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『日本人とインド人』グルチャラン・ダス/野地秩嘉(2020年)を読書。

著者はインド人で、米国の大学で学び、医薬品メーカーに勤めています。その彼がインドの経済・社会などについて述べています。
中国を抜くとされるインドの内情を知る事ができた。インドを一言で言えば、多様性が存続する国だろうか。

ヒンドゥー教/カーストやインドの経済対策などを知るのに、丁度良かった。またインドと中国の比較も面白い。
インドのデジタル化は相当進んでいる。一方依然として州の権限が強く、課題は多そう。ただ現首相モディは優秀らしい。
経済成長に関しては、中国のように国家主導でないため、高い経済成長率は望めない。

お勧め度:☆☆☆(読み易い)
内容:☆☆(概要的)

キーワード:<巻頭解説>スズキ、カースト、モディ首相、<はじめに>グルチャラン・ダス、福沢諭吉、<私にとってのインド>コロナウイルス、亜大陸、経済成長、カースト/ジャーティ、独立、ハーバード大学、リチャードソン・ヒンドスタン、作家、マウス・マーチャントの成功、<インドはこんな国>王、ラージプート、木綿、天然資源、民主主義と州、<インドの経済改革>フェビアン社会主義/混合経済、IT産業、デジタル革命、アドハーシステム、モディ政権、金融サービス、インディア・スタック、マルワリ人、<日本人とインド人>ダルマ、近代化、<インドで成功する日本企業>スズキ、トヨタ、ユニクロ、MUJI、<インドの日本人ビジネスマン>意思決定、女性、成功、<これからの日本とインド>個人消費、保護主義、サービス業、インド進出、<おわりに>行動指針、冒険心、幸せ

<巻頭解説> 鈴木修
○インド人の心は変わらない
・スズキは今年(2020年)が100周年です。インドに進出したのは1983年で、40年近くになります。お陰で、インドで走っている車の半分は、スズキの車になりました。
・私が最初に折衝したのはインド政府の官僚で、国を代表する意識を強く持っていました。しかし会社を設立すると、インドの慣習・風習が前面に出てきました。※イスラムと同じで、ヒンドゥー教が根付いているかな。
・1980年代初めは、まだカースト制度が残っており、幹部は生産現場のワーカーと食事するのを嫌がりました。そこで私達日本人は、ワーカーの列の最後尾に並ぶようにしました。これを見て彼らも列の最後尾に並ぶようになりました。

○恩返しは東南アジアに
・スズキがインドに進出してから、インドの生活環境は向上しました。当初自動車は富裕層の乗り物でしたが、今は普通の市民が買っています。
・インドの工場で操業を始める時、私が作った短編映画を幹部に見せました。それは戦後の焼け野原から始め、次に発展した日本を見せました。これは「頑張れば豊かになる」のを知らせたかったのです。

・1950年私は、ふるさと岐阜県下呂の成人式に出席しました。そこで町長が「私も経済の再建に頑張るが、皆様も頑張って下さい」と挨拶されましたが、それを忘れられません。日本は米国に助けられましたが、その恩返しを東南アジアやインドでやりたいと思っています。
・インドに進出した当初は日本から部品調達していましたが、1985年年間生産台数が5万台になった頃から、部品メーカーもインドに進出してくれるようになりました(※2年で5万台か)。今では部品の95%を現地で調達しています。

○慌てなくて良い
・1990年代半ば、インドで政権交代が起こり、スズキとインド政府の関係が、ぎくしゃくします。会社はインド政府とスズキの合弁会社でしたが、部品をスズキが納入していたため、「納入品が高過ぎる」と言ってきたのです。実際は利益が出たら、設備投資に使っていました。しかし誠意を伝え、納得してもらえました。しかしその後、ストライキや暴動も経験しました。
・しかし私は戦後の日本の混乱を知っていたので、ストライキが起こっても、一時的な「はしか」と考え、慌てませんでした。3千人によるストライキが起きますが、3ヶ月後には半分が戻ってきてくれました。

○モディさん
・スズキが受け入れられたのは、私達が分け隔てなく、当事者として入ったからでしょう。そのため私は本書で「マルワリ商人」と書かれています。
・今のモディ首相とは、グジャラート州首相をされていた頃から知っています。その時浜松にも来てもらっています。彼は苦労された方で、インドの発展を願っている人です。

○今後の自動車業界
・2018年世界での自動車販売台数は約9600万台で、インドは340万台です。インド市場は、2005~15年で7.9%成長しています。2030年には1千万台になり、シェア50%を維持するためには500万台を売る必要があります。
・当社はトヨタと提携しました。それはこれからはハイブリッド/電気自動車/コネクティッド/自動運転なども考えなくてはいけないからです。しかし何でも「先生、教えて下さい」ではダメで、当社も貢献しなくてはいけません。インドでは大きな車はトヨタ、小さな車はスズキが提供し、共にスズキ・ブランドで売る事になります。

<はじめに> 野地秩嘉
・私は著者のグルチャラン・ダスさんを「インドの福沢諭吉」と呼んでいます。作家/戯曲家/歴史家/哲学者/教育者です。ハーバード大学に留学し、同大学のビジネススクールを卒業し、インドでは先駆的な人物です。インドのリチャードソン・ヒンドスタンの会長兼最高責任者になり、それを買収したP&Gの戦略企画担当経営幹部になっています。

・1991年から、インドは大掛かりの経済改革を始めています。そのため彼は「今のインドは明治維新後の日本に似ている」と言います。彼は正に福沢諭吉で、米国に渡り自由主義/ビジネス/西洋的思想を学び、帰国し啓蒙する小説/戯曲/ビジネスコラムを書いたのです。彼はグローバル・ビジネスを説く一方、インドの精神を忘れるなと主張しています。

・彼が深く日本を知るようになったのは、ドナルド・キーンと三島由紀夫によります。1968年彼は友人であったキーンと来日し、三島由紀夫を訪れている。以降彼は日本に関心を持ち、黒沢映画・小津映画を観るようになります。
・彼は本書を書くのに、スズキ/トヨタを訪れ、無印良品/ユニクロを偵察させている。そして「日本人とインド人は似ている。共に製造業よりサービス業の方が稼げる。インドには顧客志向を意味するサンスクリットがあるが、日本にも同様の諺がある」と言っています。彼は日本人・インド人・米国人の精神性を論じられる貴重な人です。

<第1章 私にとってのインド>
○中国の新型コロナウイルスとインド
・感染症について、中国とインドの違いを話します。共に人口が多く、貧富の差が激しい国です。衛生に関しても同じレベルでしょう。しかしインドから感染症が拡がる事はありません。それは市場の様相が違うからです。中国・東南アジアの市場では、動物・食肉を多く扱います。一方インドの市場は、野菜/スパイス/ハーブが大半です。インド人はベジタリアンなのです(※これは知らなかった)。中国は急成長しましたが、売買が禁止されている動物を扱うウェット・マーケット/闇市が残存しているのです。

○インドと云う国
・インドは、ペルシャ人がこの地を「ヒンドゥー」と呼んだ事が始まりです。しかしインド憲法には「バーラト共和国」とあり、これはバラタ族の子孫を意味します。※他者からの呼び名ではなく、自身が考える呼び名を記しているのか。倭と日本の関係みたいだな。
・インドは人口13.5億人/労働人口5.2億人で、共に中国に次ぎます。しかし2027年頃に中国を抜くと予想されています(※直ぐだな)。またインドは人口ボーナスにあります。※「人口ボーナス」とは「労働人口が人口の70%を超える状態」だったと思う。

・インドは亜大陸と呼ばれます。これは西・北・東は山脈に囲まれ、南はアラビア海/ベンガル湾に囲まれ、陸の孤島だからです。アラビア海にはムンバイ/ゴア、ベンガル湾にはコルカタ/チェナイの港があり、インドは商業が栄えました。
・インドの6割は熱帯に属しますが、四季があります。国土は平原・高原もあり、大河も流れています。そのため野菜・果物・木の実は豊富に取れます。また鉄鉱石・原油も産出します(※ダイヤはどうだったかな)。そのためインドは「フィッシング・ネット」(漁網)と呼ばれます。
・インドに入るにはカイバル峠/ボーラン峠を越える必要がありますが、一旦入ると温暖で、食料は豊富にあります。また中国では同化を迫られますが、インドでは迫られず、移民はコミュニティを形成し、多様化しました。

○インド経済は爆発するか
・インドのGDPは3兆ドル(330兆円)で世界7位、購買力平価(?)は10.5兆ドルで世界3位です。いずれ米国/中国を抜くでしょう。インドの中間層の年収は約70万円で、物価が日本の1/4なので、年収280万円と云ったところです。一方貧困層の収入は1.9ドル/日で、これは世界銀行の貧困ラインと同じです。世界に貧困層が7.4億人いますが、その内2億人がインド人です。インドは年率5~7%の経済成長しており、20~30年経てば、国民の半数(7億人)が中間層になります。インドは豊饒なマーケットになります。

○インドらしさと英語
・インドは1991年から大きく変わりました。インド独立の指導者ジャワハルラル・ネルー(※初代首相。以下ネルー)の「混合経済」から自由主義経済に変わり、以降は年率7%の経済成長を遂げています(※ソ連崩壊が各国に影響を与えた)。私(※グルチャラン・ダス)は中国のように10%を超える成長は、精神性を失い、害になると思います。三島由紀夫も同様の事を言っています。

・インドの識字率はヒンドゥー語で71%です。一方英語がしゃべれる人が12%(2億人)います。そのため米国のコールセンター・ビジネスが興りました。
・宗教はヒンドゥー教が最も多く、イスラム教/シーク教/キリスト教/仏教/ジャイナ教/ゾロアスター教などもいます。
・インドには4段階のカースト制度があります。さらにジャーティと呼ばれる、2千以上の職業別・移民集団があります。※今は職業は固定されていないみたい。

○インドの政治
・インドは独立時から民主主義で、有権者が9億人います。そのため開票に時間が掛かります。産業は農業・工業・サービス業(ITなど)、何れも存在します。今のインドは貧困から繁栄、伝統から現代に変わっている段階です。

○私が生まれた頃
・1943年私は、北西部のパンジャブ州で生まれます。父は灌漑用水路を設計する技術者で、中流家庭でした。当時のインドは、鉄道網が世界3位、ジュート製造で世界1位、綿織物業で世界4位、灌漑システムで世界1位でした。しかしそのまま工業国になるには、工業力・技術力・技術教育が不十分でした。
・1947年インドとパキスタンが独立します。同時にヒンドゥー教徒2千万人がパキスタンからインドに、イスラム教徒1.8千万人がインドからパキスタンに移動しました。私達一家も国境からわずか60Kmの場所に移動し、インド国民になりました。
※パンジャブ州はインドにもパキスタンにもある。またパンジャブ州の北に紛争地カシミールがある。

・独立後、政治は民主主義になりますが、ネルーやその娘インディラ・ガンジー(※マハトマ・ガンジーとの血縁関係はない)などが政治を独占します。経済は「混合経済」と呼ばれる社会主義経済になり、経済成長は遅れます。国民の4割が読み書きができず、1/3は安全な水を得られず、村の5/6には診療所がありませんでした。しかし平均寿命は30歳から64歳に伸び、乳幼児死亡率も半減しました。経済成長率は20世紀前半の1%から、20世紀後半には4.4%まで浮上します。その後経済改革で急伸します。

・1955年一家は米国のワシントンDCに引っ越します(※父の仕事は何?)。私は13歳でハイスクールに通います。入学時は白人8割/黒人2割だったのが、卒業時には白人2割/黒人8割に逆転します。中流階級の白人は郊外に引っ越したのです。
・ハイスクール卒業時に一家はインドに戻りますが、私は飛び級でハーバード大学/プリンストン大学/イェール大学に合格し、ハーバード大学に入学します(※メチャ優秀だな)。専攻は哲学・歴史・経済学です。当時ハーバード大学にはインド人が2人しかおらず、駐米インド大使に呼ばれパーティに出席したり、外交官に代わって各地を訪れました。当時の教授も錚々たるメンバーで、ジョン・ケネス・ガルブレイス/ジョン・ロールズ/ヘンリー・キッシンジャーなどがいました。
・ハーバード大学を出た後はオックスフォード大学の大学院で哲学を学ぼうと考えていました。ところがインド哲学を究めるとは無になる事です。ヒンドゥー教には「無に帰する前に何かをやらねばならない」との教えがあるため、インドに帰って働く事にしました。

○医薬品メーカーのサラリーマン
・インドに帰り、十数社の米国企業に採用願いを出しますが、返事をくれたのはリチャードソン・ヒンドスタンだけでした。1964年から見習社員としてムンバイで働きます。その後ニューヨーク/メキシコで勤務し、1980年ゼネラル・マネージャーとしてインドに戻ります。同社の主な商品は胸に塗る「ヴィックスヴェポラップ」で、ライバル商品は「タイガーバーム」です。
・1985年P&Gが同社を買収し、私はインド全体を見る会長になります。1992年本社のマーケティング・ディレクターになり、1994年50歳でP&Gを退職し、フルタイムの作家になります。文章は英語で書きますが、それはヒンドゥー語が得意でなかったのと、米国での暮らしが長かったからです。

・インドで働いていた時、各地の個人商店を回り、ヴィックスヴェポラップの販売促進を図りました。また猥雑なバザールにも足を運び、消費者の声も聴きました。それで得た教訓は「弱味の改善より、強味の増大」「市場に自社の意思を押し付けるのではなく、市場の声を聴く」です。
・成功例は幾つかありますが、最初のケースはよく覚えています。ヴィックスヴェポラップは欧米では冬に売れる商品です。そのためインドでも販売促進費は冬に使っていました。しかしインドはクリケットが盛んで、子供達はモンスーンの季節(7~9月)でも外でクリケットをします。そのためヴィックスヴェポラップは夏場でも売れていたのです。そこで私は上司に掛け合い、夏場の販売促進費予算をもらい、映画の広告を作ります。この広告により冬場と夏場が販売のピークになります。

・もう一つの成功例は1981年で、全インドの薬局・薬剤師が医薬品メーカーに利幅の拡大を要求し、要求を断った場合は商品をボイコットすると決めたのです。この時インド政府は薬価の引き上げを認めていませんでした。ここで私は全社員に提案を求めたのです。それに「ヴィックスヴェポラップは自然の薬草から作られているので、アーユルヴェーダ薬品と登録しては」との提案がありました。この提案に従い登録変更を行い、価格統制から外れ、また薬局以外の一般の小売店でも販売できるようになりました。これにより価格は引き上げられ、販売店舗も3倍に増えました。
・これを機に女性だけの新工場を建設しました。当初は20人だったのが、1250人まで増えました。

・50歳で仕事を辞めますが、ビジネスマンの間も休日はライターをしていました。経済問題だけでなく、歴史・戯曲などを書いていました(※凄い才能だな)。ニューヨークで進路に迷っていた頃、戯曲『ミラ』を書き、コロンビア大学で助教授をしていたドナルド・キーンに見てもらいました。彼はこれを気に入り、オフ・ブロードウェイで上演してもらいました。彼は優秀なプロデューサーでした。

○作家への転身
・1991年インドは社会主義経済から市場主義経済に大転換します。許認可制度の撤廃、海外からの投資の規制緩和、国営企業の民営化などが行われます。結果経済成長率は、1991年1.1%が、1995年7.6%に伸びます。私が作家専業になる決心をしたのは、許認可権などの既得権益を復活させようとする「左寄り」の政治家に対抗するためです。
・今は主に『Times of India』にコラムを連載しています。同紙は英字新聞で、世界最大の発行部数(284万部)です。これでインドの繁栄は、市場主義・自由主義にあると訴えています。

○毎日をこう過ごしている
・毎朝5時半に起き、6時~10時半に執筆します。午後はビジネスメールを読み、事務連絡します。それは午前中にビジネスメールを読むと、執筆に影響するからです。正確には午前中だけ作家専業なのです。
・ビジネスとしては、数社のアドバイザリーボードに出席しています。そこでの発言の基本は、「市場の声を聴け」「現場に足を運べ」です。
・ビジネスと作家である事は深く関係しています。インド人はビジネスでストーリー・テリングをします。物語を述べる事で、説得力が増すのです(※サクセス・ストーリーか)。またインドのビジネスマンは9割が自営業です(※会社勤めがいない?)。そのため「マウス・マーチャントの成功」などの起業家の話が好まれています。※日本とは異なり、自立型・独立型社会なんだ。

○マウス・マーチャントの成功
・貧しい男の子がいました。お金持ちの家の玄関にネズミの死骸があったので、彼はそれをもらいます。それを未亡人の所へ持っていきます。彼女が猫を飼っているのを知っていたのです。そこでお金をもらい、水と豆を買います。それを森の中のキコリの所に持っていきました。代わりに薪をもらいました。彼はそれを溜め、薪の値段が高くなるモンスーンの時季に売りました。彼は材木商人になり、貿易のための船を持つまでになります。※マウスは口ではなく、ネズミか。
・これはインドでは誰もが知っている話です。インドのおとぎ話にはビジネスに直結した話が多くあります(※流石に商人の国だな)。インドは1991年からの経済改革で大きく変わります。※本来のインドに戻ったのかな。

<第2章 インドはこんな国>
○インドの王と中国の皇帝
・インダス文明が興ったのは紀元前2600~1800年です。紀元前1500年頃にアーリア人がパンジャブ地方に入ります。その後各地に王国ができ、16世紀ムガール帝国がインドの大半を統一します。インドの王と中国の皇帝は大きく違います。中国の皇帝は強大な権力を持ち、徴税や徴兵する権利を持ちました。一方インドの王の権力は限られ、洪水の防止などのインフラの整備と徴税に限られました(※タージマハルはムガール帝国時代の墓だな)。徴税は収入の1/6と決まっています(※全ての国でそうだったのかな。これはヒンドゥー教の影響かな)。インドでは王の絶対的権力が認められませんでした。そのため独立時から民主主義が実現したのです。

○ビリヤニ社会
・7世紀北インドにラージプートが入り、北インドでプラティハーラ朝(8~11世紀)、南インドでラーシュトラクータ朝(8~10世紀)を建国し、東インドで土着のパーラ朝(8~12世紀)が建国されます。その後北インドにイスラム系のガズナ朝(10~12世紀)が建国され、プラティハーラ朝を滅ぼします。※ラージプート時代が、インド本来の時代かな。
・ラージプートは中国にも入っていますが、同化されました。中国社会はミックス・スープですが、インド社会は具が残るビリヤニ(※混ぜご飯)です。

・インド人は話し好きです。話し始めると止まりません。意見が収斂するまで、果てしなくしゃべります。※電車の中で、聞き取りにくい英語でずっとしゃべっていた。

○木綿の下着
・インドを代表する産業は木綿です。ローマの元老院議員が「木綿の服を着るのは止めよう。金銀の装飾品も止めよう。ローマの財産の65%がインドに行っている」と言っています。ローマと南インドは、船が毎日往来し、貿易をしていました。その後も西洋とインドの貿易は続きますが、西洋はインドの絹・綿糸・綿織物・スパイスなどを輸入しますが、輸出は金・銀しかありませんでした。※中世欧州は本当に貧しかったらしい。
・インドの木綿は良質で柔らかく、産業革命前の18世紀初めの欧州に流れ込みます。そのためインドは世界有数の製造国になります。この綿織物は手工業によりますが、商人のシステムも整備されていました。商業資本が出現し、代理店・仲介業者・中間商人などのネットワークも整備されていました。インド商人の為替手形はアジアの主要都市で信用されました。

・産業革命が起こるとインドの綿織物産業は後退します。1830年世界の工業生産は英国9.5%/インド17.6%でしたが、1900年英国18.6%/インド1.7%に大逆転します。しかしインドも紡績工場を創建し、1875年には輸出を再開し、国内でのシェアも英国を抜き返します。1896年にはシェア8%でしたが、1913年には20%、1936年には62%に回復しています(※1875年に英国を抜いたのでは)。インドの綿織物産業は短い期間で復活したのです。

○鉄鉱石、石油、天然ガス
・インドは天然資源が豊富です。鉄鉱石の産出量は世界4位、石炭の埋蔵量は世界5位、石油の埋蔵量は世界24位、天然ガスの埋蔵量は世界23位です。これらの資源を管理していたのが国営企業だったので大変非効率でしたが、1991年以降は徐々に改善されています。

○パイを焼く前に分配する
・西洋では産業革命が先で、民主主義が後です。ところがインドでは、民主主義が先で、産業革命が後です。そのためアウトカーストだった「グリット」の地位が引き上げられました。例えば公務員の「リザベーション」で、22~50%の特別枠が設けられています。これによりグリットの州知事/国会議員も生まれています。

・民主主義はポピュリズムに通じます。そのため成功の前、計画を立てた時点で分配を行うのです(パイを焼く前に分配する)。これがインドの悪い点で、例えばインドは電力不足なのに、パンジャブ州の農民は電力/水がタダです。彼らはポンプで水を汲み上げ、サトウキビを生産しますが、それを政府がさらに固定価格で買い取っています。インドでは州政府が強い権限を持ちます。そのためこの様な事態が起きます。日本企業も進出する時は注意が必要です。

・また政府は固定価格で買い取ったサトウキビ/木綿/青果などを、買い取った価格より安く小売業者に売ります。その時、「カントリー」と呼ばれるコンサルタント業者(多くは政治家の親戚)がアドバイスしています。経済を良くするには、長期計画が必要です。ところが政治家が当選すると、選挙民は直ちにこんな要求をし、政治家は直ぐに約束するのです。※何かギリシャだな。
・インドには28の州と、9つの連邦直轄領があります。州の権限が強く、非効率な制度でも中々改善されません。※州関税は今でもあるのかな。

<第3章 インドの経済改革>
○フェビアン社会主義
・私はインドの独立(1947年)から1990年までを「失われた40年」と呼んでいます。それはネルー(※初代首相、1947~64年)がフェビアン・ソーシャリズム(フェビアン社会主義)を導入した事が原因です(※社会主義にも色々あるんだ。英国で生まれたみたい。また課題ができた)。これはソ連・中国ほど極端ではなく「混合経済」と呼ばれ、生産の多くを公営企業が担い、物価も統制されます。私的な企業は、規制・計画でがんじがらめになります。
・フェビアン社会主義は、フェビアン協会による斬新的な社会主義で、ジョージ・バーナード・ショー/シドニー・ウェッブ/H・G・ウェルズ/バートランド・ラッセルがメンバーだったため、世界から注目されます。第二次世界大戦後、ソ連が興隆したため、ネルーだけでなく、スカルノ(インドネシア)/ナセル(エジプト)も社会主義に惹かれます。

・ネルーの後を継いだ娘インディラ・ガンジー(※3代首相、1966~77年。6代首相、1980~84年)の混合経済が、地獄をもたらしたと考えます。政府が許認可権を持ち、賄賂が要求され、許認可を得れば独占企業になり、ベンチャー企業は参入できません。競争がないので、価格も下がらず、改良も進みません。
・さらに問題なのが、「これをやってはいけない」の「レッドテープ」の存在です。生産は公営企業が担いますが、頑張っても給料は変わらないので、優秀なビジネスマンは海外に脱出しました。インド経済は低迷し、日本・台湾・韓国が「アジアの虎」になる一方、インドは「眠れる象」になったのです。
・彼女が法人税率を97%にしたため、インド商人(?)はモチベーションを失います。ついに経済危機が訪れ、1991年国際通貨基金(IMF)により経済改革が始められます。

○ネルーとガンジーの6つのミス
・彼らの6つのミスを纏めます。
 1つ目は、自給自足を目指し、貿易を否定しました。これは「アジアの虎」達と反対です。農家・公営企業に補助金を出しますが、物資は欠乏します。
 2つ目は、自由経済のビジネスを否定します。これによりビジネスマンは海外に逃亡しました。
 3つ目は、「レッドテープ」の存在です。インフォシス・リミテッドと云う会社がありますが、その会社が1台のコンピュータを輸入するのに5年掛かったそうです。しかしその後は独占企業になっています。
 4つ目は、外国資本の参入の規制です。外国資本は40%までに制限されました。これにより新しい知識・技術が入らなくなります。
 5つ目は、労働者の解雇ができない点です。労働組合が強かったのです。
 6つ目は、教育・医療・芸術にお金を使いませんでした。そのためインド人の健康・寿命・社会福祉も遅れます。
※今なら明らかに間違っていると思えるが、政策転換はできないのかな。

・結局貧しさから脱出できず、許認可を得た公営企業の幹部だけが金持ちになりました。このフェビアン社会主義の期間、経済成長率は1%後半で低迷します。1991年ソ連が崩壊した年、対外債務が返済できなくなり、世界銀行/IMFにより経済改革が始められます。

○インドの明治維新
・1991年、輸入関税の引き下げ、産業ライセンスの撤廃、市場の規制緩和、税の引き下げ、外国資本の増加、国営企業の民営化などの経済改革が始まります。経済成長率は1991年1.1%から、1995年7.6%に伸びます。インフレ率も14%から6%(1993年)に下がり、外貨準備も46億ドルから200億ドル(1994年)に増えます。特に規制緩和された、通信・保険・資産管理・情報技術が成長します。

・特に成長したのがITサービスのコールセンター業/ソフト開発請負業です。それはインド人の12%(1.5憶人)が英語を不自由なく話せるからです。1990年代はシリコンバレーが興隆した時代です。若いインド人はインドを抜け出し、そこで起業したり、スタートアップ企業に入社しました。
・1999年2千年(Y2K)問題が起きます。この問題に先進国の技術者だけでは間に合わず、インド人の技術者が動員されます。丁度インドは米国の裏側にあり、アメリカ人が眠っている間に、インド人が働いたのです。またIT産業は新しい産業のため規制は少なく、税を課するのも難しかったのです。

○デジタル革命
・IT産業でニューマネーが登場しますが、これを決定付けたのが2017年以降のデジタライゼーション(デジタル革命)です。その代表が後述する「アドハーシステム」です。これで税金の納付・還付ができます。
・ネルー/ガンジーの時代は会社を興すのに書類を50枚以上書く必要があり、1~2ヶ月掛りましたが、今はオンラインで3日でできます。この点では日本より優れています。

○アドハーシステム
・アドハーシステム(※以下アドハー)は国民識別番号制度で、インドのシステムの基盤になっています。指紋・顔・虹彩を登録します。5歳までは登録できないため、人口の90%以上が登録されており、身分証明カードを発行しています。
・インド人の多くは銀行口座を持っておらず、本人確認ができないため、福祉金・補助金の給付が大きな問題でした。また本人も幾らもらえるかも分からず、中間搾取が行われました。アドハーが導入されると、銀行口座は4億口座を超え、携帯電話の普及率も79%になり、給付金の中間搾取もなくなりました。

○消費税は5段階
・消費税(GST、Goods & Service Tax)の導入も成功しています。2017年から導入されたGSTは、軽減税率方式で5段階になっています(0%/5%/12%/18%/28%、平均18%)。※商品分類が書いてあるが省略。
・これ以前は、各州が別々に消費税率を決めていました。そのため物流のトラックは、州堺を超えるたびに税金を払っていました(※これを州関税と勘違いしていたみたいだ。しかし消費していないのに税金を取るのは変だな)。全国一律のGSTの導入で、物流の効率が3倍以上向上します。

○ビジネスのし易い国に
・世界銀行は毎年「Ease of Doing Business Index」を発表しています。2020年はニュージーランド/シンガポール/香港/デンマーク/韓国/米国の順で、日本は29位、中国は31位です(※英国系が上位だな)。インドはモディ政権が誕生した2014年134位から、2018年100位、その後77位、63位と順位を上げています。※正に進化中だな。
・今年は、建設許可/国境貿易/ビジネスの立ち上げで改善されました。建設許可では「オンライン・シングルウィンドウ・システム」を導入しました(※日本のワンストップサービスかな)。州により格差があるため、モディ政権は州毎にランキングしています。グジャラート州首相をしていた時の苦い経験から、デジタライゼーションでビジネスのスピードアップを図ろうとしています。

○モディ首相の評価
・1950年モディ首相はインド西部のグジャラート州に生まれ、グジャラート大学で政治学修士号を取得します。彼は2001~14年グジャラート州の首相を務めます。州の首相として、インフラ整備/外資受け入れ/デジタライゼーションで経済成長を実現します。1014年インド首相に就き、1019年再選しています。

・私はインデペンデント・アドバイザーで、新聞などで政府への提案や批判を行ています。私は彼をBプラスと評価しています(※ABC評価かな)。GSTの導入と、企業の破綻処理を加速させる「インド破産法」(IBC)は評価しています。一方2016年「高額紙幣廃止」で、中小零細企業は現金ビジネスなので大きなダメージになり、多くの失業者を出しました。
・デジタライゼーションにより、納税や送金が容易になり、透明性も高まりました。しかしインドには、まだ官僚主義が多く残っています。2桁だったインフレ率が3%に低下したのも功績です。汚職の撲滅も順調に進んでいます。また彼は人々の考え方を変えました。「今は貧しくても、チャンスがある」「頑張れば、豊かになれる」などです。

○モディ首相の問題点
・雇用の創出については及第点を付けられません。インドは人口の半分が25歳以下なので、雇用は重要です。それには輸出を増やす必要がありますが、「世界でインド商品は通用しない」との悲観主義があります。住宅産業/観光業は雇用拡大の余地があります。
・もう一つ悪いのは、ヒンドゥー至上主義が見られる点です。与党「インド人民党」(BJT)の後ろ盾「ヒンドゥー・ナショナリスト団体・民族奉仕団」(RSS)の存在が気になります。国民の80%がヒンドゥー教徒ですが、イスラム教徒14.2%/キリスト教徒2.3%などがいます。ヒンドゥー・ナショナリストの跋扈を許してはいけません。※最近イスラム教徒に不利な税制を作った気がするが。

・インドは「ノイジー・デモクラシー」なので、モディ政権に対しても大きな声を上げ続けてもらいたいです。経済改革から30年経ちますが、モディ政権は毎日目標をリマインドし、進捗状況をモニターする必要があります。

○金融サービスの最新状況
・モディ政権はデジタライゼーション/金融サービスにより経済を活性化させています。アドハーにより底辺の人でも金融サービスを受けられるようになりました。ここで有効なのがクレジット機能(与信機能)です。例えば自動車の販売です。自動車販売店はローン契約書を銀行に持っていけば、自動車を仕入れる資金を得る事ができます。
・インドで様々なローンが生まれています。個人に対するローンは、その人の欲を満たすだけでなく、関連するあらゆる事業主体のキャッシュフローを改善させます。この「金融包摂」が目指すゴールです。

・アドハーにより無料で銀行口座を作れるようになりました。ところがローンは組めません。それは金額が少額のため、銀行が提供しないのです。1千円のローンで100円の利息を得てもコストに見合いません。その1千円のローンを組みたい人が、インドには数億人います。これがデジタルなら実現可能なのです。※最近はマイクロ・ファイナンスは提供されているのでは。

○クレジットカード
・米国では1人が約3枚のクレジットカードを持っていますが、インドでは100人で2~3人しかクレジットカードを持っていません。インドはアドハーとスマホで、このクレジット機能を実現できます。しかし銀行が伝統的な与信を行っているので、そこに至っていません。

○アカウント・アグリゲーター
・2020年3月より、インド政府はデジタライゼーションの一環として「アカウント・アグリゲーター」を運営します。これは個人の資産状況をクラウドに保管し、必要な時に金融機関にアクセスさせる仕組みです。例えば、以下のように利用されます。
 ①借り手が銀行にローンを申請すると、必要な書類(※資産状況かな)を要求される。
 ②借り手は銀行に、クラウドにある情報にアクセスするように依頼する。
 ③銀行がその情報にアクセスすると、借り手に確認メッセージが送られる。
 ④借り手が許可すると銀行は情報にアクセスできる。借り手が別の銀行から借りたい時は、アクセスを拒否する。
※これは個人情報が流出する危険性が高いのでは。また国は資産課税の基盤にするつもりかな。

・これは大変便利な仕組みです。欧米などでは、GAFAなどの巨大IT企業の個人情報流用を規制する方向に向かっていますが、インドは別の方向に舵を切ったのです。

○金融コングロマリットDMI ※本節はDMIではなく、インディア・スタックを解説している。
・インドにはデジタライゼーションを活用するベンチャー企業が多くあります。DMIもその一つです。当社は、2008年にノンバンクとして創業し、今は金融コングロマリットに成長しました。※ここで話が飛ぶ。

・2005年政府は金融プラットホーム「インディア・スタック」を計画します。これはアドハーあってこその金融プラットホームです。繰り返しますが、アドハーにより身分証明が容易になり、役人による給付金の着服もなくなりました。
・インディア・スタックはアドハーが主軸で、住民票/銀行口座/納税申告/運転免許証/携帯電話番号などと連結しています。2015年これに「デジロッカー」が加わりました。これは卒業証書/職歴/診療記録などの個人データを保管・共有する機能です。さらに「イーサイン」というデジタル署名機能も加わりました。2016年には、金融決済システム「UPI」(Universal Payment Interface)が完成し、送金や入出金が容易になりました。※超進んでいるな。

・2016年11月モディ政権は「高額紙幣廃止、新紙幣発行」を断行します。これは脱税撲滅だけが理由ではなく、インディア・スタック/デジロッカーなどが確立したため、国内に飛び交う現金を吸い上げる事ができたのです。
・インドでのクレジットカードの発行枚数は4500万枚で普及率は3%です。政府はクレジットカードの普及より、アドハーとスマホによるキャッシュレス社会の実現を目標としたのです。Eコマースでは、自分の口座から直接引き落とされるため、デビットカードなども要りません。お金がない時は、簡単にローンが組めます。

○急成長するDMI
・インドにはDMIなどの金融ベンチャーが多く誕生しました。DMIはコンシューマー・クレジットだけでなく、企業向け融資/住宅ローン/投資/資産運用/債権回収などのライセンスも持つ金融コングロマリットです。
・DMIがノンバンクであるメリットは、規制に縛られず自由な経営ができ、フィンテックも駆使できます。一方デメリットは知名度の低さです。

・インドは2016年11月の新紙幣発行で一時的に経済が低迷しましたが、回復しました。2017年7月全国統一のGSTが導入され、物品税・付加価値税が一本化されました。これにより物流は効率化され、税務処理も効率化されました。
・ノーベル経済学賞を受賞したエステル・デュフロは、「インドの果物商は高い金利で融資を受けており、インドはそれができる社会になっている」(※大幅に簡略化)と述べています。インドはデジタライゼーションが進展し、マイクロ企業に少額を融資する体制が整いました。

○デジタライゼーション農業
・インドでは農業が主要な産業で、すそ野も広い産業です。ジュート/豆類の生産量は世界1位で、米/小麦は世界2位です(※耕作地も十分取れそうだし、水も十分ありそう)。1961年に大飢饉があったのですが、その後「緑の革命」による植物育種/灌漑設備の整備/農薬の使用で、生産量は増大しました。その後アドハーが導入されたことで補助金が効率的に支給されるようになり、農業従事者の意識も変わりつつあります。これからはビジネスとして発展するでしょう。
・以前は農産物の60%が物流などで失われていましたが、GSTの導入で30%まで減少しています。これからは保冷運送などが課題になります。※玉ねぎの話があるが省略。

○エネルギー問題
・インドは2030年以降は、全ての自動車を電気自動車にすると発表しています(※販売だけでは)。そのため太陽光発電/水力発電/風力発電にシフトしています。そして余った電力を隣国に売っています(※インドは電力事情が悪いと思っていた)。しかし州政府が配電をコントロールしているため、不正が行われています。そのため「インドの貧困の原因は分配にある」と云われます。

<第4章 カーストの意味と役割> ※インドで一番知りたい事だ。
○カーストの今
・インドの階級は制度化されています。異なる階級間での結婚は許されず、職業の変更や一緒に食事する事も許されませんでした(※過去形にしている)。私は子供の頃はカースト制度を意識していませんでした。それはカースト制度が弱まっていたパンジャブ州で育ったからでしょう。ところがリチャードソン・ヒンドスタンに入社し、農村を巡回し医薬品を売るようになり、カースト制度が厳格に守られている事を知りました。

・カースト制度があるのはヒンドゥー教だけで、イスラム教/シーク教などにはありません。カーストには4つの階層、バラモン(僧侶、教師)、クシャトリア(地主、武士)、バイシャ/バニア(商人)、シュードラ(農民、職人)があり、さらにその下にダリット(被抑圧者、不可触民)、トライバル(部族民)があります。上位の3階層で人口の15%、シュードラが50%、最下層が15%です。
・カーストとは別に、移民集団・地域別・職業別の約2千のジャーティがあります。ジャーティに属する人は伝統的な職業を共有し、他のジャーティと結婚せず、食事も同席しません。ジャーティはあるカーストに属していますが、所属する人が裕福になると、バイシャからクシャトリアに格上げするなどもあります。従ってジャーティの方が機能していると云えます。

・インドには「フィッシング・ネット」(漁網)に捕まった様々な民族・宗教・言語があり、この社会制度ができたと考えられます。このカースト制度は職業を世襲するとしていますが、行政職/軍人/農業は誰にも開かれています。また新しいIT産業も開かれています。

○カーストへの反対運動
・カースト制度は地方には厳然と残っていますが、都市では独立の時から反対の立場でした。1947年独立時、政府はダリットに大学入学と政府の職で20%の特別枠を設けました。しかし偏見は消えませんでした。
・1990年ある政治家が、シュードラに大学入学と政府の職で50%の枠を設けると決めます。これに上位3階層が反対し、30%枠で法律が成立します。都会では普段はカーストを気にする事はありませんが、大学入学と政府の職に就く時は明らかにする必要があります。

○日本の士農工商との比較
・カースト制度は日本の士農工商と似ています。しかし日本の制度の方が柔軟性があり、異なる階層との養子縁組や婚姻が行われています。明治維新になると徴兵制になり、武士でなくても軍人になりました。また武士が商人になるのを嫌がりませんでした。※明治維新後は四民平等なので当然かな。
・インドでも同様の事が起こっています。財閥や起業で成功した人が尊敬されるようになっています。バラモン/クシャトリアの人もビジネスでの成功を望むようになりました。都市の組織も入社希望者にカーストを問う事はありません。時代の変化によりカースト制度も変わらざるを得ないでしょう。

○カーストと経済成長率
・実際に生活に密着しているのはジャーティです。ジャーティの9割が商業・サービス業に従事しています。※人口の50%がシュードラ(農民、職人)で、バイシャ(商人)は15%未満だが。
・1990年代にロシア・東欧など60ヵ国が計画経済から市場経済に移行しました。その中でインドは高い経済成長率を誇っています。これにジャーティが深く関係しています。ジャーティの9割がビジネスマンで、彼らが高いモチベーションを持ったからです。
・ジャーティには1千年以上前からの決まり事があります。若い時は数学・会計・経理・財務を勉強し、18歳になると独立します。この時コミュニティの誰かが資金を貸与します。起業で成功すると、コミュニティにお金を寄付するのです。またファミリーの仕事を引き継ぐのは兄弟の一人で、他の兄弟は別の事業を興します。

○マルワリ商人のパワー
・ジャーティの中で、マルワリ商人は有名です。マルワリ人はラジャスタン州(インド北西部にある面積が最大の州。※スタンが付くので国相当かな)の出身者で、カーストはバイシャに属します。インド人からは金貸しを兼ねた三流の商店主、もしくは冷酷な事業家と思われています。ラジャスタンの北部に主要な通商路があるため、彼らはその交易商人に融資していました。ムガール帝国時代には、多くの藩主にも融資していました。特に植民地時代、英国の代理業者になり、コルカタで活躍します。
・マルワリ人がインド人のビジネス・スピリッツを象徴しています。彼らは大きな会社で働こうとせず、自分の会社を持ちます。彼らはカルカタでジュートの袋に目を付け、儲けます。マルワリ人のビルラ・ファミリーもダルミア・ファミリーもジュートへの投機で儲けています。ビルラ財閥は今や、繊維/化学産業を中心に非鉄金属/通信業/電力/小売業まで多角経営しています。

○マルワリの互助システム
・マルワリ人の成功の理由は、互助システムにあります。マルワリの人が旅に出ると、残った妻子は他の家族が面倒を見ます。また事業で資金がなくなると、必ず誰かが融資します。マルワリの子弟はマルワリ人の会社で学び、融資を受けて独立します。
・私はG・D・ビルラの孫アディティヤ・ビルラとボストンで一緒でした。私と同じ年に帰国し、紡績工場を興しています。その後70の工場を造っています。彼は二人の言葉を信じています。マハトラ・ガンジーの「企業家の富は社会に属する。起業家はその富の受託者に過ぎない」と、祖父の「菜食し、アルコールを飲まず、喫煙せず、早寝早起きし、早く結婚し、部屋を出る時は電灯を消し、規則正しい習慣を身に付け、毎日散歩し、家族との連絡を保ち、無駄遣いをしない」です。マルワリ人は、自制・自足・質素の調和を大切にしています。

○新しいジャーティの誕生
・インドには、タタ/ビルラ/ダルミアの財閥があります。タタはパルシーに属します。パルシーはゾロアスター教を信仰していましたが、イスラム教徒による迫害でイランからインドに逃れたのです。ビルラ/ダルミアはマルワリ人です。
・ダルミア・ファミリーを見ても、マルワリ人の特徴が窺われます。ダルミア一家8人は家賃13ルピーの所に住んでいました。長男のラム・クリシュナ・ダルミアは母から毎日、「100ルピー稼いでこい」と言われていました。唯一の財産である妻の銀のブレスレットでお金を借り、銀相場に投資します。一向に値上がりしないので、占い師に相談します(※話が長いので以下省略)。結局銀は暴騰し、彼は大儲けし、そのお金で砂糖・セメント・鉄道などの会社を興します。マルワリ人はリスクテイクなのです。

・インドではカーストより、移民集団・職業別・地域別のコミュニティであるジャーティの方が実社会に大きく影響しています。ただし1991年以降のモダンエコノミーではジャーティの区別はありません。

<第5章 日本人とインド人>
○ダルマについて
・インドには様々な宗教があり、ヒンドゥー教/仏教/ジャイナ教/シーク教はインドで生まれ、他にイスラム教/キリスト教/ゾロアスター教の信者がいます。そんな中でインド人の規範になっているのが「ダルマ」です。
・『ブリタニカ国際大百科事典』にダルマは以下と記されています。
 一般的には「倫理的規範」です。善の価値観を入れると「美徳」「義務」「正義」になります。インドにおける人生の4大事(法、実利、愛欲、解脱)の1つです(※法かな)。語形的には「保つもの」を意味します。※大幅に省略。イスラム教のシャリーアに近いかな。
・私はダルマを、仏国の「公正」、米国の「自由」と同じで、最優先される概念だと思います。日本には「愛国」「富国強兵」などがあるが、日本にはこれがないと思います。※古いな。あるとしたら「和」かな。
・ただし日本とインドには共通の言葉があります。「お客様は神様」です。インド人も客の気持ちになるのがサービスの基本としています。そのため日本もインドも、サービス業で国を豊かにすべきです。

○ガンジーの遺産
・インド人の多くは、「日本はインドのモデルになるか」に関心をもっています。日本は製造業の輸出で富を得る経済体制を続けていますが、今後は通用しないでしょう。シンガポールのように金融・IT・サービス業で成長していくべきです。
・インドは商人の国だったので、製造業国家を目指すべきではありません(※中国とは別の道を進むかな)。マハトマ・ガンジーは西洋化・近代化を恐れていました。彼は鉄道・通信などを利用しましたが、西洋の科学技術は奴隷化の道具と見ていました。この考え方は今のインド人にも相当残っています。※近代化の否定だな。

○アーサー・ケストラーの『蓮とロボット』
・1940・50年代、ブタペスト生まれのユダヤ人のアーサー・ケストラーは世界的な知的リーダーでした。彼は日本とインドを比較した『蓮とロボット』を書いています。当書は「アジアでインドは伝統的な国、日本は最も近代的な国」としています。当書はインドで発禁になります。
・「年長者を尊敬する、女性より男性が上位、個性より順応性、合理性より直感を重視するなどから、両国は社会構造が類似している」としています。一方で「日本の階級制度は流動的だが、インドのは硬直的」としています。また「日本人は宗教に無頓着だが、社会的エチケットには几帳面である。例えば神社の前では無頓着に柏手を打つが、贈り物には礼儀正しい。一方インド人は社会への対応は気にしないが、神性への対応には非常に気を遣う」としている。※日本は、現実>宗教、インドは、宗教>現実かな。

・他にも多く書かれています。「インド人は宗教的な不安を多く抱えている。日本人は自分の対面・名誉に関心がある」「インド人はセックスを生殖と考えるが、日本人は娯楽と考える」「インドの子供は愛情過多で育てられ、教育は遅く始まる。日本の子供は幼い時から厳しいしつけを受ける」。これらから「日本人は一見几帳面だけど、快楽的で柔軟なので、西洋の科学技術をすんなり受け入れた。一方インド人は西洋の科学技術がインドの思想・文化を壊す事を恐れた」としています。
・ガンジーは「西洋の科学技術は、伝統的な生活を壊す」と考えていました。この考え方は農村部で根強くあります。

○ロバート・ベラが見た日本
・米国の社会学者ロバート・ベラは、マックス・ウェーバーが西洋で行った調査・分析を、1960年代の日本で行っています。それは文化的ルーツ/宗教/工業社会の出現の調査・分析です。ウェーバーは、「産業革命が北欧・北米で起こったのは、プロテスタントの個人主義/節約/勤勉による。一方南欧・中南米はカトリックで、その様な美徳はなかった」と総括しています。ベラも同様に、「日本人には家族・会社・国家に対する忠誠心がある。この文化ゆえに成功する。またこれが日本人を勤勉にし、社会的規範を身に付けさせている」としています。※集団への忠誠心か。

・日本の官僚は献身的・効率的です。日本の通産省(MITI)は融資と情報を利用して成功しました。ところがベラは「日本は経済成長した。しかし個人主義など、近代化していない」とします。日本では個人を尊重する普遍的な倫理が発達していません。集団への忠誠心が強く、「よそ者」に共感を示しません。男女平等も進んでいません。
・1960年代は、小さくても庭付きの家で自然を楽しみました。1990年代になると集合住宅に住み、子供は部屋に隔離され、父親は家と職場の長い距離を通勤するようになります。「故郷の村」では神社との結びつきは薄れ、日本の原理である「調和」も崩れつつあります。
・ベラは仮説「近代化すれば、個人主義は発展する」に、日本は当てはまらないとしました。

・インドにはガンジーに象徴されるように、「近代化の病理」を指摘する人がいます。三島由紀夫も「日本の近代化はスピードが速すぎる。これでは日本の伝統が失われる」と言っています。中国は、これからも年9%の成長を目指すでしょう。しかしインドは高くても7%成長です。日本・韓国・台湾は「アジアの虎」ですが、インドは「賢い象」です。スピードを求めず、独自の文化を守り、高い成長をしていきます。

<第6章 インドで成功する日本企業>
○スズキの存在感
・インドではスズキ/トヨタの名は知れていますが、他の日本企業は存在感がありません。インドで知られているのは米国・英国の企業で、次いで韓国・中国です。家電製品は韓国製か中国製で、スマホはサムソンなどです。バンコクに行くと日本企業の看板や日本食店が多くあります。シンガポールにもあります。一方イスラムのマレーシア/インドネシアでは日本企業の知名度は高くありません。※マレーシアにはルック・イースト政策があり、インドネシアは親日の国だが。イスラム金融とかが障害になっているのかな。
・ASEAN10ヵ国は人口6.5億人ですが、インドは13憶人です。日本人は、日本人がいるところしか進出しないようです。これはひ弱な商魂です。これはマルワリ商人と対照的です。

・スズキがインドで半分を占有しているのは、トヨタやフォルクスワーゲンが来ない内に進出したからです。また経済改革前にインド政府との合弁会社「マルチ・ウドヨグ」を設立し、経済改革後には出資比率を高め子会社にし、民営化した事も成功した理由です。
・私はスズキに依頼されて講演した事がありますが、スズキは「ローカライズをやっている」を強調していました。また日本企業は韓国企業などと違い、インド人を見下しません。

○トヨタの強さ
・デリーから30分の所にグルグラムがあります。ここのトヨタの販売店は、かなりの実績を上げています。トヨタの実績は、この優秀な販売店(カーディーラー)によります。
・その一つが、1960年に設立された「MGFトヨタ」です。2000年従業員は23名で販売900台/サービス2800台したが、今は1100名になり、販売4200台/サービス65600台になっています(※サービスの伸びが凄いな)。2019年上半期インドの自動車市場は10%減となりましたが、当社は20%増となりました。また輸入車は125%の関税がかかりますが、高級車レクサスを好調に販売しています。
・この好調の1つ目の理由は、「お客様は神様」(顧客志向)にあります。インドに車検はありませんが、排ガス規制があります。そこで5千Kmまたは6ヵ月毎に入庫してもらっています。2つ目は、顧客サービスとしてリフレッシュメント(軽食)/ミール(食事)を無料提供しています。3つ目は、車両点検を60分で終えている点です。

○ユニクロの評価
・2019年秋インドにユニクロが進出しました。そこで甥夫婦に行ってもらいました。その感想は以下です。
 2つの店に行きました。最初はデリー空港近くの「アンビエンス・モール」(面積3300㎡、※広いな)です。1階はメンズとレディースが半々で、2階はインド進出の目玉であるクルタ(女性用民族衣装)で、3階は男性用の下着などが売られていました。価格は日本の1.5倍です(※エッ高いの。これはテレビで見た気がする)。私はウルトラライトダウンを買い、気に入っています。妻はクルタを買いましたが、「品質はイマイチ」のようです。
・2店目はグルグラムのショッピングセンターにできた店に、友達と行きました。店は狭く、客は多かったが、買う人は少ないようです。友達は「パンツ1枚が500ルピー(760円)では買わない」と言っていました。
※進出は楽でないな。特に衣類など古来からあり、かつ地域性が高いと。それにインドではコミュニティがあり、個人事業者/個人商店が多い社会では。

○MUJIの進出
・無印良品は2016年から進出していますが、余り知られていません。同じく甥に店にも行ってもらいました。
 ノイダ(※デリー近郊)にあるインド最大のモール「DLFモール」の店に、同僚2人と行きました。一人はアロマ・ディフューザーが気に入ったが、別の店で半額で買った物で満足している。もう一人は、文房具売り場の紙の質を褒めていた(※流石日本)。インドでは家具は家具店、服は衣料品店で売っているので、一つの店で様々な物を売っている事に驚いた。

<第7章 インドの日本人ビジネスマン>
○意思決定が遅い
・P&Gの幹部の時、ハーバード・ビジネススクールに出席していました。そこに三菱商事の社員も来ていましたが、優秀で組織に忠実と感じました。しかしインドでも感じる事ですが、日本人ビジネスマンは意思決定が遅く、フラストレーションが溜まります(※日本は集団無責任体制かな)。一方インド人ビジネスマンの欠点は議論好き・話し好きです。
・日本とインドを比較すると、インドの方が女性が上に行きやすい。インディラ・ガンジーは首相になっています。しかし日本の女性は賢く、実際に家庭・組織をコントロールしているのは女性と感じます。インドの女性は地位が目的なので、その地位に就いても、仕事をコントロールできない事があります。

○成功するための5ヵ条
・ビジネスで成功する条件は以下と考えます。
 ①一生懸命働く。上司の命令ではなく、顧客の要望を優先する。
 ②取引先/サプライヤーを公平に扱う。
 ③従業員を尊敬する。
 ④コンプライアンスに従う。「日本では賄賂をしないが、新興国ではする」ではダメです。
 ⑤地域に貢献する。日本人ビジネスマンは押し並べて、それができていません。※本書は随所で日本企業ではなく、日本人ビジネスマンとしている。

<第8章 これからの日本とインド>
○インドの競争力
・経済改革後、インドは国際競争力を改善しています。デジタライゼーションが行われ、金利は低下し、外国資本が受け入れられ、高速道路・港湾が改良され、不動産市場は透明性を高めています。国際競争力を持つ企業も増え、海外投資家がインド企業の株式に投資する事も可能です(※ムンバイかな)。インドの銀行の不良債権比率は、2018年13%から、2019年9%に改善しています。
・何よりインドは個人消費が堅調で、個人消費がGDPの59%を占め、これは欧州・日本・中国を上回ります。これは「中国は国家が国営企業などを通し、輸出を主導している。一方インドは草の根起業家が主導している」の違いです。

○保護主義は致命的
・私は保護主義に反対です。しかし多くの国が保護主義から離れられません。かつてインドでも国産品愛用運動「スワデシ」がありました。
・保護主義が間違っている理由は幾つかあります。
 1つ目は、「インドは劣っている」は間違いです。ダイヤモンド原石市場/レーヨン/鉄鋼/高級ホテルなどで優秀な企業があります。NASAの科学者の36%、米国の医師の38%、マイクロソフトの36%がインド人です。
 2つ目は、保護主義は数千人の企業を繁栄させるかもしれないが、そこには数億人の犠牲があります。消費者は安価で良質の製品を買えなくなります。
 3つ目は、保護主義は企業の競争力を失わせます。
 4つ目は、発電所・通信網・道路・港湾などのインフラは外国資本に頼らなければ整備できません。
 5つ目は、スワデシは官許政治を復活させます。輸入業者は輸入を認めてもらうために、賄賂を使うようになります。あるいは役人が賄賂を要求するでしょう。

○インドはサービス業で伸びる
・私は保護主義に走る政治家に反論してきました。伝統を守るのと、他の国の文化を排除するのは違います。グローバル経済が進んだ今日、他の国の良質な製品を排除するのはデメリットだけです。インドは、ドラヴィダ/アーリア/ヒンドゥー/ギリシャ/仏教/スキタイ/イスラム/西洋など様々な文化を受け入れてきました。

・日本/インドの未来は、製造業ではなくサービス業に掛かっていると思います。製造業が多くの雇用を生み、日本を支えているのが自動車産業である事を知っています。しかし経済の中心はサービス業にすべきです。
・インドではIT/金融サービス/モビリティ/シェアサービス/交通サービス/観光/飲食業などでベンチャー企業が育っています。製造業は今後も伸びるでしょうが、サービス業の方が成長率は高いでしょう。保護主義は、サービス業の障害になります。シンガポールはこれで良質な金融サービスを提供しているのです。

・シンガポールの元首相リー・クアンユーは「中国の成長は世界の脅威になるが、インドのそれは脅威にならない」と言っています。インドは強大になっても侵略しません。インドは軍事力で独立したのではなく、非暴力で独立したのです。※これがカシミールの現状だな。

○GDPの半分がサービス業
・インドではデジタライゼーションが進み、スマホのアプリ開発が盛んです。潰れるところもありますが、インド人は何度もチャレンジしています。
・モディ首相は「Make in India」で製造業の工場を誘致し、雇用を拡大しようとしています。また「Clean India」で外国からの投資を呼び掛けています(※具体的な内容が欲しい)。これに似た文脈で、「治安の維持」「安全な町」を謳っています。

○日本人はインド人に好まれる
・日本人とインド人はアンチ中国で共通しています。共に中国の侵略主義に警戒感を持っています。政府が後ろ盾の企業が、経済を制覇する事にも反対しています。
・インド人が日本人を好きなのは、情緒を優先するコミュニケーションのためです。信頼を重視する点でも共通しています。「人生で大事なのは、精神的な充足感」「公共の秩序を重んじる」「和やハーモニーを大切にする」「伝統文化を忘れない」なども共通しています。

・これらの共通点から、一緒にプロジェクトができると思っています。モディ首相は製造業に進出してもらいたいと考えているようですが、私はサービス業に期待します。特にファイナンシャル・サービスです。貧困ゆえに金融サービスを利用できない人をどう包摂するかが課題になっています(金融包摂)。※マイクロ・ファイナンスかな。
・アドハーにより貧困層でも銀行口座を持てるようになりました。2017年から4憶以上の口座が開設されました。しかし彼らに融資する銀行はありません。ところが彼らは、これから給料が増え、インド経済を支える人達です。

○日本企業に期待する事
・なぜ日本企業はタイに進出するのでしょうか。インドに進出し、広大なマーケットを相手にすべきです。ソフトバンクがインドに投資し、新幹線や貨物輸送のプロジェクトがありますが、まだまだです。日本からの投資は3800億円しかなく、企業も1440社位しか進出していません。

○日本人ビジネスマンの失敗
・先日インドに進出した日本企業の社長が不満をこぼしました。「働かない役員がいたのでクビにしたが、次に来た役員は働くけど、会社の経費を私用していた」との話です(※大幅に省略)。そしてその会社の人事部長は「中途半端な奴が役員をやるんです。優秀でモラルのある人間は、自分で起業します」と言いました。私もこの意見に同意です。インド人に長く働いてもらうのは間違いです。優秀なインド人はノウハウを覚えると、独立します。

・インドに進出するには、デューデリジェンス(リスク分析)とモニタリングが大切です。※失敗例として第一三共を紹介しているが省略。
・また日本の会長・社長がインドで「おもてなし」を受け、買収・合併を決め、後で弁護士・会計士がデューデリジェンスを行うケースがあります。これは順番が逆で、最初に弁護士・会計士が十分調査する必要があります。

○日本の金融機関の存在
・インドには投資すれば成長するベンチャー企業が多くあります。ところが日本の金融機関は投資をしません。日本の銀行は利ザヤで儲けるマーチャントバンクなので、投資銀行の業務はしないのでしょう。そのため日本の銀行は、ODA頼りで海外に進出した日本企業に貸し付けるだけです。
・日本の証券会社も存在感がありません。彼らの仕事は買収・提携へのアドバイスですが、インド企業の情報を持っていないので、それができません。
・インドに進出した日本企業は、インドの銀行からお金を借りません。それはインド国債の金利は5.5%で、貸出金利は15~18%になるからです。

・インドに来た日本人ビジネスマンに共通するのは、日本に帰る事を常に考えている点です。それはインドに悪いイメージを持っているのと、3年などの任期のためです。「自分の任期の間に問題を起こさなければ良い」と考えているのです。そんな企業が成功するはずがありません。スズキが成功したのは、鈴木修会長が何度もインドを訪れたからです。ソフトバンクの孫さん、ユニクロの柳井さんも同様です。彼らはマルワリ商人です。トップがインドを訪れない限り、日本製品はインドで存在感はないでしょう。

<おわりに> 野地秩嘉
○冒険心と多様性
・本書はダスさんに原稿を書いてもらい、私が翻訳しました。インドを訪れ、日本人がなくしたものに気付きました。「日本人にとって、ダルマと呼べるものは何か」と問われ、答えがないのです。正義/公正/愛国/博愛、これらは輸入した概念です。
・本居宣長は「大和心」を歌っています。しかし辞書で調べても、この意味は明確ではありません。各日本人が自分の行動指針を持たなければいけない。そうなれば袖の下も会社の不祥事も、なくなるかもしれない。今の日本人には善良な行動指針が必要である。

・また冒険心もなくなりました。日本人の多くは「日本は最高」と思っています。それでは進歩しません。日本は規制があるため、ウーバーもグラブも浸透していません。インド人は好奇心を持って、日本・中国・米国を見ていますが、日本人にはそれがありません。

・インドにあって日本にないのは、ダルマと冒険心です。しかし日本に希望はある。それは多様性です。日本は純潔な組織を作る傾向にあります。中途採用の人や女性をトップにしない。不祥事を起こしても、「前例の踏襲」として組織のせいにする。不祥事に会社のトップが勇敢に立ち上がる事はない。従業員が団結して改革を提言する事もない(※話が日本に変わった。それも不祥事が多い)。話を多様性に戻します。日本が成長を続けるためには、中国のように同化を迫るのではなく、移民はそれとして受け入れ、多様性を維持するしかない。

・最後にダスさんからのメッセージを記します。
 タイトルの『日本人とインド人』は面白そうです。私が心配しているのは、インドの未来です。インドも都市化が進み、核家族化しています。高齢者は独り暮らしになり、会話する相手がいなくなります。これは大きな問題です。※愛国心たっぷりだな。
 世界の人が幸せでなければいけないと思います。私は幸せの定義を、①愛する人がいる、②好きな人・親しい友人が近くにいる、③好きな仕事に就くと考えています。どこの国に住んでも、この3つがあれば人生は最高です。

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