『国民の9割が知らない、日本の「今」と「これから」』鈴木敦(2018年)を読書。
日常生活から感じた様々な感想が記されている。
主なテーマは、民主主義/社会/日常/自然/教育/人生/旅行/反戦などである。
各節の長さが一定で短いので、日記の編集と考えられる。そのため内容の重複・類似が見られ、また概念的・抽象的でもある。
しかし書かれている事は繊細で、素晴らしと思う。ただ年配者向けかも。
お勧め度:☆☆
内容:☆☆
キーワード:<接ぎ木の民主主義>国民主権、権利/義務、基本的人権、教育、勤労、社会/連帯感、ヘイトスピーチ、沖縄/国の強さ、選挙権、議論、<社会を見つめる>社会と個人、労働、資本、平和ボケ、3だけ主義、ネット情報、一生懸命、納税、識字、三猿、争義不争利、地消地産、フード・ロス、所有、利益・効率追求、豊かさ/快適さ、集団、モノ消費・コト消費、移民・難民、<今を生きる自分>ワンオペ育児、時間、話/言葉、読書/音読、日本語、洋画、ボールペン、新聞スクラップ、<感謝の日常>梅の木、愛犬、スズメ、冷蔵庫、ピアノ、草花、眺望、移住、畑、英会話、人生、夢、無財の七施、<教育を見つめる>英文日記、学び、テレビ、自立、反抗期、居場所、共生、逆境指数・対人交渉力、卒業、子育て、読書、<来し方を振り返り、この先を思う>母、冬、ラジオ体操、夏バテ、ピロリ菌、腰痛・膝痛、風邪・インフルエンザ、認知症カフェ、上高地、北欧旅行、<反戦を思う>東京裁判、ひめゆり隊、建物疎開、満蒙開拓団、戦艦武蔵、牛の鼻とり、核廃絶、今村均、憲法9条、目覚め
<第1章 接ぎ木の民主主義>
○接ぎ木の民主主義①
・日本の民主主義は接ぎ木である。明治では「欧米に追い付け、追い越せ」で富国強兵路線が取られた。大日本帝国憲法が支柱で、教育勅語が国民の在り方を説いた。国民は統治の対象で、そこに人権はなかった。これは封建社会の継承で、「お上」意識の象徴である。
・太平洋戦争に敗れ、民主主義が接ぎ木される。これは理想的な事だったが、国民に国民主権の意識は根付いていない。生存権/財産権は良いとして、知る権利(自由権)や働く権利はどうだろうか。ブラック企業/過労死/過重な残業が実態である。
・制度が変わっても、人々の意識は変わらない。米国では奴隷解放宣言が出されたが、黒人差別は続き、その100年後に公民権法が成立する。それから半世紀経つが、黒人差別は続いている。
○接ぎ木の民主主義②-主権者意識
・日本は日清・日露戦争に勝利し、国家意識が勢いづくが敗れ、民主主義が接ぎ木される。帝国憲法では、国民は天皇の赤子とされ、教育勅語がそれを理論づけた。現憲法は国民を登場させ、国民主権を採用した。接ぎ木された以上、これを大事に育てる必要がある。これに反し国民主権を放棄する動きが見られる。
・いまだに「お上任せ」が見られる。これが無意識の内に、庶民の節度になっている。国民は権利を行使する主体なのに、その自覚がない。保守層・指導層に、それへの反感があるのだろう。国民に権利・義務の観念が欠けている。この責任は教育/マスコミ/ジャーナリズムにある。
○民主主義の育ち方-国家主権と国民主権
・日本は良い国だと思う。しかし今だけではダメで、子孫の代まで良い国であって欲しい。そのためには民主主義が根付く必要がある。
・今の日本は民主主義が放置されている。それは人間観・国民観がないからだ。これには2つの見方がある。1つは国民を統治の対象とする見方である。もう1つは、国民は権利を行使する主体とする見方で、人権を重視する。
・現憲法になり70年経つが、この2つの見方が混在している。民主主義が成熟するには、これらが共存する必要がある。国家主権重視と国民主権重視が共存して民主主義は育つ。
○国民は統治の対象か-民主主義の育ち方
・国民は統治の対象なのか、それとも権利を行使する個人なのか。これには議論が必要である。歴史的には国家統治論が先行した。それは国家が豊かで、強くなければならなかったからだ。そのため国民は天皇の赤子で、国民は国家に奉仕した。
・ところが敗戦により、人は基本的人権を持ち、個人として尊重され、権利を行使する主体になった。しかし制度は変わっても、それは国民に浸透していない。これは米国で黒人差別が終わらないのと同じである。
・国家に必要な3要素は、領土/国民/統治機構である。そのため国民は統治の対象になる。しかしこれでは生きている人間への視線がない。人間は幸福を追求するし、尊厳に根差した精神的な欲求もある(※誇り?)。それが基本的人権である。
○国を愛する心と民主主義-民主主義の成熟のために
・将来の発展を願うほど、今を厳しく見つめる事ができる。「今だけ、自分だけ」では国を愛せない。
・明治は国家が強くて豊かになる事を選択した。その支柱が帝国憲法/教育勅語だった。終戦になり憲法に国民を登場させ、権利を行使する主体とした。これは目指すべき民主主義である。※何回も出てくるので簡略化。
・しかし人の意識は変わっておらず、民主主義は放置されている。民主主義を浸透させる努力・教育が必要である。生存権・財産権は良いにしても、働く立場の権利は全く行使されていない。ブラック企業/過労死/過重残業の問題が存在する。しかしこれには義務を果たす事も重要である。義務が権利に優先する事を忘れてはならない。
○権利と義務-社会の成り立ち
・権利と義務。言葉を並べると、どうしても権利が先で、義務が後になる。これは聞く人に納まりが良く、義務には抵抗感があるからかもしれない。しかしそのような社会観は間違いである。社会は個人が権利を主張するだけでなく、義務を果たす事で成り立っている。個人が義務を果たす事は、他人の権利の実現に貢献している。この連帯感が底流になければならない。日本人は義務を果たす事で社会が成り立っているのを忘れていないだろうか。
・日本は自立した個人から成っておらず、空気を読み合う社会になっている。これは民主主義にとって危険で、国民主権が放棄される要因である。「社会を創るのは個人」の意識がない。これはもっと強調され、教育されるべきである。
○主権者教育なし-文科省の大罪
・国民は単なる統治の対象ではなく、権利を行使する主体となった。国民は主権者として自立しなければならないが、放置され、その教育も行われていない。
・それは権力者が個人の自立を好ましく思わないからだ。彼らに国民主権の意識はなく、明治以来の帝国憲法/教育勅語への郷愁がある。これは米国で奴隷解放宣言から公民権法成立まで1世紀を要し、今なお問題が渦巻いているのと同じである。
・現憲法が施行されるが、文科省は民主主義教育を怠った。権利と義務が絡み合い社会が構成され、これを国家が覆っている民主主義の基本を教育しなかった。まして政治に関しては、公正中立の立場から棚上げにした。
・ブラック企業/過労死/過酷なサービス残業などは、この結果である。民主主義が定着し、国民の力が結集され、国力となる時代が来るのを渇望する。
○勤労の真の意味-社会を成り立たせるもと
・憲法第27条に「全ての国民は勤労の権利を有し、義務を負う」とある。勤労/納税/教育(教育を受けさせる)は国民の三大義務である。何故これが憲法にあるのか。「今だけ、カネだけ、自分だけ」は、自分と社会の関係を極少に見ている。勤労の社会的な意味が忘れ去られている。
○仕事って何?なぜ働く?
・これを問われれば「生きるため」「生活の糧を得るため」と答えるだろうが、そこに社会的な意味があるのを忘れてはいけない。働く事による生産活動で社会は成り立っている。そのお陰で自由が生まれ、権利も保証される。働くのは自分だけのためでなく、皆のためなのだ。
・権利を主張・実現する時、そこには連帯感があるはずだ。しかし近年この連帯感が消え失せたと感じる。この世に存在する事に感謝の気持ちがあれば、連帯感は生まれるだろう。近年絆が再認識されているが、連帯感も併せて考えたいものだ。
○表現の自由と言葉の暴力-ヘイトスピーチと人権意識
・特定の人種・国籍者を攻撃するのがヘイトスピーチだ。これを禁止する法律が成立した。国連の人種差別撤廃条約には20年前に批准していた。遅過ぎである。
・それはヘイト(憎しみ、増悪)に対する「表現の自由」があったからだ。そこに差別され、攻撃される人達が受ける心の傷への考慮はなかった。ところが京都でのヘイトスピーチを最高裁が人種差別と認定した事で、一歩前進した。
・「表現の自由」について不思議に思っていた。身体に危害を加えれば、傷害罪になる。ところが精神的な痛みを与えるのは罪にならない。日本人はこれを、無意識の内に容認していたのでは。
・これから得たのは、日本人の人権意識の低さである。日本で気持ち/精神などを重視すると、それは甘え/我がままとして批判されるのだ。人間は生業を持って生きるが、それだけではないのだ。
・人種/国籍などのアイデンティティーを攻撃する事は暴力であり、許されなくなった。これは社会の大きな一歩である。
○そんな暇があるなら-国民主権の放棄
・生業には重たい意味がある(※幾つか例が紹介されているが省略)。生業に精を出すのは、「本分を尽くす」と等しい。これが家業なら、家運の盛衰に関わり、物事の価値判断や好悪の感情表現も、生業にプラスかどうかで判断される。人に接する態度にも影響してくる。※難解。家業最優先かな。
・「そんな暇があるなら・・」はよく聞くフレーズである。遊び・趣味などが度を超すと、ストップを掛けられる(※「ゲームする暇があったら、勉強しろ」だな)。ここで問題にしたいのは、遊びなどではなく、政治や社会に関心を持っていた場合である。この場合でも、生業を分かち合う立場から「彼は変わっている」と思われてしまう。しかしこれは国民主権の放棄である。日本人は「政治は”お上”に任せて」の封建意識が抜けていないのだ。これは民主主義の成熟に大きく関わっている。
○粛々と移設-強い国家とはこれか
・菅官房長官と翁長沖縄県知事のやり取りは、安倍政権と沖縄の民意を象徴していた。国の「粛々と移設する」の姿勢に、自分の甘さ、いい加減さを痛いほど知らされた。本土の人は沖縄基地問題に関心を持ち、見守るのが役目と思っていたが、それが上辺だけだと実感した。
・「粛々」の言葉が大きな意味を持つ事を知った。賛否は別として、一度決まった事だからである。その時々の声に左右されてはいけないのか。その底流に、「国は強くあらねばならない」の信念も感じられた。
・そこで翁長知事は「粛々とは上から目線ではないか」と述べた。これは強い国家への問題提起である。国民を従わせるのが強い国家なのか。国の強さに、別の道はないのか。意思の結集から生まれる力はないのだろうか。
・辺野古移設と言うが、これは辺野古新基地建設なのだ。これが国民主権の国なのか。この度、沖縄の気持ちに疎かった事を痛感した。
○18歳選挙権と主権者教育
・18歳になると選挙権を持つようになった。選挙管理委員会の職員が高校で出前講座を開いている。しかしこれは主権者教育を怠ってきた事に対する付け焼刃である。
・投票方法は難しくない。問題は政治をどう考え、投票するかの権利行使の内実にある。主権者としての意識の育まれ方に問題がある。次世代を担う彼らには、民主主義を正しく理解してもらう必要がある。
・日本の高校に留学した米国人が「社会問題や政治が話題にならない」と言っていた。また大手ホテルの女性社長が米国の高校に留学した時、真珠湾攻撃が話題になったが、何も答えられなかった。これが実態である。
○議論の在り方に疑問-国会の質の低下
・国会中継を時折見るが、議論が全く成り立っていない。お互いが自説を述べるが、反論めいた事を言われると、それを遮ろうとする。そして一方も自説を主張し続ける。ここにはルール違反と心得違いがある。まず人の話を最後まで聞くのがルールである。また人間は対等であり、そこに驕りが見られる。
・自分の発言が相手に伝わらない時は、それを修正する必要があるが、そこには上から目線があるようだ。これでは議論にならない(※国会の場合は、相手の意図を明確に理解し、それに答える意思がないのでは)。議論においては、相手の発言を理解するのと、相手の発言を理解し賛成するのは別である。
・質問する側にも問題を感じる。答弁(?)に対して、「なぜ?」がないのだ。「なぜ?」に対する答えの中に、価値観・思想が秘められている。議論の最後のステージはここにある。
○時代を見つめる気持ち
・新聞・テレビ・ラジオで「時代」と云う言葉をよく聞く。また「時代だよね」で会話は成立する。以前は家庭で子供の役割・責任があったが、今はない。これは時代が変わったからだ。この原因は機械文明の発展、科学技術の進歩にある。しかしこれにより協働や助け合いの精神が消えた。これも時代である。
・近年空き家が増えている。住宅建築は様々な業種に関連するため、景気対策の柱であり続けた。そのため住宅は増え続け、この結果になった。人口減少などを考えず、今が良ければの結果で、街の景観や安全・防犯などの問題が生じている。※不動産業などは優遇されている気がする。西洋では住居を大切にし、リフォームやDIYなどで長持ちさせている。
<第2章 社会を見つめる>
○紙面モニターとテレビ-全国紙モニター7年
・私(著者)は紙面モニターを7年務めている。これには2タイプあって、1週間単位で回答するものと、日々随時回答するものがある。私は後者をやっていて、記事に対する報道姿勢などをメールで回答する(※記事の内容そのものに対しては、批評しないのか?)。そうすると同じ記事に関する他人の回答などを返信してくれる。これは大変参考になるし、紙面を真剣に読むようになった。
・この返信から感じられるのは、政権の報道監視が厳しくなった事は論外として(※記者クラブの件かな)、報道機関の自己規制や忖度を懸念する意見である。
・ところで最近気になるのが、議論の質の低さである。テレビを見ると、それは子供の喧嘩で、自説の押し付け合いになっている。相手の意見を聞く気はなく、相手へのリスペクトもない。これは国会での与党の答弁に強く表れている。仲間の賛同を得る事だけが目的で、背景に国民がいる事を忘れている。
○個人と人
・祝日に憲法記念日がある。この趣旨に「国民の成長を期する」とある。憲法と云うと、第9条に目が向けられるが、認識を高めるべきは、個人と人の識別である。※哲学的な話になった。
・私達は2つの存在の仕方を知っている。人としての存在と個人としての存在である。日常生活で他人と接する時は、人として接している。これが社会で考えると、個人になる。辞書にも「個人は、国家・社会を構成する個々の人」となっている。ここに世俗的な視点はなく、権利の主体として見る。
・個人は生命・自由・幸福を追求する権利を有する。それを侵す事はできない。これを制限するのは公共の福祉だけである。ただしそれには義務を果たす必要がある。それにより社会が成り立つ。それゆえ義務は権利に優先される。ちなみに義務は、勤労/納税/子弟に教育を受けさせるである。
・話を憲法に戻すと、「国民の成長を期する」とは、「個人と人の識別の浸透」と云える。
○労働の人間化-働く事に3つの権利
・新年度になり、多くの若者が社会人になった。新社会人は職業に誠心誠意打ち込み、迎える側は安心して働ける環境を提供して欲しい。しかしここに懸念される現状がある。ブラック企業の横行、過労死、過酷なサービス残業である。これらの人間の尊厳を踏みにじる報道が後を絶たない。
・従事する職業にも揺らぎが見られる(※何?)。職業は世に利便を提供するためにある。人は他の人の仕事の成果を利用し生きている。そのためそこには「人の役に立つ」と云う意識がなければならない。ところが「お金を稼ぐため」「自分のため」が大手を振っている。これは資本の論理であるが、放置できない。※資本主義が変質するか、新しい経済思想が生まれないとだめかな。
・「労働の人間化」と云う言葉がある。労働を人間性に好ましくする提唱である。それには働く人/働かせる人/法整備、それぞれに対応が求められる。
・労働には、3つの権利が内在している。労働権/生存権/自己実現である。人は労働の成果で生活し、人の役に立つ事で、自らの存在を確認する。資本と人道の融合が現代の課題である。
○生産の現場を見ていない-人を人と思わない風潮
・自動車会社の検査不正問題に大きな憤りを覚えた(※完成検査の件かな)。この現場では、不正は30年前からで、全社規模の大掛かりなものだった。なぜこれが今日まで発覚しなかったのか。それは効率重視/納期厳守が絶対的な使命で、手が抜かれたのであろう。また経営陣/管理職が現場を見ていない事が根本にある。彼らは利益の状況や株主への配慮は欠かさないが、働く人は見ないのだ。
・経営は働く人の利益も追求すべきである。しかし過労死や過度のサービス残業などの現状を見ると、この会社に限らない。働く人を部品としてしか見ない社会風潮は正すべきだ。
・問題の本質は経営ではなく資本にある。資本は利益追求のみになり、人間を大切にする姿勢がない。さらに社会はこれに厳しい目を向けていない。
○平和ボケと云う言葉
・世の中には様々な言葉が流布している。KY(空気が読めない)など納得できる言葉もあれば、強引さを感じる言葉もある。後者に「平和ボケ」がある。自分の主張を通すため、反対者を嘲笑・愚弄しているように感じる。※最近「将来的」があった。
・憲法第9条を信奉し、改正に反対すると、この言葉を浴びせられる。彼らは、戦後70年日本が平和だった事で、「日本人は平和ボケした」と主張する。
・しかし正確に答えてもらわないといけない。今の日本の自衛隊と日米安保条約のどこに不足があるのか。国際環境の変化とは具体的に何なのか。自衛隊を国軍とし、国際環境の変化に対応する主張は、日本人をどの程度戦場に送り出すのか。あるいは日本がどの様な戦場になる事を想定しているのか。日本は悲惨な戦争を体験している。これを前提に、正確に議論して欲しい。
・抑止力としての軍備は説得力があるように見える。しかしこれは外交交渉による抑止と並行して行われなければならない。それができないと軍拡競争になり、強硬論だけの世の中になる。「平和ボケ」の言葉には大戦への反省が見られない。
○3つの「だけ」主義-今だけ、カネだけ、自分だけ
・朝のラジオ放送から「3だけ主義」の言葉を聞いた。今の風潮が「今だけ、カネだけ、自分だけ」で、嘆かわしいと。頷ける意見である。国の財政は借金が積み重なり、後世に負担を押し付けているが、誰も口に出さない。
・「今だけ」に「カネだけ、自分だけ」も加えられると、考えざるを得ない。誰の気持ちの中にもあったが、黙認され、公然とはびこってきたのではと感じる。※道徳の劣化だな。
・小泉政権で自己責任論が台頭した。これは米国の新自由主義であり、強者の理論である。自分がしっかりしていれば人に迷惑を掛けないし、問題はない。この延長が「今だけ、カネだけ、自分だけ」である。しかしそこには人権・人道に対する思いはない。民主主義の将来は、人権意識や人道が制するかに掛かっている。
○ネット情報の問題を解明-社会と空気を読み合う世間
・インターネットは便利だが、ネット上の議論は近寄りがたい。言論の自由を隠れ蓑に、一部の個人が同じ批判を繰り返していると思える。しかしネット情報は世論形成に大きな影響を与え、マスコミも無視できない勢いだ。
・そこで偶然ではあるが、素晴らしい解説に出会った。「ネット上の激しい攻撃は、社会の二重構造からくるストレスが原因」とする説である。
・日本は自立した個人から成っておらず、空気を読み合う抑圧的な人の集まりである。人間平等主義が建前で、職業も能力も同じ扱いだ。ところが実際は年齢や格上・格下などで分断され、身分制が存続している。これから起こる激情が原因としている。
○若い世代の難儀-一生懸命の消失
・近年「若い世代は社会的弱者」との見方がある。かつてからすれば理解できない見方である。しかし現実は彼らは、結婚願望の低下、家族を持つ事の不安、出生率の低下などに直面している。
・私達高齢者は一生懸命で生きてきた。職業/所属先を何より大事にした。しかし今は「労働の流動化」として美化された非正規労働により、そこに安定感はない。期限が来れば、次の仕事を探す必要がある。身分も収入も保証されていない。これは米国流のグローバリズムの必然の結果である。
・ところが米国に封建時代はなかった。そのため一生懸命の精神はない。米国にあるのは、自己責任の精神だけである(※この観点は面白い)。若い世代は、経営の都合が優先された米国流の社会に放り出されている。
○網の目とクモの巣-時代を動かすもの
・情報は人間に必須である。人間は情報に照らし、考え方/見方を定め、自立する。従って情報は自立の相棒である。
・かつてはラジオ・新聞もなく、人々は耳にする情報に飛び付いた。そのため学校・先生が尊重された(※中途半端な時代だな。明治・大正かな)。ところが今はネット社会になり情報が溢れている。情報の真偽不明、発信元不明と云った問題も起きている。
○納税とお城-ペイ・タックスとの対比
・日本では「税金を納める」だが、英語では「税金を払う」(ペイ・タックス)である。これは社会観の違いにある。日本の農民は五公五民/六公四民と云われ、収穫の半分を殿様・代官の蔵に運んだ。日本では個人より社会が上にあり、「個人は社会の一員」だった。※農耕社会の特徴かな。
・一方「払う」には社会に対し対価を求めている(社会契約説)。税金は社会を維持し、行政サービスを受けるための投資なのだ。彼らは「個人が社会を作る」と考えている。※この対比も面白い。
・近年は対価を求める意識も進んでいるが、「お上がどう使おうと・・」であり、厳しさが足りない。日本の城は立派である。そこには農民の汗があった。年貢が軍事・領土保全に使われるのは当然で、福祉・社会保障には使われなかった。それなのに殿様は名君と慕われた。※自分達の保身に使ったのか。これは戦国時代かな。
○幸せを見つめる日-国際識字デーに思う
・9月8日は「国際識字デー」だ。この点日本は恵まれている。しかし世界の全ての人が、読み書きできるのを願う。しかし世界の5人に1人は読み書きできない。自分の幸せは自分一人で作られるものではない。「衣食足りて礼節を知る」との言い伝えがあるが、衣食住は最低限である。人には社会的欲求もある。
・ここで識字が登場する。文字は自分の外にある物事・事象・イメージなどを運んでくる。ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイは「1冊の本、1本の鉛筆、1人の教師」と言った。識字は人間への道である。
○三猿を超えて
・日光東照宮に三猿(見ザル、言ワザル、聞カザル)がある。小さな彫刻なので、見逃しそうだ。今年は申年で、少し調べてみた。
・彼ら(サル)が何故そのような動作をしているのか疑問があった。それは庶民の切なる思いだった。それは庚申信仰から来ている。「庚申の日」が年6回あり、その日に眠ると三尸虫が上帝に訴え、命を短くするのだ。その三尸虫を封じるのが三猿だった。そのため全国の庚申塔にも三猿が添えられている。※「眠ってしまったけど、見なかった事にしてくれ」かな。道祖神/馬頭観音とかあるが、一度勉強した方が良さそう。
・見ない/言わない/聞かないのは平穏に生きるには必要かもしれない。しかし思わないは不可能である。今はその思いを分かち合い、悪事を上帝に対してではなく、人々に向かって言うべきである。
○争義不争利-筋を通す生き方
・「争義不争利」と云う言葉がある。興福寺の瓦は、寄進者が様々な願い事を書いて寄進する。普通、家内安全/無病息災などを書くが、これが書いてあった。
・これは「争うのは義であって、利では争わない」を意味する。立派な言葉である。利害や己の優越で争うのではない。何が正しいかで争うのだ。そのためには自惚れを排し、他人を尊敬する謙虚さがなければならない。これを我が道にしたいものだ。
・さて「不争利」だが、人は常に損得を考え、有利不利を考える。これは誰も否定できない。それを争わない人となれば、職業・仕事に自信があり、これに尽くせば利はおのずと付いてくるとの考えの人か。※この言葉には驚いた。解説されているが、そんな人間になりたいものだ。
○地産地消と地消地産-地方創生の本気を問う
・地産地消と地消地産、順番を変えただけだが、意味は大分違う。地消地産は新しい考え方だが、地方創生の旗印にして欲しい。従来から云われているのは「地産地消」である。「地域で取れた産物は地域外で販売する必要があるが、それと並行し地域内でも消費しよう」の意味だ。学校給食に牛乳が出るのは、そのためだ。
・一方「地消地産」は、「地域で必要とされるものは、地域内で生産しよう」の意味である。そのため地域で生産されていなかったものは、新たに生産する必要がある。しかしこれにより、おカネは外に出ず、地域内に留まる。地域に雇用も生まれる。
・例えば電力である。太陽光/風力/小水力/バイオマス発電などの例がある。これにより中央(※本社?)に、おカネを吸い上げられる事もなくなる。これは食品に限らない。どの地域でもやれる事がある。大量生産大量消費とは別次元の、地消地産による経済的自立の道であり、これが地方創生と考える。
○フード・ロス
・世界で生産される食糧の1/3は捨てられている。料理したが残された物、賞味期限が切れ、捨てられた物などである。さらに問題にすべきは、このフード・ロスが、世界で飢饉に苦しむ人を救うために必要な食糧の4倍もある。情報は一瞬にして届くが、食糧はそうはいかないので、厄介だ。
・自宅であれば食卓で余ったものは、冷蔵庫に置いておける。しかしレストランなどでは、それは難しい。日本では、これをパックと呼ぶが、米国ではドギー・バッグと呼ぶ。米国での一皿の多さに驚くが、ここでも4割は残されている。4人家族で年2千ドル分捨てられるそうだ(※約20万円だな)。人類共通の問題として、真剣に取り組みたい問題である。
○アマゾン・インディオ-所有の概念
・ブラジルのアマゾン河流域で暮らすインディオには所有の概念がない。現地で生活を共にした下郷さとみさんが大山村塾で語った(※鴨川で開かれているみたい)。文明から離れた彼らの価値観は理解し難い。
・インディオは当初は200万人いたが、欧州人により7万人まで減少した。今は政府の保護で、305部族/81万人に増えている。彼らは自然を信頼し、必要な分だけ取って食する。そのため所有の概念はない。※北米のインディアンも所有の概念がなく、欧州人は入植すると、勝手に土地を分割所有していった。
・一方文明の側にいる私達は、所有権を認め、そこに大きな価値を置いている。そのため競争し、格差・貧困が生まれた(※欲望の資本主義だな。戦争もだな)。この価値観に染まった私達は、自然環境を破壊し、穏やかな安定した心を失い、助け合う心を忘れている。人類は文明を発達させたが、今は人類の知恵を必要としている。
○ある限界集落の話
・鴨川市で開催された大山村塾での、結城登美雄氏の限界集落に関する話が記憶に残っている。彼は地元学の提唱者で、東北・沖縄などの山村を尋ね、研究を続けている。
・岩手県山形村のある集落は5戸/18人に減った。彼は村人と共に再興に取り組んだ。自然環境を活かし、一人一芸を始める。ある者は炭焼きを始めた。村人の収入は順調に増えているようだ。
○効率と利便-ありがたさと人間性無視
・最近起きた高速夜行バスでの大事故、産廃業者による廃品横流しには考え込まされた。高速夜行バスでの事故で、大学生など13名が亡くなった。高速夜行バスには大きな需要があり、事業として十分成立している。私も大学生であれば、参加しただろう。産廃食品の横流し事件も、この業者だけでなく、以前から行われていたようだ。
・これらの事件の遠因に「より安く、より早く、より便利に」がある。快適は、一般的には科学技術の進歩によってもたらされたが、そこには人間性無視の慣行が見られる。安全性軽視の事業展開、働く者への配慮を欠いた利益・効率追求、これらを見逃してはいけない。
○快適さの陰に-旅先ホテルでの朝食
・ホテルでの朝食は食堂で取るが、通常7時頃にオープンする。どんな朝食が出るのか、ときめく時だ。しかしこの時、コックの姿にはっとする。彼らは何時に料理場に入り、調理を始めたのか。私達の快適さは、彼らの仕事の上に成り立っている。
・当然彼らは報酬を受けている。だからそれは当然と考えるのは寂しい。そこに思いを致す事は大切である。そこに人間としての連帯の芽がある。
・快適さは、多くの人の労力の上に成り立っている。それを忘れたくない。食事を終えた後、「ご馳走さま」などの言葉を掛け、働く人を応援したいものだ。
○豊かさの変質-モノから効率・利便へ
・高度経済成長の頃、「物質的豊かさを求め、心を忘れてはいけない」としきりに警鐘された。これには頷けるが、具体的に何をすれば良いのか分からなかった。経済停滞の今になり、「物質面か、精神面か」の二者択一ではなく、豊かさそのものを見直す時期に来ていると思う。
・ここ20~30年経済は停滞し、世帯支出は増えていないのに豊かさは進んでいると感じる。それは便利さや効率化が、少しづつ進んでいるからだろう。例えば、自動車は乗り心地が良くなり、安全性も高まっている。10年どころか、20年・30年と乗り続ける事ができる。これからは自動運転も広まる。あるいは情報が溢れ、欲しい情報を直ぐに得られる。※便利さ/効率化と云うより、様々な工夫による質の向上かな。昔はウォシュレットとかなかったし。
○豊かさを考える-人と一緒にいる意味の変化
・冬になると、トイレと灯油ストーブのありがたさを感じる。洋式トイレの便座は温かく、水も温水である。かつては想像もしなかった便利さ、快適さである。冬には灯油ストーブを使う。着火・消火も簡便で、給油で手を汚す事もなくなった。
・科学技術の進歩やイノベーションにより、便利さ・快適さ・効率化がもたらされた。これこそ豊かさである。豊かさとは物質的な豊かさに限らない。経済は低迷している、しかし様々な工夫・改善により、着実に豊かになっていると感じる。これからは情報・科学技術の発展を基盤に、社会の成熟を共有する時代になる。
○続・豊かさを考える
・今日私達が考える豊かさは、物質的なものに限らなくなった。これは科学技術の進歩やイノベーションによる、利便性・効率性の向上による。しかしこれには表裏があって、プラス面だけではない。
・例えば、人と一緒にいる意味を変えてしまった。人が集まっていても、テレビを見ている人もいれば、ゲームをしている人もいる。極端な例では、全員が別々のゲームをやっている。かつては全員が同じ事をやって楽しんだ。
・科学技術の進歩で家事も便利になり、ありがたい事ではあるが、掃除・洗濯・炊事が一人でできるようになった。
・人が集えば、それなりに神経を使う。しかし今はその煩わしさから逃れるのが容易になった。ところが心理学では、人は協力する事で安心を得られる動物である。従って孤は不安そのものになる。今世の中に不安が渦巻いているのは、これも一因ではないだろうか。
○モノ消費とコト消費-消費行動の移り変わり
・デパートに衰退傾向が見られる。これに関して銀行の経済季報があった。大型商業施設(店舗面積が1千㎡以上)の出店・退店をテーマにしており、これは「モノ消費」から「コト消費」への消費傾向の変化が要因としていた。衣料品・生活財などの購入から、趣味・旅行などの体験・行動へと消費が変化し、所有から行動に価値観が変化しているのだ。そのため駅とか街の中心にあるのがハンディになっている(※なぜ?便利と思うが)。さらにインターネット・ショッピングの台頭や、人口構成の変化も要因として挙げている。その緻密さに驚いた。
・経済は人々の暮らしの上にある。景気の状況を表すのに、為替市場や金融市場の経済指標が用いられるが、これを疑問に思う。※よく理解できないので簡略化。確かに政権の評価に株価が用いられるのは不思議だ。
○移民と難民
・最近の世相を表す言葉に、歓迎したくない言葉が多い。例えば排除の論理/分断/差別などである。これらの発生源に、移民・難民がある。彼らは祖国での生活に望みがなく、外国に移住した。映画『ゴッド・ファーザー』はイタリア移民がニューヨークに入港し、自由の女神を仰ぎ見るシーンから始まる。
・難民も移民と同様で、祖国で生命を脅かされたり、生活基盤が破壊され、異国に逃げた人達だ。そこで人道的な支援も考えられるが、「排除の論理」が働くと、「入ってくるな、出ていけ」となる。追い返すのは人道的にはあり得ないが、現実は反発が強い。
・先住民にとって問題なのは、彼らが安い労働力になり、仕事を奪われる事である。これはグローバリズムに突き付けられた問題だ。これは日本が憧れた欧米で起きている問題だが、これは取り入れたくない。幸い、ヘイトスピーチ対策法が成立し、心を傷つけるのも犯罪になった。日本は人情の国、世界と手を繋いで生きていきたい。※技能実習生として、既に流入している。
<第3章 今を生きる自分>
○オムツ交換台から-男女同権の実質進化
・伊丹空港のトイレに入った時、若い男性が赤ちゃんのオムツを換えていた。微笑ましく、心が和んだ。また時代が進んだと感じた。※オムツ交換台自体の話があるが省略。
・「ワンオペ育児」と云う言葉がある(※初耳)。これは育児を一手に引き受ける事を指す。3世代同居から核家族になり、母親が育児を一人で行うとなると、不安でならないだろう。やはり同伴者の協力が必要だろう。
・ワンオペ育児からの脱却は見られる。しかし長時間残業など、それに反する経済理論がまかり通っている。これを許してはいけない。
○「時の記念日」に
・6月10日は「時の記念日」である。日本に時刻が登場したのは、天智天皇の671年である。『日本書紀』に水時計で時を知らせたとある。家事や農作業で時を意識する事はあったろうが、何時何分と確かめる事はできまかった。今はその共有が可能になっている。
・時は時刻から時間、そして時代へと広がる。人は時代の中で生きる。今は科学技術の進歩、文明の発達があって、ありがたい時代である。将来の世代から見て、恥じない時代を作りたいものだ。
○心が痛む「トイレ弁当」-自立の問題、社会風潮のゆがみ
・昼のテレビで「トイレ弁当」と云う言葉が出てきた。これは大学生が一人で食堂に入るのが恥ずかしいので、トイレで弁当を食べるそうだ。
・問題は「一人でいるのは恥ずかしい」の価値観である。これは「明るい」「盛り上がる」などに絶対的な価値観を持っているからではないか。一人でいるのは居心地がよくなく、連れが欲しくなる。悪い仲間に引き込まれ、一緒になるのは、そのためだろう。
・しかしこの心理を乗り越えてこそ自立である。自分のやりたい事/すべき事に集中する。これが自立である。高校・大学では居場所が与えられていない。そのため「一人は恥ずかしい」と感じて、仲間を作るのだろう。
○新幹線の楽しみ
・新幹線に乗るのは、所用であれ、旅行であれ楽しい。他の乗客との兼ね合いもあるが、自分が自由に使える時間である。収納ラックに収められた車内誌をよく読む。多くは旅行に関する記事で、興味が湧く。故郷・岩手県に法事で帰った時、奥会津から長岡藩に行く越後街道や、下野街道が紹介されていた。ともに行った事があり、記憶が蘇った。
・飛行機には機内誌があり、同様に楽しめる。それで沖縄県に空港が10以上あるのを知った。年に何度か飛行機に乗るが、リフレッシュできる。
○月冴える夜の散歩
・秋から冬へ季節が深まると、夜の散歩は日増しに空気が冷たくなる。しかし月の明かりは、空気が冷たくなるほど、明るさを増す気がする。
・「月夜の晩だけじゃねえぞ」は死語になった感がある。これは闇夜に乗じた仕返しの可能性を匂わす脅しである。しかし今は街に明かりがあり、意味をなさなくなった。
・尾崎紅葉『金色夜叉』で、間貫一は「富沢のダイヤモンドに目が眩んだのか。来年の今月今夜、・・、10年後の今月今夜のこの月を俺の涙で曇らせる」と言っている。「月が雲る」と言うが、月ははるか天上で輝いている。しかしあの舞台設定で、この事実は無粋である。
・月形半平太は芸者・雛菊に「今夜は月が綺麗だな」と言った。これを木下順二は、英語に訳すと「アイ・ラブ・ユー」になると言った。※この辺り文学的で難解。
・月は輝いているが、家々は静寂である。まるで明日へのエネルギーを蓄えているようである。
○日常会話再点検
・人間の考えるスピードは、話すスピードの倍あるそうだ。よって人の話を聞いている時は、先回りして考え、その後に予測が正しかったか確認している。そのため過ちを犯す。先回りして考え、人の話を”上の空”で聞いてしまうのだ。これにより、「話を聞いているの」となる。※別の事を考えて、聞いていないのでは。
・これは話す側の教訓でもある。話が焦点から外れたり、くどかったりすると、先回りして考えている聞き手は困る。そのため話し手には思いやりが必要である。私も反省・後悔が山のようにある。これは話し手の方が断然多い。話し手としての留意は、人間関係の行方にも大きく関わる。※話し手になる事は滅多にないな。
○ことば、自分との対話
・5月18日は「ことばの日」だそうだ。言葉には、効用・奥深さなど不思議な魅力がある。人間は言葉がある故、人間足り得る。
・言葉は「コミュニケーションの道具」だが、忘れてならないのは、「自分との対話の道具」でもある事だ。自分が何を考え、思い、願っているのかを認識できる。※色々書かれているが、「自分の内面を言葉にする事で、それが容易に理解できる」かな。
・1つ問題がある。自分の内面を言葉で捉える事ができない場合がある点だ(※アレ、違うのか)。イライラしたり、落ち着かなかったり、ムシャクシャしたり。これは子供の頃によくある。例えば両親の不仲・不機嫌などである。この場合、両親は「どうしたの?」と優しく問いかけるべきである。※こんな優しい両親であれば、そもそも子供を情緒不安定にさせないと思う。
・人間は生涯勉強する。それは言葉を習得するためでもある。
○読書ノートの思い出から
・20代の頃、読書ノートを付けていた。独身で夜の時間が一杯あったからだ。また学生時代は、本から知識を得られる事が楽しかった。読書ノートを付け始めた理由は、本から受けた印象・感想などを自分の言葉で書き残したかったからだろう。※自分も入社した頃日記を付けていたが、相当難しい言葉を使っていて驚いた。人間は年齢と共に、考える範囲が縮小されるのではと思った。
・しかし時代は読書離れになってしまった。電車に乗ると、スマホを操作している人ばかりだ。ただしこの読書離れの功罪は一概に言えない。知識・情報を入手する経路が格段に増え、効率的になったからだ。
・ところが読書の効用も不滅である。良本に出合うと、別人になった気がする。図書館で並んでいる本の背表紙を見ていると、宝物に触れた気になる。
○音読とその効用
・読書は普通黙読だが、音読もある。これは人に伝える感覚で読むため、黙読とは違った頭の機能を使う。そのため健康維持・老化防止などの目的でする人もいる。ところで英語の習得にも音読が良いようだ。これは「只管朗読」と云う方法で、中学時代の教科書を読むなどがある。
・音読は、朝起きてからでも良いし、入浴中でも良い。音読は棒読みではない。目は、今音に変えている所よりも先を読んでいる。この視域(アイ・スパン)は訓練により、広げられる。声を出す神経と読み取る神経が同時に働いているため、脳が活性化される。図書館で朗読会が開かれているが、時々参加している。
○聞く事の内面作業
・3月3日は「耳の日」だ。耳は人の話を聞くだけでなく、物音を聞いたり、音楽・ラジオを聴くなどの楽しみにもなる。人は話を聞いている時、一語一句を聞いているのではなく、先を予想し、自分の知識などから組み立て作業を行っている。
・ところが英語だと、それが難しくなる。それは聞いた英語の単語を和訳する作業が入るからだ。例えば、「彼は、行った、東京に、買い物に、バスで、昨日」と日本語に直し、理解している。人に話をする時は、この内面作業を考慮し、話をすべきである。※具体例が欲しいな。
○役に立つ英語への道
・小学校で英語が教科になった。かつての英語教育は効果がなかったと批判されている。それは一旦音読し、その後日本語に訳す「訳読方式」が使われていたからだ。この方法だと、訳す時間が別に必要になる。実際は耳の入る言葉/目に入る言葉を、順次理解する必要がある。これは「直読直解」と云う。これは日本語も同様で、言葉を順次理解し、先を予測しながら読み・聞くのだ。
○主語がない日本語
・川端康成はノーベル文学賞を受賞したが、『雪国』の語り出し「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」には主語がない。そのため誰がトンネルを抜けたのか、誰が雪国と認識したのか不明である。そのため英文訳は「汽車は長いトンネルを抜け雪国に出た」となっている。
・同じように主語がない事を批判された事がある。広島の慰霊碑に「安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しません」とある。「過ちは繰り返しません」の主語は米国なのではと、米国人に批判された。
・主語がない日本語は、称揚される事もあるが、曖昧とされる事もある。大江健三郎はノーベル文学賞の授賞式で、「あいまいな日本の私」を記念講演している。日本人は農耕民族で、以心伝心を旨とした。しかしグローバル時代になり、事実を明白にする精神を上乗せする必要がある。
○翻訳の妙
・私は映画館で映画を見るのを楽しみにしていた時代がある。洋画は「吹き替え」と「字幕スーパー」がある。「吹き替え」だと、映画の内容をストレートに認識できる。「字幕スーパー」だと字幕を読む作業が入り、背景などに向ける神経が削がれる。しかし洋画を見ている雰囲気は十分となる。
・時々字幕と音声が異なり、オヤッと思う事がある。映画『アンネの日記』で、アンネがペーターに「私、便秘なの」と言ったのに、字幕では「お腹が痛いの」となっていた。また映画『終着駅』の原題は「終着駅にて」である。「にて」が付いていると、「そこで何が?」となるが、それが付いていないと、終着駅のイメージが漠然とあり、それを背景に様々な人間模様が進展しそうである。
○ボールペンと日記
・ボールペンは安価で便利である。中のインクにより文字が書けるので、原理は万年筆と同じだ。ちなみにボールペンは英語でボールポイントペン、万年筆はファウンテンペンである。ボールペンは線の太さで幾つかに区分されている。
・私は退職後に日記を本格的に書くようになった。それは頭の中に浮かんだ事を、書き残したかったからだ。A4の更紙(わら半紙)に書いていたが、それに合うボールペンを探すのに苦労した。結局M社の0.5mm(S.5)が相性が良く、それを使い続けている。それが78本になり、A4わら半紙のファイルは10冊になった。※シャープペンシルではなくボールペンなんだ。わら半紙もよく分からない。
○心に走るもの-自己制御の哲学
・「我に返る」と云う言葉がある。ある拍子に、自分が何を考えていたかを、自身に問いかける事である。この様に意識して自身を制御するのは、人間が社会的な動物だからだ。
・「我」には2つの意味があり、1つは生まれたままの無自覚の我であり、もう1つは人と共にあり、役割・立場などがある我である(※これは前述の「人と個人」の関係かな)。これは常に実践されており、相手の状況・立場を忖度し、言葉を発している。発せられる言葉は、心の全てではないのだ。ここに会話を弾ませる余地がある。
・初発の感情に流されず制御する事で、人間は強くなれる。例えば人に見られると恥ずかしくなるが、自分の立場・役割に徹する事ができれば、強くなったと云える。
・人を信用できるか否かも、ここにある。初発の思いに無自覚無批判であれば、平気で嘘を付く。嘘を付く自分を自覚していないし、しようともしない。真実を見ていないのだ。※難解。他にもいろいろ書かれているが省略。「自己を振り返り、冷静に分析しろ」と言っているのかな。
○事の始まり-年頭、気持ちの整理
・年が改まり、華やいだ正月から日常に戻りつつある。私は日誌・日記・新聞スクラップを始めなければならない。日誌・日記は、自分の気持ちを客観的に見つける事に繋がる。
・一方新聞スクラップは長年の習慣だが、紙面モニターを務めるようになり、量が大幅に増えた。1年で厚さ10cmのA4ファイルが一杯になり、さらに別立てのファイルが数冊になる。記憶に頼れないのでスクラップする。モニターなので油断はできない。
・東日本大震災・原発問題、特定秘密保護法・集団的自衛権、成長戦略などは別立てにした。しかしニュースにならなくなったものもある。地方創生も別立てにしたが、それ程でもなかった。
※本章は「自己と他者」に関する話が多く、文学的だったな。
<第4章 感謝の日常>
○切られちゃうよ!
・朝家内が新聞を読んでいて、「アーッ」と声を出した。「文旦の木にごめんね」を読んだのだ。文旦の木を買ったが、5年間花が咲かず、「来年咲かなかったら、切るよ」と幹を叩いて脅すと、翌年花が咲いたとの記事だった。
・実は我が家でも、梅の木を植えたが、十数年も実はおろか花さえ咲かなかった。同じく家内が「切られちゃうよ!」と声を掛けたが、翌年からは花が咲き、実を付け、梅酒の材料になった。新聞を読み、連帯感を感じた。
・木が実を付けるには、様々な条件を満たす必要があり、個体差があり、大器晩成もいるのだ。同時に、我が家での家内の言葉の重みを感じた。※桃栗3年、柿8年とかあったな。
○愛犬プチの思い出
・仏壇に以前飼っていた愛犬の写真を飾っている。子供が中学生の時、八百屋さんからもらい、小さいのでプチと命名した。この犬を可愛いと思ったのは、子供達とサッカーをしていて、足を踏まれたが、子供にすり寄ったからだ。
・当初は犬小屋に入れていたが、いつの間にか家の中で暮らすようになった。初めて散歩に連れ出した時、十字路で何度も自宅の方に曲がろうとし、この犬は賢いと思った。ある時魚1匹丸ごと与えると、半分食べて、残りを穴に埋めようとした。教えた訳ではないのに、生存本能なんだろう。※思い出が一杯ありそうだな。
・プチの最後は自分に責任がある。散歩が終わった後、岩手の羊羹を与えると喜んで食べた。その後も与えたが、糖分は良くなかったみたいだ。弱りはじめ、洗面所で倒れてしまった。
○親スズメの悲しみ
・朝電線にスズメが2羽止まっていた。2階の雨どいから藁がはみ出しているので、そこに巣があるのだろう。ある時巣の下の庭に子スズメがいた。死んでいるのかと思ったが、動いていた。上を見上げると、親スズメが1羽だけ止まっていた。
・翌日見ると、子スズメは死んでいた。上を見上げると、親スズメ1羽がまだいた。「子スズメがいなくなれば」と思い、子スズメを埋葬した。小さなスズメさえ、親子の情があるのだろう。
・スズメは子供の頃はコガネムシなどを食べる益鳥だが、親離れすると稲穂を食べる。田んぼの案山子は、スズメオドシと呼ばれる。
○冷蔵庫がない生活
・期間限定で冷蔵庫がない生活をする羽目になった。夏を過ぎた頃、冷蔵庫の調子が悪くなった。3年前に購入したが、保証期間は1年だけだった。電気店に行くと、「メーカー保証は1年だが、当店で購入されると5年保証」と聞かされ、それで1週間程の修理をお願いした。
・まずは購入していた冷蔵冷凍食品を食べた。食べ終わると、1日に数度スーパーに買い出しに行くようになった。夕食前には必ず出かけ、冷えたビールを買った。ふと思った。私達は部分的な不便を強いられているが、3.11などの大災害を受けた被災者は、全面的な不便に置かれているのだ。
○ピアノの引き取り-断捨離第1弾
・家内が独身時代に買ったピアノがあった。家内は小学校教師だったので、ピアノを弾いていた。調律も頼んでいたが、退職後は弾かなくなった。
・断捨離としてピアノを引き取ってもらう事になった。そこでテレビにも出る業者に依頼した。1週間位後、千葉から担当者がやってきた。査定すると、内部が虫に食われており、処分料として1万5千円を払うとなったが、交渉しタダで引き取ってもらう事になった。
・数日後慣れた手つきで運び出していった。断捨離は思い出との相克だが、生まれたスペースは新鮮な刺激になっている。
○ハイビスカスの花
・気象の異変を感じるが、我が家の草花でもそれを感じる。ブーゲンビリアの花は夏を超すものだが、今年は既に勢いを失っている。その寂しさをハイビスカスが埋めてくれている。ハイビスカスはハワイ州の州花で、フラダンスを思い出させる。真っ赤な花だが、花によって色合いが異なる。
・ハイビスカスは沖縄では、ブッソウゲ(仏桑華)/アカバナー(赤花)/グソーバナ(後生花)などと呼ばれるが、墓前に供えるため仏桑華と呼ばれる。
○茄子の花から原点を
・茄子の花が綺麗なのに気付いた。これまで草花や植物に興味はなかったが、『房日新聞』の「展望台」を書くようになり、「そのためには、ものを見ないといけない」と思うようになった。
・ただ「もの」と云っても、形だけではない、「もの」と「もの」の関係・法則性・傾向も見る必要がある。それに感想を加える事で、自分が現れてくる。まずは「花鳥風月」が目に入る。ブーゲンビリア/ネジリバナ/タンポポ/酔芙蓉(スイフヨウ)があり、これに茄子の花も加わった。これからも眼力を向上させたい。
○慈雨の季節
・雨がしっかり降った翌日、庭の変わり様に目を瞠られる。草花が華やかさを増すのだ。植物が成長・繁茂しようとしている時の雨は、大きな恵みになる。自然からの恵みとしては、まずは天道様を思い浮かべるが、雨もそれに劣らない。庭に1本の皐月(サツキ)があるが、雨の翌朝は一段と生気を増す。
・慈雨の効果はクローバーにも現れる。クローバーは単年ものと聞いていたが、今年も芽が出てくれた。中には五つ葉もある。出現率が1万分の1らしいので、満足である。クローバーを囲む芝生の生育も良い。※芽が踏まれる事で五つ葉になるらしい。
○カモ達の旅立ち
・3月になると寂しい事がある。近所に農業用水池があり、そこのカモが旅立つのだ。冬に水面で遊ぶカモを見るのは楽しみである。最盛期には100羽いたと思うが、日に日に少なくなり、今は20~30羽になった。
・カモは警戒心が強く、私が池畔に近付くと、一斉に対岸へ泳ぎ始める。当方に悪意はないのだが、それが通じない。しかしこの能力のお陰で、種が保存している。
・これは人間社会だと治安に相当する。何か危険があると行政などが知らせてくれる。そのため他の分野に神経を注ぐ事ができる。
○晩秋と夕焼け
・晩秋になると、朝窓を開けた時、霜が降りていないか気になる。しかし房州のこの時期の夕焼けは綺麗である。近所に農業用水堰があり、そこから嶺岡に沈む夕日が望める。右手に夕日を受けてそよぐススキも美しい。左手の堰にはカモが50羽はいる。彼らは警戒心が強く、こちらに気が付くと、さっさと逃げる。
・夕焼けには心が惹かれる。沈みゆく太陽、赤味を帯びた雲、薄青色の空、見事な組み合わせである。自然から元気をもらい続ける事に感謝する。
○高所からの眺め
・高所から下方・遠方を眺めると爽快である。鴨川駅の西側に大型スーパーがあり、その4階の喫茶店が気に入っている。ここを利用する時は早めに行って、景色を楽しむ。ある画家も気に入って、そこからの風景を絵に描いて寄贈してくれたそうだ。
・そこから見える人にも興味をそそられる。表情は見えないが、人が動いている事に意味を感じる。道が海へまっすぐ伸び、その先に大海原がある。右端には嶺岡があり、その終点に魚見塚展望台がある。中腹に名刹があり、そこから下はホテル・店・人家が軒を並べている。人々が肩を寄せ合う、懐かしい香りを感じさせる。これは夜景も同じである。
○移住者との交遊
・他県からの移住者との交遊は嬉しい。ゴルフでは、初対面でも特別気を遣う事もなく会話する。特に他県からの移住者となると興味が高まる。「どこに住んでいるのか」「なぜ移住したのか」「なぜ房州にしたのか」「生活の基盤は何なのか」「住み心地はどうか」など興味は尽きない(※詮索する人は嫌いだけど)。そんな疑問を小出しにして、1日同伴行動する。1日を一緒に過ごすと、お互いに価値観が分かってくる。移住者との交遊で実感するのは、「房州は良い所」である。※南房総は首都圏で働いた人の別荘地かな。
○畑仕事の楽しみ
・10月はサツマイモの収穫時期である。昨年は小さい物が多かったので、今年は家内が色々工夫した。掘り返してみると、1本の蔓に、2~3個の芋が付いていた。スコップで掘るが、失敗すると芋を切ったり、堀り残してしまう。
・畑仕事を始めたのは3年前からである。親戚の畑の草取りの手伝いから始まった。しかしこれによって興味・関心が高まった。植物も生を営んでいるので成長があり、それが楽しい。またその成果が食卓に表れるのも楽しい。
・これまで仕事と云えば、人間に働きかける事だけを考えていたが、自然への働きかけこそ労働の原型だろう。新しい世界に向き合った事で、人生が一つ豊かになった気がする。
○忘れたくないもの-英語は人生の友
・ライフワークと云う言葉がある。生涯に渡って関わり続ける仕事である。ライフワークとは少し違うが、生涯を通じて楽しむ趣味もある。私の場合、英語である。英語教師であったし、実用英語検定1級に合格している。
・英語の抑揚は好きである。また英語の語順も魅力である。しかし英語を聞く事/読む事は学習できても、話す事を学習するのは難しい。しかしその機会が訪れた。中央公民館でECC英会話クラブが開かれる事になった。早速応募した。前半は各自がスピーチを行って、後半は講師によるレッスンだった。楽しみが増え、勉強を再開した。
○朝の起き方
・朝は6時半の体操を目安に起きる。早く起きれば時間に余裕ができるのだが、ベッドから中々出れないタイプである。コツが2つあるそうだ。1つは戦時中の事を思い出し、「あの頃に比べれば楽である」と考える方法である。
・2つ目は「朝は希望で起き、昼は努力で生き、夜は感謝で眠る」のスローガンである。これを発した人に尊敬の念を感じた。人生を有意義にするため、自分を鞭打つ、何と素晴らしい言葉か。※いずれもピンとこない。
・私はこれに1つ付け加えている。それは「人生は○○のためにある」と決する事である。若い頃は自分のためと思っていたが、それが虚構であると分かってくる。「誰かの、あるいは何かのための人生である」と定めると、重しが取れ、気持ちが楽になる。※こちらは説得力があるな。
○人生二毛作
・「人生二毛作」、長寿社会を表す良い言葉である。二毛作は同じ土地で1年に2度収穫する農業用語である。人生二毛作は、これを人生に転用し、定年後に新たな事項に取り組む事を指す。
・これを誰が言い出したか分からないが、最初に思い出すのは小椋佳だ。彼は銀行員をしている時、『シクラメンのかほり』『愛燦燦』などのヒット曲を出している。その後銀行員を早期退職し、音楽活動に専念している。
・私も定年退職後を振り返ってみた。日記を書き、自分を見つめ直してきたが、それは簡単ではなかった。しかしようやく掴む事ができたと思う。それを本として上梓し、世に問おうとしている。
○夢は追うべき-この世からなくしたいもの
・「夢」は不思議な響きを持つ。夢には明るく、楽しく、前向きな語感がある。『いつでも夢を』などが象徴的である。
・しかし実際に夜に見る夢は様々である。時には悪夢で起こされ、「何でこんな夢を見なければならないのか」と腹が立つ事もある。なぜ望まない夢を見るのだろうか、それは意識の底に、心配・恐れ・注意を持っているからだろう。※自分も夢を頻繁に見るが、今心配している事などをよく見る。ただし「こいつが出てきたか」みたいな事もよくある。
・しかし夢は追いたいものだ。「10代は夢を追い、20代は理想を追い、30代は現実を追う」の言葉があるが、アンチエイジングとして、いつまでも夢を追いたい。
・『房日新聞』の「展望台」を担当するようになって、自分の夢を考えてみた。それは「世の中から不合理・不公正がなくなる事」が結論になった。以前から「世の中には許せない、認めたくないものがある」との思いがある。
○年頭に思う無財の七施
・仏教の教えに「無財の七施」がある。「財力がなくても人に施しができる」との教えである。施しは7つあり、眼・顔・身体・心・言葉などである。※初耳かな。
・眼は慈眼施で、優しい眼差しである。顔は和顔施で、穏やかな顔である。そのためには利害得失・自己主張を超越する必要がある。身体は身施で、自分の体を動かし、他に尽くす事である。これは健康でないとできない。心は心施で、周りの人に心を配り、喜び・悲しみを分かち合う事である。言葉は言辞施・愛語施で、優しい言葉を掛け、思いやりを持って会話する事だ。残り2つは、人に席を譲る牀座施(※これは聞いたことがあるような)と、寝る場所を提供する房舎施である。※この七施は、施しと云うより一歩下がって自分のためだな。
・これらはお金や地位がなくてもできる。誰もが行い、それを受けている事になる。身近にいる人の言動で、私達の感情は如何様にもなる。人は皆、人の間にいる。
<第5章 教育を見つめる>
○校長としての授業-英語教師の小学校留学記
・中学校の英語教師を経て、中学校で3年、小学校で3年校長をした。小学校の校長に就いた時、全12学級で授業をしてみた(※学科は英語?)。最初に1年生に行ったが、元気で仲良くしていた。
・授業は50音図表と平仮名のカードを使って、覚えた文字を確認させたりした。これらは英語授業の技法の応用である。他の学年でも、担任から習った事を、視点を変えて認識させる授業を行った。
○英文日記の思い出
・英語教師としての歩みは指導法改善の連続だった。訳読方式は、「役に立たない元凶」とされる。「彼は、行った、東京に、バスで、友達に会うために」を理解する直読直解が正しい。その改善は35歳英検1級合格でピークになった。※少し詳しく書かれているが省略。
・その頃中学2年の5クラスを担当していたが、英文日記を毎日書く宿題を与えた。中には「英文日記は好きです。Thank you Mr.Suzuki」や、「夕食後、松山千春を聞いた。名寄が大好きです」などがあった。後で生徒から、松山千春は歌手と聞いた。気に入ったものは書き残し、今でも持っている。※これは生徒との素晴らしいコミュニケーションになるな。世代ギャップも縮じまる。
○先生、すみませんでした
・当時、英語の授業を視聴覚室で行っていた。黒板を独占的に使えるし、生徒達がやってきてくれる。そこで黒板を指すのに物差しを使っていたが、それで生徒の頭をコツンとやっていた。ある時、それで生徒に出血させてしまった。
・授業を自習にし、彼を病院に連れて行き、生徒の自宅に謝りに行った。翌日職員室に向かうと、生徒から「昨日は、すみませんでした」と頭を下げられた。その後40代になった彼と偶然会い、「先生の英語はよく解りました」と言われた。
○子供から学ぶもの
・小学校の校長をしていた時、1年生の生徒が生垣の枝を折って遊んでいた。彼らは生垣の価値を分かっていないので、それを諭さなければならない。そこで「この枝には値札が付いていないけど、値打があるんだよ。君達はこの価値が分かるようになるため、勉強するんだよ」と話し聞かせました。彼らは叱られると思ったかもしれませんが、学びについて教えたのです。※学びより、もっとストレートに生垣の破損を咎める方が良かったのでは。
・人間は生涯、学び続けます。知識だけでなく、物事の価値を知ったり、発見を繰り返すのです。また教師の学びも、子供の学びを見つめる事にあります。子供を通して社会を知る事ができます。教師は常に学びと共にあり、幸せな職業です。
○2つの時代を生きる-教師としても
・鴨川の図書館で面白い本に出合った。『昭和の時代』と題する本で、昭和30年頃から平成の初めまでの写真を載せている。巻頭は「子供の遊び」となっており、小学校低学年の男女7人の笑顔の写真で、「昭和28年頃、東京都江東区」となっている。どの顔も垢抜けた顔ではない。ところが今は、日本中のどの子も垢抜けし、話し方も話す内容も違いがない。これはテレビなどの影響だろう。
・その後はメンコ/ベーゴマ/チャンバラなどで遊ぶ子供が載っている。「放課後の子供達」の章では、年齢差のある子供達が集団で遊んでいる(※当時の道路は土で、幾らでも遊べた)。これらは約半世紀前で、人生80年になると2つの時代を生きる事になる(※高度経済成長の影響が大きいのでは)。時代に流されるだけでなく、歴史の教訓を意識し、往時の人より賢くあらねばと思う。※「往時の人より賢く・・」、もう少し説明が欲しい。
○都会も田舎も違いなし-子供の顔つき
・先日庭先で、子供達から「ボールが入ったので、探させて下さい」との声があった。ボールは隣家にあったみたいだが、彼らは「オレが悪かった」「いやオレの方が」などと会話していた。
・テレビで子供達の様子が映るが、都会も田舎も違いがない。話し方も、話す内容も同じである。この原因はテレビで、これにより均一化・均質化されたと思う。
・テレビが普及する際、その功罪が問われた。「心が毒される」「勉強する時間がなくなる」などである。この結論は簡単には云えない。しかし田舎出身者でも都会に出て、気後れしなくなったのでは。逆に田舎に誇りを持てるようになったと思う。
○親離れから自立へ-幼稚園入園式から
・幼稚園・小学校・中学校・高校と、それぞれ発達課題があり、その第一歩が入学式である。幼稚園の入園式には、親離れ・子離れの大きな意味がある。入園式で園児が保護者から引き離されると、必ず泣く子がいるが、そこは親も子も我慢しなければいけない。
・自立は簡単には説明できない。それには家族・家庭の中でも自立していなければ、外では自立できない。溺愛・過保護では、自分で考え、選択し、決定する機会を奪っている。そのため子供に、やってもらう事に慣れさせないのが重要となる。それが親の務めであろうと、そこには人間としての営み・心配り・気遣い・苦労・願いがある。子供は人間としては別人格であり、自他分離の認識が自立の出発点である。※実際は過保護による干渉と強制による干渉とでは、どちらが多いいのか。
○もう一つの卒業-人生課題について
・3月は卒業式のシーズンである。卒業は分かれであり、巣立ち・旅立ちである。『仰げば尊し』の歌詞にある「教えの庭」「学びの庭」は、教師が教える場から、子供が学ぶ場に視点が移ってきている。
・卒業には、公ではない人生課題からの卒業もある。例えば反抗期である。子供の頃に親に反抗し、青年になると現実に流される大人に反抗する。しかし近年この反抗期を経験しない子供が増えている。それは親子関係が友達関係になっているからだ。また青年期の反抗も同様で、彼らは理想の社会を目指すのではなく、現実の社会にどう適応するかに変わってきた。これは若者の保守化と云える。
・事の良し悪しは云えないが、人間は葛藤し、苦労し、知恵・優しさを学び、成長する。これは人生の必修科目であり、目に見えない卒業証書である。
○居場所を見つめる-役割と責任があってこそ
・子供にとって夏休みは、どの様な意義があるのか。家庭はどの様に機能し、子供の居場所はどこなのか。かつては子供は庭掃除、動物の世話、食事の支度など、家事の一端を担っていた。そこに子供の居場所があり、これらから役割を果たす重要性や生きる事の実相を学んだ。ところが現代は科学技術・文明の進歩により家事が減少し、その機会を失っている。
・人間の成長とは、居場所を見つける能力を獲得する事である。役割や責任を引き受け、居場所をより良いものにしていくのが人間性である。
○勤勉から自立と共生へ-教育価値の変遷
・夏休みが終わった。子供達はやり残した事などがあるだろうが、やり直せるのが学生時代である(※逆の気がする)。子供達はリスタートの気持ちになっているに違いない。子供達は社会に出るまで、これを繰り返す。
・彼らは成績を上げるために頑張るしかないが、新たに求められている事がある。それは個人としての自立と、他者と共生する心である。かつては一生懸命が要求された。これにより会社・組織は保証してくれた。ところが今は総中流社会から格差社会になり、社会と自分との関係を描けるかが重要になっている。子供にはっぱを掛ける時、弱者を理解し、共生の時代に生きる自覚を持ってもらいたいと思う。※こんな話が多いな。
○逆境指数と対人交渉力-学校での成績と社会に出てから
・学校での成績と社会での活躍の相関関係について理解する手掛かりを得た。逆境指数と対人交渉力である。逆境指数とは粘り・忍耐力・根性などで、学校での成績とは関係ない。逆境の中で工夫を得て、人間形成の糧になる。対人交渉力は逆境指数と繋がっている。相手の状況・立場を理解し、互いの利益を追求する。この能力も学校での成績とは関係ない。
・夏休みなどは、この逆境指数・対人交渉力を伸ばすチャンスである。学校および家庭は、この両者に真剣に取り組まなければいけない。
○公の度合い-学校で学ぶもの
・学校では公的な場面と私的な場面がある。公的とは卒業式などの儀式や職員室に入る時など、自由な行動が許されない場面である。一方私的とは休み時間などで、先生と自由に話す事もできる。
・従って同じ先生と生徒がいても、公的な場と私的な場に分かれる。ここに学ぶべきものがある。私的な場でユーモアな振る舞いができれば評価される。学校はこれが学べる場で、「公の度合い」を測る感覚を習得でき、それは成長の物差しと等しい。これから子供の成長を実感できる。
○蛍の光、仰げば尊し
・卒業式の時期になると、『蛍の光』『仰げば尊し』を思い出す。歌詞は卒業にマッチし、懐かしい歌である。しかし近年の小学校・中学校では歌われなくなった。
・定時制の卒業式に何度か出席したが、どの式も胸に滲んだ。卒業生には40歳を超える人もいるが、卒業に対する感謝が見られ、最後に歌われる校歌にも熱がこもっていた。
・「仰げば尊し、わが師の恩」。卒業は後の人生の拠点になる。それを実感する学校や地域であって欲しいい。
○育ててみたい
・諏訪中央病院の鎌田實医師の生育歴から、子育てについて考えた。彼は長野県を全国一の健康県にし、テレビなどでも引っ張りだこである。彼は1歳で養父・岩次郎の養子になっている。37歳の時、戸籍謄本で養子だったと知る。
・なぜ養父が實氏を引き取ったかは不明である。養父は小卒で、夫人も病弱で生活は楽でなかった。子育ては面倒で負担になる。仕事との板挟みで、苦しむ事もある。一般論ではあるが、彼は子育ての喜びや張り合いを選んだのではないだろうか。
・以前家内とこの話をした時、彼女は「子供がいなかったら、養子を取ったかもしれない」と言った。その言葉に女性への尊敬心を持った。かつて人々は朝から晩まで働いた。子供の成長は、その癒しになっただろう。子育ての意義・魅力が脈々と受け継がれる事を祈る。
○図書館の「おはなしひろば」
・鴨川市立図書館で毎月「おはなしひろば」が開かれている。これに参加してみた。部屋には小学校入学前の13人の子供と親がいた。子供達は穏やかに座っていたが、いざ読み聞かせが始まると、絵本の朗読に集中した。子供達は絵本からイメージを作り、その後音声を追っているのだろう。
・絵とお話が感情と一体である。これが重要で、彼らは自分の感情を人に伝える能力や豊かな人間関係を育む事になる。※教育学の世界だな。
○一人っ子政策の廃止から
・中国で「一人っ子政策」が廃止された。この政策により小皇帝なるものが生まれた(※小皇帝の説明があるが省略)。私は桂林を観光した時、赤ちゃんを抱いている母親から、それを実感した。また中国の下校は5時頃になるが、その頃になると大勢の人が校門に迎えに来る。
・日本では3時頃に学校が終わる。これは日本が専業主婦だったためだろう。今は放課後に学童保育・塾など、どう過ごさせるかが課題になっている。※遊んではダメなの?
○読書感想文
・知人が「孫の読書感想文を手伝う事になって、困った」と愚痴をこぼした。私も小中学校の頃に読書感想文の宿題があったが、「感想文を書く必要があるのか」と思った事がある。
・しかし若い頃は読書ノートを書いていた。「分かったとは、自分の言葉で表現できる事である」との説から書くようになった。新聞・報告書も同じで、読んで分かった気になっていても、後で簡潔な言葉にできない事が多い。私の場合、要約を残すだけでなく、「1年で何冊読めるか」なども楽しみになった。
・読書感想文には様々な事が書かれる。心に派生した思い、感動、感銘、引きずり込まれる興味・探究心、疑問、感情移入などである。読書感想文は面倒だが、頑張ってやってもらはないといけない。※自分の場合は、後で活用するためかな。
・読書には「筋読み」と「考える読書」がある。前者は「誰が、どこで、何を」が中心となる。そこから心の中にあるものを言葉にするのが重要で、それが後者に繋がり、読書感想文になり、心を磨くことになる。※後者を充実させたいが、余裕がない。
<第6章 来し方を振り返り、この先を思う>
○ほろ苦い夏の思い出
・ほろ苦い夏の思い出がある。小学校5年生の初夏、「放課後、学校の裏の川で泳ごう」となった。自分は泳げないのに「泳げる」と嘘を付いたのだ。当時村の小学校から、町の小学校に転向したばかりだった。この時は雨が降り出し中止になった。
・その後も誘われるが、断り続けた。終いに「お前、泳げないんだろう」となり、「本当はな」と肯定した。それがしばらく心に残った。自分の立場を明確に打ち明ける事ができなかったのだ。もしその仲間内にいじめがあれば、自分は同調しただろう。
○我が母親を思いつつ
・一緒に暮らしたのは高校までだが、母は苦労が多かったと思う。特に幼少期の記憶が残る。父は単身赴任だったが、後年母から義父母の愚痴を何度も聞かされた。
・私が4歳の頃、私はそりに乗せられ、小学校教師の母と学校に行っていた。私を家に置けない理由があったのだろう(※著者夫婦が教師で、両親も教師なんだ)。私は授業中、黒板の下で大人しく過ごし、休み時間は生徒達が遊んでくれた(※今では考えられない)。その後家族は、隣村の物置小屋に夜逃げする。
・中学生か高校生の頃、この母に猛烈に反抗した。その理由ははっきりしない。ただ父から叱られた時、「何もしてくれないんだもの」と言っている(※母は子離れしていたのに、著者が親に甘えたかったのかな)。私は自分の気持ちや感じ方を母に伝え、その反応を確かめたかったのだろう。私は常に暗闇の中にいて、手探りしている感覚を持っていた。周囲の様子を伺い、認めてもらわねば、期待に添わねばとの強迫観念を常に抱いていた。※子供の期間は短いが、その悩みも様々だな。
○中学2年の冬
・私は高校まで岩手、大学は東京、英語教師になって以降、鴨川に住んでいる。岩手と房州の違いを強く感じるのは冬である。房州では雪が降ると大騒ぎになり、大雪になると交通機関などが混乱する。
・岩手の冬で忘れられないのが中学2年の冬である。父は盛岡に下宿し、母は結核で退院し寝たきりで、家には小学生の妹2人がいた。それまでは、お手伝いさんがいたが、その冬はいなかった。私は朝起きると薪ストーブに火を付け、竈で御飯を炊いた。当時は裸足で、足の裏が痛かった。妹達の朝食を用意し、自分の昼の弁当のおかずは鮭1切だった。
・しかしこの3学期の成績は非の打ちどころがなかった。勉強した記憶はないが、気が引き締まっていたのだろう。辛かったろうが、辛いとは思わなかった。一生懸命とは、この事かと思う。
○ラジオ体操と膝痛
・毎朝6時半からラジオ体操している。この効果が幾つかある。まず膝痛である。体操を始める前は階段の昇り降りで膝痛があった。マッサージしたり、寝る前にカイロを貼ったり、薬を飲んだりしたが、それ程効果はなかった。ところがラジオ体操を夏に始めると、冬には痛まなくなった。
・膝だけでなく、腰も良くなった。腰は前後・左右に曲げる、回すなどがあるが、腰に意識を集中させると、上手く動かせる。機械を円滑に動かすのは油だが、人間の場合は動かし、筋肉を鍛える事だ。※この辺は同意。
○思い出の夏バテ対策
・立秋を過ぎると残暑お見舞いになる。この頃から暑さが効いてくる。夏バテと云っても、肉体の疲れなのか、胃腸・内蔵の疲れなのか判然としない。夏バテ対策の第一は、御飯を腹一杯食べる事と信じている。これはサッカーの指導経験による。※これも同意。
・真夏に中学生がサッカーの練習を2時間すると、体重は2Kg近く減少する。翌日これが回復しているかが重要である(※大半は水分だけど)。そこで練習の前後で体重を測り、前日の練習前の体重に戻っていない場合、練習に参加させないようにした。そのため体重が減る選手はいなくなり、皆逞しくなった。そのため千葉市の宿に泊まった時、皆がお茶を掛けてまで御飯を食べるので、宿の方に驚かれた。※バスケットの強豪校でも、「まずは、おかずなしで御飯を丼一杯」みたいに御飯をたらふく食べるらしい。
・このチームは優勝候補を倒した。試合前に「今日勝ったら全員にカツ丼を奢る」と言ったからかもしれない。たとえ勝っても、誰かが「先生に悪いから」と遠慮すると思っていたが、甘かった。
○ピロリ菌退治
・ピロリ菌退治をしたが、辛い1週間だった。胃の中は強酸性だが、ピロリ菌は酵素で中和し生きられるそうだ。これに感染すると慢性胃炎になり、胃潰瘍・十二指腸潰瘍・胃ガンなどになる。
・そのピロリ菌に罹り、処置を受ける事になった。薬の処方の仕方などの説明を受けると、最後に禁酒禁煙と書かれている。これは聞いていなかった。3種類の薬を飲んだ。禁煙はいいとして、禁酒は辛かった。
・1ヵ月後の検査で陰性になった。我慢のし甲斐があったと感謝した。同時に晩酌の価値も再認識した。これは思いに耽る時間である。
○腰痛・膝痛の対策
・ホッカイロは腰痛・膝痛などの痛みを和らげてくれる。ただし自己流なので、医学的な確証はない。腰痛は40代に始まった。原因は腰部が体重で圧迫されるためと聞き、腹筋運動を始めた。これが効いたようで、痛みはなくなった。当初は20~30回だったが、今は100回以上できるようになった。
・膝痛も起きるようになったが、これもホッカイロで対応した。また膝の裏側を乾布摩擦するのも効果があると分かった。
○風邪とインフルエンザ-誤解を正す
・風邪とインフルエンザは別の病気である。風邪は細菌だが、インフルエンザはウイルスによる。自分が子供の頃にはインフルエンザはなかった。※日本は病気の総称を風邪としていたみたい。
・インフルエンザ・ウイルスは細胞を持っていない。そのため細胞分裂で増殖したりしない。そこで鳥・動物にほう着(?)し、そこから人間に移る。人間に移るようになったのは、森林の減少が原因とされる。病気の予防も大事だが、正確な知識も欠いてはならない。※家畜も良くなかったらしい。今日の記事にはウイルスは85万種類あるとあった。
○終末期ケアへのヒント
・先日「がんケアフォーラム」を聴講し、「がん患者の心理的な部分へ効果的に介入する療法」の解説を受けた。病気云々以前に、生き方や覚悟について認識を深める事ができた。要は死ぬまでにどう生きるかが重要なのだ。
・治療は、治すと癒されるからなり、治療にはそれに対する精神的な信頼が重要である。講師が「心模様」の言葉を何度も使ったが、感情が重要である。コップに水が半分あるとき、「半分しかない」と捉えるか、「半分もある」と捉えるかで大きく異なる。
・感情をポジティブにするには、感謝・覚悟・諦念が重要になる。感謝の気持ちを持つと、全ての事をありがたいと思えるようになり、人間は強くなれる。また人間の限界を知り、諦念を持ち、その中で生きる覚悟が重要である。患者へのサポートもこれを念頭に置く必要がある。
○希望の認知症カフェ
・南房総市に認知症カフェ「おたがい茶間(さま)カフェ」があると聞いて、訪れてみた。毎週水曜日の10~15時までで、空き民家を利用している。人は大勢いるが、和やかな雰囲気で、良い感じだった。4室あるが、1室は相談室になっている。認知症の参加者は、当初は「早く帰らねば」と繰り返すが、直に言わなくなるそうだ。
・スタッフは十数名で、彼らはお互い様と達観している。認知症対策は喫緊の課題だが、このカフェに希望を感じた。※共助かな。
○感謝の上高地
・上高地は私の景勝地の上位にある。冬季は釜トンネルが閉鎖され、閉山となる。初めて訪れたのが4月末の開山初日だった。残雪の奥穂高、よどみなく流れる梓川に魅了された。上高地には「神降地」の別名もあるようだ。
・河童橋の袂にあるレストランの2階からが絶景である。河原に座り、山を見上げ、水音を聞きながら、おむすびを食べるのも良い。ここ10年、毎年のように行っている。※大自然の雄大さは心を洗う。
○思い出のバルト海
・海外旅行も幾つか行ったが、特に思い出深いのが北欧旅行だ。北欧3国を巡り、バルト海クルーズ/ベルゲン鉄道(※オスロから西へ向かう鉄道)/フィヨルド・クルーズなどを楽しんだ。
・バルト海クルーズはフィンランドのテュルクからストックホルムまでの一夜の船旅だった。夕食は飲み放題のバイキングだった。海の穏やかさが印象に残った。
○バカンスの季節
・フランスのパリ市民は90%がバカンスを取る。しかし内容は様々で、南仏や北欧に行く人もいれば、ブローニュやベルサイユの森に行く人もいる。北欧旅行でベルゲン鉄道に乗った時、フランスから来た母親と子供3人と一緒になった。1ヶ月半のバカンスを取るそうだ。その間仕事・家事はしないのだろう。日本との文化の違いを感じた。
・日本もかつては「湯治」があった。田植えが終わった後、温泉地に出掛け、自炊するのだ。近年「命の洗濯」の言葉もある。日本が欧州に近付くのを願う。
○ストックホルム市庁舎
・北欧旅行を思い出す事が度々ある。その切っ掛けは、テレビ・新聞・人との会話など様々である。その1つがストックホルムの市庁舎である。全てのドア・窓が閉められ、建物内にも人影がない。スウェーデンでは国民共通番号が振られ、住民票・医療・年金、全てのサービスがそのカードで事足りるのだ。教育・医療は無料で、年金も保証されている。ただし消費税は25%を払っている。これが実現している理由は、政治・行政の透明性・公平性にある。
<第7章 反戦を思う>
○戦没者追悼を考える-無念を晴らすべき
・8月15日は終戦記念日である。犠牲者は310万人を超え、全国戦没者追悼式が昭和38年から開かれている。戦没者への哀悼は、末永く継続されなければならない。
・なぜ戦争を起こしてしまったのか。そこには政府と軍部による情報隠しがあった。兵士から家族に送られる手紙も検閲された。戦争が終わると、国民を総動員して証拠隠蔽が行われた。
・様々な事実が明らかになったのは東京裁判による。これには正確性が欠けるとの批判もあるが、これが行われたお陰で、軍隊の事実や戦争の残虐性が判明した。
○ひめゆり隊解散命令
・今日映画『さくら花』が上映される。これは人間爆弾「桜花」をテーマにしている。これに関連し、ひめゆり隊の生き残り謝花澄枝さんとの出会いを思い出した。糸満市のひめゆり記念資料館を訪れていた時、彼女に会った。
・ひめゆり隊は沖縄師範学校の生徒240名が看護要員として動員され、沖縄戦中に那覇から南の洞窟に移った。ところが6月18日解散命令が出て、各自が北へ移動する事になった(※沖縄戦終結は6月23日)。彼女は3日間食べ物はなかったそうだ。その後米軍の捕虜になり、洞窟から救出された。※手榴弾による自爆の話はよく聞く。
○ヒロシマの建物疎開-引率教員の使命感
・ここ数日雨だったが、梅雨が明けるとカラカラ天気になった。この時期思い出されるのが8月6日の原爆投下である。広島では人口35万人の内、20万人が亡くなった。広島の平和記念資料館には多くの人が訪れ、慰霊碑には「安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから」と刻まれている。
・被爆の惨状を伝える出版物には『原爆の子』『黒い雨』などがある。被爆体験の伝承も沢山あるが、その1つに建物疎開にまつわる伝承がある。広島では学徒を動員し、7ヶ所で建物疎開が行われ、8400人が犠牲者になった(※私の祖父も引率教員として犠牲者になった)。そんな中、ある一校250人は「防空壕などがなく、生徒の安全性が保障できない」として自宅修練となり、被爆を免れた。その教師は「非国民」と非難されたが、人命を守る信念を貫いたのだ。
・近年、国際環境が厳しくなっているとし、安保法制が論議されているが、時の勢いに流されてはいけない。
○満蒙開拓団の悲劇-一方的な情報の恐ろしさ
・映画『望郷の鐘~満蒙開拓団の落日』を見た。1936年「満州農業移民100万戸移住計画」が決定し、満蒙開拓団が推進される。農家の二男・三男などは徴兵がない事もあり、これに参加した。この映画の長野県の阿智郷開拓団は終戦の年の5月に入村している。8月ソ連が参戦すると、軍は移民団を守るどころか、橋を壊すなどして逃げた。移民団には全く情報が与えられなかったのだ。
・同様の問題が尖閣諸島周辺の漁業問題である。1997年に結ばれた「日中漁業協定」で、双方は許可なく操業でき、双方の公船は上陸を監視するためとされる。しかし危機意識を煽るだけで、全く報道されていない(※何が?)。国際環境が厳しさを増すとの一面的な報道はあるが、その説明はなく、その原因を探る動きもない。
○戦艦「武蔵」撃沈の渦中
・「戦争を語り、伝える会 in鴨川」の7月例会は、戦艦武蔵の気象兵だった早川さんの体験談だった。武蔵は5時間に亘って米軍の攻撃を受けた。2400人の兵員に離艦指示が出るが、武蔵は6千tの重油を積んでいたため、周りは重油の海だった。彼は海へ飛び込んだが、中には泳げない兵員もいた。彼は左腕を骨折したため、救助船に中々上がれず、5回目に大袋で引き上げられた。
・彼は当初は話したくなかったが、あの苦しみを伝える必要があると意識するようになった。2時間の話を終え、「戦争をどう考えますか」の質問に、「これほど無益なものはない」と答えた。
○6年生が牛の鼻とり-終われば学校に行ける
・4月の中旬になった。そろそろ田植えの時期である。この時期になると共同自分史『私 今・あの時』の中の「戦争と私」を思い出す。
・昭和16年小学校6年生だった彼女は、父と畑仕事をしていた。兄は兵役に取られ、母は病弱だった。田植えの前に牛にオウガを引かせる「代掻き」をするが、父が所用で彼女一人でする事になった。彼女は嫌がる牛に、なんとか言う事を聞かせ、夕方にやっと作業を終えた。帰りは牛に引っ張ってもらって帰ったそうだ。そこには「仕事を終えれば、学校に行ける」の思いがあった。※「あちこちのすずさん」だな。それにしても戦争の被害者は広範囲に及ぶ。
・この状況が頭に浮かんでくるが、彼女の建気さ・一心さを感じる。人間はこの気持ちがあれば、どんな辛い事でも我慢できるのだ。同じような話が共同自分史には幾つも書かれている。便利さに満ちている現在、果たして一心になれるだろうか。一心になれるのは幸せでもある。
○原爆と向き合う日々
・8月6日は広島、8月9日は長崎に原爆が投下された日である。それぞれ平和式典が開催され、平和宣言が読み上げられる。宣言の内容は実行委員会により入念に練られるそうだ。かつては原水爆禁止世界大会が広島で開かれていたが、そこで発せられるメッセージは揺れ続けている。
・忘れてはならないのは、多くの市民が犠牲者になり、さらに多くの人が後遺症に苦しんでいる事実である。政治レベルでは「戦争を終わらせるため」と云われる。軍事レベルでは、投下1時間前に気象観測機を飛行させるなど、核兵器の効果測定に集中している。
・過去の過ちから起こされた犠牲に心から悼み、二度と繰り返さないと誓い、叫び続ける。これが人類に課せられた営みである。
○オバマの風をかみしめる
・オバマの広島でのスピーチは世界に深い感動を与えた。その17分間のスピーチの全文を読み直してみた。米ロの対立から核廃絶は止まっている。このスピーチにはその難しさが表されていた。彼はこの困難の中で、希望と覚悟を持ち続けるべきだと説いている。
・残念だったのは、被害者への女子アナウンサーのインタビューである。彼女は「この先、どの様に核廃絶を実現しますか」と問う。これは政治指導者に問うべきで、被害者に投げる言葉ではない。今が良ければの生活感情が丸出しで、人道への思いや人間の連帯などの価値が捨て去られている。
○今村均陸軍大将-東京裁判批判に思う
・月刊誌の別冊「知性で戦え~昭和史大論争」に「名将・今村均」の章があった。彼は南方戦線でラバウル作戦などの指揮を取った。ラバウルでは食糧不足から、隊を農作業/塹壕掘り/警戒作戦の3つに分けた。原住民に対しても人道的な施策を貫いた。これには後日談がある。彼はA級戦犯として巣鴨に拘束されるが、戦地での行動に一点の曇りもなく、自由の身になる。
・軍人には2種類ある。国のためを錦の御旗とし、冷徹に使命を貫く軍人がいるが、そこには人間の存在はなく、人道の対極である。一方彼のように、冷徹な使命に苦しみながらも、人間が生きる事への敬意を失わなかった軍人もいる。
○二度と繰り返したくない
・近所の公民館で毎月、「戦争を語り、伝える会」が開かれている。地域に在住する人が語り手になるが、それは必ずしも前線での体験ではなく、銃後の体験もある。体験談には、「731部隊の隊員として、中国で生体実験に関わった」「関東軍に所属し、4年間シベリアに抑留された」「戦艦『武蔵』に乗船し、その撃沈を体験した」「南方戦線に従軍したが、従軍慰安婦を乗せた船に遭遇した」などがあった。
・例会は2時間で、前半は体験談、後半は話し合いになる。話し合いの最後は、大概近頃の安全保障の議論になる。そこでは、戦争の悲惨さを前提にしないといけない事や、戦争を知らない指導者の勇ましい発言が議論になる。戦争により家から働き手が連れ去られ、残された家族にも影響を与えた。この過ちは、二度と繰り返してはいけない。
○映画『9条』を見る
・公民館で映画『9条』を見た(※公民館活動などが活発な地域だな)。憲法9条を維持すべきか破棄すべきかを12名の青年が議論する映画である。最初に憲法9条が写し出される。その後、テーブルを囲んで12名が議論する。最初はこの条文の形成過程の説明である。各青年が維持か破棄かの見解を述べるが、6対6だった。討論が進むにつれ、結論ありきの感情論が自然にかみ合っていく。これにより主張がどこで思考停止になっているかが分かる。※具体的でないな。
・「破棄すべき」との主張の、「外国が攻めてきたらどうするのか」「愛する人が危険にさらされ、守らないのか」には迫力があった。しかしこれは正当防衛だが、そこでどこまで戦うのか。軍を統制できるのか。敵が攻めてくる事を想定しているが、日本自身が危機を煽っていないのか。映画は結論を出さないまま幕を閉じたが、納得がいく映画だった。
○自分に目覚める力-あとがきに代えて
・房州の地方紙にコラム「展望台」がある。これを担当し8年が過ぎた。これまでに850本の原稿を書いた。しかしこれは自分が目覚める過程だったと思う。自分が見聞きし、感じ、考えさせた外界が、自分を目覚めさせた。そこには向き合おうとする気持ち、理解し考えようとする姿勢、それを表出し人と分かち合おうとする欲求がある。
・原稿を書き終えて見返すと、それは元々自分の中にあったものではないと気付く。また「自分はこう考えていたのか」とか「こういう見方をしていたのか」と気付く(※前文と矛盾しているような)。そして「自分の思考や感性が、これからどこまで広がるのか」の気持ちになり、自信になる。
・外界の人・事物・出来事など、それらは全て内面を秘めている。それらと向き合うことで自分に目覚めるのだ。世の中の全ての物は、それぞれ生きている。それは健気であり、感動的である。従って目に映る全ての物を話題にできる。
・私は英語とサッカーに夢中だった教員だが、幾らか主張したいものもあった。しかし自分の内面にあるものだけでは限りがある。そのため目を養うしかなかったが、これにより自分が目覚める過程を歩んできたと実感している。
※この節は大変訴えるものがある。自分も社会人になった直後はレポート用紙に多少詳しい日記を書いていた。しかしそれは短い期間だった。自分の考えを文章で書き残すのは、素晴らしいと思うのだが・・。