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『コーカサス国際関係の十字路』廣瀬陽子(2008年)を読書。

コーカサスでチェチェン紛争/ナゴルノ・カラバフ紛争があり、また石油の産地で、以前から関心があった。

コーカサスは様々な民族・宗教が混在し、多数の共和国(未承認国もある)が存在する。
基本は南コーカサスのアゼルバイジャン/グルジア/アルメニアと、チェチェンを含む北コーカサスかな。

広範囲に解説しており、知りたかった事が分かり大満足。しかし後半は、整理してから記述して欲しい。

お勧め度:☆☆(コーカサスに関心がある方)
内容:☆☆☆

キーワード:南北コーカサス、<コーカサスの特徴>石油/パイプライン、共和国、民族・言語・宗教、<南コーカサスの問題>未承認国家、ナゴルノ・カラバフ紛争/ナヒチェヴァン自治共和国、アブハジア紛争/南オセチア紛争/アジャリア問題、ディアスポラ、ロシア、<北コーカサスの問題>チェチェン紛争/プーチン/テロ、ダゲスタン紛争、イングーシ・北オセチア紛争/強制移住、<天然資源と国際問題>石油、パイプライン、カスピ海、オランダ病、<コーカサス3国の課題>アリエフ大統領/シェワルナゼ大統領、GUAM/CDC、バラ革命/サアカシュヴィリ大統領、ヘイダル・アリエフ大統領/イルハム・アリエフ大統領、<欧米/トルコ/イランのアプローチ>紛争解決/欧米化、9.11/テロとの戦い、プロジェクト/ENP/OSCE/COE、NATO/WTO、トルコ/イラン/中東、<コーカサスの今後>バランス外交

序章

○コーカサスはどこ
・コーカサスは西に黒海、東にカスピ海、北にロシア、南にトルコ/イランがあり、旧ソ連地域である。中央にコーカサス山脈があり、南北に分かれる。南に「コーカサス3国」(アゼルバイジャン共和国、グルジア共和国、アルメニア共和国)がある。南コーカサスは、かつては「ザカフカス」(コーカサス山脈の向こう)と呼ばれ、今は独立した主権国家になっている。一方北コーカサスはロシア連邦の諸共和国(ダゲスタン共和国、チェチェン共和国、イングーシ共和国、北オセチア・アラニア共和国など)になっている。

・コーカサスは「文明の十字路」と呼ばれる(※トルコと一緒だな)。宗教はキリスト教とイスラム教の接点だが、キリスト教はアルメニア教会/グルジア正教/ロシア正教が混在する。

○知っている事
・コーカサスは「チェチェン紛争」「ベスラン学校占拠事件(2004年)」「カスピ海ヨーグルト」「長寿村」「キャビア」などで知られる。トルストイ『コーカサスの虜』などもある。大相撲には黒海(グルジア出身)や露鵬/白露山兄弟(北オセチア・アラニア共和国出身)がいる。コーカサスは、レスリング/柔道/ボクシングなどの格闘技が盛んである。

○出会い
・2000~01年、私(※著者)はアゼルバイジャンの首都バクーで在外研究をした。専門は国際政治で紛争が主である。私がソ連に関心を持ったのは高校時代で、当時はペレストロイカが話題になっていた。そして大学時代には、ゴルバチョフ書記長が日本を訪れ、「日本の大学生と語る」で熱弁し、私は彼と握手している。
・当時ソ連は「新思考外交」「シナトラ・ドクトリン」で存在感を高めるが、国内では「グラスノスチ」「ペレストロイカ」で混乱し、民族紛争が頻発していた。これにより1991年12月ソ連は解体される。
・そこで私は、課題が山積しているコーカサスを研究対象とした。それには地域の政治・経済・文化・歴史を知る必要があり、しばしば現地に赴いた。そして当地の人の素晴らしさ/貧しさ/残忍さ/腐敗などを知るところとなった。

○重要拠点
・コーカサスは歴史的な重要な地域である。また近年では、カスピ海の石油・天然ガスが重要性を増している。そのため米国/ロシア/欧州/トルコ/イランなどが、様々な軍事政策/資源政策/外交政策を展開している。

第1章 コーカサスの特徴

○高まる重要性
・この地域は元来重要だったが、「9.11同時多発テロ」以降は米国にとって、さらに重要になる。アフガニスタン/イラン/イラクに隣接する南コーカサスは、戦略的に非常に重要である。また「冷戦の残存物」の「北大西洋条約機構」(NATO)が残存し、コーカサス3国は重要である。

○天然資源
・アゼルバイジャンは昔から石油を産出し、20世紀初頭はバクーの石油が世界産出量の半分を占めた(※これは驚き。ソ連は昔から資源に恵まれていたんだ)。ソ連解体後もカスピ海の石油は注目されている。

・2005年ロシアとウクライナの間でガスを巡り紛争が起こる。ロシアの価格引き上げにウクライナが反発した。ロシアは欧州に供給するガスからウクライナ分を削減するが、ウクライナは取得を続けた。これにより欧州は混乱した(※今はどうなっているのか)。2006年にはベラルーシとの間で同様の問題が起きている。
・これらの混乱から、欧州は「ナブッコ・パイプライン」を重視するようになる。これは「BTEガスパイプライン」(バクー⦅アゼルバイジャン⦆-トビリシ⦅グルジア⦆-エルズムル⦅トルコ⦆)を東欧に延伸させるパイプラインで、2010年建設開始/2013年輸送開始が計画されている。

○多発する紛争
・この地域には複雑な歴史があり、多民族が混在し、「チェチェン紛争」に限らず紛争が多発している。この地域には多数の「共和国」があるが、その法的地位は様々である。その原因はソ連時代の行政システムにある。ソ連は15共和国で構成され、その中にアゼルバイジャン/グルジア/アルメニアはあった。「ロシア連邦共和国」はそれと同じ位置にあり、その中に自治共和国/自治州/自治管区があった。例えばチェチェンは、当時はその中の「チェチェン自治共和国」だったが、ソ連解体により「ロシア連邦」の「チェチェン共和国」となった。

○多様な言語
・この地域の民族・言語も複雑である。日本語の「民族」は、政治的共同体「ネーション」と文化的共同体「エスニック・グループ」の両方の意味で使われるが、ここでは後者を指す。
・民族を考える上で言語は重要である。この地域では、アルタイ諸語/コーカサス諸語/インド・ヨーロッパ語族が話される。アルタイ諸語はトルコ語/日本語/韓国語などだが、この地域ではテュルク語系が話される。コーカサス諸語には、アブハズ語系/ダゲスタン語系/ヴァイナフ語系がある。

○多様な宗教
・この地域の宗教も多様である。ソ連時代は宗教的主張は認められなかったが、解体後は宗教の勢いが増している。北コーカサスは基本はイスラム教スンニ派である。南コーカサスは、アゼルバイジャンはイランの影響で基本はイスラム教シーア派である。ソ連はイスラム勢力の結託を恐れ、中央アジア/コーカサスには宗務局を設置し、一定のイスラム信仰を認めた。

・ソ連解体後は、影響力を高めたい周辺国(アラブ諸国、トルコ、イラン)が、モスク/宗教学校の建設を支援したり、自国に留学生を招いている。これによりラマダン(断食)/アシュラ(シーア派の行事)/犠牲祭などが復活し、イスラム過激派が勢いを増している。※イスラム世界には、常にこの問題があるな。
・ただしアゼルバイジャンは今も宗務局が統制を続けており、イスラム政党も認められていない。ベールを着ける女性も少なく、豚肉も食されている。

・北オセチア・アラニア共和国とグルジアの南オセチアでは、ロシア正教が信仰されている。グルジアはグルジア正教が信仰されている。グルジアのアブハジア自治共和国(アブハズ人)/アジャリア自治共和国(アジャール人)ではイスラム教が信仰されている。※グルジアは3宗教か。複雑だな。

・アルメニアではアルメニア教会が信仰されている。301年アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教化している。因みにグルジアも337年に国教化しており、世界で1番目と2番目の国がコーカサスにある。
・またアルメニア人はトルコ領にあるアララト山を故地とし、あらゆる物にアララト山を描いている。トルコはこれを批判している。また1915年トルコが「アルメニア人大虐殺」を行っており、民族高揚の源になっている。これらの歴史からトルコとアルメニアは緊張関係が続いている。アルメニア人ディアスポラが「アルメニア人大虐殺」を認めるよう、世界で活動している。※ユダヤ人/クルド人/アルメニア人、色々あるな。

○民族・宗教の分布と境界
・この様にコーカサスには民族・宗教が入り乱れている。また例えばアゼルバイジャン人の2/3は、イランなどの国外に住んでいる。そのためイランでは独立運動が危惧されている。
・この民族分布と境界の不一致は、「ソ連中央への従属を高めるため、スターリンが作った」との説もある。この様にコーカサスに、手の施しようもない問題が存在する。

第2章 南コーカサスの問題

○未承認国家
・この章の前提として、「未承認国家」の存在を知っておいて欲しい。アゼルバイジャンには「ナゴルノ・カラバフ共和国」(※2020年に紛争があった地域だな)、グルジアには「アブハジア共和国」「南オセチア共和国」がある。これらの未承認国家は相当の自治権が認められ、「国家内国家」と云える。ナゴルノ・カラバフはロシアの支援で、アゼルバイジャンから独立した状態にある。彼らは軍隊/警察/通貨を持ち、普通選挙/国民投票を実施している。

・ロシアはこれらの未承認国家を軍事的・政治的に支援している。しかし未承認国家の真の独立を望んでいる訳ではなく、「本国」(アゼルバイジャン、グルジア)への牽制と考えられる。ロシアは紛争停戦の条件として、「独立国家共同体」(CIS、Commonwealth of Independent States)/CIS安全保障条約機構への加盟、ロシア連邦軍の受け入れなどを要求している。アゼルバイジャンには石油開発への参入も要求した。

・国際社会はこれらの未承認国家を承認できないのだろうか。未承認国家は「民族自決」を主張し、一方で本国は「主権尊重」「領土保全」を主張する。これらは何れも国際法の原則であり、解決が難しくなっている(※これらも米ロの代理戦争かな)。ロシアは未承認国家を「民族自決」として支援する一方、自国のチェチェン問題は「テロとの戦い」で正当化している。※コソヴォ問題との関連も解説しているが省略。
・ナゴルノ・カラバフはロシアだけでなくアルメニアの支援も受けている。他方アブハジア/南オセチアはロシアの支援しか受けておらず、それがなければ国家として存続しえない。

<アゼルバイジャン>
○ナゴルノ・カラバフ紛争
・アゼルバイジャン国内にアルメニア人が多く住むナゴルノ・カラバフがある。これはソ連時代は自治州だった。1923年人口の94%がアルメニア人だったが、1979年には76%にまで減少する。これはソ連によるアルメニア人の弾圧が原因とされる(※アルメニア人はトルコからもソ連からもか)。1987年アルメニアへの併合の運動が始まる。当初は平和的運動だったが、紛争に発展する(ナゴルノ・カラバフ紛争)。1994年ロシアの仲介で停戦するが、その後も銃撃戦/人質事件などが絶えない。

○クルド人問題
・アゼルバイジャンのラチン地方にはクルド人が住んでいます。クルド人はトルコ/イラク/イラン/シリアに多く分布するが、各地で独立運動が起きている。

○ナヒチェヴァン自治共和国
・ソ連成立時、アルメニアはナゴルノ・カラバフ/ナヒチェヴァンの両地域をアルメニア領にするように要求したが、共にアゼルバイジャン領になる(※日本国内に韓国領があり、韓国内に日本領がある感じだな)。ソ連建国当時、トルコとアゼルバイジャンが親しく、ソ連がアゼルバイジャンを優遇したためである。かつてはナヒチェヴァンとアゼルバイジャンは鉄道で結ばれていたが、アルメニアが国境を封鎖したため、今は空路でしか行き来できない。ナヒチェヴァンは多くの政治家を輩出している。

○その他の民族
・アゼルバイジャン南部にはイラン人に近いタレシュ人が住んでいます。独立を宣言したが、制圧された。北部には北コーカサス系のレズギ人/アヴァール人が住んでいます。彼らはロシアのダゲスタン共和国との統合を求めている。

○外交との関連
・アゼルバイジャン北部/ダゲスタン共和国南部には山岳ユダヤ人(タート・ユダヤ人)が住んでいる。コーカサスにはグルジーム(グルジア・ユダヤ人)/アシュケナジム(ドイツ系ユダヤ人)も住んでいる。山岳ユダヤ人は農耕・造園・養蚕などに従事し、大家族制で、伝統的な生活を送っている。
・アゼルバイジャンとイスラエルは親密である(※宗教が異なるのに?)。ナゴルノ・カラバフ紛争でイスラエルは難民を救済し、米国の対アゼルバイジャン制裁を撤廃させた(※武器も供給したみたい)。これはアゼルバイジャンでユダヤ人が平和に暮らしてきた事による。アゼルバイジャンは多民族国家だな。

<グルジア> ※2015年日本は国名をグルジアからジョージアに変えた。
○アブハジア紛争
・グルジアの難題は国内にある。ソ連時代から自治を認められていたアブハジア自治共和国との紛争である(※アブハジアはグルジアの北西部で、黒海に面する)。当地にはアブハズ語を話すアブハズ人が住んでいるが、1989年の人口調査ではグルジア人48%/アブハズ人17%だった。グルジアが当地のグルジア化を進めたため、却って独立の気運が高まった。1989年グルジア語で教育するトビリシ大学の分校をスフミに設置しようとし、暴動が起こる(スフミ事件)。

・1991年グルジアはソ連から独立する。これに対し1992年7月アブハジアも独立宣言する。グルジアは軍を派遣し戦闘となる(アブハジア紛争)。当地に住んでいたグルジア人が国内避難民になる(※グルジア本国に逃げたのかな)。1994年ロシアの支援でアブハジアが勝利し、停戦となる。2006年アブハジアのコドリ渓谷にグルジア軍が侵攻している(※詳細省略)。※これも米ロの代理戦争かな。

○南オセチア紛争
・南オセチア(※グルジア北部)にはオセット人(オセチア人)が住んでいます。彼らはロシアの北オセチア共和国との併合を求めている。1980年代末グルジアで民族主義が高揚し、1988年南オセチアの公用語もグルジア語になり、これに反対し1990年9月南オセチアはロシアへの帰属を宣言する。1991年頃から武力闘争に発展し、1992年ロシアの支援で南オセチアが勝利し、停戦する(※これもロシア側が勝利か)。2006年から戦闘が再開している。

○アジャリア問題
・アジャリア自治共和国の問題もある(※アジャリアはグルジアの南西部で、黒海に面する)。当地にはグルジア最大の貿易港バトゥミがあり、気候も温暖で、経済的に潤っている。人口の8割がアジャール人で、イスラム教を信じる以外はクルド人と変わらない。
・グルジアがソ連から独立すると、アジャリア自治共和国の最高議会議長アスラン・アバシゼはそのまま強権政治を継続させた。2003年グルジアの第3代大統領ミヘイル・サアカシュヴィリ(2004年1月~2013年11月)がグルジアの統一を公約としたため、彼は国境を封鎖する。しかし2004年5月彼はロシアに亡命し、当地にグルジアの主権が及ぶようになった。

○パンキシ渓谷問題
・グルジア北東部にあるパンキシ渓谷の問題もある。当地にはグルジア系チェチェン人が住んでいる(※グルジア人はコーカサス諸語グルジア語系、チェチェン人はコーカサス諸語ヴァイナフ語系で別民族)。チェチェン問題が起こると、ロシアは「当地にイスラム武装勢力が潜伏している」として空爆を行った。これは単にロシアによるグルジアへの嫌がらせと考えられる。「9.11同時多発テロ」より米国は「テロとの戦い」を主張するが、同様にロシアもチェチェン問題を「テロとの戦い」と主張している。米国ブッシュ大統領はイラク攻撃を容認させる代わりに、ロシアの空爆を容認したとされる。

○その他の民族問題
・ジャワヘティア(※場所不明)のアルメニア人も自治を求めている。当地もロシアと密接で、ロシア軍基地がある(※ロシア連邦軍だがロシア軍と表記、以下同様)。グルジア西部のミングレリアも不安定な地域である。※グルジアも多民族国家だな。

<アルメニア>
○民族問題
・アルメニアには民族問題がない。かつてはアゼルバイジャン人も住んでいたが、ナゴルノ・カラバフ紛争により民族浄化された。他の民族も多くが国外へ脱出した。しかしヤズィーディー/ロシア人/アッシリア人などが住んでいる。ヤズィーディーの多くはクルド人で、ゾロアスター教/イスラム教/キリスト教が複合した宗教を信仰している。ロシア人はモロカン教を信仰していたため、ロシアから追われた人々である。

○ディアスポラ
・アルメニア人はディアスポラとして名高い。アルメニア人は本国に300万人いるが、国外にその2倍の人がいる。アルメニア人はユダヤ人同様に商才に長けるが、芸術にも優れる。※指揮者カラヤンなどを列挙しているが省略。

・アルメニア・ロビー活動も有名である。1992年米国議会はアルメニア・ロビーの影響で、アゼルバイジャンを経済支援しない法律「自由支援法・セクション907」を通す。米国大統領がこれを撤廃しようとするが、できないでいる(※詳細省略)。
・またアルメニア・ロビーは、オスマン帝国による「アルメニア人大虐殺」をトルコが認めないため制裁を科すよう、世界各国で求めている。これを受けて仏国では「アルメニア人大虐殺否定禁止法」を可決した。

・アルメニア人の活動性により、本国で人口減少問題が起きている。これは本国に顕著な産業がない事にもよる。

<南コーカサスの紛争とロシア>
・南コーカサスの紛争は民族間の紛争だが、常にロシアが絡んでいる。ロシアは分離勢力を支援し、ロシアに有利な条件を本国に認めさせている。

○アゼルバイジャンへの対応
・アゼルバイジャンは石油・天然ガスの産地である。ロシアはナゴルノ・カラバフ紛争を停戦させる条件に、CIS/CIS安全保障条約機構への加盟、ロシア軍基地の設置、石油開発へのロシアの参入などを要求した。アゼルバイジャンはロシア軍基地の設置以外を受け入れた。※2020年紛争はアゼルバイジャンが勝利したので、これらの条件はどうなったのか。

○グルジアへの対応
・ロシアはグルジアに対し様々な制裁を行っている。アブハジア紛争/南オセチア紛争の停戦条件として、4つのロシア軍基地の設置(※これは未承認国家への設置かな)、CIS/CIS安全保障条約機構への加盟を要求し、認めさせている。
・1993年7月アブハジア紛争は停戦合意するが、旧ソ連地域で初めて「国連平和維持活動」(PKO)が投入される。しかし9月には紛争が再燃し、ロシア軍が平和維持軍を担っている。
・南オセチアには、ロシア/グルジア/南北オセチアが平和維持軍を投入している(※狭い地域に4軍が駐留しているのかな)。これにグルジアはロシア軍の撤退を要求している。

・ロシアはCISに対しては査証制度(※ビザかな)を免除しているが、グルジアだけは例外になっている。一方アブハジア/南オセチアの住民の90%がロシアのパスポートを持ち、両地域はロシア化している。

○アルメニアへの対応
・アルメニア国内では紛争は起きていない。ナゴルノ・カラバフ紛争でのアルメニアの勝利は、ロシアの支援による。また南コーカサスで唯一ロシア軍の駐留を認めている(※トルコへの警戒もあるかな)。アルメニアに主要な産業はなく、ロシアへの依存が高くなっている。※イスラエルと違って、海外のアルメニア人からの援助はないのかな。

第3章 北コーカサスの問題

・南コーカサスの紛争は、本国と分離主義勢力との紛争である。一方北コーカサスの紛争は、ロシアが当事者であり、親ロシアと反ロシアの紛争である。

<チェチェン共和国>
○チェチェンとソ連
・チェチェン紛争は、第1次(1994~96年)と第2次(1999年~)に分けられる。チェチェンは民族を基盤とした共和国だが、かつてより扱い難い地域だった。山岳地帯で、交通網は発達していない。また血縁・地縁で結び付いた家父長制の「テイブ」が社会基盤で、これが約170存在する。

・1864年長い戦争の末、ロシア帝国が北コーカサス全域を併合する。しかしその後も独立抗争は続き、1917年ロシア革命直後には、北コーカサスの諸民族により「山岳共和国」が建国される。1921年民族問題人民委員だったスターリンの提案で、ソ連に帰属するが自治権を持つ「ソビエト山岳共和国」が誕生する(※プーチンも民族問題で出世したかな)。しかし1922年チェチェンは自治州になり、1934年にはチェチェン・イングーシ自治州になる。チェチェン人とイングーシ人は共にイスラム教スンニ派で、言語的にも近い。

・1937年スターリン政権下で大粛清が行われ、1944年約50万人のチェチェン人/イングーシ人がシベリア/中央アジアに移住させられ、領土は北オセチア/グルジアなどに割譲される。※国土消滅か。スターリンは大戦中の反乱を恐れたのかな。
・1953年フルシチョフはスターリン批判を行う。1957年両民族の名誉が回復され、帰還が許され、チェチェン・イングーシ自治共和国が再建される。しかし移住により多くの人が亡くなり、国土も完全に回復されなかった。

・1980年代ソ連の求心力が弱まり、独立の気運が高まる。その指導者がソ連空軍少将ジョハル・ドゥダーエフである。1991年共産党政府が倒れ大統領に選出されると(※初代大統領:1991年11月~1996年4月)、独立を宣言する。これに対しロシア大統領エリツィンは治安部隊を派遣するが、チェチェン軍により撤退する。
※この国は独立派のチェチェン・イチケリア共和国で(イチケリアの意味は何だろう)、ロシア連邦のチェチェン共和国とは別。ただし本書は区別していない。

○第1次チェチェン紛争(1994~96年)
・バクーからロシアに至るパイプラインがチェチェンを通過していたため、ロシアはチェチェンに神経を尖らせた。1994年12月エリツィンは大量のロシア軍をチェチェンに投入し、チェチェンはゲリラ部隊/軍隊、さらにイスラム義勇兵で対抗する。ロシアは首都グローズヌイを激しく空爆するが、山岳地帯を制圧できなかった。
・1996年ロシアはカリスマ的指導者のドゥダーエフ大統領を爆殺する。これによりチェチェンで厭戦感が高まり、結束も困難になり、戦闘の継続が難しくなる。大統領代行のゼレムハ・ヤンダルビエフ(※第2代大統領:1996年4月~1997年2月)は和平交渉を開始し、ダゲスタン共和国のハサヴユルトで調印する。この合意は、「独立問題は2001年まで先送り」など、チェチェンに優位な内容だった。
・紛争前、チェチェンの人口は70万人だったが、10万人が死亡し、22万人が難民となった。※チェチェン紛争は壮絶な内戦だな。

・チェチェンの混乱は続く。ヤンダルビエフは大統領に就くが、求心力はなかった。一方で野戦指導者シャミーリ・バサエフなどが頭角を現す。1997年大統領選で「ハサヴユルト合意」したアスラン・マスハドフが選出される(※第3代大統領:1997年2月~2005年3月)。これにより武装勢力はさらに袂を分けた。チェチェンに多くのイスラム義勇兵が入り込んだが、彼らは原理主義で多くのテロを行い、武装勢力の過激派とも対立した。

○第2次チェチェン紛争(1999年~)
・1999年8月チェチェンの武装勢力がダゲスタンに侵入する。しかしこれはチェチェンの総意で行われた訳ではない。武装勢力は穏健派と過激派に分かれ、さらに多数の派閥に分かれている。そのためチェチェン政府は、「ダゲスタン侵入とは無関係」と声明している。この事件でロシアは軍を投入し、チェチェン全土に空爆を行った。ロシア国内ではアパートなどが爆破されるテロが続発する。しかしダゲスタン侵入もテロ事件も、チェチェン攻撃を正当化するためロシアが仕組んだとされる。

・チェチェンへの空爆で多くの死傷者/難民を生んだ。またロシア兵による拷問・強姦・略奪も横行した。これにより一般人を含め10万人以上が死亡した。これを指揮したのがウラジミル・プーチンである。9.11以降は「テロとの戦い」が大義名分となり、欧米もこの紛争を黙認した。
※何かチェチェンはロシアの権力争いに利用されている感じだな。またチェチェンが経済/人口などで衰退すれば、ロシア政府が統治し易くなる。

○チェチェン紛争のチェチェン化
・ロシアにおいてもチェチェン紛争への反発が起きる。そこでプーチンは「チェチェン紛争のチェチェン化」を目指す(※2000年5月プーチンは大統領に就任)。これはチェチェンに親ロシアの政府を置き、ロシア軍は最低限を駐留させ、チェチェン人の手で過激派を壊滅させる政策である。

・そこでチェチェン政府のトップに、ムフティー(イスラム教の高位聖職者)のアフマド・ガディロフを任命した(※こちらはロシア連邦のチェチェン共和国で、行政府長官:2000年6月~2003年3月、初代大統領:2003年3月~2004年5月)。彼は第1次チェチェン紛争ではファトワーを出し、ロシアと戦った。しかし第3代大統領マスハドフ(※こちらはチェチェン・イチケリア共和国)とは距離を置くようになり、第2次チェチェン紛争ではロシア側に立つ。彼は行政府長官に任命されると独立派を弾圧し、彼の民兵組織は逮捕・脅迫・拷問・強姦などを活発化させる。※イスラム教の最高位なのに。

・2003年3月プーチンは住民投票を行い、新憲法の採択と同年の議会選挙・大統領選挙の実施を認めさせる。新憲法の第1条に「チェチェン共和国はロシア連邦の一部」を明記し、ガディロフを大統領にし、親ロの議会を作ろうとする。
・この頃からガディロフの息子ラムザン・ガディロフが中心のガディロフ一派(ガディロフツィ)が勢力を伸ばし、チェチェンは増々混乱する。彼らは誘拐・拷問・殺人・略奪・強姦などを繰り返し、ロシア軍以上に恐れられた。

○ラムザン・ガディロフと「チェチェン紛争のチェチェン化」
・過激派(シャミーリ・バサエフ、アミール・ハッターブなど)はロシア軍にもチェチェン政府軍に対してもゲリラ戦を続けた。2004年5月対独戦勝式典中にガディロフ大統領が暗殺され、プーチンは衝撃を受ける。プーチンは息子ラムザン・ガディロフに統制を委ねる。彼は27歳で大統領に就けなかったが、2006年3月首相、2007年2月大統領に就く。
・これによりガディロフツィの悪行は、さらに酷くなり、誘拐・略奪・拷問・強姦・超法規的処刑・人権運動家弾圧・言論封殺が行われる。2004年プーチンからロシア最高位の勲章が贈られる。しかし彼は面従腹背で、ロシアからの復興補助金の大半が使途不明になっている。

・一方独立派の穏健派は西側の協力を得ようとしている。ロンドンに亡命したアフメド・ザカエフは、様々な手段で仲介・支援を要請した。1999年「欧州安全保障協力機構」(OSCE)でロシアの対チェチェン政策を非難する共同声明が出される。しかし9.11後、プーチンが「チェチェンはテロリスト」と断言した事から、その非難は鎮まった。過激派指導者のバサエフ/ハッターブは暗殺され、穏健派指導者は国外に亡命し、独立派が力を合わせる状況にない。しかし一部の過激派がダゲスタン/イングーシなどの共和国の武装勢力と連携し、テロを行っている。

○チェチェン紛争のテロリズム化
・「チェチェン紛争のチェチェン化」は、紛争をテロリズム化した。特に2000年代前半は、過激化・大規模化・劇場化した。この要因に劇場型テロ(9.11)の有効性、イスラム原理主義アルカイダの関与がある。またイスラム教から派生したバーブ教の秘密結社による誘拐・洗脳・教育なども要因である。またチェチェンでは、夫や子を失った女性による自爆テロが多い。

・チェチェンではテロが多発している。これは「チェチェンが安定し、独立に向かう」のをロシアが避けたいためと考えられる。第1次チェチェン紛争はパイプラインを巡る戦いだったが、今は「チェチェンが独立すると、他の民族共和国も独立し、ロシア連邦も解体に向かう」との危機感である。またロシア人はコーカサス人を軽蔑しており、これを叩けばプーチンの人気が上がるのも長期化・泥沼化の要因である。※この辺り政治的視点で面白い。

<ダゲスタン共和国>
○ダゲスタン紛争
・ダゲスタン共和国も山岳地帯で、多くの民族が住んでいる。ダゲスタンでも短期的な紛争が起きている。1999年8月シャミーリ・バサエフが率いる武装勢力がダゲスタンに侵攻する。彼らは「ハサヴユルト平和合意」を無視し兵力を増強し、独自政権樹立の準備が整い、侵攻を始めたと考えられる。彼らはダゲスタンのバーブ教武装勢力とも結び付いていた。
・これを阻止するためロシア軍が投入され、バサエフは撤退する。しかしその後もロシア軍はダゲスタンへの攻撃を続け、一般住民の犠牲者も出た。

<イングーシ共和国と北オセチア・アラニア共和国> ※アラニアはオセチアの雅称。
・北コーカサスの紛争は対ロシアが主体だが、この「イングーシ・北オセチア紛争」は、あくまでも両国の対立である。1992年イングーシがチェチェンから独立するが、この時ウラジカフカス以東を自国領とした(※ウラジカフカスは北オセチアの首都だけど。エルサレムと同様だな)。これに北オセチアが反発し、紛争が始まる。ロシアの仲裁により戦闘は1週間で終わる。しかし国境はそのままで、依然緊張が続いている。

○紛争の背景は強制移住
・紛争の要因に、スターリンによる強制移住がある。1930~40年代スターリンにより、敵性民族の強制移住が行われた。対象はチェチェン人/イングーシ人/ヴォルガ・ドイツ人/メスヘティア・トルコ人/クリミア・タタール人/朝鮮人などである。彼らは列車に積まれ、移住先で強制労働させられ、多くの人が亡くなった。
・彼らが帰還する機会は2回あった。1回目はスターリンの死後、フルシチョフがスターリン批判した1950~60年代である。2回目はゴルバチョフがペレストロイカ/グラスノスチを提唱した1980~90年代である。この2つの機会で、生き残った人の大半が帰還している。

・1944年強制移住に伴い、「チェチェン・イングーシ・ソビエト社会主義自治共和国」が廃される。この時ウラジカフカス(現北オセチアの首都)が北オセチアに割譲される。1957年「チェチェン・イングーシ自治共和国」が再建されるが、ウラジカフカスは返還されなかった。さらにイングーシ人が強制移住させられている間に、オセット人が不在となったイングーシ人の家・土地に住み着いた。紛争は終結した形になっているが、イングーシ人の不満は消えていない。※正しくイングーシ人はパレスチナ人だな。

<北コーカサスの紛争とロシア>
・ロシアにとって南コーカサスは「近い国」で、影響力を保持したいが、ロシアの行動に対し国際社会の目もある。一方北コーカサスは「内戦」である。あくまでも内政問題であり、国際的な批判を受け難い。1999年OSCEイスタンブール・サミットでチェチェンにおける非人道的行為が批判されたが、9.11以降はチェチェン紛争は「テロとの戦い」とする事で批判を逃れている。今やロシアを非難するのは人権団体に限られる。一方、南コーカサスの未承認国家に関しては、主権尊重/領土保全より、民族自決を優先すべきと主張している。※9.11で「お前(米国)もやって良いが、俺(ロシア)もやる」となった感じだな。

第4章 天然資源と国際問題

○アゼルバイジャンの石油産業
・コーカサスの複雑な状況は、カスピ海で産出される石油・天然ガスにも表れている。20世紀初頭、世界の石油の半分以上がアゼルバイジャンのバクーで産出されていた。アゼルバイジャンの意味は「火の国」であり、ゾロアスター教(拝火教)の重要な地である。

・1829年手掘り立坑が82あったが、ロシア帝国が独占事業としていたため発展しなかった。1870年ロシア帝国は独占を放棄し、企業が開発に入り、立坑から油井に変わる(※調べていないが、立坑は自噴で、油井は汲み上げかな)。20余りの製油所が作られ、ノーベル家/ロスチャイルド家などのオイル・バロン(石油王)が誕生する。
・ノーベル家は石油を輸送するのに、カスピ海を北上させ、そこからロシアの鉄道で輸送した(北ルート)。一方ロスチャイルド家はグルジアの港町バトゥミまで鉄道で輸送し、そこから船で輸送し、破格の安値で西洋に提供した(※当時はパイプラインではなく、鉄道輸送か。正にバレルかな)。1917年ロシア革命で石油施設はソ連が接収し、石油はソ連政府が生産するようになる。

○ソ連時代
・第二次世界大戦でソ連がドイツに勝ったのは、バクー石油があったからとされる。バクー石油は精油が不要で、そのまま戦車で使用された。しかし無計画・短期間の開発で、油層の上部に水が溜まり、石油を採取できなくなった(※石油の方が軽い気がするが)。そのため1970年代ソ連の石油生産はバクーからシベリアに移る。ソ連はカスピ海の石油を開発する技術を持っておらず、それはソ連解体後に始まる。

○ソ連解体後
・ソ連が解体されると、欧米の石油企業がカスピ海の石油開発に関係するようになる。アゼルバイジャンの第2代大統領アブルファズ・エルチベイ(1992年6月~93年9月)は親欧米・トルコ/反ロシア・イランで、欧米との大型契約を進めた。ロシアはこれに反発し、ナゴルノ・カラバフ紛争でアルメニアを支援し、停戦条件で大型契約を仕切り直させた。※その大型契約について解説しているが省略。

○パイプライン
・カスピ海の石油開発は大いに期待されているが、様々な問題がある。まずパイプラインに関する問題である。カスピ海は外海と繋がっていないため、海まで大口径のパイプラインを建設する必要がある。ソ連時代は、バクーから黒海沿岸のスブサ(グルジア)に通じる「西ルート」と、同じく黒海沿岸のノヴォロシースク(ロシア)に通じる「北ルート」があった。しかしこれらのパイプラインは小口径で、しかも黒海を出るには狭いボスポラス海峡を通航する必要がある。そのため大量輸送可能なパイプラインの建設が急務となった。

・ところが容易に進まなかった。パイプラインの敷設は様々な経済効果があり、周辺諸国が敷設を望んだ。効率面で最良なのは、バクーからイランを経てペルシャ湾に通じるイラン・ルートである。しかし米国が「イラン/ロシアを通過させるなら、米国系石油企業を参加させない」とし流れる。西ルートの拡張案もあったが、これも流れる。

○BTCパイプライン
・次にバクー-トビリシ(グルジア)-地中海沿岸のジェイハン(トルコ)のルートが計画される(BTCパイプライン、※これはたまに聞く気がする)。石油企業は「紛争地を通過する」として反対するが、米国が推進し、1999年OSCEイスタンブール・サミットでこのルートに決まる。※OSCEは重要な機構みたいだな。
・ルートは決まったが、石油企業は採算が合わないとして着手しなかった。ところが米国がアフガニスタン攻撃(2001年~)を始めると石油価格が高騰し、英国BP/アゼルバイジャン国営石油公社などによるコンソーシアムが建設を始める。
・かつてのパイプラインは地上に建設された。そのため石油が抜かれたり、破壊されたり、生物の行動を制限した。そのため最近は地中に建設し、土地を前の状況に復元している(※知らなかった)。※ボルジョミ渓谷での環境保護からの計画変更などが紹介されているが省略。

・2006年5月様々な困難を乗り越え、BTCパイプラインが開通する。敷設地域では自警団による巡回で治安が高まり、雇用の拡大により失業問題・貧困問題も改善した。7月ジェイハンで開通式が行われ、アゼルバイジャン/トルコ/グルジアの大統領が出席するが、米国は出席しなかった。これはロシアへの配慮と考えられる。
・このパイプラインの完成により、中東情勢が荒れても石油を欧米諸国に安定供給できるようになった。さらにイスラエルまで海底パイプラインで延伸する計画もある。また天然ガスを欧州へ送るナブッコ・パイプラインも期待されている。

○カスピ海の法的地位
・もう1つの大きな問題が、カスピ海の法的地位である。カスピ海は「海」とされているが、地理的には「湖」である。「海」であれば各国が領海として管理するが、「湖」になると共同管理になり、資源は平等に分割される。沿岸5ヵ国でこの主張が異なる。

○海派VS湖派
・「海」を主張するのがアゼルバイジャン/カザフスタン/ロシアであり、「湖」主張するのがイランである。アゼルバイジャン/ロシアが「海」を主張するのは、領海に油田・ガス田があるからで、イランの領海にはそれらが全くない。しかしカスピ海の埋蔵量は、石油で世界の3%、天然ガスで世界の7%に過ぎない。これを平等に分配すると、さらに少なくなる。しかもイランは石油・天然ガス共に世界第2位の埋蔵量を持つ。要するにイランが「湖」を主張するは、カスピ海沿岸での影響力保持が目的である。※日中間にも同じような問題がある。

○トルクメニスタンの立場
・トルクメニスタンはこれに明確な姿勢を示していない。同国は「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれ、独裁色が強い(※その内容が列挙されているが省略)。外交においては「永世中立」を主張し、特定の機構・グループに加わっていない。カスピ海に対しても二転三転している。

○資源開発の功罪
・資源開発/パイプライン建設により関係国の経済は改善され、政治的にも民主化の発展が期待される。しかし「功」だけでなく「罪」も認識する必要がある。例えばアゼルバイジャンの石油開発により不均衡が起きている(オランダ病)。1960年代北海で天然ガスが発見され、1970年代オイルショックで石油が高騰し、自国通貨が強くなり、国内の製造業が競争力を失った。これがオランダ病である。資源が枯渇した時、国内産業が何もない事になる。※オランダ病は知らなかった。中東などの産油国はこの状況に近いかな。
・アゼルバイジャンは輸出の80%が石油で、これが危惧されている。同国は石油事業の透明化を図っているが、石油収入を国民生活の向上に反映できておらず、貧富の差は拡大している。また高インフレのため、2006年デノミを行ったが、かえってインフレを強めた。この様な状況から、同国に対し悲観的な意見が多い。

第5章 コーカサス3国の課題

<ロシアの「くびき」>
・コーカサス3国(アゼルバイジャン、グルジア、アルメニア)はソ連から独立したが、欧米とロシアのバランス外交を強いられている。またアルメニアや未承認国家は、ロシアの支援に依存しているため、ロシアに従属するしかない。

○アゼルバイジャン/グルジアはロシアから距離を置く
・1992年5月アゼルバイジャンでは旧共産党エリートのアヤズ・ムタリボフ大統領がクーデターで失脚する。その後アゼルバイジャン人民戦線のアブルファズ・エルチベイが第2代大統領に就く(1992年6月~93年9月)。グルジアでは文学者ズヴィアド・ガムサフルディアが初代大統領に就く(1991年4月~92年1月、※共に短命政権だな)。2人は民族主義政策を繰り広げ、反ロシア外交を展開した。しかし共にクーデターで失脚し、ソ連時代のエリートが大統領に就く。

・ヘイダル・アリエフ(1923~2003年)はアゼルバイジャンの国家安全保障局(KGB)議長や共産党中央委員会第1書記などを歴任し、アゼルバイジャンのトップにいた。1982年ソ連中央に進出するが、1987年政界から一旦退く。1993年クーデターにより第3代大統領に就き、2期10年務める(1993年6月~2003年10月)。
・彼は反対派を弾圧し、安定した政権となる。石油・天然ガス産業を発展させる(※でもオランダ病かな)。外交ではバランス外交を展開する。一方民主化の遅れ、人権侵害などで海外から批判される。

・エドゥアルド・シェワルナゼ(1928~2014年)は、1972年グルジア共産党第1書記に就任するなど、政治手腕に優れていた。当初は民族主義を批判したが、次第に配慮するようになる。ゴルバチョフ書記長と仲が良く、ソ連共産党中央委員会政治局員に抜擢され、ソ連外相に就任する。しかしゴルバチョフの独裁を懸念し、1990年外相を辞任する。1991年「8月クーデター」でエリツィンを支持し、外相に復帰する。
・1992年初代大統領ガムサフルディアが失脚し、シェワルナゼが国家評議会議長/最高会議議長を経て第2代大統領に就く(1995年11月~2003年11月)。グルジアは安定するが、民族問題/対ロシア問題/経済低迷/失業増加/汚職蔓延/電力不足などで、国民の不満は頂点に達する。2003年「バラ革命」により大統領を辞任する。

・ソ連共産党のポストはロシア人/ウクライナ人/ベラルーシ人が独占していたので、アリエフ/シェワルナゼの出世は異例で、コーカサスの誇りだった。2人はソ連末期に政界を引退するが、両国の独立後、共に大統領に選ばれる。
・2人の外交方針は似ており、ロシアとの友好を維持した。しかし次第に反ロシアに向かい、ウクライナ/モルドヴァと共に反ロシア組織「GUAM」を結成する(※それぞれの頭文字)。両国では、この反ロシア政策が今も続いている。

○アルメニアは親ロシア
・一方アルメニアはロシアに依存している。それは①ナゴルノ・カラバフ紛争でロシアの支援を受けている、②資源を持たないが理由である。また同国は「アルメニア人大虐殺」で隣国トルコとも対立している。
・しかしロシアの支援は露骨で、同国のパイプライン/送電システム/工場などがロシアの支配下に置かれている。また人口が少ないため、ロシア軍を積極的に受け入れ、CIS集団安全保障条約機構への加盟も続けている。一方でアルメニアはローマ帝国の一部であったし、世界中にディアスポラが存在し、欧米に親近感を持っている。しかし独立を維持するためには、ロシアに従属するしかない。※アルメニアはアルメニア教会/アルメニア商人のイメージがある。

○親欧米的な連帯-GUAM
・ロシアは帝国時代/ソ連時代でも、南北コーカサスを自国の「裏庭」として対応してきた。ところが1996年ロシアがチェチェン紛争で敗れると、南コーカサスはロシアに強気になる。1993年時点アゼルバイジャン/グルジアは、CIS/CIS集団安全保障条約機構に加盟していたが、チェチェン紛争後の1997年、欧州評議会でモルドヴァ/ウクライナと共にGUAMを結成する。
・GUAMは政治的・経済的な地域協力グループで、①ロシアに対抗するための石油プロジェクトの推進、②ロシアを排除したユーラシア輸送計画/通商促進計画を目的とする(※反ロシアが顕著だな。今は一帯一路でどうなっているのか)。②については、ルーマニア/ブルガリア/南コーカサス/中央アジアを連結する具体的な計画が練られた。他に、過激なナショナリズム/分離主義/国際テロリズムへの反対、主権尊重/領土保全/国境不可侵も目的とされた。

・GUAM各国はCIS集団安全保障条約機構に加盟しておらず、欧米からの支援を受けた。1999年GUAM4ヵ国がNATO50周年記念祝典に招かれるが、その時ウズベキスタンがGUAM加盟を発表し、GUUAMとなる。しかし2002年ウズベキスタンはロシアに配慮し、脱退する(形式上は活動休止)。
・2003年「バラ革命」(グルジア)/2004年「オレンジ革命」(ウクライナ)が起こり、GUAMは反ロシア・親欧米を強める。2005年モルドヴァで行われた会議では、米国特使やポーランド大統領/ルーマニア大統領などがオブザーバーとして参加する。しかし同年ウズベキスタンが正式に脱退する。

○民主主義と経済発展のための機構へ
・2006年キエフで開かれた会議で、GUAMは「民主主義と経済発展のための機構」(OEDE・GUAM、※ODED・GUAMの間違いでは)に強化・拡大される。そしてロシアの影響力の排除、欧米・トルコ・東欧への接近、民主化進展、EU・NATOとの協力、EUとの統合などが目標になる。また会議にリトアニア/ポーランド/ルーマニア/ブルガリアが訪れ、旧ソ連地域外への拡大も検討される。またGUM3ヵ国は石油・天然ガスのロシアへの依存を下げ、ロシア以外から確保する事で一致する。ただしアゼルバイジャンはGUMと異なり、ロシアとの関係を維持する姿勢を示している。またロシアはアゼルバイジャンを自陣に引き込もうとしている。

・2007年GUAM創設10周年で様々なイベントが開かれる。6月東方拡大政策として、日本の藪中外務審議官がサミットに招かれ、日本はGUAMを含む地域との外交を重視する新機軸を表明する。また民主主義の強化、安全保障、紛争の平和的解決、市民社会の形成、人道、経済協力などが議論される。9月省エネルギーに関するワークショップ、12月GUAM創設10周年を記念するイベントが東京で開かれる。※この辺り知らなかった。

○民主的選択共同体(CDC)
・GUAMとは別の動きもあった。2005年8月グルジアの第3代大統領ミヘイル・サアカシュヴィリ(2004年1月~2013年11月)とウクライナのヴイクトル・ユーシチェンコ大統領が「ボルジョミ宣言」を出す。これは「バルト海・黒海地域に残存する分裂/人権侵害/紛争を解決するための民主化を目指す共同体を創設する」との宣言である。

・そして12月、民主化・親欧米化路線の「民主的選択共同体」(CDC)が結成される。グルジア/ウクライナ/モルドヴァ/エストニア/ラトビア/リトアニア/ルーマニア/マケドニア/スロヴェニアが加盟国で、アゼルバイジャン/ポーランド/チェコ/ハンガリー/ブルガリア/米国/EU/欧州安全保障協力機構(OSCE)がオブザーバーである。CDCは特定の主体に敵対する組織ではなく、民主化/法の尊重/安定/繁栄を目指す組織である。しかしEUと上海協力機構の間に位置し、旧ソ連地域の反ロシア的な民主的諸国と云える。

<民主化と色革命>
○3つの政変
・南コーカサスの民主化も重要である。そのため欧米は人権擁護/選挙監視/言論・信仰の自由/法の整備などを推進してきた。そしてこれらと「色革命」は切り離せない。これは「バラ革命」(2003年、グルジア)/「オレンジ革命」(2004年、ウクライナ)/「チューリップ革命」(2005年、キルギス)を指す。これらは、2000年セルビアでのミロシェビッチ追放からの一連の流れと考えられる。※コーカサスに直接関係するのはバラ革命のみ。
・欧米のメディアは、これらを「民主化ドミノ」と呼ぶが、3ヵ国に過ぎず、ドミノとは云えない。またウズベキスタンでは「広場での集会禁止」、アゼルバイジャンでは「座り込み禁止」など、体制は対処方法を学び、実施している。またこれらに「革命」が付くが、経済構造/社会構造の転換が起きた訳ではなく、「政変」に過ぎない。

○バラ革命
・グルジアでは、1995年よりシェワルナゼ政権が続いていたが、2003年11月議会選挙が非民主的だった事が明るみに出る。これに野党の支持者などが大統領の辞任を求め、議場を占拠する。この時彼らがバラを置いて去ったため、「バラ革命」と呼ばれる。
・再選挙が行われ、革命の立役者で36歳のミヘイル・サアカシュヴィリが第3代大統領に就く(2004年1月~2013年11月)。同政権は、EU/NATOへの加盟、民族問題の解決、グルジアの主権回復、欧米流の政治的・経済的な発展などを推進している。

○色革命の共通点
・1つ目の共通点は、何れも「非暴力で行われた」点である。他方グルジアでの初代大統領の失脚時などで内戦が起きている。またウクライナ東部は反ユーシチェンコ派で、内戦が起きても不思議ではなかった。キルギスも同様に南北で分裂しているが、内戦は起きなかった。

・グルジアのバラ革命の指導者3人(サアカシュヴィリ、ニノ・ブルジャナゼ、ズラブ・ジュヴァニア)は、何れもシェワルナゼの側近で、与党「グルジア市民連合」の改革派だった。ウクライナのユーシチェンコはレオニード・クチマ大統領の下で首相を務め、キルギスのクルマンベク・バキエフもアスカル・アカエフ大統領下で首相を務めていた。政治的改革/民主化/民営化の失敗/腐敗の蔓延などが、彼らを反体制派に転換させた。※これは2つ目の共通点かな。

○支援のドミノ
・欧米の政府/NGO(ソロス財団、民主党国際問題研究所)などが、革命前から支援していた。グルジアの「クマラ」/ウクライナの「ボラ」などの青年組織/反体制派に、資金援助や指導を行っていた。一方キルギスのチューリップ革命は内発的とされる。しかし最も重要なのは「民衆が改革を望んでいたか」である。各国でこれが醸成されていたのは確実である。
・反体制派に対抗するため、旧ソ連諸国の権威的政権(ロシア、カザフスタン、ウズベキスタンなど)は、NGOの活動を禁止したり、NGOを厳しい監視下に置いた。

○革命後のグルジア
・革命の評価は分かれている。革命により必ずしも民主化や市民の自由が拡大した訳ではない。反ロシア・親欧米路線を選択した事で、政治的・経済的発展がなされた訳でもない。革命直後の大統領選でサアカシュヴィリが96%を得票し、議会選挙でも野党連合が150議席中135議席を獲得した。これにより一党独裁状況になった。2005年2月首相ジュヴァニアが事故死する(暗殺説あり)。12月外相サロメ・ズラビシヴィリが更迭される。これは彼女の極端な反ロシア・親欧米路線が原因とされる。失業者の増大/社会保障の大幅削減などで国民の不満は増大している。

・2007年9月政権を批判していた元国防相イラクリ・オクルアシヴィリが身柄拘束される。これは彼がサアカシュヴィリから政敵の暗殺を命じられた事や、政権内の汚職を暴露した事による。国民の不満は爆発し、1万人による抗議デモが行われる。11月大統領辞任と早期の議会選挙を求める抗議デモが行われるが、治安部隊により鎮圧される。非常事態宣言が出され、報道規制が行われ、公共放送しか放送できなくなった。
・サアカシュヴィリは「大統領選を翌年1月に繰り上げる」と発表する。彼は「クーデターはロシアの支援による」として、ロシア外交官3人を追放する。首相を交代させ、非常事態宣言/報道規制などを解除する。
・サアカシュヴィリに対する国民の失望は高まった。しかし準備期間が短いため野党勢力は協調できず、彼が再選される。選挙後、野党勢力が「選挙に不正があった」として抗議するなど、混乱は続く。

・この様に革命にはマイナス面が多そうだが、プラス面もある。警察・官僚の大量解雇で腐敗は改善され、税収も増えた。またアジャリア自治共和国をグルジアの主権下に収めた。一方で南オセチア問題/アブハジア問題は改善されていない。これらから「バラ革命は国家体制を強化するものだった」と考えられる。※重要点なので、もう少し説明が欲しい。

○色革命の他国への影響
・革命が起きた国に共通するのは、国民は行政機関/大統領に失望し、反体制派が国民の支持を受け、政府による報道統制などが弱まり、外国からの支援を受けて大衆が動員された点である。そのため国家体制が堅固な国に、革命は飛び火しなかった。例えばアゼルバイジャンで革命が起きなかったのは、第4代大統領イルハム・アリエフ(2003年10月~)の権威体制が安定していたからである。

○革命が飛び火しなかった理由
・アゼルバイジャンで革命が起きなかった理由は、アルメニア・ロビーの影響力と天然資源の存在である(※詳細説明はない。逆にアルメニアは革命を起こさせようとするのでは)。またアゼルバイジャン人は安定を志向する傾向にある。民主主義的なエルチベイ第2代大統領時代(1992年6月~93年9月)にナゴルノ・カラバフ紛争で大敗し、国民は満足な食事を取れなかった。また隣国の革命後の混乱を見て、「民主化は混乱を招く」と認識したようだ。また前大統領ヘイダル・アリエフ(1993年6月~2003年10月)のカリスマ性も革命が起きなかった理由である。

・アゼルバイジャンは旧ソ連諸国で唯一世襲が行われた国である(※中央アジアならありそうだが、ないのか)。現大統領イルハム・アリエフは父ヘイダル・アリエフの政策を踏襲している。また父を神格化するため、道路・空港・劇場などの主要インフラに父の名前を付けている。アゼルバイジャンは天然資源が豊富なため、対外的に強気で、国内でも反体制派を抑え込み、権威体制を維持している。

第6章 欧米/トルコ/イランのアプローチ

○欧米のアプローチ
・欧米はロシアとのパワーポリティクス(※ピンとこない言葉だ)から、コーカサスに関心を持っている(※コーカサスはロシアとトルコ/イランの間にあり、地政学で重要かな)。一方ロシアは旧ソ連・東欧諸国がNATOに加盟したり、米国が東欧にミサイル防衛システムを計画した事に警戒を強めている。
・ロシアによる反ロシア的な諸国に対する制裁に、欧米は批判を強めている。特に2005年ロシアはウクライナへの天然ガスの供給を停止し、ロシアへの不信は高まった(※主語は何?)。これにより欧米石油企業のコーカサス進出が促された。
・欧米はコーカサスを欧米化させようとしている。具体的には、軍事ではNATO、政治ではEU/欧州安全保障協力機構(OSCE)、経済では世界貿易機関(WTO)のレベルまで引き上げようとしている。
※本章は主語(コーカサス、旧ソ連諸国、欧米など)が入り乱れ、ややこしい。

<米国のアプローチ>
○米国の基本スタンス
・米国にとってコーカサスは「ロシアの裏庭」だったが、冷戦後はロシアの影響力は無視できないが、接近できるようになった。米国がコーカサスに接近する理由は幾つかある。第1は、エネルギーの安定確保と輸送の問題である。それにはコーカサスの安定や中東情勢に巻き込まれない事が重要になる。
・第2は、パワーポリティクスの観点から、多くの勝利を収める必要がある。そのためにはコーカサスで米国の政治的・経済的・軍事的影響力を強める必要がある。旧ソ連諸国、特に資源国や輸送路となる国から、ロシア/イランの覇権を除去し、米国好みの国に育てる必要がある。冷戦中はワルシャワ条約機構とNATOが対抗していたが、1991年ワルシャワ条約機構の解散後は、旧ソ連諸国とNATOは「平和のためのパートナーシップ」(PfP、Partnership for Peace)で共同体制をとっている(※欧米とロシアが共同体制とは不思議だ)。しかし軍事的にはできるだけ多くの国をNATOに加盟させようとしている。
・第3は、平和と人間の安全保障の問題である。コーカサスには多くの未解決の紛争があり、虐殺/人権侵害が続き、テロが行われている。米国はこれらの解決を願っている。

・紛争により、逆にロシアはコーカサスでの覇権を強化している。米国は直接介入するのではなく、国連/OSCEなどの第3者組織により解決しようとしている。欧米/国際組織による多面的・包括的政策や石油企業の進出により、コーカサスが経済発展し、法制度/政治体制が欧米化するのを期待している。しかし実際は米国のスタンスは矛盾しており、ロシア/イランを排除し、自国の権益を最優先させる傾向にある。

○米国の経済援助
・米国はコーカサス3国を援助している。特にアルメニアへの援助は多額で、米国の対外援助全体の1%を占める。1992年アルメニアの全援助額の70%が米国からだった(近年は40~50%)(※これはユダヤ・ロビーと同様で、アルメニア・ロビーによるのかな)。援助の内容は様々だが、アゼルバイジャンによる経済封鎖による人道援助が85%を占めた。その後は、長期的な開発/民主化支援/選挙監視などを援助している。
・援助に大きな影響力を持つのが、アルメニア人ディアスポラによるロビー活動である。例として、前述したアゼルバイジャンへの経済制裁法「自由支援法・セクション907」がある。

・グルジアに対する援助も多額である。グルジアはロシアと国境を接し、同国を親欧米に留めたい意図が窺われる。BTCパイプラインも敷設され、グルジア重視は揺るがない。

・アゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフ紛争により死傷者を出し、国土の20%が占拠され、難民・国内避難民100万人を出した。この状況にも関わらず、米国は経済制裁を続けた。しかし9.11以降は、人道支援/教育/インフラ/軍事などへの援助が飛躍的に拡大している。※アゼルバイジャンよりイランを敵視かな。米国は平気で手のひらを返す。
※アゼルバイジャンはロシアにも米国にも敵対されたとは不思議だな。しかし2001年9.11と2005年ウクライナへの天然ガス供給停止が米国は反転させたのかな。

○米国の軍事政策
・冷戦終結後も米国は旧ソ連地域への軍事関与を控えていたが、9.11以降は「テロとの戦い」から軍事的プレゼンスを拡大する。ウズベキスタン/キルギスに基地を設置し、グルジアにもパンキシ渓谷を名目として米軍を派遣する。また2006年米国はグルジア軍を訓練する「持続と安定のオペレーション・プログラム」(SSOP)に3千万ドルを支出する(※何か巨額だな)。

・2001年以降はアゼルバイジャンへの軍事援助も増強される。1993年アゼルバイジャン/アルメニアへの武器給与を禁止したが、撤廃される。さらに米国/アゼルバイジャン/トルコの軍事協力を提案している。2002年アゼルバイジャンはNATOの準メンバーになる。さらに米国によりレーダー基地が建設されたり、大型航空機が離発着できるよう空港が整備された。

・米国は旧ソ連地域に、できるだけ多くの軍事的拠点を置こうとしている。特にコーカサスを含む黒海沿岸を重視している。そのためチェイニー副大統領は、カスピ海資源に投資している石油企業との連携を強めている。しかしチェイニー副大統領のエネルギー政策とブッシュ大統領の軍事政策で齟齬が生じている。また旧ソ連地域への援助が有効活用されず、国家上層部だけの利益になっている事実もある。※よくある話だな。

○米国のダブル・スタンダード
・米国は旧ソ連地域の安定化・民主化を望んでいる。また政治的・経済的影響力を高め、ロシアの影響力を排除しようとしている。しかしダブル・スタンダードによる矛盾が見られる。

・アゼルバイジャンを見てみよう。2003年グルジアでのバラ革命により、2005年議会選挙で「次のドミノ」が起きると考えられていた。米国は当初は野党を支援していたが、途中で止め、結局与党が圧勝する。
・米国が転じた理由は、安定化と民主化の矛盾にある。民主化を進めると、国は混乱し不安定となる。実際革命が起きたグルジア/ウクライナ/キルギスの混乱は続いている。かつてアゼルバイジャンでエルチベイ大統領が失脚し、アリエフ大統領に代わった時、石油契約は全て仕切り直された。BTCパイプラインなどのプロジェクトが軌道に乗るまでは、米国は政変を起こしたくなかったのだ。※米国の影の力は凄い。日本も「米官業報政」とか云われる。

・米政界も一枚岩でない。アゼルバイジャンへの経済制裁に大統領は反対していたが、アルメニア・ロビーにより法律は成立した。賛成した議員はナゴルノ・カラバフの訪問までしている。
・また米国/ロシア/仏国は、ナゴルノ・カラバフ紛争に和平を推進する「欧州安全保障協力機構」(OSCE)ミンスク・グループの共同議長である(※OSCEは西側の機関と思っていたが、ロシアなども加盟している)。ロシアは以前からアルメニアと緊密で、米国/仏国にはアルメニア・ディアスポラが多い。そのため和平はアルメニアに有利になりがちである。※2020年ナゴルノ・カラバフ紛争ではアゼルバイジャンが勝っている。

<EUのアプローチ>
○コーカサスと欧州
・「コーカサスは欧州か」の問いに答えはない。ただEUが黒海まで及び、コーカサスがその隣国である事は間違いない。特にグルジアはEU加盟に熱心で、OSCE/欧州評議会に加盟している(ただしOSCEには旧ソ連諸国がそのまま加盟している)。EUが関与するプロジェクトを以下に紹介する。

-TACISとENPI
・1991年ECはプロジェクト「独立国家共同体への技術支援」(TACIS、Technical Aid to the Commonwealth of Independent States)を開始する。これにより返済義務がないグラント供与が、CIS/モンゴルに対して行われた。総額は2000~06年で31.4億ユーロとなった。
・2006年TACISは終了し、同年よりコーカサスは「欧州近隣諸国パートナーシップ機関」(ENPI、European Neighbourhood and Partnership Instrument)から支援を受ける。ENPIは、友好的な近隣諸国の発展を目的とする「欧州近隣諸国政策」(ENP)を達成するための機関である。ENPには政治的対話/政治改革/法・規制の改革/エネルギー輸送/貿易/経済改革などの枠組みがあり、個別に供与額が決まる。※第二次世界大戦後のマーシャルプランみたいだな。

-INOGATE
・TACISの一環として「欧州向け国際石油・ガス輸送」(INOGATE、INterstate Oil and GAs Transport to Europe)プロジェクトがあり、エネルギー・インフラの整備、欧州への展開(?)が行われた。これに東欧諸国と旧ソ連諸国(コーカサス3国、中央アジア5国、ベラルーシ、ウクライナ、モルドヴァ)が参加した。※ロシア以外の感じだな。

-TRACECA
・1993年EUはプロジェクト「欧州・コーカサス・アジア輸送回廊」(TRACECA、TRAnsport Corridor Europe-Caucasus-Asia)を開始し、中央アジア5国/コーカサス3国に出資する。これはロシアを介さない中央アジアと欧州を結ぶ輸送回廊を確立するプロジェクトである。アゼルバイジャンのアリエフ大統領とグルジアのシェワルナゼ大統領が、これを熱心に進めた。※中国の一帯一路に近いな。何か当初からロシアだけ排除みたいだな。

-ENP
・2004年EUは、近隣諸国の安定/民主化/人権尊重/経済発展を促すための大綱「欧州近隣諸国政策」(ENP、European Neighbourhood Policy)を策定する。これにコーカサス3国/ベラルーシ/ウクライナ/モルドヴァが含まれる。これにより政治・経済分野での関係強化、エネルギー網/交通網の整備、移民/テロ対策での協力などで共同プロジェクトが計画される。そして計画の実現は、価値共有の度合いに応じて実行される。※詳しい説明は省略。
・コーカサス3国は対象国になるのが遅れ、2006年に国毎の「行動計画」が策定される。これには「紛争解決」が重視されている。さらに2007~13年に実現すべき事項が記さた「戦略ペーパー」が、ENPIにより策定される。具体的には、民主化の発展、グッド・ガバナンス、社会的・経済的改革、貧困との闘い、行政能力の向上、輸送/エネルギー/環境における法制度などが設定された。

・この様にEUはENPにて近隣諸国の発展・安定を推進しようとした。これはEU加盟への準備ではなく、「EUの安定」のために近隣諸国を安定させるのが目的である。第5次EU拡大(2004年)で多数の旧共産主義国が加盟したが、そこからの移民でEUは混乱した。そのため「西欧レベルに近くなるまで加盟させない」となった。従ってコーカサス3国の加盟は極めて低い。
・コーカサス3国のENPへの関与には温度差がある。特に積極的なのがEU加盟を目指すグルジアである。またアルメニアも積極的である。一方アゼルバイジャンは注文が多い。「行動計画」を策定する際、項目にプライオリティはないのに、「ナゴルノ・カラバフ紛争を一番に書け」と注文を付けた。アゼルバイジャンは石油・天然ガスによる経済的成功を背景に、権威主義を維持したい様である。※中東の産油国と全く同様かな。

-OSCE ※待望のOSCEがやっと出てきた。
・「欧州安全保障協力機構」(OSCE、Organization for Security and Cooperation in Europe)は欧州の安全保障で協力する機関である。1975年「ヘルシンキ宣言」により前身の「全欧州安全保障協力会議」が創設される。冷戦後に再編成され、安全保障以外に民主主義体制の構築、基本的人権の保障、武力行使の抑止などが加わった。加盟国は、欧州/地中海沿岸/旧ソ連/カナダ/米国の56ヵ国である。ロシアはソ連を引き継いで加盟し、コーカサス3国は1992年に加盟している。※巨大な機関だな。

・OSCEのコーカサス3国での活動は活発である。ナゴルノ・カラバフ紛争の公式な仲介役はOSCEで、ロシア/米国/仏国が共同議長のミンスク・グループが交渉している。またグルジアの南オセチア紛争もOSCEが仲介している。グルジアは平和維持軍として駐留しているロシア軍を危惧し、ロシア軍以外の平和維持軍の派遣を希望している
・OSCEは「民主化支援」でも活発に活動している。選挙の管理方法/選挙方式を指導し、公平性を監視し、選挙の実施・開票も監視している。しかしコーカサス3国の民主化は順調とは云えない。特に権威主義のアゼルバイジャンは懸念される。また選挙以外では、言論/信仰の自由、メディアの自由化、反対派弾圧、人権侵害にも関与する必要がある。

-COE
・「欧州評議会」(COE、Council of Europe)は、人権/民主主義/法の支配を目的にしている。1949年に設立され、全EU加盟国/南東欧諸国/旧ソ連の数ヵ国/トルコの47ヵ国が加盟している。アルメニア/アゼルバイジャンは2001年に加盟する。アゼルバイジャンは条件を満たしていなかったが、公平を保つため、同時加盟となった。※グルジアは1999年に加盟している。
・COEは人権(社会権、言語権)で成果を上げており、欧州人権裁判所を成立させた欧州人権条約の締結に貢献した(※それ以外の貢献は省略)。コーカサス3国はCOEの支援により、憲法の改正、選挙の公正化が行われた。

<国際機関のアプローチ>
○NATOとコーカサス
・旧ソ連諸国とNATOは「平和のためのパートナーシップ」(PfP、Partnership for Peace)の枠組みで共同関係を保っている。PfPはNATOと非NATOが協力する枠組みで、共同演習/PKOなどを実施している。また旧ソ連・東欧諸国には、NATO加盟のための準備でもある。

・ロシアはNATOの拡大を警戒している。そのためコーカサス3国のNATOへのアプローチは、ロシアとの関係で差異が見られる。アルメニアはCIS集団安全保障条約機構を重視しており、NATOに対しては慎重である。一方アゼルバイジャン/グルジアはNATOとの関係を強化しており、特にグルジアは加盟に熱心である。2008年NATOサミットで、両国に加盟目前の「加盟行動計画」が適用されると予想されていたが、仏国/ドイツの反対で見送られる。

○WTO加盟と経済改革
・WTOは自由貿易の促進を目的にしている。2008年152ヵ国が加盟し、30ヵ国が加盟の準備をしている。計画経済だった旧ソ連・東欧諸国の経済体制の改革は、欧米にとって政治の自由化と並んで重要である。
・2008年時点、ロシア/アゼルバイジャンは加盟していない。石油・天然ガスを産出する両国の加盟を世界は望んでいる。2000年グルジア/2003年アルメニアが加盟したが、両国とも経済を強化する必要がある。

<トルコ/イランのアプローチ>
・コーカサス3国はトルコ/イランと国境を接する。両国が帝国としてコーカサスを支配していた事もあり、現在でも政治的・経済的影響を強く受ける。

○トルコとコーカサス3国
・トルコとアルメニアには「アルメニア人大虐殺」の問題があり、現在でも関係は冷え切っている。一方トルコとアゼルバイジャンは同じテュルク語系民族で言語的・文化的に近い。ナゴルノ・カラバフ紛争でトルコはアゼルバイジャンを支援した。ただしアゼルバイジャンの宗教はイスラム教シーア派だが、トルコはスンニ派である(※宗派が違うのに仲が良いのは中東と異なる)。トルコとグルジアの関係は、BTCパイプライン/BTEガスパイプラインの開通でより緊密になっている。

○イランとコーカサス3国
・イランには、本国の2倍以上のアゼルバイジャン人が住んでいる(人口の25%、※これは驚いた)。イランはアゼルバイジャン人による統合運動を懸念しているが、その運動は一部に留まる。イラン最高権力者ハメネイ師は東アゼルバイジャン州の出身で、アゼルバイジャン人は経済界も主導している。他にも著名なアゼルバイジャン人は多い。しかしイランはアゼルバイジャンの強大化を恐れ、ナゴルノ・カラバフ紛争では宗教が同じアゼルバイジャン(シーア派)ではなく、キリスト教国のアルメニアを支援した。※これも不思議だな。

・ロシアがエネルギー価格を引き上げた事で、コーカサス3国はイランからのエネルギー輸入が増える(※アゼルバイジャンは輸出国では?)。特にアルメニアはアゼルバイジャン/トルコにより政治的・経済的に封鎖されており、ロシアからグルジア経由で輸入していたが、ロシアがグルジアを封鎖したため、イランの重要性が高まっている。※キリスト教国のアルメニアが親イランなのは異例だ。アルメニアは宗教より経済が最重要かな。

○トルコ/イランのエネルギー政策
・トルコ/イランは、エネルギーにより地域での影響力を高めようとしている。特にトルコはBTCパイプラインと将来は欧州へ延伸されるBTEガスパイプラインを持ち、コーカサス3国/欧州への影響力が高い。これに対抗しているのが欧州向けの多くのパイプラインを持つロシアで、様々な圧力を掛けている。同様にイランもコーカサス3国への覇権を譲れないため、カスピ海の法的地位で強硬に「湖」を主張している。
・ロシアによるエネルギー価格の引き上げで、コーカサス3国はイランへの依存が高まった。しかしアルメニアはロシアの干渉を受け、グルジアは対米関係の悪化を恐れ、アゼルバイジャンはエネルギー自給が可能になるため、コーカサス3国のイランへの依存は限定的と考えられる。

○中東情勢とコーカサス
・米国のイラン/イラク政策にコーカサスは大変重要である。米国がイランを攻撃するとすれば、アゼルバイジャン/グルジアが軍事拠点になる。しかし両国はイランとの関係も重視し、それを否定している。

・またコーカサスはイスラム原理主義によるテロリズムに関しても重要な地域である。2006年ヒズブッラー(シーア派、※ヒズボラだな)とイスラエルが「レバノン危機」を起こしたが、これは他人事ではない。シリアはオスマン帝国によるアルメニア人大虐殺で逃れた多くのアルメニア人を救った。そのためシリアとアルメニアの関係は今も良好である。一方イスラエルとアゼルバイジャンの関係も良好で、両国はエネルギー協力を進めている。そのためレバノン危機で、イスラム国のアゼルバイジャンはイスラエルに対し形式的な抗議しかしなかった。※シリアVSイスラエル=アルメニアVSアゼルバイジャンなのか。他人事ではないな。

○南コーカサス周辺の地域協力機構
・トルコ/イランは南コーカサスで覇権を維持したいと考え、ロシアは旧ソ連諸国への外部からの影響力を弱めたいと考え、米国はイランの影響力を弱めたいと考えている。そこでトルコ/イランが利用している地域協力機構を紹介する。

-BSEC
・1992年「黒海経済協力機構」(BSEC、Organization of the Black Sea Economic Cooperation)が設立された。目的は貿易/経済/学術/技術での相互協力である。原加盟国はルーマニア/ブルガリア/アルバニア/ギリシャ/トルコ/ロシア/ウクライナ/モルドヴァ/グルジア/アルメニア/アゼルバイジャンで、ドイツ/イタリア/米国/ポーランドなどがオブザーバーである。本部がトルコにあり、トルコはこれで勢力を拡大しようと考えている。
・2006年麻生外相は新機軸「価値の外交」「自由と繁栄の弧」を掲げた。前者は民主主義/自由/人権/法の支配などの普遍的価値の重視で、後者はユーラシア大陸の外周の新興国に民主主義を根付かせる政策である。BSECは後者の中核にあり、筆者も「日本・黒海地域対話」に2度出席した。

-ECO
・1985年トルコ/イラン/パキスタンにより「経済協力機構」(ECO、Economic Cooperation Organization)が設立された。1992年旧ソ連6ヵ国(アゼルバイジャン、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン)とアフガニスタンが加盟した。目的は、経済開発、交通通信基盤の開発、経済の自由化・民営化、地域の物的資源の活用、地域の農業・産業の育成などである。イランが中心で、近隣イスラム国への影響力を強めようとしている。

終章 コーカサスの今後

○2014年ソチ五輪
・2014年冬季五輪がソチで開かれる。ソチは北コーカサスにあり、黒海に面する温暖な土地で、ソ連時代にリゾート地として開発された。また未承認国アブハジアに近く、そこに五輪の開発拠点が置かれた。※グルジア領土なのに。まあ実質ロシア支配かな。

・2008年ロシアはグルジアとの停戦協定に基づくアブハジアへの形式的な経済制裁を解除する。この第1の理由は、コソヴォ独立を支援する欧米への牽制である。2008年ロシア下院がアブハジア/南オセチアの独立承認を政府に求める。そしてプーチンはアブハジア/南オセチアとの公的関係を樹立する布告に署名する。これは国家承認に近いが、あくまでもコソヴォの独立阻止が目的なのだ(※「コソヴォを独立させるなら、アブハジアも独立させろ」かな)。第2の理由が前述のソチ五輪のための開発である。グルジアはこの経済制裁の解除に反対し、アブハジアの和平を担う国連や、南オセチアの和平を担うOSECに抗議を申し出ている。

○バランス外交
・専門家の多くは「今のコーカサスは平和」と考えている。それは紛争は収まっていないが、激しい戦闘は起きていないからである。また南コーカサスの経済発展/民主化は進展した。しかしチェチェン/ナゴルノ・カラバフでは、兵士の殺害や一般人の誘拐などが続いている。南オセチア/アブハジアは二重政権で、政府軍と分離独立勢力との戦闘や人道的問題が起きている。
・ロシアは様々な外交カードをかざし、紛争解決はその手段になっている。コーカサス3国は欧米スタンダードに近付こうとするが、ロシアがそれを妨げている。今後もコーカサスはバランス外交を維持せざるを得ない。

あとがき

・コーカサスは内政的にも対外的にも多くの問題を抱え、その状況は変わっていない。本書執筆の切っ掛けは、2004年ベスランでの小学校占拠事件である。それから4年経ったが、日本でのコーカサスへの関心は風化した感がある。コーカサスはロシアに隣接する地域で、もっと関心を持ってもらいたい。

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