『同調圧力』望月衣塑子/前川喜平/マーティン・ファクラー(2019年)を読書。
3人の著者が記者クラブ/教育/メディアの問題を広く浅く述べており、参考になる。
記者クラブを問題視する本は以前にもよく読んだ。
メディアは「政府の報道機関」と考えて良いと思うが、それへの抵抗もあるみたい。
道徳の教科化については、大いに問題があると感じた。
政治教育は重要な課題で、政府はもっと積極的に取り組むべきと思う。
日本の守旧傾向がメディアを歪めていると感じた。
お勧め度:☆☆☆
内容:☆☆
キーワード:<質問を妨げられる記者会見>申し入れ書/事実誤認、検証記事、<記者の存在意義>同調圧力、報道の自由、記者クラブ、<同調圧力に屈しない人々>河村光庸、森達也、伊藤詩織、元山仁士郎、望月衣塑子、<「何もしない」と云う同調圧力>文部科学省、振り揉め、<道徳教育が生み出す同調圧力>天下り事件、道徳教育、<自由な人間に同調圧力は無力>首長の介入、政治教育、日教組、ネトウヨ、新自由主義、全体主義・国家主義、価値観、考える、<スクープ報道から調査報道へ>忖度、ベトナム戦争、イラク戦争、ウォーターゲート事件、トランプ大統領、<日本メディアには危機感がない>不動産業、アクセス・ジャーナリズム、西松建設事件/福島原発事故、<信頼できるメディアが道しるべ>記者クラブ、朝日新聞、テレビ、ソーシャルメディア、憲法改正、新興メディア、<同調圧力から抜け出すには>倫理観、危機、デジタル化、内閣情報調査室、人事、森友学園問題、勇気<あとがき>同調圧力、後悔
第1章 記者の同調圧力 望月衣塑子
<1.質問を妨げられる記者会見>
○国会でのレッテル貼り
・2019年2月テレビで国会中継が流れていた。そこで国民民主党の議員が、「『東京新聞の特定の記者に事実誤認があった』とのペーパーを記者会に出しているが、どういう事か」と、菅官房長官に質問する。これは私(※望月)の事ではないか。彼は声を荒げて回答している。※詳細省略。
・私が会見に臨む時、様々な報道・情報を元に質問する。しかし1回の会見で質問は2回までしかできない。そのため的を絞った質問になる。
・官邸から弊社(東京新聞)に9回の「申し入れ」があった事を初めて知った。部長/局次長はこれを私に知らせていなかった。
○申し入れ書と云う名の締め出し
・2018年12月28日、官邸報道室長(※以下報道室長)からの「申し入れ書」が、内閣記者会(内閣担当の記者クラブ、※以下記者会)に対し出され、記者クラブの掲示板に貼り出された(※全文が記されているが省略)。官邸はこれを記者会に直接受け取ってもらいたかったが、「質問の制限」になるため、記者会は受け取りを拒否した。2月1日雑誌『選択』がこれを記事にし、さらにヤフーニュースが記事にしたので、私はこの存在を初めて知った。その記事は「これはメディアに対する圧力」と評していた。
・官邸の要望は「望月を締め出せ」に近かったようだが、報道室長は「問題意識の共有」程度の文書にした。彼は内閣府の官僚だが、こんな文書を書いて、恥ずかしくないのだろうか。
・「申し入れ書」が貼り出されたのが12月28日、『選択』が記事にしたのが2月1日である。この1ヵ月の時間差は何なんだろうか。多分記者会は「この内容は看過できない」と感じたからではないだろうか。
○逆鱗に触れた質問
・「申し入れ書」に書かれた12月26日の「事実誤認」について記しておく(※大変詳しく書かれているが、大幅に省略)。2018年12月辺野古基地の埋め立てが始まる。国と県は「赤土などの細粒の使用は、10%前後に留める」と取り決めていた。しかし大量の赤土で埋められた形跡があり、県は沖縄防衛局に検査を求めた。しかし国はこれに応じなかった。
・取材を重ねると、国は業者への発注で「細粒の使用は40%以下」で発注していた。私はこれらの事実から、記者会見で「立ち入り検査をすべき」と確認を求めたが、「法に乗っ取り実施している」との回答だった。政府はその直後の「申し入れ書」で「事実に基づかない質問は受け付けない」と記した。これでは記者会見は「ただの発表会」になる。
※これはあの政権の「臭いものには蓋をする」かな。「ルールに従わない(所属・氏名を名乗らない)で質問する記者がいる」の話は聞いた覚えがあるが、こちらは記憶にない。
○異様な「申し入れ書」への抗議
・ヤフーニュースの記事が切っ掛けで、反響が広がる。週が明けた5日、新聞労連が声明を出す。沖縄問題に淡泊だった時事通信も記事にし、7日朝日新聞は特集記事にした。続いて共同通信/北海道新聞/東奥日報/河北新報/信濃毎日新聞/京都新聞/中国新聞/神戸新聞/愛媛新聞/西日本新聞/熊本日日新聞/長崎新聞/沖縄タイムス/琉球新報が記事にした。多くは「言論弾圧」「知る権利の侵害」と批判的だった。
・ところが弊社は取り上げなかった。実は弊社は官邸と直接交渉していた。しかし広報官からは「記者自身の見解を述べるのは、会見の円滑な実施を阻害する」との返答だった。しかし地方紙/有識者(弁護士など)/読者の怒りが増し、2月12日頃弊社も見解を出すと決める。
○申し入れ書/妨害の検証
・この決定により、私は検証記事を書く。官邸から9回の「申し入れ」があり、それがどんな抗議だったのか、デスクを交え確認した。原稿も何度もチェックし、表現まで見直した。※新聞社の職位を知らないが、局長/部長/デスク/キャップの順かな。主筆/編集委員/論説委員はどの位置なのか。
○全面を使った検証記事
・2月19日弊社は社説『記者会見の質問 知る権利を守るために』を載せた。それには「記者の質問は国民の知る権利のための当然の行為であり、その記者を排除する試みは看過できない」と記した。
・そして翌20日、検証記事『検証と見解 官邸側の本紙記者質問規制と申し入れ』を全面に載せる。中央の見出しは「赤土は事実誤認か」「17年から9件、『表現の自由』にまで矛先」とした(※簡略化、以下同様)。右側には2017年からの私の質問と官邸の対応を記し、「1分半の質問で、7回遮られる」と記した。右下には編集局長が『会見は国民のためにある』を書き、「記者会見は民主主義の根底である『知る権利』に応える機会である。これからも事実に基づいて質問を続ける」と記した。
・編集局長は中日新聞名古屋本社からの異動である。彼は曲がった事が嫌いで、肝が据わっていた。私が妨害行為を打ち明けると、怒ってくれた事があった。私も載せる記事を書いたが、部長・デスクが監修してくれた。部長・デスクとは記事の表現や扱いで衝突する事はあるが、「権力に対し、ジャーナリズムはどうあるべきか」については価値観を共有しており、権力者に屈しない重厚な紙面になった。
・この検証記事に反応してくれる団体も現れた。日本ペンクラブは声明を発表した。他にも新聞社/民放局/出版社/映画製作/日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)や、憲法/メディア法が専門の学者・弁護士などが撤回を求めた。朝日新聞も社説『官房長官会見 質問は何のためか』を載せた。
※こんな対立があるので官邸警察が必要なんだろうな。
<2.記者の存在意義>
○抜くか抜かれるか
・私は社会部記者として千葉/横浜/さいたまの支局に勤め、事件取材がメインだった。本社勤務になると司法クラブの東京地検特捜部担当になった。「抜くか、抜かれるか」の世界で、同調圧力はなかった。
・2017年6月から菅官房長官の会見に出席するようになった。普通は政治部の記者が出席するが、弊社は垣根が低かった。当初は私の質問に慎重に答えてくれていたが、私の質疑が報道されるようになると、きちんと答えてもらえなくなった。「財務省に聞いて下さい」「事実に基づいて聞いて下さい」などが回答になった。会見に出始めて数ヵ月後には、報道室長から「簡潔にお願いします」などの質問妨害が始まったが、2017年8月末の新聞労連のデモの前日から質問妨害は止んだ(※詳細不明)。※「申し入れ」(抗議文書)が、2017年9月~2019年1月に9回出されており、質問妨害から抗議文書に方針転換したみたいだ。
・私の仕事はシンプルで、聞くべき事を淡々と聞くだけだ。記者の仕事は権力者の意図を伝えるのではなく、権力者が隠そうとしている事実を伝える事だと思う。しかし政治部の記者は一心不乱にキーを叩いている。この静けさ、活発のなさは何なのか。この圧力の正体は何なのか。
・実は会見後、オフレコの取材(オフ懇)が行われている(※これは知らなかった)。会見で侃々諤々とやると、オフ懇で有益な情報を得られないからだ。一時期私の質問でオフ懇が開かれなくなり、記者の反感を買った。これが「同調圧力」となっている。しかしこの記者クラブ/番記者制度に向き合わざるを得ない。私は異分子になってしまった。保守系メディアからは悪しざまに書かれた。一方で講演に呼ばれたり、読者から励まされる事もあった。
○削られた8行
・2019年2月21日神奈川新聞が「忖度による自壊の構図」「質問制限 削られた記事『8行』」を記事にした(※これは1つの記事の2つの見出しかな)。これは共同通信の大型記事「官邸要請 質問制限狙いか 『知る権利狭める』抗議」に削られた部分があったと分析した記事である。共同通信は様々な分野をカバーする通信社で、NHKや新聞社も加盟している。
・共同通信の記事は、年末に出された「申し入れ書」に関する記事で、その経緯や報道各社の抗議声明を紹介していた。この記事は2月18日に配信されたが、その後修正された。この修正を神奈川新聞が看過できないと判断し、2月21日記事にした。
・その神奈川新聞の記事は、共同通信の記事から「ある全国紙の記者は『望月記者が知る権利を行使すれば、記者クラブの知る権利が阻害される。官邸側が機嫌を損ね、取材機会が減っている』と当惑する」(※簡略化、以下同様)が削除され、その理由が「これが記者クラブの意見を代表していると誤認されないため」と記されたと書いた。そして「これは権力と報道の緊張関係の核心部である」と書いた。
・この神奈川新聞の記事を読み、私はこれは官邸だけの問題ではないと感じた(※記者クラブの忖度かな)。さらに神奈川新聞は続けて、「質問への妨害、記者クラブへの抗議文など、これほど報道の自由が抑圧された事はない。『権力は暴走し、自由・権利を蹂躙した歴史』を忘れてはいけない。これは記者側の忖度による報道の自壊である」と書いた。
・私はこれを機に、「この問題は権力者側だけの問題ではなく、記者側の問題でもある」と考えるようになった。記者が権力と対峙せず、顔色を窺うようになれば、記者の存在意義はない。
○記者クラブと番記者制度
・記者クラブは大手メディアの新聞社/テレビ局などで構成される。省庁/国会/政党/業界団体/地方自治体/警察本部などに800程度存在する(※そんなにあるのか)。官房長官会見は「内閣記者会」が主催している。事務連絡/会見の司会などの「幹事業務」を輪番で行う。不祥事などが起これば、臨時会見の開催を要請する。記者は自社ではなく、省庁内や業界団体内に置かれた記者室で仕事をする。そのため省庁の担当者や業界の幹部などと接触でき、情報が取り易くなる。
・メリットだけではなく、デメリットもある。加盟していないメディアは取材が難しくなる。加盟には過去の報道などがチェックされる。加盟していないと参加できても質問できない(オブザーバー参加)。例えば出版社は加盟していないため、会見に参加できない。民主党政権時代に緩和されたが、自公政権になり元に戻った。フリーランスの記者が参加を要望しているが、認められていない。
・また取材相手と記者の距離が近いため、記者が権力側に取り込まれる危険性が高い。相手を不快にさせる質問や追及はできない。※加盟しても批判的な記事が書けないか。
○君らの背後にいる国民に話している
・私は記者クラブ制度の恩恵を受けてきた。大概の行政官庁の記者会見に出席し、記事を書く事ができる。しかし出産後に遊軍記者(?)になると、権力とメディアの関係に危機感を感じ、「権力への監視機能が鈍っている」と感じるようになった。
・「カミソリ」の異名を持つ後藤田官房長官の話を、北海道新聞の記者から聞いた。彼は番記者以外からの質問も受けていた。しかも現在のように事前に質問を官房長官側に渡し、官僚が回答を準備するやり方ではなかった。記者が曖昧な質問をすると、その根拠を逆に問われた(※逸話が書かれているが省略。官房長官が真の首相の気がする)。彼は首相に対しても異議を唱えた。官僚出身で、官僚に厳しかった。また勉強している記者や厳しい質問をする記者を評価した。
・安倍一強になり、官房長官は「モリカケ疑惑は白」と言い続け、「あなたの質問に答える場ではない」と言い放つようになった。これではメディアは本来の機能を失ったように思う。
・ニューヨーク・タイムズの元東京支局長マーティン・ファクラー(※著者の1人)は、「記者クラブはアクセス・ジャーナリズムで調査報道と異なる。そのため役人に依存し、それを批判できない」と批判し続けている。近年若者はニュースソースを新聞/テレビではなく、SNS/ネットに頼るようになった。記者クラブ制度やメディアの存在意義が問われている。
・記者クラブ制度を廃止すべきとは思わないが、問い直されるべきと思う。特に官邸の記者会見は政府中枢の考えを質す事ができるため、より多くのメディアが参加できるようにすべきだ(※逆に「通信社のみ出席に変えるべき」との意見も聞いた事がある)。これが「国民の知る権利」の負託に応える姿だ。昨今権力がメディアに支配的・抑圧的になっている。「メディアはどうあるべきか」を考える必要がある。※そう言えば高市総務相の発言もあったな。
○ジャパンタイムズの変節
・2017年10月私は『新聞記者』を刊行した。これを後押ししてくれたのが、ジャパンタイムズの編集委員吉田玲慈さんと朝日新聞の南彰さんだった。南さんは新聞労連に出向し、今は会見場にいない。吉田さんも2017年9月頃から会見場に来なくなった。これにジャパンタイムズの親会社が変わった事が関係しているみたいだ。
・2019年1月ロイター通信が、この想像を遥かに超える記事「焦点:『慰安婦』など表記変更 ジャパンタイムズで何が起きたか」を配信した。そこには以下が書かれた(※簡略化)。
今後ジャパンタイムズは徴用工を「戦時中の労働者」(wartime laborers)と記し、慰安婦は「意図に反した者も含め、娼館で日本兵に性行為を提供した女性」(women who worked in wartime brothers including those who did so against their will, to provide sex to Japanese soldiers)と記す。この上層部の決定に同紙のリベラルな記者は猛反発した。
「安倍政権に批判的な連載を止め、安倍首相との単独インタビューが実現し、政府系の広告が増えている」とスタッフが発言すると、「ジャ-ナリズムには致命的だ」との声があった。会長とのミーティングでは、感情的になり泣き出す記者もあった。※社内の状況が漏れたんだ。
・当紙のその様な状況に驚いた。「権力者と共に歩む立場になれ」「これまでの価値観を捨てろ」と言っている。もし私がその立場だったら、耐えられないだろう。当紙の幹部に知人がいたのでメールしたが、「気にしないで」とのそっけない返事が帰って来た。変節した背景は、部数/広告の減少によるらしい。
・新聞社の意義は権力のチェックにある。広報は官邸のHPに載っている。広報を載せるだけの新聞は部数を減らすだろう。そこに載っていない情報を提供するからこそ、読者は購入する。
<3.同調圧力に屈しない人々>
○映画は1つ1つ作り上げる
・挫けそうになるが頑張れるのは、同調圧力をものともせず、プロフェッショナルを貫く人々がいるからだ。その1つが映画の製作現場だ。『新聞記者』を書いて数ヵ月後、映画プロデューサー河村光庸から映画化の話があった。彼には『あゝ、荒野』などの社会派のヒット作がある。彼は安倍一強に危機感を持ち、「若者に、映画を通して政治に関心を持って欲しい」と話した。
・しかし『新聞記者』は「モリカケ疑惑」や伊藤詩織さんの「純強姦疑惑事件」を扱っており、広告業界/芸能事務所が政治的な摩擦を避けると思えた。脚本家は7人が入れ代わったが、クランクイン直前の2018年11月に脚本が完成する。監督は『デイアンドナイト』などのヒット作を生んだ藤井直人さんが引き受け、シム・ウンギョン/松坂桃李がダブル主演となった。
・台本作成で私は頻繁に連絡を取った。「記者会見のネームプレートはどんな感じですか」「新聞社内では、どんな業界用語が使われていますか」などである(※複数書かれているが省略)。映画はディテールに拘るため、大道具・小道具さんの苦労が偲ばれた。
○座談会で気付いた事
・撮影は2018年11月末から14日間で行われた(※そんなに短期間なんだ)。一番初めの撮影は、私/前川喜平(元文科事務次官)/マーティン・ファクラーの座談会となった。「組織の中で個を貫けれるか」「同調圧力にどう抗うか」「内閣情報調査室とは」「日米のジャーナリズムの違い」「官僚にとって記者とは」などがテーマとなった。
・マーティンさんは『権力と新聞の大問題』の共著があり、目標とするジャーナリストを体現している。彼はぶれる事がない米国の記者について語ってくれた。前川さんは教育について語った。「子供に伝えるのは、個人/自由/平等/民主主義であり、政権が目指す統制/支配/愛国主義ではない」と語った。これは憲法に書かれている「個人の尊重」「健康で文化的な最低限の生活」であり、私も同感である。日本の社会・政治は、もっと弱い人に寄り添うべきだ。
○真冬の撮影
・この真冬の時期に撮影が始まった。撮影は朝6時から始まるが、スタッフはその前に準備する。そのため寝れない日もある。また作動音を入れないために、冷暖房器具は使えない。1シーンに1時間程度費やすが、監督が納得できない時は、何度も撮り直す。私は何度も足を運んだが、官邸前の撮影では、俳優の歩く速度/エキストラの分散/会話の内容などを伝えた。
・新聞社の撮影は、東京新聞の編集局で行った。当然セットと本物の新聞社では臨場感が違う。主演2人の演技は素晴らしかった。※俳優の演技などが詳しく紹介されているが省略。
○映像の強さ
・この映画と並行して、森達也さんも映画を撮影している。彼はノンフィクション映画の旗手で、森友学園の籠池夫妻/伊藤詩織/前川喜平/辺野古の現場/要塞化が進む宮古島(※これは知らない)などを撮影している。この映画も河村さんが発案している。私が辺野古に取材に行った時はカメラマンが同行し、防衛省幹部との応答を撮影してもらった。
・2016年私は最初の書籍『武器輸出と日本企業』を刊行したが、森さんに推薦文を書いてもらった。そのお陰で重版させてもらっている。また彼はオウム真理教を扱った『A』『A2』、佐村河内氏を取材した『FAKE』などを作っている。
○伊藤詩織さんとの再会
・2018年末、伊藤さんと再会した。明治神宮外苑のカフェで再会したが、彼女は溌剌としていた。韓国で脱北男性を取材していたそうで、年が明けると、別の取材で渡米するそうだ。
・2017年彼女は性的暴行を受けたとして告発会見を行った。バッシングを受けた事でロンドンに移り住む。翌年3月国連で記者会見し、ハリウッドから始まった「MeToo」運動が日本では起きていないとして、「WeToo」運動を提唱した。
・しかしこれが彼女のゴールではない。孤独死を扱ったドキュメンタリー映画を作成した。さらにシェラレオネの女性器切除(FGM)の問題を取材している。彼女はジャーナリストの道を胸を張って邁進している。彼女は「今、性犯罪の加害男性の取材をしています」と言っていた。彼女には様々な圧力があっただろうが、それを乗り越え、前進する彼女は眩しかった。
○同調圧力に屈しない若者
・2019年1月、105時間のハンガーストライキを行った元山仁士郎さんを取材した。取材はストライキ2日目だったが、丁寧に対応してくれた。
・彼は「『辺野古』県民投票の会」を立ち上げた。2018年9月、県知事選で「辺野古基地反対」を掲げた玉城デニーが圧勝するが、安倍政権の方針は変わっていない。そこで彼は会を立ち上げ、署名を募った。「推進派の理由に使われる」との反対の声もあったが、多くの方が署名を寄せる。そして直接請求に必要な有権者の1/50の4倍の9.3万筆の署名が集まる。しかし5市(宜野湾、沖縄、うるま、石垣、宮古島)が県民投票を拒否する。※ローカルな問題だと、そんな事が起こるな。
・そこで思い付いたのがハンガーストライキで、2019年1月より宜野湾市役所前でストライキを決行する。これにより5市に対し、全国から抗議の声が届けられる。結果5市も県民投票を受け入れ、辺野古埋め立てに7割が反対となった。
・菅野仁『友だち幻想』がロングセラーになり、若者も同調圧力に苦しんでいる。元山さんの行動は共感を呼び、現実を動かした。
○真摯に向き合えば
・私は平日は仕事で、休日は講演会などで忙しい。しかし冬休みに家族で関西を旅行した。小学生の娘がUSJに行きたかったからだ。幼稚園児の息子は甘えたい盛りだが、年末の発表会で見事に演じてくれた。
・「政治家になるのですか」の質問を受けるが、私の仕事は政治ではないと思っている。「出る杭は打たれる。出過ぎた杭は打たれない」と云う。元山さん/伊藤さんは、そんな気がする。私も官房長官会見でその領域に入ったのかもしれない。
・私の質問は2問に制限されているが、沖縄の問題では琉球新報/沖縄タイムスの記者がそれを補ってくれる事もある。会見の動画をツイッター/フェイスブックにアップしてくれる人もいる。中にはそれを英語/仏語に翻訳し、海外に発信してくれる人もいる。私はこれらに何度も励まされた。この繋がりは、メディアが新たに手にした武器である。一般市民は官房長官に質問できない。私はそれができるので、ストレートの疑問をぶつけていこうと思う。
第2章 組織と教育現場の同調圧力 前川喜平
<1.「何もしない」と云う同調圧力>
○遅れず、休まず、働かず
・公務員を揶揄する言葉が、「遅れず、休まず、働かず」である。これに該当する公務員がマジョリティになっている。私(※前川)は文部省/文部科学省(※以下文科省)に38年間務めたが、公務員は年功序列/減点主義で、良い仕事をしても出世できる訳ではない。退職金/年金がそこそこあるので、不祥事を起こさないのが重要になる。
・ある部署では、上司から受けた初めての指示が「仕事が来た時は、まず『できません』と言え」だった。仕事に前向きだと白い目で見られ、新しい取り組みをしない雰囲気が、省に蔓延していた。※この話は知らなかった。
・私も勤務初日で驚いた。勤務時間が終わると執務室で麻雀が始まる。新人はお酒を作ったり、出前を取るのが仕事になる。※運動会の話も紹介しているが省略。
○国会答弁作りは不毛な仕事
・私は最初は大臣官房総務課に配属された。外部からの陳情/要望を受け、それを担当局に振り分けるのが仕事である。しかし「これはウチじゃない」と返される事が度々あった。特に新しい取り組みだと、そうなる。例えば放課後に空き教室などで児童を預かる「学童保育」の新しい取り組みがあったが、最終的に厚生省が引き受けた。
・国会開会中には質問通告が降ってくる。衆参本会議/予算委員会などの質問を事前に受け、答弁を作成する。質問が集中すると、徹夜になる。国会答弁作りは不毛な仕事で、「振り揉め」が起こる。これは省内だけでなく、省間でも起こる。私は総務課でその振り分けを行っていたので、この「これはウチじゃない」に随分悩まされた。
○日本語教育政策の振り揉め
・2017年1月私は事務次官を退任するが、最後まで「外国人のための日本語教育政策」の体制を整えようとした。私は日本は外国人労働者が必要で、日本語教育政策が喫緊の課題と考えていた。それを外局の文化庁国語課に任せたかった。
・2007年文化庁国語課が「日本語教育事業」を細々と始めていた。しかしリーマンショックにより学校に通えなくなったブラジル人が急増し、「虹の架け橋教室」が始められるが、これを担当したのは大臣官房国際課だった。しかし大臣官房は様々な調整をする組織なので、これは文化庁国語課が引き受けるべきと今でも思っている。
○文部省は外部から変革された
・そんな文部省に活を入れたのが、中曽根内閣の諮問機関「臨時教育審議会」(臨教審、1984年設立)だった。省内にあった「中央教育審議会」は廃止され、教育改革が始まる。
・典型例が白書である。当時文部省は『我が国の教育水準』を発行していたが、発行は5年に1度位で、しかも政策に触れず、統計集程度だった。しかし臨教審の指導でちゃんとした物を発行するようになる。
・臨教審は教育改革の3つの視点を掲げた。「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「国際化・情報化などの変化への対応」である。これにより生涯学習局/大臣官房政策課が新設される。
・役所は異なるが、1996年厚生省生物製剤課長が逮捕・起訴される。血液製剤の危険性が指摘されていたが、当課長が放置していたためだ。公務員は「遅れず、休まず、働かず」「これはウチじゃない」では済まされない。
○省庁としてのワンボイス
・文科省の役人である以上、組織の理論に従う必要がある。これは同調圧力とは異なる。ポストに就く以上、前任者が行ってきた事に責任を持つ必要がある。国会答弁でも、様々な説明会でもワンボイスでなくてはいけない。
・しかし違和感を抱く事もあった。例えば、日の丸・君が代の扱いだ。永年勤続表彰などが行われるが、式の開始で君が代が斉唱され、壇上に日の丸が掲げられ、それに敬礼する。私はこれに面従腹背した。
・課長に昇格すると「省の方針はこうだが、こうすべきではないか」と頻繁に話すようになった。古い考え方や理不尽な慣行は廃止すべきだ。私はこれを実行するようになって、解放感を覚えた。
・こんな組織に居られたのは、先輩・寺脇研さんのお陰である。彼は文部省で突出した存在だった。彼は生涯学習政策に取り組み、高校教育における第3の学科・総合学科を創設した(※普通科、専門学科⦅商業、工業など⦆、総合学科みたい)。「何もしない」が方針の組織において、彼は教育改革を進め、他の役人はそれを傍観するしかなかった。彼は「ゆとり教育」の担当ではなかったが、それでもスポークスマンになり、「ミスター文部省」と呼ばれた。
・私はそんな彼を見て、「彼の7割程度の行動であれば、組織ともやっていけるかな」と考えていた。今でもお酒に誘われると出向いている。
<2.道徳教育が生み出す同調圧力>
○前任者から引き継ぐ時限爆弾
・役所では1つのポストに就く期間が短い。そのため前任者から引き継いだ時限爆弾を爆発させまいとする。私の場合、再就職等規制違反(天下り事件)があった。2015年8月に退職した高等教育局長が、2ヵ月後に早稲田大学の教授に再就職したのだ。彼は著作権法の権威で、その資格があった。
・この再就職は文科省人事課のOBが仲介していたが、そのOBがパソコンを使えず、再就職の資料作成を人事課の職員が行っていたのだ。これが露見し、違法事案が次々と発覚する。2016年11月これらが発覚し、2017年1月私は事務次官を引責辞任する。
○政策立案に明るい記憶
・私は事務次官を7ヵ月で辞めた。この間に首相補佐官より「加計学園を認めろ」との圧力や、官房副長官から「文化勲章受賞者/文化功労者を選ぶ委員を差し替えろ」などの圧力を受けた。
・しかし2016年12月「教育機会確保法」が成立したが、これは明るい記憶である。これは超党派による議員立法で、初等中等教育局長だった私は深く関わった。これは不登校児童・生徒の政策を180度転換させるもので、義務教育を受けれなかった人の学習機会を自治体に求める法律である。
・この成立で夜間中学/フリースクールなどから講演の依頼を受けるようになる。2017年1月「福島駅前自主夜間中学」での講演が最後となる。その代表から、「次官を辞めたら、お手伝いさせてもらえませんか」と言われており、退官後にそこでボランティアを始める。※夜間中学/フリースクールについては全く無知だな。
・夜間中学では在日コリアンや中国からの引揚者など、学齢期を終えた人を教えている。私が最初に担当したのが70代の男性だった。1回目は私の講演内容を説明した。2回目から新聞の1面を教材にした。彼は「不可欠とは、可決の反対の意味か」と聞いてきた。「可決の反対は否決で、不可欠は絶対必要の意味」と答えた。新聞の1面は「日銀の金利政策」「核燃料サイクル政策」などが記事で、それを一緒に読んだ。※前事務次官から解説とは贅沢だな。
○ポストに就かなければ始まらない
・退官2ヵ月後、私は「安倍右翼政権を脱出し、1市民になった。これからは自由に生きる。面従腹背さようなら」とツイートした。ツイッターを始めたのは2012年末で、第2次安倍政権が誕生し、教育が危ないと感じたからだ。そのためアカウントは「右傾化を深く憂慮する1市民」とした。当時大臣官房長だったが、正体は明かさなかった。
・私は教育行政を常に考えていたが、それを成すためには、それなりのポストが必要になる。第2次安倍政権では下村博文が文科相に就いた。彼の「給付型奨学金」「不登校の子供のためのフリースクールへの支援」などには賛同できた。しかし「歴史教育/道徳教育への姿勢」「高校無償化から朝鮮高校の排除」などには賛同できなかった。2013年7月初等中等教育局長に就き、教育政策に直接関わる立場になるが、面従腹背するしかなかった。
○面従腹背に徹し切れなかった時
・特にジレンマを抱いたのが、「教育勅語の教材としての使用」である。2014年4月参議院の文教科学委員会で下村文科相より、「教育勅語は普遍的な内容で、教材として使用して差し支えない」と答弁するように指示される。
・しかし1948年教育勅語は失効し、回収・処分されていた。しかも教育勅語は、天皇絶対主義で国民に主権はなく、天皇・帝国に奉仕する事を最大の美徳としていた。そんな物を道徳の教材に使えるはずはない。辞表を叩きつけるやり方もあったが、やりたかった仕事はできなくなる。面従腹背するしかなかった(※答弁の内容が記されているが省略)。結果2017年3月「憲法/教育基本法に反しない形で教材として使用しても差し支えない」との答弁書が閣議決定される。
○教育基本法がもたらしたもの
・政治権力による教育支配の突破口となったのが、2006年第1次安倍政権での「改正教育基本法」だ。1947年制定の「教育基本法」から「教育は国民全体に対し、責任を負って直接行われる」などが削除され、「教育はこの法律及び他の法律の定めるところにより行われる」「我が国と郷土を愛する態度を養う」などが追加される(※全体主義の基礎作りだな)。この”直接”から”法律の定めるところ”への変化は、別に法律を作れば政治権力が教育に介入できる事を意味する。この改正は生涯学習政策局が担当したが、私はこれに反対していた。
・この傾向はさらに強まる。2018年4月から小学校、2019年4月から中学校で「特別の教科 道徳」が始まる。これにより教科書は国が検定したものになり、子供の評価もされるようになる。道徳が学校教育として成立するためには、憲法の三大原則(基本的人権の尊重、平和主義、国民主権)の範囲に限定すべきだ。しかし安倍政権は教育勅語などの復権を望んでいる。これは国民主権/基本的人権の尊重を脅かし、看過できない。
・安倍政権は保守的と云われる。保守は制度・政策の維持を重んじるため、20世紀後半の自民党政権は保守と云えた。しかし立憲主義をドラスティックに変えようとする安倍政権は、右翼革命政権と云える。※本来は、革新(左派)/保守(中道)/革新(右派)かな。右派・右翼を保守と呼ぶのは変な話だ。
・政権が国家主義・全体主義に進もうとしている時、それをまっとうな民主主義に戻すには、覚醒した主権者が必要である。それを育てるのが教育の使命だと思っている。
○道徳の教科化への憂慮
・2013年1月第2次安倍政権は諮問機関「教育再生実行会議」を設置する。この提言に「道徳の教科化」が含まれた。※詳しい経緯は省略。
・文科省では政権からの要求をダイレクトに受けるのを避けるため、審議会を設けている。「道徳の教科化」は、「中央教育審議会」(中教審)に諮られた。中教審の有識者は「道徳は3つの要件を満たす教科ではない」と答申した。この3つの要件とは、①教科を教える免許状がある、②検定に合格した教科書の使用義務がある、③児童・生徒の学習成果を評価するである。
・①は、先生であれば誰でも道徳を教えられるとなった。②は、検定に合格した教科書を必ず用いるとなった(※後付け感ありだな)。しかし道徳の教科書を検定する事が可能なのか。各教科の背景には人類が蓄積した学問・文化の体系がある。検定はそれに従っているかをチェックするが、道徳でそれが可能なのだろうか。※道徳観・価値観は人様々で、宗教・歴史とも関係が深く、世界共通でない。
・さらに②の道徳の学習成果を絶対的・相対的に評価するのは困難である(※価値観の強要になる)。最終的に考え出されたのが個人内評価で、授業の前後での変化を記述評価する。※点数化するのかな。
○道徳的価値の同化
・そもそも「道徳の教科化」とは何なのか。戦前・戦中は「修身科」が最も重視された。これは天皇陛下に忠誠を尽くせるかを、甲乙丙丁/優良可などで評価する教科である。1945年GHQにより国史/地理と共に停止となるが、1958年「道徳の時間」として復活する。教科書はなく評価も行われず、「何でもありの時間」となった。これは「日本教職員組合」(日教組)が「道徳の時間」に反対した事にもよる。しかし右翼的政治家により政策課題になり、第2次安倍政権で「検定教科書を使え、評価もしろ」となった。
・「特別の教科 道徳」は既に始まっている。学習指導要領に定められた徳目に誘導する教科書が使われている。これにより「考え、議論する道徳」は「外から与えられた答えに同化する道徳」に変わる。これは危険であり、あらかじめ設定された価値観に誘導される。子供達に心から信じ込ませる方法は洗脳行為であり、戦前の修身科の復活である。※大幅に簡略化。
○同調圧力を教える教材
・実際に使われている道徳の教科書を見ると、教材に「星野君の2塁打」がある。星野君のチームは負けていて、最終回にチャンスが回ってきた。彼は監督から「送りバント」を指示されるが、打てると思って強打し、2塁打を放って勝利する。しかし監督は「野球は勝てば良いのではない。団体競技であり、共同の精神が必要だ。犠牲の精神が身に付いていないと、社会でも通用しない」と伝える。この教材は自己犠牲を尊ばせ、決まりを守る事の大切さを教えている。しかしこれは自身で判断する事は許されないとする同調圧力を掛けている。
・文科省はこの様な教科書を容認した。一方で「答えは1つではなく、一人ひとりが考え、議論する事が重要だ」としている。しかしこの様な教科書では、それが達成できない。
○挨拶を型に嵌める
・この検定教科書に抵抗する教員もいる。「道徳の教科化を考える会」が、授業の進め方で「中断読み」を推奨している。例えば先の例では、星野君がバントの指示を受けた所で中断し、子供達に考え、議論させる。さらに「分断読み」も試している。これは同様な進め方をし、最後まで読んだ後に再度議論させる。しかしこの進め方では、バントへの支持が多くなるそうだ。
※違いは最後の議論の有無かな。普通は最後に議論すると思う。この例では教材の最後で監督が結論を述べているので、子供はそれになびくかな。
・別の例を示す。「3つの挨拶方法があるが、どれが正しいか」と問う教材である。①「おはようございます」と言うのとお辞儀を同時にする。②「おはようございます」と言った後に、お辞儀をする。③お辞儀をしてから、「おはようございます」と言う。正解は②とある。私は知らなかったが、日本には「語先後礼」の文化があり、明治時代の「小学校作法教授要項」にも記されているそうだ。私は挨拶の仕方に、正解・不正解はないと思う。
<3.自由な人間に同調圧力は無力>
○教育現場への首長の介入
・日本会議系の教科書が、小学校の5%で採用されている。これは日本会議系の首長による介入と考えられる(※この組織は初めて知った。勉強不足)。2015年「改正地方教育行政法」により首長は教育行政大綱の策定者になり、教育長の任命者になり、総合教育会議の主宰者になった。これにより首長の教育への発言力が高まった(※教育制度についても無知なんだよな。これも宿題だが)。安倍政権を応援する「教育再生首長会議」に集う市町村長は、教科書採択に介入している。私はこの会議に何度か参加したが、首長が教育に介入したがっている事を感じた。
・2019年千葉県野田市で、父親から虐待されていた小学生が死亡する。この時教育委員会が彼女が書いたアンケートを父親に渡していた事が批判された。2011年滋賀県大津市で中学生が自殺し、教育委員会の対応が問題になる。これにより学問の自由/教師の専門性/住民参加に支えられた地方教育行政が求められ、地方教育行政法が改正された。※時系列が逆転している。
・教育への介入は露骨な実力行使に限らない。忖度や同調圧力によっても起きる。むしろこっちの方が多い。さいたま市の公民館は、改憲の風潮から俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の公民館だよりへの掲載を止めた。しかし最高裁により、これは作者の利益を侵害したとして違法とされる。
・国家主義への指向は日の丸・君が代の指導にも見られる。2018年「幼稚園教育要領」にも「国歌国旗に親しむ」と記された。初めて歌った歌が君が代になるのは、冗談にも程がある。
○表現の自由が危ない
・選挙権年齢が18歳に引き下げられる(※これは選挙目的もあるが、国際的な標準でもあるかな)。これに伴い、高校生の政治活動も緩められ、政治教育も必要とされた。
・2015年10月文科省が「高等学校教育等における政治的教養の教育と高等学校教育等の生徒による政治的活動等について」を通知する。この通知に「現実の具体的な政治的事象も取り扱い、より具体的かつ実践的な指導を行う」(※簡略化)と記されている。この事象にはモリカケ問題/辺野古基地建設問題/統計不正問題/外国人労働者の受け入れ/原発再稼働/憲法改正が含まれ、これを指導に使おうとしている。これは画期的な事で、生徒に自らの判断で権利行使させようとしている。
・しかし一方で「生徒の政治的活動は、学校側で規制する」「教員は個人的な主張をしない」「特定の政治的立場に立たない」「地位を利用して生徒に接しない」などの縛りもある。元々教員には厳しい制限があり、特定の政党・候補舎の支援は禁止され、生徒に政治的影響を与える事も禁止されている。SNSで憲法改正について意見すると、「地位を利用した」と判断され、教員の表現の自由は奪われる。※教育現場では、教師の考え方が、生徒に少なからず伝わるだろう。
・ドイツにはガイドライン「ボイステルバッハ・コンセンサス」が存在する。ここに中立性を保つための3つの原則が記されている。1つ目は「教員の意見が生徒の判断を圧倒してはいけない」、2つ目は「政治的論争がある話題は、論争があるものとして扱う」である。そのため意見対立がある場合は、その両方を伝えなければいけない。そして3つ目が「自分の関心・利害に基づいた政治参加能力を獲得させる」で、子供を自分で考え、判断できるように導いている。※日本の教育は「聞いて、覚える学習」で、欧米の「自分で考え、それを発言する教育」と根本が異なるかな。
○日教組と政権の対立、和解、そして再び敵視
・教員も1市民なので、政治的見解を持つ。そのため政治教育すると、それが現れるだろう。しかし対立する見解も伝えれば問題はない。日本は長く自民党政権だった。そのため政治教育に求められるものは中立性ではなく、「権力を批判するな」になった。これにより国民は政治に無関心になった。
・「日本教職員組合」(日教組)は権力と闘ってきた。これにより処分者も出した。しかし今は対立が見られない。1989年日教組は内部分裂し、反主流派が「全日本教職員組合」(全教)を設立した。1994年日教組が支援していた社会党が自民党と組み政権を取り、文部省と日教組は和解する。日教組の中央執行委員長が、「中央教育審議会」(中教審)の委員に選ばれたりもした。しかし2006年第1次安倍政権が誕生すると、彼は日教組・全教を敵視するようになる。※2015年安倍首相の野次を紹介しているが省略。
・政治への無関心は教育以外でも広がっている。リーマンショックを知っている30代は不況を知っているが、それを知らない20代は特に無関心である。
○学び続ける
・インターネットで右翼的な発言をする人は「ネトウヨ」と呼ばれる。彼らは右翼的な発言をするだけでなく、政権批判に対する攻撃的なコメント、特定の国や人種への差別的なコメント、特定の人物への人格攻撃をする。
・人間は天使と悪魔の心を併せ持っている。本来なら前者の理性・知性が後者を抑え込んでいる。しかしその力が弱くなり、ヘイト的・ネトウヨ的言動を導いている。彼らには不安・不満・恐怖心があり、敵を煽り、権力に同化する事で安心感を得ている。※実際は想定文で書かれているが、断定文で記した。
・ネトウヨは40・50代が多いが、自己の思想が形成されていない若い世代にもいる。ある講演で中高年層が占める中、高校生と思われる少年が参加していた。受講者に質問を書いてもらったが、そこに「僕はネトウヨです。(中略)僕は公開模擬試験の政治経済で県内1位でした。僕をどう思いますか」とあった。これに対し回答しようか迷ったが、「県内1位は素晴らしい事です。これからも勉強を続けて下さい。自身をネトウヨと決めつける必要はありません。自分は自分です。これから学びを続ける中で、人生観・世界観は変化するでしょう。実際右翼から左翼になった人、左翼から右翼になった人がいます」と回答した。※大幅に省略。
○新自由主義は排外主義に向かう
・人の邪悪な側面は、日本経済を約30年支配した「新自由主義」の中にも胚胎している。これは「規制の緩和・撤廃と利潤を追求する自由競争により経済は成長し、それによる富が社会全体に行き渡る」「人は損得勘定でしか動かない」とする思想である。例えれば「人の前にニンジンをぶら下げ、その数が増えれば、もっと頑張る」となる。※面白い例えだな。
・しかし人はそんなに利己主義ではない。ニンジンを見ても頑張らない人もいれば、得たニンジンを分ける事に喜びを見出す人もいる。博愛精神が欠けてしまうと、公正な社会にならない。大企業・資産家がさらに富裕化し、富の集中・蓄積がさらに進めば、弱者は利益至上主義者により食い殺され、利益至上主義者同士も食らい合う弱肉強食の世界になる。「人は利益のみで動く」とする人間観だと、助け合う「市民社会」を作る事はできない。
・この様な社会になると、国家権力による秩序が必要になる。この上からの秩序は、同調圧力と忖度により増強され、人々は萎縮し、自由と連携を失う(※抽象的だけど、何となく理解できる)。ところがこの社会は”自由を捨てた人”には住み易くなる。それは「正しい考え方」「正しい生き方」を上から与えられるからだ。彼らは同調圧力を圧力と感じなくなり、全体主義が確立する。
・私は38年間、文部省/文科省に仕官したが、この間に新自由主義と全体主義・国家主義が同時並行で進んだ。2012年第2次安倍政権誕生以降、権力が官邸に集中し、チェック・アンド・バランスが機能しなくなった。この富が権力を支える構造は今に始まった事ではない。新自由主義/全体主義・国家主義では、一人ひとりが自由な精神を持ち、お互いが繋がり合うパブリックな世界を作る事はできない。
○答えは自分で見付ける
・私は右翼でも左翼でもない。保守でもリベラルでもない。時々「どうやって、あなたの様な人間になったのですか」と訊かれる。少年の頃は、宮沢賢治/夏目漱石/ドストエフスキーなどに親しんだ。原始仏教も学んだ(※インド・オリジナルかな。面白そうだな)。ベートーベン/チャイコフスキー/ブラームスからは、意志の力/人生への愛/憂愁/悲哀を学んだ(※音楽は疎いので分からない)。当然両親の影響もある。エーリッヒ・フロム/森有正は特に読んだ。
・従って人格形成に特に決定的なものはないと思う。私は麻布中学・高校の出身である。官僚は「麻布VS開成」の図式があるとされるが、私は特にリベラルでもない。麻布出身でも国家主義・民族主義者はいる。
・ただし麻布での6年間は、人格形成に大いに影響を与えている。麻布の校風は「自由」と云われるが、度を越していた。隣の教室への穴が壁に空けられるなど、無秩序だった。1968年中学2年の時には学園紛争が起きた。これは世界的な傾向で、翌年東大安田講堂事件が起きている。1970年には生徒がデモを計画し、それを校長が認めなかったため、生徒が校長室を占拠した。その1ヵ月後、校長は責任を取って辞任する。
・校長代行が就くが、彼は生徒に強硬になる。1971年学校に機動隊が突入し、生徒を排除し、ロックアウトも行われた。生徒だけでなく保護者/教職員も、校長代行支持派と反対派に分裂した。しかしこの校長代行は、後に横領により逮捕された。
・これらの経験から、正義・善などの判断は自分でするしかないと悟った。敗戦直後に幼少期・少年期を過ごした人は「焼け跡世代」と呼ばれる。文学でも従来の権威に対し批判・反発が起こり、彼らは「無頼派」と呼ばれる。秩序が破壊された中で少年期・青春期を過ごした人は、「世界観・価値観は自分で見付けるしかない」と強く抱くのだろう。※「戦後世代」とかありそう。「ベビーブーマー」はもう1世代後かな。
○多様な10代が座標軸
・10代の多感な時期に、「宇宙を貫く真理」「自分は何のために生きる」「社会はどうあるべきか」などを考える必要がある(※自分にはなかった)。「勉強」だけして、「優秀だね」と言われて満足していては、同調圧力に身を委ねる人間になる。人の最低条件は、「自分で考え、自分で判断し、行動できる」事である。学歴だけが立派ではどうしようもない。
・霞が関のエリート官僚にも、その様な人がいる。彼らは教科書通りの行動はできるが、教科書にない問題に直面すると、判断・行動ができない。霞が関では思想・理想を持たず、権力に忖度・隷従する人が次官・局長になっている。
・「良い成績を残す」事だけを考えて生きていると、思想・良心は育たない。自分の中に座標軸がないと、長い物に巻かれ、権力に同化するようになる。今の日本は、その様な人間が増えている。「考える力」を育てる教育が必要である。※小学校1年生3学期、黒板の上に掛けられたのが「考える」だったかな。
・人は何も持たず生まれ、何も持たず死ぬ。仏教には「自帰依、法帰依」の言葉があり、「自分を拠り所とし、真理を拠り所とすべし」と教えている。「外の権威に従うのではなく自らの真理に従え」と教えている。臨済宗には「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺せ」とある。これは外の権威への従属を、一切拒否している。私は自由で、精神的アナキスト(無政府主義者)である。真の自由人に、同調圧力は無力である。※ここまで達せれば、凄い。
第3章 メディアの同調圧力 マーティン・ファクラー
<1.米国の報道は、スクープ報道から調査報道へ>
○忖度を英訳すると
・森友学園問題から「忖度」を頻繁に聞くようになった。辞書には「他人の心情を推し量る。あるいは推し量り、相手に配慮する」とある。しかしこの英訳はない。
・2017年3月森友学園の籠池・前理事長が日本外国特派員協会で記者会見した。彼はニューヨーク・タイムズの記者から「安倍首相に口利きをして頂いたと言っているのですか」と訊かれ、「安倍首相または婦人の意志を忖度したのだと思います」と答えます。これは「reading between the lines」(行間を読む)と訳された。これは分かり難く、さらに問うと、「安倍首相は口利きをしていないでしょう。忖度したのでしょう」と答えます。ここで忖度は前記と共に「surmise」(推測する)と訳された。
※要するに「官僚に直接指示はしなかったが、官僚がその行動を取った」だな。欧米人であれば「指示を頂ければ、そうします」と答えるのかな。
・外国人に「忖度」は分かり難いが、似た言葉に「kiss ass」(おべっかを使う。ゴマをする。媚びへつらう)がある。これはイエスマンなどを揶揄する言葉である。ジャーナリズムでも、余りに権力に寄りそうアクセス・ジャーナリズムの場合、「kiss ass」と言われる。
・これは日本語では、「政権のポケットに入る」(in the administration's pocket)と訳される(※これは逆に「in the administration's pocket」が「政権のポケットに入る」に日本語訳される話では)。米国ではこう表現されたくないため、ジャーナリストは常に襟を正している。
○ベトナム戦争でのメディアの反省
・ベトナム戦争(1965~75年)で米兵5.8万人が亡くなり、ベトナム人は450万人が亡くなった。米軍が散布した枯葉剤は今でも悪影響を及ぼしている。しかし米国民は当初はこの戦争を肯定していた。
・この戦争は北(ベトナム民主共和国)と南(ベトナム共和国)の戦いで、それを東西の大国が支援した。米国には「東南アジアを共産主義から守る」との大義名分があり、1965年の世論調査で国民の65%が支持した。当時は第二次世界大戦のベテラン記者が現地に赴き、権力に寄り添い、戦争を肯定する報道を行った(アクセス・ジャーナリズム)。
・しかしこれに抵抗したのが、ディヴィッド・ハルバースタム(ニューヨーク・タイムズ)/ニール・シーハン(UPI通信)などの若手記者だった。彼らはベトナムに赴き、米兵の死傷者が急増している事実などを伝える。CBSのウォルター・クロンカイトも、米兵が農家を焼き払ったり、共産ゲリラを射殺する現実を『CBSイブニングニュース』で報道する。これは大反響を呼び、抗議の電話がCBSなどに殺到する。ジョンソン大統領も彼らを「裏切者」と糾弾する。
・しかし彼らは屈せず、報道を続けた。1967年世論調査で戦争不支持が逆転する。1968年3月ジョンソン大統領は次期大統領に出馬しないと表明。ベトナム撤退を掲げたニクソンが大統領に当選する。若きジャーナリストの勇気が政治を動かした。
○ペンタゴン・ペーパーズ
・1975年4月ベトナム人民軍/南ベトナム解放民族戦線がサイゴンを占領し、ベトナム共和国が無条件降伏し、ベトナム戦争は終結する。戦争中ニューヨーク・タイムズに転職したシーハン記者は機密報告書『ペンタゴン・ペーパーズ』を入手する。1971年6月当紙は1面を使い、連載記事を始める(※日本だと完全に排除される)。ワシントン・ポストも同報告書を入手し、同様の記事を始める。
・この報告書にはトルーマン/アイゼンハワー/ケネディ/ジョンソン大統領が行った虚偽の説明が、つまびらかにされていた。特に衝撃的だったのがトンキン湾事件の捏造だった(※米国は米西戦争でも同じ事をした)。また北ベトナムへの爆撃は、死傷者の8割が民間人だった。
・これに対しニクソン大統領は訴訟を起こすが、ニューヨーク・タイムズは「中止要請を拒否する」と譲らなかった。一審/控訴審後の上告審で、連邦最高裁判所は政権側の訴えを却下し、「国民の知る権利」を認める(※造船疑獄/砂川事件など、行政と司法が一体化している日本と異なるな)。またワシントン・ポストの葛藤を映画にした『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(2017年)は空前のヒットとなる。
○戦争を招いた大誤報
・2002年9月ニューヨーク・タイムズが「フセインは原子爆弾の部品調達を急いでいる」との衝撃的な記事を書く。この記事は「フセイン大統領は大量破壊兵器の破棄合意を反故にし、核開発を活発化している」としていた。この記事を書いたのはジュディス・ミラーで、彼女はアルカイダの記事でピュリッツァー賞を受賞していた。
・同時に副大統領/大統領補佐官/国防長官がテレビに出演し、「イラクが大量破壊兵器を保有している」と明言する。ブッシュ大統領も国連総会で「イラクが核保有に躍起になっている」と演説する(※軍産複合体は困ったものだ)。彼らは彼女の記事を根拠にした。出し抜かれた他のメディアも追随し、2003年3月イラク戦争開戦へ向かう。
・米国は国連の合意がないままイラクを攻撃し、3週間でバグダードを制圧する。しかし大量破壊兵器は見付からず、2004年10月米国の調査団は「イラクに大量破壊兵器は存在しない」と報告する。彼女の記事は誤報だった。また記事の基となった情報は、イラクの亡命活動家から得ていた事も明らかになる。※9.11直後でも、酷過ぎる話だ。
・2001年以降、彼女はイラクに関するスクープを連発していた。事態を重く見たニューヨーク・タイムズは「信頼性に問題があった」と発表し、「ホワイトハウスに何故利用されたか」とする検証記事を載せた。
○何故特ダネをもらえたか
・彼女は優秀で出世は早かった。権力の懐に入る能力も優れ、権力側から信頼され、スクープも多く得ていた。正に「政権のポケットに入る」(in the administration's pocket)だった。私(※ファクラー)はスクープ・ジャーナリズムを否定しないが、これにより批判的な視点/客観的な判断力を失い、権力に利用されてしまう(※スクープ・ジャーナリズム≠アクセス・ジャーナリズムかな)。これを避けるには、相手の「アジェンダ」を理解する必要がある。
・ここでの「アジェンダ」とは、取材で相手と議論を交わすためのシナリオである。「何故この特ダネを教えてくれるのか」と冷静に受け止め、別の角度からのストーリーを組み立てる事が可能になり、ジャーナリストは警戒心を持ち、相手の思惑に気付く事ができる(※単純に「相手はこれを報道して欲しい」「相手はあなたを味方に付けたいと思っている」ではダメなのかな)。
・この一連の報道により、当紙はアクセス・ジャーナリズムの意義を問い直し、「調査報道」(アカウンタビリティ・ジャーナリズム)の重要性を再認識した。メディアが自ら調査し、自らの責任で報道する調査報道は、1960~70年代に活発化した。耳目を集めた調査報道がニクソン大統領の政治スキャンダル「ウォーターゲート事件」で、ワシントン・ポストが1972年6月よりスクープを連発する。同紙の記者が民主党本部への不法侵入事件に不審を抱き、取材を重ね、大統領側近/政府高官が関与していた事が発覚する。さらに大統領による隠蔽工作も発覚し、1974年8月大統領が辞任する。
○米国の調査報道の活況
・同紙の記者2人が著した『大統領の陰謀 ニクソンを追い詰めた300日』は、1976年映画化され、翌年アカデミー賞にノミネートされる。調査報道は時間/労力/費用が掛る。さらに当局/世論から圧力・批判を受ける。当初は編集主幹が正当性を求め、記事にしなかったが、社会部長/編集局長の熱意に押され報道される。
・今はリスクが高い調査報道が存在感を放っている。トランプ政権の内部告発者の協力で、政権に批判的な報道を連発している。この活況は、トランプ大統領のメディアに対する強行・高圧的な姿勢と関係している。これによりニューヨーク・タイムズ/ワシントン・ポストなどのメディアは調査報道により、権力を監視する本来の役割に回帰した。これによりオンリーワンの記事が増え、各紙が購読者を増やしている。
・大統領側も負けてはいない。これまでは、AP通信がまず質問し、その後に他のメディアが続いていたが、AP通信がスルーされるケースが増えてきた(※AP通信は特別なんだ)。代わりにFOXニュース/ブライトバート・ニュースが指名されるようになった。ブライトバート・ニュースのスティーブン・バノン会長はトランプの選対本部の最高責任者になり、当選後は上級顧問/大統領主席戦略官を務めている。
○炎上する記者アカウント
・トランプ大統領は歴代の大統領と異なり、自身がツイッターでつぶやいている。彼は2つのアカウントを使用しており、NBCのテレビショーのホストを務めていた時からのアカウントと、オバマから引き継いだアカウントを持つ。前者のフォロワーは5900万人、後者は2500万人である。これをメディアがリツイートするので、影響力は絶大である。大統領選ではヒラリー・クリントンを追い込み、就任後は国内政治だけでなく、国際社会/経済に大きな影響を与えている。
・彼は1日に10件以上ツイートする事がある。ネット空間では差別的な主張が飛び交い、米国第一主義とリベラル派が相互に「フェイク・ニュース」と罵り合っている。彼は政権に敵対する記者を実名で攻撃し、彼を支持するアルト・ライトがその記者のSNSを炎上させている。しかし記者達は臆していない。
<2.日本メディアには危機感がない>
○新興ウェブメディアがピュリッツァー賞を受賞
・2008年12月米国で地方紙を発行するトリビューン・カンパニーが会社更生の適用を申請した。その後新聞社の経営破綻が続き、2009年2月にはニューヨーク・タイムズの経営危機も表面化する。リーマンショックによる広告収入の減少が大きく影響した(※2015年ファイナンシャル・タイムズは日本経済新聞社の傘下に入っている)。広告収入が望めないので、発行部数を増やすしかない。そのためにはアクセス・ジャーナリズムよりアカウンタビリティ・ジャーナリズム(調査報道)が重要になる。
・一方インターネットを媒体とする新しいメディアが登場し始めている。例えば非営利団体「プロパブリカ」がある。同団体には調査報道に携わる30~40人のジャーナリストが常勤している。サンドラー財団(?)や個人からの寄付で資金は潤沢にある。そのため広告主や権力に忖度する必要はなく、国民の知る権利に寄与し、2010年ピュリッツァー賞を受賞している。受賞作品は巨大ハリケーンの被災地で被災患者を安楽死させる選択を迫られた医師・看護師を2年半取材したものだ。その後もピュリッツァー賞を2度受賞している。このモデルは世界から注目されている。
○オバマ大統領の圧力
・メディアはトランプ政権だけでなく、オバマ政権でも危機に直面していた。彼は1917年に施行されたスパイ活動法で、内部告発者を8回も摘発している。オバマ政権以外では、これまでに3回しか適用されていない。
・これは彼の在任中に機密漏洩事件が頻発したためで、「2010年諜報員が国防総省の機密情報をウィキリークスにリーク」「2013年NSA/CIAの元職員スノーデンが個人情報の収集方法をメディアにリーク」などの事件があった。後者は世界を震撼させた。敵対国のスパイを摘発するための法律が、政権に都合が悪い情報を隠すための悪法に変わっている。※著者の中国/ロシアでの体験が記されているが省略。
○日本の新聞社は不動産業
・一方日本は権力に批判的なメディアがアクセスを遮断されたり、権力が個人を執拗に攻撃するケースも見られない(※第1章のケースがあるけど。まあメディアが忖度しているから、対立は少ないか)。2014年「特定秘密保護法」が施行されるが、この適用も見られない。そのため日本の記者のプレッシャーは、米国の1/10以下だろう。日本の記者に「電話が盗聴されていると感じるか」「身の危険を感じるか」と訊ねても、「はい」と答える人はいない。この背景に、同調圧力を生んでいる記者クラブの存在がある。
・そんな天国のような日本メディアだが、米国との共通点が1つある。新聞業界の不況である。2018年10月の発行部数は前年同月比で223万部(5.3%)減少し、3990万部となった。減少は14年連続である。日本でも倒産ラッシュが起きて不思議ではない。
・しかし危機的状況でないのは、副業の不動産業が新聞事業を上回る収益を上げているからだ(※これは知らなかった)。例えば朝日新聞社は、大阪中之島に日本最高となる高層タワー2棟を建てた。東京創業の地には東京銀座朝日ビルディングを建てた(※何れも商業施設/ホテルが入るが詳細省略。読売新聞社の記述もあるが省略)。一方米国の新聞社は、ビルの数フロアを賃貸しているに過ぎず、新聞事業で生き残るしかない。
○「I」を主語にした新聞記事
・日本の新聞社に危機感はなく、どこも似た記事を書く。署名がないため、毎日新聞の記事を読売新聞に載せても違和感はないだろう。一方危機感が強い米国では、記事の主語を「I」とし、記者が署名する画期的な変化が起きている。新聞記事は客観性を求められるため、主観的な記事はタブーとされてきた。当初は抵抗があったが、自分の意見を伝える事の価値に気付き、これを受け入れている。
・日本は独占禁止法で禁じられているカルテルのように横並びの記事が並び、お金を払っても読みたいオンリーワンの記事はない。それは権力者に寄り添うアクセス・ジャーナリズムを重視しているからだ。米国はアクセス・ジャーナリズムに盲目的に頼り切り、イラク戦争を起こし、苦い経験をした。日本はその経験をせず、令和を迎えてしまった。
○メディアは権力者に踊らされ続けている
・日本のアクセス・ジャーナリズムで特に印象が残るのが、西松建設を巡る汚職事件である。民主党代表・小沢一郎の第1秘書が、政治資金規正法で東京地検特捜部に逮捕された事件である。これ以降、彼を貶める記事が連日報道された。
・当時麻生政権の支持率が著しく低下し、政権交代が起こり得る状況だった。こんな状況下で東京地検がリークする情報にメディアが飛び付いたのだ。メディアがこのアジェンダを考察していれば、事実を洗い出す独自の取材ができたはずだ。しかしメディアはこれを怠り、権力へのアクセス権を重視し、権力に追従する記事を報道し続けた。※これに関する本は数冊読んだ。
・福島原発事故も同様であった。私は震災発生翌日から、被災地で取材を始めた。その時点でメルトダウンは起こっていただろうが、民主党政権は「メルトダウンはない」と言い続けた。経産省の記者クラブもそれを報道し続けた。※これは「起こった事が確認されていないから」と云うお粗末。
・「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)が放射能の測定を始めていたにも関わらず、データの公表を拒み続けた。4日後(3月15日)に読売新聞が「地震により予測が不可能になった」と報道した。実際は予測が続けられていたが、「一般には公開できない」と判断されていた。3月19日この事実を週刊誌『AERA』が報道する。※住民が避難した経路が丁度線量が高かったため、隠蔽したのかな。
・読売新聞を始め、他の新聞社も政府からの情報を鵜呑みにした。3月23日結局政府はこのデータの一部を公表する。このデータは米軍/米大使館には当初から提供されており、国民の怒りを増幅させた。※当時外国から「日本政府は情報を隠している」と言われ続けたのは、これだったのかな。
<3.信頼できるメディアが道しるべ>
○記者クラブはカルテル
・私は国策捜査と映る東京地検特捜部と当局の発表を無批判で垂れ流すメディアに疑問を抱いた。そこで東京地検に取材を申し込んだが、ニューヨーク・タイムズが記者クラブに未加盟のため、断られた。
・この日本独自のシステムに、何度も驚かされている。ウォール・ストリート・ジャーナルに在籍していた時、日銀総裁の記者会見に出席したいと日銀に申し入れたが、「記者クラブに未加盟なので、記者クラブの許可を取って下さい」と返答された。記者クラブに連絡すると、やはり「記者クラブに未加盟なので」と断られた。食い下がると、「質問しないなら」の条件で出席だけが許可された。しかし傍聴するだけでは、何の意味もない。
・首相や政府高官の記者会見では、事前に質問を提供する必要がある。これは米国では考えられない。これは事前準備する上では有益だが、都合が悪い質問を除外するのであれば、悪しき習慣である。菅官房長官の定例会見も判で押した質疑応答になっている。望月衣塑子のケースが例外で、当たり前の仕事をしているのに、彼女は浮いてしまっている。
○縛られない取材
・デビッド・ケイは各国の言論・表現の自由を調査している。彼は記者クラブはフリーランスやオンラインのジャーナリストに不利益を与えているとして、廃止に言及している。
・もし私が日本の新聞社の社長なら、「脱記者クラブ」を宣言し、アクセス・ジャーナリズムより調査報道を重視する。さらにデジタル化を進める。それはパソコン向けではなくスマートフォン向けにする。日本は新聞の配達制度が定着していおり、デジタル化は10年遅れている。
・私は記者クラブに加入していないニューヨーク・タイムズ/ウォール・ストリート・ジャーナルで東京特派員だったが、取材には困らなかった(※ここだけ加入になっている)。1990年代ニューヨーク・タイムズは「政府に批判的なメディア」のレッテルを貼られた。2009年私が東京支局長になり、官邸に挨拶に行くと、前任者の批判的な記事の取消しと謝罪を求められた。※自民党政権かな。
・2003年韓国では記者クラブ制度が廃止されている。※詳細省略。
○談合的に生み出される記事
・日本の記者クラブは戦前から存在する。1938年政府が人的・物的資源を統制できる「国家総動員法」が制定される。これにより記者クラブは大本営発表をそのまま報じるようになる(※大本営は今の官邸に相当するのかな。戦前の政府も理解しておかないと)。この図式は戦後も続き、高度経済成長に至っても、護送船団方式が続いた。※GHQは手を付けなかったのか。
・記者クラブは公的機関だけでなく業界団体にも存在する。加盟する事で、記者はストレスなく仕事ができる。しかし依存度が高まれば、権力側に利用され、権力側に都合が良い情報だけを流すようになる。また記者クラブはその独占的状況を維持したいため、閉鎖的になる。忖度/同調圧力が強くなり、談合的な記事しか書けなくなる。
・55年体制の成功で、横並びの記事でも抵抗感はなかったが、秀逸な調査報道も存在する。1974年立花隆は『田中角栄研究~その金脈と人脈』は、首相を退陣に導いた。1990年代バブルが崩壊し、メディアは権力の番犬となる事を求められるが、ニーズに応えられていない。
○朝日新聞の残念な撤退
・2011年10月、朝日新聞は調査報道を専門とする「特別報道部」を立ち上げる。これは東日本大震災で、民主党政権/経産省/東京電力の発表を垂れ流した反省による。各部署から総勢30人が集められ、部長の依光隆明は高知新聞からヘッドハンティングされた。
・2014年5月当部が衝撃的な調査報道をする。福島原発事故の「吉田調書」から、「吉田所長が待機命令を出していたのに、命令に違反し、9割に当たる650人が現場から撤退していた」と報道する。しかし4ヵ月後。朝日新聞は記事を取消し、記者を処分する。さらに年末、社長は責任を取り辞任する。記事内容は概ね正しかったが、現場が混乱していたため、命令が伝わらなかったようだ。「命令違反」の撤回と謝罪が妥当と思うが、記者の処分までしている。これは間違いだったと思う。
・この時期、朝日新聞は激しいバッシングを受けていた。「済州島から1千人を超える女性を強制連行した」とする「吉田証言」の記事である。当紙は関連する記事を何本も取消し、「慰安婦報道は全て誤報」とイメージされるようになった。
・安倍首相は原発の輸出をトップセールスとしており、朝日新聞を不俱戴天の敵とした。読売新聞/産経新聞は「吉田調書」のコピーを得て、朝日新聞への反論を掲載するようになる。毎日新聞も共同通信が配信した批判記事を掲載する。
・どの新聞社も読者に目を向けず、ジャーナリズムのアイデンティティーに欠けている。米国のメディアは使命感・倫理観を共有しており、トランプ政権に対し、好意的なFOXニュースと批判的なCNNがタッグを組む事もある。日本のメディアは横の連携が弱く、イデオロギーの違いにより分断され易い(※弱いと言うより、対立している)。全国紙の記者はエリートなので保身が強く働き、組織の論理に従っている。米国に終身雇用制度はない。そのため記者会見の場は、実力や存在感をアピールする場である。また大半の記事は署名されるので、記者は努力を惜しまない。※日本の終身雇用制度は、様々な面で弊害になっている気がする。
○心地良いポチに戻る
・「吉田調書」に話を戻せば、朝日新聞は記者の処分以上に、ジャーナリズムを担う組織として重大な過ちを犯した。特別報道部の記者を半分にした。これは福島原発事故の記事を禁止された事によるが(※会社命令?)、調査報道を放棄した事になる。他紙から非難され、読者の信頼を失い、発行部数を減らしたため、居心地が良いポチに戻ったのだ(※この辺り繰り返しが多いので簡略化)。しかし2017年2月当紙は森友学園問題の調査報道でジャーナリズムの矜持を取り戻す。
・テレビは新聞より酷い状況である。特に民放は権力/広告主にかしずいている。このターニングポイントが、2014年12月総選挙前の萩生田光一・副幹事長がテレビキー局に手渡した文章だ。この文書には「公平中立」などの言葉が多く登場するが、与党に不利になる報道を禁じるものだった。2016年2月高市早苗・総務相が「公平を欠く放送局の電波停止」について述べる。テレビは総務省より放送許可を得ているため、政府になびき易い。実際第2次安倍政権になると、権力に批判的なキャスターが降板している。
○信頼されなくなったメディアの行き先
・新聞社が読者を向かなくなり、テレビ局が視聴者を向かなくなくなると、国民は政治に無関心になる。特に日本は生活に不自由がないため、一層そうなる。国民は熟慮しなくなり、「まあ良いか」で済ますようになる。
・またメディアに対する不信感は増幅され、それに代わって「ソーシャルメディア」が台頭する。ソーシャルメディアは不特定多数に情報を瞬時に送れる利点がある。一方でフェイク・ニュースが拡散される欠点がある。
・これによりレイシストが生まれた。今の人々は不安感・危機感・無力感を持ち、ストレスを募らせ、それをぶつける標的を求めている。米国はメキシコからの不法移民、欧州は中東からの移民、日本は在日韓国人・朝鮮人を標的にしている。レイシストにとって、ツイッターは理想的なツールとなった。
○憲法改正にどう向き合うか
・LINEも何時、性質が変貌するかもしれない。現に特定の個人を排除する「LINE外し」が存在する。
・日本には社会を分断させる大きな問題がある。これは「憲法改正」である。安倍首相は「2020年を新憲法施行の年にする」と何度も明言してきた。また「改正案を示し、国会で議論し、国民の理解を深める必要がある。それは負託された国会議員の責務である」と述べています。彼は「自衛隊の明文化」を求めている。国民はあの戦争に向き合わざるを得ない。
・世界各国に国を2分する問題がある。韓国には「北朝鮮にどう対処するか」、台湾には「中国にどう相対するか」がある。米国は歴史的に、右派は地方自治が中心の小さな中央政府を求め、左派は強大な中央政府を求めている。
・日本はどうなるのか。右派は「日本の倫理観も他国と変わらない」とし、極右は「日本は正しかった」とする。一方左派は「日本はナチス同様間違っており、謝罪すべき」とする。自民党は高度経済成長に転じる中でこの議論を避け、二大政党化するのを避けてきた。
・しかしこの扉が開きかけた事があった。2009年鳩山由紀夫・民主党政権が誕生すると、彼は米国の「年次改革要望書」を廃止した。彼は対等な日米関係を目指していた。直前まで代表を務めていた小沢一郎は600人を引き連れ、中国を訪問し、胡錦濤・国家主席と会見した。民主党政権は”脱米親アジア”(※簡略化するため作った)を目指すが、官僚に潰される。鳩山は「失敗の原因は、民主党が掲げた脱官僚に官僚が反発し、メディアに民主党批判をさせた事」と述べている。※それで「米官業報政」と云われるのか。
・2012年第2次安倍政権が誕生すると、米国依存の戦後体制が強化される。防衛費は年々増額され、護衛艦「いずも」は垂直離発着が可能なF35Bが搭載できるように改修される。この軍拡のアジェンダに、米軍の撤退・縮小があると考えられる。
○チャレンジャーを潰すな
・日本は実質世界3位の軍事大国になった。一方で戦争の悲惨・残忍を語り継ぐ世代が少なくなった(※今は情報化社会なので、世界各地で起こっている紛争などが瞬時に世界に伝わる。ただ独裁国家には警戒が必要かな)。メディアが信頼性を放棄した中で、国民が正しい知見を持つためには、米国のように新しいメディアが台頭する必要がある。
・私は「Axios」(アクシオス)を何時もチェックしています。2017年に立ち上げられた新興メディアだが、注目される存在です。トランプ大統領と習国家主席の会談をすっぱ抜いたり、トランプ大統領が公務の60%をツイッターに充てている実態を明かしている。また「The Infomation」(インフォメーション)もチェックしています。こちらはIT分野を報じる有料ニュースです。これらは客観的で、批判的な立場を忘れていない。
・日本では日経新聞の電子版を読んでいる。他には日刊ゲンダイ/夕刊フジ/週刊金曜日/週刊文春/週刊新潮/週刊現代を読んでいる。しかしアクシオス/インフォメーションなどの新興メディアは台頭していない。2006年堀江貴文が逮捕され、実刑判決を受ける。これを見ると社会はチャレンジャーを認めないようだ。内閣/法務省の管轄下の検察がそれを拒んでいるようだ。
・しかし新しいメディアも生まれている。2017年早稲田大学ジャーナリズム研究所が発足した「ワセダクロニクル」がある。創刊特集で「共同通信が製薬会社の広告代理店の電通から成功報酬を受けていた」とする記事「電通グループからの『成功報酬』」を報道している。当NGOは寄付金で運営されており、支援の輪が広がって欲しい。他に「ファクタ・オンライン」(2006年創刊)、「バズフィード・ジャパン」(2015年設立)などが良質のニュースをオンラインで報道している。
・日本の組織は仲間意識が強く、ウェットな関係になり、個人の倫理観を貫くのが難しくなる。「平和安全法制」に反対した石田純一は、直後に3つの番組をキャンセルされる。都知事選出馬を断念した際は、CM差し替え/番組休止などで数千万円の損害賠償を請求されている。しかし彼は2019年嫌韓論に異議を唱えるなど、怯んでいない。※山本太郎の話も書かれているが省略。
・転職が難しい日本では、組織の倫理との板挟みになる。これに苦しまないためにはアイデンティティー(自分は何をしたいか。何をする事が正しいのか)の確立が必要になる。そのためには正確で、公正で、信頼に足るメディアを選択する必要がある。
※彼は米国人なのに、随分日本を心配してくれている。本章は広く浅くで、少し抽象的だったが、多くの問題を掲示してくれた。
座談会 同調圧力から抜け出すには ※発言者名は省略。
○薄れた記者の危機感
・デビッド・ケイは国連人権理事会から委嘱され、各国の言論・表現の自由を調査している。2016年彼は日本を調査し、「メディアが政権に忖度し、批判すべき事を控え目に報道している」と指摘している。
・これと対極の光景があった。1972年佐藤栄作首相が退陣会見を行った。彼は国民と直接話をしたいとの理由から、「記者は出て行ってかまわない」と述べた。記者は会場を出たが、毎日新聞の岸井成格だけが残った。当時はジャーナリズムに対する攻撃は、自分に対する攻撃と受け止める風土があった。しかし第2次安倍政権になり、そんな気概・風土はなくなった。※当時は多少緊張感があったのかな。
・戦後の平和が長くなり、結果として記者の存在理由が問われなくなった。戦争を経験した記者は、戦争を2度と起こさないと強い意識で臨んでいた(※1960年代は安保反対とか学生運動が盛んだったかな)。米国はベトナム戦争/湾岸戦争/イラク戦争の苦い体験をし、ジャーナリストは団結し、圧倒的に強い権力に対し物事を言っている。
・第2次安倍政権になり、首相がテレビ局/新聞社の会長・社長と会食する機会が増えた。それまでの首相は逆に距離を置いていた。そうなると記者は萎縮し、批判的な記事が書けなくなる。欧米のメディアは独立性・信頼性を求められているため、これはあり得ない。
・2016年高市早苗・総務相が電波停止に言及した。当然これはテレビ局に対し威圧になる。それまでの総務相は発言を控えていましたが、その雰囲気もなくなった。この発言に金平茂紀/岸井成格/田原総一朗などが抗議するが、多くはフリーの方で、民法連は抗議しなかった。
・日本のメディアは横の繋がりが弱い。菅官房長官の定例会見で望月さんが批判されても、誰も異を唱えない(※政府は敵同士で戦わせる作戦だな)。米国は違う。CNNの記者が記者証を無効にされた時、FOXニュースは報道機関の共闘に加わっている。米国の報道機関は倫理観を共有している。
○日本の報道は天国?
・日本の報道は米国と比べ、100倍も天国です。2014年「特定秘密保護法」が施行されたが、記者は全く摘発されていない。警察/裁判所からのプレッシャーは全くなく、暗黙の了解の下で報道が行われ、権力と闘う体制にない。「電話が盗聴されている」とか「メールが読まれている」とかを感じる事もない。
・(望月)私は1度、危険を感じた事があります。(ファクラー)ワシントンでは常に警戒しています。日本だと、プレッシャーを感じるのは取材先となっています。取材先に批判的な記事を書くと、情報をもらえなくなるプレッシャーです。これがアクセス・ジャーナリズムの問題です。
・テレビでは著名なキャスターの降板が相次いでいます。(前川)文科省はメディアを有効利用していました。ちょっとしたネタでも報道されると、大きな宣伝効果があります。日本はこのアクセス・ジャーナリズムが組織化・常態化しています。これによりメディアの自立性・主体性・批判性などが失われている。
・(前川)官僚時代の朝の日課は、各紙の記事を確認する事でした。大臣・副大臣が流していない記事があると、「この情報は誰が流した」と犯人探しが始まるのです。2014年「京大 学長を公募 改革へ期待」の記事が出ます。これに京大の教職員が抵抗し、結局ゴリラ研究の第1人者が総長に就任します。※「京都大学霊長類研究所」は最近解散となったはず。
○ニューヨーク・タイムズは黄金時代
・権力が官僚から政治家に移った変化も見逃せません。政治家は敵・味方をはっきり区別するため、メディアとの関係が崩壊しています。またメディアのデジタル化が普及しているため、今のメディアは未曾有の危機にあります。メディアの倫理観・価値観・使命感を考え直す時期です。
・今ニューヨーク・タイムズの購読者は400万人で、黄金時代です(※因みに読売新聞は700万部)。当紙はトランプ政権を批判し、読者を広げています。大学で講演した時、学生から「どの様な時代になっても権力をチェックし、追求して欲しい」と言われ、励まされました。記者に求められる事は不変です。
・紙の時代は上から下への一方的な関係でした。しかしデジタルの時代になると、読者は情報を選択できるようになり、力は読者に移ります。メディアは危機感を持たねばなりません。情報の受け手もリテラシーが重要になります。情報の正誤を判断する教育が、小学生の頃から必要になります。情報が溢れ、価値がなくなる危機感もあります。米国であれば政権にべったりの記事だと、「価値なし」となります。ところが日本の読者は惰性で読んでいる気がします。嫌中・嫌韓など「売れれば良い」との傾向にも危機感を感じます。
○個人ネタをリークする機関
・(前川)私は大新聞から不愉快な目に遭わされ、メディアが権力の手先になったと感じました。テレビ・新聞は権力寄りなのか、そうでないのか明確になってきました(二極化)。私は事務次官在任中に杉田和博官房副長官から、「君はふさわしくない場所に出入りしている」と注意されました。何故その様な事を知っているのか驚きました。内閣情報調査室(※以下内調)か警察が調べたのでしょう。これは私が加計学園問題で記者会見を開く直前です。
・これを読売新聞と週刊新潮が記事にしましたが、週刊文春も同じネタを官邸からもらったそうです。週刊文春には「これは書かなくて良いが、加計学園の疑惑を教えて欲しい」と伝えています。いずれにしても政権は権力維持にメディアを利用しています。
○人事の前では口を閉ざすしかない
・今は内閣人事局が省庁幹部の人事を管理しています。前川さんも候補者をダメ出しされた事があるそうですね。文科省の審議会委員は学者が主体なので、政権に批判的な人もいます。そこで選ばれた候補者が何度も突き返されています。
・(前川)私は内調に関係する仕事をした事があります。1998年中央省庁改革推進本部に出向し、法務省外局の公安調査庁の縮小に関わったのです。過激派がいなくなり、公安調査庁の人員を内調と外務省に振り分ける調整をしました。そこで知ったのは、内調と警察が密接と云う事です。
・(望月)私も驚いた事があります。伊藤詩織さんが告発会見した日、彼女の代理人弁護士の上司と安倍政権を批判した野党議員との密接な関係が、インターネットで瞬く間に広がりました。そしてその情報は、内調の職員が政治記者に配布していたのです。伊藤さんに政治的な思惑はなく、様々な法的な悩みを相談する「法テラス」に電話したのです。その電話を受けたのが、代理人弁護士だったのです。私はこの怒りから菅官房長官会見に乗り込んだのです。
・米国にも似た機関はあります。「中央情報局」(CIA)は米国の安全保障政策に必要な情報を、海外での諜報や工作活動で収集する機関です。一方「連邦捜査局」(FBI)は国内で活動しています。1950年代政府が反共産主義から、連邦職員/メディア関係者/著名人などを捜査した事があります。しかしこの苦い経験から、今は政府がFBIを簡単に利用できなくなっています。
・(望月)私が菅官房長官の定例会見に出席し始めた直後、あるジャーナリストに「内調があなたを調べ始めた」と言われます。これは政権が取るオーソドックスな圧力手法だそうです。※大幅に省略。
・安倍政権の怖いところは、本来は中立であるべき機関を権力の私兵にしている点です。伊藤詩織さんの件では、本来は逮捕されるはずでしたが、直前で停止されています。警察も検察も、さらに裁判所までもが政権に支配され、日本は法治国家なのかと疑問を抱きます。※2018年9月自民党総裁選の話が書かれているが省略。
・警察であれば民間人が含まれる国家公安委員が存在するため、民主性・中立性を確保できます(※警察庁の上部組織が国家公安委員で、警視庁の上部組織が東京都公安委員だな)。しかし内調は首相直結なので、それを保てません。※首相の面会最多は内閣情報官だったな。何を企んでいるのか。
・これまでの話を聞いていると、内調はソ連の諜報機関「ソ連国家保安委員会」(KGB)などを連想させます。内調の存在意義は「国家体制の維持」ですが、「政権の維持」になっています。
○役員人事は菅官房長官が一元管理
・(望月)私は2017年6月から菅官房長官の定例会見に出ています。その頃から「事実に基づかない質問をする記者がいる」との抗議文が官邸から編集局に届いています。また東京新聞が連載「税を追う」で武器輸入の記事を書くため、官邸/国家安全保障会議を取材しましたが、菅官房長官の元秘書が別の記者に抗議しています。
・(ファクラー)私がニューヨーク・タイムズの東京支局長の時、外交の記事を書くと、日本領事館の外交官がニューヨークのボスに抗議しています。しかしボスは「よくやった」と褒めてくれました。
・今の政権は役人の操作に長けています。個人の情報を掴んで、スキャンダル化し、鞭としています。最も効果があるのが人事です。幹部人事は各大臣に任命権がありますが、官房長官が議長の「人事検討会議」で承認される必要があります。そのため幹部人事は実質、菅官房長官の手中にあります。結局官邸に迎合・忖度する役人は出世し、反対する役人は潰されます。2018年の文科省事務次官の人事がそれで、「何であの人が」と思われる人事になりました。※新事務次官の就任挨拶の話が書かれているが省略。
○自分の中の基準に照らし合わせ
・森友学園の土地取引で近畿財務局の職員が自殺しました。彼は強い使命感・責任感を持って仕事の臨んでいたのです。テレビ東京は彼の同僚や財務局OBが真相の究明を求める映像を流し、他社もこれに追従します。しかし麻生財務相は政治的責任を取らず、大臣に居座り続けます。
・これを放送したテレビ東京の記者は財務省の記者クラブ所属なので、放送後に相当なプレッシャーを受けたと思います。彼女は職員の無念さや遺族の悲しみから奮闘したのでしょう。日本のメディアは同調圧力に弱いとされますが、一人ひとりが勇気を振り絞ればメディアも変われると思います。
・私は「組織の論理と自分の座標軸はズレている」を当然の前提として仕事してました。その中でポストを得て、自分のやりたい仕事をしてきた。それが2017年5月加計学園問題で「総理のご意向」の存在を告発した記者会見になったのでしょうか。
・私は常に教育行政に結び付けて物事を考えますが、権力に従属し、同調圧力に屈する人が作られた原因は教育にあったと思っています。国民に「社会は自分達が作る」の気概を感じません。権力が一極に集中し、三権分立が崩れているこの現状に危機感を感じます。そしてその原因は教育であり、メディアだと思っています。
・米国の危機感は方向が違います。ホワイトハウスの記者会見で記者は国民の思いを汲んだ質問をしているのか。そう云った点に国民の目は向けられています。そうでないと記者の存在意義が問われるからです。
○究極のKY
・私が気になるのが麻生大臣の「若者は新聞を読まないので、自民党を応援してくれる」の言葉です。今はインターネットが日々進化していますが、社会が追い付いていないようです。2018年11月米国の中間選挙で歌手テイラー・スウィフトが民主党を応援するとインスタグラムに投稿します。これにより有権者登録が飛躍的に増えます。これはネットのポジティブな面です。特に彼女の「自ら学び・・」の言葉に感動しました。
・(望月)人はそれぞれ集団に所属し、そこには固有の論理があります。しかし各自は「これは大切にしたい」「これは伝えたい」「これは変えたい」などを持っていると思います。他人からの評価を気にせず、納得できる方法で正義を貫いて欲しいです。
・(前川)これは「究極のKY」「ゴーイング・マイ・ウェイ」ですね。どこからその強靭さを培ったのでしょうか。(望月)幼い頃はお転婆で、ガキ大将にも歯向かっていました(※簡略化)。怒りや疑問を感じた時は、自分で聞くしかないと思い、記者会見に通い続けています。短気で、後先を考えないので、ネジが外れているのかもしれません。(前川)正に孔子の「義を見てせざるは勇無きなり」ですね。
・(ファクラー)バッシングされても真実を伝える。個人の性格と仕事がマッチしていますね。それがないので、ただのサラリーマン記者が生まれています。(望月)振り返ると、応援してくれた人が沢山いました。一人ひとりが同調圧力から抜け出し、言いたい事を言えば、社会は少しずつ良くなっていくと思います。
あとがき 望月衣塑子
・本書は自著『新聞記者』を映画化した『新聞記者』の公開に合わせて企画された。『新聞記者』が刊行され1年半過ぎたが、記者の間には「物言えば唇寒し」「出る杭は打たれる」などの重たい空気が漂っている。そんな時プロデューサー河村光庸さんが「官僚は人事権を奪われ、テレビ・新聞は自主規制で萎縮・忖度している。実は映画界もそんな空気が広がっている」と語りました。そんな河村さんや藤井道人監督/脚本家が題材に選んだのが、「内閣情報調査室」でした。映画はその闇に迫るフィクションですが、モリカケ疑惑や伊藤さんへの暴行疑惑などをモチーフにしています。
・この映画製作を機に、マーティン・ファクラー/前川喜平と座談会を行い、司会を南彰さんが務めました。7時間に及ぶ議論から生まれた言葉が「同調圧力」でした(※余談だが「同調圧力」の英訳は「peer pressure」で、一般的な言葉みたい)。組織のトップ/上司/親が、白い物を黒と言えば、それに従わざるを得ない。しかし自分が考え、判断したのであれば、自信を持って行動すれば良いと思います。
・2017年4月母が急逝しました。これを機に自分の人生を考えるようになった。その時読んだのが『死ぬ瞬間の5つの後悔』だった。そこに「人は死の間際に『他人の期待に添うのではなく、自分のやりたい事をやっておけば』と後悔する」とあった。※これは本書の主題「同調圧力」を超える教訓だな。
・私は感じた疑問を菅官房長官に直接聞きたかった。そこでは後先の事を考えなかった。自分の正直な気持ちに従えば、後悔はしないと考えたからです。そんな思いで記者会見に通い続けました。
・得られた事も多くある。河村さん/ファクラーさん/前川さんに出会えた。米国では記者自らが検証・自省を繰り返し、存在意義を問い続けている事を知った。日本の記者クラブ/メディアの問題も改めて認識できた。安倍政権の教育への介入も知る事ができた。前川さんから聞いた「真に自由な人間に同調圧力は無力」の言葉も感慨深かった。本書が皆様の自縛を解き、新たな一歩になる事を期待します。