『オーガニック革命』高城剛(2010年)を読書。
オーガニックについて詳しく知りたかったので選択。
本書の内容がオーガニックの全てとは思わないが、オーガニックについて多少は理解できたと思う。
しかし料理/芸術などは詳しくないので困った。
第2章は英国のグローバリゼーションを解説。
英国の20世紀は、ブレア政権(1997~2007年)の期間としている。これは面白かった。
第3章はオーガニックな生き方を解説。
まずは有機野菜の購入から始め、最後は自身で有機栽培する事を勧めている。
20世紀は効率を追求する米国化の世紀で、これを否定している。
お勧め度:☆☆
内容:☆☆
キーワード:<はじめに>定住、<オーガニック・ロンドン>グローバリゼーション、資本主義・大都市、リキッド化、ハイパー・ノマド、グリーン、デイルズフォード、ソイル・アソシエーション、チャールズ皇太子/ジェイミー・オリバー、ホメオパシー、オーガニック・マーケット、<オーガニックに至る道>オープン化、20世紀、サッチャー/ブレア、金融危機、米国、<オーガニック・ライフ>日本人、食料自給、マクロビオティック、ファーマーズ・マーケット/家庭菜園、効率化
はじめに
・今は20世紀から21世紀への乗り換えの時期で、人も社会もグチャグチャになっている。ここで私(※著者)は、定点からモノを考えるのを止めた。そして生活拠点も変える事にした。人は目前の事しか見えなくなっている。物事の本質を見極められるようになるため、定住を止めた。
・一番危険な思想はポジティブ・シンキングと云われる。これを誤解した人が、世界的な金融危機をもたらした。”欧州最高の頭脳”ジャック・アタリは、「危険を語る者は、悲観者と云われた」「監視社会の行く先が人になると、社会は崩壊する」と述べている。監視すべきは物である。
・そんな意識から定住を止めた。そのため多くのモノを処分した。また食料の入手方法も変わり、今は自分で作ろうとしている(※毒入餃子事件とかあったな)。10年前は、都心に住み、ポルシェに乗り、夜な夜な遊び歩いていたが、今は毎年住む場所を変え、世界にある提携農園を回っている。食住を述べたので衣を付け足すと、定住しないので衣を持つ事も買う事も減った。
・2007年定住を止め、最初にロンドンに住み、そこで「オーガニック」を学んだ。もし20年前であれば、パンク/ニューウェーブに嵌まっただろうが、オーガニックの虜になったのだ。これは新しい潮流で、日本にも広まるだろう。それを紹介する。
第1章 21世紀のオーガニック・ロンドン
○真のグローバリゼーションは、リキッド化した世界
・20世紀の戦争やギャンブル資本主義は終わる。次に来るグローバリゼーションは、フラット化とリキッド化である(※グローバリゼーションを分けるのは面白い発想だ)。これまでのグローバリゼーションは、アメリカナイゼーションだった。かつてトーマス・フリードマンは『フラット化する世界』で、「ITはグローバル化を促進し、世界は小さくなり、フラット化する」と書いている。
・私は世界はリキッド化すると考える。一極から多極になり、流動的になり、ブロック化する。メディアを例に取ると、10年前はテレビ/雑誌が主流だった。しかしインターネットにより個人の発信も可能になり、フラット化した。また大小様々なコミュニティが形成され、この状態をリキッド化と呼んでいる。
・日本で云えば、東京のパワーダウンである。一極集中は様々な問題を起こした。バランスを取る事(フラット化)が重要である。最近「資本主義の崩壊」がトピックになるが、これは「都市システムの崩壊」なのではないか。これから地方分権が進むと思われる。大都市の不動産価格は下落している。大都市の崩壊は進むのだ。そこで重要なのが「オーガニック」の思想である。今都市に住む魅力はない。都市以外に住む方がリスクは少ない。これが成熟した国家の未来像だろう。
・1997年私は『デジタル日本人』を書いた。そこで「第3の土地」を提言した。祖父の時代は、住む家と働く場所が近かった。父の時代は、働く場所(第1の土地)は都心で、住む家(第2の土地)はベッドタウンになった。これからは情報社会の発展で、郊外の安息地(第3の土地)で生活する人が増える。都心から2時間も離れると、不動産価格は驚くほど安い。2009年からはバルセロナに住んでいるが、生活費は東京/ロンドンの1/3で済む。文化でも大都市のストリート・カルチャーから、カントリーサイドのフィールドに移動するだろう。
・さらにリキッド化した世界では国境は消滅する。国民を国境と云う囲いの中で守る事ができなくなる。世界は米国に代わる大国を必要とするだろうが、それは現れない。世界は混乱するが、数十年後に世界統一の政府/軍隊/銀行が現れるかもしれない。市場は世界になっているのに、統一ルールはない。これが必要になる時代がくる。それまで世界は揺れ動く。
・この混乱の世の中では、自分は自身で守るしかない。余剰を捨て、流動性を高め、自身をリキッド化する必要がある。これが21世紀を生き抜く方法である。
○ハイパー・ノマドの時代
・今は自分の人生を他人に預けてはいけない時代になった。どうすれば良いか、水・食料/資源・エネルギー/外交/娯楽の範囲で述べる。まず「水・食料」は、有事の際の買い置きも必要だが、良いと思った食料がどうやって作られ、どう運ばれるかを確認した方が良い。
・「資源・エネルギー」では、今は様々な物が電化されている。携帯電話もパソコンも電気がないとガラクタだ。これも電気が、どう作られ、どう送られるのか確認したい。さらに自分で電気を作る事も考えたい。※要するに自給自足だな。
・「外交」とは国家間の事ではなく、地域/ブロック/コミュニティなどの異なるコミュニティ間の対話・交流を意味する。これに危機管理・健康管理なども含まれる。※もう少し説明が欲しい。
・殺伐とした世の中だと「娯楽」が必要になる。今のメディアは、「個」「自由な時間・場所」「デジタル」が軸なので、ユーチューブなどが主流になるだろう。私が考える娯楽は宗教に近い。「人間とは?」「私は誰なのか?」などを自問自答するので、お金はいらない。従って哲学とも云える。娯楽は乱世において精神的な保険になる。
・2007年『サヴァイヴ!南国日本』を書いた。そこに実際に導入しているライフサイクルを書いている。まず農場で乳牛1頭を飼っている。また複数の果樹園と提携し、美味しい食料を確保している。ハワイにはコーヒーの木を植えた。西表島には風力発電施設を作った。旅先ではソーラーパネルを持参するため、電力をどれだけ使うかも理解している。この20年間で溜め込んだ物は処分した。会社も売却した。持ち物はスーツケース数個分になったので、いつでも移動ができる。
・こうして様々なコミュニティを移動し、情報を収集し、分析する事が可能になった。そのためインターネットの情報は、古い情報と思っている。ジャック・アタリは国籍・人種・言語・仕事の壁を乗り越えた人を「ハイパー・ノマド」と呼んだ。彼らは真実を知っている。
・価値観の変化も大きい。例えば自動車を購入する場合、20世紀ではデザイン/ラグジュアリーを重視したが、今は燃費などを気にするようになった。さらに言えば、自動車が必要なのかを考えるようになった。英国ではEVが増え、街中に電気スタンドがある。しかしその電気は仏国の原発で発電された電気である。
○ポスト・デジタルとしてのオーガニック
・今は価値観が「所有」から「共有」に変わっている。欧州では自転車の共有が盛んである。モノを持たないのが21世紀的発想である。20世紀のアメリカンドリームは、成功し財を溜め込み、豪邸に住む事だった。私もそう思っていたが、その反動が今のライフスタイルである。
・この様なパラダイムシフトを80年代の米国西海岸で感じた。この時、全てのコンピュータ・ユーザーが未来が変わると確信していた。それまではコンピュータは政府・企業のモノだったが、それを個人に「解放」する革命だった。
・これと同じ感覚をロンドンのオーガニック・マーケットで感じた。そこには大量生産・大量消費が支配した20世紀から、人間らしい生活を取り戻そうとする人々がいた。彼らは資本主義の合理性追求から食品を「解放」しようとしていた。
・米国西海岸のデジタルの熱狂を共有した友人達は、今は環境活動家などになっている。『ホール・アース・カタログ』を書いたスチュアート・ブランドは、1万年に亘って時を刻む時計を作ろうとしている。彼の目は将来に向けられ、ポスト・デジタル時代のグリーン革命に向けられている。※詳細省略。
○エコ/グリーン/オーガニックの違い
・オーガニックについて私の考えを述べる。一般的にはオーガニックは無農薬有機栽培の事で、その農業手法や有機食材を指す場合が多い。しかし英語の「organic」には「有機」以外に「生命の」「本質的な」などの意味がある。またスペイン語・仏語では「organic」ではなく「bio」で、これは「生」を意味する。つまりオーガニックは人間の本質であり、そのライフスタイルそのもので、人生を良くするための哲学である。
・日本では「オーガニック=有機農業」の認識が根強い。また「エコ」「グリーン」との違いも理解されていない。「エコ」と「グリーン」は同義語である。ただし、オバマの「グリーン・ニューディール政策」やトーマス・フリードマンの『グリーン革命』など、「グリーン」の方が斬新である(※簡略化)。日本の環境省は「エコツーリズム」、農林水産省は「グリーン・ツーリズム」を進めている。しかし両者に大きな違いはない。
・この「エコ」「グリーン」と「オーガニック」には大きな違いがある。前者は地球環境を中心とした考え方で、後者は人間を中心とした考え方だ。従って温暖化防止/異常気象/水不足・食料不足などは「グリーン」である。一方「オーガニック」は個人の意識であり、有機食材/オーガニック・コスメ/オーガニック・コットンなどが該当する。※理解できた。
○自分の健康の先に、地球の健康がある
・しかしこれらは根本で繋がっている。有機食材を選ぶ人が増えれば、地球環境に優しい。自転車に乗る人が増えれば、温暖化防止になる。私がオーガニックを選んだのは、個人の体調・精神を良好に維持できからで、正義感から「地球にために・・」などをモチベーションにするのが苦手だからだ。またオーガニックは取り組みやすい。※詳細省略。
・私がオーガニックに嵌まった切っ掛けは、「人間は水7割/炭素3割でできている」と知ったからだ。炭素はタンパク質/脂質/炭水化物の元になっている(※炭素は4本手で重要)。「本来の食べ物を食べれば、バージョンアップできるかもしれない」と考えたからだ。※これはよく分からない。
・40歳までジャンクフードやコンビニの弁当ばかりを食べていた。それで健康でいられたのは奇跡である。オーガニックに切り替えると、心身共健康になった(※詳細省略)。自分の健康の先に、地球の健康がある。これがオーガニックの本質である。
○新オーガニック主義は、パンクの国で生まれた
・今ロンドンの最先端は「土曜日午前中のピムリコロード」だ。そこにはカフェ「デイルズフォード・オーガニック」(daylesford organic)がある。90年代がスターバックスの時代なら、これからはデイルズフォードの時代になると云われている。食材だけでなく、コスメ/食器/衣服まで揃えている。デイルズフォードはコッツウォルズの小さなカフェから始まった。そのカフェの隣にバンフォード卿の農園があり、そこから食材を供給している。値段は高いが、ハイセンスのデザインで欧州中から人が訪れる。
・「土曜日の午前中」と指定したのは、土曜日の午前、目の前の公園でファーマーズ・マーケットが開かれるからだ(※地図で見ると、デイルズフォード・オーガニックとファーマーズ・マーケットが隣接している)。ここで新しいオルガニック・ムーブメントが起きている。※オルガニック・ムーブメント≒新オーガニック主義かな。
・ロンドン各地で同様の光景が見られる。オーガニックな野菜・魚・肉が揃い、値段も安い。ここで食材を買い、オーガニックなランチを食べるのが、ロンドナーのおしゃれな週末である。
・このムーブメントは疲弊した金融国家英国に対する反逆である。そのためマーケットにはミュージシャン風情や堅気に見えない人が多くいる。※セックス・ピストルズのジョン・ライドンの話が記されているが省略。
・このムーブメントの背景に、行き過ぎた資本主義に対するアンチテーゼがある。英国の物価は上がり続けているが、賃金がそれに追い付いていない。90年代以降のBSEや口蹄疫の大発生も影響している。
・90年代英国で「フードマイル」の運動があった。これは生産地から消費地までの距離を意味する。ファーマーズ・マーケットは地産地消の実践である。英国の友人は、これを反社会的行為と認識している。しかし彼らは愛国者であり、反グローバリズムで、行き過ぎた資本主義を嫌っている。これがオーガニックで、上流階級から庶民、右翼から左翼まで広がっている。
○英国は元々オーガニック先進国だった
・有機農業/有機食品はオーガニックの1ジャンルである。しかし人間が化学肥料を使う前は、全てが有機農業だった。化学農業は1940年代に始まった。1947年英国で農業法が制定され、農家に補助金が支払われるようになる。1958年欧州経済共同体(EEC)は共通農業政策(CAP、※聞いた事がある)で、農産品価格の安定/補助金などの方針が決まる。英国は1961年食料自給率は42%だったが、2003年70%にまで高めている。一方日本は78%から40%に下げている。
・戦後英国は農業の増産に努めた。しかし化学肥料を大量に使い、環境破壊を起こした。そのため環境保全型農業(有機農業)に向かい始めた。1986年農業法を改正し、環境保護を目的とした環境脆弱地域事業を始める(※詳細を説明して欲しい)。これは英国からECに広まる。この様に英国は環境に配慮した農業の先駆けなのだ。
・(※病理学者・微生物学者アルバート・ハワードの解説があるが省略)彼の教えにより、「ソイル・アソシエーション」(土壌協会)が設立される。当協会はオーガニックの認定機関になっている。英国は新オーガニック主義をリードする国である。
○英国人はムダを嫌う等身大民族
・英国人には「良い土壌から生まれるモノは美味しい」の伝統的な価値観がある。英国のオーガニック・ムーブメントは、この様な価値観に根差している。日本の様な安全/健康ではない。英国人は「土いじり」が好きで、19世紀後半「家庭菜園法」が成立している。これは市民が要求すれば、自治体が菜園を提供する法律である。戦後衰退するが、近年希望者が急増している。
・英国料理は「不味い」が通説だが、ポンド高とバブルで変わってきた。90年代以降、世界の有名レストランが英国に進出している。有名シェフが登場する料理番組が多く放送されるようになり、書店にも彼らの書籍が並ぶようになった。
・一方バブルはブランド好きの層を生み出した。彼らはインド/ロシア/アラブの新興成金で、高級住宅に住み、高級車に乗り、爆買いした。彼らはオーガニック食品も爆買いした。ただし今は彼らの数は少なくなっている。オーガニック食品の価格は、一般の食品の1.3倍位する。彼らがオーガニック食品を購入したお陰で、英国のオーガニック農業は年30%の成長ができた(※ビックリ)。ベビーフードは8割がオーガニックになった。金融危機後もオーガニック市場は好調で、前年比1.7%増となった。特にファーマーズ・マーケットは18.6%増となった。英国では子供の肥満が問題になっており、その点からもオーガニック食品の購入が増えている。
○王室もオーガニックを実践
・英国ではチャールズ皇太子がオーガニック・ムーブメントを牽引している。1990年彼はオーガニック・ブランドを立ち上げ、自身が所有する農地で農作物を作り、販売している。ブランド名は「公爵領」(Duchy Originals)である。商品は、ビスケット/ショートブレッド/ベーコン/ソーセージ/牛乳/バターなど幅広い。さらにシャンプー/ボディローション/アウトドア用品/家具なども揃えている。
・ここで得られた収益は慈善団体に寄付され、農業・医療・環境・健康・芸術・教育などのプロジェクトを支援している。またコッツウォルズに出店し、紋章が付いたオーガニック商品を売っている。皇太子がオーガニックを推進しており、英国のオーガニック市場は安泰だろう。
・この様に英国のオーガニック・ムーブメントは、アッパー・クラスとワーキング・クラスが融合して生まれた。また愛国主義から地産地消を望む人や、食品の安全を望む人など、上下左右のカルチャーが融合している。
○有名シェフ、ジェイミー・オリバー
・皇太子の他に、オーガニック・ムーブメントに大きな影響を与えたのが、有名シェフのジェイミー・オリバーである。彼は仏国で修業し、ロンドンの複数のレストランでシェフを務める。1998年料理番組「The Naked Chef」に出演し、カリスマ・シェフになる。2009年G20の晩餐会で腕を振るっている。彼がオーガニックを積極的に取り入れ、オーガニック・ムーブメントに火が点いた。
・彼は学校給食の改善にも努めた。英国の給食はサッチャー時代の福祉削減により、1食37~50ペンス(56~75円)で、惨憺たる状況だった。彼は改善に取り組み、これがドキュメンタリー番組として放送され、大反響を呼ぶ。署名が27万件を超え、ブレア首相は予算を増額する。彼は養鶏場・養豚場の環境改善も訴え、その意志を受け継ぐ者も現れている。ロンドンでは「成りたい職業」のトップがシェフで、彼を継ぐ者も現れるだろう。
○オーガニック食品は野菜だけじゃない
・ロンドンで鶏料理を食べる時、メニューに「Free Range」(フリーレンジ)と書かれているか確認して欲しい。ロンドンでは、これが定着し、この表記がないと食べない。フリーレンジは鶏が自由に動き回れる環境で飼育する方法である。フリーレンジでないと、暗くて狭い鶏舎に閉じ込められて飼育される(インテンシブ、ブロイラー)。これは牛・豚にも共通で、公共放送BBCはその生産過程をドキュメンタリーとして放送している。
・家畜の飼育状況を消費者に紹介したのも、ジェイミー・オリバーである。2008年彼はテレビ番組「Jamie's Fowl Dinners」で放送し、大反響になる。この「命ある物、自然の物を尊ぶ姿勢」がオーガニック・ムーブメントを支えている。
・ただしフリーレンジ=オーガニックではない。オーガニックとして認証されるには、様々な基準をクリアしなければいけない。例えば「抗生物資の使用禁止」「成長に必要な81日間は飼育する」などがある。
○英国に伝わるホメオパシー
・オーガニックでは、家畜が病気になっても抗生物資を投与できない(※抗生物資は微生物由来では?)。そこで「ホメオパシー」(同種療法)が処方される。これは無毒・無成分の砂糖玉を服用させる方法で、本来は人間のための医療法である。これには健康保険が適用され、5つの病院が提供している。※これは人間用かな。漢方みたいな感じかな。たった5つの病院?
・エリザベス女王はホメオパス(ホメオパシーを施術する医師)を抱えている。そのため女王が海外に旅行する際は、64種類のレメディを携帯している。ホメオパシーは、1852年ドイツ人医師が英国に伝えたとされる。私もホメオパシーで花粉症が軽くなった。※ホメオパシーを詳しく紹介しているが、大幅に省略。
○オーガニックは生活態度、全てに影響する。
・オーガニックは生活全体に影響する。食品では、フルーツジュース/ワイン/調味料/お菓子/シリアル/スナック/コーラなどに及ぶ。食品以外では、コスメ(石鹸、シャンプー、ローション、クリームなど)、衣類(コットン、ウール)、ペットフード、家具・住宅まで及ぶ。
・私が注目するのは、オーガニック・レストラン/オーガニック・ホテルだ。先程のソイル・アソシエーションが認証しており、「食材の95%がオーガニック素材」「非オーガニック素材を使った調理器具は洗い流す」などのルールがある。パブ「デューク・オブ・ケンブリッジ」が、オーガニック・レストランとして有名である。
・オーガニック・ホテルはオーストリアの「The Bio Hotels」が認証している。オーガニック料理/ワインだけでなく、体験プログラムが用意される。私のお気に入りはスペイン・イビサ島の「アトサロ」だ。これはアグロツーリズモ(ルーラル・ツーリズム)で、農家に宿泊し、そこで獲れた作物の料理が提供される(※他も紹介しているが省略)。これが今のホテル・トレンドである。
・近年英国人はヘルシー志向に転じた。以前はジョギング/ウォーキングする人を見なかったが、今はよく目にする。これは地下鉄の初乗り運賃が4ポンド(600円)する事も要因かもしれない。また高級車も見なくなり、EVなどが増えた。これはガソリン車だと月2万円の混雑税を取られるためかもしれない(EVは無税)。※年24万円は相当な課税。日本は方法が逆で、CEV補助金かな。
・ロンドンは「グリーン・シティ」を標榜し、「1日2Km歩こう運動」「自転車利用運動」などを行っている。またロンドンは「グリーン革命」にも取り組み、前市長は古い電球を無料で新しい電球に交換させた(※LEDかな)。また新市長ボリス・ジョンソン(※現首相だな)も、「エコ・コンシャス」に取り組んでいる。
○オーガニックを選ぶセレブ
・セレブにも新オーガニック主義が広まっている。その代表がスティング夫妻だ。彼らはウィルトシャーにある城「レイクハウス」に住み、60エーカーの敷地で、野菜・果物を栽培し、豚・アヒルを飼育している。家族6人が半年間自給できる規模らしい。妻トルゥーディー・スタイラーはオーガニック料理のレシピ本を共著している。
・セレブは食品以外にも関心を持っている。コスメでは様々なブランドがある(※ブランド名省略)。ファッションでは、ポール・マッカートニーの娘がオーガニック・コットンのラインを出すらしい(※その他省略)。
○大勢の人で賑わうオーガニック・マーケット
・本章の最後でオーガニック・マーケットを紹介する。意識の高いロンドナーが、ここで生産者から直接買い付けている。ファーマーズ・マーケットを紹介しているウェブサイトもある(※URL省略)。ここに記載されている生産者は、厳しい審査に合格している。ファーマーズ・マーケットのスローガンは「We grow it, We sell it」(私達の手で育て、私達が売る)である。彼らは自らを「クリエーター」「プロデューサー」と名乗っている。彼らこそが次世代のクリエーターだ。
・私のお気に入りは、前述したピムリコロードのファーマーズ・マーケットである。ここは土曜日の朝9時にオープンする。価格はスーパーの1/3位だ。質問すると調理法など、何でも教えてくれる。
・ロンドンではホールセール・マーケット(卸売市場)も盛況である。ロンドン・ブリッジ駅の近くに「Borough Market」がある。これはローマ時代からある市場だが、人気スポットになっている(※欧州の都市の中心は、大概市場があった)。ここはロンドンで最大のオーガニック・マーケットで、木・金・土曜日はファーマーズ・マーケットになる。多種類の食材が売られ、大混雑になる(※「Billingsgate Market」「Smithfield Market」も紹介している)。オーガニックの宅配もある。
・2009年5月私は、第2回「real food festival」を見に行った。300以上のブースがあり、人気シェフによる料理ショーもあった。
第2章 オーガニックに至る道-金融帝国の狂騒と凋落
○流動性都市ロンドン
・2007年の年末、広場「ピカデリー・サーカス」(※渋谷みたいな場所かな)はかつてない異様な喧騒に包まれていた。そこはロシア人/東欧人/中国人/インド人/中東人で溢れていた。これは80年代から始められたグローバリゼーションのオープン化による。このオープン化は国籍に限らない。英国の金融機関の大半は、米国などに買収された。サッカー・チームの大半も外国人がオーナーになった。
・ロンドンは80年代の東京のバブルとニューヨークの「人種のるつぼ」を足して2で割ったようになった。ヒト・モノ・カネが絶え間なく循環する流動性都市に変貌した。2007年のロンドンは、覇権国家を思わせる勢いがあった。
○たった10年が英国の20世紀
・1997年は英国の節目となった。1つはトニー・ブレアの労働党政権の誕生で、もう1つはダイアナ皇太子妃の死である。この年より、英国のアメリカナイゼーションが始まる。
・その頃ふと気付かされる事があった。テレビで「勝ち抜き歌合戦」を見ていると、出演者がやたらと泣くのだ。感情を表に出すのは、英国人にはご法度のはずだ。英国は感情を潜め、冷静に振る舞う国から、米国的な「インスタントなエモーション」が蔓延する国になったのだ。
・人々の感情だけでなくライフスタイル/経済も、米国的な表層的価値観を根拠にするインスタントな方向に向かった。この「20世紀的なもの」が、サブプライム問題でノーザンロック銀行で取り付け騒ぎが起きる2007年9月まで続いた。つまりこの10年が英国の20世紀である。
○英国は1997年まで19世紀?
・私は「英国の20世紀は、1997年から2008年まで」と考える。第二次世界大戦後、米国/欧州/日本は高度経済成長を遂げるが、英国は長く不況にあった。
・英国は19世紀初頭に産業革命を成し、植民地からの豊富な原料で製品を作り、それを世界市場で売った。ポンドは基軸通貨になり、英国は「世界の工場」「世界の銀行」になった。その後貿易赤字になるが、蓄積した資金を海外に投資し、その利子収入が莫大なため、覇権国家を維持できた。
・ところが20世紀になると、世界恐慌/世界大戦で疲弊する。特に第二次世界大戦後に植民地が独立し、大きなダメージを受ける。充実した社会保障も足を引っ張った。さらにオイルショックにより10%を超えるインフレになり、失業者が増加し、病院/学校は閉鎖され、麻痺状態になる(英国病)。
○サッチャー政権による構造改革
・この死亡寸前の英国にカンフル剤を打ったのがマーガレット・サッチャーである。1979年彼女は首相になり、「新自由主義」を掲げ、改革を断行する。彼女は「小さな政府」を目指し、「国有企業の民営化」「労働組合の弱体化」「大規模な規制緩和」を実施する。1986年彼女は「株式売買手数料の自由化」「取引参加資格の開放」を行う(金融ビッグバン)。これにより米国などの外資が金融街シティに押し寄せる。これが製造業から金融業へのターニングポイントになった。
・彼女が「都市再開発」を推進した事も忘れてはいけない。ロンドン東部の「ドッグランズ」を再開発し、英国の3大高層ビルが建ち、金融街「カナリー・ウォーフ」として成長する。
○サッチャーが作った基盤に、ブレアが高価な包装紙でブランディングした
・彼女は徹底した自由化で英国を救うが、その代償として所得格差は拡大し、失業率も改善しなかった。また公共サービスの品質は低下し、特に医療・教育は荒廃する。1990年彼女は退任し、メージャーが継ぐが、1997年18年間の保守党政権は終わる。そして圧倒的支持で労働党のブレアが首相に就きます。
・彼は弱肉強食でもない、福祉国家でもない、「第3の道」を選択する。国民に自立を促し、貧しい者にはお金ではなく、働く機会を与えます。ただしこれはサーチャリズムの効果が表れ始めたタイミングでした。彼は彼女の規制緩和路線を維持し、福祉についても必要以上にサポートしませんでした。彼により英国経済は再生します。※ここから英国の20世紀が始まるのか。
○ブレアの国家ブランド戦略
・ブランディングは一般的には企業の戦略ですが、彼は国家に対し行います。彼が最初に着目したのがマーク・レナードのレポート『登録商標ブリテン』です。これはデザイン/アート/情報メディアなどのクリエイティブ産業によって英国をブランディングする戦略です。当時音楽界ではオアシス/ブラー、映画界では『トレインスポッティング』などの英国映画、ファッション界ではジョン・ガリアーノなど、アート界ではダミアン・ハーストなどが活躍していました。彼はこれらを「クール・ブリタニア」として世界にプロモーションしたのです。
・彼はクリエイティブ産業を、デザイン/音楽/建築/ファッション/映画/演劇/アート/工芸/ソフトウェア/コンピュータ・ゲーム/テレビ・ラジオ/広告/出版の13分野に分け、多額を出資します。「クリエイティブ産業特別委員会」を組織し、官民共同で産業育成します。※クール・ジャパンはこれを真似たかな。しかしこれが英国由来とは知らなかった。
○ロンドンはゲイ・フレンドリーな街へ
・私が触れておきたいのは「ピンクポンド」である。英国には同性愛者が多く、360万人(6%)が同性愛者である。彼らによる消費約10兆円がピンクポンドである。彼らの平均年収(3.4万ポンド)は、英国人の平均(2.5万ポンド)を大きく超える。彼らは外食/服飾/旅行/パーティー/オペラ/コンサートなどに惜しみなく出費し、クール・ブリタニアを支える。
・そのためかブレアはLGBTに支援的な姿勢を取った。内閣には4人の同性愛者が含まれていた。同性婚を認める「同性市民パートナー法」も成立させている(※これも自由化の最終ステージかな)。2000年ケン・リヴィングストンがロンドン市長になるが、彼もLGBTを擁護した。2006年欧州最大のゲイの祭典「ユーロ・プライド」がロンドンで開催されるが、有名企業がスポンサーになった。※米国に関しては多少興味があるが、英国に関しては疎いと感じた。
○移民政策/グローバリゼーションへの対応
・「人と金は、外から集めろ」、これが英国の呪文になる。かつてグローバル企業はニューヨーク証券取引所に上場していたが、ロンドン証券取引所に変わる。それは市場が規制緩和により柔軟になったからだ。これはサッチャーが始めたが、ブレアも引き継ぎ、2001年には法人税の減税やキャピタル・ゲインの軽減などを行う。これにより海外企業による英国企業の買収ラッシュが始まる。鉄鋼のコーラスはタタ・スチールに、工業ガスのBOCはリンデに、ガラスのビルキントンは日本板硝子に、タバコのギャラハーはJTに買収される(※以下省略)。2005年外資による直接投資残高は対GDPで38%に達した。
・この発想で英国は、人・金を急速かつ大量に集めた。その中心になったのが、外国企業・外国人である。サッカーのプレミアリーグは、20クラブ中8クラブが外国の所有になった。プレイヤーも世界の有名プレイヤーを集めた。これは「ウィンブルドン化」と呼ばれた。
○大金持ちとビジネスマンの流入
・これを支えたのが、BRICs/中東の新興国マネーである。この起点になったのが2001年9.11テロである。米国が外資の規制を強化したので、それが英国に流れた。原油・天然ガスが高騰したため、ロシアでバブルが起こり、2006年モスクワは「世界一物価が高い都市」になった。そこで生まれた富豪が英国になだれ込んだ。
・英国はオイルマネーに対する対応も早かった。イスラム金融では利子の概念がなく、配当の形を取る。そこで英国は配当も課税対象から控除し、イスラム債の発行を促した。
・また英国の税制には「本拠がある」(永住する)/「本拠がない」(永住しない)の区別がある。「本拠がない」場合、税制で優遇され、海外での所得に課税されない。これは稀な税制で、世界から大金持が集まった(ただし2008年改正される)。
・英国に集まったのは大金持だけではない。2004年EUが拡大し、東欧からの移民を受け入れた。彼らは2012年ロンドン・オリンピックの安価な労働力になった。しかし大金持や移民に対し不満を持つ生粋の英国人もいた。
○英国の20世紀はブレアと共に去る
・英国の20世紀とブレア政権の期間は一致している。英国の好景気/失業率低下/教育・福祉の拡充/北アイルランド和平は、この時代に成された。しかし負の遺産もある。2003年米国に同調し、イラクに派兵する。仏国/ドイツ/ロシア/中国は派兵に反対するが、それなのに英国は派兵する。それは米国と欧州の橋渡しになろうとしたためだ。この派兵により政権の支持率は低下する。2007年5月国民の不満は頂点に達し、彼は退陣を表明する。
○凋落の足音が聞こえ始める
・2007年6月労働党のゴードン・ブラウンが首相に就く。彼はブレア政権を10年年間、財務相として支えた。しかし就任直後からサブプライム問題が襲い掛かる。2007年夏、米証券会社ベア・スターンズの傘下のヘッジファンドが破綻する。9月には住宅金融の大手金融機関ノーザンロックで取り付け騒ぎが起こる。米国のサブプライム問題が、英国に飛び火したのだ。
・その日私はブログに不安を記している(※本文省略)。しかし英国経済に危機感はなかった。不動産価格は相変わらず高値を付け、GDP成長率も3.1%と好調だった(※その他省略)。英国経済は慣性力で持ちこたえていた。
・爛熟し、行き詰まり、バランスを欠いた都市は、革命的なパワーで新しい何かを生む。70年代はパンク・ムーブメントとサッチャーを生んだ。2007年末もその予感があり、私は惹き付けられたのかもしれない。※今回はこれがオーガニック・ムーブメントかな。
○リーマン・ショック後のロンドン
・2008年9月15日、米大手投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻する。このリーマン・ショックにより、世界はグローバル恐慌に突入する。しかしロンドンは景気が良い話と悪い話が混在した。9月18日の新聞には「未曾有の大暴落」の記事もあれば、「ダミアン・ハーストが美術オークションで150億円売った」の記事もあった。
・2008年春、私はクリエイティブ業界/金融業界で働く友人から、「スーパー・バブル」の言葉を聞いていた。国家公認の賭博場(証券取引所)で結局ババを引いたのは米国の大手投資銀行だった。しかし”公認賭博場”で成長した英国も例外ではなかった。2008年7-9月GDPが、前期比-0.5%となる。これは1992年から16年間続いた景気拡大の終わりだった。
・私は未来を予見できないが、世界を飛び回って分かった事がある。それは「世界で日々生まれる構造を正しく理解できる者だけが、良いとこ取りできる」である。事象を正しく考える人と、テレビ/ウェブだけで情報収集する人の間に、埋めようのない情報格差が生まれるのだ。※ウェブだけでも追い付けないのに。
○英国の15年景気は米国との連携
・リーマン・ショック後、私はATMから現金を引き出すのを日課とした。そして番号を控え、どれ位紙幣が刷られているかを確認した。どのATMも続き番号の新札ばかりだった。これがニューヨークでも東京でも起きていた(※金融緩和は直ぐに始まったかな)。紙幣は幾らでも刷れて、共同幻想に過ぎない。紙幣が大量に刷られ、貨幣の価値が下がるのを感じていた。
・「貨幣の一人歩き」は、1971年8月15日ニクソン・ショックに始まる。彼は唯一(?)金との交換が可能なドルの交換を停止した。戦後ブレトンウッズ協定で基軸通貨となったドルは、米国の金保有量を超え、世界に流通したが、この交換停止により、ドルは幾らでも刷れるようになった。米国はインフレになり、2度のオイルショックで不況になり、スタグフレーションに陥る。
・そこで1980年代に現れたのがレーガン大統領だった。彼は新自由主義的な規制緩和/構造改革を実施する。英国もサッチャーが同様の改革を実施する。米英は連携し、金融サービス業にシフトした。金融の自由化とITの進歩により、様々な金融サービス/金融商品が開発される。債権の証券化/レバレッジ/デリバティブなどのギャンブル的手法が当たり前になる。シティに集められたオイルマネー/新興国マネーは、ウォール街で投資され、米英は金融帝国に邁進した。ロンドンのシティは手狭になり、カナリー・ウォーフを作った。不動産価格も上昇し、不動産も投資商品に変わった。英国の15年の好景気は、米国との連携による。
○出来の悪い弟・米国、世話好きな兄・英国
・米英は親密である。それは米国が英国の植民地だったからだ。17世紀初頭、英国は東海岸に13の植民地を建設した。それにワシントンDCもニューヨークも含まれる。そのため米国の支配階級に英国人が多い(※移民の国なので、その点はどうかな)。そのため英国は欧州に近いのに、米国との関係が深い。
・21世紀に入ると、その米国が暴走を始める。イラクを攻撃し、京都議定書から離脱し、やりたい放題に変わった。欧州は米国との対立を深めるが、英国は米国に同調した。これが2007年までの事だ。
・しかし英国は金融危機で、欧州と米国のバランスを取るのが難しくなった。2009年1月ポンドは対円で118円台になり、史上最安値を更新する。投資家ジム・ロジャースが「英国は終わりだ。英国は売る物がない。英国には投資しない」と発言する。私も「ポンドは終わり」に賛成する。
○ポンドが暴落し、ロンドンが最もお買い得な街に
・ところがポンド暴落は、不思議な現象を起こした。2008年末ロンドンは史上最高の人手で賑わった。2009年10万円だった商品は、為替変動で5.6万円、歳末セールで60%オフ、さらに特別減税で15%オフの1.9万円にまで下げた。当時SDカードは3万円したが、ロンドンでは7千円で買えた。ロンドンは世界一物価が安い街になり、ユーロ圏の人が格安航空券を使って、買い物に来るようになった。※ポンド安になれば、物価は上がりそうだけど。
・これは「ハイパー・モビリティ」と呼ばれ、流動人口を増やし、遊び・仕事を変容させ、「ポスト・インターネット」と云える(※中国の爆買いも、これかな)。人々はグローバリゼーションを楽しんだ。私もロンドンで買い物して、米国的な資本主義と異なるものを感じていた。※通貨安の国に行けば、安く買い物ができる。
○金融危機の米国は、ソ連崩壊後のロシア
・ロンドンは「買い物天国」になった。一方米国からは不穏なニュースが飛び込んでくる。2008年11月イリノイ州の警察官の給料が未払いになる。さらに翌年2月州政府の公務員20万人が月2日、無給一時帰休になる。
・また2009年初頭、英国のガーディアン紙/インデペンデント紙がドルの通貨量を問題視する。2008年10-12月にFRBが200年分(?)のマネタリーベースを供給していた。この状況は物価が7000%高騰した1990年頃のロシア(※ソ連?)とそっくりである。
・ウォールストリート・ジャーナル紙は「2010年までに米国が6つに分割される可能性が50%以上ある」と書いた。そこには「暴動・内戦が起こる」「北米が合併され、新しい通貨が発行される」なども書かれた。米国もハイパーインフレを起こし、連邦が崩壊するとも限らない。※これは外れたな。
・カリフォルニア州/フロリダ州/ニューヨーク州/アリゾナ州/ネバダ州など、30を超える州が財政赤字を抱えていた。彼らが連邦政府を見捨て、独立宣言しても不思議ではない。カリフォルニア州が独立を企んでいるのに、日本では全く報道されなかった。※カリフォルニア州のGDPは、米中日独に次いで5位らしい。しかし独立すれば財政赤字を解消できるのかな。
○日本に米国から大量移民が来たら
・もし米国が崩壊すると、米国民が移民として世界に流出し、日本にも押し寄せる。彼らはコンビニ/ファミレスなどの店員になり、日本人から仕事を奪う。これは東欧/ロシアからの移民を受け入れた英国と同じだ。ただし英国は計画的に移民を受け入れたが、日本は無防備である。※制度的に入口を絞っているかな。
・日本は戦争に負け、憲法/教育基本法/日米安全保障条約などを押し付けられた。経済制裁/規制緩和などの横暴な要求も受け入れた。これでは独立国と云えない。日本人は骨抜きにされてしまった。欧州では「あの国は誰のもの」の考え方があり、ロンドナーから「日本は米国のものだろ」と言われる。世界から見れば、「日本は米国の属国」なのだ。
○日本沈没のシナリオ
・当時日本政府は何をしたのか。2009年初頭、自公政府は「無利子国債」の発行を口走っていた。これは戦後にインフレを起こし、経済を破綻させた戦時国債と同じである。こんな暴挙に無関心でいられる日本人は、世界でも珍しい。世界が金融危機で青ざめているのに、メディアも「横綱の品格問題」「首相の読み間違い」などを熱心に報道した。
・日本は戦後60年間、米国にカツアゲされてきた。日本はそろそろ米国と決別しなければいけない。私は「ナショナリストになれ」「独自の軍隊を持て」などと言っているのではない。「米国的価値から離れろ」と言っている。私はこれをロンドンでの生活で教わった。市場拡大が宿命の「20世紀的な資本主義」と別れなければならない。その回答の1つが「オーガニック」だ。ここまで読んで頂ければ、金融危機とオーガニックの発想の繋がりを理解してもらえるだろう。
第3章 オーガニック・ライフ実践編
○日本のオーガニックは本当のオーガニックではない
・日本の農産物でオーガニック(有機)が占める割合は0.16%に過ぎない。一方欧州は、スイス10.9%/イタリア8.4%/ドイツ4.7%/英国3.9%などである(※英国より大陸なんだ)。日本は韓国2.0%/中国0.4%より低い。1971年「日本有機農業研究会」が組織され、取り組みは早かった。それなのの何故遅れているのか。
・第1の理由は「労力の割に、利益が薄い」からだ。大量生産できず、コストが掛る。価格を上げたいが、そうすると安い輸入品に負けてしまう。第2の理由は農協の存在である。農協は化学肥料を売っているため、有機に消極的なのだ。第3の理由は行政の対応で、公的な研究機関はなく、ノウハウなどが蓄積されていない。法整備も遅れ、2001年認証制度「有機JASマーク」が始まったが、2006年やっと有機農業を推進する「有機農業推進法」が成立する(※これらは農協の圧力かな)。第4の理由は「国民の関心の低さ」である。割高でも買いたい人/有機野菜の知識を持っている人は少ない。※「日本の農産物は安全なので、そこまで」の意識があるかな。
・これだと「有閑マダム/セレブの贅沢品」「特殊な趣味の人の物」で終わってしまう。変革のためには、個人の意識改革が必要である。これはストリートから始める必要がある。また日本人はオーガニックの「オ」にアクセントを置くが、正しくは「ガ」である。
○英国人は思想に拘り、日本人は行為に拘る
・しかし普及しない第5の理由がある。それは「日本人は表層的な行為に捉われる」点である。例えば「エコブーム」がある。これによりレジ袋をエコバックに切り替えた。しかしエコバックを作るコストはバカにならない(※エコバックのブランド品の話があるが省略)。さらにレジ袋は石油のムダを利用して製造しているので、これを焼却処分する必要が生じた。すなわちこれは、有効利用を止めて、新たに石油の消費を増やしたのだ。※これは知らなかった。政府が推進する政策の汚点は大概報道されない。報道機関も保身が第一。
・「マイ箸ブーム」があった。割り箸は「端材」から作られているため、これも有効利用なのだ。
・ゴミの分別/リサイクルにも疑問がある。紙はリサイクルされているが、そのために大量の石油と薬品が使われる。ペットボトルのリサイクルも、きちんと行われているか疑わしい。欧州のイタリア/仏国/スペインでは、リサイクルはやっていない。英国では、資源ゴミ(ビン、缶、ペットボトル、古紙)とそれ以外にしか分別せず、資源ゴミ以外は焼却している。それは焼却炉が強力になったからだ。
・日本のように厳格に分別する必要があるのか。分別の仕方も自治体によって異なる。私は「燃やすゴミ」と「リサイクルするゴミ」で十分と思う。要するに日本人は情報に無防備なのだ。日本人は深く考える能力が不足している。一方英国人は根底にある思想・精神を重んじ、自分で判断する。そのため彼らは「周りがやるから、自分もやる」とならない。※これは「農耕vs狩猟」「仏教vsキリスト教」の違いかな。これにより日本は集団主義、欧州は個人主義の気がする。
・これが日本の「エコ」と英国の「グリーン」の違いだろう。日本人が新オーガニック主義を実践するためには、情報分析力/判断力が不可欠である。それは政治家の金儲けや企業の偽善の餌食にならないためにも。
○バーガーがニュースになるのは日本だけ
・世界が金融恐慌をトップニュースにする一方、日本は相撲界・芸能界をトップニュースにしていて、がっかりした。付け加えると、日本では「マクドナルドが新バーガーを発売」などがニュースになる。これは広告業界が「食のスポンサー」に支えられているためだ。ところが海外だと「ジャンクフードを宣伝するとはとんでもない」と、抗議の電話が殺到する。BBCは逆に「ファーストフードがどの様に作られているか」を頻繁に報道している。「この食品は農薬を沢山使っています」などと記される日が来るかもしれない(※タバコの話は省略)。
○食料自給率とオーガニックの普及は別
・日本の食料自給率は、カロリーベースで40%です。近年の産地偽装/毒入り餃子などで、食料管理が注目されるようになった。しかし農業が活性化され、オーガニックが普及すれば食料自給率が改善される訳ではない。
・もし日本人が江戸時代の食生活に戻れば、自給率は20%位アップします。自給率低下の原因は、戦後の食生活の米国化にある。戦後パン食・肉食になり、小麦・大豆・とうもろこしなどを大量に輸入するようになったからです。
・日本の農業は崩壊の危機にあります。耕作放棄地は20年で3倍になりました。農業従事者の約半数が60歳以上です(※グローバリゼーションは農業から始まったかな)。減反政策は農家の大規模化を阻み、国際価格の3倍以上の価格(※米価?)を保証し、年間2千億円の補助で農家の意欲を喪失させました。
・日本は高温多湿なので農産物が限定されます。要するに食生活を変えないと、自給率は上がりません。そのためオーガニックが普及しても、輸入が増えるだけです。実際「有機JASマーク」の国内生産5.3万トンに対し、輸入が190.2万トンあります。
・農林水産省のHPに「日本人の食生活は、国内の農地面積の2.7倍の海外の農地面積に支えられている」とあります。「農業回帰」「オーガニック」などで簡単に解決できる状況ではありません。
○なぜ日本の食生活は破壊されたか
・1954年米国でPL480号「農業貿易促進援助法」が成立します。これは米国の余剰農産物を、発展途上国に平和的に売却する法律です。同年日本で「学校給食法」が成立し、パンと脱脂粉乳が提供されるようになり、大量の小麦を米国から輸入するようになります。こうして日本は小麦・牛肉を大量に輸入する「米国のお得意様」になったのです。日本が生き残るには、米国と対峙する必要があります。※「もし米食を続けていたら」だな。日本は何でも米国の言いなりだからな。
○世界のセレブは日本の食事法に注目-マクロビオティック
・日本人は自覚していないが、日本の優れた文化が、玄米食を中心とする「マクロビオティック」(※以下マクロビ)である。マドンナ/トム・クルーズ/グヴィネス・パルトロウなどのセレブが、この食事法を取っている。これは桜沢如一が、玄米食と陰陽五行説をミックスさせて作った食事法である。この食事法を最初に注目したのが、1977年の米国である。当時米国は肥満・糖尿病が問題になっており、上院議員ジョージ・マクガバンがレポート『米国の食事目標』の中で紹介した事に始まる。※マクロビオティックは初めて聞いた。
・マクロビの基本は、玄米・古代米・麦・雑穀を主食とし、野菜・海藻・豆類を副菜とする。また「食材の旬」(身土不二)も重視しており、「その土地で獲れた物を、その土地の方法で食べる」。つまり単なる食事法ではなく、環境や身体のあるべき状態を考慮している。この「身土不二」は、オーガニック・マーケットを開く英国人の考え方にも通じる。
・私はロンドンに来て、玄米食を知った。玄米は「ブラウンライス」と云い、英国人は大きく加工された「ホワイト」の食べ物より、「ブラウン」の食べ物を好む。
・マクロビを実践している有名人は他にも沢山いる。ケイト・モス/シャロン・ストーン/ニコール・キッドマン/デミ・ムーア/クリントン元大統領/カストロ前議長などである。西武の広岡達朗監督が選手に広めた事は有名で、松井秀喜も実践している。
○オーガニックは21世紀の社交術
・オーガニック・パブ「デューク・オブ・ケンブリッジ」では興味深い光景が見られる。お客は、女性2~3人に男性1人が多い。しかも女性は美人で、男性はダサく、男性は「財布係」なのかもしれない。つまり新オーガニック主義は女性が牽引している。これは世界共通で、知的で美意識が高い女性が流行を牽引する場合が多い。彼女達は服装/バッグだけでなく、コスメ/サプリなどにも大金を投じる。そして彼女達が次に目を付けたのがオーガニックなのだ。
・今彼女達は「ファーマーズ・マーケット」「有機野菜の調理法」に関心を持っている。20世紀は「あのブランドはどこでゲットできる」などが誇らしい情報だったが、今は「どこの野菜が美味しい」「どこのオーガニック・レストランが美味しい」に変わった。
・日本でも同じ傾向が見られる。青山辺りにオーガニック・カフェ/レストランが増えた。そしてそこにいる女性も綺麗な人が多い。オーガニックの宅配も人気を博している。
・「オーガニックな野菜を作る」事への関心も高まっている。千葉には歌手・加藤登紀子が経営している「鴨川自然王国」があり、そこには農業への関心が強い「ニューモダン・プリミティブ」と呼ばれる子がいる(※これも初耳)。これは「都会の原始人」の意味で、自然と共に生きる事を大事にする人々だ(※大幅に省略)。
・結婚適齢期(25~35歳)の女性が減少に転じたそうだ。原因は海外に滞在・永住する女性が増えたためである。賢い女性は日本の男性に見切りを付け、「ハイパー・ノマド化」したのかもしれない(※それが理由かな。海外に仕事・夢を求めたのでは)。「結婚できない男性は、オーガニック通になるべし」と言いたい。最初は邪(よこしま)な気持でも良いと思う。
・私は2009年秋まで渋谷と表参道に事務所を構えていた。しかし今は北海道と沖縄に畑を持ち、そこを頻繁に訪れるようにしている。都会で過ごす時はウィークリーマンションに、海外でも数ヵ月しか滞在しない。
○個人レベルでできる事から
・新オーガニック主義の第1歩は、都心のレストランの価格は不動産代と物流コストと考え、そして食品について考える事だ。オーガニックについて知らなくて良い、体験する事だ(※考える事なのか、行動する事なのか)。スーパーやネットなどで有機野菜を購入すべきだ。そしてそれに「有機JAS認証」が付いている事が重要である。
・次にファーマーズ・マーケットに足を運んで欲しい。そこの農産物には「有機JAS認証」は付いていないが、農家から直接購入できるので安心できる(※全ての農家がオーガニック?)。東京では代々木公園で毎月開かれている「東京朝市アースデイマーケット」が有名である。六本木ヒルズでも、毎週土曜日の早朝に「いばらき市」が開かれている。他にもパタゴニア渋谷で「オーガニックマーケット」、五反田で「イー有機生活五反田店」などがある。※URLは省略。
・残念なのはマーケットの場所・開催日などを紹介したポータルサイトがない事だ。ただJA東京中央会が、直売所を紹介している(※URL省略)。その砧園芸直売所は「ファーマーズマーケット二子玉川」にリニューアルされている。
・最後は「土」に触れる事で、具体的には家庭菜園である。農薬に汚染されていない土から、農作物が育つプロセスを体験する事が重要である。
○世界中を飛び回りながら、トマトを栽培する
・私はロンドンでトマトを栽培していた。「生き方はフロー、食はオーガニック」のハイブリッドを成立させようとした。今住んでいるバルセロナでも、永田農法(?)でトマトを作っている。1~2週間放置しても問題はない。自然に成るのが理想で、農業を工業化する必要はない。トマトの次はオレンジ/オリーブを考えている。
・近年「農法キット」(ツール&マニュアル)が揃っているので、誰でも農作物を作れる。女性はハーブが好きだが、男性は実が成るものが良い。私は沖縄での自給自足を目指している。水は循環させ、電気は自家発電し、パンは小麦から作る。
○バルセロナで食べる玄米パエリャ
・野菜を収穫したら、今度は食べ方を研究して欲しい。書店にはレシピ本が大量にある。マクロビオティックにも挑戦して欲しい。私はロンドンでもバルセロナでも玄米食を実践している。※詳細省略。
・先日テレビの企画で玄米「但馬村岡米」を使ったフリーランチのパーティを開いた。大好評で「店を出さないか」とまで言われた。私はシェフではないので、日本の良い物(※玄米?)を伝え続けるしかない。ハイテクDJ/玄米の俵/パエリャの鍋などのハイブリッドを届けるのが私の使命と思っている。日本食のニーズが世界で高まっている。ジェイミー・オリバーのような優秀な日本人シェフの登場を期待する。
○21世紀的なノマドロジー
・最後に時代の変化に付いて述べる。20世紀の問題は「都市システムの問題」と考えている。効率を追求した事が問題の根底である。その最たるものが都市システムなのだ。19世紀まで大都市は少なかった。ところが20世紀になり、至る所で大都市が出現した。これは電気化によりエレベーターが登場した事による。これにより都市は横だけでなく、縦にも広がった。※重化学工業の発達で、重厚長大が可能になったかな。
・世界最大の都市は東京である。東京でも効率化が追求された(※詳細省略)。結果的にこれが弊害になっている。ビルを建てる方の「効率」、借りる方の「便利さ」、使う方の「分かり易さ」が問題の源泉だ。※抽象的で、よく分からない。
・この都市システムを解体するのが望ましい。表参道の真ん中を歩道にして、そこで良い服と、近隣の野菜を売れば良い。また都市に反抗するなら、私のようにあちこち飛び回るか、郊外半分・都市半分のバランスが重要になる。あるいはITの高度化で、居住地・勤務地以外の「第3の土地」を確保する方法もある。
・今は効率化の次を探す時代で、米国的価値観から脱却する時代である。効率化を目指した金融は崩壊した。都市システムも崩壊するだろう。次はオーガニックの時代になる。
おわりに
・私の考え方の基本は「全て繰り返される」である。人の鼓動も天体も自然も繰り返される。今回の金融危機を、1929年世界恐慌に重ねる見方がある。しかし私は1860年代と重ね合わせる。1961年リンカーン大統領が奴隷解放を大義にして南北戦争が起こった。日本では明治維新が起きた。芸術では写実主義から、精神性を表す抽象主義にゆっくりと変わった。表現はドキュメンタリーから、もっと精神性に富んだものになるだろう。
・携帯/コンピュータがない世界には戻せない。しかし食においては人口爆発の問題があるが、19世紀に戻す事を考えてはどうだろうか。※ゲノム編集など、やはり効率化が追求されているかな。