『民主主義を問いなす』内山節を読書。
第1講の民主主義は頷く事が多かった。第2講の農村も勉強になった。
第3講の「関係と場」は少し抽象的だが、参考になった。第4講の「根を張る」も参考になった。
第1講・第3講は特に面白かったが、総体的に反グローバリゼーションの立場と思う。
お勧め度:☆☆☆
内容:☆☆
キーワード:<序文>中期講習会、近代社会/近代革命、<国家が意味を失う時代>企画会社、旗、強い国家、沖縄、王朝、デマゴーグ、自由・平等・友愛、富の独占、天皇制、<構想力と伝統回帰>信仰、共同体/コミュニティ、韓国、ソーシャル・ビジネス、上野村、経済発展、労働体系、新規参入、百姓、農村、高齢化、システム変更、<関係的世界への回帰>社会観、関係、修験道、意識、場、<どこに根を張るか>総合企業/専業企業、企業型農業
序文 神話としての近代世界
○畑を耕すようになって
・1970年代私(※著者)は釣りのため、群馬県上野村にしばしば滞在した。釣り名人から「釣りも良いけど、畑はもっと良い」と言われ、2畝(60坪=200㎡)の畑を耕すようになる。後に200坪(660㎡)の畑と1ヘクタールの山が付いた古家を購入する。2畝の畑を耕していた頃「中期講習会」の講師の依頼があったが、農業に深い知識はないので断っていた。
○農民達との出会い
・その数ヵ月後、山形でシンポジウムがあり、私は発言者として出席した。その時「中期講習会」の中心メンバーの栗田和則・キエ子夫妻が訪ねて来られた。夫妻は山形県金山町で農家林家を営まれている。そこで彼から「私達は農業のプロです。しかし世界や社会がどうなっているか分かっていません。それを知っていないと、農業を維持できないのです。その時々の問題意識を自由に話してもらえないでしょうか」と、再度の依頼を受けた。それで講師を引き受けます。※中期講習会が開かれる場所・規模などの説明が欲しい。
・この中期講習会は「東北農家の2月セミナー」となり、35年も続いています。2日間で4回で、結構ハードです。35年も続いているのでメンバーは変わりましたが、皆が農家です。また農機具のセールスマンなども出席されています。
○近現代的世界を問い直す
・本書はその勉強会の報告で、3冊シリーズで、本書は第1巻です。近代社会は、国民国家/市民社会/資本主義の三位一体です。中世後期、国民を一元管理する国家が作られます。しかし絶対王制の下では上手くいきませんでした。しかし「近代革命」が起き、自由・平等が認められ、国民国家が形成されます。個人の自由が尊重された事で、経済も個人が基調になり、労働者/経営者/資本家など、個人として活動するように変わります(資本主義)。
・しかしこの三位一体が限界を迎えています。市民社会はバラバラになり、資本主義は格差を生んでいます。そこで本書の第1講は、「私達はどこで間違ったのか」を検証します。
○未来のヒントを伝統社会にもらう
・私達は「どんな未来にするのか」も検討しなければいけません。私は「伝統回帰」の言葉をよく使います。明治時代は伝統を破壊した時代です。限界を迎えている以上、過去からヒントを得る必要があります。※有機農業に触れているが省略。
・近年コミュニティ(共同体)への関心が高まっています。あらゆる分野で、関係/結びつきなどの言葉が使われます。しかしこれは伝統社会には内在化していました。本書の第2講では伝統回帰について、第3講では伝統社会における関係について、第4講でこれらを纏めます。
・近代的世界は様々な神話に包まれてきました。しかし今は「経済が発展すれば、誰もが幸せになる」「市民社会は生き生きとした社会になる」などの神話は崩壊しています。
第1講 国家が意味を失う時代
<民主主義は成立しうるか>
○企画会社が主導する選挙
・まず「民主主義は成立しうるか」について考えます。民主主義の制度は世界で遂行されていますが、果たして民主的なのでしょうか。20世紀の前半と後半で、民主主義的な考え方が変わってきています。前半は「民主主義は完全には実現していないが、いつかは成立する」と考えていました。ところが後半になると「民主主義は成立しないのでは」となっています。どこの国でも制度は整えられていますが、選挙で勝った多数派の横暴になっているのです。※世界の半数の国が権威主義らしい。
・選挙に企画会社が入り、綿密に世論調査し、扇動しています。自民党にも民主党にも企画会社が付きました。米国ではトランプが無手勝流で勝ちました。戦争する時も、何年も前から企画会社が計画し、世論を統一させます。これで成功したのがユーゴスラビア紛争です。一方的に片方を悪とし、国際世論を形成するのです。戦争でも選挙でも、勝てば正当化されます。※イラク戦争での大量破壊兵器も同様だな。
○旗だけは守る ※これは納得する。
・これらが分かってくると、リベラルな立場の人は「民主主義は実現しないが、それでも民主主義の旗を降ろしてはいけない」となりました。オバマ政権もそんな政権でした。「核なき世界をつくる」と掲げましたが、何もできませんでした。まして「核は必要」とは言えないのです。
・憲法9条も一緒です。「日本は交戦権も軍事力も持たない」とあります。しかし自衛隊を持ち、海外派兵までしています。これは明らかに憲法違反です。こんなボロボロの憲法9条でも旗を降ろせないのです。昔は「9条を守れば、戦争なき世界になる」と考えていましたが、今は「9条の旗を守らないと、酷い事になる」に変わっています。
<たそがれる国家>
○本当に「強い国家」とは
・2016年10月から、私はWebマガジン『現代ビジネス』に「たそがれる国家」を連載しています。これは「国家が意味を失っていく時代」を意味します。もし「強い国家」があるとすれば、それは持続性のある国家だと思います。一時的に経済が潤っても、それが持続しないと「強い国家」と云えません。
・日本は明治になり富国強兵を行いますが、数十年で崩壊します。これでは持続性のある「強い国家」と云えません。一方江戸期は250年以上継続します。これは幕府が存在しても、分権型国家だったからです。自立性がある藩が存在し、さらに村・町が存在しました。
・よく「戦前の日本」と云いますが、これは昭和になり軍と政治が一体化し、独裁体制となった十数年間の事です。この十数年間で日本は完全崩壊し、何と弱い国家を作ってしまったのか。そんな時代を経て今がありますが、再び見た目の強い国家を希望する人達が表れています。※この「強い国家とは持続性」には納得する。
○独立問題 ※これも勉強になる。
・沖縄が日本である意味はあるのでしょうか。沖縄には基地が集中しています。以前であれば基地経済に依存していましたが、今は5%位に低下しています。今は観光と航空貨物の中継地です。基地は良い場所にあり、騒音問題も起こしています。しかし沖縄は日本の領土で、日本は日米安保条約を結んでいます。また仮想敵国は中国に移り、基地の重要性が増々高まっています。
・沖縄では独立支持者が増え、今は8%位になっています。もし20%位になると、政府も慌てるでしょう。独立は意外と簡単です。世界的に先住民族の権利は確認されています。沖縄の人が「我々は先住民族である」と主張すれば、自治権・独立権を確立する事ができます(※詳細省略)。沖縄は明治時代に琉球処分で併合されたのです。沖縄は文化的にも本土と異なり、先住民族である事を主張すれば独立が可能です。
・世界的にも独立問題が多くあります。英国ではスコットランド、スペインではバルセロナを中心とするカタロニア地方やバスク地方があります。
<民主主義と民主王朝制> ※この節も納得する事ばかり。
○選挙でできた王朝
・民主主義と云われますが、「民主王朝制」と云った方が適切です。韓国では大統領が職務停止になりました。大統領は選挙で選ばれるのですが、どの大統領も一族・取り巻きに利権を与え、退任後は不幸な結果になります。選挙で選ばれても、王朝的に権力を行使するのです。
・1789年仏国は革命により共和制になりますが、1804年ナポレオンが選挙により皇帝に就きます。民主主義的な手続きで、非民主的な王政が生まれたのです。ドイツも同様です。1933年民主的な手続きでヒトラー内閣が誕生します。政権を取ると、国会議事堂放火事件などで左翼勢力を潰します。これは正に王朝です。日本もそこまでは酷くないですが、「安倍王朝」のようになっています。
○デマゴーグの政治
・この様になる原因は、国家が強大な権力を持っているからです。政権を取れば、好き勝手な事ができるのです。しかし選挙があるので王朝とは異なります。その選挙に勝つため、企画会社を利用するのです。彼らは広告を追求してきましたが、単にテレビCM/新聞広告だけでなく、ドラマに出る人気俳優の服装や車も操作します。
・選挙に勝つため方法は、「ポピュリズム」(大衆迎合主義)と呼ばれます。しかしこの使い方は間違っています。ポピュリズムであれば政治家は大衆に迎合するのですが、実際は政治家が大衆を扇動しています。これは「デマゴーグ」です。トランプは「我々は不法移民によって酷い目に遭っている」と扇動したのです。
○強大過ぎる国家権力
・問題の根底は、国家権力が強過ぎるからです。江戸期は3代将軍までは強権的で、藩の領地替えをしたり、潰したりしました。しかし以降は、分権型の安定社会に変わります。天皇は張り子の虎で、幕府が権力を持ちますが、藩の方が力を持ちました。さらに藩より村の自治が力を持ったのです。これが持続性のある基盤です。今の民主主義政治は、国家権力が強過ぎるのです。※権力は一極集中させた方が効率性は高いが、弊害が多いかな。
<近代世界の建前>
○革命で問われなかった事
・なぜこの様な政治制度になったのか。それはその前の王朝制が強い中央集権体制だったからです。欧州で革命が行われましたが、王朝制に選挙を入れたに過ぎないのです。
○自由・平等・友愛の欺瞞
・フランス革命で自由・平等・友愛が掲げられますが、これはキリスト教の理念です。キリスト教は「神は自由を与えた」としていますが、これは「言論の自由」などとは異なります。平等にしても「神の下での平等」で、何れも神に従う義務があります。従ってキリスト教徒でないと適用されません(※自由・平等・友愛は、植民地などの非白人に対し適用されなかった)。近代になると宗教は個人の自由になります。近代になると神・王は排除され、自由・平等・友愛が社会理念として残ったのです。※体制は変わったが、理念は残った。これは面白いな。人間の普遍的な価値は残ったのかな。
・友愛も、文化・文明を共有する人が対象です。それはイスラム教徒への差別として、今も存在します。欧州は異なる理念・文化・文明に対し、排除・迫害を続けています。日本は西洋化を進めたため、自由・平等・友愛の対象になりましたが、何かあると「アジア人はその対象でない」とする人も現れます。
<近代理念の崩壊>
○先進国が富を独占できなくなった
・20世紀中頃までは民主主義は実現できると考えられていました。それは先進国が富を独占していたからです。自動車を生産できるのは、日本/米国/英国/仏国/イタリア/ドイツ/スウェーデン位でした。電機についても似た状況でした。それは資源がタダ同然だったからです。1970年頃石油は1バレルが1ドル程度でした。ところがOPECが結成され、高い時には120ドル位になります。これで先進国は富を独占できなくなります。また韓国/台湾/中国などが生産力を付けます。※韓国の自動車産業を紹介しているが省略。
○世界的な過当競争
・先進国の富独占は難しくなり、世界的な価格競争になっています。世界最強と云われた日本の電機産業もガタガタです。シャープは台湾企業に買われ、東芝も資産を切り売りして凌いでいる状況です。パナソニックは三洋を買収したので電池がありますが、韓国/中国との価格競争に置かれています。
・東芝は記憶ICと原発に特化しました。しかし利益を上げていたICを売却します。原発は言い値で売れ、しかもその後はメンテナンスがあるので儲かります。しかし1兆円の減損処理が発生し、ICを売却したのです。また東芝は火力発電と天然ガスをセットで販売しましたが、長期契約した天然ガスの採算が厳しくなっています。東芝がこの様なリスクを取ったのは、通常の電機製品で儲けられなくなったからです。
○建前も守れなくなった
・先進国が富を独占していた時代は、企業は富を得て、従業員の賃金を上げる事ができました。国も税収が増え、社会保障を充実させる事ができました。日本の高度経済成長期であれば、昨年買えなかった物が買えるようになり、行けなかった海外旅行に行けるようになりました。これにより人々は「自由」を感じ、近代の理念が実現していると錯覚しました。しかしこれは富を独占している先進国だけでした。
○むき出しの利害衝突
・「建前を守れば、いつかは実現する」と考えられていましたが、「建前を維持すれば、社会の劣化は防げる」と考えるように変わります。ところがそれにくたびれ、「建前は捨て、本音で生きよう」と考える人が増えてきました(※今の欧米の分断だな)。そこにトランプの様に「不法移民が我々の職を奪っている」と扇動する政治家が現れたのです。日本も同じで、中国/北朝鮮の脅威を煽り、「強い日本を作れ」と主張し、国民の支持を得ているのです。自由・平等・友愛/民主主義などは虚像で、実現不可能と気付き、むき出しの利害衝突の時代に変わったのです。
<分解と混乱を極める世界>
・普遍的な価値は、支配するための道具だったのです。仏国では至る所に「自由・平等・友愛」が掲げられています。これが国民統合の象徴だったのです。ところが今は、それを蹴飛ばすルペンが大統領になろうとしています。
○天皇制が抱える矛盾
・日本に国民統合の理念はありません。あるとすれば天皇制です。天皇の生前退位が議論になっています。天皇制は複雑な問題です。憲法には「国民統合の象徴」とあります。象徴とは富士山の様なもので、そこに人間性があってはいけません。
・憲法で天皇に認められている行動は、国事行為/皇室行事だけです。内閣を任命しますが、そこで自分の意見を言ってはいけません。天皇が被災地を訪れていますが、厳密に言えば、これは憲法違反です。※慰霊碑参拝などを含め解説しているが省略。
○行き詰まる国民統合
・矛盾を抱えるため「人間天皇制」に切り替える考えもあります。しかしそうなると、選ぶための根拠が必要になります。欧州の王制は契約王制で、「これこれの役目を果たす限り、王様である」となっています。しかし契約王制にするにしても、契約の内容はどうするのか、「女性の天皇は認めるべき」などの問題が生じます。戦後人間宣言しましたが、矛盾があります。
・明治の天皇制にも矛盾がありました。天皇を国家統合の軸としました。天皇を現人神とし、絶対最高責任者にしました。しかし政治の実権は、政治家・軍部が握るようになります。天皇は追認するだけで、象徴天皇に移行したのです。
・日本を統合するものがなくなると保守系は困ってしまいます。そのため日本文化・日本語に置き換えようとしています。しかしそうなると「沖縄の人はどうなの」とかの話が出てきます。また日本は明治以降、日本文化を捨て近代化を進めたので、今さら日本文化にアイデンティティを求めるのも矛盾しています。
○近代理念が未来を掲示できない
・近代国家は国家アイデンティティを掲示しています。日本は天皇制、仏国は自由・平等・友愛、英国は「世界最古の議会制民主主義国家」などの普遍的価値です。ところが富を独占できなくなり、これが化けの皮だった事が分かってきました。しかし新しい理念/政治システム/社会システムを掲示できず、世界は分解し、混乱を深めています。※今は植民地時代の末期かな。
第2講 未来への構想力と伝統回帰
<現在の様々な伝統回帰>
○宗教離れ
・これからは「伝統回帰の時代」になると考えています。生長の家/PL教などの新興宗教がありますが、何れも信者が激減しています。曹洞宗/浄土真宗なども檀家を減らしています。特に田舎で顕著です。
○広がっている自然信仰
・生長の家のトップは「信者は減っているが、日本人の信仰心は深まっている。自然信仰は復活しています」と述べています。山の神信仰/水の神信仰など、宗教以前のかたちが復活しています。※そんな認識はないな。
・修験道は宗教ではありません。修験道は寺を持ちますが、それは檀家ではありません(※修験道の知識はないな。四国八十八ヵ所巡り/熊野古道などが修験道かな)。私の周りにも修験道をする人がいます。信仰の世界でも伝統回帰が見られます。
・宗教/信仰などは明治になって作られた言葉です。江戸期には様々な仏教/神様がいました。また食事の前後に「いただきます」「ごちそうさまでした」と感謝の意を表していました。※仏様も神様も種類は無数にある。
○コミュニティ作りも伝統回帰
・近年「共同体」「コミュニティ」の言葉をよく聞きます。これも伝統回帰です。なぜなら昔の人はコミュニティと共に暮らしていました。特に農村は、「これから地域をどう作るか」を強く意識しています。これも伝統回帰です。
○韓国のエコビレッジ構想
・韓国から「共同体作りで協力し合えないか」と申し入れられ、潭陽郡(※韓国南西部。以下当地)を訪れました。韓国では実際に行っている人と、研究者/行政が協力しています。当地の中心部は小都市の規模があり、その周辺が農山村になっています。当地は有機農業の中心地で、米の品質は韓国でトップです。
・当地は「エコビレッジ」を掲げています。これは環境に負荷を与えないだけでなく、地域の持続的な発展を目指しています。当地と連携する地域として、富山県南砺市が選ばれました。南砺市もエコビレッジに取り組んでいます。
○急激な近代化が歪を生んだ
・1965年日韓基本条約が結ばれ、日本は植民地賠償としてお金を払い、そのお金で韓国は経済開発を始めます。韓国でもソウルに人口の半分が集中し、様々な問題が起きています。その1つが受験戦争です。不登校の子供のために、フリースクールが沢山作られます。そこでは農業なども教えています。小中学校の卒業認定試験制度も作られます。
・家で葬儀ができなくなり、葬儀場で葬儀しますが、葬儀場の経営者と病院の経営者が同じだったりします。墓も不足し、「墓マンション」も作られました。経済格差も広がり、地方では潭陽郡のように協力関係(コミュニティ)を作っています。この伝統回帰は韓国だけでなく、世界的傾向です。
○進むソーシャル・ビジネス
・日本でも韓国でも「ソーシャル・ビジネス」が広がっています。これは「良い社会を作るための経済活動」で、直訳すると「社会的企業」です。元々企業は「良い社会」を作るのが目的でしたが、それが儲けだけが目的になったのです。従ってソーシャル・ビジネスも伝統回帰です。
・意識する/しないは別として、この動きが広がっています。私が住む文京区は、煎餅屋などが残っています。以前は跡取りに困っていいましたが、今はどこも跡取りがいます。それは会社員に魅力がなくなったからでしょう。近くの豆屋は、大学を卒業した息子が跡取りになり、次の跡取りの赤ん坊もいます。※地方では商店街が消滅しているが、大都会は商店街の存続が可能なのかな。
・新しい店もでき、若い人がレストラン/洋菓子店/八百屋/魚屋などを経営しています。以前は成功するとチェーン展開していましたが、どの店も地道な経営をしています。彼らはソーシャル・ビジネスを意識している訳ではありませんが、地域に根付いています。これも伝統回帰です。
<上野村の伝統回帰>
○地域エネルギー
・上野村の人口は1300人で、地域エネルギー(?)で暮らせる村にしたいと考えています。9千㎥の木材を切り出していますが、その内5千㎥は製材として使えません。それを木質ペレットにしています。民間業者がやると大規模になり、そのために山の木を切る事になります。しかし上野村の発電量は180KWで、利用できない木を利用するだけです。
・森林組合で25人位が作業しています。古くからいた人が特殊な伐採をし、Iターンなどで新しく入った人は間伐などの普通の伐採をしています(※詳細省略)。隣村の森林組合に人がいなくなったので隣村を合わせ、1.5万㎥位伐採しています。
・これも伝統回帰なのです。昔の人は地域エネルギーとして薪を使っていました。当然今は薪として使用しませんが、ペレットにして発電やペレット・ストーブとして使用しています。さらに小水力発電にも取り組もうとしており、国交省と交渉中です。村を持続させるためには、2つの労働体形を整える必要があります。※2つは何と何だ。
○経済発展が地域を衰退させた
・よく「この地域は経済発展から取り残され、衰退した」と聞きます。しかしどの家も電気製品や車があります。正しくは「経済発展した結果、地方が衰退した」です。東京は経済発展した場所ですが、衰退したと云えます。それはお金が回らないと破綻する社会だからです。また直下型地震が起こると危機に陥ります(※持続性が低いかな)。経済発展は地方も大都市も衰退させたのです。大阪のマンションでは「挨拶が負担になる」として、「挨拶禁止」となったそうです。それ程劣化したのです。
○地域の労働体系を作る
・目的が経済発展ではいけないのです。労働体系を作るのが最重要です。上野村は96%が森林で、この森林を有効活用する労働体系が重要です。山で働く人、製材する人、木工製品を作る人、ペレットを作る人、オガクズからキノコを栽培する人がいます。また観光客が年間21万人います。リピーター率も高くなっています。
・経済が先ではなく、労働体系が最重要なのです。ただし赤字では困るので、赤字にならないようにしなければいけません。しかし合理化などで、過度に黒字化する必要はありません。また「結い」的な労働も重要です。祭りができなくなったり、消防団が結成できないと困ります。この2つの労働体系により持続性を高めるのです。※GDPに計上される労働と、計上されない労働だな。
○村全体でソーシャル・ビジネス
・上野村のパンフレットには「村全体が社会的企業」とあります。そのため村の自然との持続的な調和が重要になります(※近年サスティナブルが重要になっている。SDGsもそう)。かつては水田が1haあれば十分でした。しかし山間地域に水田はありません(※上野村の事かな)。そのため「村全体でどう生きるか」「労働体系をどう作るか」を考えているため、村を社会的企業と表現しているのです。これが伝統回帰です。ただし全く昔の形に戻すのではなく、新しい技術・方法も利用しています。
<農村の伝統回帰>
○百姓の世界
・農村では自然との共生が伝統回帰になります。またそれは「百姓」に戻る事と思います。百姓は「色々な仕事をする人」の意味です。従って農業をやりながら多品種を作る人/加工する人/販売する人/焼き物をする人などを含みます。
○農民は定着民?
・「農民は定着民」と考えられています。しかし上野村の多くは江戸期に来ています。また高齢者には養子も多くいます。そもそも女性の2/3は村外から来ています。また二男・三男などは都会に出て行きます。この様に移動性はあるのです。したがって「定着」の意味は、「その地域に永遠の世界を感じる」と思います。私も「上野村に定着している」と思っていますが、祖先も親戚も、この村にいません。
○新規参入も伝統回帰
・高度成長期に農山村が衰退したのは、入って来る人がいなくなったからです。そうなると縮小します。何事も新規参入がないと衰退します。新興宗教もそうです(※このシンプルな理論に納得)。新規参入があるとトラブルが発生する事がありますが、新しい農業が生まれる事もあります。どの分野も新規参入がないと衰退します。
・林業が農業以上にピンチなのは、新規参入が難しいからです。林業には500ha以上必要です。しかし1haが100万円だと5億円になり、若者の新規参入は困難です。昔の農山村は養子などで移動性がありました。この回帰を望みます。
○外部との繋がりの回復
・かつての農民は外部と繋がり、知恵を使っていました。ところが戦後は、繋がりが不要な農業に変わったのです。食管制度により国が米を買い取り、稲作だけをすれば良くなりました。また農協の指示通りにすれば良いので、知恵は不要になりました。そのため自分の農地だけを見れば良くなったのです。しかし昨今は繋がりが必要な農業に回帰しています。
○日本は稲作絶対主義だった? ※この話は面白かった。
・「日本の農業は稲作絶対主義」と云われます。それは藩が価値が安定し腐らない米を要求したからです。これに対し農民は収益性が高い綿・麻・菜種油などを作ろうとしました。江戸期は何の作物を作るかで、農民と藩が対立していました。※農民が煙草を作り、その乾燥で火事が発生するので、藩が禁止した話がある。
・稲作絶対主義にさせたのは戦争です。戦地に食料を送るに米が最良だったからです。水を入れて炊けば食べられるし、冷えても食べられます。戦争の度に稲作に移行し、アワ・ヒエは作られなくなります。これにより雑穀類の調理法も忘れ去られます。さらに大家族が核家族に変わり、手間の掛る料理は作られなくなります。電気釜(※電気炊飯器だな)があれば良く、稲作絶対主義が進んだのです。近年パスタなど小麦の消費が増えています。これからどんな作物を作っていくか、考えないといけません。
○地域としての百姓
・今の農業は機械化されています。そのため1つの農家が様々な作物を作るのは困難です。そのため地域として「百姓」になる必要があります。個々の農家は専業だけど、地域として百姓になるのです。そのため労働体系も地域で考える必要があります。
・幸い上野村は小規模で、役場がしっかりしています。また都市に通勤するのが難しいため、この課題を皆が共有しています。しかし日本の多くの農山村はこの共有が難しくなっています。
<未来社会のデザインは農業・農村にある>
・これからは「戻る」が基本になると思います。「自然との関係が戻る」「共同体の世界に戻る」「農村に戻る」などです。※伝統回帰かな。
○地域の自然を活かす
・韓国の潭陽郡(※以下当地)の風景は日本に似ていて、水田があり、雑木林があります。そのため人の営みも似ています。当地は元は百済で、その百済の人が日本に渡り、稲作を伝えたのです。訪問して困ったのは、当地の人が様々なものを見せようと、気温は-12℃位なのに、朝6時に集合するのです。
・当地は竹の北限で、真竹が多く生え、様々な利用をしています。竹の葉のお茶は、予想外に美味しかった。また韓国では竹が珍しいため、竹林公園を作り、年間50万人が訪れています。彼らも「百姓」を目指し、持続性のあるエコビレッジを作ろうとしています。※新しいキーワードは「エコ」ではなく「オーガニック」らしい。
○発想は農村から都市へ
・未来社会の発想は都市にはなく、農村にあると考えています。若者が来て、レストラン/洋菓子店などを経営していますが、基本的な考え方は古く、地域での共生にあります。都市は農村の人が集まって作ったので、その発想はあったのですが、高度成長が壊しました。農村は未来のイメージを作る能力を持っています。今はこの伝統回帰の時代なのです。※抽象的だな。
<討論 ポジション取りとシステム保守を超えて> ※難解なテーマだ。
○本当の高齢化問題
・高齢者が増える事自体は問題ではありません。問題なのはサラリーマン高齢者(※退職者?)をどの様に社会に組み入れるかです。企業以外で活動できる人は問題ないのですが、企業どっぷりだった人は孤立します。
○ポジション取りに生きる人
・企業が大きくなると、ポジション取りが生き甲斐になります。「良い学校に入ろう」「良い会社に入ろう」「高い役職に就こう」となったのです。老後も「貯金が3千万円要る」「年金が月35万円要る」となったのです。本当は老後の生き方も様々なのに、モデルが作られてしまったのです。この様なポジション取りに没頭してきた人の高齢化は問題です。
○システムを変えたくない
・ポジション取りをしている人が困るのがシステムの変更です。これが安倍内閣の支持にも表れています。個別政策の原発再稼働/安保法制/TPPなどに反対していても、選挙はそうなりません。政治家の下に後援会があり、その下にシステムがあり、その末席にぶら下がっていると、システム変更は困るのです。日本はこのシステムが出来上がり、保守主義が広がっています。日本はこの問題を解決しなければいけません。それには別の生き方をしている人が楽しくやっている事を示さなければいけません。
第3講 関係的世界への回帰
<死者は存在するか>
○関係が先にある
・日本と欧米では、社会観が異なります。欧米の社会観には生きている者しか存在しませんが、日本の場合、自然や死者も含まれます。「それなら死者の魂は存在するのか?」となりますが、これは「実体ありき」の欧米の考え方です。日本も戦後の教育で、この考え方に近付いています。日本の伝統的な考え方は、死者の有無はどうでも良く、関係を通して社会が作られるのです。自然に対しても同様で、「自然との関係を通し、社会が作られる」のです。関係の存在が、全ての始まりです。※この発想(社会観)には気付かなかった。
○なぜ仏壇に手を合わせるのか
・この発想は今でもあります。例えば家族が亡くなると、仏壇に位牌を置き、朝には御飯をあげたりします。日本人はこれをやらないと気が済みません。結局は死者との関係を維持しようとするのです。関係を維持しようとする人には魂があり、関係を作らない人には魂はないのです。実体の有無とは関係ないのです。
○私も色々な関係の総和
・私自身も「実体ありき」ではなく、上野村との関係/自然との関係/村の文化との関係/村の人との関係などが私を作っています。東京では、別の関係があります。東京でマンション管理組合の副理事長になりました。副理事長は座っているだけですが、管理組合の仕事を知る事ができました。実は管理会社に丸投げしています(※詳細省略)。結局は私も関係の総和です。上野村での濃厚な関係もあれば、東京での希薄な関係もあります。その様々な関係の総和が、私の実体です。
○自然も他者も関係ありき
・関係から様々なものが発生します。上野村は自然が豊富ですが、観光で山を眺める人と、村の人が山を見る観点は異なります(※マツタケの話は省略)。自然に対する考え方は人によって異なるのです。それは関係が異なるからです。
・他者に対しても同様です。例えば栗田さんがいるとします。彼との関係は、私と彼の妻では異なるので、その実在も異なります。
○神仏と関係を結ぶから、神仏は存在する
・信仰も同様です。私にはキリスト教の神もイスラム教の神も存在しません。それはキリスト教/イスラム教と関係を結んでいないからです。キリスト教の教義では、神は不動のものとして存在します。これは私の考え方と異なります。
・私にとって神は八百万の神です。山の神であり水の神です。実体の有無はどうでも良く、関係の有無が重要です。仏との関係も同じで、仏に手を合わせるから、仏が存在するのです。この何にでも手を合わせる生き方は、欧米の人には理解されません。※詳細省略。多神教と一神教の違いだな。
・神仏が実在するから神仏がいるのではなく、神仏との関係があるから神仏がいるのです。夫婦も夫と妻の関係があるから夫婦なのです。そうでなければ、ただの友人や近所の人です。「自然と生者と死者の社会」としましたが、この3つが実在する社会があるのではなく、この3つとの関係から社会は作られるのです。
○合理主義の終わり
・「死んだらどうなるのか、魂は存在するのか」に対し、最近の若者は「魂はある」と考える人が増えています。それは彼らが「死者との関係が存続している」と考えるからです。戦後日本はアメリカナイズされ、合理主義になりました。しかし若者は合理主義に批判的になり、伝統回帰が起きているのです。※余り実感はない。
・私の友達にスズメもいます。仲良くなると、2m位まで近付いてきます。「こんにちは」と挨拶すると、「こんにちは」と返してきます。若者がこれに関心を持つので、「挨拶する事が重要」と教えます(※詳細省略)。今は合理主義から非合理主義に向かっています。
○文化も関係の産物
・文化も実体がある訳ではなく、関係を結ぶ事で存在するのです。例えばAKB48/乃木坂46とかありますが、テレビを見るとか、コンサートに行くとかで文化になるのです。
・神楽も同じで、地域の人には、それが伝統文化になります。ある地域では、普通の家の座敷で神楽をやり、お茶・お酒・お菓子などを振る舞います。学生がそれを見て感動しましたが、地域の人と学生とでは神楽との関係が異なるため、神楽の実体も異なるのです。
<実体本質論の限界>
○宇宙物理の説は本当?
・欧米は「実体が本質」の立場です。「宇宙はブラックホールが爆発しできた」とし、その証拠を探しています。ブラックホールもビッグバンも実体で、これは実体から実体への転換です。「ブラックホールがあればホワイトホールもある」とする説もあります(※反物質/ダークマターなどの説がある)。宇宙物理はこの路線から脱出できません。※科学的解明は必要と思う。
○算数から離れてみる
・例えば2個のリンゴがあり、これを2人で分けるやり方は無限にあり、1人1個だけではないのです。物理学の時間論にはプラス時間とマイナス時間が存在するとの説があります。※これも関係と結び付けて解説しているが省略。
○関係の作られ方の問題
・精神的な障害は、「関係の不安定」や「関係が作れない」として説明できます、親子の関係/近所との関係/認知症など全てがそうです。この関係を安定させる方法を研究しないといけません。ところが実際に研究しているのは、「脳のどの部分が機能しなくなった」などの実体を調べています。それより先に関係の安定を考えるべきです。これは「実体ありき」の欧米の考え方です。
<伝統思想が見た関係的世界>
○修験道の修行
・私はコスプレ修験者です。一応服装は持っています。滝に打たれますが、夏なので、修行ではありません。
・羽黒山は神仏習合の山です。修験道は江戸期に、天台宗か真言宗に入らなければいけなくなり、出羽三山では、羽黒山/月山は天台宗、湯殿山は真言宗になりました。ただし庇を貸しているだけで、統制はしませんでした。
・明治になると神仏分離になり、明治5年「修験道禁止令」が出ます。羽黒山は神社庁に入り、修験道的修行の儀式として存続させます。明治の神社は酷い事をやっています。羽黒山の参道は、寺を壊して作られています。
・修験道の衣装はボンボンが6個付いた袈裟です。しかし神社なので宮司はそれを着ません。山伏には仏教的な神仏習合に戻したいと考えている人がいます。※修験道は禅宗と関係がありそうだ。修験道の知識は皆無だ。
○意識も関係から作られる
・袈裟に付いている6個のボンボンは「六根清浄」を意味します(※初耳)。仏教では「人間の意識は、6つ(鼻識、舌識、耳識、身識、眼識、意識)から成る」としています。仏教は「鼻が匂いを嗅ぐ事で関係が作られ、それから意識が作られる」と考えたのです。6番目の意識とは自分自身が心で感じ取る事です。
○自然の力で清らかな関係に
・「六根清浄」はその関係を清らかにする事です。日本は生まれ変わり思想が強く、「今の自分は汚れているが、清らかな人間に変わりたい」と考えています(※そうなんだ)。そのため修験者は「六根清浄」を唱えながら歩くのです。
○奥で繋がり合う世界
・仏教には「法相」の考え方もあります。「六識」(※=六根かな)の奥に「未那識」があります。これは自我/深層意識の事です。さらにこの奥に「阿頼耶識」があります。これは1人で形成されるものではなく、あらゆるものが繋がっている意識です(※伝統、慣習などかな)。人は誰も奥で繋がっているのです。これには自然も含まれます。AさんもBさんも、スズメも松の木も繋がっているのです。この「阿頼耶識」の上に「未那識」があり、さらにその上に具体的な「六根」の世界があるのです。
・これも関係的世界を表しています。自然・宇宙などとも繋がり、関係を結んでいるのです。これが「法相」の考え方です。様々な宗教教団が生まれていますが、何れもこの考え方を踏襲しています。
○日本人は繋がり合う世界を感じていた
・日本人はこの様な関係を重んじる世界に生きていたため、この考え方を受け入れたのでしょう。時間は掛るでしょうが、この世界に伝統回帰するでしょう。※農耕民族は関係を重視するのかな。
<関係を成立させる場>
○場が関係を作り、関係が場を作る
・関係を作る過程で大事なのが「場」です。家族には生活の場があり、そこで関係が再生産されます。村では自然との関係が作られたり、人間同士の関係が作られたり、神仏との関係が作られたりします。私は上野村では山の神を大事にしますが、東京には山の神は存在しません。
・場と関係の在り方は、「循環論法」になります(※鶏が先か、卵が先かかな)。学問の世界では、これは嫌われますが、哲学にはこれで説明できる事が多くあります。繰り返しますが、「場があるから関係が作られ、関係があるから場ができる」のです。
○共同で神仏の世界を結ぶ
・日本には、こう云うものが多くあります。能は今は劇場で見る演劇になっていますが、古来は観客と演技者が一体になっていました(※小学校で能を見たが、理解不可能だった)。結び合う事で現実を超越し、真実を垣間見たのです。そのため能役者には問題意識を持っている人がいます。※難解。
○関係作りは、場作り
・場と関係の在り方は重要です。東京などで関係を作ろうとしている人は、場を作っているのです(※ファシリテーションかな)。相談の場とかコミュニティ・カフェなどがそうです。一方村は元々場として存在していましたが、戦後それが壊されてきました。
○機能的合理性を超えて
・合理主義の時代は機能的な有効性を追求します。農業で云えば、化学肥料/農薬などの使用です。しかし私達(※上野村?)は有機農業/無農薬などに関心を持っています。それは自然と人間の関係の中で作られた作物を、自然な形で頂きたいからです。
・他方「今使っている農薬は使い続けたい」との人もいます。それは全くの無農薬にすると、植物内部に殺虫剤のようなものを作ってしまうからです。しかしこれも機能論です。私達がやりたいのは、「自然と人間の関係でできた作物を食べたい」だけです。
・昔の日本では眼・舌が判断しているのではなく、眼・舌が関係を作り、それが意識を与えると考えました。この伝統的な考え方に日本は戻って行くと思います。
第4講 どこに根を張るか
<世界市場か、結び合う市場か>
○大手企業が苦境に
・経済を見ると日本の一時代が終わった感じです。電機メーカーの東芝は部門を切り売りして生き残っています。シャープは台湾のホンハイに買われてしまいました。パナソニックは1万人以上の人員削減で何とか黒字の状況です。ソニーはカメラの撮影素子の世界シェアが高いので、何とかなりそうです。また音楽部門/ソニー銀行/ソニー損保で利益を出しています。しかし電機メーカーとしては終わった感じです。
・三菱重工もピンチです。豪華客船を1千億円で受注しましたが、ノウハウがなく修正が発生し、1隻作って撤退するそうです。当社は航空機MRJを作っていますが、価格構成比で日本製は3割しかありません。全体を管理するノウハウを持っていなかったので、外国人の技術者が半数を超えています。「国産初のジェット旅客機」は怪しい。こう云う航空機は1千機作らないと採算が合いませんが、400機しか受注できていません(※詳細省略)。この様な状況を見ると、日本の総合企業は終わった気がします。
○専業企業優位に
・一方で専業企業は強くなっています。アップルのアイフォンは価格構成で60%位が日本製です。そのため高性能の部品を作る村田製作所などの業績は悪くありません。サムスンのスマートフォンも価格構成で60%位が日本製です。それなのに日本のスマホ・メーカーのシャープ/ソニーは苦戦しています。ソニーの撮影素子は世界のデジカメに使われています。日本は部品は好調ですが、最終的な物を作るのは厳しくなっています。
・トヨタは2兆円を超える利益がありましたが、電機メーカーと同じ様になるのではと警戒感を持っています。今は経済の構造が変わる時代です。企業は何に根を張るかを問い直す必要があります。
○企業は市場しか見ていない
・サービス業の市場規模は拡大しています。ファミレスは全国にチェーン店を持っていますが、長期じり貧状態です(※詳細省略)。どこも非正規雇用だらけで、ブラック企業が多くあります。根を張っている企業とは云えません。
・アパレルメーカーも急激に店舗展開しています。しかし国内は長期低落しており、海外展開で何とか利益を出している状況です。
・好調な日本酒メーカーがありますが、持続性が問われます。お酒は水と米が重要ですが、その安定的な確保が心配です。これらは大量生産でシェアを取る方法で、古い方法です。
・観光業でも新規開発をやっていますが、上手く回らないと、瞬時に破綻します。こんな部門に米国のファンドマネーが入っています。高級リゾート/高級旅館などには人的開発が不可欠です。外見だけ高級化しても厳しくなるだけです。
<根の張った経済社会>
○小さくても根の張った企業
・これからは「どこに根を張るのか」を考えないといけません。アパレル業界だと、大企業の周りに、特徴のある小さい企業が何十とできます。その小さい企業の設備投資は大きくはなく、多少浮き沈みがあっても頑張ってやっていきます。この方が持続性があるのです。※でも大企業は中小零細企業から利益を搾取している。
○農業はどこに根の張るか
・農業もどこに根を張るか考えないといけません。TPPが発効されなくても、米国は無茶な二国間協定を要求してくるでしょう。電機メーカーのように、市場動向に右往左往してはいけません。
・農業は農村に根を張った農業にすべきです。近年企業型農業が進められていますが、農村に根を張らない農業は、止めた方が良いと思います(※やはり短期利益を追求する経営になるかな)。農村に根を張らない農業は、農村を荒らすだけです。
○農業が経済社会のモデルに
・これからは経済活動の基本は農業になると思います。農業は地域や自然に根を張っていますし、これまでに根の張り方を幾らでも実験してきました。一般企業も「どこに根を張るのか」が重要なのです。
・トランプがあの様な人なので、米国との二国間協定がどの様になるか分かりません。中国もどんな態度に出るか分かりません。こんな国を相手にしていると、「分かりません」しか出てきません。大事なのは、これらに振り回されず、根を張り、持続性を高める事です。