低限の生活の拡大実現かな。

・現物給付は低所得層ほど効果がある。例えば100万円のサービスを、年収100万円の人と年収1億円の人に提供する場合を比べると明白である。これを弱者救済と考えるのではなく、「人間のニーズを満たしている」と考えるのだ。現物給付の規模と所得格差の縮小は相関関係にある。
・再分配機能を持つが、再分配が目的でないのが教育である(※教育支援?)。低所得者ほど教育への割合は増え、義務教育制度は再分配機能を持っている。しかし義務教育制度の目的は再分配ではなく、人間の教育の権利を保障するためである。高所得層に教育費を負担させる案もあるが、これは分断を招くだけである。

・「必要原理」の下では、誰がサービスを受けるべきかの議論は発生しない。米国は、この「人間のニーズ」を「市場原理」に委ねている。それは経済覇権国家なのでできる事で、日本は経済成長を前提として、機能不全に陥った。

2.子供の教育と格差
○格差が成長を阻害する
・私達は広い階層への現物給付を提案した。次に経済成長との関係を述べる。再分配政策に対し、「政府を大きくすれば、市場が圧迫され、経済成長が鈍化する」との批判がある(※基本は市場が異なるし、逆に市場の支援になるのでは)。所得格差と経済成長との関係については、夥しい研究がある。民主党政権の「ナショナルミニマム研究会」が中間報告を行い、IMF/OECDが論文を発表している。

・2つの論文は、「所得格差は中期的な経済成長に悪影響」としている。ただし2つの前提がある。①再分配前に所得格差が大きいと、積極的な再分配政策が成される。②租税負担の増加で、短期的には経済にマイナスになる。しかしここで重要なのは、マイナス成長により低所得層が教育・医療のサービスを受けられなくなる危険である。そうなると子供に影響を与え、将来の経済効率を低下させ、中長期的な経済成長の低下になる。経済格差が広がれば、投資も抑制され、経済成長も低下する。逆に言えば、格差の是正は人的資本の蓄積になり、経済成長の可能性を高める。
・IMFのオストリーは、①再分配後のジニ係数が高くなると(格差の拡大)、中期的な経済成長は低下する。②再分配後のジニ係数が高くなると、持続的な経済成長は達成できないとした。※①②は同じでは。

・またOECDの論文は、「所得格差は下位4割の人々の教育格差になっている。教育格差は社会全体の問題である」とした。また①格差是正が適切な設計で成された場合、経済成長を阻害しない、②長期的な経済成長には、就学前教育・義務教育への人的投資が必要である、②就労後も技能への投資が必要である、④公共サービス(職業訓練、保険医療など)へのアクセスの保障は、機会均等に資すると報告している。

・「中間層と低所得層との経済格差は経済成長を低下させるが、高所得層と中間層との経済格差は経済成長を促進する」との報告もあり、中間層以上での「競争社会」を肯定している。また「相対的貧困/労働市場・教育機会からの排除/乳児死亡率・自殺率が高い社会は、経済成長が抑制される」との報告もある。※SDGsだな。

○中低所得層が高所得層を救済する社会
・「格差が解消すれば、中長期的な経済成長が望める」を中高所得層がすんなり受け入れるかは分からない。保守層は「結果の平等」に批判的である。そこで「機会の平等」が勢いを増している。ところが「機会の平等」のためには経済成長による増収が必要で、その経済成長には所得格差の縮小、つまり「結果の平等」が必要である。しかし日本人は格差是正に関心がなく、「結果の平等」に抵抗がある。そのため経済成長も「機会の平等」も困難である。

・私達が格差是正を目的とせず、「必要原理」を重視する理由は、そこにある。この原理は、全ての人が安心して生活でき、生存が保障される事を目的としている。全ての人の基礎的ニーズを満たすため、段階的に進める必要がある。
・まずは「所得制限」を外し、全ての人にサービスを提供する。同時に育児・保育/医療・介護などの自己負担を、低料金化・無償化する。これらは低所得層だけでなく、中間層の受益にもなる。
・これらの財政再編により経済成長が促進される。さらに育児・保育/医療・介護/教育などの現物給付は雇用を生む。「産業連関表」によると、医療・介護は雇用創出効果が大きい。※産業連関表の数値は、よく分からない。1人を雇用すると、他に0.2人の雇用が必要になるかな。
・J・シュンペーターは中長期的な経済成長は、「内的な新結合」によって生まれるとした(※イノベーションの事?)。つまり個々で創意工夫が成され、そこでの発見・成果が結合して、経済成長が実現するとした。従って誰もが創意工夫できる社会を作る「必要原理」は、経済成長の源泉になる。

・これらを実現した次の段階が、高所得層の「人間のニーズ」を満たす事だ。相対的貧困/絶対的貧困と違い、富裕層の定義はバラバラである。「100万ドル以上の投資可能資産を保有する世帯」「1億円以上の純金融資産を保有する世帯」などがある。前者だと世帯の5%、後者だと2%になる。「年収1千万円以上の世帯」とすると、11%になる(※10世帯に1世帯が年収1千万円以上!)。従って高所得層を排除する事は、分断の強化になる。因みに年収150万円以下の世帯は、12%である。
・中低所得層の生活保障により経済成長すれば、この影響は高所得層にも及ぶ。これは「トリクルダウン効果」の反対の「エンブレース効果」である。※初耳。こちらの方が真実かも。「必要原理」はベーシックインカムに近い考えかな。

・教育に関して重要な事がある。教育制度の充実は、他者への信頼/健康/社会活動への意識を高める。OECDは、「学歴/読解力は、健康状態/ボランティア活動/他者への信頼/政治的効用感などと強い相関関係がある」とした。※学歴/読解力ではなく所得なのでは。

○教育を出発点とする財政の健全化
・「適切な制度・政策」で格差を是正すれば、経済成長する。しかしこれを妨げているのが、「財政が厳しいため、支出を増やせない」である。これについては次章でも解説する。本節では成長の原動力である教育から、この問題の解決法を解説する。

・教育での投入先は、就学前教育(保育サービス)/義務教育/高等教育/就労支援である。J・ヘックマンの研究によれば、就学前教育への投資は、所得/労働生産性/生活保護の削減効果があり、15~17%の投資収益がある。※以前にも聞いた事がある。
・別の調査でも、下位25%の家庭に幼児教育を提供する事で、投資1ドルに対し、2ドルの収益があった(※投資効果200%だな)。さらに高学歴化/犯罪率の低下/所得増により、政府支出の減少/税収増が期待される。
・上位2割・下位2割を除いた中間層が、留年者・中退者の5割を出している。この中間層に幼児教育を施す事も重要である。※中間層が幼児教育を受けていないとは断定できないが。

・人的資源への投資が財政に与える影響の報告は多々ある。「ナショナルミニマム研究会」は就労支援(職業訓練、再教育など)の効果を報告している。これによれば、18歳の若者に458万円の就職支援すると、20~65歳で税収増・支出削減で7千~1億円のメリットがあるとした。
・「世代間の所得弾性値」(親世代と子世代の所得の関係)と「ジニ係数」(所得格差)の関係を見ると、所得格差の激しい国ほど、親世代と子世代の所得の関係が強くなる(※簡潔に解釈すれば、所得格差の継承だな)。「世代間の所得弾性値」が高いのは、英国/イタリア/米国/日本である。
・北欧諸国も「世代間の所得弾性値」が高かったが、20~30年掛けて格差の継承を低下させた。具体的には公的保育サービスを充実させ、教育機会を均等にした。またこの公的保育/介護に女性を就労させ、世帯所得を改善させた。そのため専業主婦は数%しかいない。

・教育投資は未来への投資である。この普遍的なニーズに投資し、格差是正/経済成長を実現し、財政再建のための財源を生み出していくべきである。人間への投資も、立派な公共投資である。
○女性の就学と育児支援
・教育問題と女性の就労問題は密接に関係している。この関係には3つのパターンがある。米国は女性の就労と出生率の回復に成功している。米国は労働力が豊富で、また徹底した規制緩和で、女性の雇用を促進させた。ただし賃金格差は拡大した。2つ目の北欧諸国は保育・介護に女性を就労させ、雇用と出生率を改善させた。ただし公的部門に女性、私的部門に男性の性別職能分離が定着した。3つ目のドイツは、男性の所得を保障する体制を作り、不況期には早期退職させた。そのため男女間の格差は温存し、出生率も回復しなかった。※家長主義だな。日本もこれかな。

・日本も1970年代より待機児童が問題となった(※そんなに古い問題か)。しかし男性稼ぎ主・専業主婦の構造は温存された。それを支えたのが配偶者控除/第3号被保険者制度などだった。
・待機児童の問題は解決していない。さらに子供の貧困率が高い(※普通であれば親の貧困と一致する。裕福な家庭に子供は少なく、シングルマザーなどが多いからかな)、就学前教育/高等教育の私的負担が重いなどの問題がある。育児・保育サービスの充実は、喫緊の課題である。
・女性の就労が難しくなると、女性の貧困は放置され、子供の格差(※教育格差?)となり、就労格差は継承される。結果的に分断は強化される。これらは「公平性」からも許せないし、経済的に非効率である。

3・必要原理に基づく制度改革
○社会的・政治的に効率的な政策
・中長期的な経済成長に教育が重要な事を述べてきた。だが「必要原理」は、経済的だけでなく社会的・政治的な「効率性」ももたらす。公共投資は経済的ではないが、地域に雇用を生み、農業の維持に役立つ(社会的効率性)。またそれが続けられれば、政治的に効率性がある。

・ここで格差是正政策・所得再分配政策の現金給付の効率性について論じる。この現金給付の効果は、再分配の規模/低所得層へのターゲッティングなどで決まる。ターゲッティングは所得・資産額によって決まる(選別主義)。一方「必要原理」の場合は、受益者を拡大させるため「普遍主義」である。※こちらは現物給付では。
・選別主義は対象者を選別するため、経済的な効率性は高まると期待される。しかしこの選別が正しくできているかは疑問である。ここで考えられるのが現金給付を広範囲に行い、その代わり累進性を考慮した租税・保険料を課す方法である。あるいは反対に、低所得層に給付付き税額控除(?)を導入する方法もある。※どちらも所得・資産などによる選別を行っているのでは。

・いずれにしても十分な財源が必要で、「選別主義」で受益者の選別をすると「租税抵抗」が発生し、再分配の維持が困難になる。現金給付の規模と相対的貧困率は負の相関関係があり、規模が大きいほど、相対的貧困率が下がっている。経済的な効率性が高いとされる「選別主義」(規模が小さい)の国は、格差が解消されていない。
・「選別主義」を強めれば租税への抵抗が強まり、さらに規模を縮小せざるを得なくなる。結果的に格差を拡大し、経済成長を鈍化させる。受益者の選別は経済的には効率的だが、分断や租税抵抗を生み、社会的・政治的には効率的でない。

○助け合いが得になる
・給付の均一さ(世帯間のばらつき)と給付の規模の関係を見ると、相関関係がある。当然だが、均等に給付するので規模も大きくなる。しかしこれは重要で、中間層が受益者になる事で、再分配政策の維持・拡大が可能になる。たとえ削減したとしても、均一に削減する事で、分断を引き起こす事はない。日本の年金・医療は同様に、共通するリスクをシェアする制度である。これらは容易に削減されない。※マクロ経済スライドなどで削減されているけど。
・保守の人は「絆」を使い、リベラルな人は「連帯」を使う。しかしこれは同じ意味である。「絆」「連帯」は、利害を共有する社会を作り、社会的・政治的な効率性を高め、結果的に経済的な効率性を高める。これは「必要=共存」社会を作る事である。

・給付規模が大きく、失業者対策/高齢者福祉/医療政策が充実した国は、それらの政策を評価する人が多い。(※最初に「大きな政府」の国では、高福祉・高負担が支持されないとあったが)。日本人はそれに気付いていない。※北欧の話は十分知っている。政治を仕切っている政治家・経済界が、それに向かわせないだけでは。それが国民の総意かな。

○救済型再配分から共存型再配分へ
・私達の考えは、「救済型再配分」から「共存型再配分」への転換である。そのためには「成長=救済」モデルから「必要=共存」モデルへの基本理念の転換が必要になる。再分配政策を転換させるためには、弱者救済から全ての人に給付する政治的な合意が必要になる。
・現金給付による充足では基礎的ニーズを保障できない(※選別主義になるから?)。そのため教育(就学前教育、高等教育、就労支援)/養老/介護/医療などの現物給付で、中間層のニーズを充足し、負担増への合意を得るしかない。
・日本は高度経済成長による税収増で基礎的ニーズを満たしてきた。男性が働けば、家族は安心して生活できた。それが沁みついた日本人は、発想の転換ができなかった。

・これからは政策の様々な変更が必要になる。例えば就学前教育では、まずは「普遍主義」の立場で基礎的ニーズを満たし、低所得層も中間層も対等の状態にする必要がある。その後に追加的支援を行う事になる。
・ここで注意しないといけないのが、安易に対象者を選別すれば、「誰が救済に値するか」の議論が起こる事である(※再分配の罠かな)。これには断固反対すべきで、基礎的ニーズに対しては、全ての人に現物給付する決断をしなければならない。※何かこの辺り冗長的。

○民主主義への支持が、制度への信頼を高める
・給付の均一さ(世帯間のばらつき)と税収の関係を見ると、相関関係がある。当然だが、「必要原理」「普遍主義」の国は豊富な税収を確保している。反対の見方をすれば、幅広い受益が行われるため、重い負担の合意が成されている。
・日本は受益者が限定されていたため、課税に反対し、政府を信じなかったのである。格差が是正されないため、再分配政策への合意は難しく、益々格差は拡大した。
・経済格差と社会的信頼の関係は、負の相関関係がある。当然だが、格差是正に失敗すると、社会的信頼も破壊される。人間不信となった社会では、弱者に寛容になれない。当然納税にも応じなくなる。※説明がないが、社会的信頼は何から算出しているのか。

・経済格差と社会的信頼の関係を調べた研究は多くある。ただ経済格差の変動と社会的信頼の変動は、必ずしも一致しない。これを説明する研究がある。1980年デンマークと米国の社会的信頼は同じだった。しかしその後デンマークは社会的信頼を上昇させ、米国は低下させた。デンマークが上昇させた原因は、「教育の影響」と「制度への信頼」とされる。
・議会/司法/警察・公安などの「制度への信頼」は、制度改正で高められる。一方格差是正の失敗は、再分配制度への不信となる。

・「民主主義への支持」は、制度改正を後押しし、「制度への信頼」を高める。※よく分からない。制度改正の成否が、「制度への信頼」を左右するのでは。「民主主義への支持」は何だ。「政治制度への支持」「現政府への支持」かな。
・OECDは納税意識を高める要因を、第一が「民主主義への支持」、第二が「政府への信頼」とした。「税を公正に再配分していない」「税を適切に徴収していない」などの政府への不信は、納税意欲だけでなく他の政策に対する抵抗にもなる。OECDは、納税意欲と「政府への信頼」に相関関係がある事を報告している。※ここでも「民主主義への支持」が分からない。

・改革には政府/民主主義に対する支持が必要で、今の日本は重要な岐路にある。「世界価値観調査」(WVS)「国際社会意識調査」(ISSP)を見ると、日本の社会的信頼は高くない。社会的信頼を醸成する上で、基礎的ニーズを現物給付する「必要原理」は重要である。現物給付では不正受給の可能性は低い。また「普遍主義」であれば、「政府への信頼」を高める事ができる。「必要=共存」モデルへの転換は、中間層と低所得層の連携を作る。今の日本に求められるのは、これに向かっての議論であり、決断である。
※この章は冗長的だった。まあ「小さな政府」は、成熟していない社会と云えるかな。米国には広大な土地があり、それを個々が所有する事で形成された特異な国である。

<第4章 来るべき時代の胎動>
・給付を低所得層や特定の地方に選別する「再分配の罠」、自助努力と自己責任を前提とする「自己責任の罠」、世代間の対立を生む「必要ギャップの罠」。これらは「勤労国家レジーム」の負の遺産である。日本はGHQの指導の下、小さな政府を歩んできた。しかし1990年代、経済成長を前提としていたため、勤労国家レジームは機能停止する。巨額の借金を残し、分断を生んだ。減税は不可能になり、公共投資も難しくなった。しかし「成長=救済」モデルを存続させた。

・「必要原理」はこれとは別物で、人間共通のニーズに着目する「必要=共存」モデルである。中間層を受益者にする事で、「再分配の罠」を解消する。社会リスクを共有する事で、「自己責任の罠」を解消する。基礎的ニーズをバランス良く配分する事で、「必要ギャップの罠」を解消する(※この説明あったかな)。これにより経済成長/財政再建を実現する。
・この提案は、社会をドラスティックに変えるものではない。少しづつ受益者を拡大し、徐々に分断を終わらせるものだ。本章ではこの実現性を述べる。

1.民主政権の失敗に学ぶ
○危機の中で胚胎する希望
・人間は価値を共有でき、それが「絆」「連帯」であり、人間の誇りである。人間は生存の危機が訪れると、新しい関係/システムを作ってきた。
・欧州では、16世紀後半48回の戦争が、17世紀235回に増え、18世紀785回に急増した。傭兵は常備軍になり、行政機構は巨大になり、租税負担が増えた。革命が起き、議会が財政を管理するようになった。日本では藩が「御救」(※初耳)と呼ばれる救済施策を実施するが、これを各村の庄屋が実施するようになる。

・スウェーデンは19世紀終りから20世紀初頭、人口減少の危機に遭う。この時、児童手当などを始めるが、それが今の社会福祉の基礎になっている。危機により、必ず新しい秩序が生まれている。

○社会保障・税一体改革
・まず民主党政権での財政運営を見る。2009年総選挙でのマニフェストには財源が明示されず、支出増加が並べられた。結果的に自民党・公明党と協議し、消費増税を決定する。5%の増税は延期されるが、これは基幹税の純増税だった。
・日本はOECD諸国で消費税率は低いが、税負担の抵抗は強い。「社会保障・税一体改革」がユニークだったのは、増税と社会保障サービスの拡充がセットにされた事である(※それまでは増税と減税かな)。しかし①使途が決まるプロセスが分かり難い、②受益と負担がアンバランスの問題があった。

・まず5%の増税で社会保障に充てられたのは1%で、残りは借金の返済に充てられた。2014年度の3%増税(税収5兆円)で、社会保障に充てられたのは、僅か0.5兆円だった。これでは受益と負担がアンバランスである。しかも社会保障の拡充は、年金・医療・介護で高齢者に限定された。最終的(10%増税)に子育てが加えられたが、それでも子育て0.7兆円/高齢者3経費2.1兆円だった。しかもこれらは、納税者の与り知らぬ所で決定された。

○民主主義の機能不全
・増税分の8割が借金返済に使われたのは、「つなぎ国債」にある。「つなぎ国債」は年金の国庫負担を含む一般会計の国債である。それなのに増税分の大半をこれに充てた。
・社会保障に充てられなかった理由に軽減税率もある。食品の税率を5%で維持すると、2兆円の減少になる。これを越えた額を社会保障に充てられなかったと思われる。※理解できない。結果的に4.8兆円(=子育て0.7+高齢者2.1+軽減税率2)の再分配になるのでは。給付での社会福祉と、負担での軽減税率は無関係と思うが。

・私達が言いたいのは、この民主主義の機能不全である。この決定プロセスは問題と考える。ただ増税を実現した事は評価できる。また「必要原理」の観点からは、受益と負担の関係を明示した事も評価できる。この「社会保障・税一体改革」は「必要原理」への第一歩であり、基礎的ニーズと税の関係を議論する場を提供した。

○型に嵌めたがる日本人
・受益と負担のバランスを検証する上で、日本独特の「形式的平等主義」が参考になる。税収増は、子育て0.7兆円/医療・介護1.5兆円/年金0.6兆円と均等に割り振られた。これは総額重視の延長でもある。等しく増やす/減らすは、大蔵省の伝統的な思考である。※これが形式的平等主義かな。

・日本は「集落」を生業の単位とした。米作には水の確保が重要で、「水利権」を巡って集落は対立した。戦前でも集落単位で共有財産を持ち、集落単位で学校を建てた。日本はこの「分断性」が強く、集落内の行事・施設にはお金を出し合ったが、よそ者にお金を使う事は考えられなかった。
・明治になると、集落の利益は「公益性」として理解されるようになる。ある集落に道路/郵便局/公民館/農協などができれば、隣の集落にも必要になった。政友会政治や戦後の族議員政治は、利害を平等に分配する政治である。
・この「平等主義」の同質性・協調性は、集落/官僚/利益団体など様々な組織内に根付いた。1930年代、国家予算は「協調予算」として等しく削減された。戦後の総額重視予算/シーリング予算も同様である。

・この様な予算編成では、基礎的ニーズに対応した予算編成は難しくなる。納税者のニーズを満たせないので、納税への合意も難しくなる。民主党の「中期財政フレーム」「基礎的財政収支の黒字化」「コンクリートから人へ」なども、この「平等主義」を超える事はできなかった。増税自体は評価できるが、受益と負担の議論は不透明のままだった。

2.何が転換を妨げるか
○財政が厳しいから支出は難しい?
・「個別の利害が重視される分断社会」「政治的要求に総額で縛りを掛けてきた経緯」、これらを知る事は財政の問題を考える上で重要である。本節では「必要原理」「必要=共存」モデルの誤解を解く作業をする。まず「必要=共存」モデルでは広範なサービスを行うため、必然的に大きな政府になる。それを不可能とする批判である。これに私達は2つの側面から反論する。

・1つは日本人の租税抵抗にある。日本の巨額な財政赤字の原因は、過少な税収にある。本来はこちらが問われるべきである。政府の大小と政府債務の大小は無関係である。むしろ大きな政府の方が、豊富な税収を確保している。また受給を広い層にしている国は、豊富な税収を確保している。総合的に見れば、受給者を拡大し、租税抵抗を減じて行くのが財政再建への道である。対象を限定する増税や支出削減は、租税抵抗を強めるだけである。
・「必要原理」は基礎的ニーズを満たし、生活の保障/政府への信頼を高める。これにより納税への合意が得られ、財政再建も可能になる。※発想の転換が必要だな。

・もう1つの側面は「財政は破綻するのか」にある。日本は1990年代に政府債務が増大するが、これに軌を一にしたのが、日銀・金融機関の国債保有の増大である。
・1994年金利が自由化され、日銀の公定歩合が効力を失った。そのため日銀は国債買入れにより金利に影響を及ぼすようになった。これを機に、政府の国債発行残高も増大する。

・ゼロ金利政策が始まったのは、国債価格が暴落した「資金運用部ショック」(※大蔵省の対応で、国債が暴落。こんなのがあったかな)からである。量的緩和政策が始まったのは、財政投融資改革により、郵便貯金による国債買入れが限界に達した時からである。
・量的緩和政策で買入れの月額が定め、当初は4千億円だったが、1.2兆円に拡大される。量的緩和政策終了後も拡大され、黒田日銀総裁になり7兆円に達した。この日銀による買い支えにより、政府債務は増大した。金融機関も国債買入れを増やした。金融機関が投げ売りしない限り、財政破綻は起きない。※まるで中国が保有する米国債だな。

・財政危機宣言が出され20年経過したが、国債利回りは低下し続け、2000年代は2%を越えなかった。危機を煽るが、現実を冷静に観察する必要がある。「財政が厳しいので、支出削減しかない」は思考が停止している。

○重税国家の誕生?
・2つ目の批判は、「必要原理」による租税負担の増大である。この批判も問題の本質を誤解している。高福祉・高負担の北欧諸国は、日本人ほど痛税感を持っていない。それは今の日本の受益の少なさに問題があるからである。
・保育所・幼稚園0.7兆円/大学授業料3兆円/介護サービス0.7兆円/自治体の病院2兆円などの費用が毎年掛かっている。5%増税により14兆円の税収増となるが、この半分で前述の費用が補えたのである(※この費用は自己負担している?)。ところが増税分の8割が、財政再建に充てられた。

・スウェーデンはリーマンショックにより減税を行ったが、日本とは反対に、サービスの低下に国民が反発し増税に転じた。
・「社会保障・税一体改革」で、その使途が納税者に理解されないまま、8割が借金返済に使われた事は、民主主義の問題である。

○スウェーデンの物真似?
・スウェーデンは人口1千万人で、日本はそれを真似できないとする批判である。スウェーデンの社会民主主義を支えた理念が「国民の家構想」「サルトショーバーデン協定」である。スウェーデン・モデルの原型は「国民の家構想」(1928年)で、国家社会主義で世界恐慌の危機を乗り切る。
・一方日本の高橋財政(1931~36年)もケインズ主義だったが、日本は日中戦争に踏み込み、軍事経済化し、全体主義へ進んだ。敗戦すると、アングロサクソン・モデル(小さな政府)が移入され、日本の慣行と結び付き、「勤労国家レジーム」が形成された。

・スウェーデンでは労働争議が起き、政情不安に陥るが、1938年不争議が定められ、労使の協調関係が構築された(サルトショーバーデン協定)。※こんな協定があるのか。まあ日本の労組も協調的かな。
・スウェーデンの社会民主党は早い段階から労働者党を脱却し、農民も巻き込んだ国民党になっていた。その背景に「国民の家構想」があり、賃金・福利厚生の格差是正、女性の社会進出が推進された。※日本の社会民主党は存続の危機にある。

・彼らは人間のニーズに敏感で、危機に共同して乗り切る道を選んだ。日本も「必要原理」に基づき、どの様に制度化するか考えなければならない。日本は農村で、田植え/水・道路の管理/屋根の張りき替え/消防・警察/教育などの基礎的ニーズを満たしてきた。「人間のニーズを満たすのは北欧の専売特許」とするのは間違いである。私達は新しい財政モデル・社会モデルを構築する転換期にある。

○バラマキ?
・また広範囲の給付に「バラマキ」との批判もある。本来バラマキとは、借金を積み重ね利益を配る事で、族議員政治の事である。かつての農村社会をバラマキと云っただろうか。明治になり、自治体は財政規模を膨脹させたが、それは農村の共同作業を政府が吸い上げ、物理的な作業(※共同作業?)の代わりに、税を集めるようになったからだ。※良く分からない。共同作業は給付で、税は反対の負担だけど。
・この歴史的な経緯はどの国も共通で、自治体は就業前教育・義務教育/高齢者・障害者福祉/医療/警察・消防などの基礎的ニーズを、業務として提供してきた。しかし問題は、これらの業務に「所得制限」が設けられ、受益者が限定されている事にある。さらに付け加えれば、私達は低所得層にも地方税納税の義務を求めるべきだ。

・日本のように生存保障を憲法で規定する国では、所得税は累進課税となり、相続税で所得をならし、大企業・富裕層に大きな負担を求める「成長=救済」モデルになる。しかし自治体・地域社会は誰もが納税者になる事が望ましい。
・その地域社会では家族が基礎単位になる。しかしかつての「近代家族モデル」は崩壊している。北欧のように、これを国が担えば望ましいが、日本は自治体が担い、自治体が生存保障する「地域家族モデル」が望ましい。そのためには誰もが納税者になり、住民税の課税最低限の引き下げや、地方消費税の導入などが必要になる。※この節は地方自治の話になった。

・所得200万円の人にも、所得2000万円の人にも等しく20%課税する。そして等しく200万円の現物給付を行う。これにより低所得者は360万円(=200-40+200)の生活水準、高所得者は1800万円(=2000-400+200)の生活水準になる。これにより10倍あった経済格差は、5倍まで半減できる。
※今でも地方にかなりの権限があると思うが、地方分権の促進かな。ただし地方財源は相当な格差があると思う。

3.変化の胎動
○日本財政の限界を突破する
・本節では「必要=共存」モデルに向かう具体的な胎動を述べる。日本は総額重視予算になり。人間のニーズに適応できなくなった。これを突破する試みが広島県の「経営資源マネジメント」である。湯崎知事の下、不要な事業を休・廃止し、新規事業への転換を図っている。
・各局が効率性・有効性・必要性の観点から、全ての事業に優先順位を付ける。この作業は管理職の人事評価にも反映される。総務局は各局が提出した資料から、休・廃止事業案/資源配分案を作成し、各局が出席する「集中協議」で議論し、財政課がボリュームを確定する。
・この取り組みで、2015年度予算で2.5億円、2016年度予算で4億円の新規事業が組み入れられた。総額重視の予算編成や、事業の休・廃止が行われない中で、これは画期的である。民主党政権の「事業仕分け」は提案であったが、これは実行額である。「予算制度改革」は、民主主義改革の重要な論点である。

・他に、住民が予算の一部を決定する島根県智頭町の「百人委員会」や、個人市民税額(?)の一部を住民が決定する千葉県市川市の「市民が選ぶ市民活動団体支援制度」などもある。神奈川県小田原市では住民が参加し、行政サービスを発掘する試みもある。しかしこうしたニーズを市長・知事が予算に組み込んでも、議会が反発するケースが多い。

○女性の就労と少子化対策
・男女公正の就労・子育てで出生数を増やした事例がある。茨城県常陸大宮市の「博仁会」は医療・介護・リハビリを行う医療法人だ。鈴木理事長は、「出生率の高さは、育休・産休/短時間勤務/保育施設にある」とする。
・博仁会は育休・産休の取得率が100%である。また0~3歳児を持つ親に対し、夜勤の免除や、短時間勤務を許可している。さらに院内に保育所を設置している。この様に出産期・育児期・保育期の就労と子育てを支援している。※凄いな。企業内保育が進めば良いが。

・特筆すべきは出生数の高さで、全国平均/茨城県/常陸大宮市は1千人当り6~8人だが、博仁会の職員は20人前後である。医療・介護に就く若年層が多いため、この取り組みは非常に理想的である。ただし育休・産休/短時間勤務/保育施設は、経営の負担になるのは確かである。
・厚労省は「両立支援等助成金」などで支援しているが、十分とは云えない。これも基礎的ニーズを満たすのが先決で、財源はその後の決断である。

○子供の命を選別する制度
・所得制限の緩和が、乳幼児医療費の軽減・無料化する自治体(群馬県、福井県、山梨県、岐阜県、愛知県など)で見られる(※医療費は全国共通と思っていた)。一方民主党政権の「子ども手当」は所得制限を外したが、自民党・公明党との議論で所得制限が復活する。「高校無償化」もこれと同じ運命になった。
・乳幼児医療費の軽減・無料化は、なぜ進んでいるのか。それは乳幼児医療費が現物給付だからだ。高校無償化も同様である。※でも高校無償化は所得制限ありかな。まあ現金給付は貯蓄に回り、それ程有難くない。
・所得制限の内容は制度によって、バラバラである。設定が緩い制度もあれば、厳しい制度もある。乳幼児医療費/重度障害児医療費/子ども手当を一本化し所得制限をなくすのは、県民一人当たり500円/企業負担1千~4万円で実現できる。基礎的ニーズを満たすための具体的な議論は、民主主義の質を高める上で重要である。

○介護を地域にひらく
・人間には寿命があり、必ず介護・看取りが必要になる。「自宅で介護を受けたい」とする人が最も多い。しかし介護の肉体的・精神的負担から、施設への入所を余儀なくされている。さらに問題なのは、その決定が本人ではなく、家族が決定している点にある。またその決定も医師・福祉専門職の助言が大きく影響し、本人の意思は考慮されていない。

・広島県福山市のNPO法人「地域の絆」は介護事業を通じ、要介護者の「最期を選ぶ自由のなさ」を問い続けている。当施設は、「介護を地域にひらく」に取り組んでいる。具体的には地域イベントの開催、足湯・カフェでの地域住民との交流、利用者による子供への学びなどである。利用者を施設に閉じ込めるのではなく、地域と接点を持つ事を基礎的ニーズと考えている。
・当施設で注目されるのが在宅支援への取組である。認知症高齢者には「徘徊」「火の不始末」「不衛生」のリスクがある。そのため当施設の職員と利用者は近隣住宅を戸別訪問し、そのリスクを説明して回った。これによりスーパー/タクシー会社/警察などから、暖かい協力が得られるようになった。※実際に認知症高齢者に接しないと、理解できない。

・「介護を地域にひらく」は施設・職員の負担になるが、重要な価値の共有である。「必要=共有」モデルが理解されるためには、この様な価値観の共有は不可欠である。政府とサービスの利用者、さらにその間で活動する職員などに、私達がどれだけ配慮できるかが重要である。

○過疎地域で起きつつある事
・消滅が危惧される農山漁村で、共に生きるための協力が見られる。高知県大豊町は、過疎化・高齢化が進んでいる。道路の修復・草刈り/獣害対策などは本来自治体が行うが、そこでは住民が行っている。
・庵谷地区で水道を敷設する事になったが、その維持は集落に委ねられた。集落で料金を徴収し、そこに維持費が上乗せされた。※上下水道料金は公共料金と思うが、自治体毎かな。
・ここで注目されるのが、水源の所有者が、その提供を申し出た事である。本来「水利権」は対立の原因となるが、これを地区で共有している。

・近隣の土佐町石原地区でも同様の現象が起きている。ガソリンスタンド/スーパーを営業してたJAが撤退する事になった。そこで石原地区の4つの集落が共同でガソリンスタンド/生活店舗を経営する事になった。

○生存の危機が生んだ共有化c
・大豊町・土佐町で起きているのは、基礎的ニーズの「共有化」「社会化」である。この現象は多くの過疎地域で見られる。これが国家的に行われれば、「社会主義化」と云える。これは人間が危機に直面した時、社会化・共有化する事を表している。
・興味深いのは、この動きを国が後押ししている点である。農林水産省は「多面的機能支払」で、国土保全/水源涵養のための共同活動に交付金を出している。また「中山間地域直接支払」の「小規模・高齢化種落支援加算」「集落連携促進加算」は、集落連携の補助である。総務省の「地域おこし協力隊」も同様で、自治体の委嘱を受けた隊員が、3年未満の地域協力活動を行っている。

・日本は財政再建を絶対視し、再分配は貧弱になり、分断社会を生んだ。これを解決するための理念を持てない中、地方でこれを解決するための動きが起きている。過疎地域に若者、あえて言えば「よそ者」が流入し始めている。どの地域が生き残れるかは分からないが、「共」の動きが拓かれ始めた。この動きはNPO/ボランティアを通じ、都市部でも見られる。

○「選ぶ民主主義」から「創る民主主義」へ
・「公共」と云う言葉がある。これは「公」(政府)と「共」(相互扶助)が一体になり、人間の生存・生活を維持する事である。過疎地域では「公」より「共」に力点が置かれ、生存への闘いが続けられ、政府がそれを支援している。一方都市では、所得の一部を「公」にプールし、基礎的ニーズに備えている。中間層までを受給者にすれば、生活保護などの選別する救済は不要になる。NPOなどの「共」が政府をサポートするが、全ての責任を負う事はできない。「公」を明確に定義する議論が不可欠である。※これが都市部での「共」かな。

・かつては、そのままで生きていける人と、そうでない人を線引きする社会であった。これからの「縮減の時代」は、苦しみ・喜びを共有する時代になる。危機に際し、基礎的ニーズは真摯に追求され、新しい制度を生むだろう。個人的立場からポジショントークする「選ぶ民主主義」の時代は終わり、人間のニーズを満たすために創意工夫する「創る民主主義」の時代になる。
※小説みたいな話が、ずっと書かれているが省略。そう云えばコロナ禍で、スペインがベーシックインカムの導入を決めたらしい。

<終章 縮減の世紀>
○利害共有の2つの形
・本書は「人間のための理論」を作るのを目的とした。人間が「社会」を作るためには、生活・生存のために共通の目的を持ち、「利害」を調整しなければならない。しかし今の日本は個人がバラバラになり対立し、敵対する社会になっている。今必要なのは「利害」と「価値」の共有である。

・利害の共有には2通りある。1つは「必要」で、もう1つは「欲望」である。江戸時代の村落は、生存・生活に必要なものを共同で満たした。これにより村落の秩序は維持された。

・欧州では16世紀、市場経済が拡大する。18世紀後半産業革命が起き、「欲望」が支配するようになった。食料・教育・水・衛生管理など、全てのモノが商品になった。生存・生活に必要なモノも商品になった。共同行為は個人の経済行為に代わった。社会の目的は富の拡大に変わった。共同体は存在意義を失い、人々は仕事を求め、都市へ向かった。
・しかし市場経済は、病気・怪我・障害などで働けなくなる新たな問題を生んだ。17世紀の度重なる戦争で、生存の危機が問題になった(※時代が一旦後退)。村落共同体による秩序から、新たな共同体「社会」が必要になった。

・また市場経済は、議会制民主主義を発展させた。かつて人々は村落共同体の「寄合い」などに参加していたが、労働者になると、それが不可能になった。人のエネルギーは私的な生活に向けられ、政治と経済が分離した。
・議会制度が定着し、徴税制度が整えられ、政府は歳入・歳出を管理するようになり、公債も発行するようになった。人々は税を払い、心身の健康を得た。富の増大を目的とする「経済の時代」になり、生存・生活の保障(基礎的ニーズ)は財政で賄われた。しかしその経済成長が前提の「経済の時代」は終わろうとしている。欲望を通して基礎的ニーズを満たすのは難しくなった。

・「必要原理」は近世への先祖返りではない。巨大になった財政を欲望ではなく、基礎的ニーズにと云う必要に応じて利害を共有する理論である。これは国から地方へ下降する現象であり、人間の「共同性」を回復する理論である。※無理に地方に限定する必要はない。

○価値共有の不可能化
・「利害」とは別に、「価値・理念」も共有する方法が2つある。基礎的ニーズが中心の秩序では、共同意識や共通の価値観が醸成される(有機的連携)。一方欲望が中心の秩序では、専門的知識・技能を持つ「見知らぬ人達」の相互依存が強まる(機械的連携)。欲望の拡大/市場経済化は「見知らぬ人達」の相互依存を強めるが、村落のような生存・生活共同体での価値の共有は難しくなる。※この共有も「必要」と「欲望」の2種類だな。しかし外人(デュルケム)の思想は難解だ。

・しかし20世紀は危機と成長の世紀で、この価値の共有の難しさから逃れる事ができた。大恐慌により、スウェーデンは高福祉・高負担モデルを作った。米国は社会福祉法を作った。さらに第2次世界大戦の危機により、人々は生存・生活の価値を共有した。
・大恐慌以前は「金本位制」で通貨の発行量がコントロールされた。その後通貨発行量が自由な「管理通貨制度」に移行し、財政は巨大化した。大恐慌/戦争の危機は、「福祉国家の理念」の合意を容易にした。

・しかし「福祉国家の理念」の共有が成される一方で、「個人化」も進展した。年金・医療・家族手当が充実する一方で、家族・血縁関係は解体した。また労働者の権利意識は高まるが、集団的な労使交渉は衰退し、個人化した。都市部への人口移動は進み、地域も個人化した。グローバル化は、この家族・労働・地域の個人化を後押しした。
・女性の社会進出による自立、雇用の非正規化による分断、個別的労使交渉、青年団・消防団・老人クラブ・婦人会などの衰退など、様々な面で個人化が進んだ。これにより社会的価値の共有は難しくなった。※要するに「20世紀後半は、危機が来なかったので荒廃した」かな。この辺の社会の変遷だけで一冊の本になる。

○必要原理に基づく財政
・日本は歴史的な財政赤字により利害調整が難しくなった。「勤労国家レジーム」は破綻し、成長を前提とする利害調整は困難になった。理念・価値を共有する社会を復活させる事は可能だろうが、欲望により共同体は崩壊し、個人化により再分配の理念・価値を共有する事も難しくなった。これは戦後の歴史的に異例の経済成長が原因である。
・「利害」「理念・価値」の共有が難しくなり、それを繋ぎ留めるのが、愛国心や倫理・道徳になっている。これが近年の欧州での右傾化に表れている。

・利害や理念・価値を共有するには、「他者から認められている」「平等に扱われている」などの承認要求の実感が必要である。この要求を満たすには、2つの方法がある。1つは、愛国心や倫理・道徳などの「一君万民」的な思想である。もう1つは、共同体の中で構成員が基礎的ニーズを発見し、共同で負担・分配する理念である。※何か戦前の全体主義と社会主義だな。

・前者は同質性が高いので、不当な扱いは受けない。だが人間の主体的・能動的・自律的な選択はできない。※簡単に言えば、自由がないかな。
・一方後者は基礎的ニーズの発見において、主体的・能動的・自律的な判断・決定が可能である(※民主的かな)。所得・性別・年齢などを越えて利益が分配される事で、承認要求が満たされ、この理念は共有されるだろう。さらに利害が共有される事で、正の循環を生むだろう。

・私達は格差是正や公正に鈍感な社会を作ってしまった。それが租税抵抗を生み、財政を制約した。これを解決するには、「必要原理」に基づき利害を共有して、社会の「共同性」を回復するしかない。
・人間は基礎的ニーズを満たす社会を作り続けてきた。その原点に還るべきである。この個人化が進んだ社会を、「必要原理」で回復する必要がある。「縮減の世紀」を前に、家族的にも社会的にも、利害や理念・価値の共有を回復させる必要がある。今は日本人の真価が問われる決断の時である。※抽象的な事が多く書かれているので簡略化。

<あとがき>
・日本人は「同質性」を重視する国民のため、些細な違いが対立になる。こうしてネガティブ・リストが作られ、息苦しい社会になった。しかしこれを国民性で割り切ってはいけない。財政の歩みを見ると、粘り強い交渉で成せた改革や、議論が纏まらず頓挫した改革もある。
・私達は財政や分断を取り上げた。分断は、制度/政策の経緯/国民の心理/政治家の行動などによってもたらされた(※最後になって随分拡大したな)。これらが結合した結果が今の分断である。私達はその改革案を掲示した。※「後は皆さまの努力次第である」かな。

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