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『日本の支配者』佐々木憲昭(2019年)を読書。

日本の現実を知れる最良の本。
戦後、特にバブル崩壊以降の政府・財界の対応や、政府と財界の共謀(言い過ぎかな)を理解できる。

内容は重厚で、ページ数/図表/注釈が多く、読むには覚悟が必要。
概念的・抽象的な解説が少しある。

お勧め度:☆☆
内容:☆☆☆(大変詳しい)

キーワード:<はじめに>財界、<支配者>資本主義社会、企業集団/企業グループ/持株会社、金融危機/金融再編、経団連/三菱、<財界>商法会議所/政商、天皇制ファシズム/統制・弾圧、経済団体連合会、朝鮮戦争、砂川事件、巨大化、日米貿易摩擦/多国籍企業、外国資本/カストディアン/ブラックロック、新自由主義/格差拡大、<新自由主義>抵抗勢力、官邸主導、政治改革/小選挙区制/派閥/政治資金、行政改革、公務員制度改革/内閣人事局、内閣情報調査室/公安警察/公安調査庁、臨時行政調査会、<支配勢力が国家機構を動かす>経団連、日本経済再生本部/経済財政諮問会議、天下り、天上がり、政治献金/政党助成金/企業・団体献金、<国民の財産が消える>社会保障費/マクロ経済スライド/年金積立金、低金利/所得移転/消費税・法人税、公的資金投入/預金保険機構、<戦争する国>安倍内閣/安保法制/軍事予算、軍需産業、経団連ビジョン、<おわりに>社会構造、国家独占資本主義

はじめに

・私達は息苦しい社会に生きている。大学を卒業しても非正規にしかなれず、年金は少ない。これまでの「中流層」は「貧困層」に落ちこぼれ、「下流老人」「長生き地獄」と云われる。就職氷河期(40~44歳)の1/3が引き籠り状態にある。これに対し「自己責任論」が幅を効かしている。
・この様にした「支配者」は誰なのか。政治家なのか。しかしその背後に大企業があり、網の目を広げています。財界は政治に大きな影響力を持ちます。本書で、その財界の実態を解明したいと思います。本書で国民が本当の主人公になる展望が開ける事を期待します。

第1章 支配者の姿

・私達はどの階層に属するのでしょうか。資本家階級155万人(3%)/労働者階級5073万人(83%)/自営業者738万人(12%)で、労働者が大半です。また労働者の内訳は、専門的・技術的職業(17%)/事務労働(22%)/鉱工業・運輸通信(28%)/販売(13%)/サービス(14%)となっています。
・90年代労働者の流動化により、「格差」が問題になりました。旧中間層(自営業者)の破綻による貧困、外国人労働者の使い捨て、ワーキングプア、アンダークラス(下層階級)なども問題になります。

-コラム 新しい階級
・橋本健二は「社会は①資本家、②旧中間層(自営業者)、③新中間層(ホワイトカラー、専門職)、④労働者で構成されていたが、90年代に⑤アンダークラスが生まれた」としています。③新中間層は生産手段を持たないため、④労働者に含まれると考えます。ただしこの5分類は、格差を考える上で重要です。

-コラム 社会の仕組みと発展
・社会の基本は、衣食住などを生産する事です。そしてそこでの関係(生産関係)が重要になります。原始時代は生産手段を共有し、生産していました(原始共産制)。やがて支配者が現れ、奴隷を使うようになります(奴隷制社会)。そして領主と農民の関係に変わります(封建制社会)。そして現在は、生産手段を持たない労働者が企業に雇われて生計を立てています(資本主義社会)。※最低限の給与・人権を与えているだけで、結局は今も奴隷制の延長かな。

<1.大企業とは>

○一握りの企業が大きな力を
・日本に企業は382万社あり、大企業1万社(0.3%)/中小企業381万社(99.7%)となっています。しかし労働者は、大企業1433万人(30%)/中小企業3361万人(70%)となっています。大企業は平均すると1300人の労働者がいます。トヨタ自動車(※以下トヨタ)/日立製作所(※以下日立)/NTTなどは特別に巨大な企業で、労働者はトヨタ43万人/日立31万人/NTT36万人います。

-大企業が総資産の半分を握る
・資本金10億円以上の大企業が資産の50%を保有し、経常利益の59%を独占しています。また大企業は子会社/関連会社を抱え、海外にも進出しています。例えばトヨタは、子会社606社/関連会社199社を抱え、自動車の76%を海外で生産しています。大企業は非正規労働者を利用し、外国人労働者を使い捨て、下請企業への支払いを抑えています。資本主義社会は大企業が支配者なのです。

○大企業は企業集団を作る
・大企業は単独で活動しているのではなく、集団で活動しています。それは戦前は「財閥」で、戦後は「企業集団」です。

-財閥解体
・財閥とは、財閥家族が株式を持つ財閥本社(持株会社)が多数の子会社・孫会社を支配する仕組みです。戦前、三井/三菱/住友/安田などの財閥がありました。ところが敗戦により財閥は解体されます。財閥が持つ株式が処分させられたり、人的な支配網が解体されました。

-企業集団の形成
・しかし1949年中国誕生/1950年朝鮮戦争勃発などにより米国は政策を転換します。1949年独禁法が改正され、株式の持ち合い、中核銀行による融資、総合商社が取引の中心になるなどが認められ、企業集団が形成されます。
・社長会が作られます(住友-白水会、三菱-金曜会、三井-二木会)。また企業集団は財閥だけでなく、大銀行を中心とした企業集団も作られます(芙蓉-富士銀行、三和-三和銀行、一勧-第一勧業銀行)。この企業集団にも社長会が作られます(芙蓉-芙蓉会、三和-三水会、一勧-三金会)。

・この住友/三菱/三井/芙蓉/三和/一勧は6大企業集団と呼ばれ、高度成長期に力を強めます。企業集団には、御三家(3~4社)/世話人会(10社程度)/社長会(20~30社)/広報委員会などが作られます。※財閥系企業集団に属する会社の一覧がある。

○「買占め」の裏に企業集団
・1973年第1次石油ショックで物価が高騰します。この時公正取引委員会が、「原因は、6大企業集団の総合商社による買占め」と報告しています。※本文が転記されているが省略。

・翌年には『総合商社に関する第2回調査報告』が出されます。そこには「結合度合い」を判断する7つのメルクマールが記されています(※省略)。また6大企業集団の資本金/総資産は全産業の22%を占め、子会社を含めると資本金26%/総資産24%になると報告しています。

-コラム 悪徳商法
・石油危機の際、石油会社は「便乗値上げ」し、大企業は「売り惜しみ」しました。これが「悪徳商法」です。石油会社が予算委員会で追及され、「価格カルテル」(便乗値上げ)が結ばれていた事が発覚します。※原油価格は高騰しただろうが、価格カルテルは酷いな。

○財閥と企業集団の違い
・戦前の財閥は子会社を支配していました。しかし戦後の企業集団はあくまでも「任意の組織」なので、財閥本社のような指揮権はありません。公正取引委員会の第5次調査報告書『企業集団の実態について』に、「社長会では外部講師による講演や、グループ活動の報告が行われている」「個別企業の事業についての調整はない」などが記されています。

-タテとヨコの企業集団
・そのため「財閥はタテの集団、企業集団はヨコの集団」「財閥はピラミッド型、企業集団は富士山型」と云われます。※似てるけど、富士山は台形かな。

・これとは別に大企業を頂点にした「大企業グループ」があります。例えば三菱重工業/住友化学/三井物産などの企業グループがあり、これらは企業集団に属しています。他に企業集団に属さない日本製鉄/東京電力/トヨタ/日立/NTT/ソフトバンクなどの独立系の企業グループもあります。
・トヨタ・グループは売上高205兆円/企業数1万社、日立グループは売上高197兆円/企業数1万6千社、NTTグループは売上高89兆円/企業数6千社、ソフトバンク・グループは売上高94兆円/企業数6千社となっています。※ソフトバンクの売上高がNTTを超えているのは驚いた。企業集団と企業グループの関係はどうなんだろう?

○解禁された純粋持株会社
・企業グループを形成する手段が持株会社です。これは独占禁止法(※以下独禁法)により長い間禁止されていました。しかし財界の圧力で1997年解禁され、会社を支配する純粋持株会社の設立が可能になります。※純粋が付くのは、それだけが目的の会社か。
・また2002年連結納税制度が導入され、持株会社がさらに増えます。これは典型的な大企業優遇税制です。※詳細説明は省略。これも税収減の要因だな。

-コラム カルテル/トラスト/コンツェルン
・カルテルとは、複数の企業が価格/生産計画/販売地域などで協定する事です。トラストとは企業が合併して巨大になり、市場を独占する事です。以上2つは独禁法で禁止されています。コンツェルンとは、1つの親会社を頂点とした企業集団が市場を独占する事です。例えば財閥が該当します。※単一企業が市場を独占すると、分割されるのかな。

<2.6大企業集団はなぜ崩壊したか>

○高度成長の落とし子
・最近は6大企業集団の言葉を聞きません。それは高度経済成長期に一定の役割をしましたが、今はその役割を終えたからです。総合商社のトップが「企業集団は高度成長の落とし子」「低成長に至り、在り方を問われている」「銀行を紐帯とする企業系列は意味を持たなくなった」と証言しています。
・度経済成長は重化学工業が中心で、それには設備投資が必要で、それを金融機関が支えました。金融機関は財閥解体から除外されていました。企業集団は金融機関による融資と総合商社による取引で支えられたのです。しかし高度経済成長が終わると企業集団は存在意義を失います。それに追い打ちを掛けたのが次の2つの事態です。

○バブル崩壊-金融危機
・90年代の金融危機で、大銀行は経営危機に陥ります。株価暴落で「含み益」がなくなり、不良債権の穴埋めができなくなります。またBIS規制(自己資本比率8%)も直撃します。そのため大銀行は不良債権の穴埋めに、「株式持ち合い」で保有していた株式を売却します(※6大企業集団の株式持ち合い比率の推移を表したグラフがある)。これにより企業集団の結束は弱まります。

○金融再編-メガバンクの誕生
・2つ目は金融再編です。90年代初め、都市銀行11行/長期信用銀行3行/信託銀行7行がありました。しかし90年代後半の金融危機で合併が繰り返され、最終的に、みずほファイナンシャルグループ/三井住友ファイナンシャルグループ/三菱UFJファイナンシャルグループの金融持株会社(3メガバンク)になります。
・1999年金融再生委員会が不良債権に対し厳しい引当率を設定します。これによりリストラが不可欠になり、金融再編が行われます。※詳しい内容は省略。

・ここで注目したいのは、金融再編が三和と三菱/住友と三井/一勧と芙蓉のように企業集団を越えて行われたのです。「企業集団も3つに集約される」との説がありますが、銀行の求心力が低下しているので、そうなりません。

-コラム 業界団体
・日本自動車工業会/日本電機工業会/日本鉄鋼連盟などの業界団体が共通の利益のために活動しています。自動車/電機/鉄鋼は輸出に依存するので、「輸出御三家」と呼ばれます。日本自動車工業会の定款には「技術開発の調査・研究をする」「政府の施策に提言する」などがあります。また業界団体は自民党に多額の献金を行ています。

<3.経団連と企業集団の関係>

○財界は何のために作られているか
・財界(財界団体、※初めて出る言葉なのに、説明がない。財界団体と業界団体は異なるのかな)は、大企業の利害を横断的に調整し、総意として纏め、政治に働きかけるのが役割です。加藤義憲は「財界は資本主義の基盤で、保守政党はその資本主義の護持・延命が目的です。その達成のため、ある時は警察国家を、またある時は福祉国家を選んできました」と述べています。大企業/企業集団/業界団体は個別の利益を求めますが、財界は政治権力を利用し、巨大企業の支配を安定させるために活動しています。※巨大企業なら、これも個別の利益かな。

-戦前は財閥が仕切っていた
・戦前は三井/三菱などの財閥が大きな力を持っていました。財閥団体に日本工業倶楽部がありましたが、財閥に支えられていました。財閥と保守政党は個別に関係を持っていました(三井と政友会、三菱と民政党)。その後労使一体で戦争を推進する「大日本産業報国会」、「大政翼賛会」に変わります。※もう少し説明が欲しい。

-戦後は実業家利益の総代表
・第二次世界大戦後は、経団連などの財界代表(※新しい言葉だが、説明がない)が「実業家利益の総代表」となります。現在、財界団体に「日本経済団体連合会」(経団連)/「経済同友会」(同友会)/「日本商工会議所」(日商)があり、「財界三団体」と呼ばれます。経団連は大企業、同友会は大企業の経営者、日商は中小企業が加盟しています。経団連が特に大きな力を持ちます。2002年旧経団連と「日本経営者団体連盟」(※以下日経連)が統合し、経団連が発足します。大企業1587社が加盟しています。

○大きな力を持つ経団連
・2002年経団連初代会長・奥田碩は「経団連は自民党に政治献金を斡旋し、『財界総本山』『財界総理』などと呼ばれた」と述べています。これは第2次安倍内閣になり、さらに露骨になっています。
・経団連は会長・副会長/評議会議長・副議長が大きな力を持ちます。現在共に19社、合計38社が役員です。会長は日立会長、議長は野村HD会長が務めています(※一覧あり)。役員企業は、かつては自動車/鉄鋼/電機が中心でしたが、最近は情報・通信/商業/金融・保険が比率を高めています。

○役員企業の中の6大企業集団
・戦後当初、財界の指導者は三井/三菱などの代表者ではありませんでした。しかし6大企業集団の確立と共に、その代表者が財界の中心に座るようになります(※財閥解体があったからな)。1964年三菱銀行頭取が日銀総裁に就任すると、企業集団は経団連/商工/同友会/日経連の重要ポストに人を送り始めます。60年代後半、財界の第一線は、企業集団と独立巨大企業の経営者が占めるようになります。

○経団連では三菱グループが勢力を増している
・経団連の会長・副会長/議長・副議長は、三菱7社/三井6社/住友5社/芙蓉4社/三和4社/一勧4社/無所属14社となっています。ここで注目されるのが三菱グループで、会長・副会長では1970年・1980年は1社、1990年・2000年は2社だったのが、2019年6社(27.3%)に増加しています。一方三井グループは3社(13.6%)、住友グループは2社(9.1%)、芙蓉グループは2社(9.1%)に低下しています。全体としては企業集団の存在感は低下していますが、三菱グループは高めています。※三菱が成城大学と関係が深いからかな。

第2章 財界はなぜ作られ、どう変わったか

<1.経済団体の創設と侵略戦争>

○最初の経済団体は商法会議所
・明治維新後、政治家と企業家を繋ぐ最初の財界団体は「東京商法会議所」です。政府が「こんな不平等な条約は、商人・世論が許さない」と発言したところ、英公使パークスが「日本にそんな機関はないだろう」と答え、伊藤博文/大隈重信が渋沢栄一/五代友厚に依頼し、1878年東京商法会議所/大阪商法会議所が作られました。これが全国に作られ、さらに1892年これらを纏めた「全国商業会議所連合会」が作られます。ここで注意すべきは、これらの経済団体は自発的に作られたのではなく、政府の指導で作られたのです。さらに銀行/手形交換/製紙/紡績/貿易/造船/倉庫などの業種別の団体も作られます。

・森田良雄は「日本の資本主義の発達は、政府の産業助長政策による。政府はあらゆる努力を産業助長に傾注させた。これは富国強兵の国策だった。資本特恵主義・産業市場主義が政府の金科玉条となった。つまり商法会議所などの団体組織は、政府の勧業政策・資本特恵主義の賜物である」と述べています。
・この政府による「産業助長政策」による官営事業払下げ/認可・指定などにより、三井/岩崎/住友/安田/大倉/浅野/渋沢などの商人は大きくなり、「政商」と呼ばれるようになります。三菱は海運・造船から急速に台頭します。三井は三井越後屋呉服店・両替商から始まります。住友は別子銅山などの鉱業から始まっています。※当時は西洋に追い付けかな。

○戦争による重化学工業の発展
・経済団体は、当初は商業が中心でした。1900年「工業倶楽部」(日本工業協会に改称)が作られますが、活動は小規模でした。ところが戦争がそれを一変させます。1876年日本は朝鮮を開国させ、1895年日清戦争で勝利し、台湾・遼東半島を植民地にします。1905年日露戦争で勝利し、朝鮮を保護国にし、1910年韓国併合をします。※第一次世界大戦、シベリア出兵は省略します。
・日本はこの植民地支配を推し進めた時期に、繊維工業と共に、化学工業・機械工業・金属工業・造船・鉱業などの重化学工業を発展させます。三菱は台湾出兵で5600人、西南戦争で5.8万人の兵士を運び、その度に政府から船を譲り受けています。

-財閥主導の経済界
・1917年日本工業協会とは別に「日本工業倶楽部」が作られます。これに三井/三菱/住友/古河/安田などの財閥が出資し、強力な集団になります。この頃から財閥はコンツェルン形態になり、日本は独占資本主義に向かいます。※開発途上国は、どこもこの形態になるのかな。
・特にヘゲモニーを握ったのが、三井/三菱です。政界では政友会と民政党が争っていました。三井は政友会、三菱は民政党と繋がっていましたが、両財閥間に特に争いはありませんでした。それは個々の利益ではなく、既存の体制や既得権の維持が目的だったからです。※この辺は面白いな。

○侵略戦争に組み込まれた経済団体
・1922年「日本経済連盟会」が作られます。経済団体の中心は日本工業倶楽部から、こちらに移ります。しかしこちらも財閥が主導権を握ります。
・1929年世界恐慌が勃発すると、日本は軍事侵略を推し進めます。一方国内では弾圧を強化します。1925年成人男性に普通選挙権を認めますが、同時に「治安維持法」を施行します。これにより日本共産党(※以下共産党)などの民主主義運動を厳しく取り締まり、治安維持法は天皇制ファシズムの最大の武器になったのです。※これは重要だな。

・1931年日本は満州で侵略戦争を始めます。さらに1937年盧溝橋事件を起こし、「日独伊防共協定」に調印します。1938年国家総動員法を公布し、1939年ドイツはポーランドに侵入します(第二次世界大戦)。1940年7月近衛内閣は「基本国策要綱」を閣議決定します。この中に「新国民組織の確立」「議会翼賛体制の確立」があり、大政翼賛会や経済統制組織の布石になります(※これは知らなかった)。1940年9月共産党以外は解党し、「大政翼賛会」になります。「大政」とは天皇の政治、「翼賛」はその補佐を意味します。

-コラム 治安維持法
・治安維持法は「団体の変革を目的とした結社に従事する者」を処罰する法律です。「団体の変革」とは天皇中心の社会を変える事です(※この頃は国体護持が美辞麗句かな)。その後最高刑が死刑になったり、目的遂行罪が加えられるなど改悪されます。

-コラム 盧溝橋事件
・盧溝橋事件は、1937年北京の南西郊外で日中両軍が衝突した事件です(※満州国境と思っていたが、北京の南西郊外なんだ)。この事件で日本の全面侵略が始まります(※同時に上海でも事件を起こしたかな)。因みに1931年柳条湖事件で満州事変が起き、傀儡政権「満州国」を建国しています。

-大日本産業報国会の結成
・1940年日本経済連盟会から「重要産業統制団体懇談会」が作られます。これに6大産業(鉄鋼、石炭、電機、海運、造船、セメント)が参加します。さらに重要産業団体令により「統制会」が作られます。これは国・軍部が生産・販売を一元的に管理する組織です(※これで重要産業は完全に国の管理下に置かれたかな)。1941年その連絡・推進機関として、重要産業統制団体懇談会は「重要産業統制団体協議会」に改称されます。また1940年労資一体(※労使ではなく労資?)の官製労働組織「大日本産業報国会」が作られます。そして1941年12月真珠湾攻撃で、アジア太平洋戦争に突入します。

・1943年10月軍需会社法が制定され、軍需会社が指定されます。11月企画院/商工省が廃止され、軍需省に変わります。重要産業統制団体協議会は、さらに「重要産業協議会」に改称され、「企業の国家性」を明確にします(※解説省略)。
・この様な国家介入に反発もありました。1940年日本経済連盟会は、行政の干渉を極力排除する意見書を繰り返し提出しています(※日本経済連盟会は経済団体の中心とあったが)。小林商工大臣は「経済新体制は国家社会主義」と批判しますが、軍部から「自由主義、利益追求主義」と抑圧されます。※政府で軍部が最も権力を持つとは、困った時代だ。

-苛烈な国民弾圧
・戦争により、経済は崩壊します。1944年頃になると、製油工場には石油がなく、アルミナ工場にはボーキサイトがなく、製鉄所には鉱石/コークスがなくなります。また国民への弾圧は過酷になり、労働運動/農民運動/文化活動/宗教活動/教育実践にまで広げられます。治安維持法で数十万人が逮捕され、命を落とした人は1千人以上います。弾圧の対象は戦争の推進者にも及び、日本経済連盟会の事務局員や重要産業協議会の事務局長も逮捕されています。
・15年に及ぶ侵略戦争で、軍人軍属の戦死者は230万人になり、さらに民間人が国外で30万人、国内で50万人が犠牲になっています。アジア太平洋全体で2千万人が犠牲になっています。

<2.経団連の発足>

・1945年8月10日日本は「ポツダム宣言」の受諾を決め、14日無条件降伏を通告し、15日国民に伝えます。9月2日重光外務大臣/梅津陸軍参謀総長が「降伏文書」に調印します。ここに日本帝国は敗北します。

○敗戦直後、経済団体連合委員会が結成される
・1945年9月3日中島商工大臣が、日本経済連盟会会長/重要産業協議会会長/日本商工経済会協議会会長/商工組合中央会会長を呼び、日本経済の収拾について諮問し、9月8日共同で答申します。この答申の最後に、「共同の委員会を設置し、財界の総意を纏める」とあります。これは占領軍との窓口を一本化するためです。これにより4団体が集まり、「経済団体連合委員会」が作られます。

-民主化・非軍事化
・財界は民主化・非軍事化措置を恐れていました。1945年9月22日米国は「日本管理政策」を発表します。これには3つの改革が記されていました。①財閥解体-経済における非軍事化・非封建化、②農地改革-農村における非封建化、③労働運動の助成-企業経営における非封建化と低賃金の修正です。これらは漸次的に達成され、「無血の民主革命」と呼ばれます。※日本は工業化されたが、封建的で民主化されていなかったかな。
・米国は財閥解体の目的を、①独占的な経済勢力を破砕し、軍国的再建を喪失させる、②財閥が得た不当な利益を吐き出させるとしています。

○経済団体連合会(経団連)の創立
・1945年11月経済団体連合委員会に全国銀行協会連合会も加盟し、5団体になります。1946年5月日本経済連盟会は解散します(※完全吸収かな)。そして1946年8月5団体(日本産業協議会、全国金融団体協議会、日本商工経済会、日本貿易団体協議会、商工組合中央会)により経済団体連合会(経団連)が作られます。
・そのため経団連は、①総合経済団体の連絡機関、②全国性を持った企業と業種団体の連合体の2つの性格を持ちます(※よく分からないが同じような)。しかし日本商工経済会は脱退し、日本商工会議所になります。また日本貿易団体協議会は日本貿易会に変わります。そのため経団連は経済団体の連絡機関から、大企業の連合体(財界団体)へ変化したのです。※中小企業が抜け、大企業中心になったかな。

○米国の戦略転換と経団連
・当初米国は「日本の経済・社会の民主化・非軍事化」を方針としていました。ところが1947年3月トルーマン大統領は「共産主義に抵抗する」「封じ込め政策を実施する」と宣言します。そのため日本は「極東の工場」「東アジアを防御する」となったのです。

-朝鮮戦争と対米従属
・1950年6月朝鮮戦争が勃発します。米国は日本を軍需工場に変えます。これにより大企業・財界は莫大な利益を上げます。※朝鮮特需だな。
・1951年9月日本は「サンフランシスコ講和条約」に調印します。講和条約なので、本来は米軍は撤退すべきですが、26万の米軍は残留します。これと同時に「日米安全保障条約」(旧安保条約)も結ばれます。この前文に「日本への攻撃を阻止するため、日本は米軍の維持を期待する」と記されます。これが今に続く対米従属の始まりです。日本は形式上は主権を回復しましたが、全土に米軍基地が置かれ、国土・軍事など重要な部分は米国に握られています。※「米軍はどこにでも基地を置ける」「米軍は上空を自由に飛行できる」などがあるらしい。

-コラム 朝鮮戦争
・朝鮮は北緯38度で南北に分断されます。1950年6月北朝鮮が38度線を突破し、韓国に侵攻します。1953年7月休戦協定が調印されます。開戦2日後、国連安保理で「国連軍」の派遣が決定します(ソ連は棄権、※中国は、この頃は中華民国かな)。10月中国は「義勇軍」を派遣します。

-最高裁は憲法判断を放棄
・1959年3月東京地方裁判所で、「米軍駐留は憲法違反」と判決されます(砂川事件)。その判決文には「米軍が日本の基地から海外での戦争に出撃すると、日本が戦争に加担した事になる。これは戦力を保持しないとする憲法に違反する」とあります(伊達判決)。
・これは日米の支配層に衝撃を与えます。この時安保条約の改定交渉が行われていました。そのため米駐日大使/藤山外務大臣/田中最高裁長官らが密談します。そして12月の最高裁判決で、「米軍駐留は違憲でない」となります。しかしこの内情が判明したのは2008年で、米国による秘密文書の解禁によります。またこの判決以降、「裁判所は高度に政治に関わる問題は憲法判断をしない」となり、憲法が機能しなくなったのです。

-コラム 砂川事件
・米軍立川飛行場の拡張のため、農地の強制収容が行われました。これに反対した学生が基地の境界を越えたため起訴された事件です。一審の東京地裁が米軍駐留を違憲とします。

-米国の国防動員計画に組み入れられる
・朝鮮戦争が始まると経団連は「日米経済協力懇談会」を作り、内部に総合政策委員会/防衛生産委員会/アジア復興開発委員会を設けます。これにより日本の工業生産力は米国の国防動員計画に組み入れられ、日米経済協力の名の下で米国の世界戦略に組み入れられたのです。この様に経団連は、①戦時中の「統制会」などの経済団体を引き継いだ、②米軍の対アジア戦略に協力したの2つの性格を持ったのです。※「経済団体の連絡機関」と前述していたが、大分異なるな。

○財界全体の利益代表
・戦後直後は個別の資本家や小さなグループが保守政党に資金を提供していました。これにより「昭和電工事件」(1948年)「造船疑獄」(1954年)が起きます。しかし1950年代半ばになると大企業が経済力を付け、経団連などの財界団体が「財界全体の利益代表」となります。※抽象的な言葉の羅列で難解。
・戦後、財界は少なからず政策に影響を及ぼします。奥村宏は財界の2つの役割を指摘しています。①個別的な経営者と政治との高い次元での集約(大企業経営者による政治への介入)、②企業間の調整です。

-コラム 昭和電工事件、造船疑獄
・昭和電工事件は昭和電工が復興金融金庫から融資を受けるため、多額を贈賄した事件です。芦田首相などが起訴され、芦田内閣は総辞職します。
・造船疑獄は外航船建造利子補給法を巡り、海運・造船会社が政界に贈賄した事件です。政財官の多数が逮捕され、佐藤自民党幹事長に逮捕請求が出されます。しかし法務大臣による指揮権発動で逮捕を免れます。これは吉田内閣が倒れる原因になります。

<3.巨大化と多国籍企業化>

○大企業の巨大化
・1975年大企業(資本金10億円以上)の資産は、1975年146兆円から2015年799兆円に5倍以上になります。その間その大企業で働く労働者は、472万人から753万人で1.6倍にしかなっていません。大企業は労働者や下請企業から収奪し、巨大化したのです。一方中小企業(資本金1千万円未満)の資産は、52兆円から112兆円の2倍、労働者も343万人から740万人の2倍で伸び悩んでいます。
・特に経団連の役員企業は1社当り資産を24倍にし、資本の集中が進んでいます。また重厚長大産業(鉄鋼、化学、セメント)から加工・組立産業(自動車、電機)、さらにハイテク産業(電機、情報通信)へとシフトしています。

-国内売上の低迷
・大企業が巨大化したのは売上を伸ばしたからではなく、労働者を低賃金・長時間労働させたからです。この間に大企業の売上は3.3倍にしかなっていません。特に2000年以降の売上は伸びていません。それは労働者の賃金が抑制され、税金・社会保険料が増え、国内消費が低迷しているからです。

○生産拠点の海外移転
・高度経済成長は1970年代に行き詰まり、1990年代には内需が低迷します。これにより大企業は市場を海外に求め、生産拠点も海外に移し、多国籍企業になります。大企業の海外生産比率は、1995年24.5%、2005年30.6%、2015年38.9%と高まります。特に輸送機械の海外生産比率は、2015年48.8%になっています。海外現地法人数は、2000年14,991社が2015年24,959社まで増えています。グローバル化が進み、GAFAなどの多国籍企業の変化を実証的・理論的に捉える事が重要です。※抽象的だな。

<4.米国主導による調整>

○貿易摩擦の激化
・日米関係を見ると、1970年代以前は日本は米系企業から技術を導入し、原材料を輸入し、重化学工業で高度経済成長を達成しました。その土台は、低賃金/長時間・過密労働/下請企業からの収奪でした。日本は輸出額を1970年7兆円、1980年29兆円、1990年41兆円と増やします。
・米国は日本の貿易を問題視し、70年代には繊維/鉄鋼/カラーテレビ/牛肉/オレンジ、80年代には自動車/電機/通信/医療/医薬品/林産品/輸送機器が問題になります。1985年「プラザ合意」で円高に向けられます。1990年代に入ると調整機関(※何の調整機関?移転?それとも日米貿易の調整機関?)が設置され、生産拠点が海外に移ります。米国は、貯蓄投資/土地利用/流通機構などの改革も求めてくるようになり、安全保障ともリンケージするようになります。

-日米政府間の対立激化
・1980年代日米貿易摩擦を内需拡大で乗り切るため公共投資を増やします。90年代初めに430兆円の「公共投資10ヵ年計画」が作られ、その後630兆円に増額されます。その直後、自民党が下野し、国内政治も激動します。※日本が「Japan as NO.1」で標的にされ、湾岸戦争で巨額な支援金を提供した頃だな。
・1994年米国の数値目標に対し、経団連は『日米フレームワーク協議についての民間経済界の考え方』を発表し、これに反対します。その直後の日米首脳会談でも細川政権は数値目標を拒否します。これは戦後日本では珍しい出来事です。

○相手国内に生産拠点を作り、資本結合を拡大
・この貿易摩擦は、①日本企業が米国に生産拠点を作る、②日米間の恒常的な協議機関を設置するで解消されます。象徴的なのが、1995年日米自動車協議です。この時日本は「自社さ政権」で強硬路線でした。そこでトヨタの奥田硯が別ルートで交渉し、部品を米国から購入するなどの妥協案を作ります。これによりトヨタは米国での生産を増やします。この様に日本企業は輸出主導型から多国籍企業型に転換します。

○米国主導で日米調整機関を設置
・2点目が調整機関の設置です。例えば1997年クリントン-橋本間で『規制緩和及び協創政策に関する日米間の強化されたイニシアティブ』(日米規制緩和協議)が設置され、規制緩和の法改正や行政改革が対象になります(※仕組みが詳述されているが省略)。これにより日米財界の意向が反映されます。

・2001年小泉政権が誕生した時、『成長のための日米経済パートナーシップ』が立ち上げられます。これに官民会議があり、これは日米の官民が協議する機関です。これは製品・サービスの市場アクセス/規制緩和の法改正/行政改革を協議対象にしました。毎年米国より「年次改革要望書」(規制改革イニシアティブ報告書)が提出され、通信・情報/金融/流通に深刻な影響を与えました。※多分野が米国化したかな。

-トランプ政権の手法
・2017年トランプ政権が誕生し、日米貿易摩擦が再燃しています。米国は牛肉・豚肉・小麦・乳製品の関税引き下げを要求し、日本は自動車関税の引き下げを要求しています(※その後の詳細も記されているが省略)。この日米貿易協定とは別に、トランプは大豆・小麦などの購入を要求しています。これは対中輸出減少の穴埋めを日本に求めているのです(※この詳細も省略)。※やはり日本は対米従属かな。

<5.外資による支配は進んだか>

○外国資本による株式保有
・外国資本(※以下外資)による株式保有が進んでいます。経団連役員企業の外国法人保有率は、1990年代までは6%でしたが、2000年代に20%台、2015年以降は30%台に高まります(※大企業は巨大化したが、それを支配しているのは外国法人)。経団連は「巨大資本の総意」ですが、その1/3は「外資の意向」なので、経団連は「日米巨大資本の総意」と云えます。

○カストディアンの創設
・経団連の会長・副会長19社の大株主を見ると、「日本マスタートラスト信託銀行」(※以下日本マスタートラスト)/「日本トラスティ・サービス信託銀行」(※以下日本トラスティサービス)/「資産管理サービス信託銀行」(※以下資産管理サービス)の3大カストディアンが目に付きます(※上位10社が一覧にされているが、外資は少ない。それなのに1/3を外資が保有?)。これらは信託銀行で、「カストディアン」と呼ばれます。日本マスタートラストは信託財産が282兆円、日本トラスティサービスは221兆円、資産管理サービスは143兆円です。カストディアンは大株主として巨大な権限を持ちます。

・日本トラスティサービスの株式は、三井住友トラストHD66.7%/りそな銀行33.3%を保有しています。日本マスタートラストは、三菱UFJ信託銀行46.5%/日本生命保険33.5%などとなっています。資産管理サービスは、みずほファイナンシャルG54%などとなています。すなわち3メガバンク毎にカストディアンがあります(※各社の設立経緯が記されているが省略)。また現在、日本トラスティサービスと資産管理サービスの統合の動きがあります。

-グローバル・カストディアン
・国際的に活動するステート・ストリート・バンク/JPモルガン・チェース/シティグループなどのグローバル・カストディアンもあります。このグローバル・カストディアンから再委託される現地法人がサブ・カストディアンです。日本では銀行・証券会社がサブ・カストディアンです。※日本の3大カストディアンも日本の銀行・証券会社も、外資として計上されないと思うが。

-コラム 機関投資家
・機関投資家とは、大量の資金を運用する生命保険会社/損害保険会社/信託銀行/普通銀行/信用金庫/年金基金/共済組合/農協/政府系金融機関などです。これらは長期的な投資をしますが、株式市場に大きな影響を与えます。

-強まる株主の圧力
・外資の保有率が高まると、株主至上主義が強まります。大企業の配当総額は、1975年0.89兆円から2017年17.47兆円の20倍になり、2000年から15年間でも5倍になっています。2012年安倍内閣になると一層増えています。
・経団連役員企業を見ると、1990年208億円/2000年170億円/2005年350億円/2010年425億円/2015年786億円/2019年988億円と、2000年から2019年で5.8倍になっています。これは外資による株式保有率と一致しています。

-ブラックロック
・保有率が5%を超える投資家は「大量保有報告書」の提出が義務付けられています。そこで注目されるのがブラックロック(※以下当社)です。経団連役員企業で当社が5%以上保有している会社は、2013年は2社でしたが、2017年には20社に増えています。しかもその保有率は1位に匹敵します。例えば日立の最大株主は日本マスタートラストの7.35%ですが、当社は6.31%を保有しています。経団連役員企業で当社が最大株主なのは、三井住友ファイナンシャルG/野村HD/NECです。

・1988年当社は設立され、急成長し、運用資産残高は737兆円に達しています。運用資産残高から、当社/バンガードG/ステート・ストリートが「三巨人」と呼ばれ、世界の株式運用の1割を占めます。
・これらは軍需トラストの大型合併で急成長し、当社などの巨大機関投資家が、全株式の7~8割を握ります(ロッキードは100%に近い)。これらの巨大機関投資家の金融資産総額は米国のGDPを上回り、その政治的発言は軍事政策を左右します。※これは米国の軍産複合体の話かな。

・日本の主要な巨大企業の株式が、特定の機関投資家に大規模に保有されている事に驚きます(※話が日本に戻った)。さらにこれらは「物言う株主」で株主としての権限を使っています。

-急増する配当額
・直近11年間(2008~2019年)の配当総額を見ると、上位10社が1兆円を超えています。トヨタは4兆7658億円、NTTドコモ2兆9295億円です。また「自社株買い」も増えています。企業の関係者(ステークスホルダー)には労働者/下請企業/地域住民/自治体なども含まれますが、株主だけが優遇されています。

-コラム 自社株買い
・「自社株買い」をすると発行済み株式が減り、1株当たりの利益が増えます。そのため株価が高くなります。企業は資金を増やしましたが、それを賃上げ/設備投資に向けず、「自社株買い」に向けています。

○日米財界のための新自由主義的改革
・株式の1/3を外資が保有するようになりました。これは必ずしも経営支配が目的ではなく、投資が目的です。しかし本質的には巨大資本の相互浸透(?)やグローバリズムの広がりであり、「経済の金融化」です。※そのため短期利益の追及などの問題が起こる。
・これにより日本の大企業は企業活動を国内からグローバルに拡げ、国民・国内産業から遊離していったのです(※空洞化かな)。これらの企業は新自由主義的な性格を強めています。新自由主義とは、国家が福祉・公共サービスを縮小し、民営化/規制緩和などで市場原理主義を徹底する経済思想です。これは資本の国際移動を自由化するグローバル資本主義の中心的イデオロギーです。

-米国の意向を汲む内的構造の変化
・2000年ローラ・タイソンが「日本経済の内的構造が変化しつつある。ワシントンからの圧力ではなく、民間の起業家(※企業家?)/投資家がリーダーシップを取るべきだ」と述べています。これまでの貿易目標の押し付けではなく、内部構造の変化を促すべきとしています。

-国民の抵抗を排除するリーダーシップ
・政治も保守的な政治基盤(族議員・業界団体・派閥が影響力を持つ状況)から、集権的・強権的な新しい方向に変化します(※抽象的だな。政治主導・官邸主導かな)。1990年代末から日本政治は、日米の多国籍企業の総意をストレートに反映させる体制に変わります。それが橋本内閣での「橋本改革」であり、小泉内閣・安倍内閣に引き継がれます。これが産業を空洞化させ、国民に弱肉強食・貧困・格差をもたらした新自由主義です。
・石原信雄は「政治家/業界にマイナスの政策を押し付けるには、首相のリーダーシップを強める必要がある」と述べています(※詳細な発言は省略)。そこで作られたのが「経済財政諮問会議」で、役所などの抵抗勢力の権限が弱められます。これには福祉なども含まれ、結果的に国民の抵抗を抑え込んだのです。

<6.新自由主義が格差を拡大させた>

・2006年経団連の総会で御手洗元会長が「格差が問題になっているが、これは公正な競争の結果である。格差は経済の活力源である。問題は敗者に再挑戦の機会を与える事である」と述べています。

・上場企業で1億円以上の役員報酬を受け取った役員は2019年567人になり、2010年から倍増しました。最高額はソフトバンクG副会長の32.7億円です。これを時給にすると154万円になります。一方労働者の給与は、2007年437万円から2017年432万円に減っています。
・「大企業の利益/配当/賃金の推移」(1999~2017年)を見ると、利益は3倍、配当は5.5倍になっていますが、賃金は増えていません。財界・大企業は政権と癒着し、賃上げを抑制し、下請企業から収奪し、株主と経営者を優遇してきたのです。※最近になって、やっと政府が賃上げを要請し始めた。

・「給与階層別の人数」(2000年と2017年)を見ると、中間層(600~2000万円)の人数は減少し、600万円以下は増加しています。最大に増えたのが低所得層(200万円以下)です。また高所得層(2000万円以上)も増え、二極化が進んでいます。

・この中で大企業は内部留保を積み上げています。大企業の内部留保は、2019年450兆円になり、2012年と比べても1.42倍に増やしました。大企業は設備投資をせず、下請単価も買い叩き、自ら国内消費を冷え込ませているのです。

・グローバルに展開する企業は、国内での賃金をアジア諸国並みに引き下げようとしています。財界と政府は「日本には高コスト構造がある」として労働法制を改悪しています。非正規労働者を増やし、過労死・長時間労働・過密労働を広げています。また外国人労働者を使い捨てる政策も進めています。30・40代の男性の7人に1人が、週60時間以上働いています(※毎日4時間残業だな)。
・若い世代に非正規雇用が増えています。派遣・契約社員には雇い止めの不安があり、結婚・子育ての希望が持てません。経済的な不安が、少子化の最大の原因と考えられます。

・家計消費を冷え込ませ、経済基盤を崩壊させ、国民の活力を消失させたのは、巨大企業の貪欲な「利益第1主義」です。これを規制できるかが問われています。
※21世紀になり、格差は本当に拡大した感じ。これは米国化かな。これを助長した政治は責任を問われるべきだが。

第3章 新自由主義は強権国家を求める

<1.保守層にも抵抗が広がる>

・大企業・財界は輸出に依存し、高度経済成長しました。さらに1990年代は裾野の加工・組立部門を海外に移転させ、低賃金で雇用し、多国籍企業に転換しました。これらの大企業は国内でも低賃金や安い下請価格を求めるようになり、国民の生活が破壊されます(※同様の問題が米国の分断かな。欧州にも同様に移民問題があるかな)。生産のグローバル化には国境(関税、非関税障壁)が邪魔になります。そのため「自由貿易協定」(FTA)/「経済連携協定」(EPA)の締結が促進されました。

○国民を抵抗勢力に
・大企業・財界は、労働者・中小企業・農業などを保護する制度や教育・社会保障などの土台を、「岩盤規制」「既得権益」として掘り崩そうとしました。この格差を拡大させる多国籍企業の行動に、保守層を含む国民が抵抗しました。これに対し経団連会長奥田は「国民誰もが抵抗勢力に成り得る」として対抗姿勢を示します。

-グローバル化と空洞化
・1970年代初頭までの高度経済成長は輸出主導型でした。そのため日米経済摩擦が起こると、経団連は高速道路の全国展開などの巨額の公共投資を要求します。しかし1990年代になると、経団連は輸出主導型から多国籍企業型の団体に変容します。株式の1/3を外資が保有するようになり、日米共同で利益を追及する団体に変容します。この新自由主義路線への転換の露払いをしたのが、1990年に経団連会長に就任した平岩外四です。彼は「聖域なき規制緩和」を主張します。

・日米経済摩擦は米国の要望を受け入れる形で調整されます。1989年より「日米構造協議」が始まり、公共投資/個別品目だけでなく、貯蓄投資パターン/土地利用/流通機構/価格メカニズム/系列/排他的取引慣行などの改革が行われます。1993年からは「日米包括経済協議」が始まり、「年次改革要望書」を交換するようになります。
・坂本雅子は「グローバル化は米国の巨大企業が先行して推し進めた。彼らは政府に、他国を生産基地/市場にする『規制撤廃』の後ろ盾になるよう求めた。そしてこれが最初に押し付けられたのが日本だった。日本は様々な要求を押し付けられ、日本市場は開放され、日本経済は破壊された。これは戦後とは異なる『属国化』だった」と述べている。※厳しい批評だな。

○大企業は国民に自己責任を求めた
・大企業は国民の不満を抑え込むため、政治の強権化を求めます。1997年橋本内閣での行政改革会議の『最終報告書』に、「国際的に通用する経済社会システムにするため、内閣機能の強化/首相の指導性の強化」が打ち出されます。一方国民には「自律した個人」を説きます。これは大企業のグローバル化に対応した国家機構の集権化と、それに従順な国民を作る戦略です。こうして大企業・財界と官邸が一体になり、「市場原理の重視」「政府介入の抑制」が旗印の新自由主義的改革が進められます。

-新自由主義と自己責任/滅私奉公
・新自由主義は自己責任論を説き、国家主義/滅私奉公を推進します。強権政治が進められ、第2次安倍内閣では立憲主義・民主主義に反する秘密保護法/戦争法/共謀罪法などが強行採決されます。前川元文科事務次官は「官邸主導は小泉政権頃から強まった。政と官、政府と党、官邸と各省の関係はこの20年で変化し、今の力関係になった」と述べています。

・これは3つの方法で行われました。1つ目は1990年代の小選挙区制/政党助成金の導入による「政治改革」、2つ目は2000年代の官邸機能を強化する「橋本行革」、3つ目は2010年代の官邸への奉仕を求める「公務員制度改革」です。以下でこれらの内容を見ていきます。

<2.政治改革による民意切り捨て>

・衆議院での自民・公明の議席占有率は6割超、参議院では6割弱です。これは民意をゆがめる小選挙区制によります。2017年総選挙で、自民党は47.8%を得票しましたが、74.4%の議席を確保しました。与党はこの「虚構の多数」で野党の質問時間を減らし、強行採決し、強引な国会運営を行っているのです。この元凶が、小選挙区制/政党助成金の導入による「政治改革」です。

○金権・腐敗政治への怒りを利用
・日本で最初に小選挙区制を導入しようとしたのは鳩山一郎内閣です。1956年保守合同した最初の国会で、法案が提出されます。当時の幹事長は岸信介は「中選挙区制だと派閥の争いになる。小選挙区制なら、それは緩和される」と述べています。しかし本心は憲法改正に必要な2/3議席を確保するためだったと思われます。※そんな古い話だったのか。

-汚職・腐敗のスキャンダルが発端
・1990年代の「政治改革」は、1980年代からの汚職腐敗事件が発端です。KDD事件/撚糸工連事件/リクルート事件/東京佐川急便事件/ゼネコン汚職事件などが続きます。特にリクルート事件は政官財を巻き込んだ事件で、国民の怒りを買います。
・これに財界は危機感を抱きます。1988年5月社会経済国民会議(※こんな会議があるんだ)の政治問題特別委員会が、『議会政治への提言』を発表します。これは族議員/派閥/中選挙区制を厳しく批判しています(※詳述されているが省略)。しかし首相主導の集権的な体制を作るのが真の狙いでした。これによりグローバル化に対応しようと考えたのです。

-コラム リクルート事件
・これは1988年に発覚した贈収賄事件です。リクルート社の創業者江副が、未公開の不動産株を政官財に賄賂として譲渡した事件です。この株は、中曽根康弘/竹下登/宮沢喜一/安倍晋太郎/渡辺美智雄などの政治家や官僚・財界にばら撒かれました。東京地検が12人を起訴し、全員が有罪になり、竹下内閣は退陣します。※これらを機に議員の資産が公開されるようになったのかな。

○小選挙区制にすり替える
・先の提言を受け、1989年3月自民党の政治改革本部の保岡興治は『今、何を政治改革か』(保岡私案)に「中選挙区制を廃止し、小選挙区比例代表制を導入する」と記したのです。先の提言には比例代表制の導入については記されていましたが、小選挙区制については記されていませんでした。しかしこの私案が自民党の政治改革委員会に持ち込まれ、1989年5月『政治改革大綱』が作られます。ここでは小選挙区制の導入が主で、比例代表制は付け足しになります。直後に財界5団体(経団連、日商、日経連、同友会、関西経済連合会)が『当面の政治改革に関する共同宣言』を出します。

-細川内閣が法案を強行
・1989年6月第8次選挙制度審議会が開かれ、「小選挙区比例代表並立制の導入」「政党助成金の導入」「企業・団体献金は政党に集中させる」などが答申されます。海部内閣/宮沢内閣で法案が提出されますが、何れも失敗します。
・1993年7月総選挙で自民党が過半数を割り、細川連立政権が誕生します。秋の臨時国会に小選挙区比例代表並立制の法案が提出され、衆議院では可決されますが、参議院では否決されます。細川首相と河野総裁が会談し、両院協議会で成案され、1994年1月両院で可決されます。

-財界が切望していた政治改革
・経団連は、1994年5月『変革と創造に向けての我々の決意』、1996年1月『豊田ビジョン』を発表し、小選挙区制/政党助成金の意義を強調します。財界にとっては、派閥/族議員による利益誘導型の政治システムは都合が悪く、トップダウンの政治を求めたのです。また自民党は総裁の権力が強まり、「公認権」「資金力」がその手段になります。

○公認権が派閥から総裁へ
・中選挙区制の下では、派閥が公認権の決定に大きな影響力を持っていました(※詳述されているが省略)。派閥には会則があり、常任幹事会/事務総長が設置されています(※この辺りがグループとの違いかな)。派閥は党内での疑似政党です。

-中選挙区制では保守系政治家は候補者から始めた ※当然議員になるには候補者にならないと。
・中選挙区制では自民党の新人は、まず派閥の推薦を取る事から始まります。派閥から推薦されると、必ず県連の推薦を得られる訳ではありませんが、有力な支援材料になります。※推薦にも4段階位あったはず。
・しかし小選挙区制になり、公認の権限は党本部・総裁に集中します。そのため派閥のトップは総裁と対立を避けるようになり、「所属する政治家の公認を、総裁に願い出る立場」になります。さらに比例代表制の名簿も党本部が作成するため、総裁の権限はさらに強まります。

○政治資金の党本部・総裁への集中
・政治資金においても党本部・総裁への集中が進みます。政党助成金が創設され、企業・団体献金は政党に集中させる事になったのです。
・政党助成金は国家財政から政党本部に配られます。そのため分配先を決める総裁・幹事長の権限が強まったのです。また派閥や政治家個人は企業・団体献金を受け取れなくなります。

-コラム 政党助成金と政党
・政党は思想・信条に基づく結社で、その財政は党費・個人献金で賄われるべきです。ところが政党助成金は税金の分け取りによる強制的な献金で、思想・信条の自由を奪っています。政党助成金も企業・団体献金も廃止すべきです。

-派閥の弱体化と総主流化
・1990年代族議員/派閥は急速に弱体化します。1986年は衆参ダブル選挙があり、派閥への政治資金は総額で426億円ありました。ところが1998年には54億円にまで減少します。2005年に270億円に盛り返すが、政権を失うと60億円を割ります。
・派閥毎では、1990年代前半までは各派閥が約10億円の政治資金を得ていました。しかし1990年代後半になると5億円以下になります。派閥の力は弱まり、総裁に対する批判は封じ込められ、組閣は派閥に捉われなくなります。

・さらに2009年以降になると、各派閥が受け取る政治資金は1億円ほどになります。この最大の理由は、自民党が野党に転落したためです。しかし2012年政権に復帰し、政治資金を増やします。特に安倍首相が所属する細田派は、2017年4億円を超えます。

-政治資金パーティーと派閥資金
・パーティー券は有力な資金集めの手段で、1枚2万円で5千人のパーティーを開くと、1億円の売上になります。第2次安倍内閣になり、多くの派閥が総裁になびき、「総主流化」します。安倍首相は他の総裁候補の推薦人を切り崩します(出馬潰し)。「政治改革」により、ヒト・モノ・カネの権限が総裁に集中するようになったのです。

<3.橋本「行政改革」で官邸機能を強化>

・次に1990年代に行われた「行政改革」を見ます。しかしこの内容は、民主化/効率化ではなく、政策決定における首相の権限強化で、「官邸機能の強化」です。

・1994年6月経団連が『行政改革に向けた内閣の指導性発揮を望む』を発表します。そこで「既得権益の壁の打破」「行政改革の推進」「行政改革委員会の設置」「中央省庁の再編」などを求めます。これを受け(※2年後だけど)、橋本首相は「行政改革会議」を設置し、「21世紀の国家機能」「中央省庁の再編」「官邸機能の強化」の成案を纏めると宣言します。
・行政改革会議の会長には橋本首相が就き、13人の委員には財界代表が3人(経団連会長豊田など)が任命されました。これに官僚・官僚OBが任命されなかったのが特徴です。※この頃から「官僚叩き」が始まったかな。
・1996年12月「行政推進5人委員会」は『行政改革会議に期待する』を発表します。ここでも「国家機能の明確化」「中央省庁の再編」「官邸機能の強化」を最重要課題とします。同友会の牛尾は「体制を変える時は経団連の首脳が入らないといけない」と述べています。

・1997年12月行政改革会議の最終報告が発表され、これに「内閣の機能強化が必要」と記されます。1998年6月中央省庁等改革基本法が成立し、2001年1月新体制がスタートします(※外務省は複雑で、手が付けられなかったらしい)。この「橋本行革」は財界が推進し、新自由主義を推進するための「権力の集中」になったのです。※バブル崩壊後の30年は、国民が置き去りにされた感がある。

○政策決定のトップダウン化
・内閣機能の強化は、3点が重要です。1点目は、首相の指導性の明確化です。各大臣の政策提案権は明記されていましたが、首相の提案権は明記されていませんでした。内閣法を改正し、発議可能にします。

・2点目は、首相を補佐する内閣官房の強化です。それまでは「総合調整」が内閣官房の仕事とされていましたが、「企画、立案、総合調整」に変更されます。これにより内閣官房でも法案を作れるようになります。また首相補佐官の定数は、3人から5人に増やされます。内閣官房の人員も、2000年261人から、2018年1218人に増加しています。

・3点目は、内閣府の設置です。内閣府は首相を長とし、内閣官房を助け、重要政策の企画立案と総合調整をします。人員は2336人です。※内閣府と内閣・内閣官房は別組織なんだ。
・重要なのは内閣府を他省庁より上に置いた事です。また経済財政諮問会議/総合科学技術会議などの会議体が内閣府に置かれます。予算編成は、経済財政諮問会議が毎年6月『骨太の方針』を作成し閣議決定される、トップダウン方式に変わります。秘書官を務めた飯島勲は「橋本行革により『官邸主導』『総理主導』になり、首相のイニシアティブが行政組織の隅々まで行き渡るようになった」と述べています。

<4.首相官邸が高級官僚の人事権を握る>

・さらに重要なのが第2次安倍内閣が「公務員制度改革」で内閣人事局を設置し、高級官僚の人事権を握った事です。これを主導したのも財界です。2005年経団連は『さらなる行政改革の推進に向けて-国家公務員制度改革を中心に』を提言しています。※詳細省略。

○官邸の意向次第
・それまでは各省庁が高級官僚の人事案を纏め、内閣が事後承認していました。2014年4月「国家公務員制度改革関連法」により、内閣が人事権を握るようになります。各省庁が内閣人事局が作成した「適格性審査」を元に人事案を作成し、首相/官房長官を交えた「任免協議」で決定する様に変わります。これにより内閣は各省の人事に介入できるようになり、高級官僚の降格もできるようになります。※高級官僚/幹部官僚/幹部職員など表記にブレがあるが、高級官僚で通します。

・重要なのは内閣が各省庁の高級官僚の個人情報を握った事です。御厨貴は「内閣人事局長は警察官出身の杉田和博です。彼は公安情報を知り尽くしており、警察が官僚人事を握っているのは行き過ぎです」と述べています(※何か帝国時代だな)。第2次安倍内閣は公務員を「全体の奉仕者」から「官邸の奉仕者」に変えたのです。※これで忖度などの不祥事が頻発するようになったかな。

○全体の奉仕者を否定
・「全体の奉仕者」の後退により、官僚は首相官邸に忖度するようになり、決裁文書の改竄などの不祥事が生み出されます。逆に前川喜平・元文科事務次官のような反乱も見られるようになります。彼は「公務員も国民の1人であり、立憲主義に立って国のあり方を考える。権力の私的な濫用や国政の私物化に抗うのは当然である」と述べています。
・1990年代以降、大企業・財界のテコ入れで、「政治改革」「行政改革」「公務員制度改革」が行われました。さらに重視しないといけないのが、内閣情報調査室です。これを次節で解説します。※前3者の話はよく聞くが、内閣情報調査室は疎いな。

<5.内閣情報調査室/公安警察/公安調査庁の危険な役割>

○内閣情報調査室
・2019年映画『新聞記者』が反響を呼びます。これは内閣情報調査室(※以下内調)のヤミの部分をえぐり出した作品で、著書『新聞記者』が原案です(※詳細省略。読んでみたいな)。2001年省庁再編で内閣情報調査室長は内閣情報官に改められます。組織としては内閣情報官/次長の下に5部門(総務、国内、国際、経済、内閣情報集約)と内閣情報分析官があり、内閣情報官直結で内閣衛星情報センターがあります。定員は415名で、警察庁/公安調査庁/防衛省/外務省などから出向しています。※日本には情報機関がないと聞いていたが、ちゃんとあるのかな。

・今井良は著書『内閣情報調査室』に、「第2次安倍内閣では、首相と北村滋・内閣情報官が蜜月だった」と記しています。内調は政局/世論だけでなく、官僚/政治家の身体検査も行っています。北村内閣情報官は1980年警察庁に採用されます。2006年安倍内閣で総理秘書官になり、2011年内閣情報官になり、さらに2019年国家安全保障局長になっています。『ダイヤモンドDATAラボ』に第2次安倍内閣(2012~17年)で首相が面会した回数がランキングされています。最も多かったのが彼で533回です。※3日に1回位だな。

・国家安全保障局は首相/官房長官/外務大臣/防衛大臣などで構成され、警察庁出身の彼が国家安全保障局長に就いたのも異例です。彼が国家安全保障局長に就くと、後任の内閣情報官にも警察庁出身の滝沢裕昭が就いています。さらに首相秘書官・今井尚哉に首相補佐官を兼務させ、内政・外交の「政策企画の総括」を担当させています(※彼は経産省出身)。
・警察庁出身でもう1人重要な人物は、内閣官房副長官の杉田和博です。彼は1966年警察庁に採用され、2001年内閣情報官に就き(※初代だな)、2012年第2次安倍内閣で内閣官房副長官に就いています。特に2017年より内閣人事局長に就いています。これまでは政務担当の内閣官房副長官が就いていたので、事務担当が就くのは異例です。

-コラム インテリジェンス・コミュニティー
・インテリジェンス・コミュニティーは、内閣情報会議とその下にある合同情報会議を頂点とする体制です。内閣情報会議は1998年に内閣に設置され、政策に関する国内外の情報を各情報機関と連絡し把握します。議長は内閣官房長官で、委員に内閣官房副長官/内閣危機管理監/内閣情報官/警察庁長官/防衛事務次官/公安調査庁長官/外務事務次官が就いています。2008年海上保安庁長官/財務事務次官/金融庁長官/経済産業事務次官が加わっています。※総動員だな。

-マスコミ工作と世論操作
・内調はマスコミ工作や世論操作にも関わっています。職員はマスコミと頻繁に接触し、公開情報を収集するだけでなく、公開情報を作っています。具体的には、内調にメディア毎(新聞、出版、テレビ)のマスコミ担当がいます。※以前総務省はメディア各社を±採点し、圧力を掛け続けているとの本は読んだことがある。
・具体例として、読売新聞が報道した前川・元文科事務次官の「出会い系バー通い」があります。この背後に内調があるのです。批判された杉田内閣官房副長官が北村内閣情報官に指示し、マスコミ担当が動き、世論操作を行ったのです。※詳細省略。政府を批判した者が叩かれる事はよくある。

・官邸NO.3の内閣官房副長官(杉田)/内閣情報官(滝沢)/国家安全保障局長(北村)の総務/国内/国際部門のトップを警察庁出身者が占めています。さらに内閣事務官も警察庁出身者が多く、「官邸警察派」「官邸ポリス」と云われています。※何か恐怖政治だな。

○公安警察
・公安警察/公安調査庁も権力のためにスパイ・諜報活動を行っています。公安警察は、警察庁警備局/警視庁公安部/各道府県警察本部警備部/所轄警察署警備課の総称です。例えば警視庁公安部には1100人が所属し、諜報活動を行っています。
・2017年「共謀罪法」が強行され、公安警察による恣意的捜査/不当弾圧が危惧されます。公安警察が取得した情報は内調に流れ、政権の支配強化に利用されます。※スパイ育成の説明があるが省略。結局は戦前と変わらない恐怖政治だな。

○公安調査庁
・1952年「破壊防止法」(破防法)の担当部門として、公安調査庁が法務省の外局として設置されます。公安調査庁は司法警察権(逮捕、家宅捜査)が与えられていませんが、「団体規制法」により一定の強制力が付与されています。
・破防法は、暴力的な組織の活動規制/解散を目的にしています。これは最初は共産党をターゲットにしていました。破防法は、労働組合/民主団体などの反対を押し切って、強行採決されました。

-国民運動を敵視・監視
・公安調査庁は共産党/民主団体をターゲットにしています。その手法は盗聴/脅迫/窃盗/スパイ工作など違法なものです。これまでに大震災のボランティア活動、汚職・腐敗を追求する市民オンブズマン活動、消費税引き上げ反対の労働組合、原発・基地・産廃処理場建設の住民投票、従軍慰安婦の市民運動などを監視してきました。この様に米国・日本政府の支配の障害になる運動を監視するのが目的です。

○NHKへの介入とマスコミ操作
・マスコミそのものを変質させる動きもあります。例えばNHKの「ETV2001問題」があります。これは2001年のETV特集『戦争をどう裁くか』での日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷に関する番組で、安倍・官房副長官が事前に説明された時、「公平公正にやって欲しい」(勘ぐれ、おまえ)と述べ、慰安婦の発言が削除された問題です。
・2008年参議院総務委員会で安倍首相の補佐官・世耕弘成が、「NHKスペシャルは看板番組で、今これが問題ですよ、『こっちの方に注意して下さい』などを喚起する番組と思っています。しかしこの1年、格差/ワーキングプア/貧困など偏り過ぎていると感じます。もう少し国際経済に重点を置くべきです」と述べています。
・2016年衆議院予算委員会で高市早苗・総務大臣は「放送局が政治的公平を欠く場合、電波停止もあり得る」と述べます。これに民放各社が批判的見解をしています。

・NHKは視聴者の受信料で運営され、予算/事業計画は国会で承認されます。またNHK会長の任命権を持つ12人の経営委員は、国会の同意と首相の任命が必要です。そのためNHKは、与党/首相の影響を強く受けます。またNHK会長には池田芳蔵(三井物産)/籾井勝人(三井物産)などの財界人が就いています(※詳細省略)。

<6.集権的国家作りは臨調から始まった>

-敗戦直後は行政機構の民主化が課題
・敗戦により日本の統治構造は根本的に変革します。軍事組織/政治警察の解体、中央集権体制の排除、地方自治の確立、民主的な公務員制度が進められます。1949年吉田内閣では行政機構の縮小が行われます。1952年行政管理庁長官の下に第1次行政審議会が設置されます。戦後の行政改革は、民主化と効率化だったのです。1955年高度経済成長が始まり、行政の能率化が問われるようになり(※効率化と能率化は違うのかな)、1956年第3次/1958年第4次/1959年第5次の行政審議会が設置されます。

-臨時行政調査会
・注目すべきは臨時行政調査会です(※以下臨調)。これは首相の諮問機関で、行政改革を推進します。池田内閣で第1次臨調(1961~64年)、鈴木内閣・中曽根内閣で第2次臨調(1981~83年)が設置されます。この中心になったのが、財界や自由経済を主張する学者・知識人です。

○第1次臨調
・1961年11月第1次臨調は「臨時行政調査会設置法」により設置され、1964年9月16項目の報告書を答申しています。メンバーは7人で、会長・佐藤喜一郎(三井銀行)と安西正夫(昭和電工)が財界からです。
・佐藤は最大の柱に「内閣機能の強化」を揚げています。そして「内閣府を作り、有能な補佐官を任命し、政策の総合調整をする」と述べています(※全く今の行政だな)。ただし今の官邸主導とは異なり、「行政の責任は内閣にある。そのため与党で調整された政策が決定されるべき」と記しています。当時は高度経済成長で、財界の危機意識は低く、政治には原則触れないようにしていました。注目すべきは、答申に「行政における民主化の徹底」が揚げられている点です。

○中曽根内閣での第2臨調(土光臨調) ※次がなくなっている。
・1981年3月~1983年3月第2臨調が設置されます。メンバーは9人で、会長の土光敏夫(経団連名誉会長)など3人が財界からです。しかし首相のリーダーシップで強引に進められます。飯尾潤は「第2臨調は政治家ができない事を、土光などの財界と元官僚が方針を決めた」「瀬島龍三(東京商工会議所副会頭、伊藤忠)/中曽根長官/橋本龍太郎・自民党行財政調査会長が対策を練る事が多く、『裏臨調』と云われた」と述べています。※話がチグハグだけど、財界が深く関わったようだ。
・国会や国民から離れ、財界の指揮による行政改革が押し付けられました。背景に経済の停滞と財政危機がありました(※オイルショック後だな)。1978年経団連は『行政改革推進に関する意見』を提出し、「勇断なる行政改革」「増税なき財政再建」を要望しています。しかしその核心は「法人増税なき財政再建」です。※法人が優遇される時代が長いが、国民が救われる時代が来るのかな。

-強権的な国家作りと福祉切り捨て
・注目すべきは、国家改造に行政改革が利用された事です。中曽根は「国家統治機構・機能を運用するのが行政である。そのため行政改革には国家統治の視点が必要である。行政改革は国家統治権の改革であり、財政はその一部である」と述べています。そこで第1次答申には「行政改革の目的は、国家と国民を合わせた国全体をより望ましい方向に変える事である」とあり、国家改造計画となったのです。※抽象的。
・中曽根首相は「日米運命共同体論」「戦後政治の総決算」「日本列島不沈空母論」を唱え、中央集権国家/軍国主義の復活を目指しました。他方国民には「自立・自助」を説いています(※新自由主義が始まった頃だな)。そのため第1次答申の「行政改革の理念」に、国が福祉・社会保障の役割を放棄する方向が示されています(※本文省略)。※第2臨調は福祉切り捨てだったのか。

・第2臨調に象徴される「新保守主義」とは、1970年代の2度のオイルショックによる不況の中で、財界と自民党による社会保障費への攻撃です(※新保守主義は理解していないな)。欧州の社会保障は充実し、日本はそれに追い付かないといけない時に、社会保障を切り捨てたのです。

-コラム 第2臨調が標的にした福祉
・1973年は「福祉元年」と呼ばれ、老人医療の無料化、医療保険の給付率の改善、年金の物価スライドなどが導入されます。しかし第2臨調などの新自由主義/新保守主義により、福祉拡充が攻撃されます。

-国鉄・電電・タバコ事業の民営化
・第2臨調の象徴が、日本国有鉄道/日本電信電話公社/日本専売公社の分割・民営化です。中曽根首相はこれを行政改革の成果としました。省庁再編や中央と地方の関係は抵抗が強く、先送りします。

-財界による監視体制
・第2臨調が解散すると、そのフォローアップに「臨時行政改革推進審議会」(行革審、1983年6月~1986年6月)が設置されます。会長には土光が就きます。その後大槻文平(元日経連会長)が会長の第2行革審(1987年4月~1990年4月)、鈴木永二(元日経連会長)が会長の第3行革審(1990年10月~1993年10月)が設置されます。第2臨調は3公社の民営化を成しますが、中央への権力集中はできませんでした。これを成したのが、先に述べた「橋本行革」です。

第4章 支配勢力が国家機構を動かす仕掛け

・財界・大企業は政府を強い影響力の下に置き、国家機構(立法、行政、司法)を階級的利益(?)のために活用してきました。財界は資本主義を基盤とし、保守党はその資本主義の護持が目的です。しかし支配体制は社会の状況に応じ、治安第一の警察国家を選択したり、福祉国家を選択したりします。本章では、財界・大企業が国家機構を支配する仕掛けを見ます。

<1.政策提言と与党への働きかけ>
・まずは財界・大企業が政府・与党に直接政策を提言する方法です。税制で経団連は、政府・与党に法人税減税を要望する一方、消費税増税を求めてきました。そしてこれを実行させるため、自民党税制調査会/財務省などに働き掛けてきました。※消費税10%への引き上げを紹介しているが省略。

○経団連の委員会と政府の審議会
・経団連には、経済財政委員会/行政改革推進委員会/社会保障委員会/産業競争力強化委員会/宇宙開発利用推進委員会/防衛産業委員会など、70近くの委員会があります(※委員会/委員長の一覧がある。これには驚いた。流石経団連)。各委員会が提言を纏め、経団連が政府に働き掛けています。※これが日本版ロビー活動かな。
・経団連の事務局と各省庁の担当部局は日常的に接触しています。経団連には重要部局に対応した常設委員会があり、高級官僚や自民党政務調査会の専門部会と密接に連絡し合っています(※ここに自民党の政務調査会が出てくるのか)。これにより経団連の各委員会は、政策立案に深く関われるのです。※この節の内容は初めて知った。

<2.司令塔に入り込む>

・2つ目の方法は、財界・大企業の代表を「司令塔」に送り込む方法です。2000年以前は各省庁の審議会に代表を送っていましたが、2000年代に首相・官邸のリーダーシップが強化されると、「内閣の司令塔」(会議体)に代表を送り込むようになります。

・2012年12月自民党が政権に復帰すると、安倍内閣は「日本経済再生本部」を創設し、「経済財政諮問会議」を再起動させます。日本経済再生本部/経済財政諮問会議/総合科学技術会議/社会保障制度改革国民会議/規制改革会議が各省庁に課題を示すようになります。
・安倍首相が官邸会議に出席したランキングを見ると、1位-国家安全保障会議(NSC)182回、2位-経済財政諮問会議131回、3位-月例経済報告等に関する関係閣僚会議、4位-未来投資会議となっています。
・2つの司令塔(日本経済再生本部、経済財政諮問会議)が戦略を定め、総合科学技術・イノベーション会議(※2014年改称)/規制改革推進会議(※規制改革会議の後継)/国家戦略特区諮問会議がその推進機関になります。そしてこれらの会議体に財界・大企業の代表が送り込まれ、財界・大企業本位の政策がトップダウンで押し付けられているのです。※各会議体に送り込まれた財界代表の表があるが省略。

○予算編成の方式を変える
・これまでの予算編成は財務省が大きな力を持っていました。しかし2001年経済財政諮問会議ができると、当会議が6月に「骨太の方針」で予算の方針を決めるようになり、予算編成の権限は当会議に移ります。元内閣官房副長官・石原信雄は「バブル崩壊で歳出削減/行政の縮小が不可欠になり、首相の指導力強化が必要になった。当時は省庁再編が注目されたが、最重要点は内閣機能の強化にあった。国を動かしているのは予算です。財政政策・経済政策を断行するため、経済財政諮問会議の設置を提案しました」と述べています。

○財界代表が閣議決定を決める
・経済財政諮問会議は、財界代表2名/学者2名の「民間4議員」がメンバーです。大田弘子は「当会議は民間議員がペーパーを書いていた。従って閣議決定に繋がる最初の設定を民間議員が行っていた」と述べています。

<3.天下りを受け入れ、癒着を深める>

・3つ目の方法は「天下り」です。大企業・財界が天下りを受け入れるのは、公共事業などで優遇してもらうためです。2007年安倍内閣は国家公務員法を改正し、天下りを禁止にします。これは現職に対してです。一方離職2年後の天下りを解除したため、天下りは「原則禁止」から「原則自由」に変わったのです。

○天下りの自由化と財界の意向
・天下りの自由化により、2010年は733件だったのが、2017年に1628件と倍増します。また現職の政府系法人への「現役出向」も、2010年193人から2018年280人に増えます。2007年内閣官房長官に「官民人材交流センターの制度設計に関する懇談会」が設置され、経団連/同友会の代表が送り込まれます。そして「官民人材交流センター」が作られます。
・共産党は公務員が定年まで働ける仕組みを作るよう主張しています。公務員が「全体の奉仕者」として、公正・中立で効率的な行政を行えるよう、公務員制度の改善を求めています。

<4.天上がりで官邸に人材を送り込む>

・4つ目の方法は「天上がり」です。これは大企業・財界から官邸などに人材を送り込む方法です(※この方法は認識していなかった)。これが確立したのは2000年頃です。「公務の活性化のための民間人材の採用」(1998年)、「官民人事交流法」(2000年)、「任期付職員法」(2000年)、「官民人事交流センター設置」(2008年)などにより「天上がり」が拡大します。

○官民人事交流の名の下で
・当初は企業を退職し採用する「退職型」でしたが、2006年「官民人事交流法」が改正され、企業に在籍したまま採用できる「雇用継続型」が追加されます。人数が多いのは経産省/国土交通省/環境省です。総計では、2001年422人、2010年1136人、2018年2226人と5倍に増えました。

・注目すべきは、内閣官房に79人から228人、内閣府に62人から190人です(※共に3倍程度だが)。また国家公務員の定員は減らされているのに、内閣官房の定員は、2001年590人から2018年1218人に増えています。そして民間企業出身者の比率は、2001年4.6%から2018年14.3%に上昇しています。内閣府も同様で、比率は2001年2.8%から2018年8.1%に上昇しています。※政策立案が民間直結に変わったのか。
・次に常勤/非常勤の推移を見ます。内閣官房では2006年までは常勤の方が多かったのですが、2007年以降は非常勤が増えます。2018年は常勤23人、非常勤167人となっています。非常勤は掛け持ちなので、「癒着」が強くなります。これに対し塩川鉄也議員が、「政府の立案に大企業・財界が深く関わっているのは問題だ。官邸機能が強化され、官民の癒着が拡大し、財界の利益が優先されている」と追及しました。

○経団連役員企業の比率が高い
・内閣官房への「天上がり」は228人、その内経団連役員企業からは68人で30%を占めます。同様に内閣府は190人中61人で32%です(※これは意外と少ないかな)。これも経団連と官邸の深い癒着を示しています。個別企業で見ると、官邸に日本電気(NEC)20人/三菱電機16人/日立製作所12人が入り、3社で48人です(※官邸なので68+61人中かな)。内調の定員は約200人ですが、上記3社の出身者が25人います。彼らが警察出身者とヤミ活動を行っているのです。

-財界が求めた「天上がり」
・「天上がり」を求めたのは大企業・財界です。2005年経団連は「民間の人材は単に補助的に扱われるべきでなく、政策の企画・立案に関与させるべきだ。特に内閣官房/内閣府への登用を増やすべきだ」と提言しています。また2008年「官民交流推進会議」(※詳細不明)が、「企業に復帰した者が果実を企業に還元できるよう、職務と関係が深い場所に派遣させるべきだ」と記しています(※露骨だな)。さらに2007年「官民人事交流推進会議」(※詳細不明)で、財界が「民が求めるのは、人材ネットワークによるビジネスチャンスに尽きる」「官民癒着に批判はありますが、民が求めるのは、正しくその部分です」と述べています。※これも露骨だな。

<5.政治献金による支配>
・5つ目の方法は政治献金です。加藤義憲は「財界は保守党に献金する事で、保守党の安泰を図り、財界の支配を確実にさせている」と述べています。以前は経団連が献金を斡旋し、自民党に提供していました。ところが1990年頃、リクルート事件/佐川急便事件などが起き、献金の方法を変えざるを得なくなります。

・政治献金は「政治資金規正法」によって規制されています。「規正」となっているのは、資金の流れを国民に公開し、監視・批判を仰ぐためです。企業・団体献金は、政治家の「資金管理団体」や財閥の「政治団体」への献金が禁止されています(※政党だけかな)。また政党の「政治資金団体」への献金は、1億円が上限になっています(※似た名前の団体が3種類あって覚えにくいな)。ただし政治団体から政治資金団体への献金は制限がないのです(※派閥から政党?これも献金と云うのかな)。これらの規制から、資金は政党に集まり、最終的に政治家に渡るようになっています。

○企業・団体献金の減少を政党助成金で穴埋め
・自民党への企業・団体献金の大半は「国民政治協会」からです(※知らない団体だな)。当協会からの献金は田中角栄時代にピークの179億円になります。1991年に174億円になりますが、1995年政治家への献金が禁止され、1996年55億円に減少します。しかしこの減少分は政党助成金により穴埋めされます。
・1998年当協会から自民党への献金は152億円でしたが、政党助成金が227億円ありました。これは自民党の収入の約半分です(※そんなに重要なんだ)。この比率は徐々に高まっています(※グラフがあるが、2000年代は約6割、2010年代は約7割)。2017年自民党の収入は259億円で、内訳は当協会からの献金24億円、政党助成金176億円、事業収入4億円、党費9億円、個人献金3億円などとなっています。

○自民党の財布=国民政治協会
・1961年「経済再建懇談会」と「自由国民連合」が合併し、国民協会が発足します(1975年国民政治協会に改称)。1955年1月「経済再建懇談会」は結成されます。これは造船疑獄事件で100人以上が逮捕され、佐藤栄作・幹事長まで逮捕されそうになり、国民から官民癒着の批判を受けたからです。2月に総選挙があり、民主党/自由党に安全な献金をするためです。結成の中心となった経団連副会長・植村甲牛郎は「特定の業界・会社からの献金は疑惑を持たれる。そのため一本に纏め、色を消し、日本経済の再建/民政の安定のための政策が行われる事を期待した」と述べています。その後この「一本に纏める」「色を消す」が定着したのです。
・1959年安保闘争の中、「自由国民連合」は「自由主義を守れ」として結成されます。1961年経済再建懇談会と自由国民連合が合併し、国民協会が発足します。1975年3月政治献金に国民の批判が高まり、「国民政治協会」に改称します。同年7月「改正政治資金規正法」が公布され、「政党は1つの団体を政治資金団体に指定できる」となり、自民党は当協会をそれに指定します。

○通信簿方式による企業献金
・1993年7月自民党は総選挙で大敗し、経団連は斡旋を中止します。翌年細川政権は崩壊し、自民党が与党に復帰しますが、経団連は斡旋を再開しませんでした。それから10年経ち、経団連は政党の政策を評価し、それに基づいて献金するようになります(通信簿方式)。しかし今では、その対象は自民党だけになっています。

-本社と連結子会社の献金は一体
・企業献金は大企業単体からの献金だけでなく、連結子会社の献金も考慮すべきです。例えばトヨタ本社は6440万円献金していますが、連結子会社を含めると1億691万円になります。日立は本社2850万円、連結子会社を含めると3200万円です。※経団連役員企業の一覧がある。
・2011年以降の自民党の企業・団体献金の推移を見ると、野党だった2011年・2012年は13億円台です。与党になると増え続け、2017年約24億円になっています。注目すべきは経団連役員企業の比率で、2011年25%、2017年35%と高まっています。僅か40社未満の企業が、自民党の財政を支えています。

・業界団体による献金も巨額です。2017年日本自動車工業会が8040万円、日本電機工業会が7700万円、日本鉄鋼連盟が8000万円を献金しています。これは企業・団体献金の1割を占めます。

○米国からの秘密資金
・自民党には財界だけでなく、米国から「秘密資金」を受け取っていました。米国の公文書公開により、1950~60年代CIAから巨額の資金を受け取っていた事が明らかになりました。ニューヨーク・タイムズの記者も「1948年以降、CIAは外国の将来の指導者を買収し続けた。その最初が日本だった」と書いています。※米国が様々な工作をしてきたのは明白かな。

・その指導者とは岸信介です。彼はA級戦犯になりますが解放され、その後首相になります。彼は米軍基地を維持し、核兵器の配備も考えたのです。その見返りに秘密資金を求め、15年に亘って資金を受けたのです。この額は200~1000万ドル(7~36億円)とされています。この資金で彼は自民党の中心人物になったのです。1958年彼の実弟佐藤栄作も「共産主義と闘うためには米国の援助が必要」と米国に秘密資金を要求しています。
・この秘密資金は1972年に終わったようです(※佐藤内閣が田中内閣に変わった時かな)。しかし政治的な繋がりは、その後も続きました。

○企業・団体献金を禁止へ
・主権者でない企業・団体が政党・政治家に影響を与えるのは、国民の基本的人権を侵しています。企業は営利団体なので資金を出すのであれば見返りを求めます。そのためこれは「賄賂」になります。逆に企業に損害を与えれば、「背任」になります。20数年前に金権腐敗政治が批判され、企業・団体献金は廃止の方向に向けられますが、「政党支部への献金は認める」「政治資金パーティーは残す」の抜け道が残されました。

・政党は国民の支持で支えられるべきです。本来政治資金は個人献金であるべきで、これは憲法で保障された参政権の1つです。これまでに政治資金を巡って汚職腐敗事件が繰り返され、その度に規制が強められましたが、根本的な解決に至っていません。そのため共産党は、企業・団体献金の全面的な禁止を提唱しています。同時に政党助成金の廃止も提出しています。

第5章 国民の財産は誰のために消えた

<1.年金が減らされる>

○財界が社会保障・年金の削減を求める
・第2次安倍内閣は「財政健全化」として社会保障の削減を求めています。2015年経団連の『財政健全化計画の策定に向けた提言』でも社会保障を攻撃しています。しかし財政悪化の原因は、法人税の減税や大規模な公共事業にあります。この提言は「マクロ経済スライドによる抑制」「低所得者への加算措置の見直し」を主張しています。
・2018年経団連はさらに『我が国財政健全化に向けた基本的な考え方』『持続可能な全世代型社会保障制度の確立に向けて』を提言しています。ここでは「後期高齢者の2割負担」「高額医療費の負担上限額の廃止」を求めています。また年金では「マクロ経済スライドの発動」「高所得者の支給制限の強化」を主張しています。この様に財界は、国民への支出を減らし、財界・大企業への支出を増やそうとしています。

○あった事を、なかった異にする手口
・しかも重大なのは、支給を削減し、国民の暮らしを圧迫させているのに、「貯蓄より投資」と煽っています。金融審議会が提出した『老後資金に2千万円が必要』の報告書がそれです。麻生金融担当大臣は会見で「100まで生きるなら、退職金をきちんと計算しておかないと」と、報告書の内容を述べます。この発言に国民は怒ります。「年金は100年安心と言ったではないか」「どうやって貯めるんだ」などの不満が噴出します。
・そのため彼は手のひらを返し、報告書の受け取りを拒否したのです。安倍内閣は真実に蓋をしたのです。野党は予算委員会での集中審議を要求しますが、自民党の国対委員長は「報告書はもうない」として逃げたのです。
・金融審議会に諮問したのは麻生大臣です。彼が21人の委員に委嘱し、3年で24回の議論を経て、この報告書が作成されたのです。

-政府のスタンスとの違い
・麻生大臣は「政府の政策スタンスと異なっている」と言っていますが、何が異なっているのでしょうか。彼は「赤字の表現が不適切」と言っています。総務省の統計では、高齢夫婦世帯の収支は月5.5万円の赤字になっています。これが30年続くと2千万円になるのです。金融庁も「1.5千万円から3千万円必要」と弾いています。

-高齢者家計の赤字が増える
・高齢者の赤字は、2000年9千円だったのが、2017年5.5万円に増えています。その1つ目の理由は、社会保険給付(ほぼ年金)がマクロ経済スライドにより、22.9万円から19.2万円に減っているからです。2つ目の理由は、税金/社会保険料の負担増(約8千円)です。3つ目は消費税増税です。政府は国民の負担を増やし、真実が公表されそうになると、それに蓋をしたのです。

○基礎年金は30年で3割減る
・厚労省は5年に1度「財政検証」をしています。2019年では、経済成長が異なる全てのケース(6つ)で、基礎年金の取得代替率(現役世代との比率)が30年後に3割下がるとなりました(※大幅減額かな。現役は楽だが、年金受給者は厳しくなるのか)。これはマクロ経済スライドが原因です。
・最良のケースで厚生年金と合わせた取得代替率が50%を超える場合でも、基礎年金は36%から26%に低下します。最悪のケースでは、厚生年金と合わせた取得代替率は50%を切り、基礎年金の削減率は4割を超えます。※経済成長は当然望めないし、「今持っていない人はダメ」「今から貯えられない人もダメ」だな。「年金制度は100年安心だけど、国民の生活は全く保障しない」だな。

-非正規労働者の過酷な老後
・大変なのは非正規労働者で、現役の時は低賃金で働かされ、リタイアするとマクロ経済スライドで年金は大幅に減るからです。非正規労働者の割合は4割近く、その3/4は年収200万円未満です。低収入/保険料未納は年金の受給額に直結します。
・年金制度の最大の問題は、低年金者・無年金者が膨大な事です。国民年金だけを受給する人の平均受給額は、月5.1万円です。女性の平均受給額は厚生年金も含めて、月10.2万円です。そして無年金者は26万人います。これを解消するには、高所得者優遇の保険料の見直し、年金積立金の活用、賃上げ/非正規労働者の正規化が必要です。

-バクチに国民の財産を投入
・もう1つ重大なのは、年金積立金が危険な運用で消える恐れです。年金積立金は150兆円あり、2020年169兆円、2077年653兆円とさらに増え続けます(※それなのに年金は減らされる?)。これを運用しているのが「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)です。2018年第3四半期、GPIFは14.8兆円の損失を出します。これは資産の1割です。その後持ち直し、年間ではプラスになりました。
・不安定の原因は、株式への運用が増えているからです。構成を見ると、株式は国内株式11.5%(2008年)/外国株式8.4%(2004年)など20%程度でした。ところが2018年は、国内株式26.0%/外国株式24.7%と5割を超えました。これは安倍内閣が、株式の比率を引き上げたからです。それは大企業・財界に望ましいからです。

-「トータルで見るとプラス」は言い訳
・政府は「トータルで見るとプラス」と言っています。確かにトータルで見るとプラスです。しかしリーマンショックなどでは、マイナスになっています。年金積立金が株価に翻弄されています。日経平均株価は1989年3万9千円近くになりますが、2008年7千円近くまで下げています。年金積立金を不安定な株式で運用しているのです。

-安倍内閣は大規模な株式投資へ
・2014年2月安倍首相は「運用の多様化を検討する」と述べます。この背景に「公的・準公的資金の運用・リスク管理等の高度化等に関する有識者会議」(2013年11月)の報告書があります。この会議には、経団連の経済法規委員会企画部会長(新日鐵住金)/大和証券/野村総研/JPモルガンし証券などの財界が参加しています。
・この報告書に「安倍内閣の経済政策(三本の矢)の一環として、日本経済に貢献する」とあります。これは運用方針の転換です。一方2010年の報告書には「年金積立金は投資目的ではなく、給付金を一時的に預かっており、安全運用が基本である」とあります。※大幅に簡略化。

-外国とは異なる運用
・有識者会議の報告書に、各国での運用が記されています。ノルウェーの公的年金基金(GPFG)、米国カリフォルニア州の職員退職制度、オランダの公務員総合年金基金(ABP)、カナダの年金プラン投資理事会(CPPIB)、スウェーデンの国民年金(APF)です。しかしこれらは2階部分であって、1階部分の給付水準への影響はありません。
・私(※著者)は財政金融委員会でこれについて質問しました(※当時著者は衆院議員)。この様に各国は、年金水準に影響を与えない安全な運用をしています(※質疑応答の詳細があるが省略)。日本の運用だけが異様なのです。GPIFのポートフォリオは株式に軸足を移しました。これは国民の財産を棄損させる恐れがあります。

-人事権を利用して運用体制を入れ替える
・しかも重大なのは、安倍内閣が人事権を利用して運用体制を入れ替えた事です(※方針だけでなく体制も転換させたのかな)。運用委員10人中6人が代わり、その内3人は有識者会議のメンバーで、3人は投資会社などの勤務経験者です。GPIFの経営委員会/監査委員会/執行部の人事権は厚労大臣にあります。「多様化」の名の下に、委員会のメンバーを株式運用重視に置き換えたのです。※運用委員もGPIF内の組織だろうな。執行部とは別かな?
・国民の年金は「マクロ経済スライド」で削減し、積み立てた基金を株価釣り上げに投入しているのです。このままでは2040年代に年金が7兆円削減され、基礎年金の満額は現在月6.5万円ですが、月4.5万円になります。
※国民が怒らないのは不思議だ。「金持ちの、金持ちによる、金持ちのための政治」、これが日本政治の本質だな。

-コラム GPIFトップの報酬
・2015年GPIFの理事長/理事/運用担当者の報酬が引き上げられました。理事長は1900万円から3100万円に引き上げられました。運用専門職の月給は最高145万円で、さらに成績給が付きます。それまで理事長の年収は「公務員待遇」だったのが、日銀総裁相当になったのです。

○クジラが株式市場を動かす
・日本の株式時価総額は約590兆円です(1部だけで570兆円)。日本の株式市場には5頭の「クジラ」がいます。GPIF/3共済(国家公務員共済組合連合会、地方公務員共済組合連合会、日本私立学校新興・共済事業団)/日銀/かんぽ/ゆうちょの機関投資家です(※共済もクジラなんだ)。この中で最大なのがGPIFで、運用資産は約41兆円で、全体の約7%です。

-株式の3割は外資が握っている
・日本の株式は、外国法人29%/事業法人22%/信託銀行22%などが保有しています。1990年代以降、外資/信託銀行が増加しています。※何れも投機目的かな。

-海外投資家が株価を動かす
・東京証券取引所の『投資部門別株式売買状況』を見ると、売買総額が分かります(※差引なので総額と云えるのか?)。野村證券の幹部は「ヘッジファンドはサッと来て、サッと帰る」と言っています。
・海外投資家にも種類があります。年金/ソブリン・ウェルス・ファンド(国家ファンド)などは長期投資を行っています。一方ヘッジファンドは上昇が見込めると株価指数先物を買い、悪化すると売りに転じます。これにより日経平均は上下します。
・2014年4月麻生財務大臣が「6月以降GPIFが動き出す。そうなると外国人投資家も動くだろう」と述べています。実際2014年3月から1年で、GPIFの国内株式は20.8兆円から31.7兆円に飛躍的に増えます。※この説明では、外資がどう動き、株価がどう動いたか分からない。

・海外投資家と信託銀行の売買は対照的です。海外投資家が売り越すと、株価を支えるため信託銀行が買い越します。この信託銀行に運用を委託しているのが、GPIFです。※「GPIFと海外投資家は連動する」としたので、矛盾かな。

-どこに運用を委託しているのか
・年金基金の運用は、大部分(156兆円)が民間36社に委託されています。最大の委託先はアセットマネジメントOne(みずほ系)23.6兆円で、以下三井住友信託銀行17.5兆円、三菱UFJ信託銀行16.2兆円、野村アセットマネジメント5.4兆円となっています(※3メガバンクと野村だな)。これらの企業の親会社は経団連役員企業です。
・外資では、ステート・ストリート・グローバル・アドバイザーズ/ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント/JPモルガン・アセット・マネジメント/ブラックロック・ジャパンに委託しています。ブラックロックの日本株式の保有額は約30兆円で、GPIFとほぼ同額です。GPIFから当社への委託額は14.8兆円で、外国勢ではトップです。※物言う株主かな。外資の列挙は委託額順ではないんだ。

-手数料が5千億円
・運用には手数料が掛ります。2002年手数料は176億円でしたが、2017年には487億円に3倍に増えます。この17年間の総額は4850億円です。国民の財産の一部が、民間の運用会社に手数料として流れているのです。

-大企業の株が公的マネーで占領される
・日銀の株式買い入れ額は、2013年1.1兆円から2018年6.5兆円に増えます。日銀は株価指数連動型上場投資信託(ETF)を購入しています。『しんぶん赤旗』によると、東京証券取引所1部上場2064社中710社の筆頭株主が公的マネーになっています。※当然間接的かな。

・GPIF/日銀の投入額が多いのが、トヨタ1.9兆円/ソフトバンクG1.1兆円/三菱UFJFG1.0兆円です。東証1部での公的マネーの比率を見ると、2013年5%だったのが、2019年11%に増え、株価を釣り上げたのです。GPIFだけ見ても、経団連の会長・副会長企業19社中14社の筆頭株主がGPIFです(残る5社は、4社で2位、1社で3位)。

-経団連役員企業にGPIFが物言う
・自主運用解禁により、GPIFが企業に「物言う」事が可能になりました。そのため保険会社は保険契約者(※機関投資家ではあるが、突然保険会社が出てきた)、GPIFは年金契約者の利益を考慮し、会社提案を拒否する可能性があり、経団連はこれを恐れています。※GPIFと経団連は仲間と思っていたが、違うのかな。

<2.低金利は家計から企業への所得移転を引き起こした>

・次は低金利(ゼロ金利、マイナス金利)によって、国民の財産が消えた問題です。経団連会長の発言を伺うと、財界は低金利を歓迎しています。しかし庶民には預金金利が付かず、様々な手数料を取られるだけです。

-家庭用金庫が売れる
・30年前は利率が5%あり、2千万円預ければ、年100万円利息が付きました。1990年は基準貸付利率が6%でしたが、今は0.3%です。そのためタンス預金が増え、総額50兆円あるとされています。2015年以降もタンス預金は増え続け、2023年には70兆円になると予測されます。一方定期預金は減っており、2018年末の残高は431兆円で、前年比3%減になりました。

○3万円の利息が10円に
・今普通預金の金利は0.001%、定期預金で0.01~0.05%です。1990年頃の最も高かった時、普通預金3.48%/定期預金5.08%でした。1999年「ゼロ金利」、2016年「マイナス金利」になったのです。

-家計から400兆円の利息が消失
・金利が低下すると預金者は損をしますが、ローンを借りている人は得をします。家計全体ではどうなんでしょうか。1991年の金利が2017年まで続いたら、受取利子は709兆円も少なくなり、支払利子は265兆円少なくなっていました。従って家計全体では444兆円損したのです。※1991年の金利を基準にし、少し乱暴な評価だな。

○家計から企業に所得が移転した
・参議院予算委員会調査室の福嶋博之は、1991年の家計の利子所得(38.9兆円)から、その後16年間の「逸失利子」を331兆円、「軽減利子」を82兆円としました。従って249兆円の所得を失ったのです。そして彼は企業に対しても同様の計算をしています。企業の受取利子は17.3兆円から2.7兆円に減少し、支払利子は54.8兆円から10.0兆円に減少し、16年間の「逸失利子」を164兆円、「軽減利子」を428兆円としています。従って企業は264兆円の所得を得たのです。

・同様の方法で私が2017年までを計算すると、企業の「逸失利子」は304兆円、「軽減利子」は1014兆円となり、差し引き710兆円の利子負担を減らしたのです。26年間(1991~2017年)に家計は444兆円の利子を失い、企業は710兆円の支払いを軽減したのです。※「低金利は大借金の国に有利で、増税に相当する」との話は聞いていたが、企業も得したのか。

-もう1つの所得移転
・これに似たグラフがあります。消費税が導入された1989年からの、消費税収と「法人3税の減収額」の推移です。法人3税には法人税/法人住民税/法人事業税に地方法人税/地方法人特別税/復興特別法人税を加えています。31年間の消費税の総額は397兆円で、増加傾向にあります。一方「法人3税の減収額」は、景気低迷により298兆円となっています。※法人税を減税し、その分を消費税で穴埋めし、さらに100兆円余分に徴収したのか。
・大企業は大企業優遇税制により、税金をほとんど払っていません。2008年大企業の税引き前利益7.3兆円に対し、法人税・住民税・事業税7.4兆円を負担しています。ところが2017年は税引き前利益55.6兆円に対し、法人税・住民税・事業税の負担は11.6兆円です。利益が8倍になっても、税負担は1.6倍しか増えていません。※日本は「金持ちの、金持ちによる、金持ちのための政治」だな。
・この様に政府・日銀は大企業本位の金利政策/税制政策で、家計から企業への所得移転を引き起こしたのです。その額は低金利で400兆円、消費税・法人税で400兆円です。これは1人当たりで600万円を超え、4人家族だと2500万円を超えます。

<3.銀行への公的資金の投入>

・銀行への公的資金の投入は、1990年代末から大きな焦点になりました。乱脈経営した銀行を、なぜ国民が支援しなければいけないのか。1997年経団連のシンクタンクは「金融システムの不安排除は納税者の負担になる。これは曖昧であってはならない」と記しています。2002年経団連会長は「金融危機の予兆があれば、対応会議を開き、公的資金を投入すべきだ」と述べています。

・財界の圧力により政府は公的資金を投入するようになり、これに合わせ銀行に「経営健全化計画」を提出させ、「儲けが上がる体質」に誘導します。さらに法人税を1円も払わなくて済む仕組みを用意します。※そんなのがあったかな。金融機関限定の特別減税かな。
・これにより銀行は「利益が上がる体質」に邁進するようになり、人減らし・リストラ、支店の縮小・廃止などでコストを削減します。これにより貸出は抑制され、貸し渋り・貸し剥がしが行われます。手数料収入を増加させ、金融派生商品の運用を増加させます。

○公的資金投入の仕組み
-本来は自己責任・自己負担が原則
・1990年代前半、政府は「破綻処理は自己負担」を原則としていました。1995年9月大蔵省の諮問機関「金融制度調査会」の金融システム安定化委員会の報告書に、「金融機関の破綻処理は、預金保険などの手段を含め、金融システム内での処理を原則とする」と記されています。翌年、橋本首相も同様な答弁をしています。

-公的資金の時限的導入が検討課題に
・しかし先の報告書に「破綻処理は自助努力、預金保険の発動等の対応による。しかし今後5年程度は預金者に破綻処理の費用を負担させる必要がある場合は、公的資金の時限的な投入も検討する」(※簡略化)と記されています。この報告書が作成される3ヵ月前の緊急経済閣僚懇談会で、「破綻処理への公的資金投入のあり方を直ちに検討する。そのため金融制度調査会に金融システム安定化委員会を設置する」となっていたのです。
・これが公的資金投入の発端です。しかし当時は国民の反発があったため、それは臨時的・緊急的・限定的な措置とされていました。※銀行局長の詳しい説明は省略。

-信用組合・住専への税金投入
・最初の公的資金の投入は、信用組合に対し行われました。1995年東京共和信組/安全信組/コスモ信用組合/木津信用組合/兵庫銀行/大阪信用組合が破綻し、金融不安が広がったためです。銀行局長は「信組以外は入れない」「本来、預金保険で対応すべきだが、信組の場合、それだけで対応できない」と述べています。
・同時に住専にも公的資金が投入されます。住専は預金者がいないノンバンクなので、異例な事です。不動産価格の急落で、住専の損失は6兆円を超えました。政府は住専と親密な関係にあった大手銀行・地銀・農林系金融機関に債権放棄を求めましたが、損失を埋められず、6850億円が投入されます。国民はこれに怒り、1996年の通常国会は「住専国会」と呼ばれます。※ここでも弱いものから倒れていった感じだな。

-預金保険法の改悪で銀行救済
・公的資金の投入を執行・管理するのは預金保険機構です。これにも質的変化が起こります。1971年預金保険法が成立します。この目的は「預金者保護」です。しかし1996年預金保険法が改正され「銀行救済」に変わったのです。それまでの資金援助は「ペイオフのコスト内」でしたが、上限がなくなり、無制限になります。また破綻した金融機関の全ての不良債権を預金保険機構が買い取るようになります。これにより破綻した金融機関の預金と正常な債券は引き継ぐ銀行に譲渡され、不良債権は預金保険機構が引き受ける事になります。
※これだと「預金保険」ではなく「銀行保険」だな。また経営に幾ら失敗しても、全く問題ないとなる。無責任経営の後押し。多分長銀などが外資に買い取られたが、この優遇制度のためかな。

・この2つの方針転換により破綻銀行への資金援助は青天井になります。本来であれば預金保険料の引き上げや、日銀の融資で賄うべきですが(自己責任、自己負担)、これに公的資金が投入されたのです。1996年預金保険法などの金融関連6法が改正され、「預金者保護」から「銀行救済」に方針転換します。

○本格的な公的資金の投入
・1997年になると金融不安は深刻化し、北海道拓殖銀行/徳陽シティ銀行/山一證券/三洋証券が破綻します。橋本首相は「金融システムの混乱を回避する」と述べ、公的資金の本格的な投入が始まります。これは「信用組合以外の破綻処理は、金融システム内で対応する」からの転換です。

-信用組合以外への拡大
・1998年1月からの通常国会で、総額30兆円の公的資金を投入する「預金保険法改正案」(17兆円)/「金融機能安定化のための緊急措置に関する法律」(13兆円)が審議されます。
・これまでは預金保険機構の「信用組合特別勘定」は責任準備金がマイナスになると、日銀・金融機関から政府保証を付けて公的資金を投入する仕組みでした。一方「一般金融機関特別勘定」は政府保証が付いていませんでした。ところが「預金保険法改正案」は、信用組合と一般金融機関の区別を廃止し「特例業務勘定」に一本化し、一般金融機関への公的資金投入を可能にしました。

-自己資本増強にも公的資金が投入される
・「金融機能安定化のための緊急措置に関する法律」は、預金保険機構に「金融危機管理勘定」を設け、13兆円の公的資金を投入するものです。これは金融機関が発行する優先株を引き受け、自己資本を増強させるのが目的です。
・本来、預金保険機構は金融システム内で預金者を保護するのが目的でしたが、金融機関の自己資本増強に公的資金が使われるようになったのです。当初は預金保険料を見直す予定でしたが、されませんでした。銀行は乱脈経営しても、自分にツケが回らなくなったのです。

-公的資金投入に反対する提案
・1998年7月からの臨時国会は「金融国会」と呼ばれます。共産党は以下の見解を示します。「金融機関の不良債権処理・破綻処理に血税を使うべきではありません。これは金融業界の自己責任・自己負担で行われるべきです。この原則を貫いてこそ、金融システムの安定と信頼が回復されます。政府の役割は、金融機関の検査・監視・指導に限定すべきです」。共産党は「金融機能正常化法案」を提案し、自民/民主/平和・改革の3会派は「金融再生法」を提案し、共に審議されます。

○投入枠が30兆円から60兆円に拡大
・「金融国会」で成立した主な法律は「金融機能再生緊急措置法」(再生法)/「金融機能早期健全化緊急措置法」(健全化法)です。その予算として第2次補正予算が組まれます。

・この1つ目の特徴は、長期信用銀行(長銀)への大規模な税金の投入です。再生法により、一時的に国有化し、税金で身綺麗にし、他の銀行に譲渡します。そして譲渡先の銀行にも資本注入が可能になります。1998年10月法律が成立すると、長銀は「特別公的管理」を申請し、国有化され、税金が投入されます。
・国会審議で大蔵省は「長銀は破綻していない」とし、3月に1766億円の公的資金が投入されます。しかし半年後には「長銀は破綻していた」として、法律を適用したのです。※法律の成立前に公的資金が投入された?

・2つ目の特徴は、「健全な銀行」からも不良債権を買い取る事が可能になりました。それまでは破綻処理の一方策として不良債権を買い取るだけでした。「再生法」により全ての銀行から、不良債権を買い取るようになりました。

・3つ目の特徴は、「健全化法」により全ての銀行に対し、株式を購入し資本を増強させる事が可能になりました。それまでは「破綻の蓋然性が高い銀行」に限られていました。

・4つ目の特徴は、空前の規模の公的資金が投入された事です。預金保険機構に、「金融再生勘定」18兆円/「早期健全化勘定」25兆円/「特例業務勘定」17兆円の3つの勘定が準備されます。宮沢大蔵大臣は「30兆円も必要ない」と言っていましたが、60兆円に拡大されます。※「至れり尽くせり」だな。

-システミック・リスクを理由にした公的資金投入論の破綻
・政府は「公的資金を投入しなければ、システミック・リスクが発生する」と盛んに説明しました。日銀も「金融機関の債務不履行が連鎖的に起こる」としています。そしてその原因は、①銀行の債務超過、②銀行の信任低下による資金ショート、③コンピュータ・ダウン/事務ミスなどによる支払い遅延としています。そのため債務超過でない銀行は債務不履行になりません。そこで私は「債務超過でない銀行が資金ショートした場合、それを防げるか」と日銀総裁に質問しました。すると彼は「政府の資金でなくても、日銀特融でも資金を供給できる」と答弁します。従って宮沢大蔵大臣の「国民のお金を拝借しなければ対応できない」は、まやかしだったのです。

-公的資金の枠は70兆円に
・2000年預金保険法が改正され、公的資金の規模は60兆円から70兆円にさらに拡大され、これが恒久化されます。預金保険機構に交付する国債は、6兆円上積みされ、13兆円になります。さらに預金保険機構の一般勘定の借入に、4兆円の政府保証を追加しました。この10兆円が上積みされたのです。

-投入資金が返ってくる保障はない
・この投入した資金が返ってくる保障はありません。1998年10月参議院・金融特(※金融特別委員会かな)で、宮沢大蔵大臣は「特例業務勘定17兆円は破綻した金融機関の損失補填に使うため、返ってきません」と答弁します。再生勘定18兆円に対しても、「返ってこないのが現実と思われます」と答弁しています。健全化勘定25兆円に対しては、「返すように頑張りたいと思います」と答弁しています。メリルリンチのシニアアナリストは「半分程度が失われる事を、国民に明示する必要がある」と述べています。

○米国の圧力で、公的資金の投入が繰り返された
・公的資金の投入が繰り返された背景に、米国の圧力がありました。1997年11月三洋証券/北海道拓殖銀行が破綻した時、米財務副長官は「金融不安解消のため、公的資金の投入を検討すべき」と述べています。翌年3月大手行に1.8兆円資本注入され、さらに1999年3月大手行に7.5兆円資本注入されます。1998年9月日米首脳会談でもクリントン大統領が「存続可能な銀行に対し、十分な公的援助をすべきだ」「破綻前の公的資金投入をすべきだ」と要請しています。

-大銀行中心の金融再編
・公的資金の投入は、大銀行中心の金融再編にも使われました。「早期健全化法」に5原則が記されていますが、その1つに「金融機関の再編を促進する」とあります。大銀行に資本注入し、体力を付けさせたのです。これでは金融の発展になりません。

-貸し渋り解消の水増し報告
・銀行は不良債権処理のためとして、中小企業への新規融資/継続融資を渋ったり、融資の返済を迫ったりしました。この「貸し渋り」「貸しはがし」はどうなったのでしょうか。私は銀行の関係者から中小企業向け融資の水増しをやっている話を聞きました。1つ目の方法は、子会社/関連会社に多額の貸出をする方法です。2つ目の方法は、期末に優良な中小企業に対し短期の貸出をする方法です。他に資産を流動化させる特定目的会社(SPC)に貸出する方法もあります。こうして国民の目を欺いたのです。

○47兆円の公的資金が投入され、10兆円が国民負担に
・公的資金の投入は預金保険機構により行われました。当初は一般勘定のみでしたが、1996年以降増やされ、12の勘定が作られます。2018年9月までに48.4兆円の公的資金が投入されます(金銭の贈与19.0兆円、資産買取9.8兆円、資本増強12.4兆円、資本参加0.7兆円、損失補填等6.4兆円。※金銭の贈与?)。銀行経営の失敗のツケが、国民に回されました。
・本章で解説した様に、国家は金融・経済に介入し、庶民の財産を大企業・財界に提供したのです。財界は国家機構を利用し、国民から大規模の収奪を行ったのです。※リーマンショックでの米国の対応も似た感じかな。

第6章 財界と米国は、なぜ戦争する国にしたいのか

・本章では財界と政府の軍事政策の関係を見ます。経団連は米国のアジア戦略に協力するなかで創立されました。1950年朝鮮戦争により、経団連内に防衛生産委員会を作り、朝鮮特需で軍需産業を復活させました。経団連は当初から戦争推進と関係が深いのです。
・2015年9月経団連は武器などの輸出も国家戦略にすべきと主張し、その4日後に「戦争法」(安保法制)が参議院で強行採決されています。しかし安倍内閣は日本の軍需産業の拡大だけを進めているだけでなく、米国に協力し、日本を「戦争できる国」へと舵を切りました。

<1.戦争できる国への大転換>

・戦争法の成立を受け、米国は「日本の積極的な努力を歓迎する」と述べます(※この時はオバマだな)。2017年トランプ政権が誕生すると、彼は米国製兵器の大量購入を要望し、日本は米国の軍産共同体に一方的に奉仕するようになります。

○安倍内閣は軍拡をエスカレートさせる
・2012年12月第2次安倍内閣が発足すると、「日米防衛協力ガイドライン」を見直し、2015年4月に「新ガイドライン」を公表します、これにより自衛隊は、地球のあらゆる場所で対処できるようになります(※この年は安全保障が変容した年かな)。9月安倍内閣は戦争法(安保法制)を強行採決し、さらに10月防衛装備庁を発足させます。
・その後(※2013年12月だけど)特定秘密保護法を強行採決し、国家安全保障会議を設置し、「国家安全保障戦略」「防衛政策の大綱」「中期防衛力整備計画」(14中期防)を改訂します。2014年4月「武器輸出3原則」を廃止し、「防衛装備移転3原則」を作成し、武器輸出を可能にします。2015年1月「宇宙基本計画」を策定します。2016年11月南スーダンの「駆けつけ警護」を閣議決定します。2017年6月「共謀罪法」を強行採決し、12月イージス・アショアの導入を閣議決定します。2018年12月「防衛政策の大綱」「中期防衛力整備計画」(19中期防)を閣議決定します。※沢山あり過ぎる。

-軍事予算の急膨張
・2013年2月安倍首相は施政方針演説で「防衛関係費を増加させる」と述べています。トランプ大統領は日本の軍需産業は眼中になく、米国兵器の売り込みに熱心です。2018年11月日米首脳会談で彼は安倍首相に、米国製防衛装備品の購入を迫ります。翌月ステルス戦闘機F35の追加購入を閣議決定します。

・1970~90年代日本の軍事予算はGDPの伸びに従い増大します。しかし国際状況の変化で、2000年頃から軍縮に向かいます。しかし第2次安倍内閣が発足すると、急増に転換します。2012年4.7兆円から、19年5.3兆円に12%増大します。これは米国からの兵器購入が拍車を掛けたからです。20年概算要求には、ヘリコプター護衛艦の空母化やステルス戦闘機F35の追加購入が盛り込まれています。これにより日米共同での軍事行動が強化されます。

-コラム 軍備増強を求める経団連
・経団連は軍事予算の増額を強く要望してきました。2009年『我が国の防衛産業政策の確立に向けた提言』に、「産業基盤として規模・体制、共に不十分である」「安全保障には、適正な予算が必要である」と記しています。2015年『防衛産業政策の実行に向けた提言』でも、「防衛関係費の減少は止まったが、航空機・艦船・車両・火器・弾薬などの調達予算は増えていない」とし、軍事費の増額を求めています。

○軍事予算の基本的な仕組み
・軍事予算は、「人件・糧食費」「物件費(事業費)」に分かれます。さらに物件費は「歳出化経費」「一般物件費(活動経費)」に分かれます。人件・糧食費は、給与・退職金・食費などの経費です。物件費は、装備品の調達・修理・装備/油の購入/教育訓練/施設設備/宿営費/技術研究開発などです(※前者が人絡み、後者が物絡みかな)。2019年は総額5.3兆円で、人件・糧食費2.2兆円/物件費3.0兆円でした。

・しかし軍事予算は、これだけではありません。武器購入は何年にも亘るため、財政法の「国庫債務負担行為」「継続費」を利用しています(※この辺は知らなかった。これらは特別会計かな)。国庫債務負担行為は5年に亘って債務の負担が可能ですが、毎年国会での議決が必要です。継続費も5年に亘って債務の負担が可能ですが、支出権限も与えられます(※使途を変えられる?)。そのため護衛艦・潜水艦の建造に利用されてきました。

-コラム 予算の単年度主義
・予算は会計年度毎に編成されます。これは財政の計画性を保持し、歳入歳出を均衡させるためで、内閣が作成した予算には国会の議決が必要です。これは憲法86条に規定され、財政立憲主義を表しています。

-軍事予算の全体像
・2019年の軍事予算の全体像を見ます(※本感想文では、年度も年として記述しています)。「歳出化経費」は前年度以前に契約したもので、2019年に支払われる経費です(5年ローンをイメージすると良い)。次年度以降の支払分は「後年度負担(規定分)」で、2.8兆円あります。「一般物件費(活動経費)」は新たに契約し初年度に支払う経費で、1.1兆円あります。次年度以降の支払分は「新規後年度負担」で、2.6兆円あります。
・物件費を契約ベースで見ると、「一般物件費」と「新規後年度負担」で、3.7兆円になります。また前年度までに契約した「後年度負担(規定分)」と、今年度に新たに契約し、来年度以降に支払う「新規後年度負担」は5.4兆円あります(後年度負担)。

・この「後年度負担」が増加傾向にあり、補正予算にこっそり組み込まれるようになっています。2010年3.0兆円だったのが、2019年5.4兆円になっています。本年度の軍事予算は5.3兆円ですが、後年度負担が5.4兆円あり、実際の軍事費は10兆円を超えているのです。※半分が頭金で、半分がローンかな。

-防衛調達特措法による財政民主主義の破壊
・2015年安倍内閣は5年分割では負担を吸収できないため、軍事費に限り10年分割を可能にします(防衛調達特措法)。2019年にはさらに5年延長させます(防衛調達特措法改正案)。1947年財政法が制定された時は3年でしたが、10年に延長されたのです(※15年?)。これは米国から巨額の武器を買い、日本を「戦争できる国」にするためです。

-装備品の輸入調達、FMSの急増
・装備品の調達ルートは、「国内調達」「輸入調達」に分かれます。国内調達には、国内で製造された物以外に「国内開発」「国際共同開発」があり(※開発には製造・生産も含まれそう)、さらに外国で開発された物を国内で生産する「ライセンス生産」があります。輸入調達には、外国から装備品・役務を調達する「一般輸入(有償援助以外)」と、日本と米国と相互防衛援助協定に基づき米国から装備品・役務を調達する「有償援助」(FMS)があります(※購入なのに援助とは変だな)。2019年の契約額を見ると、海外調達が3割を占めました。これはFMSが増えたためです。

・FMSは日米相互防衛援助協定に基づき、米国の軍需産業が製造した装備品を同盟国に売りつける方式です。この協定は、①契約価格/履行期限は見積りで、米国はこれに拘束されない、②支払いは前払い、③米国は契約を解除する権利を留保するとなっており、屈辱的な内容です。
・安倍政権になり、このFMSが急増しています。2000年433億円が、2019年7013億円に増えています。その内訳は、早期警戒機1940億円/イージス・アショア1382億円/F35戦闘機730億円/滞空無人機71億円/オスプレイ393億円などです。※それで両首脳は笑顔でゴルフができる。
・中央調達を契約相手別で見ると、2012年米国は4位(1332億円)でしたが、2017年1位(3807億円)と3倍に増えています。国民の血税が米国に流れているのです。国内の軍需産業は縮小しており、防衛装備庁は「我が国の防衛生産・技術基盤の状況は厳しくなっている」と述べています。

○国産化路線の行き詰まりと、米国製兵器の爆買い
・山崎文徳が論文『F35の大量購入と日本の防衛産業』を書いています。戦後日本はライセンス国産化(※ライセンス生産?)し、自主開発による国産化に取り組んできました。ところが1980年代ジェット機の自主開発が米国により阻まれ、以降共同開発/外国機購入に転換します。
・1950~57年国内調達は2415億円で4割しかありませんでした。1958~60年「第1次防衛力整備計画」(1次防)で2789億円(62%)、1972~76年4次防で2兆158億円(93%)と国内調達の割合が高まります。1980~2000年代は国内調達が9割を占めていました。ところが安倍内閣になり、国内調達は7~8割に低下します。
・防衛庁/防衛産業はジェット機の国内自主開発を悲願としていました。しかしF1の後継機F2の自主開発が米国に阻まれ、1987年F16の共同開発に決まります。2014年「防衛装備移転3原則」は国際共同開発が目的でしたが、日本はF35の開発・生産に参加できませんでした。結果日本は購入するだけの立場になり、F35を105機購入したのです。

-日本の武器輸出
・安倍内閣は「武器輸出3原則」を破棄し、「防衛装備移転3原則」で武器輸出を解禁しました。ところが武器輸出は進んでいません。F35はロッキード・マーティンを中心に9ヵ国が共同開発しました。日本は不参加なので、改修・修理もできません。
・完成品輸出の実績はゼロです。2016年豪州への潜水艦の輸出は仏国に奪われます(※米国の原潜に置き換わった分かな)。アラブ首長国連邦への輸送機C2の輸出も失敗します。そもそも日本は平和主義なので、軍需産業は平和産業に転換すべきです。

<2.軍需産業4団体と経団連>

○軍需産業の基本性格
・軍需産業は特異な性格を持ちます。企業は市場の拡大を本能とします。しかし軍需においては需要は限定され、経営に悩まされます。軍需産業には以下の矛盾があります。第1に、軍需物資は自由に取引されるものでなく、国の注文で生産されます。そのため品目・数量・価格は事前に決められます。しかし高利益は保障されます。
・第2に、軍需物資は人を殺傷し、器物を破壊する物です。そのため不生産的浪費を拡大し、社会的生産の拡大再生産に否定的で、国民経済の均衡ある発展を阻害します。※もっと平易な言葉で解説して欲しい。
・第3に、軍事予算は財政を歪め、国民の福祉・社会保障予算を圧迫します。軍需産業は「死の商人」と呼ばれ、それを隠蔽するため「経済への波及効果がある」と宣伝しています。また「秘密保護」態勢になり、国民の知る権利を否定し、民主主義を圧殺します。

○日本の軍需産業団体
・日本には、①経団連の防衛産業委員会、②日本防衛装備工業会、③日本航空宇宙工業会、④日本造船工業会の軍需産業団体があります。これらの4団体は防衛省と密接な関係にあります。

-経団連の防衛産業委員会
・防衛産業委員会の委員長などは公表されていますが、参加企業は公表されていません。経団連には他に、宇宙開発利用推進委員会/海洋開発推進委員会などがあります。

-日本防衛装備工業会
・日本防衛装備工業会は軍需産業の包括的な業界団体です。1951年に創設された日本技術生産協力会が前身で、1988年同工業会は設立されます。正会員135社/賛助会員48社です。会長は三菱重工業、副会長はいすゞ自動車/ダイキン工業/日立製作所です。理事長は元通産・防衛官僚が就いています。典型的な産軍官の癒着です。

-日本航空宇宙工業会
・日本航空宇宙工業会は、航空機/人工衛星/ロケット/エンジンなどに携わる企業が参加しています。正会員89社/賛助会員49社です。会長は三菱重工業、副会長は川崎重工業/ナブテスコです。1952年航空工業懇談会として発足し、1974年宇宙開発が加わり、同工業会に改組されます。※軍需オンリーではないと思うが。

-日本造船工業会
・日本造船工業会に、法人会員17社/団体会員1団体が加盟しています。会長はIHI、副会長は住友重機械工業/三菱重工業/川崎重工業などです。会員の多くは軍艦の製造に携わっています。※これも軍需オンリーではなく、軍艦の建造は上位数社かな。

-経団連役員企業と軍需産業
・経団連役員企業38社と業界団体(日本防衛装備工業会、日本航空宇宙工業会、日本造船工業会)の関係を見ると、38社中14社(37%)が何れかの業界団体に属しています。

<3.経団連ビジョン>

・経団連は「将来の日本」「国のかたち」を示した『経団連ビジョン』を公表してきました。これまでに、①『魅力ある日本-創造への責任-経団連ビジョン』(1996年、96ビジョン)、②『活力と魅力に溢れる日本をめざして』(2003年、03ビジョン)、③『希望の国、日本』(2007年、07ビジョン)、④『「豊かで活力ある日本」の再生』(2015年、15ビジョン)を公表しています。

○専守防衛を強調した「96ビジョン」
・1996年『魅力ある日本』(96ビジョン)が公表されます。これには「世界の平和と繁栄に積極的な役割を果たす」との章があり、「日米安全保障体制を基軸にする」「専守防衛に徹し、シビリアン・コントロールと非核3原則を堅持し、高度で柔軟な防衛力を保持する」とあります。また世界的な軍縮を課題としています。この背景に冷戦終結・ソ連崩壊がありました。
・しかしこれに反し、対米従属下での軍備増強と自衛隊の海外派遣を求めています。「防衛生産・研究開発での協力を拡大し、装備を高度化する」「受動的な外交から、能動的な外交に参画する」「平和維持活動を拡大する」などが記され、対米協力/国際貢献の拡大が強調されています。※湾岸戦争で日本が非難されたためかな。

-日米安全保障産業フォーラム
・1997年経団連の防衛産業委員会が「日米安全保障産業フォーラム」(IFSEC)を設立します。同年日米防衛・装備技術協力を推進する『日米共同提言』を公表します。
・2002年『日米安全保障産業フォーラム・共同宣言』が公表されます。ここで日本の武器輸出管理政策の柔軟な運用を求めています。これは「米国=供給者、日本=顧客」の関係から、パートナーシップ関係への転換です。この様に、米国の軍産複合体に積極的に協力し、「武器輸出3原則」の柔軟な運用を求めています。

○リーダーシップ強化を求めた「03ビジョン」
・2003年『活力と魅力に溢れる日本をめざして』(03ビジョン)では、経済安全保障が打ち出されます(※この頃から経済安全保障が意識されていたのか)。「新エネルギーの開発」「食糧の増産・備蓄」「東アジアでのインフラ共同整備」「アジア通貨基金の創設」などを提案しています。
・これまで日本は東アジアに対し「深い反省」があったが、東アジアで強いリーダーシップを求めるように変わります。そのため国内では「首相のリーダーシップが十分に発揮される政治体制」を求めています。

○憲法改正を掲げた「07ビジョン」
・2007年『希望の国、日本』(07ビジョン)では、「憲法改正」が掲げられます。「現行憲法には規定と現実の乖離、国際平和での主体的活動の制約などの問題がある」「国際社会で日本が果たすべき役割を踏まえ、幅広く検討する必要がある」と記されます。

・「07ビジョン」が公表されたのは、第1次安倍内閣が誕生した直後でした。当ビジョンが掲げた主な改憲内容は以下です。①第9条第1項の平和主義は維持するが、第2項の戦力不保持を見直し、自衛隊を明確化する。②自衛隊の国際貢献を明示し、集団的自衛権の行使も明示する。③憲法改正要件を緩和する。

-「我が国の基本問題を考える」がベースに
・「07ビジョン」のベースになったのが、2005年『我が国の基本問題を考える』です。これは経団連が初めて憲法改悪(※いきなり改悪)に踏み込んだ提案でした。これには「基本問題の第1は、安心・安全のための安全保障で、国際社会への積極的な関与、信頼獲得のための外交が必要である。第2に、これを実現するためには憲法の見直しが避けられない」と記されます。
・安倍はこの「改憲ビジョン」に後押しされ、「5年以内に改憲する」と訴え、総裁・首相に就きます。しかし2007年参議院選挙で議席を減らし、総辞職します。

○新たな軍拡を求めた「15ビジョン」
・2012年12月第2次安倍内閣が誕生し、2015年6月『豊かで活力ある日本』の再生』(15ビジョン)が公表されます。公表に際し、榊原経団連会長は「2030年までに目指す国家像を掲げ、それを実現するための政府・国民・経済界の課題を纏めた」と述べます。また安全保障は、「改憲」「自衛隊の海外派遣」を打ち出した「07ビジョン」を拡大し、人工衛星/ロケットなどの「宇宙」にまで広げます。

-宇宙基本計画に向けた提言
・「15ビジョン」を公表する前(2014年11月)、経団連は『宇宙基本計画に向けた提言』を提出し、宇宙産業予算の停滞を訴えています。この背景に、対米従属での日米宇宙協力があり、日米安保条約(軍事同盟)からの米国の圧力があり、軍拡により高利潤を得ようとする財界・軍需産業の要請があります。
・この軍需産業の働きかけは、日本を米国の軍産複合体に引き込み、国民の税負担を強要し、国民の福祉・教育・医療・介護・年金を破壊します。これは安倍内閣と野党・市民の闘いであり、戦争法(安保法制)の廃止と立憲主義の回復を求める闘いです。

おわりに

・私が生まれたのは1945年で、戦後の動きを肌で感じています。高度経済成長は17年(1955~72年)しかなかく、それから既に50年経ちます。その間に、狂乱物価/オイルショック/異常円高/バブル経済/リーマンショック/派遣切り/長期停滞などがありました。そして今は「重苦しい社会」になりました。

・私は1996年衆議院議員に当選し、以降2014年まで6期18年務めました。その間に首相は10人交代しました。その後ろにいる支配者は誰なのか、どの様な方法で政府を動かしているのか、それを常に考えてきました。議員引退を機に、これに取り組む事にしたのです。その成果の1つが『財界支配-日本経団連の実相』(2016年)です。そしてさらに調査・研究して書き上げたのが本書です。

・社会構造の捉え方は様々です。マルクスは「土台に経済的な仕組みがあり、その上に法律/政治/イデオロギーなどの上部構造がある」とし、「土台(経済的構造)の変化は上部構造に変化をもたらす」としています(※本文省略)。そしてこの土台の変化を促すのが、労働者階級の実践なのです。※経済(現実)を土台としているのか。唯物史観かな。

・もう1つ重要なのが「国家独占資本主義」の考え方です。「資本主義が発達すると、資本主義の巨大な力と国家の巨大な力が結合する」「国家は経済に恒常的に介入し、大企業・財界の利益が継続され、国民は収奪される」との考え方です(※この考え方は知らなかった。「開発独裁」があるが、多少似ている)。これは時代の変化に応じて登場し、戦争時は「戦時国家独占資本主義」、高度成長期には「資本蓄積型国家独占資本主義」として登場しました。そして今のグローバリゼーションの時代でも、新しい姿で登場しようとしています。

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