『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』矢部宏冶(2017年)を読書。
日本を対米従属とする本は何冊も読んだが、これほど具体的なのは初めて。米軍従属の全体像を理解できる。
日本はずっと米軍に占領された状態とし、その起点を朝鮮戦争としている。
後半の「日本国憲法の起源は、大西洋憲章」「安保体制の起源は、旧安保条約の原案」などの話も面白い。
文章も読み易い。
お勧め度:☆☆☆(米軍従属の概要を理解できる)
内容:☆☆☆
キーワード:<はじめに>極秘マニュアル、ウラの掟、戦後日本、<日本の空は米軍に支配されている>横田空域、岩国空域、嘉手納空域、低空飛行訓練ルート、航空法、<日本の国土は米軍の治外法権下>高江、ヘリパッド、ベトナム村、低空飛行訓練ルート、オスプレイ、治外法権、<日本に国境はない>旧安保条約/行政協定/日米合同委員会、イラク米国地位協定、冷戦、<国のトップは、米軍+官僚>日米合同委員会、半主権国家、対米従属、鳩山首相、<国家は密約と裏マニュアルで運営される>裁判権/基地権、旧安保条約/行政協定、密約、公式、裏マニュアル、ジラード事件、<政府は憲法に縛られない>適用除外、砂川裁判、最高裁長官、法治国家崩壊、<重要な文書は、まず英語で作成する>降伏、天皇、日本国憲法、大西洋憲章/連合国共同宣言/ダンバートン・オークス提案/国連憲章、憲法9条、国連軍、丸山眞男、<自衛隊は米軍の指揮下で戦う>指揮権密約、吉田首相、朝鮮戦争、吉田アチソン交換公文、旧安保条約、再軍備/海外派兵、安保関連法、<米国は国ではなく国連>旧安保条約、集団的自衛権/個別的自衛権、6・23メモ/6・30メモ、ジョン・フォスター・ダレス、国際法、国連憲章/国連軍、サンフランシスコ・システム
<はじめに>
○事実か特大の妄想か
・私(著者)は「妄想はいい加減にしろ」と批判されますが、これらは事実です。田原総一朗のラジオに出演し、批判されましたが、東京は沖縄と並び米軍支配の激しい地域です。米国が基地を「日本のどこにでも作れる」のも事実です。これは外務省が作った「高級官僚向け極秘マニュアル」に書かれています。
○北方領土問題が解決できない理由
・極秘マニュアルに「北方領土の返還交渉で、『返還される島に米軍基地を置かない』と約束をしてはいけない」とあります。そのため首相や担当部局が素晴らしい条約案を作っても、外務省主流派が潰します。これが2016年11月安倍首相とプーチン大統領で行われた北方領土交渉が決裂した原因です。
○日本に存在する「ウラの掟」
・日本には、米軍と日本のエリート官僚が結んだ「ウラの掟」(密約)が沢山あります。これらの9つの「ウラの掟」を若い方に知ってもらいたいので、本書を書きました。「戦後日本」を考えざるを得ない日が、いずれ来ます。
<第1章 日本の空は米軍に支配されている>
○エリート官僚も分かっていない横田空域
・首都圏の上空に「横田空域」があります。日本の航空機はこの巨大な空域を避けて飛行します。これは常識として知って欲しい問題です。しかしこの巨大な空域を、エリート官僚も分かっていないのです。これでは日本は独立国と云えません。
○世田谷区・中野区・杉並区の上空も横田空域
・この空域は福生市にある米軍横田基地を中心とし、最も高い所で7千メートルに達する空域で、世田谷区・杉並区・練馬区・武蔵野市も含まれます(※日本海にまで達している方が驚いた)。この上空で米軍は自由に軍事演習でき、当然日本政府の許可は要りません。
・またこの空域でオスプレイが墜落しても、事故の原因などは公表されません。これは40年前、横浜市緑区に墜落したファントム機墜落事件を見ても明らかです。
○岩国空域
・日本にはこうした空域が、他に2つあります。「岩国空域」「嘉手納空域」です。岩国空域は山口県・島根県・広島県・愛媛県に及びます。松山空港はこの空域にあり、米軍岩国基地の管制官の指示に従います。また大分空港もこの空域の制限を受けています。
・2016年オバマ大統領が広島を訪問した時、大統領専用機「エアフォース・ワン」で岩国基地に入り、「マリーン・ワン」で原爆ドームに向かっています。米国大統領は日本の上空を自由に移動できます。
○国内法の根拠がない
・この巨大な空域に関し、国内法の根拠がないのです。これは沖縄の「嘉手納空域」を見れば分かります。
○嘉手納空域と沖縄の現実
・嘉手納空域は半径90Km/高度6Kmの円柱で、沖縄本島を完全に飲み込んでいます。この姿が、日本の姿と云えます。
○空域は2010年に返還された
・この空域は2010年に返還されていますが、那覇空港に着陸する航空機は、30Km以上手前から高度300メートルで飛行します。それは米軍機の離発着を妨害しないためです。
○米軍が沖縄の空を支配し続けている
・この空域は返還されましたが、嘉手納飛行場/普天間飛行場の上空は米軍が航空管制しています。残る那覇空港の管制所には米側管制官(退役軍人)が常駐し、管制業務を行っています。
○新たな米軍専用空域が設定された
・この空域は返還されましたが、同時にほぼ沖縄本島を覆う新たな「米軍専用空域」(長さ108Km×幅36Km×高度600~1800m)が設定されたのです。
○「その周辺」の意味
・1960年岸首相により日米安保条約が改定され、日本上空の管制権も日本に返還されます。しかし「米軍基地と『その周辺』は例外とする」の密約があったのです。それが横田空域/岩国空域です。
○本土でも、上空は全て支配されている
・実は横田空域/岩国空域だけでなく、日本の上空は全て支配されています。日本上空には複数の「低空飛行訓練ルート」が設定され、年間1500回以上の軍事演習が行われています。そして米軍は軍事演習に合わせ、自由に「臨時専用空域」を設定しています。これは「米軍には優先的に管制権を与える」との密約があるからです。
○危険な飛行も合法
・この「空の米軍支配」は法律に書かれています。1952年に成立した「航空法特例法」に「米軍機・国連軍機には、航空法第6章の規定を適用しない」とあります。この航空法第6章は、離着陸する場所/飛行禁止区域/最低高度/制限速度/飛行計画の通報と承認です。従って米軍機は、日本上空でどんな危険な飛行をしても合法なのです。
<第2章 日本の国土は米軍の治外法権下>
・首都の上空が他国の軍隊に支配されているのに、なぜ問題にならないのでしょうか。不思議です。しかし米軍に支配されているのは空だけではないのです。
○沖縄の集落で起きている事
・鳩山首相が普天間基地の移設問題で失脚し、辺野古は有名になりました。一方「高江」は御存じでしょうか。高江は沖縄本島の北にある集落で、米軍の「北部訓練場」に囲まれています。
・2016年この北部訓練場の半分以上が返還されました。米軍は何かを返還する場合、新たに「権限の強化」「訓練機能の強化」などを求めます。例えば普天間基地を返還する代わりに、巨大な辺野古の建設を要求しています。この高江では、オスプレイのヘリパッドを要求しています。
○基地返還のトリック
・4千ヘクタールの土地を返還する代わり、返還されない敷地内に6つのヘリパッドを建設する計画です。これには2つのトリックがあります。1つは、オスプレイ用のヘリパッドは普通のヘリパッドより数倍大きい。そしてもう一つは、6つのヘリパッドが人口140人の高江を取り囲むように作られる事です。米軍の公式文書に「使用できない51%の土地を返還し、効率的な訓練を可能にする」と書かれています。さらに敷地内の海岸沿いに、上陸訓練用の区域も作ります。
○信じ難い現実
・さらにこの件がおかしいのは、ヘリパッドの建設計画が住民側に全く説明されていないのです。
・航空法では、「航空機は人口密集地では300メートル上空/人口密集地以外では150メートル上空を飛ぶ」となっています。しかし米軍にこれは適用されず、最低高度60メートル以下での訓練も行われています。
・さらに問題なのはヘリパッドは集落を囲むように配置され、集落を標的にした訓練が行われているのです。※地図で見ると、近いけど、囲まれてはいない。
○ベトナム村
・ベトナム戦争時代、高江にはベトナムでのゲリラ戦を訓練する施設「ベトナム村」がありました。そしてそこで、高江の人々がベトコンとして駆り出されたのです。
○米軍の軍事演習は日本全土で行われている
・沖縄だけでなく、本土の6つの「低空飛行訓練ルート」(ピンクルート/グリーンルート⦅東北⦆、ブルールート⦅北陸⦆、オレンジルート⦅四国⦆、イエロールート⦅九州⦆、パープルルート⦅沖縄⦆)でもオスプレイの訓練が行われています。米軍は、ずっと以前から対地攻撃の訓練を日本中で行っています。
○オスプレイの高い事故率
・オスプレイは爆撃はできませんが、戦術的な戦闘輸送機です。しかしオスプレイは他の航空機に比べ、41倍の事故率となっています。アフガニスタンの実戦では、90時間に1度事故を起こしています。
・2012年オスプレイが普天間基地に24機配備されますが、その後全国で飛行訓練を行っています。2020年にはより危険とされる空軍仕様のオスプレイが横田基地に10機配備されます。
○日本全土を飛び回るオスプレイ
・2016年オスプレイが沖縄の浅瀬に墜落します。夜間における空中給油訓練での事故ですが、確かな情報は伝えられていません。
○首都圏で墜落事件が起きると
・2020年オスプレイが横田基地に配備されます。首都圏で墜落事件が起きると、どうなるのでしょうか。過去の事故を見ると、黄色のテープが張られ、日本人は入れなくなり、事故の物証も全て米軍が持ち去ります。
○密約が持つ破壊力
・「治外法権」は他国に住みながら、その国の法律で裁かれない権利です。大使館/外交官などに与えられます。しかし米軍の墜落事故を見ると、日本は米軍に対し、全土で治外法権を与えています(※軍人か軍属かで問題になったな)。これは「日米合同委員会」で、「日本は、所在地を問わず、米軍の財産を捜査・差し押さえ・検証できない」となっているからです。
○全土が治外法権
・これも「ウラの掟」の1つです。「所在地を問わない」となっており、大使館/米軍基地に限らず、日本全土が治外法権下にあるのです。こんな国は日本しかありません。
<第3章 日本に国境はない>
・私は「戦後日本」のおかしさを、7年間研究してきました(※たった7年で、こんなに見えるの!)。それを8冊の本(※書名省略)にし、今この本を書いています。その成果を一言で表すと、「旧安保条約の第1条を読んで下さい」となります。
・第1章では「航空法の適用除外」、第2章では「治外法権を正当化する日米合同委員会での密約」を紹介しました。条文は大きな現象を、明快に説明しています。※抽象的。
○旧安保条約の第1条
・1951年9月「旧安保条約」は平和条約と共に調印され、翌年発効します。その旧安保条約の第1条は「米軍を日本国内およびその周辺に配備する権利を、日本は認める」と書かれています。
○米軍を配備する権利
・条約には「基地を置く権利」ではなく「米軍を配備する権利」と書かれています。独立国家の場合、外国の軍隊を駐留させるのは異常です。駐留させるのであれば、多くの制限をもうけるのが常識ですが、この日本の状態は、非常に危険です。
・フィリピンは1947年「米比軍事基地協定」を結んでいます。これには米軍基地は23ヵ所と明記されています。一方日本はどこでも米軍が配備できます。
○三重構造の安保法体系
・安保法体系は三重構造になっており、その頂点が旧安保条約です。その第1条が先のもので、米軍は基地だけでなく、軍事行動も自由に行えます。
・次のページに、旧安保条約/行政協定(地位協定)/日米合同委員会の三重構造を示しています。※少し説明すると、旧安保条約には「配備は行政協定で決める」とあり、行政協定には「具体的な協議は日米合同委員会で決める」とあり、さらに「日米合同委員会の決定は、原則公表しない」「日米合同委員会の決定は、国会の承認を必要としない」とある。これが全てを語っている気がする。
○国境がない日本
・旧安保条約の第1条には、「日本国内およびその周辺」とある。これから横田空域の意味が分かる。首都圏には、横田/座間/厚木/横須賀などの米軍基地があり、米軍は日本国内を自由に行き来している。要するに国境がない。従って「米軍は日本の国境を越えて軍事行動できる」。※難解。「その周辺」とは、日本国外を云っているのか?米軍基地を云っているのか?
○憲法9条が見逃しているもの
・日本の異常に気付いたのは、2003年イラク戦争後の「イラク米国地位協定」によります。イラクは1ヵ月で占領されたにもかかわらず、地位協定を110ヵ所も訂正させています。その1つが「イランに駐留する米軍は、周辺国を攻撃できない」とする条文を加えさせています。これは重要なポイントで、イラクの外交官に敬意を表します。
・日本の憲法9条にノーベル平和賞を与える話があります。その一方で日本は、米軍に他国を攻撃する権利を与えています。※何か日本は米国の中にある仮想国だな。ベトナム戦争でも米軍機が日本から飛び立ち、日本は参戦したとされている。
○安保条約に在日米軍の概念はない
・安保条約/地位協定に、在日米軍の概念はありません。簡単に説明すると、米軍とは「基地に駐留する米軍」「一時的に立ち寄った米軍」「日本の領海・領空を通過する米軍」など全てが含まれる。すなわち日本の防衛には全く関係なく、全ての米軍が特権を与えられ、日本を自由に利用できます。
○小田実の視点
・小田実は、この「国境のない日本」を以前から「米軍にとって、日本は基地であり、韓国は前線です。米国政府も同じ認識です」と書いています。
○国内およびその周辺とは
・実は「国内およびその周辺に配備する権利」の記述は日本だけでなく、「米韓相互防衛条約」(1953年)「米華相互防衛条約」(1954年)にも同じ記述があります。
○アジアに残る冷戦構造
・日本・韓国・台湾はソ連・中国に隣接し、米軍が自由に軍事行動できる地域でなければならないのです。冷戦が終結しても、日本・韓国にその特権が残されています。
<第4章 国のトップは、米軍+官僚>
・読者は横田空域/日米合同委員会に関心を持つようです。「日本のエリート官僚と米軍人が秘密会議を行い、そこで決まった事が国会・憲法に優越する」と聞くと、皆驚きます。
○米軍のリモコン装置
・吉田敏浩に云わせると、「日米合同委員会は、占領期の特権を米軍が持ち続けるためのリモコン装置」です。前ページに日米合同委員会の組織を記載しています(※大変詳しい。軍事などに関係する30以上の分科会で構成される。分科会の日本側代表には、防衛省/外務省/法務省/総務省/財務省/経産省/国交省/環境省などの高級官僚が就いている。ネットで同じものを検索できた)。この頂点の会議は、日本のエリート官僚6人/米軍人6人/米国公使が出席し、隔週で開かれています。
○日米合同委員会に激怒した公使
・米国側の出席者である駐日公使が、何度か日米合同委員会を批判しています。大使・公使が相手国と交渉し、それを軍人に伝えるのが普通で、これが「シビリアン・コントロール」(文民統制)です。過去にスナイダー駐日公使が「これは占領期に米軍と日本の官僚が決めていた関係を残す異常なもの」と批判しています。※さすがに外交官は異常に思うだろうな。
○半主権国家
・日本独立の2年前、米軍は日本独立に反対していました。そこで独立を認めるが、「米軍の地位を変えない、半平和条約を結ぶ」あるいは「政治・経済は正常化するが、軍事面は占領体制を継続する」を条件としたのです。
・そのため日本は米軍の地位が変わらず、軍事面での占領体制が継続され、半主権国家となっているのです。そして日米合同委員会で合意された内容は、国会の承認を必要とせず、公開もされません。
○対米従属
・「対米従属」は政治・経済にも見られます(※日米構造協議があった)。しかし軍事の対米従属は「法的に正常化された上での対米従属」であり、「法的に継続されている対米従属」です。よって正しくは「米国への従属」ではなく「米軍への従属」です。
○切っ掛けは鳩山辞任
・2010年6月鳩山政権が崩壊します。前年の総選挙で308議席を獲得し政権交代したのに、僅か9ヵ月で普天間基地問題により退陣します。※現実を知らなかったので「勉強不足」と発言したのかな。
○翌日の裏切り
・私は鳩山元首相と何度か対談しています。2010年4月首相は徳之島への移設で、外務省・防衛省のそれぞれ2人と秘密会合を行っています。しかしその翌日の夕刊にその内容が報道され、彼は官僚が忠誠を誓っていない事を知ります。
○正にブラックボックス
・日米合同委員会は、占領期からの米軍の特権を維持していくための調整機関で、密室で行われるため正にブラックボックスです。公開された議事録には「太平洋軍司令官が決めた事なので、日本政府の承認は必要ない」などの発言もあります。
○官僚が忠誠を誓う相手
・日米合同委員会には、外務省北米局長/法務省大臣官房長などが出席しています。法務省大臣官房長は、その後多くが検事総長に就きます。現在は「砂川裁判の最高裁判決」にあったように、最高裁は機能していません(第6章で詳述)。従って日本の法的権力は、検事総長を出す日米合同委員会が握っています。要するに官僚が忠誠を誓っている相手は、首相ではなく「米軍+官僚」の共同体です。※闇の政府だな。今問題の黒川氏もこの出世街道を歩みそう。
<第5章 国家は密約と裏マニュアルで運営される>
・米軍の占領期の特権は、①裁判権-米軍関係者が日本の法で裁かれない、②基地権-米軍が日本の国土を自由に使えるです。
○なぜ米兵の犯罪はモメる?
・米兵による犯罪がモメるのは、日米間の取り決め(新安保条約+地位協定)と現実にズレがあるからです。実際は改定前の取り決め(旧安保条約+行政協定)と密約によって進められます。そのため誰もスッキリ説明できないのです。
○逮捕したら、米軍に引き渡せ
・裁判権/基地権は「改定前の取り決め」にも書かれています。まず裁判権を見ますが、行政協定には「犯罪者を逮捕できるが、直ぐに米軍に引き渡す事」とあります。これが今も生きています。
○密約の方程式
・1953年NATO地位協定が発効し、それに合わせ日本の行政協定も改定されます。「米軍による犯罪の裁判権は米軍が持つ」が、「米兵の公務中の犯罪は米軍が裁判権を持つが、公務外の犯罪は日本が持つ」と改定されます。
・しかし現実は裁判の大半を米軍が行っています。それは「密約」があるからです。「古い取り決め=新しい見かけの良い取り決め+密約」となっているのです。
○裁判権放棄密約と身柄引き渡し密約
・行政協定が改定されましたが、日米合同委員会の秘密協議により、2つの密約が作られます。①裁判権放棄密約-日本は著しく重要な事件以外は、裁判権を行使しない。②身柄引き渡し密約-公務中か否か分からない場合、容疑者を米軍に引き渡す。この密約により、「元の条文=改定された条文+裁判権放棄密約+身柄拘束引き渡し密約」となったのです。
・裁判権放棄密約の「重要か否か」、身柄拘束引き渡し密約の「公務中か否か」は、米軍優位の日米合同委員会で決まります。「報道ステーション」で外務省の担当者が、この密約の存在を肯定しています。
○基地権についての極秘報告書
・一方基地権については、多数の密約が存在します。まず1957年在日米軍基地の実態を調査し、駐日大使館から国務省へ送られた極秘報告書を見ます。それには以下が書かれています(抜粋)。
行政協定では占領期の特権が保護されている。
日本政府に相談なく、軍事行動できる。※自由な軍事演習だな。
新しい基地の条件や現存する基地の存続も、米軍が決められる。※普天間移設とかだな。
諜報員が自由に活動を行っている。
米軍の部隊・装備・家族などは、日本に連絡する事なく、自由に出入りできる。※核持ち込みもかな。
軍事行動が自由に行われている。
○基地権密約の公式
・この報告書から3年後、岸首相により「対等な日米関係」の掛け声で、安保条約が改定されます。しかし「基地に関しては実質変更しない」との密約があったのです。
・この密約を、長崎放送の記者であった新原昭治が発見します。それには「安保を改定する時は『地位協定』に名前を変え、条文も変えるが、その内容は基本的に変更しない」とあります。そのため「行政協定=地位協定+密約」となり、これが「公式」になったのです。
○密約製造マシーン
・地位協定と共に生まれた日米合同委員会は、無数の密約を作ったため、「密約製造マシーン」と呼ばれます。その起源は「基地権密約」に始まります。
・ジャーナリスト末浪靖司は機密解除された米国の公文書を分析し、当時の外務大臣・藤山一郎と駐日大使マッカーサー(マッカーサー元帥の甥)との間で、この合意を明らかにしています。マッカーサーは、「岸首相と藤山外相は、かなりの改定を考えているが、私が圧力を掛けた事で、私達の見解を理解している」と秘密公電に送っています。
○地位協定=行政協定+密約
・読者は「地位協定=行政協定+密約」の公式を覚えて下さい(※さっきと逆?前の方が正しいと思う)。両協定の落差は、密約が埋めています。
○3つの裏マニュアル
・戦後日本は、独立後も安保改定後も米軍が自由に駐留し、治外法権を得ています。この膨大な矛盾を隠すため、3つの「裏マニュアル」を作っています。①最高裁の「部外秘資料」(1952年)、②検察の「実務資料」(1972年)、③外務省の「日米地位協定の考え方」(1973年)です(※正式名称は省略)。①②は裁判権(治外法権)に関する裏マニュアルです。③は裁判権・基地権に関する裏マニュアルです。これらには日米合同委員会で合意された重要なポイント(非公開を含む)が書かれ、担当者向けの裏マニュアルです。
○殺人を無罪にする連係プレー
・実際にどのように進められたかを、「ジラード事件」(1957年)で見ます。これは基地に侵入した農婦を、米兵が遊び半分で射殺した事件です。日米合同委員会により、「検察は殺人罪ではなく、障害致死罪で起訴する」「検察は裁判所に判決を軽くするように勧告する」と決まります。これにより検察は、懲役5年を求刑します。前橋地方裁判所は、さらに軽い「懲役3年、執行猶予4年」の判決を下します。それに検察も控訴しませんでした。これは完全な連係プレーです。
○米軍関係者の犯罪は、法務大臣が指揮する
・検察の「実務資料」には、「米軍関係者の犯罪は、法務大臣の指揮を受ける」となっています。法務大臣の指揮と云えば、1954年「造船疑獄事件」で自由党の幹事長・佐藤栄作が逮捕を逃れ、これが「司法制度の崩壊」と騒がれ、吉田内閣は退陣します。米軍関係者の犯罪については、この事件の前年に「部外秘の通達」が出されています。国内に対しては1度しか発動されず、それが内閣退陣をもたらしましたが、米軍関係者に対しては常に発動されているのです。
・「法務大臣の指揮」と云っても、実際に指揮するのは検事総長です。その検事総長の多くは、元法務省大臣官房長で日米合同委員会の頂点のメンバーです。
※今法務省の定年延長が問題になっているが、黒川氏は法務省大臣官房長/法務省事務次官などに就いている。
<第6章 政府は憲法に縛られない>
○一番驚いた事
・私は2010年鳩山政権の崩壊を切っ掛けに、基地問題を調べ始めました。その9ヵ月後に「福島原発事故」が起きます。そんな時、宜野湾市市長の「米軍機は米軍住宅の上では低空飛行しない」の発言に驚きます。
・一瞬良く分かりませんでした。沖縄で取材していると、米軍機は頻繁に低空飛行します。実は米国の法律では、人間だけでなく野生動物/遺跡なども守られます。それらに影響がある時は、訓練自体が中止されます。沖縄でもヘリパッドの建設が、珍鳥ノグチゲラにより中止になりました。※辺野古移設でもサンゴの問題があった。
○米国の法律を守っているだけ
・それは米国の環境関連法が優れており、人間だけでなく動植物/遺跡なども守っているからです。※阿武山で水害があった時、自衛隊の大型ヘリコプターは太田川上を航行していた。
○憲法が機能していない
・そこで思い出したのが「航空法特例法」の「米軍には航空法第6章の規定を適用しない」です。立派な航空法があっても適用されず、要するに人権を守る憲法が機能していないのです。
○人権が守られている人間と、そうでない人間
・沖縄には人権が守られている人間(米軍関係者)とそうでない人間(日本人)がいて、東日本にも人権が守られている人間(東京都民)とそうでない人間(福島県民)がいるのです。この差別を正当化しているのが「航空法特例法」なのです。
・福島に関して調べて見ると、やはりありました。「大気汚染防止法」に「放射性物質による大気汚染・防止は適用しない」、「土壌汚染防止法」にも「特定有害物資に放射性物質は含めない」、「水質汚濁防止法」にも「放射性物質による水質汚濁・防止は適用しない」とあります。つまり日本は様々な分野で、人権侵害を合法的に「適用除外」しているのです。
○問題の核心
・私達は、これらの「適用除外条項」を追求・解明し、憲法の本来の目的を回復させなければいけません。これを新原昭治/末浪靖司/吉田敏浩と共に書いたのが『検証・法治国家崩壊』です。
・当書は「砂川裁判」をテーマにしています。1959年3月立川米軍基地の拡張工事で、東京地裁が「米軍の駐留は、軍事力を待たないとする憲法9条に違反する」と判決します(伊達判決)。これに対し米国が、日本政府/最高裁に圧力を掛けたのです。
○高裁を飛ばし最高裁に上告せよ
・当時は翌年1月の安保改定の交渉中で、地裁の判決が出た翌朝、マッカーサー大使は藤山外務大臣を呼び出し、「高裁を飛ばし、最高裁に上告せよ」と要求します。
○駐日大使と最高裁長官が密会
・彼は藤山外務大臣に「上告しろ」と要求し、さらに最高裁長官・田中耕太郎に接触し、裁判の日程・判決を調整しています。そこで最高裁長官は「世論を動揺させないため、全員一致にしたい」と述べています。※大使が国務長官に送った極秘電文が記されているが省略。
○司法における最大の汚点
・砂川裁判は駐留米軍の違法性が問われたので、大使はその当事者です。それなのに最高裁長官は大使と接触し、予想判決日/予想判決内容/審議の方針を漏洩しているのです。これは日本の司法における最大の汚点です。これで民主主義と云えるのでしょうか。田中氏は東京大学法学部長/文部大臣を務めた人物です。そんな人物が「司法崩壊」を起こしたのです。
○安保条約は憲法より上位
・前章は「ジラード事件」での、検察/地裁の連係プレーを見ました。本章の「砂川事件」では、それが首相/大臣/最高裁長官までにスケールアップしたのです。
・1959年12月最高裁で15人全員一致で「駐留米軍は違憲でない」とし、東京地裁に差し戻します。これにより「安保条約が憲法の上位にある」事が確定したのです。大使と最高裁長官との秘密会議で、最高裁長官は「裁判官の何人かは、安保条約が憲法より優位にあるかに取り組もうとしている」と述べています。
○日本版統治行為論
・この判決の骨子は、「安保条約のような重大で高度な政治性を持つ問題は、最高裁で憲法判断しない」です(日本版統治行為論)。この結果、法の順位は「憲法-安保条約-国内法」から「(憲法)-安保条約-国内法」となったのです。
○日本は法治国家崩壊
・その後私達は、基地問題/原発問題などの「政府の違法行為」「国民への人権侵害」で抵抗する手段を失いました。それは憲法判断しないのは安保条約だけでなく、「安保条約のように重大で高度な政治性を持つ問題」だからです。そしてその判断は、その時の政権に委ねられたのです。そのため政府が腹を括れば、何でもできるようになりました。
・日本版統治行為論により、米軍関係者だけでなく、日本のエリート官僚も法的コントロールの枠外になったのです。憲法より上位の米軍の影に隠れていれば、やりたい事は何でもでき、逮捕される事もなくなりました。この「砂川事件」を機に、日本は「法治国家崩壊」となりました。※砂川裁判の概要を知れて良かった。
<第7章 重要な文書は、まず英語で作成する>
・読者が、これまでに書いてきた事に関心を持った切っ掛けは、孫崎亨『戦後史の正体』と思います。彼はそれで「日本で第2次世界大戦が終わったのは、いつですか」と問うています。実は1945年8月15日を「終戦記念日」とするのは、世界の常識から外れています。世界では8月15日に意味はありません。世界で意味があるのは、「降伏文書」に調印した9月2日だけです。彼はこの事から「日本人は『降伏』と云う厳しい状況から目を逸らしている」と述べています。※終戦に意味はなく、降伏に意味がある。まあそうだな。
○自分達の都合に良い主観的な歴史
・私も「降伏文書」「ポツダム宣言」を読んでいなかったので、世界的な観点から見る事にしました。実はミズーリ号で昭和天皇に降伏文書にサインさせるオプションがあったのです。
○天皇による降伏の表明
・1945年2月時点、天皇自身による以下の宣言が用意されていました。「私は無条件降伏を宣言する。軍は敵対行為を中止し、連合国軍に従うよう命令する。私は全ての権力・権限を連合軍に委ねる」。※確かに調印時に、これが宣言されていたら、インパクトがある。
○天皇を使えば、多くの命が救える
・もしこの宣言がなされていたら、日本人は「降伏」から目を逸らす事はできなかったでしょう。しかしアトリー英国首相の提案で、政府と軍部の代表による降伏文書の署名で終わったのです。つまり「天皇を使えば、軍の武装解除が上手くいく」と考えたからです。
○意図的に隠された天皇
・9月2日ミズーリ号では、外務大臣・重光葵と陸軍参謀総長・梅津美治郎が署名します。8月21日には、先述の宣言文が修正され、「布告文」として天皇に届けられます。天皇はこれに署名し、調印式に提出し、表明(?)しています。この「米国が英語で文書を作り、天皇がお墨付き(?)を与え、国民に布告する」が、その後のパターンになります。
○米国国務省の冷静な視点
・私は、なぜ重光と梅津なのか不思議でした。そこで天皇の「大権」は政府と軍部、別々にあるので、2人が必要と考えました(※明治憲法は全て縦割りで、その頂点に天皇がいた)。しかし調べていると意外な事が分かりました。米国は、「降伏文書に天皇が署名し、さらに軍のトップ(梅津)に署名させる」と考えていたのです。これは正しい考えで、統帥権は天皇にあるが、実際は軍(大本営)が指揮を執っていたからです(※海軍は、なぜ出てこないんだろう。大陸に残っているのは陸軍だからかな)。米国国務省は現実を正確に把握し、天皇を平和のシンボルとして利用する事にしたのです。
○人間宣言
・この降伏文書の調印から、1952年4月独立までの間、天皇自らが文書を作成し、発表する事はなくなります(※まあ占領期だからな)。この熟慮された占領/戦争/外交が、米国の根本にあります。※突進するだけの日本とは、桁違いだろうね。
・1946年1月1日「人間宣言」が出されます。これも原案は米国(GHQ)が作成しています。これも米国による天皇制の長い研究が基礎になっています。
○まず天皇に宣言させ、それを国民に受け入れさせる
・天皇を使った800万人の武装解除は順調に進みます。マッカーサー元帥は天皇の有用性を実感します。そのため1946年5月から始まる東京裁判で、天皇が裁かれないようにする必要がありました。それが「人間宣言」で、国際的にも評価されます。※何か結論が早いな。
・次に考えたのが、天皇に「戦争放棄」を宣言させる事でした。「人間宣言」と同時に「戦争放棄」を宣言させる事も検討されましたが、次の「日本国憲法」の草案の作成に向かいます。
○絵本のような歴史
・英語で書かれた文書で最も重要なのが日本国憲法です。機能停止となった憲法ですが、その成立過程を見るのは重要です。
・まず「日本国憲法の草案は、占領軍により書かれた」を受け入れてもらう必要があります。誰がどの条文を、誰と相談して書いたかまで明確なのです。そこに日本人は出てきません。草案作成の9ヵ月後、GHQは「自分達が書いた事に対する批判」を一切禁止します。※当時の日本に、あの先進的・民主的な憲法が書けるはずない。
○憲法9条のルーツ
・「憲法9条」を議論するには、「ポツダム宣言」「降伏文書」などのルーツを知らないといけません。しかし日本人はそれをやっていません。その代表が「戦後最高の知識人」丸山眞男です。これに就いては後述します。
○戦後の世界を決めた大西洋憲章
・日本国憲法は「国連憲章」と強い関連があるとされます。詳しくは『日本はなぜ、「原発」と「基地」を止められないのか』を読んで下さい。
・まず1941年8月フランクリン・ルーズベルト大統領とチャーチル首相との間で「①大西洋憲章」が結ばれます。これには「米英が理想とする戦後世界」が規定されていました。1942年1月1日これにソ連/中国など26ヵ国が加わり、「②連合国共同宣言」が発せられます(※初耳)。そして連合国の勝利が確実になった1944年10月、国連憲章の基となる「③ダンバートン・オークス提案」が、米英ソ中により作られます(※これも初耳。この前年にカイロ会談/テヘラン会談が行われている)。そして1945年4~6月サンフランシスコで50ヵ国が会議し、「④国連憲章」が作られ、10月「国際連合」が誕生します。
・まず主要国で基本文書を作り、加盟国を増やし、大きな組織を作るのです。非常に優れた進め方です。今の「領土不拡大」「民族自決」などの原則は「大西洋憲章」が起源です。※日本の独立はポツダム宣言にあると思っていたが、大西洋憲章にその起源があるのか。
・以下に「大西洋憲章」を記します(※概略)。
①両国(米英、※以下省略)は、領土の拡大を求めない。
②当事国(?)の領土の変更を望まない。
③全ての民族の政治体制の選択を尊重する。※資本主義でも社会主義でもだな。
④全ての国が商取引/原料の確保で平等である。※自由貿易だな。
⑤各国での労働条件/経済発展/社会保障の確保に協力する。※基本的人権の保障だな。
⑥全ての国民が恐怖・欠乏から解放され、平和に生きる事を望む。
⑦平和のため、航行の自由を望む。
⑧全ての国は武力の行使(侵略)を放棄する。平和維持のため安全保障制度を確立する。軍備の負担を軽減するため協力する。※国連/国連軍だな。
○大西洋憲章の第8項
・憲法9条には、❶「平和に対する夢」(戦争放棄)、❷「敗戦国への懲罰」(武装解除)が規定されています。❶は「光」、❷は「闇」です。
・これは大西洋憲章の第8項(⑧)にルーツがあります。第8項には❶に相当する「両国は、全ての人が現実的・精神的な理由から、武力の行使をが放棄される事を信じる」と、❷に相当する「もし軍事力が侵略的に使われるなら、平和は維持されない。そのため安全保障制度が確立されるまで、その様な国を武装解除する」が書かれています。
○憲法9条は国連軍が前提
・大西洋憲章は3年後、米英ソ中により「ダンバートン・オークス提案」として具体化され、「安全保障は国連軍が行い、4ヵ国以外は交戦権を持たない」となります(※常任理事国だな)。憲法9条は、これが前提で作られています。
○実現しなかった国連軍
・ダンバートン・オークス提案で想定された「国連軍」は、その後編成される事はありませんでした。「国連憲章」では「集団的自衛権」などの例外条項が加わり、「戦後世界」となります。※もう少し説明が欲しい。国連軍は常任理事国だけで編成する想定だった?
・1946年2月マッカーサーの指示で日本国憲法の草案作りが始まります。その3原則の1つが、「日本の防衛は、今動かしつつある世界の理想に委ねる」です。この様に憲法9条は国連軍を前提に書かれています。しかし日本には「幣原首相の絶対平和主義が書かせた」とする系譜があります。
○丸山眞男の憲法9条論
・「戦後最高の知識人」である丸山眞男は、この4段階論を理解していなかったようです。憲法前文には「日本国民は・・、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。彼は「これを日本人がよく誤解するのは、日本人がピープル/ネイション/ステイトの区別ができないから」とし、「日本国民は平和愛好諸国の成員として実証していく」「特定の他国に日本の安全と生存を委ねる事ではない」としています。※哲学者が述べている事は、理解できない事が多い。
○「平和を愛する諸国民」とは
・これは初歩的な間違いです。「平和を愛する諸国民」とは日本国民ではなく、「第2次世界大戦で勝利した連合国の国民」を指します。これは大西洋憲章の第8項にも登場します。「他国に侵略的な行為をする国」は枢軸国で、「平和を愛する諸国」は連合国です。
・また憲法前文の「我々は、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」は、大西洋憲章の第6項の「全ての国民が恐怖と欠乏から解放され、その生命が全うできるような平和が確立される事を望む」のコピーなのです。彼はこの辺りを知らなかったのです。
○調べた事と頭で思った事
・これらから憲法前文は「日本は、第2次世界大戦で勝利した連合国の集団安全保障体制に入り、これを前提に憲法9条で軍事力・交戦権を放棄した」と解釈されます。彼は思った事を書いただけです。
○丸山教団と日本の知識人の倒錯
・彼は「憲法前文と9条の連関を考察するには、理念の思想史的な背景を遡らなくてはいけない」とし、「サンピエール/カント/ガンジーに至る恒久的平和・非暴力思想の問題であり、日本の近代思想史においても、横井小楠/植木枝盛/・・の流れがあり、・・」とあり、最後には「今日の報告では省かせて頂きます」で肩透かしで終わっています。※笑うな。単に知識のひけらかしかな。
○新しい時代を始めるのに必要な事
・彼は多くの思想家の名前を挙げていますが、それは自分の意見を権威付けるためです。そしてその意見が「憲法9条は日本人が自主的に書いた」とする「絵本のような歴史」なのです。
・彼の論文で評価できるのは、米国国務省での勤務経験がある日本文学者の次の言葉を、そのまま残している点です。「彼が述べている軍国主義よりも、『丸山教団』や日本知識人の軍国主義に興味を覚える」。その日本文学者は「彼の議論は全く通用しない」としています。私達は彼のように「頭で思った事」ではなく、「調べた事」で議論しましょう。
<第8章 自衛隊は米軍の指揮下で戦う>
・ここまでは私が4年で調べた事です。最大の問題は「サンフランシスコ平和条約」が普通の条約ではない事です。政治・経済に関しては占領状態を終わらせていますが、軍事に関してはそのまま継続されており、「戦後日本」は半主権国家になったのです。
・多くの方の研究で、この「対米従属」を論理的に説明できるようになりました。しかしなぜ日本だけが、こうなったのでしょうか。※地政学かな。
○密約の歴史
・出版社から、「密約の歴史について書いてくれ」と依頼があり、調べていくと、新たな事が分かりました。第4章で裁判権密約/基地権密約を解説しましたが、さらに「指揮権密約」があったのです。指揮権密約を一言で云うと、「自衛隊は米軍の指揮下で戦う」です。これは36年前、古関彰一により発表されています。1952年7月/1954年2月、吉田首相と米軍司令官が口頭で密約しています。
○指揮権密約の成立
・次ページに載せたのは、1952年7月マーク・クラーク大将が総合参謀本部に送った機密報告書です。彼は吉田首相/岡崎外務大臣を夕食に招き、「有事の場合、日本の軍隊(当時は警察予備隊)は米軍の指揮下に入る」ように要請しています。これに吉田首相は「同意するが、国民への衝撃を考えると、秘密にすべきだ」と答えています。独立して3ヵ月後に、指揮権密約が成立したのです。
○徹底的に隠された
・この指揮権密約が60年以上続いているのです。そのわずか5年前に制定された憲法9条は、戦争も軍隊も放棄しており、当然公表できなかったのです。
・最初の密約の3ヵ月後(1952年10月)、警察予備隊は保安隊に格上げされます。その2年後(1954年2月)、吉田首相とジョン・ハル大将が2度目の密約を結び、同年7月「保安隊」は「自衛隊」に格上げされ、日本の再軍備は完了します。
・1981年雑誌『朝日ジャーナル』に指揮権密約を発表した古関氏は、編集部から「そんな誰でも知っている事を書いてどうするんだ」と言われたそうです。余りにもシニカルな問題は、受け流すしかなかったのでしょうか。しかしこの「指揮権密約」の事実が分かった事で、日米関係の全体像を理解する事ができました。
○全ては朝鮮戦争から始まる
・この詳しい経緯を『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』に書いたので、そちらを読んで下さい。これに関し重大な事が2つあります。1つは「なぜ日本だけが、こんなにひどい状況なのか」です。それは「朝鮮戦争」にあります。朝鮮戦争は戦後世界を決めた大戦争です。特に「戦後日本」には大きな影響を及ぼしています。日本独立の前後3年(1950~53年)にあった戦争で、安保条約・行政条約に大きな影響を及ぼしています。
○危機に陥った米軍
・朝鮮戦争は1950年6月に始まり、一旦米軍は釜山周辺に追い詰められます。しかし同年9月の仁川上陸作戦により、中国国境近くまで押し返します。しかし中国軍が参戦し、38度線で均衡します。
○様々な戦争支援
・占領状態の日本は米軍に協力しています。機雷を除去するための掃海艇の派遣、警察予備隊(7万5千人)の創設、軍事物資の輸送、武器の調達などを支援しています。それらによる「朝鮮特需」で経済は潤います。
○吉田アチソン交換公文
・1951年9月8日平和条約/旧安保条約が結ばれますが、同時に密約として交わされたのが「吉田アチソン交換公文」です(アチソンは国務長官)。これは米軍の駐留/米軍への軍事支援を継続させるもので、ポツダム宣言/国連憲章に違反するものです。
・この原文には「国連軍が朝鮮で軍事行動を続けていた場合、日本は以前と同様に支援する」と書かれています。国連軍となっていますが、実質は米軍です。またその後「朝鮮」は外され、地域は限定されなくなります。※集団的自衛権は、既に密約として存在するのか。
○「占領体制の継続」ではなく、「戦争協力体制の継続」
・日本の状況が酷いのは、「占領下の占領体制の継続」ではなく、「占領下の戦争協力体制の継続」だったからです。朝鮮戦争の時、海上保安庁の船が沈没し、死者を出しています。これは事実上の「参戦」です。この源流が1952年7月に交わされた指揮権密約です。
○米軍が書いた旧安保条約
・また需要なのは、旧安保条約・行政協定は米軍が書いています。そのため首都圏上空を米軍が支配し、米兵を裁判する事ができないのです。米軍が書いた旧安保条約の原案(1950年10月27日)を見ると、その本質がよく分かります。
○対米従属の正体
・その「第14条日本軍」が、「戦後日本」の全てを予言しています。①この協定が有効な間、日本は軍を創設しない。ただし米国政府の助言・同意がある場合は認める。②戦争の脅威が発生した場合、米軍司令部の判断で、日本の軍隊は最高司令官の指揮下に置かれる(※指揮権だな)。③日本軍が創設された場合、日本軍は国外で戦闘行動できない。ただし最高司令官の指揮は例外とする。日本の軍隊は最初から米軍に従属していたのです。
○予言されていた2つの憲法破壊
・この3つの条文で、「戦後日本」の全てが予言されています。②は指揮権で、1952年7月吉田首相とクラーク大将の「指揮権密約」のルーツです。この指揮権は交渉において何度も持ち出されますが、正式な条文にはなりませんでした。そして①③は、その後の「憲法破壊」を予言しています。
○憲法9条2項の破壊
・①の前半は、「旧安保条約が有効な間、日本は軍を創設しない」となっています。これは憲法9条2項と同じ内容です。この原案が作られたのは1950年10月で、朝鮮戦争が始まって6ヵ月後です。そのため、これに例外条件を設け、「再軍備」に向かうレールを持たせたのです。※この条文が残っているなら、憲法と矛盾するのでは。
・この原案が作られる前の8月に「警察予備隊」が創設されています。これは米軍基地を守るための警察と説明されました。この創設に深く関わったフランク・コワルスキー大佐は、「警察予備隊は我々が計画し実施した。これは我々の作品だ」と述べています。この警察予備隊は1952年「保安隊」になり、1954年「自衛隊」に格上げされます。
○憲法9条1項の破壊
・③は「日本は国外で戦闘行動できない。ただし・・」となっています。これが2015年になって安倍政権によって憲法破壊される出発点です。憲法9条1項は「国際紛争を解決する手段としての戦争を、永久に放棄する」です。これは③の前半と一致しています。当時、韓国・中国・台湾・フィリピン・オーストラリアなどは日本を警戒しており、当然の配慮です。しかし③の後半に例外条件が記されており、2015年安倍政権により憲法破壊されます。※これも憲法と矛盾するのでは。
○自衛隊・米軍基地は合憲、海外派兵は違憲
・憲法9条2項(戦力不保持)の破壊は占領終了から2年でなされたのに、9条1項(戦争放棄)は60年以上掛っています。これは日本人が必至で抵抗してきたからです。
・「戦後日本」には3つの勢力が議席を持ってきました。①自民党右派(安保賛成、改憲)、②自民党リベラル派(安保賛成、護憲)、③社会党など(安保反対、護憲)。②の勢力が「保守本流」で、「自衛隊・米軍基地(安保体制)は合憲、海外派兵は違憲」との解釈がされてきたのです。
○現実化する悪夢
・この憲法解釈は非論理的ですが、②③の勢力が海外派兵を違憲とした事で、米軍指揮下で海外で戦争する事はなかったのです。しかし2015年「安保関連法」の制定により、9条1項(海外派兵の禁止)が解かれ、朝鮮戦争時に米軍が理想とした「自衛隊は米軍の指揮下で、世界で戦闘行動する軍隊」となったのです。
<第9章 米国は国ではなく国連>
○米軍原案の基地権条項
・指揮権密約を調べていくと、そのルーツが米軍が作った旧安保条約の原案(1950年10月)である事が分かります。では基地権は原案に、どの様に書かれているのでしょうか。「第2条 軍事行動権」には以下とあります。
①「日本全土が軍事上の潜在的地域である」-これが「全土基地方式」で、日本全土が基地となり得、また軍事行動も可能なのです。
②「米軍司令官は軍の戦略的配備を行う無制限の権限を持つ」-この①②が旧安保条約の第1条「米国は日本国内、およびその周辺で米軍を配備する権利を持つ」の基になっています。
③「軍の配備は日本政府と協議するが、戦争の危険がある場合は例外とする」-核の配備のように、協議するが合意が必要とは書かれていません。もっとも「戦争の危険がある場合は例外」となっています。
④「平時では、日本政府に通告し、軍事演習を行う」-米軍は一方的な通告だけで、軍事演習できます。これがオスプレイの低空飛行訓練の正体です。
○戦後を貫く方程式
・この様に旧安保条約には、指揮権・基地権の本質が書かれています。これに第5章で解説した「密約の方程式」が組み合わされています。「古い取り決め=新しい見かけの良い取り決め+密約」です。これを具体的に示すと、「旧安保条約の原案=戦後の様々な条約・協定+密約」となります。
・戦後日本の歴史は、この旧安保条約の原案が実現される過程です。そして2015年、海外派兵を明文化した「安保関連法」が成立したのです。これが悲しい現実です。現状を打開するためには、この全体像を知る必要があります。
○米国は安保条約で集団的自衛権を拒否していた
・1951年1月旧安保条約の交渉が始まりますが、この時「集団的自衛権」を望んだのは日本でした。※軍を持たないのに集団的自衛権を要望?警察予備隊はあったか。
○NATOと日米同盟の違い
・表(米軍が結んだ9つの安全保障条約)にあるように、米国の安全保障条約で集団的自衛権を結んだのは、「リオ条約」(中南米19ヵ国)/「NATO」(欧州12ヵ国)の2つに限ります。他の「米比相互防衛条約」(フィリピン)/「ANZUS同盟」(オーストラリア、ニュージーランド)/「米韓相互防衛条約」/「米華相互防衛条約」(台湾)/「SEATO」(英国、仏国、パキスタン、タイなど)/「新日米安全保障条約」では個別的自衛権に限定しています。NATOなどの条文には「集団的自衛権」が明記されていますが、他の条約では「自国の憲法に従って、共通の敵に対処する」とあり、「個別的自衛権」に限定しています。※それは米国の負担が大きいから?
○日米両国の本当の関係
・安倍首相は「集団的自衛権を行使できれば、日米関係は対等になる」と考えているのでしょう。しかしこれは誤解です。指揮権密約にあるように、日本が軍事力を増強し、海外に派兵されても、軍は米軍司令官の指揮下にあります。それなのに2015年日米安全保障条約と関係ない集団的自衛権が、米軍の圧力で強行採決されたのです。※米軍の圧力なんだ。
○日本全土が米軍の潜在的基地
・それでは本当の日米関係は何なのでしょうか。これも旧安保条約の原案を見ると分かります。以下は1950年6月(原案の4ヵ月前、※開戦直後だな)に書かれた条文です。
①日本全土を米軍の潜在的基地とみなす。
②米軍司令官は日本全土で軍を配備する無制限の権限を持つ。
③日本人の感情を考慮し、米軍の配備は日本の首相と協議する条項を設ける。ただし戦争の危険がある場合は例外とする。
・この内容は原案と一緒しています。そして驚く事に、これを書いたのが、基地設置に反対していたマッカーサーなのです。記録ではこれを、朝鮮戦争が起こる2日前(6月23日)に、書いています(6・23メモ、※後述あり)。
○マッカーサーの迷い
・どんな国にも重大な瞬間があります。日本の場合は、「朝鮮戦争」が起こった1950年6月25日です。マッカーサーは「領土不拡大」から、5年に及んだ占領を早く終わらせたいと考えていました。しかし軍部は占領終結に絶対反対でした。それは前年10月に中国が誕生し、当年2月に中国とソ連と軍事同盟を結んでいたからです。マッカーサーは憲法9条で「戦力放棄」させていましたが、そうは言えない状況でした。
○朝鮮戦争を逆手に取ったダレス
・その状況で朝鮮戦争が起こったのです。この状況なら独立など、とんでもないのですが、それを日米安全保障体制に結び付けたのが、ジョン・フォスター・ダレスです。その時使われたのが、先ほどの「6・23メモ」です。
・ダレスは軍部に「6・23メモ」を見せ、「マッカーサー元帥は日本を独立させるが、日本の全土を基地として使わせるなど、日本を戦争に全面的に協力させると言っている」と伝えます。この説得に軍部も同意し、以下の基本方針を下に対日平和条約が開始されます。
①米国は日本のどこにでも、必要な分だけ軍隊を配備できる。
②軍事上の問題は平和条約から切り離し、2ヵ国協定を結ぶ。その原案は国務省・国防省が作成する。
○6・23メモの謎 ※余談かな。
・このダレスの手腕には恐れ入ります。しかし彼は開戦1週間前に38度線を視察し、「朝鮮半島に異常なし」と報告するなど、開戦を全く予想していませんでした。それなのに、なぜマッカーサーは開戦前に「6・23メモ」を書けたのでしょうか。実は「6・23メモ」は、6月29日の報告書の4番目の添付資料なのです。従って実際は以下の経緯だたっと考えられます。6月25日朝鮮戦争開戦。翌日マッカーサーとダレスが会談(実際にしている)。そこで「6・23メモ」が作成される。そして6月30日ダレスが「6・23メモ」を解説する重大な「6・30メモ」を書いています。
○米国の最大の武器
・米国の公文書を読んで、いつも感じるのは、「戦後は法的支配の歴史」です。米国は大統領・官僚・将軍、全てが「法的正当性」を議論します。彼らは「国際法」の下で、自分達に都合の良い政策を、如何に強要できるかを常に考えます。彼らは24時間銃を突きつけるより、「国際法-条約-国内法」の法体系が最大な武器である事を知っています。※法治主義かな。
○国連憲章の43条・106条
・マッカーサーも権力の源泉を軍事力ではなく、13ヵ条の「ポツダム宣言」と考えていました。そのため「領土不拡大」から占領を続ける事はできません。一方米軍は日本から撤退する事に絶対反対です。そこでダレスが考えたのが、国連憲章の43条・106条を使って、米軍基地を存続させる方法でした。
○ダレスの使ったトリック
・国連憲章の43条は国連軍の規定です。これは加盟国が国連安保理と「特別協定」を結び、兵力・基地などで戦争協力する条文です。一方106条は国連軍ができるまで、常任理事国が国連軍を代行する「暫定条項」です。結局国連軍が創設されないため、この条項はそのまま存続しています。※朝鮮戦争/湾岸戦争/ユーゴスラビア紛争などがあったが、正式な国連軍は存在しないのかな。
・ダレスはこの条文を利用したのです。43条は「加盟国が国連安保理と特別協定を結び、国連軍に基地を提供する」となっています。彼はこれを、「日本が国連を代表する米国と日米安保条約を結び、米軍に基地を提供する」とし、マッカーサーを納得させたのです。これにより日本では「国連軍=米軍」となったのです。また43条は加盟国に便益だけでなく、兵力・援助も義務付けており、日本も同様となります。※日本の運命は、1950年6月25日に決まったんだな。
○6・30メモ
・1950年6月30日ダレスは22日/26日のマッカーサーとの会談を、アチソン国務長官に報告しています。
6月22日私はマッカーサーに、「米軍の駐留は、国際社会の平和と安全の枠組みで行われるべきで、国連憲章43条の適用が望ましい」と伝えた。そして以下のメモを渡した。「①日本と平和条約を結ぶ。②日本を国連に参加させる。③国連に加盟すれば43条により、国連軍に便益が提供される。④しかしまだ特別協定を結べないので、106条の暫定措置として常任理事国(米国)が代行する」。そして「この特別協定の代わりが、米国との間で結ばれる日米安保条約」と伝えた。
6月26日の会談でマッカーサーから同意が得られた。※実際は26日しか会談していない。
○謎を解く旅の終わり
・この「6・30メモ」を発見した事で、全ての謎が解けました。これは以下の流れだったのです。1950年6月30日、朝鮮戦争開戦直後にダレスがマッカーサーを説得(6・30メモ)→1950年10月27日米軍が安保条約の原案を作成→1951年以降、表の日米安保条約・行政協定+密約。
・ダレスが考案した戦争協力体制が今も生き続けているのです。従って「戦後レジーム」は正確ではなく、「朝鮮戦争レジーム」が正しいのです。日本はこれに「No」と言わない限り、着実に国内法として整備・強化されます。※そんな機会はなかったのだろうか。まあ北朝鮮/韓国/日本は東のバルト3国かな。
○無責任な軍国主義を支持する日本
・日本は「戦後レジーム」ではなく、「朝鮮戦争レジーム」だったのです。「占領体制」の継続ではなく、それよりも悪い「占領下の戦時体制」「占領下の戦争協力体制」の継続だったのです。
・私は戦後史で2つの疑問を持っていました。なぜ頭脳明晰な先人が「憲法に触れるな」と言うのか、そしてなぜ憲法草案が米軍により執筆された事を、「その話はするな」と言うのか。それはこれに抵抗すると、米軍の世界戦略に自衛隊が使われる恐れがあるからです。
・しかし冷戦は30年前に終わり、ロシア/中国は米国よりも自制的に振る舞っています。米国は「平和の配当」を世界に還元せず、突出した軍事力で軍事介入を繰り返しています。ポツダム宣言では「無責任な軍国主義を駆逐するまで」となっていましたが、日本が独立すると、米国はその対象を共産主義国に切り替え、アジア全域に居座り、日本はそれを支持し続けています。むしろ「無責任な軍国主義」は、この中にあるのではないでしょうか。
○世界史的な対立
・マッカーサーと米軍の対立は、「集団安全保障構想」と「従来型の軍事同盟(東西冷戦構造)」の対立です。朝鮮戦争の開戦で集団安全保障構想は消え去り、米軍が世界中で軍事同盟を張り巡らす構造になりました。特に日本は、ダレスのトリックに完敗し、米軍従属になりました。これが「サンフランシスコ・システム」です。米国は自ら作った国連憲章を破壊し、「世界の単独支配者」となる「狂人の夢」を持ったのです。※今の米中対立を見ると、正しくそうだな。
○日本と世界のためにできる事
・私は次の事実に驚きました。ブッシュ政権のライス国務長官でさえ、米軍の現状に疑問を持っていたのです。彼女は「太平洋軍司令官は、外交政策と軍事政策の境界を曖昧にする。最悪の場合は、両方を破壊する。これは誰が太平洋軍司令官に就いても同じだった」と述べています。つまり彼女は、米軍による日本支配を理解できなかったのです。
・私達がすべき事は、国内の既得権益層(安保村、※?)を退場させ、米国の大統領や国務長官に「この違法な条約・協定を改正させてほしい」と主張する事です。※問題は表の条約・協定ではなく、密約の存在では?
○サンフランシスコ・システムの法的構造
※国連憲章/サンフランシスコ平和条約などが図解されているが省略。
○あとがき
・「理念」より「社会の安定」を重んじる立場を「保守」と呼びます。私はそれを支持しますが、もしその社会が見せかけだけで、末端で悲劇が起こっているのなら、その社会は混乱に陥るでしょう。沖縄の人が「小指の痛みを、体全体の痛みとして感じて欲しい」と言っていました。体の一部の痛みを感じなくなった動物が、真面に生きられるでしょうか。沖縄が生み出したこの輝く言葉に、日本の再生を期待します。
・本書は鳩山内閣崩壊後の7年間の調査を、簡単に纏めています。これを終えた感想は「日米の軍事関係は深かったが、分かって見ると、意外と単純だった」です。後は簡単ではないかもしれませんが、米国と交渉するだけです。後必要なのは、他国のケーススタディです。①従属関係にあった国が、どうやって不平等条約を解消したか、②米国の軍事支配を受けていた国が、どうやって脱却したか、③自国の独裁政権を、どうやって倒したかなどです。これを調べるには時間が掛ります。
○追記)なぜ9条3項の加憲案はダメか
・本書を書き上げた後の2017年5月3日、安倍首相が自衛隊を明記する「加憲案」を提起します。しかし「ウラの掟」があるのに、「表の条文」だけを変える事が、いかに危険か明白です。
・米軍は「表の条文」に書かれていない、①日本を自由に軍事利用できる権利(基地権、第1・2・3・5章)、②自衛隊を自由に指揮できる権利(指揮権、第8・9章)を密約によって持っています。そしてそれを支えているのが、③日米合同委員会(第4章)、④最高裁(砂川判決、第6章)のアンタッチャブルな機関です。この①~④を放置し、自衛隊を容認すると、その先にあるのは「米軍による日本の軍事利用」(第9章)です。
・では日本は、どうすれば良いのでしょうか。日本が主権を持ち、憲法によって人権が守られ、本当の平和国家になるには、どうすれば良いのでしょうか。それは全ての人がポジショントークを止め、遠く離れた場所(沖縄、福島、自衛隊)で矛盾に苦しむ人の声を聞き、あくまでも事実に基づいて議論する事(第7章)です。
※何か凄い本だった。今までの本の選択方法が間違っていたのかな。ここ1ヵ月選択場所を変え、5・6冊読んだが、何れも素晴らしい本だった。