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『米国とイランはなぜ戦うのか?』菅原出(2020年)を読書。

米・イラン関係について知りたかったので選択。十分満足できる内容だった。ただし2020年1月までの解説。

中東はイスラエルvsイスラムの対立だけでなく、シーア派vsスンニ派の対立もあって複雑。
また米国も政権によって、支持する国や程度が変化する。

しかしイランが核保有し、中東で核保有ドミノが起きると脅威だな。

お勧め度:☆☆(読み易い)
内容:☆☆☆(米・イラン関係が良く分かる。大変詳しく、冗長的でもある)

キーワード:<プロローグ>全面戦争、核合意、<米・イラン相互不信の歴史>モサデク政権転覆事件、ホメイニ師、イラン革命、革命防衛隊、イラン・イラク戦争、テロ事件、経済制裁、イラク戦争、核開発、<オバマ核合意の失敗>イスラエル、研究炉、包括的制裁法、コンピューター・ウィルス、経済制裁、ロウハニ大統領、包括的共同行動計画、サウジアラビア、シリア/イスラム国、<トランプ政権の対イラン戦略>国家安全保障戦略、対イラン戦略、ポンペオ/ボルトン、核合意離脱、シリア、トランプ・ドクトリン、<限界近付くイランの戦略的忍耐>経済制裁、国連総会、ホルムズ海峡、国内テロ、前線防衛、<イランを締め上げるトランプ>シリア撤退、クルド、中東会議/ミュンヘン安全保障会議、経済制裁、オマーン/シリア/イラク、ゴラン高原、テロリズム、<イランの最大限の抵抗>安倍首相、核合意、タンカー護衛有志連合、反イラン同盟、地域紛争、有志連合、無人機、<軍事衝突に向かう米国とイラン>首脳会談、石油施設攻撃、イラン・ケーブル、米国大使館襲撃事件、ソレイマニ司令官、<エピローグ>全面戦争

<プロローグ>

・2020年1月3日イラクのバグダッド国際空港で、イラン革命防衛隊(※以下革命防衛隊)のカーセム・ソレイマニ司令官が爆殺された。彼はイランの国民的英雄で、世界に衝撃を与えた。ハメネイ最高指導者は米国への報復を示唆し、緊張が高まった。1月8日イランは米軍が駐留するイラクのアル・アサド空軍基地を弾道ミサイルで攻撃する。これにトランプは報復を行わず、全面戦争は回避された。

・イランの核開発を巡る緊張も高まっている。米国は「核合意」から離脱したため、イランは合意義務の履行を停止し、核開発を再開している。1980年米国とイランは断交するが、今が最も危険な状態にある。もし全面戦争になれば、サウジアラビア(※以下サウジ)/イスラエルなど、中東全体を巻き込む戦争になる。そうなると北朝鮮が米国に圧力を掛ける可能性もある。

<第1章 米・イラン相互不信の歴史>

○イランの対米不信の根源
・米・イランは40年間断交しているが、その不信の根源は、それ以前に起きた政変にある。1953年の「モサデク政権転覆事件」である。これは冷戦時代に米中央情報局(CIA)が仕掛けたクーデターで、「最大の勝利」と評される。逆に言えばイラン人には、許しがたい事件である。

・1950年米国の石油会社「アラムコ」は、利益の50%をサウジに還元していた。一方イランでは英国の「アングロ・イラニアン石油」は20%しか還元せず、民族主義者モハンマド・モサデクがこれに抵抗し、石油産業の国有化運動を開始する。1951年4月イラン議会で石油産業の国有化が決議され、彼が首相に就く。英国は軍事侵攻を計画するが、米国が引き留め、経済封鎖する。英海軍はイラン産原油の密輸を取り締まり、その結果石油の販路は英国などの欧米企業に握られる。イランは混乱し、親ソ連派共産党「トゥーデ党」がモサデク政権に接近する。

・1953年1月アイゼンハワー政権が誕生する。CIA長官アレン・ダレスは、イランの共産化を警戒する。1953年7月米国は反モサデク派や暴徒を動員してモサデクを逮捕し、親米派のモハンマド・レザ・シャー・パーレビ国王を復権させる。以降パーレビ国王が独裁体制を築く。一方一般のイラン人は米国に激しい怒りを持つようになる。

○反政府派の急先鋒ホメイニ師の台頭
・米国はパーレビ政権に膨大な援助を行う。1953年までは経済・軍事借款は6千万ドルに満たなかったが、1953~61年で5億ドルの軍事援助を行い、イランは世界最大の受益国になる。イランはCIAなどの支援で国家情報治安機構を創設したり、米国と「二国間防衛協定」を結ぶ。※南ベトナムも同様かな。

・一方で米国への反発も高まる。被支援国にありがちだが、汚職・腐敗も蔓延する。保守的なイスラム教徒や伝統的なバザール商人も反発を強める。特にイスラム聖職者が抗議活動を展開する。この急先鋒になったのがアヤトッラー・ホメイニ師だった。1963年彼は白色革命(国王による農地改革など)を批判する文書を発表する。6月各地で抗議活動が展開されるが、国王はこれを軍で鎮圧し、ホメイニ師は6ヵ月間の自宅軟禁となる。しかし彼は反政府派の指導者になり、1979年「イラン革命」に繋がる。

○イラン革命と米国大使館占拠人質事件
・国王の収入源は石油だった。1964年石油収入は5.5億ドル、70年12億ドル、72年25億ドルになり、第4次中東戦争で石油価格が上がると、74年180億ドルに増大した。米国はあらゆる兵器を売却し、イランは中東最大の軍事国家になった(※これが今に引き継がれているのかな)。しかしこの恩恵を受けたのは、王族/政府高官/高級将校などの支配層に限られた。

・1978年1月、新聞『エッテラーアート』にホメイニ師を批判する記事が記載される。これに対し大規模な抗議運動が起こり、死者70人を出す惨事になる。これが「イラン革命」の始まりになる。40日後に死者を追悼する「アルバイーン」で犠牲者が出て、その40日後に同様な事が繰り返されるようになる。このデモは激化し、年末には政権打倒のデモが全国で起きるようになる。1979年1月国王は国外に退去し、2月パリに亡命していたホメイニ師が凱旋帰国する。

・この「イラン革命」の特徴は、イスラム教シーア派が主導し、西洋化・近代化した政権を打倒した点で、反米主義が根本にある。その後の混乱期の1979年11月、イスラム主義の学生が米国大使館占拠する。この事件でホメイニ師への支持はさらに強まり、革命政権と反米思想は強固に結び付く。
・米国は人質の解放に失敗する。人質が解放されたのは444日後で、カーター大統領にとってこの事件は屈辱的となる。米・イラン関係が複雑なのは、共に被害者意識を強く持ったからだ。※真珠湾/9.11も同様かな。

○イランによる「革命の輸出」と対米テロ
・イラン革命後、イランはイラクとの戦争やレバノン内戦への介入など、国外での軍事的関与を強める。ホメイニ師は「我々の革命を世界に輸出する」と述べる。イラクのサダム・フセインは国内のシーア派の反乱を警戒した。1980年9月フセインはイランに侵攻する。ホメイニ師は徹底抗戦を表明し、結果8年に及ぶ消耗戦になる(イラン・イラク戦争)。
・この時、革命政権を支えたのが「革命防衛隊」である。1979年5月革命防衛隊は設立され、当初は残存勢力/左翼勢力の排除や少数民族の抑制が目的だった。しかし国家としての軍事活動も担うようになる(※中国の人民解放軍みたいな位置付けだな)。イラン・イラク戦争ではイラクが軍事力で勝り、イランは「ジハードと殉教」を唱えた。革命防衛隊30万人とその傘下の民兵「バスィージ」100万人が果敢に戦った。

・革命直後からイランは、バーレーン/クウェート/サウジなどのシーア派を支援した(革命の輸出)。1982年6月イスラエルがレバノンに侵攻すると、革命防衛隊を派遣した。さらに学校/病院/モスクなどを建設する。これらを統括するために作られた組織が「ヒズボラ」である。
・イランはこれらの代理勢力で対米工作を試みた。1983年4月ベイルートの米国大使館で世界初の自爆テロが起き、63人が死亡する。10月ベイルート国際空港近くの米海兵隊基地で自爆テロが起き、241人が亡くなる(※他にテロ事件10件が紹介されているが省略)。この様に80・90年代に米国/イスラエルに対するテロ事件が頻発する。1984年レーガン政権がイランを「テロ支援国家」に指定している。

○イラン・イラク戦争が決定付けたイランの軍事戦略
・イラン・イラク戦争で米国はイラクを支援した。衛星画像からイラン軍の配備を伝えるなどもした。1988年4月イラクがバスラで化学兵器を使用したが、米国は黙認した(バスラはイラク領だけど)。1984年10月イラクはソ連製スカッド・ミサイルでイランの都市を攻撃する。翌年イランもリビア/北朝鮮からスカッド・ミサイルを購入し、イラクの都市を攻撃する(※共にソ連製スカッドなんだ)。1984年からペルシャ湾岸の石油施設やタンカーへの攻撃が始まる(タンカー戦争)。米海軍はクウェートのタンカーを護衛するが、米海軍とイラン海軍の交戦も行われた。

・この戦争は1988年8月に終結し、イランは兵士・民間人で20万人以上の死者を出す。しかしホメイニ師への支持は強固になった。またイランの指導者らの西側諸国への敵対姿勢も強固になった。シリアはイランの唯一の同盟国となり、両国の関係は深化していく。
・イランはテロやゲリラ戦などの変則的な攻撃で大国に対峙するようになる。周辺地域のシーア派コミュニティとの連携を強化する。1990年革命防衛隊に特殊部隊「コッズ部隊」が創設される。また北朝鮮/中国の支援で、弾道ミサイル/核兵器の開発にも取り組む。

○負の経験を積み重ねた米・イラン関係
・米国はイランと交戦するが、その一方で人質解放の交渉で武器を売却していた(イラン・コントラ事件)。これは複雑な事件だが、簡単に説明すると、ヒズボラに拉致された米国人を救出するため、米国がイランに武器を売却し、その代金をニカラグアの反共産主義ゲリラ「コントラ」に流していた。これにより革命防衛隊は、対戦車ミサイル2千発/対空ミサイル18発などを得ていた。1989年1月ジョージ・H・W・ブッシュ(ブッシュ父)が大統領に就く。1991年12月彼は全ての人質を解放させるが、イランに対価を与えなかった。

・続くクリントン政権はイランとイラクを弱体化させる「二重封じ込め政策」を採る。1995年経済制裁を強め、米国企業がイラン産原油を取引するのを禁止する。1996年6月サウジのダーラン空港で米空軍兵士19人が爆弾テロで殺害される。7月イランの石油産業に投資した外国企業を制裁する「イラン・リビア法」が可決する。※今の対中政策と同じだな。
・1997年5月イラン大統領に改革派のハタミが就く。米国は対話を試みるが、保守派の反対で成らなかった。

○イラク戦争でイランは影響力を強める
・2001年9月「米国同時多発テロ」が起きる。ジョージ・W・ブッシュは国際テロ組織「アルカイダ」をかくまうアフガニスタンのタリバン政権への攻撃を決める。アルカイダ/タリバンはスンニ派で、シーア派のイランは敵対していた(※米国は両派からテロ攻撃を受けたのか)。そのためイランは米軍に東部の基地の使用を認めるなどした。またタリバンと敵対する北部同盟に米軍との協力を呼び掛けた。ところが2002年1月ブッシュはイラン/イラク/北朝鮮を「悪の枢軸」と非難したため、イランは態度を硬化する。※これが有名な演説だな。

・米国はイラク戦争に進むが、イランはイラクを脅威としており、イラク戦争を静観した。またスンニ派のフセイン政権が倒れると、シーア派が政権を握る可能性もあった。2003年3月イラク戦争は始まるが、この頃イランは米国に「核開発を見直す。ヒズボラなどの代理勢力への支援を止める。その代わり経済制裁を止め、イランの安全を保証しろ」とオファーする。しかし米国がイラク戦争で圧勝したため、米国はこれに返信しなかった。
・イランはフセイン後の政権がシーア派に有利になるよう、イラク国内にネットワークを張り巡らせ、シーア派民兵組織を支援した。戦後の「ダアワ党」「イラク・イスラム革命最高評議会」などのシーア派政党はイランと関係が深い。※イランはイラク戦争/アフガニスタン戦争で勢力を伸ばした事になる。

○スンニ派の国からシーア派の国へ
・米国はフセイン後のイラク統治に失敗する。スンニ派とシーア派の抗争は激しくなり、スンニ派の過激派「イスラム国」の台頭を許す。イラクの人口比は、スンニ派20%/シーア派60%/クルド人20%で、フセイン時代は少数のスンニ派が支配層だった。

・イラク戦争後米国は占領統治を行った。そこで2つの間違いを犯す。1つは、イラク軍50万人を武装解除せず、全員解雇する。これにイラク北西部のスンニ派が多く含まれていた。もう1つは、フセイン政権を支えた「バース党」を解体させた(非バース党化命令)。バース党党員200万人の多くはスンニ派で、公務員/教師/教授/医師などだったが、解雇された(※日本の公職追放みたいだ)。これらにより、支配層だった彼らは支配層を追われるだけでなく、収入源も失った。

・2005年米国は占領統治を終え、選挙によってシーア派の政権が誕生する。これに反対するスンニ派が武装反乱を起こし、イラクは内戦に陥る。これにサウジ/ヨルダン/リビア/アルジェリアのスンニ派の若者が加わる。その中にアブームスアブ・ザルカーウィーが設立したグループがあり、それが「イスラム国」に発展する。いずれにしてもシーア派政権を米国/イランが支援し、それにスンニ派が武装反乱で抵抗する構造となった。

○深刻化するイラン核開発問題
・2002年8月イランの反体制派組織が「イランに核施設が2つ存在する」と発表する(※内部告発なんだ)。米国がこれらを衛星画像で確認し、2003年2月「国際原子力機関」(IAEA)がこれらを視察する。イラク戦争で米国が圧勝した事で、イランは次の標的になるのを恐れ、2003年10月イランはIAEAに「ウラン濃縮実験を行った」「ウラン濃縮実験を停止する」「抜き打ち査察を受け入れる」などを申告する。
・しかし2005年6月強硬派のアフマディネジャードが大統領に就くと、2006年2月核開発を再開し、抜き打ち査察も拒否する。12月国連安全保障理事会はイランへの経済制裁を採択し、その後制裁内容は強化される(※詳細省略)。しかしイランの核開発は止められず、イラン核開発問題はオバマ大統領に引き継がれる。
※この章だけで米・イラン対立の経緯が理解できた。次章はオバマ政権以降かな。

<第2章 オバマ核合意の失敗>

○イランとの対話を進め、イスラエルに圧力
・2009年1月オバマ大統領が就任する(※以下オバマと省略)。彼は「核なき世界」を掲げ、イラン核開発問題の解決が目標となる。3月彼はイランに対話を求め、アフガニスタン国際会議で米特使とイラン外務次官との会談が行われる。6月オバマはカイロでイスラム教徒に向けた大演説を行う。彼はパレスチナ人の苦しみをナチス下のユダヤ人に例えた。これは米大統領としては異例であった。イラン核開発問題とイスラエル・パレスチナの中東和平交渉が中東政策の目標となる。
・ブッシュ政権はイスラエル寄りの新保守派(ネオコン)の助言に従い、イスラエルに圧力を掛ける事はなかった。これはトランプ政権(※以下トランプ)でも同様である。一方オバマ政権は「イスラエルのパレスチナへの圧政が反イスラエル感情を高め、それが反米感情に繋がり、イスラム過激派を支持し、さらにイランへの人気になっている」と考えた。ブッシュ政権により中東では米国への批判が高まっていた。オバマは、イスラエル入植地拡大の凍結を絶対条件とした。彼はイランの核開発停止と同時に、イスラエルの核放棄にも触れ、中東の非核化構想を発表した。

○頓挫したオバマ提案
・オバマによる長い交渉の第1ラウンドが始まる。まずはテヘランの研究炉に関する件だった。1967年以来、イランはこの研究炉で医療用アイソトープを製造していた。しかし使用していた低濃縮ウランが尽きるため、2009年5月IAEAに燃料の供給を求めていた。これにオバマは、核施設ナタンズに蓄積された1.5トンの低濃縮ウランをフランスで医療用アイソトープに加工して、イランに戻す提案をする。※詳細省略。
・イラン/ロシア/フランス/米国の高官がこの交渉を進め、2009年10月安全保障理事国/ドイツ(P5+1)とイランがジュネーブで協議し、合意する。しかしイランの保守派が、「西側諸国が燃料を返還する事はない。不拡散条約に従えば、核保有国はイランに燃料を提供する義務がある」と批判する。最高指導者ハメネイ師も「米国と交渉するとは、世間知らずだ」と批判する。結局この提案は頓挫する。

○対イラン経済制裁を強化
・これを期に、オバマは「対話路線」から「イランを孤立させる路線」に転換する。2010年5月国連安保理による新たな経済制裁に、ロシア/中国が合意した事が発表される。これはイランの金融機関や革命防衛隊を対象にしている。またイランを発着する船舶・飛行機に禁制品が含まれる疑いがあると、検査が行えた。これはイランを孤立させる大変厳しい包括的制裁法だった。ただし米国に協力的な国の企業は制裁されない「抜け道」が用意されていた。
・2010年6月欧州連合(EU)のアシュトン上級代表はイランに交渉再開を呼びかけ、イランは9月に再開する可能性に言及した。

○2011年7月までにイスラエルがイランを空爆する
・そんな中、「イスラエルが2011年7月までにイランを空爆する」との議論が起こる。この火付け役は米有力誌『アトランティック・マンスリー』の記事で、イスラエルの高官へのインタビューから、「攻撃の可能性が50%以上ある」とした。

・この記事でイスラエルのネタニヤフ首相は「イランはイスラエルを消滅させる兵器を開発している」「イスラエルが消滅の危機にあるのに、国際世論はそれを深刻に受け止めていない」と述べている。またイラン核保有の影響を、「1つ目は、ヒズボラ/ハマスなどの過激勢力(※シーア派だな)を活性化させ、世界的な核戦争に至る危険がある。2つ目は、イスラム過激勢力(※こちらはスンニ派かな)を活性化し、アラブとイスラエルとの和平は消滅し、中東で核軍拡競争が始まる」と述べている。※他にも多くの高官の証言を紹介しているが省略。
・そもそもイスラエルが核開発に取り組んだのは、中東で核兵器を独占し、「安息の地」を得るためだった。イスラエルにとって、イランの核保有は想像以上に脅威なのだ。オバマが国家安全保障長官デニス・ブレアを解任するが、これはイランへの穏健なアプローチを諫言したためとされる。そこでこの記事は、「イスラエルは米国に相談する事なく、イランを攻撃する」とした。

○米・イスラエルがサイバー攻撃を仕掛ける
・2010年9月イランのコンピューターがコンピューター・ウィルス「スタックスネット」に感染する。原子力発電所「ブシェール原発」でも感染が見られた。この目的はウラン濃縮施設の遠心分離機だったとされる。後にこれは米国とイスラエルの共同作戦だった事が明らかになる(※詳細省略)。11月アフマディネジャード大統領はブシェール原発だけでなく、ナタンズ濃縮施設でも感染があったと発表する。2011年6月『ニューヨーク・タイムズ』がこの詳細をスクープする。※意外と漏れるものだな。
・2010年11月テヘランでイラン人核科学者が爆殺される。この様にイランは安保理を通じた経済制裁だけでなく、米・イスラエルの情報機関による攻撃も受ける。

○イラン核開発進展と米欧による制裁強化
・2010年12月「安保理常任理事国+ドイツ」(P5+1)とイランの交渉が再開される。しかし協議の継続だけが決まる。アフマディネジャード大統領は、①ウラン濃縮の継続、②高濃縮ウラン製造の継続、③原子力発電所建設の継続は譲れないとした。同月オバマは追加の経済制裁を科す。これはイランの銀行/財団/船会社などに科され、制裁は厳しさを増した。※詳細省略。

・2011年11月IAEAがイラン核開発に関する報告書を発表する。これはイランの核開発を強く批判する内容で、国際社会の批判も高まった。イランはフォルドーに新たな濃縮施設を稼働させる。これは地中に建設されており、空爆されない施設である。
・これらからオバマは、経済制裁をさらに強化する「大統領令13590」を発令する。これはイランの石油・ガスの開発・採掘・抽出などの上流活動に資材・サービスを提供する企業への制裁である。12月EU/日本も追加制裁を決定する。さらに米国は原油代金の決済に使われる「イラン中央銀行」と取引する銀行に制裁を科す法案を成立させる(※韓国の件があったな)。オバマは最初は対話で臨んだが、核開発加速と経済制裁の応酬に変わった。この流れを変えるには、イランに新たな指導者が必要となった。

○ロウハニ大統領の登場で核交渉が再開
・イスラエルはイランの濃縮活動が2013年夏には最終段階に達すると警告した。その2013年8月ハッサン・ロウハニが大統領に就く(※以下ロウハニ)。彼は外相に、2001年同時多発テロ後にポスト・タリバン政権誕生のために米国と協力したモハンマド・ザリフを据え、米国とは対話路線に転換する。ロウハニは、「イランは核保有を望んでいない」「イランは建設的なインター・アクションを行う」などと発言し、米国だけでなく近隣競合国との対話も求めた。
・9月オバマも「残りの任期の外交課題を、イラン核開発問題とイスラエル・パレスチナ和平に絞る」と表明する。また「我々は体制転換を求めていない。イランが原子力を平和的に利用し、核不拡散条約と国連安保理決議を遵守するのを望む」と述べる。
・そして9月27日、オバマとロウハニは国交断絶後、初めて電話会談する。10月15日「P5+1」とイランの交渉が始まる(※同じ敗戦国のドイツは含まれるのに、日本は除外か)。11月第1段階の合意が成る。これは「イランは濃縮活動を縮小し、拡大しない。重水炉の建設は停止する」「イランへの制裁は緩和・停止し、追加制裁は行わない」などの内容となった。

○相互不信を乗り越えて辿り着いた核合意
・しかしその後の交渉は難航する。2014年2月『ウォールストリート・ジャーナル』が、イランの米軍に対するサイバー攻撃を報道する。2013年8月米海軍のネットワークにハッカーが侵入し、その修復に1千万ドル掛かった。また米政府内で、「核交渉には弾道ミサイルの開発も含めるべき」との意見が主張されるようになる。これにイランは「核開発に限定すべき」と主張し、交渉は難航する。2014年1月ホメイニ師は「米国の敵対的姿勢は変わらない。今よりイラン・イラク戦争当時の方が苦しかった」と発言し、交渉は進まなくなる。

・2015年7月漸く合意が成り、「包括的共同行動計画」(JCPOA)が発表される。これは「遠心分離機を1/3に減らし、この状態を10年間維持する。保有する低濃縮ウランの98%を国外に搬出する。その後15年間は高濃縮ウランなどの製造・取得をしない」との内容になった。国連/米欧はこの履行状況に応じ制裁を解除する事になった。
・メディアはこの合意を「歴史的な合意」と評価した。オバマも「この合意がなければ、中東で多くの戦争が起きる可能性があった」と述べる。トランプがこの合意を破棄し、2年足らずで戦争の瀬戸際に追い詰められるが、この発言はそれを示唆していた。

○動揺するサウジと激化する中東パワーゲーム
・この合意でイランが国際社会に復帰し、中東の地政学が変化した。これを警戒したのがスンニ派で指導的な立場にあるサウジだった。イラクではシーア派の政権ができ、それを米国が支援している。シリアでは、米国はISの打倒を目指すが、アサド政権には無関心である。イエメンでも、サウジが支援していた政権が、イランと友好的な勢力「フーシー派」により倒された。さらに合意の翌月、イランは射程500Kmの弾道ミサイルを試射する(※まだ500Kmか)。これにロウハニ大統領は「これからも我々は必要な武器を作り、売却する」と述べる。

・2015年12月サウジはイスラム34ヵ国の軍事同盟を結成する(※名称は?)。これはエジプト/ヨルダンなどの中東諸国だけでなく、チャド/セネガル/ナイジェリア/パキスタン/マレーシアなども加入する大連合となった。これはイラン包囲が目的で、後にトランプが中東版NATOを構想するが、その下地になる。
・2016年1月サウジはイランと国交を断絶する。サウジがシーア派の高位聖職者を処刑し、これに対しテヘランのサウジ大使館を襲撃したのが、断交の直接の原因である。同月アラブ連盟(21ヵ国、1機構)がカイロで大使館襲撃事件の対応を協議する。このようにイランの国際社会への復帰は、サウジを動揺させた。

○シリア内戦で勢力を拡大するイラン
・2014年以降スンニ派の過激派がイラク/シリアの一部を占拠し、「イスラム国」(IS)を樹立した。これに米国は有志連合を派遣したが、イランも独自に対外工作部隊「コッズ部隊」を派遣する。彼らはシリアのシーア派民兵を支援し、シーア派勢力が拡大する。イランのコッズ部隊だけでなく、レバノンのヒズボラ、イラク/アフガニスタンなどの民兵組織もシリアに派遣され、アサド政権を支援した。シリアの正規軍は4万人だが、民兵組織「NDF」が10万人いる。これにヒズボラ(※人数不明)/イラクの民兵(5千人)/アフガニスタンの民兵(4千人)が加わり、それらをイラン軍(7千人)が指揮した。※こんな状態なので、シリアの反体制派(スンニ派)は壊滅したのか。
・2017年11月アサド政権は勢力を西から東に拡大し、イラクの国境に達する。これによりテヘランから、バグダッド/ダマスカスを経て、地中海のベイルートに至る陸上輸送路が確保された。12月イランはこの「戦略回廊」「ランドライン」で軍事物資を輸送する。
・2018年2月『ニューヨーク・タイムズ』は、「シリア国内にイランの大規模な基地が3ヵ所、小規模な基地が7ヵ所存在する」と発表する。これはイスラエルの安全保障を脅かしている。

○トランプが目論むイラン包囲網
・オバマがイランとの交渉を優先したため、イランの勢力は拡大し、米国とサウジ/イスラエルとの関係は悪化する。2017年1月トランプ政権が誕生すると、イラン包囲網の強化に転換し、「アラブ・イスラエルvsイラン」の構図に向かう。

<第3章 トランプ政権の対イラン戦略>

○トランプの国家安全保障戦略
・2017年1月トランプが大統領に就任する(※以下トランプ)。12月になり『国家安全保障戦略』を発表する。これは法律で義務付けられており、国民/同盟国などに外交・安全保障分野の方向を示すものだ。この中で「米国が中心であった国際秩序が、新たな勢力により綻び始めている」「中国やロシアが軍事力を拡大し、経済を不自由・不公平にし、米国の安全保障・繁栄を侵食している」とした(※詳細省略)。また「北朝鮮/イランの独裁者は地域を不安定にし、米国/同盟国に脅威を与え、自国民を搾取している」「テロリスト/国際犯罪組織も米国の脅威である」とした。

・この様にトランプ政権は敵対勢力を、「現状変更勢力」「ならずもの国家」「超国家的脅威」の3つに分類した。「現状変更勢力」とは中国/ロシアである(※詳細省略)。「ならずもの国家」とは北朝鮮/イランである(※詳細省略)。「超国家的脅威」とはイスラム国(IS)/アルカイダなどで、共に敗北させたが、依然脅威は継続しているとした。

○優先課題は現状変更勢力への対応
・『国家安全保障戦略』では、これらの脅威に対し「力による平和」を宣言し、4つの手段を挙げている。①国民/本土/価値観を守るため、国境管理を強化し、移民政策を見直し、インフラの防御を高め、ミサイル防衛を強化し、テロ対策も強化する。②経済繁栄のため、米国人労働者/米国企業の利益になるように刷新する。③力で平和を維持する。そのため軍事力を強化し、戦争で勝利する強大な軍隊にする。④米国の影響力を拡大させるため、米国の利益になる事を推し進める。これにより米国は安全になり、繁栄する。※自国ファーストだな。
・これに基づいて『国防戦略』が策定され、「現状変更勢力」への備えを優先課題とした(※詳細省略)。2001年9月同時多発テロ事件以降、米国はアフガン戦争/イラク戦争を起こし、ISなどの非国家勢力との戦闘に明け暮れた。その間中国/ロシアの「現状変更勢力」が力を増し、米国の優位を脅かすようになった。そのため、「現状変更勢力」への対応を最優先課題とした。

・2018年2月インテリジェンス・コミュニティが『世界の脅威評価』を公表する。この中では、イランへの脅威が突出して多かった。正に中東では、「現状変更勢力」のロシア、「ならずもの国家」のイラン、「超国家的脅威」のシーア派民兵組織が、地域の地政学を自身に優位に転換している。インテリジェンス機関は、中長期的には「現状変更勢力」のロシア/中国だが、短期的には「ならずもの国家」のイランを脅威と感じている。

○強硬姿勢一辺倒の対イラン戦略
・『国家安全保障戦略』を発表する2ヶ月前(2017年10月)、トランプは「対イラン戦略」を発表している。彼は「脅威を無視すれば、危険性はより高まる」と述べ、1979年以来のイランの行動を列挙し、「イランは極めて危険な体制である」とした。そしてオバマ政権での「包括的行動計画」(JCPOA)を「核開発を認め、ウラン濃縮などの制限を一定期間に限定している」と批判し、「酷い取引」と断じた。これらは新保守主義派(ネオコン)が繰り返し批判してきたものだ。
・しかしイスラエルが先制攻撃をしかねない状況での合意だった事を忘れてはいけない。またイランの近隣諸国への勢力拡大は核合意に違反するものではないし、その原因は米国によるイラク戦争などである。

○トランプの最後通告
・イラク戦争後、イラクはスンニ派/シーア派共に民兵組織を強化した。スンニ派の過激派の中から「イスラム国」(IS)が生まれ、米国は対ISに注力する。シリアでは、2011年「アラブの春」が起きるが、イランはアサド政権の要請で軍を派遣した。イランとシリアは1998年に軍事同盟を結んでおり、シリアの脅威にイランも対処する事が義務付けられている(※それで米欧はアサド政権に軍を向ける事ができないのか)。シリアにも多くのシーア派の民兵が派遣された。これによりテヘランからベイルートに至る「陸の戦略回廊」が構築された。結果的にイランはシーア派のネットワークを強化し、地域での影響力を高めた。しかしこれは核合意とは無関係である。

・ところがトランプはこのイランの勢力拡大を、オバマの核合意による失敗と決めつけた。そこで彼はイランに対する4つの方針を示した。①同盟国と協力し、中東でのイランの勢力拡大や代理勢力への支援に対処する。②イランがテロ勢力を支援しないよう、追加制裁を行う。③イランがミサイルなどの武器を世界に拡散させる事に対処する。④イランが核保有する道を閉ざす。

・2017年10月の「対イラン戦略」に続き、2018年1月トランプは「核合意が修正されない限り、核合意を破棄する」と宣言する。そして①全施設の即時査察、②核開発制限の恒久化、③核開発だけでなく弾道ミサイルも対象とするの3つの条件を掲示し、その期限を5月までとした。

○トランプを支える反イラン最強硬派
・この強硬策に転じるため、トランプは外交・安全保障チームを刷新した。2018年3月彼は核合意に対する意見の違いから、ティラーソン国務長官を解任する。後任に米中央情報局長官のマイク・ポンペオを任命する(※経歴省略)。彼とトランプは核合意で意見が一致していた。

・さらに国家安全保障問題担当大統領補佐官にジョン・ボルトンを任命する(※経歴省略。以下ボルトン補佐官)。彼はネオコン系シンクタンクと繋がりが深く、そのためイランに対する強硬姿勢は、トランプ/ポンペオより強かった。彼は核合意の交渉中に、「イランの核施設を爆撃せよ」「交渉で核開発を止める事はできない」などと述べている。彼はイランの反体制組織「国民抵抗評議会」の年次総会に度々出席し、スピーチを行っている。

○トランプの核合意破棄宣言
・2018年5月8日トランプは予告通り核合意から離脱する(※これが歴史的合意と歴史的破棄で対かな)。今回も「核合意は酷い取引」とし、以前と主張は変わらなかった。この演説で「イスラエルの秘密の情報」に触れているが、これは2003年まで存在したイランの核開発計画だった(※詳細を解説しているが省略)。こうして米国はイランに厳しい経済制裁を科し、さらにイランを支援する国にも制裁を科すように転換する。

○イランを徹底的に締め上げる
・トランプは離脱を宣言すると、経済制裁を再開する。「革命防衛隊/コッズ部隊を支援している」としてイラン中央銀行に制裁を科す。これにより代理勢力のヒズボラ/フーシー派などに打撃を与えられると考えた。※タリバン/アルカイダ/イスラム国はスンニ派で、ハ行のハマス/ヒズボラ/フーシー派はシーア派だな。
・この制裁は米国の姿勢を明確にした。核合意後、欧州/日本はイランとの取引を進めたが、それに対する警告となった。その後米財務相次官やボルトン補佐官が制裁に強い意志を示し、核合意を遵守する欧州などへの警告となった。

・トランプは「対イラン戦略」を達成するため、3つの対策を示す。①2015年核合意以前の制裁を全て復活させ、さらに厳しい制裁を科す。これにより代理勢力への支援ができなくなり、イランの影響力は低下する。②米国は同盟国と協力し、イラン近隣での行動を抑止する。サイバー空間での攻撃も許さない。もし核開発を再開したら、彼らは経験した事がない状況になる。①米国はイラン国民を擁護する。イラン政府は国民の人権を守り、富を外国で使うのを止めるべきだ。具体的には、①は経済制裁の強化、②は軍事的な圧力、③はイランの現体制を批判し、民主化を支援する事になる。

○国家主権を無視した「12ヵ条要求」
・ポンペオ国務長官は取引に応じるため、12の要件を示した。①核開発の全てを国際原子力機関(IAEA)に申告する。そして永続的に放棄する。②ウラン濃縮/重水炉などを廃棄する。③IAEAの無制限のアクセスを認める。④弾道ミサイルの開発を止める。⑤イランが拘束中の米国民などを解放する。⑥ヒズボラ/ハマスなどへの支援を止める。⑦イラクの主権を尊重し、シーア派民兵を武装解除する。⑧フーシー派への支援を止め、イエメンを政治的に解決する。⑨シリアからイランの兵力を撤退させる。⑩アフガニスタンのタリバンへの支援を止め、アルカイダの幹部もかくまわない(※タリバン/アルカイダは敵対勢力では)。⑪革命防衛隊のコッズ部隊は、テロリスト/武装勢力への支援を止める。⑫イスラエルへの脅し、サウジ/アラブ首長国連邦(※以下UAE)へのミサイル発射、国際的な航行への脅し/サイバー攻撃などを止める。
・ポンペオ国務長官は「これらに応じれば、取引に応じる」と述べる。しかしこれらは誰が見ても応じられる内容ではない。米国はイスラエルの核保有については無干渉で、ダブルスタンダードである。外国人による無制限のアクセスは、主権の放棄である。

・8月トランプは国務省に「イラン行動グループ」を組織し、ブライアン・フックをイラン担当特別代表に就ける。彼もポンペオ国務長官/ボルトン補佐官に劣らず、対イラン強硬派である。彼は「オバマは核合意を結ぶため、イランの『悪い振る舞い』に寛容になり、さらに『悪い振る舞い』を起こさせた。トランプはそれを正す」と述べる。

○高まるイランとイスラエルの軍事衝突
・同じ頃、イランとイスラエルの軍事衝突リスクが高まった。2018年2月シリア領内を飛び立ったイランの無人機がイスラエル領内で撃墜された。これに対しイスラエルは、シリア領内のイランの基地を爆撃する。そしてこの爆撃機をシリアが撃墜する。3月イスラエルは「2007年イラン原子炉への爆撃は自国が実施した」と公表し、イラン本土への攻撃を辞さない姿勢を示した。5月シリア南部からゴラン高原に駐留するイスラエル軍にロケット弾が発射されたり、イスラエルがシリアのイラン軍基地を爆撃するなどがあった。
・米国の経済制裁に同調し、イスラエルはシリアのイラン勢力に軍事攻撃を行った。最初にイランがゴラン高原を攻撃したかは不明だが、イランの強硬派の我慢が限界に達していると云える。シリアのイラン勢力は、イスラエルへの大きな牽制になっており、イランは簡単に撤退しない。

○ポンペオ国務長官がトランプ・ドクトリンを発表
・2018年11月トランプはイラン経済制裁の第2弾を発動する。8月の第1弾は鉄鋼・自動車関連だったが、第2弾は石油/金融/海運・造船/保険など、イラン経済の本丸に及んだ。これに際し、ポンペオ国務長官は『トランプ・ドクトリン-対イラン経済制裁への参加がなぜ必要か』との論文を寄稿している。

・そこには「トランプは武力を行使し死活的な国益を守る。しかし戦争は望んでいない」「彼は敵対勢力との対話に前向きである」「これらがアウトロー国家(北朝鮮、イラン)に対する新たな枠組みである」とし、これを「トランプ・ドクトリン」とした。これにより北朝鮮を対話に引きずり込んだとして、トランプを称賛している。
・またイランに対しても、「経済制裁により、革命防衛隊/ヒズボラ/ハマス/アサド政権/フーシー派/イラクのシーア派民兵組織/世界で暗躍するテロリストへの資金を閉ざそうとしている」と評価する。さらに「現イラン政権の腐敗を明らかにし、民衆を扇動し、反体制派を支援すべし」としている。これらの経済制裁/秘密工作などで、イランの国外での影響力を弱体化させるのがトランプの狙いとした。
・このトランプ・ドクトリンの前提は、①イランは経済的に弱体化している、②米国と軍事的に戦う気はない、③この状況が続けば政策を転換するだが、これには間違いがあった。

<第4章 限界近付くイランの戦略的忍耐>

○ロウハニ政権は、米国抜きの核合意維持を目指す
・米国の核合意離脱でイランのロウハニ政権は、米国以外の締結国との関係を強化し、経済制裁の影響を最小限に抑えようとした。核合意離脱の翌日、彼は「我々は40年前から繰り返されている事を目撃している。それはイランは国際的な約束を守る国で、米国はそうしない国だ」「イランは国際的な義務(国連安保理決議2231)を果たしている。米国は義務に注意を払わない国だ」と述べる。さらに「包括的行動計画(JCPOA)が守られないのであれば、我々は別の道を進む」と述べる。そしてロウハニは、合意後に再開された企業取引を維持する仕組みを、米国を除く締結国に要求した。彼は「義務を果たさないのは米国であり、イランが核合意を守れるよう当事国は協力して欲しい」と訴えた。

・核合意を離脱した2018年5月、トランプは「イスラエルのテルアビブにある米国大使館をエルサレムに移転する」と宣言し、国際世論を沸騰させる。締結国(英仏独中ロ)はトランプの一連の行動を非難し、核合意維持の姿勢を示した。

○不満を募らせるイランの指導部
・2018年6月トランプは欧州/アジア各国にイランからの原油輸入を止めるよう要請する。これに呼応し、サウジは原油の増産を決める。
・米国は90日後(8月7日)に自動車/貴金属の制裁を再発動し、180日後(11月5日)に石油輸出などの全ての制裁を再発動する事になっていた。そのため7月6日英仏独中ロの外相会合が開かれ、核合意維持とイラン救済案が検討される。8月下旬、独外相は「ドルを離れた決裁システム(※決済?)」や「多国間協調主義の同盟」の構築に言及する。欧州で「対米自立」を求める声が高まった。

・しかし政府の姿勢と異なり、企業はイランとの取引から撤退する。仏石油会社トタルは「米国資本との関係は切り離せない」としてイラン事業から撤退する。同様にデンマークの海運会社APモラー・マースク/仏自動車会社PSA/独電機会社ジーメンス/独自動車会社フォルクスワーゲンなども撤退・縮小を決める。

・7月ロウハニは「締結国が合意事項を履行する我が国を助けられないなら、我が国はこれに留まる必要はない」と述べる。また外交官へのスピーチで「イランの石油輸出が止められるなら、海峡を封鎖する用意がある」と述べる。日本では彼は穏健派とされるが、イラン指導部の間では、不満が相当増大していた。

○核合意維持で結束するEU・イラン
・2018年9月国連総会は米国/イランの舌戦となる。トランプが安全保障について述べた内の半分は、中東問題となった。彼は「イランの指導部が利益を独占し、国民を虐げている」「テロを輸出し、シリア/イラク/イエメンの内政に干渉している」などと非難する。これに対しロウハニも「米国の経済制裁は、経済的なテロリズム」「米国は国際法を守らない不当な国」と非難し、「イランは国連安保理決議2231を守り、IAEAの12回の査察を受けてきた」と主張した。また「この決議が特定の国の選挙のプロパガンダに利用されるのを許すな」と非難する。
・この前日、EUの外交安全保障問題担当が「核合意の遵守」を表明している。さらにEUは「中ロと共にイランの原油取引を継続させる『特別メカニズム』を構築する」と表明している。EUや中ロが「決済システム」「特別メカニズム」に触れた事は、米国への打撃となった。※ホントに欧州はトランプを嫌ったみたいだな。

○トランプを支えるネオコン・ネットワーク
・トランプと一体化しているネオコンは、イランがレジーム・チェンジ(体制転換)するまで圧力を加える考えだ。そのため国連総会と同じ日、「イラン・サミット2018」を開く。これは親イスラエルで、反イラン強硬派の「イラン核武装に反対する連合」(UANI)が開いた。オバマ時代は煙たがられたが、トランプになり、活動が活発化した。
・このサミットに、ポンペオ国務長官/ボルトン補佐官/イラン担当特別代表フックが参加し、基調演説などを行っている。ポンペオ国務長官は、核合意の維持/決済システムの創設などを非難する。ボルトン補佐官も「イランと取引する企業は悲惨な結果になる」と警告する。因みにこのサミットに、サウジ外相/バーレーン駐米大使/UAE駐米大使/イエメン副首相なども出席した。

○動き出した革命防衛隊
・2018年8月ホルムズ海峡などで革命防衛隊が大規模な軍事演習を始める。因みに世界の原油の4割が同海峡を通過している。その前日、イラン海軍司令官はホルムズ海峡を「石油の蛇口」とし、「軍・革命防衛隊が安全に責任を持つ」と述べる。また革命防衛隊の高官は、「イラン原油が輸入禁止になれば、海峡を封鎖する」と述べる。※軍事演習の内容が説明されているが省略。
・ロウハニはイランが核合意を維持し、核合意を離脱した米国に非難が集中するのを期待していた。しかし米国の経済制裁により、欧州・アジアの企業は次々と撤退し、革命防衛隊などの不満は抑えられなくなる。

・7月サウジは「バブエルマンデブ海峡(紅海とアラビア海の境にある。※バブエルマンデル?)での原油出荷を停止する」と発表する。これはサウジのタンカーがフーシー派に攻撃された事による(※停止するとサウジ自体が困るのでは)。またフーシー派はサウジの首都リヤド/ジザン製油所/アブハ空港や、UAEのアブダビ空港などを攻撃する。イランとしては、イランだけが制裁されるのは理不尽で、同等の打撃をフーシー派を通しサウジに与えようと考えても不思議でない。

○イランの対外戦略と軍事能力
・この様にイラン強硬派の忍耐は限界にあった。そこでイランの対外戦略と軍事能力について整理しておく。イランは「米国が反体制派への支援や、経済制裁により体制の転換を狙っている」と考えている。また「米国は同時多発テロ後、アフガニスタン/イラクに侵攻し、最終的にはイランに侵攻するつもりである」と考えている。これらの認識は、1953年「モサデク政権転覆事件」以降の様々な経験により形成され、簡単に消えるものではない。そのため米国やその同盟国からの直接的・間接的な攻撃から体制を守る事が国益になっている。

・この国益を守るための代表がミサイルである。イランは10種類以上の弾道ミサイルを開発し、射程2千キロを攻撃できる(※距離は北朝鮮程ではないな)。そしてこの短距離弾道ミサイル/巡航ミサイルを代理勢力に提供している。近年では武装ドローン/新型機雷/無人爆破船/潜水艇/新型魚雷/新型対艦巡航ミサイルなども開発している。
・ミサイル以外では、海上でのゲリラ能力を高めている。イランには海軍と革命防衛隊海軍が存在するが、前者はオマーン湾などの近海を、後者はホルムズ海峡/ペルシャ湾などを担当している。後者は小型スピードボートなどを持ち、海上ゲリラ能力に長けている。また革命防衛隊の「コッズ部隊」は2万人おり、アサド政権/ヒズボラ/ハマス/フーシー派/シリアのシーア派民兵/バーレーンの反政府武装組織などを支援している。
※イランと北朝鮮の軍事力を比較すると、北朝鮮は核を保有しているが、イランの方が高いらしい。

○外国勢力によるテロ
・トランプの史上最強の圧力により、イラン国内でテロが頻発するようになった。2018年9月イラン南西部フゼスタン州アフワズで革命防衛隊に対しテロ攻撃が行われた。フゼスタン州はアラブ系住民が多く、分離独立を目指す武装グループが存在する。トランプは革命防衛隊が報復攻撃に出て、世界から「イランはテロ支援国家」と批判されるのを期待した。
・イラン北西部ではクルド系の武装グループが活動しており、8月革命防衛隊が11人を殺害している。クルド人はイラクで訓練され、イランに越境してテロを行っている。そのため9月イラク北部のクルド人の拠点を、地対地ミサイルで攻撃している、

・9月イラク南部バスラの米国領事館近くにロケット弾が撃ち込まれる。これにトランプは「米国の被害には、テヘラン政権に責任を取らせる」と述べる。バスラはシーア派が多数を占め、治安は比較的安定していた。ところが事件前日、汚職・失業などに抗議するデモが起き、イラン領事館が放火される事件も起きていた。そのためシーア派民兵組織「カタイブ・ヒズボラ」の司令官は「この騒乱は米国大使館が指揮した」と非難していた。カタイブ・ヒズボラは、2007年イラクに駐留する多国籍軍の排除を目指し、3つのシーア派組織が合併し、設立された。これを革命防衛隊/レバノンのヒズボラが支援している。

・9月イラン南西部アフワズで革命防衛隊がテロ攻撃されたが、この報復として、10月革命防衛隊がシリア東部のISの拠点に弾道ミサイルを撃ち込む。近くに米軍の拠点があり、米国への牽制だったと思われる。10月イラン南東部のシスターン・バルチスターン州でイラン治安部隊員14人がパキスタンに拉致される。ここは以前よりスンニ派武装勢力が活動していた。
・これらの武装勢力の活動はトランプの「最強の圧力」が関係していると考えられる。トランプは「表の政策」として経済制裁を行い、「裏の作戦」としてサウジ/イスラエルなどと連携し、イランの反体制派を支援していると考えられる。

○イランの伝統的な前線防衛構想
・2018年11月トランプは経済制裁の第2弾を発動する。第2弾は石油/金融/海運・造船/保険なども対象になった。イラン産原油の最大の顧客であった中国も、輸入を停止した。この様な制裁により、イランが政策を転換する可能性があるかを、歴史的に検証する。1980年以来イランは米国と断交したが、幾ら経済的に厳しくても政策を転換させていない。

・2018年11月「国際危機グループ」(ICG)が『米国の対イラン制裁スナップバックの非合理性』を発表している。これはイランの成長率/石油収入と外交政策の関係を調査している。結論から言えば、経済的に困窮しても、対外政策の縮小は見られない。
・1982年レバノンでヒズボラを作るが、革命後の混乱や原油価格の低迷で経済は停滞していた。イラン・イラク戦争後の復興期やアジア通貨危機後の原油価格暴落期でも、ヒズボラ/ハマスへの支援に変化はない。逆に1998~2003年は原油高による成長期だが、穏健派の政権だった事もあり、アラブ諸国/西側諸国と協調的だった。2011~15年は制裁を受け、成長率も石油収入も大幅に減少するが(※核合意前だな)、シリアへの介入/アフガニスタン・パキスタンのシーア派民兵の組織化/イラクのシーア派民兵への支援/フーシー派への武器支援など、次々と拡張している。※これを見ると、経済的に苦境に陥ると、逆に軍事行動を強める感じだな。
・イランは伝統的に「前線防衛」で、国外の代理勢力に戦わせ、自分達に直接脅威が及ばないようにしている。経済状況と関係なく、敵対勢力が圧力を高めれば、それに応じ代理勢力を強化している。これらよりICGは「米国の経済制裁で、イランが政策転換する可能性は低い」とし、「逆に経済的危機はイラン強硬派が望む所で、これにより対外対立は強められる」と予測している。

・ロウハニは欧州/中国/ロシアと核合意を維持し、次期大統領選でトランプが敗北するのを待つつもりだったが、その忍耐は限界に近付きつつある。また革命防衛隊などの強硬派は、米国との対立・緊張が強まるのを望んでいる。トランプは「トランプ・ドクトリン」を発動し、経済制裁を強化したが、イランは大人しくなるどころか、逆に対外的活動を拡張させるだろう。

<第5章 イランを締め上げるトランプ>

○シリア撤退を表明したトランプ
・2018年春トランプはシリアからの米軍撤退を表明する。国防総省は混乱し、マティス国防長官は辞任する。これはトランプが国際関係を理解せず、独断で決定し、問題を引き起こす典型となった。

・2018年12月19日トランプは「我々はイスラム国(IS)を撃退した。これで米軍がシリアに駐留する理由はなくなった」とツイートする。この時トルコのシリア侵攻が秒読みに入っていた。トルコが侵攻すると、米軍と衝突する事になる。2011年シリア内戦が始まる。外国勢力が反体制派を支援する事で、内戦は激化した(※これも東西の代理戦争かな)。反体制派にISが加わり、これに米国を中心とする有志連合が敵対し、状況は複雑化する。
・アサド政権をロシア/イランが支援し、反体制派をトルコが支援し、「クルド人民防衛隊」(YPG)を米国が支援する構図になった。米国に支援されたYPGはISの支配地を奪い、シリア北東部(シリアの25%)を勢力下に置く。しかしトルコはYPGを「テロ組織」としており、米国に支援を止めるよう要請していた。アサド政権の勢力を拡大させないためにも、米国の支援は重要だった。この考え方を国防総省/国家安全保障会議(NSC)は理解していた。

・2018年12月12日トルコのエルドアン大統領(※以下エルドアン)は、「我々は数日内にシリアに軍事侵攻する」と述べる。この時トルコ国境に、トルコ軍/反体制派「自由シリア軍」が集結していた。これに焦った米国はトルコ政府と電話会談し、14日トランプとエルドアンの電話会談も行われる。

○トランプの突然の決断
・米国の高官は「トルコの侵攻は絶対避けるべき」とし、国境の一部をトルコに与える案もあった。ところが首脳会談が始まるとエルドアンが主導権を握り、「ISの99%打倒し、米軍のミッションは達成された。残存勢力はトルコが対処する」と主張する。トランプはこれを受け入れ、「米軍を撤退させよう」と突然決断する。彼は「シリアからの米軍撤退」を公約しており、これが好機と感じたのかもしれない。
・一方現場では、YPGへの支援は続けられていた。ワシントンでも17日、ボルトン補佐官/マティス国防長官/ポンペオ国務長官が集まり、撤退と駐留の中間の策を練る。しかし彼らの助言は受け入れられず、19日トランプは撤退を表明する。

・翌日マティス国防長官は辞任する。米軍はロシア/中国/イラン/ISを脅威と位置付け、中東で任務を遂行していた。それを突然転換され、彼は納得できなかった。一方トランプはシリア駐留の本質を理解しておらず、「シリア/アフガニスタンからの米軍を撤退させる」と以前から発言していた。この機会を逃してはいけないと考え、撤退を決断したのだろう。

○条件付き撤退への方向転換
・一夜にして米軍撤退となったが、政府高官やネタニヤフ首相の働きかけで「条件付き撤退」に変わっていく。2019年1月6日ボルトン補佐官はイスラエルを訪問し、「トルコがクルド人を攻撃しないと約束をしなければ、米軍はシリアから撤退しない」と発言する。翌日トランプも「我々は、IS以外の状況も見ながら、適切なペースで撤退する」とツイートする。

・トランプは12月14日に撤退を決断するが、それを最初に伝えた首脳がネタニヤフ首相だった。そのため彼はシリアでのイラン勢力の拡大を恐れ、シリアへの空爆の頻度を上げていた。1月1日ブラジル新大統領の就任式が行われたが、そこでもネタニヤフ首相とポンペオ国務長官が「イランの脅威」について会談している。その前日トランプは共和党上院議員と昼食を取り、「ISを敗北させる」「空白をイランに埋めさせない」「クルド人を守る」を撤退の条件としている。

・1月8日ボルトン補佐官がトルコを訪問し、エルドアンと会談する予定だった。ところがエルドアンは「条件付き撤退」となったため激怒し、会談をキャンセルする。そして「テロリストであるYGPを保護せよなどの条件は断じて受け入れられない」と述べ、さらに「シリアのテロリストを排除する準備ができている」と述べる(※米国寄りの日本メディアは、これらを報道しないよな)。ボルトン補佐官一行は何の成果もなく帰国する。これに対しトランプは「トルコがクルド人を攻撃すれば、トルコに経済制裁を科す」とツイートする。同盟国トルコとの関係はこの様に変化する。

○「中東戦略同盟」の構築に奔走するポンペオ国務長官
・トランプ政権の高官は、中東での信頼回復のため、訪問が増える。ボルトン補佐官と同時期、ポンペオ国務長官は中東9ヵ国(ヨルダン、イラク、エジプト、バーレーン、UAE、カタール、サウジ、オマーン、クウェート)を訪問する。彼は「米国はイランの勢力拡大を止めるため圧力を加え続ける」「反イラン包囲網を構築しよう」と各国に伝える。エジプトでは「米国は中東戦略同盟の設立に努めている。これは湾岸協力機構(GCC)に、ヨルダン/エジプトを加えたものになる」と述べる。

・2019年2月11日イランはイスラム革命40年となり、各地で式典が開かれた。そんな最中、イラン南東部のシスターン・バルチスターン州で自爆テロが起き、革命防衛隊27人が死亡する。実行犯はスンニ派の過激派組織「ジャイシュ・アドル」とされる。イランはその背後に米国がいるとして、非難した。

○ペンス副大統領の反イラン演説
・2019年2月13日ワルシャワで、反イランを目的とした「中東会議」が開かれた。しかしロシアは出席せず、欧州連合(EU)も外相が欠席し、フランス/ドイツも高官の出席を見合わせた。※トランプ外交を象徴しているな。
・14日の閣僚級会合でペンス副大統領が「反イラン演説」をする。「我々が集まっているのは、中東の平和・安全のためである。昨夜は素晴らしかった。それはイラン・イスラム共和国がそれへの脅威である事に皆が同意したからだ」と述べる。これに続き「イランがテロを支援している」「米国民を人質にしている」「国民の自由を抑圧している」などと述べる。そして「これらを許したのがオバマの『悪魔の取引』で、そして今トランプが勇気をもって核合意から離脱し、イランに制裁を科している」と述べる。またこれに協力的でないドイツ/フランス/英国などを非難する。

・この会合前の1月13日、ドイツ/フランス/英国はドルを介さずイランと取引できる特別目的事業体(SPV)を発足させていた。ただし実際は人道支援などの取引でしか利用されず、エネルギーに関しては、企業は米国の制裁を恐れ、イランとの取引を控えた。ペンス副大統領は中東会議で「我々の制裁を台無しにする制度だ」と非難し、「欧州各国は世界の平和・安全のため、圧力を加えるべきだ」と訴えた。

○深まる大西洋同盟の亀裂
・中東会議(ワルシャワ会議)後、『ファイナンシャル・タイムズ』は「核合意はイランの核開発を防ぐ最良の合意」などと報道し、米欧間の認識の違いを伝えた。ワルシャワ会議後にミュンヘン安全保障会議が開かれたが、ここでもペンス副大統領はドイツ/フランス/英国に核合意離脱を求め、中国/ロシアの「現状変更勢力」を非難した。これに対しメルケル首相は「米国の単独行動主義が欧州を危険にしている」などと激しく非難する。
・また以前よりトランプは「NATOは無用の長物で、大西洋同盟は米国にとって良い取引ではない」と発言していた。これに関しても欧州側は快く思っていなかった。そのためドイツの高官は「トランプが同盟国の利益を考慮するとは誰も思っていない」と述べている。
・これは民間でも同様で、「米国は脅威か」の質問に、ドイツでは2017年35%から2018年49%に増加し、フランスでも36%から49%に増加している(※欧州は米国を脅威と感じているのか)。因みに2013年(オバマ時代)はドイツ19%、フランス20%である。トランプによる核合意離脱で、欧州の「トランプ離れ」は加速した。

○イランを締め付ける米主導の経済制裁
・米国の経済制裁は着実にイランに打撃を与えていたが、2019年3月31の個人・組織に新たに制裁を科す。彼らは「防衛革新研究機構」(SPND)に関係し、核兵器開発に携わると思われるする人物だ。米財務省のテロ対策金融インテリジェンス部門にとって、イランの制裁逃れやテロ資金ネットワークの解明は最優先事項である(※制裁は金融部門が担当だな)。2018年11月全ての制裁を復活させたが、7千に及ぶ個人/組織/航空機/船舶を制裁対象に追加している。
・米財務省はイラン中央銀行(CBI)がシリアへの石油輸出でヒズボラ/ハマスなどにテロ資金を流している事を突き止め(※詳細省略)、関連企業に制裁を科している。近年船舶の航行を監視できるようになり、密輸船の監視が可能になった(※詳細省略)。そのため2011年は日量35万バレルの石油輸出があったが、今は全く輸出できなくなっている。

・3月米国はオマーンと協定を結ぶ。これは米海軍にドゥクム港/サラーラ港の使用を許可するもので、米国の影響力を高めた。因みにオマーンはイランとも緊密で、米国とイランの裏ルートとなってきた国でもある。※カタールも親イランで、アラブで団結している訳ではない。

○イランは隣国との関係強化で生き残りを図る
・2019年に入ると米国の経済制裁の影響が出始める。近隣諸国でシーア派民兵の給料が支払われなくなり、シリア北西部での発電プラントの建設が止まった。2019年2月、アサド大統領は2011年シリア内戦が始まって以来初めてイランを訪問し、ハメネイ最高指導者/ロウハニ大統領と会談し、謝意を伝える。

・3月ロウハニは2013年大統領に就任して初めてイラクを訪問する。この時、エネルギー/輸送/農業/産業/衛生などの分野で合意する。イラクにとって、イランは重要な電力/天然ガスの供給国である(※イラクも石油は豊富と思うが)。この時注目されたのがイランとイラクを結ぶ鉄道である。イランとイラクが結ばれると、イラン-イラク-シリアが鉄道で繋がる事になる(※イラクは韓国みたいな国だな。米国ともイランとも仲良く)。このようにイランは米国の制裁に対し、隣国との関係を強化した。

○革命防衛隊をテロ組織に指定
・3月トランプはゴラン高原でのイスラエルの主権を認める。その文書には「ゴラン高原がイラン/テロ組織によるイスラエル攻撃に利用される怖れがあり、イスラエルの主権を認めるのが適切である」とされた。ゴラン高原は1967年「第3次中東戦争」でイスラエルが占領した土地で、国際的にはシリアの領土である。そのためシリア/トルコはこれを非難した。これはイスラエルの選挙や、トランプが米国の親イスラエル派の支持を得たかったからである。

・4月トランプは革命防衛隊を「テロ組織」に指定する。これは革命防衛隊がテロ組織に資金調達しているためだが、他国の軍事組織をテロ組織に指定した事になる。これをボルトン補佐官/ポンペオ国務長官は賛成していたが、中東に派遣された米軍が矢面に立たされるため、国防総省は反対していた。この指定に対し、イランのザリフ外相/革命防衛隊司令官は「中東の米軍は安全を享受できないだろう」と警告する。この指定に対し、イランは米国を「テロ支援国家」に認定し、中東に派遣された米軍を「テロ組織」に指定する。

・米国は革命防衛隊をテロ組織に指定した事で、宣戦布告なしに攻撃できる。同様にイランも中東の米軍基地を攻撃できるようになった。従ってこれは軍事オプションのハードルを下げた事になる。しかしこれまで米国は「テロリズムは非国家主体による」と定義していたため、これを否定した事になる。またイスラエル軍がパレスチナの若者を殺害するのはテロではないのか。あるいは米軍が無人機で民間人を爆殺するはテロではないのか。彼らは国家主体なので、これまではテロに該当しなかったのだ。この様にトランプは、これまで機能していた原理原則/国際法を破壊してしまった。

<第6章 イランの最大限の抵抗>

○戦略的忍耐を止めるイラン
・2019年5月米統合参謀本部議長は「4月以降、イランが中東で挑発的な活動を強めている」と述べる。2018年5月トランプが核合意を離脱し、制裁を再開してきたが、イランは欧州と協力し、核合意を維持してきた。2019年1月米ドルを介さず貿易ができる特別目的事業体(SPV)「貿易取引支援機関」(INSTEX)を設立するが、機能していなかった。イラン原油の輸出は減少し、5月には許されていた8ヵ国への輸出も禁止され、全面禁輸となった。
・イランは「戦略的忍耐」政策は、自分達だけが疲弊すると認識する。2019年5月ロウハニは核合意の一部履行停止を表明し、「60日以内に進展がなければ、高濃縮ウランの製造を開始する」と警告する。

○ペルシャ湾危機
・5月米軍は空母「エーブラハム・リンカーン」などをイラン近海に派遣すると発表する。この頃米軍は短距離弾道ミサイルを搭載している商船を追尾していた。またイラク各地でシーア派民兵が米国権益を攻撃すると警戒していた。実際UAEの沖合で、サウジの石油タンカー4隻が攻撃され、さらにサウジの石油施設が無人機で攻撃される。またイラクにある大使館/領事館から職員を退避させた数日後、ロケット弾を撃ち込まれる。

○安倍首相の訪問後、米・イランの緊張が高まる
・6月12日安倍首相がイランを訪問し、米・イラン間の仲介に入る。安倍首相とロウハニの会談は2時間を超えた。そこでロウハニは「米国が経済制裁を科しているのが原因である。この戦争を止めれば、世界は変わる」と述べる。また「日本が原油輸入を維持するのであれば、両国関係も改善されるだろう」と述べる。
・翌日安倍首相はハメネイ師とも会談する。安倍首相が「米国は誠実に対話する用意がある」と伝えるが、彼は「米国は信用できない。米国は体制転換を求めている」などと述べる。この会談直後、オマーン湾で日本のタンカーなど2隻が攻撃され炎上する。

・この直後から緊張が高まる。15日イラクの空軍基地に迫撃砲弾が撃ち込まれ、米軍基地にもロケット弾が撃ち込まれる。19日バスラの石油会社エクソンにロケット弾が撃ち込まれる。20日革命防衛隊は「米軍の無人機を撃墜した」と発表する。これは米軍がイラン軍により直接攻撃された事になり、緊張が高まる。
・実際、ボルトン補佐官/ポンペオ国務長官などが報復攻撃を主張し、トランプも承認する。しかし開始10分前にトランプが命令を撤回する。この報復攻撃はイランの3ヵ所を空爆するもので、150人の被害者が出るため中止したとされる。この時トランプは「あの連中は戦争したいらしい。本当に頭にくる。もう戦争は必要ない」と述べている。しかし弱腰と見られるのを嫌い、ハメネイ師を制裁対象にし、サイバー攻撃も仕掛けている。

○「最大限の抵抗」に苦しむトランプ
・トランプは次期大統領選に向け、「核合意を離脱し、イランに最大限の圧力を掛けている」「中東から米軍を撤退させている」などをアピールしている。彼は圧力を掛け続ければ、最後はイランが屈すると信じている。しかしイランは、制裁と同等の痛みを米国に掛ける「最大限の抵抗」戦略に舵を切った。欧州には核合意破棄で圧力を掛け、米国には代理勢力によるテロ攻撃で圧力を掛けている。
・2019年5月に始めた一連の攻撃は、石油関連施設/米軍関連施設を狙っている。ただし本格的な戦争になるのを避け、軽微な被害に留めている。このまま経済制裁を受けては、座して死してしまう。そのため「最大限の抵抗」に出たのだ。これは日本が石油禁輸を受け、戦争に向かった状況と似ている。

○核合意の枠内での抵抗
・7月4日ジブラルタル沖で、イランのタンカーが英国に拿捕される。7月10日その報復と思われるが、ホルムズ海峡で革命防衛隊が英国のタンカーの拿捕を試みるが失敗する。7月7日イランは核合意での上限3.67%を超えるウラン濃縮を始めると発表している。7月9日フランスの大統領外交顧問がイランを訪れているが、イランは「有効な経済支援策が打ち出されるまで、義務を停止する」と伝える。イランは合意履行停止により、欧州に圧力を掛け始めた。
・7月10日国際原子力機関(IAEA)の特別理事会が開かれる。米国はイランを恐喝と非難する。一方ロウハニは「米国の違法を容認するな」「イランは全締結国による完全な履行を求める」などと非難する。イランのザリフ外相も「核合意の全締結国が、合意内容の全てに満足している訳ではない。そのため十分時間を掛けて合意したのがこの核合意である」と述べる。第36条は紛争解決について規定され、「一方が履行しなかった場合、もう一方も履行を停止できる」とある。彼は「核合意の履行停止は、この権利の行使である」と主張する。

○タンカー護衛有志連合の発足
・2019年7月ペンス副大統領はキリスト教右派「イスラエルのために団結するキリスト教徒」の総会で講演し、エルサレムへの大使館移転/ゴラン高原でのイスラエル主権などの業績を語る。さらにイランに史上最強の圧力を加え、イランが核開発を再開した事も述べる。この総会にポンペオ国務長官/ボルトン補佐官も出席し、同様な事を述べる。※福音派かな。

・一方トランプはペルシャ湾周辺でタンカーを護衛する有志連合の発足を進めていた。彼は「ホルムズ海峡を利用しているのは日本/韓国/中国/インドネシアで、なぜ米国が守らないといけないのか」と考えていた。これは民間船舶を米艦船と共に護衛するが、イランの密輸船を監視し、拿捕する役目もある。後者はイランからすれば戦争行為であり、各国を戦争に巻き込む可能性があった。

○オバマ政権時代の国防長官が語るイランの脅威
・オバマ政権で国防長官を務めたレオン・パネッタは、この状況を「イランは無人機を撃墜するだけでなく、タンカーを攻撃するのも厭わない状況だ。これではいつ戦争に発展してもおかしくない」と述べた。「米国がイラン国内の施設を空爆すると、必ず反撃する。それは米軍の施設かイスラエルかは分からないが、彼らは効果的なミサイル・システムを持っている。他にハマスやフーシー派などの代理勢力に攻撃を指示する事も考えられる。イランは多くのオプションを持っている」と述べる。

○戦争に巻き込まれたくない中東諸国
・イランの周辺国にも様々な動きがあった。7月カタールのタミム首長がワシントンを訪問し、米国から航空機の購入や石油化学施設の建設で合意する。またアル・ウダイド空軍基地の増設でも合意する。カタールはサウジと断交しており、イランと関係が深い。※当基地は中東最大の米軍基地。その国がサウジと断交し、イランと関係が深いとは、複雑だな。
・2017年ヨルダンはサウジ/UAEに同調し、カタールとの国交を格下げしていた。ところが2018年国交を回復し、反イラン・カタールから転換している。

・2019年7月UAEはイエメンへの部隊派遣を縮小する。これはイランとの戦争が起き、UAEが最前線になるのを恐れたのだ。さらに沿岸警備当局がテヘランに向かい、海洋安全保障協力で合意する。このUAEの動きも、イランとの戦争に巻き込まれたくない表れである。米国はイランへの圧力を強めるが、一方で反イラン同盟は足並みが乱れた。※欧州でも中東でもだな。

○エスカレートする革命防衛隊の挑発
・2019年7月19日革命防衛隊が「英国タンカーを拿捕した」と発表する(※これは4日の報復だな)。同日米国防総省が「センチネル(番人)作戦」を発表する。これはアラビア湾/ホルムズ海峡/バブエルマンデブ海峡などでの航行の安全を保証(※保障?)するもので、米艦隊による護衛は含まれていない。
・しかし前日、米艦船6隻がペルシャ湾を示威行動し、この時イランの無人機を撃墜している。これは電波妨害による撃墜だが、意図しない衝突に発展するリスクが高まった。

○イラン強硬派は、より大胆に
・イランによる英国タンカー拿捕は英国への報復だが、「圧力」に対する「最大限の抵抗」は、戦争を起こしたくない周辺国や欧州に効果的である。トランプは「圧力を強めれば、イランの行動は抑制される」と考えているが、革命防衛隊などの強硬派は逆に反発を強めている。

・7月23日ザリフ外相はニューヨークを訪れ、「米国が禁輸制裁を解除すれば、二国間関係は改善される」と述べる。イランが「戦略的忍耐」から「最大限の抵抗」に転じたのは、イラン産原油の全面禁輸が原因である。しかしこれを大統領選前にはできない。

○ペンタゴンの元イラン分析官の戦争シナリオ
・『フォーリン・アフェアーズ』2019年8月号に「制御不能な戦争-イランとの衝突は瞬く間に地域紛争に拡大する」が掲載される。これは元国防副長官室イラン担当分析チーフが書いたものだ。そこには「今はイランと米国の緊張がピークにある」「ボルトン以外は、誰も戦争を望んでいない。しかし小さな衝突が、大混乱を引き起こす可能性がある。例えばシーア派武装勢力が米軍の車列を攻撃したり、ペルシャ湾でタンカーが攻撃され、石油流出事故が起きるケースなどだ」とある。「もし米軍に被害が出れば、必ず報復する。そうなれば米軍はイランの港やシーア派の施設を空爆する」「一方イランはアフガニスタン/イラク/レバノン/シリア/イエメンの代理勢力を利用できる。またバーレーン/クウェート/カタール/サウジ/UAEの米軍基地をターゲットにできる。さらにホルムズ海峡を封鎖したり、サイバー攻撃なども可能である。イランの軍事力を過小評価してはいけない」とした。

○軍事衝突は地域紛争に拡大する
・前著者は「米国がイラン艦艇を攻撃すれば、イランはホルムズ海峡を封鎖し、代理勢力は米国人を殺害し、米軍基地を攻撃する」と予測した。さらに「米軍が12万の地上部隊を上陸させる可能性もある」とした。この場合「イランは海上ゲリラ/ミサイル攻撃/サイバー攻撃などを行い、原油価格は150ドル/バレルを超えるだろう。中東の米軍基地は攻撃され、世界中の米国大使館/軍事施設がテロ攻撃を受けるだろう。またヒズボラとイスラエルの戦闘も激化するだろう」と予測した。この様に最悪の場合、地域紛争に発展するだろう。

○少しずつ増える有志連合
・2019年8月15日、英領ジブラルタルは拿捕したイランのタンカーを解放する。当船はシリアへ原油を輸送した疑いがあった。解放後ギリシャに向かうが、米国は「当船へのいかなる支援も、テロへの支援と判断し、罰金などを科す」と警告した。
・一方8月19日、バーレーンが「有志連合」に参加する。バーレーンは中東で最も米国に協力的で、英国の次に、有志連合に参加する国になった。21日オーストラリアも有志連合に参加する。ただしこちらは6ヶ月間限定の参加である。これらはイランを刺激する材料になった。

○激化する代理勢力間の衝突
・8月17日サウジ政府が「東部のシェイバー油田が無人機の攻撃を受けた」と発表する。フーシー派も「10機の無人機で攻撃した」と発表する。2015~18年サウジはフーシー派から200発以上の弾道ミサイル攻撃を受けたが、これが無人機による攻撃に変わりつつある。2019年前半だけで、57回の無人機による攻撃を受けている。※無人機の方が迎撃されない、安価、正確性などの理由があるのかな。
・このシェイバー油田の攻撃に対し、サウジはフーシー派の拠点を8回空爆している。これは「イラン原油輸出ゼロ」が背景にあるが、これが激化すると、イランとの直接の紛争に発展する恐れがある。

・8月20日バグダッド北方のシーア派民兵組織の武器貯蔵庫が無人機で空爆される。これにシーア派民兵組織「人民動員部隊」(PMF)は「4機の無人機がイスラエルから飛来し空爆した。米国がこれを許可した」と非難する。これまでイスラエルはシリアを空爆する事はあったが、イラクのイラン系民兵組織も空爆するようになり、米・イラン関係の緊張の高まりが窺われる。

○再び高まる米・イラン関の緊張
・8月20日ポンペオ国務長官は「日量270万バレルのイラン産原油を市場から排除した」と述べる。これに対しロウハニは「イラン産原油がゼロになれば、世界の海路は安全でなくなる」と述べる。ザリフ外相も「イラン産原油を輸出する仕組みが作られない限り、義務履行停止措置の第3段階に進む」と述べる。
・マクロン大統領が米・イランの仲介に乗り出すが、トランプは受け入れず、イランは「抵抗戦略」(※最大限の抵抗?)の第2弾を展開する。

<第7章 軍事衝突に向かう米国とイラン>

○フランスが仕掛けた米・イラン首脳会談
・2019年9月4日ロウハニは「核合意履行停止の第3段階の措置として、核関連研究開発の制限を全廃する」と発表する。これにはウラン濃縮度20%への引き上げが含まれており、そうなると核兵器製造工程の90%を終える事になる。第1段階は5月8日の低濃縮ウランを300Kg以上貯蔵する事で、第2段階は7月7日のウラン濃縮度を3%から4.5%に高める事であった。しかしこの第3段階でイランはウラン濃縮度20%を見送る。それは米・イラン関係の改善が感じられたからだ。

・8月26日までフランスで「G7サミット」が開かれていた。マクロン大統領はザリフ外相とトランプを仲介し、「イラン産原油の日量70万バレルの輸出を認める一方、核合意を遵守させる。またイランに150億ドルの金融支援をする」などを提案していた。サミット後、トランプも柔軟な姿勢を示し、ロウハニも首脳会談に前向きな姿勢を示した。9月下旬に国連総会があり、9月25日に首脳会談を開く方向で進められた。

○制裁を強化し続けたトランプ
・ところがトランプ政権は制裁を強化する。9月3日イランの宇宙機関と研究所を制裁対象に加える。翌日「革命防衛隊の資金調達に関する情報提供者に報奨金を出す」と発表する。同日財務省はシリアへの原油輸送に関与したレバノン人など10人/インド企業など16団体を制裁対象に加える。
・これはトランプに制裁強化で取引を優位に進める意図があったかもしれない。また9月10日イラン強硬派のボルトン補佐官を解任している。しかしイランは「制裁解除なしに、米国との交渉はない」と述べ、選挙前のトランプに「戦争か制裁解除か」の究極の選択を突き付けた。

○サウジの石油施設を無人機攻撃
・9月14日世界を驚愕させる事件が起こる。サウジ東部のアブカイクの石油施設とリヤド近郊のクライス油田が無人機攻撃を受け、サウジの石油生産能力が半減する。サウジ政府は「18機の無人機と7発の巡航ミサイルによる攻撃で、北方から飛来した」と発表する。元米中央情報局(CIA)のイラン分析官は「イランの最高指導者は米国との交渉を排除しており、彼の目的は欧州諸国を動かす事にある」と述べる。
・サウジは膨大な金額を費やし、防衛システムを構築してきた。それを掻い潜って攻撃した事になる。また米国は空母機動部隊を派遣し、軍事圧力を高めていたが、攻撃を抑止できなかった事になる。この攻撃はサウジに脅威を与えた。しかし米国は新たな戦争を嫌い、軍事的な報復は行わなかった。米国とサウジは同盟国だが、米国はこれを放棄した。※米国は財政難のため、財政出動が要求される軍事行動の選択はなく、財政出動が必要ない制裁しか選択できないのかな。

○幻の米・イラン首脳電話会談
・9月14日石油施設攻撃後もトランプは首脳会談を望んだ。9月24日ロウハニがニューヨークを訪問中で、電話会談するようにマクロン大統領が働き掛けた。これには4つの項目があり、①イランの核開発を永久に制限する新たな協議を始める、②制裁の解除、③イエメン紛争の終結、④ペルシャ湾の航行の安全であった。しかし米国は2019年に16の制裁を科しており、ロウハニはこの電話会談に応じなかった。
・翌日の国連総会で、ロウハニは「米国は制裁を解除すべき」と演説する。一方米国はイラン政府高官の家族を制裁対象に加える。※この繰り返しだな。

○軟化姿勢を見せ始めたムハンマド皇太子
・サウジへの「前例のない攻撃」に対し、米国が取った報復はイラン中央銀行への制裁とサウジへの追加派兵などに留まった。またサウジのムハンマド皇太子も「軍事的解決より、政治的・平和的解決が望ましい」「この地域は世界のエネルギーの30%、貿易の20%、GDPの4%を占める。戦争は避けるべきだ」と述べる。これまでサウジは好戦的だったが、対立緩和に転換する。
・10月4日『ニューヨーク・タイムズ』は「サウジがパキスタンを通じ、イランに話し合いを要請している」と報じる。そして「トランプが報復しなかったため、サウジが紛争解決を模索し始めた」と報じた。既にクウェート/UAEはサウジの強硬路線から離れていたが、本丸のサウジも軟化に転換する事になった。※イスラエル以外は対立緩和かな。

・イランは米国・サウジの軟化を強硬策の成果と見なしたが、制裁緩和の結果は得られていない。そのため代理勢力による攻撃を継続させる可能性が高い。

○デモ・暴動拡大により対外強硬姿勢を強めたイラン
・このサウジ攻撃の頃からレバノン/イラクで反政府活動・反イラン暴動が激しくなる。イランはこれを米国・サウジによるものとし、対外強硬姿勢を強める。
・これらの反イラン活動・暴動の起因となったのが、11月17日『ニューヨーク・タイムズ』が報道した告発文書「イラン・ケーブル」である。これはイランの情報機関からの内部告発文書で、2003年イラク戦争後にイランがイラクの政治家/治安機関と緊密になり、如何にイラクを牛耳ったかが記されていた。この文書には、イラクのアブデルマフディ首相との緊密な関係も記されていた。また2011年米軍撤退後(※イラクにも米軍基地はあるが)、イランは米軍に仕えたエージェントを雇ったり、米軍が使用したパソコン/電子機器/盗聴システム/マニュアルなどを入手していた。

・11月中旬にはイラン国内でも反政府デモが発生し、全国に拡大する。政府はインターネットを遮断し、スパイ180人を逮捕するなどして、暴動を鎮圧する。11月19日ハメネイ師は「謀略戦に勝利した」と宣言する。
・11月16日ポンペオ国務長官は「反体制派を支持する」と述べている。また11月22日インターネットを遮断した通信情報技術相を制裁対象に加えている。これらからイラン政権は反米感情をさらに強めた。

○核合意履行停止の第4段階を発表
・2019年11月7日イランは核合意履行停止措置の第4段階としてフォルドー地下核施設でのウラン濃縮を再開する。これにより核濃縮がナタンズと2ヵ所で行われるようになり、核合意前の状態に戻った。さらに遠心分離機も増強したと発表する。※詳細省略。
・このフォルドー核施設は地下80mにあり、空爆で破壊されない。2015年核合意前、この施設で20%のウラン濃縮が行われており、これを15年間停止させたのが核合意の最大の成果だった。今回も20%のウラン濃縮を見送るが、核合意は破綻したと云える。

・11月4日ロウハニは「彼らが核合意を履行するなら、我々は何時でもこの措置を撤回する」「今後2ヵ月で我々が石油を売買する道が見えてくれば、交渉の余地がある」と述べる(※主張は一貫している)。しかしこの第4段階は、逆に欧州を米国寄りに反転させた。欧州各国の高官がイランへの警戒を表明する。

○バグダッドの米国大使館襲撃事件
・11月以降イランの脅威が高まる。11月25日米海軍がアラビア海で大量のイラン製武器を積んだ小型船を拿捕する。巡航ミサイルのパーツなどを積んでおり、イエメン紛争が始まって以来の高性能な武器が積まれていた。またイランがイラクにミサイル集積基地を構築している情報があり、米国防次官は「イランの攻撃が懸念される」と述べる。
・12月3日アル・アサド空軍基地、5日バラド空軍基地、9日バグダッドの軍事基地にロケット弾などが撃ち込まれる。これまでは死傷者が出る事はなかったが、死傷者が出るようになる。米中央軍司令官は「米軍の軍事的対応を挑発する攻撃を仕掛けてくる可能性が高い」と警戒する。

・そして12月27日、ソレイマニ司令官暗殺に繋がるキルクークのイラク軍基地への攻撃が行われる。当基地に30発のロケット弾が撃ち込まれ、米国人の通訳が死亡し、米兵も負傷する。これは米国人・米兵の初めての被害だった。
・米軍はシーア派民兵組織「カタイブ・ヒズボラ」の犯行と断定し、カタイブ・ヒズボラの基地を空爆し、イラク人民兵25人を殺害する。これは米軍が一線を越えた攻撃だった。これに対しアブデルマフディ首相やシーア派の宗教指導者は米国を強く非難する。

・反米感情が高まり、12月31日「バグダッドの米国大使館襲撃事件」が発生する。大使館は安全地帯「インターナショナル・ゾーン」にあるが、カタイブ・ヒズボラの暴徒数千人が襲撃する。カタイブ・ヒズボラはイラク国防省の人民動員隊(PNF)の一部ではあるが、治安部隊は彼らをコントロールできなかった。暴徒は2日間に亘って大使館を占拠し、アブデルマフディ首相から米軍の撤収を審議する約束を取り付け、解散する。

○革命防衛隊ソレイマニ司令官の殺害
・2020年1月2日米国防長官は「米軍・米国民を守るため、先制攻撃も辞さない」とし、「ゲームのルールは変わった」と述べる。2019年6月トランプはイランへの攻撃を直前で中止し、その汚名返上のため、ソレイマニ司令官の殺害計画を進める。
・2019年10月頃ソレイマニ司令官はイラクのムハンディス司令官に米軍基地への攻撃を激化するように要請し、高性能の武器も提供していた。彼は米国が報復の空爆をする事で、イラン人の反米感情を高めようとしていた。そして米軍基地への攻撃が行われ、米軍による空爆も行われ、反米感情も高まり、彼の意図通りになった。

○報復攻撃に踏み切ったイラン
・2020年1月3日ソレイマニ司令官が殺害される。イランへの影響は絶大で、保守強硬派も改革派も対米報復を唱えるようになる。国際協調派であるロウハニも「この犯罪行為にイラン人は必ず報復する」と述べる。
・革命防衛隊の高官は「イラン周辺(ホルムズ海峡、オマーン湾、ペルシャ湾)の35ヵ所をターゲットにしている」と述べる。しかし実際に標的にしやすいのはイラクの米軍基地である。またカタイブ・ヒズボラは創設者ムハンディス司令官が殺害されており、イラン以上に復讐心が強い(※両司令官が同時に殺害されたみたい)。1月8日イランはイラクの米軍基地2ヵ所をミサイル攻撃する。

<エピローグ>

○抑制されたイランのミサイル攻撃
・2020年1月8日イランから弾道ミサイル16発が米軍が駐留するイラク軍基地2ヵ所に発射される。しかしイラク軍にも米軍にも被害はなかった。それはイランからの攻撃予告がイラク軍にあり、それが米軍に伝わっていたからだ。※この攻撃は記憶に新しい。
・これまでイランは「イランが攻撃した」と公言していなかったが、この攻撃はイラン政府が認めている。しかし迎撃が難しい無人機/巡航ミサイルではなく、弾道ミサイルを使用し、全面戦争になるのを避けている。またイランでは「米軍に80人以上の死者が出た」と報道し、反米感情を抑制している。ハメネイ師は「米国に平手打ちした」と評価し、「重要なのは、この地域から米軍が撤退する事だ」と述べる。

○全面戦争は回避されたが、緊張は続く
・イランはこの攻撃を「ソレイマニ司令官殺害に対する自衛権の行使」とし、「攻撃は成功した」と宣言する。1月9日トランプもイランの核開発を批判するが、軍事攻撃については触れなかった。これで全面戦争は回避されたが、トランプは最大限の経済制裁を科しており、イランとの緊張は継続される。イランの代理勢力を使っての「最大限の抵抗」は継続される。

○最終フェーズに突入する米・イラン
・イランがイラク軍基地を攻撃した5時間後、テヘランを離陸しウクライナに向かった旅客機が墜落し、イラン人/カナダ人/ウクライナ人ら176人が死亡する。これは臨戦態勢にあった革命防衛隊によると判明すると、国民の反米感情は吹き飛んだ。また1月14日英仏独はイランの核合意違反から制裁を復活させる方向に転換する。次に軍事衝突が起こると、全面戦争に至る可能性も高まっている。2020年米・イラン関係は最終フェーズに突入した。※とりあえずトランプ落選で、小休止かな。

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