『タリバン復権の真実』中田考(2021年)を読書。
アフガニスタンでは米国同時多発テロによりタリバン政権が倒されるが、米軍撤退で復活する。
その経緯やタリバンの思想を解説している。
タリバンの思想を深く知る事ができ、これに対する欧米・イスラム諸国の行動も理解できる。
ベトナムなどと同様、欧米が建てた傀儡政権は長く続かない。
詳述しており、こんなローカルなノンフィクションは好み。
ただ第2部は翻訳で難読。また難しい言葉が時々使われる。
お勧め度:☆☆(アフガニスタンやイスラムに関心がある方)
内容:☆☆☆(大変詳しい)
キーワード:<タリバン>イスラム首長国/イスラム共和国、<アフガニスタン>パシュトゥン人/タジク人、<米国・タリバン和平合意>腐敗、軍産複合体、<イスラム共和国>北部同盟、和平、<タリバンとの対話>影の政府、アフガニスタン和平会議/同志社大学、<タリバンとは>マドラサ、パキスタン、<タリバンへの誤解>パキスタン/イラン、<地政学的意味>カタール代表部、中国、過激派、<タリバン暫定政権>マドラサ・モデル、<文明の再編>フォルトライン、<翻訳解説>女子教育、公式サイト、武装闘争派、正統カリフ、ジハード、<イスラム首長国とその成功を収めた行政>目的、州/管区/地区・村落、中央委員会/高等諮問評議会/最高指導者、<タリバンの思想の基礎>タリバン運動、聖法(シャリーア)の実践、イスラム諸国の退廃、国際秩序・国連、指導権、教育、民主主義、団結、世俗主義、女性問題、ジハード、<タリバンとの対峙>カブール奪還、民主主義、メディア、<タリバンへの誤解>カブール陥落、民主主義、女性の人権、テロ
序 タリバンの復活と米国の世紀の終焉
・2021年8月15日「アフガニスタン・イスラム共和国」のアシュラフ・ガニ大統領が海外逃亡し、タリバンが復権した(※以下イスラームはイスラム、アフガニスタンはアフガンに省略する場合がある)。これで「米国の最も長い戦争」が終わり、「アフガニスタン・イスラム首長国」が甦った。※イスラム共和国/イスラム首長国は本書の基本になる。
・1996年9月ソ連の傀儡政権のムハンマド・ナジーブッラー大統領が処刑され、第1次タリバン政権(1996~2001年)が始まる。これが悲劇なら、第2次タリバン政権(2021年~)の復権はドタバタ喜劇である。ガニ大統領は持ちきれないほどの金塊を抱え逃亡する。群衆は米軍輸送機に縋り付くが、米軍機は飛び去った。
・本書は私(※著者)のアフガニスタンでのフィールドワークやタリバンとの交流から、タリバン復権の意味や米国覇権の終焉について述べる。アフガニスタンは混乱により渡航中止勧告が常態化しており、情報は不足している。タリバン復権後の基礎文献になれば幸いである。
第1部 タリバン政権の復活
※第1部は、タリバンの概要を解説している。
第1章 タリバン
・私は2010~12年、何度かアフガニスタンのカブール大学を訪れ、同大学と同志社大学の「学術交流協定」(MOU)を締結させた。そして政府要人と意見交換したり、フィールドワークからアフガン政府や国連機関の腐敗を観察した。
・カタールのタリバン代表部を訪れ、同志社大学での国際会議への出席を要請した。2012年6月この会議にイスラム首長国の公式代表が出席するが、これは初めての事だった(※こんな話があったのか)。タリバンは「神学生」を意味するが、その実態を知り、彼らと親交がある研究者は皆無である。
・私は2012年国際会議に向け「和解交渉のためのロードマップ」を作成した。それに以下と書いた(※簡略化。付録に全文がある)。
3.解決策
(3)和平は、正当な国民政権「イスラム首長国」に、外国勢力により成立した「イスラム共和国」が統合される形になるのが望ましい。
(4)「国連アフガニスタン支援ミッション」(UNAMA)は、その実現のために、イスラム首長国を財政的・技術的に支援する。
・この提案に、カルザイ政権(※2001~14年ハミード・カルザイが大統領、2014~21年アシュラフ・ガニが大統領)だけでなく、欧米の政治家・学者も耳を貸さなかった。しかし2021年ガニ大統領は海外逃亡し、カルザイ元大統領/アブドゥッラー行政長官などがカブールに残り、イスラム首長国がイスラム共和国を統合する形になった。その結果、ガニ政権崩壊/タリバン復活を当然視する記事が頻出したが、何れも誤解・偏見に満ちている。
・本書は第1部で、2001年米国のアフガン侵攻から、2020年3月トランプ前大統領とタリバンの和平合意、2021年8月タリバンのカブール凱旋までの経緯を地政学的・文明論的(?)に分析する。第2部は、タリバンの政治制度・政治思想を解説する。
第2章 アフガニスタン
・アフガニスタンの近代国家は、アフガニスタ首長国(1834~1926年)を継承するアフガニスタン王国(1926~73年)から始まる。1973年アフガニスタン人民民主党により王政が廃止され、社会主義政権に変わる。翌年ソ連が侵攻し、ムジャーヒディーン(イスラム戦士、※人名ではなく総称)が蜂起し、これ以降内戦が続いている(※40年以上混乱が続いたのか)。そのため外国人の渡航は制限され、情報が乏しくなっている。
・内陸の山岳国で、平野は一部しかない。多民族国家で、パシュトゥン人(4割、※パシュトゥーンと記されているが、パシュトゥンで表記する)/タジク人(3割)/ハザラ人(1割)/ウズベク人(1割)などが住む。各民族(※エスニックと記されているているが民族と表記する)で言語・生活習慣が異なり、国民意識は希薄である(※そもそも西欧が引いた国境かな)。部族長と宗教指導者による大集会「ロヤ・ジルガ」が最高意思決定機関と云える。
・「アフガン」はパシュトゥン人の意味で、「アフガニスタン」はパシュトゥン人の国の意味になる。パシュトゥン人には習慣法「パシュトゥン・ワーリー」があり(※イスラムとは関係ないのかな)、「助けを求める者は、命懸けで守る」とある。そのためタリバンはビン・ラーディンの米国への引き渡しを拒んだ。またパシュトゥン人は、パキスタンにも同規模の1千数百万人が住んでいる。今回タリバン政権が復活したのは、パシュトゥン人が他民族の部族長の調略に成功したからである。※最重要のタリバンの説明がない。タリバンとムジャーヒディーンの関係も不明のままだ。
・第2のタジク人はタジキスタンの主要民族である。ペルシャ語を話すため、イラン人と普通に会話ができる。ただし宗派がスンナ派のため、シーア派のイランと異なる。ムジャーヒディーン政府(※まだ説明がない)のラッバーニー大統領はタジク人、ヒクマチャール首相はパシュトゥン人で、これが内紛の原因とされる。さらにアシュラフ・ガニ大統領はパシュトゥン人、アブドゥッラー・アブドゥッラー行政長官はタジク人で、これも崩壊の一因となった。
・ハザラ人はペルシャ語を話し、シーア派である。そのためジハードでは、スンナ派(※パシュトゥン人/タジク人かな)はパキスタン、シーア派(※ハザラ人かな)はイランとの関係が深くなり、派閥が分かれる。ウズベク人はウズベキスタンの主要民族で、チュルク語のウズベク語を話す。※タジキスタンはアフガニスタンの北東に隣接し、ウズベキスタンは北西に隣接する。
・アフガニスタンのGDPは200億ドルで、1人当たりGNIは600ドルしかなく、最貧国の1つである。輸出品はラピス・ラズリー(※宝石)が有名で、石油・銅・鉄も輸出されている。しかし政情不安により開発は進んでいない。
第3章 米国・タリバン和平合意
・2020年2月カタールのドーハで米国とタリバンが和平合意し、米軍が14ヵ月以内にアフガニスタンから撤退する事になる。ここで重要なのは、米国が交渉相手をイスラム共和国でなく、イスラム首長国とした点である。
・8月17日(※復活後の2022年かな)『ウォール・ストリート・ジャーナル』が「米のアフガン失敗、超党派の流浪-長引いた苦難の米軍駐留、悲劇的な結末に何を学ぶか」と題する記事を書いている(※簡略化)。
米国は当初、イスラム武装勢力タリバンを軽視し、アフガン政府とタリバンの折衝を禁止していた。しかし昨年から政府高官がタリバンと交渉するようになった。これは米国の誤算続きの表れである。
・8月15日結果的にガニ大統領は車4台に現金を積み、空港でヘリコプターに乗り、積みきれなかった現金を放置し、国外逃亡した。このカブール陥落は、タリバン蜂起から9日後の事だった。これはイスラム共和国が米国の傀儡政権で、政権担当能力がない事を実証した。そして米国の政策決定者/諜報機関は、それを理解していなかった事になる。
・8月15日空港で米軍輸送機に乗ろうとして死傷者が出た。これにより米国の威信は低下した。しかし米国がアフガン政府に政権担当能力がない事を知らなかった訳ではない。アフガニスタンは「腐敗認識指数」で179ヵ国中165位で、指折りの腐敗政権だった。2012年同志社大学が開催した国際会議でも、当時のカルザイ政権の代表も、これを認めていた。彼はアフガニスタンの復興支援金の2割しか政府に渡らず、残りの8割は国連・NGOなどが使っている問題点を指摘している。※国連・NGOが腐敗の原因?
・2013年『ニューヨーク・タイムズ』も「米国は大量の現金をカイザル大統領に送っているが、米国が期待する使われ方をしておらず、米政府関係者が嘆いている」との記事を書いている。私もアフガニスタンでのフィールドワークで国連機関の汚職を確認し、政府関係者からもその事実を聞いていた。私も先の「和解交渉のためのロードマップ」で「アフガニスタンへの援助金は、米企業/NGO要員/アフガニスタンの軍閥・政治家などが消費し、民衆は恩恵を受けていない」と書いている。※イランの王政(パフラヴィー朝)もそうだったかな。
・しかし米国の政策決定者/シンクタンクは、それを見過ごした。それは軍産学複合体とアフガン政府により、以下が行われたからだ。
①米国の研究機関がタリバンを悪役にし、研究費を得る。
②軍事産業のロビイストから献金を受けた政治家が、研究機関が作成した報告書・記事を基に、「テロとの戦い」を口実にして軍事予算を獲得する。
③アフガン政府に不要な兵器を売ったり、軍事訓練をする事で軍事産業に莫大な利益を与える。
④アフガン政府も「おこぼれ」を得られる。
・つまりアフガニスタンが破綻国家である関、米国の軍産複合体とアフガン政府の要人は利益を得られた。そのためタリバンを悪役にする必要があった。
・8月16日バイデン大統領は「米国はアフガニスタンに20年間で1兆ドルを投じ、兵士30万人に装備を与え訓練した。しかしその政府軍は戦わずに崩壊した」と批判する。結局投じた資金の多くは軍産複合体に還流し、与えた近代兵器はタリバンの手に渡った。
・この軍産複合体の利権は珍しい事ではない。「イランの脅威」を煽り、サウジアラビアに型落ちの高額兵器を輸出している。またイランの絶対王政パフラヴィー朝を支援し、中東一の軍事国家にするが、怒った民衆がイスラム革命を起こし、反米の国になった。これはアフガニスタンと似ている。
・米国がアフガニスタンに侵攻した2001年と現在では、米国の実情が大きく異なる。当時米国は唯一の超大国で、世界の覇権を目指していた。しかし2010年中国が世界第2位の経済大国になる。2012年オバマ大統領は新国防戦略『米国の世界的リーダーシップの維持と21世紀国防における優先事項』で、「2正面作戦」を放棄し、中国/イランを名指し、アジア太平洋地域を最優先する事を宣言する(米中冷戦時代)。
・今の米国に、アフガニスタンでの軍産複合体の利権を維持する余力はない。それが今回のなりふり構わぬ米軍撤退となった。また世界のメディアもこれに合わせ、アフガン政府の腐敗を喧伝するようになった。
・2011年カンダハル(※アフガニスタン南部)に派遣された大尉が振り返っている(※簡略化)。
政府軍には拷問・レイプがあり、米軍に協力する長老・警察・住民はアヘンを密売した。「正しい戦争」の考え方は一瞬で打ち砕かれた。ちなみに「タリバンの最大の資金源はアヘン」の言説は、米国のアフガン侵攻を正当化するためである。
・私はアフガン政府の一瞬での崩壊により、それが米国の傀儡政権だった事を確認した。アフガン政府の腐敗・脆弱性を隠蔽し、タリバンを悪役にし、多額の利益を得てきた軍産複合体とアフガン政府の利権構造を確信した。私は「タリバンは善玉」と主張するのではなく、その「合わせ鏡」であるイスラム共和国が何であったかを問い直す必要があると思う。
第4章 イスラム共和国
・2001年10月米国がイスラム首長国(通称第1次タリバン政権)を空爆し、米国の最も長い戦争が始まる。9月同時多発テが起き、米国はアルカーイダの指導者ビン・ラーディンの引き渡しをタリバンに要求したが、タリバンはそれを拒否したからだ。米国は国連決議を取り付け、有志連合を結成し、「対テロ戦争」として空爆を始めた。※米国は本土を攻撃された事で、異常に熱狂していたかな。
・2003年米国はイラクにも侵攻し、サダム・フセイン政権も崩壊させる。その後傀儡政権を発足させ、憲法を制定させるなどするが、2011年米軍を撤退させる。イラクも「腐敗認識指数」が高い国だが、破綻国家には至っていない。イラクの傀儡政権は米軍撤退後も存続しているが、アフガニスタンの傀儡政権(ガニ政権)は直ちに崩壊するが、それは何故なのか。
・米軍はアフガン侵攻で空爆を行ったが、地上軍は派遣しなかった。そのため11月ムジャーヒディーンの「北部連合」がカブールを征服する。急遽ドイツで会合が開かれ、暫定政府の成立、国際治安線部隊(ISAF)/国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)の設立が合意される。12月カルザイを議長とする暫定政府が成立する。しかし彼は軍閥でないため基盤が弱く、北部同盟の影響が強くなる。※北部連合と北部同盟はどう違うのか。
・北部連合はムジャーヒディーン政府の残党で統治能力はなく、国を荒廃させた。そこでタリバンがイスラム法による立て直しを行い、国土の90%を支配下に置いた。この頃の事情をカブール大学を卒業し、在アフガニスタン日本大使となった高橋博史が述べている(※簡略化)。
1992年ナジーブッラー政権(※社会主義政権)が崩壊し、ムジャーヒディーンによる連合政権が樹立する。しかし各派による権力闘争で国は乱れた。南部カンダハルではムジャーヒディーンが匪賊となり、誘拐・略奪を繰り返した。これがタリバン結成の背景である。
・2001年11月「スイス公共放送国際部」の記事も参考になる(※簡略化)。
ソ連軍撤退後にカブールを制圧したムジャーヒディーンの残虐行為は民衆を不安にさせた。アフガニスタンの戦乱は20年を超え(※1979年ソ連によるアフガン侵攻以降かな)、支配者が変わる度に残虐行為が行われた。タリバンだけが人権侵害してきた訳ではない。
・北部同盟は離合集散し、権力闘争に明け暮れた。この混乱から治安を回復させたのがタリバンである。しかし米国はカルザイを纏め役にして、北部同盟を権力の座に復帰させた。国益など眼中にない北部同盟の権力闘争が露呈したのが、2019年大統領選挙である。11月アシュラフ・ガニの当選が発表されるが、アブドゥッラー・アブドゥッラーが異議を唱える。翌年3月両者が大統領を宣言する状況になる。ポンペオ国務長官が仲裁に入るが、解決できなかった。米国は支援金10億ドルを止め、2021年までの米軍撤退を断言する。そしてカタールに向かい、タリバンのバラーダル師と会見する。
・要するにイスラム共和国(アフガン政府)は、ISAFに守られ、UNAMAが提供する支援金にたかる利権集団に過ぎなかった。そしてこれが政治的・軍事的に訓練されたイラクの傀儡政権との違いである。そしてこの状況を踏まえての解決策が、2012年私が国際会議のために作成した以下の提言である(※簡略化)。
(1)アフガニスタンの諸問題は、カルザイ政権と外国軍では国を統治できない事の証明である。彼らに変わり、国土の大半で「影の政府」となっているイスラム首長国に統治を任せるべきだ。
(2)過去に和平のために軍閥による人権侵害が不問にされたように、タリバンによる人権侵害も不問にすべきだ。
(3)和平は、外国軍により不当に政権を獲得した「イスラム共和国」が、正当で国民的な「イスラム首長国」に統合される形で行われるべきだ。
・しかしこの時点、アフガン政府はこの提言を受け入れなかった。しかし2021年タリバン(イスラム首長国)は旧政権の要人の恩赦を約束し、アブドゥッラー行政長官はイスラム党のヒクマチャール党首と協議し、イスラム首長国がイスラム共和国を統合する形で和平となった。
・アフガン紛争(※1978年ムジャーヒディーン蜂起/1979年ソ連によるアフガン侵攻以降かな)の当事者や中東の研究者が私の提言を受け入れていたら、その後莫大な資金が浪費され、多くの人命が失われる事はなかった。1973年クーデター以来のこの好機(※カブール陥落かな)を活かし、和平が実現される事を願う。それなのに日本のメディアは、タリバンを悪役に仕立てようとしてる。
・2021年9月『産経新聞』が「タリバンは恩赦を反故にし、ガニ政権幹部を殺害した」と書いた。しかし殺害したのは反タリバンを掲げ、イスラム共和国副大統領を名乗る人物の兄弟である。恩赦は現政権に協力する者に対してであり、反タリバン活動する者を除外するのは当然である。※大幅に簡略化。
・8月27日米軍無人機による攻撃で10人が死亡する。米軍は「イスラム国(IS)によるテロを防いだ」と発表するが、後日国防総省が誤爆と発表する。傀儡政権下で何千人もの市民が誤爆で殺されたが、調査・報道される事はなかった。タリバン政権に変わった事で、調査・報道が可能になったのだ。(※カブールにある劣悪・拷問で有名なプル・エ・シャルキ刑務所の話も書かれているが省略)。占領軍にテロリスト扱いされると、抗議の機会もなく殺された。この20年間こそが、恐怖政治である。日本のメディアは現地調査する事もなく、愚劣な記事を書き続けた。
・在イラン日本大使館専門調査員などを歴任した田中浩一郎は、「イスラムでは罪なき人を殺しません。一線を超えないようにブレーキを掛けます。タリバンも普通の人」と述べ、「この考え方は、1990年代からの内戦時代での一般的な原理」と述べている。「しかし私は学校で学んだが、彼らは戦い続けてきたため、統治能力はない」と指摘している。しかし彼が学んだ西欧の学問こそ、アフガニスタンに莫大な資金を投じても統治できず、一夜で崩壊する政権しか作れなかった学問である。この様に西欧しか理解できない者に、タリバン政権への対応を任せる事はできない。※辛辣な批判だ。
第5章 タリバンとの対話
・『ウォール・ストリート・ジャーナル』のラスムセン記者は、「タリバンが欧米の有志連合軍/アフガン政府に対抗できたのは、外国軍・政府による人権侵害/犠牲/汚職に民衆が怒りを抱いていたから」と述べている。彼らは支配地を広げ、各地に「影の政府」を設立した。争いを解決し、税金を徴収し、公共サービスを提供した。そのため最終段階では、治安部隊/政府関係者の士気は低下し、彼らは簡単に主要都市を占拠できた。これはアフガン・ウォッチャーには周知の事実で、2011年の段階でも国土の70%を「影の政府」が支配していた。
・アフガニスタンを断続的に取材していた『朝日新聞』の武石英史郎も、「政府が役場・警察を占拠しているが、タリバンがモスクを毎日巡回し、行政窓口になっている」と述べている。タリバンが存在感を示すのは裁判で、政府に訴えても賄賂を要求されるが、タリバンだと速やかに判決を出した。警察官の月給は2万円だったが、タリバンは志願兵を普通は6万円、有力者は16万円で募集した。彼は「政府が支配するのは、役場から200~300mの範囲」と述べている。国連などがこの状況を注視していたが、「地区」の3割がこの様な「グレーゾーン」だった。
・カブール大学のザランド教授は「タリバンは忍耐強い」と述べている。彼らはイスラム法に裁定を求め、地方の習慣に習熟し、人心掌握に優れていた。彼は以下の例でそれを説明した。
東部バクティカ州に遊牧民クチ族が住み着き、現地の部族と対立した。クチ族は州政府から土地の使用を認められた。そのため現地の部族の長老がパキスタンのタリバンに訴え、土地の権利を付与する宗教的布告を得る。そしてクチ族はこれに従った。
・ラスムセン記者は以下の例も挙げている。タリバンの事実上の首都である南部ヘルマンド州サンギンでは戦闘が絶えなかった。そのため学校は開かれず、教師に給料も払われなかった。そこで親タリバンの教師が学校を開き、政府と同じ科目を教えた。日本は5億ドルの支援を行ったが、大半は中間搾取された。
・カブール入城後、タリバンは旧政権を恩赦するが、これは各地方の「影の政府」が行っていた手法である。各地方の政府軍兵士とタリバン戦闘員は顔見知りで、連絡が取れ、停戦合意できていた(※詳細省略)。これはカブールも同様で、タリバンはカブール市長と保健相を留任させ、数週間後には電気を供給させた。
・西洋では米国の軍産学複合体とアフガン政府によりタリバンは悪役にされ、「敵対者を問答無用に殺害する」と流布された。しかし彼らは粘り強く交渉し、それでも解決できない場合に最終手段に出る。これは結成当初からの原則である。
・2016年高橋博史は帰朝報告で以下を述べている(※簡略化)。
もう1つの大きな問題は、部族主義になり、汚職・腐敗が蔓延した事です。1970年代にはなかったのに、2002年頃から増加します。タリバンが支持されるのは、腐敗していないからです。例えば交通事故を起こすと警察は賄賂を要求しますが、タリバンはシャリーアに従い、賄賂を要求しません。
・こうした事実を、軍産学複合体/アフガン政府/国連機関/人権団体の発言や現地を知らないジャーナリストの報道からは窺い知る事ができない。しかし高橋博史や中村哲医師の証言から知る事ができる。高橋は第1次タリバン政権(1996~98年)で国連アフガニスタン特別ミッション政務官を務め、暫定政権(2002年)でも国連アフガニスタン支援ミッション首席政治顧問を務め、カルザイ政権からガニ政権の移行期にはアフガニスタン大使を務めた。
・中村は、1991年東部ナンガルハル州に診療所を開設し、2019年に殉職するまでアフガニスタンの民衆の下で暮らした。2001年彼は以下を述べている(※簡略化)。
西側には北部同盟の動きだけが伝わり、タリバン政権下の情報が伝わっていない。日本のメディアは欧米のメディアに頼り過ぎている。アフガニスタンの民衆からすれば「北部同盟は民主主義」はチャンチャラおかしい。カブールでは米軍の空爆で20~30人が亡くなったが、北部同盟は1.5万人を殺している。民衆は内戦で疲れ切り、厭戦気分である。そのためタリバンに協力している。
タリバンは狂信的集団として扱われているが、彼らは恐怖政治も言語統制も行っていない。彼らは田舎を基盤とし、農民・貧民は違和感を持っていない。「女性に学問はいらない」との考えはあるが、女医/助産婦はちゃんと学校教育を受けている。我々の井戸を掘るなどの活動にも協力的である。
・2014~20年国連アフガニスタン支援団(UNAMA)の代表としてタリバンと協議してきた山本忠道も以下の提言をしている(※簡略化)。
タリバンは大きな組織で、軍事部門と政治部門がある。教育/保健など分野毎の委員会がある。彼らの声明・主張は論理的で洗練され、知的レベルは高い。彼らは「外交官の安全を保障する」「行政官が必要なので、国に残って欲しい」「アフガン人を代表する政府を作る」などを主張している。
・タリバンはカルザイ政権/ガニ政権を傀儡政権として対話を拒否してきた。そのため2012年同志社大学での「アフガニスタン和平会議」は画期的な事だった。この会議が実現したのは、同志社大学がイスラム首長国の元首に公式な代表の派遣を求め、イスラム首長国とイスラム共和国との交渉を和平の前提条件と明言したからだ。しかし当初はカルザイ政権を招聘する予定はなかったが、外交手続きの過程でカルザイ政権がこれを知り、参加を求めてきた(※詳細な紆余曲折が書かれているが省略)。
・会議が始まると冒頭から揉めた。主催者の同志社大学は、それぞれをイスラム共和国/イスラム首長国とした。アフガン政府がこれに反対するが、押し切った。会議終了後、懇親会を開き、それぞれの代表と共に同じ鍋を突いた。その後共に夜の礼拝を行った。この会議でタリバンは、「私達は1反体制組織ではなく、イスラム首長国として扱われる事が前提条件」と伝えた。
・この会議の10日後、東京で「アフガニスタン復興会議」が開かれた。これにカルザイ大統領は出席し、同志社会議を評価した。彼はタリバンのカブール入城後もカブールに留まり、ガニ政権のアブドゥッラー行政長官/ムジャーヒディーン政権のヒクマチャール元首相と共にアフガニスタンの未来についてタリバンと対話した(※4者会談だな)。タリバンは対等な下での対話を前提としていた。これはテロリストとレッテルを貼られた状況で、よくある事だ。
・アフガニスタンで商業ビル「中国城」を営業している余明輝は以下と答えている。
タリバンによる「カブール入城」(※陥落/入城/開城/占領などの表記があるが、ここでは入城で統一)で臨時休業したが、1週間で秩序が回復した。また警備から「困ったら助ける。中国人は友達だ」と言われている。
・パシュトゥン・ワーリーには「人種・宗教・身分の別なく客人は手厚くもてなす」とある。またクルアーン(※コーランだな)にも「異教徒の客人は庇護し、無事に帰国させる」とあある。タリバン政権になり、客人としての分をわきまえた外国人が被害を受けた報告はない。
第6章 タリバンとは
・「タリバン」は神学生を意味する。タリバンの初代指導者ムッラー・ウマル師などの初期メンバーはパシュトゥン人で、南部カンダハル州出身で、ペシャワール(※パキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州の州都)のマドラサ(神学校)を卒業している。有名なマドラサには国を問わず学生が集まる。幼少期から寄宿し、寝食を共にする。従ってタリバンは「妻帯した僧兵」に相当する。
・1994年マドラサの教師だったムッラー・ウマル師が「ムジャーヒディーンの無法に対し蜂起せよ」の告知を受け、友人達と立ち上がったのがタリバンの始まりである(※そんなに新しい集団か)。タリバンに最も関係するのがペシャワールのマドラサ「ダールルウルーム・ハッカーニーヤ」である。元々イスラム教は普遍宗教のため国境は意識しない。そのためタリバンにはアフガン難民だけでなく、パキスタン人も加わっていた。彼らはイスラム教スンナ派のデオバンド学派の価値観・知識を共有している兄弟と云える。
・1996年タリバンはカブールを無血占領し(※この時も無血だな)、イスラム法を遵守する「イスラム首長国」を樹立する。そしてムッラー・ラッバニーを議長とする暫定政権を設ける。イスラム首長国の樹立に伴い、タリバンでない者も政権に加わるようになる。例えば私の活動を助けたムトゥマインは一般大学卒のジャーナリストである。従って今のタリバンには神学生(タリバン)以外が含まれている。
・今のタリバンには、「僧兵」を中心に「平信徒」(※聖職者以外の信徒)や内包・外延が曖昧な利害関係者が参加している。しかし指導権は創設第1世代にある。そのため彼らを分析するには「幼少期から寝食を共にし、デオバンド学派の価値観・知識を共有する兄弟」(※簡略化)が重要になる。またタリバンはウェブサイトで戦場報告や声明を発表し、感情に訴える詩歌/戦場報告/外国軍の残虐行為などを収めたDVDを配布している。この新しい要素も考慮する必要がある。
・タリバンはパキスタン軍から軍事訓練を受けていた。ムジャーヒディーンが対ソ連ジハードを行った時も、パキスタンが彼らの後背地になった。タリバンもパキスタンの支援なしでは存在し得なかった。
・一方2010年現副首相バラーダルがパキスタンのカラチで逮捕されている。在パキスタン大使だったザイーフ師もパキスタンで逮捕され、解放されている。彼は「多くのタリバンがパキスタンで逮捕されている。その扱いは米軍より酷い」と述べている。
・タリバン政権もパキスタン政府もデュアランド・ライン(パキスタンとアフガニスタンの国境)を認めていない。またタリバン政権はパキスタン政府にパキスタン・タリバンの取り締まりを求めている(※タリバンがタリバンの取り締まりを要求?)。これらはタリバン政権がパキスタン政府の傀儡政権でない事を示している。
・イスラム学では、20年学び、20年教えると一人前になる。従ってタリバンが結成された頃、バラーダル師(現副大統領)らはタリバン(神学生)だったが、今はウラマー(イスラム学者)である。第1次タリバン政権では偶像崇拝は禁止され、その観点から写真・テレビも禁止された(※バーミヤン遺跡の破壊があったな)。タリバンが親族以外の女性と同席する事もなかった。しかし今は緩和されている。この穏健化を単に欧米への追従と見るのではなく、ウラマーとなった彼らのイスラム学的現実認識の深化と見るべきである。
第7章 タリバンへの誤解
・中東研究者の酒井啓子は米国のアフガニスタン情勢分析の自己批判に疑問を持つ(※米国の自己批判の内容は不明)。彼女は「ただの情報不足なのか?」「現地により詳しい知識・情報による統治で良いのか?」「それは大英帝国のオリエンタリストを起用すれば統治可能なのか?」「それはT・E・ロレンス/ガートルード・ベルなどを重用すれば可能ないのか?」と自問自答する。彼女はその原因を情報不足や政権の凡ミスではなく「冷戦後の地域紛争・破綻国家に対する対応の棚上げ」と述べる。
・「大英帝国のオリエンタリストのような」を、アントニオ・ジュトッツィ『タリバンの戦争:2001-2018』/武内和人『戦争、政治、人間を学ぶ』から解釈すると、以下になる(※簡略化)。
2005~09年タリバンは南部カンダハル州に潜入し、構成員・協力者を得た。これにはパキスタン軍統合情報局(ISI)の援助があった。2005年ISIはアフガニスタン議会選挙を妨害するため、タリバンに3千万ドルを提供している。タリバンは他に、イランなどからも支援されていた。
タリバンの独自収入は20%で、徴税/麻薬の密輸などだった。残りは外国からの支援で、特に外国政府からの支援が54%を占めた。2009~12年米軍の攻撃で内部分裂するが、パキスタン/イランの軍事顧問の助言で回復する。2011年から広報にSNSを活用し、また政府軍内部からの機密情報を得られるようになる。
この頃からイラン革命防衛隊と繋がりがある派閥マシュハド・シューラーの勢力が拡大する。イランからの支援は2010年4千万ドル、2011年8千万ドル、2012年1億6千万ドルと増額される。武器・装備もイランにより近代化される。
※これだと大英帝国のオリエンタリスト?
・ここではジュトッツィの記述が事実かは問わない。外国政府からタリバンへの支援は、米国からアフガン政府への支援と比べると2桁少ない。またタリバンの広報は次々と閉鎖されるが、アフガン政府はテレビ局・ラジオ局を有する。ここで問われるべきは、何故圧倒的に資金力・軍事力が劣勢のタリバンが戦い続ける事ができたかである。それは政府の諜報・治安機関に捕まる危険があっても、彼らに協力する人がいたからだ。それは「彼らが幼少期から寝食を共にし、デオバンド学派の価値観・知識を共有する兄弟」だったからだが、これは第2部で詳述する。
第8章 タリバン勝利の地政学的意味
・既述した様に、タリバンはエートスを共有する。2001年政権は崩壊するが、20年間の雌伏を経て、タリバン(神学生)はウラマー(イスラム学者)になった。2021年戦闘らしい戦闘を経ず、カブールに無血入城するが、これは外交的勝利と云える。
・彼らは、外国占領軍もその手先のアフガン政府も認めなかった。一方パシュトゥン人が住む州だけでなく全州を調略し、アフガン国境を支配し、アフガン政府の関税収入を奪った。特に重要なのが中国との国境にあるタジク人が住むバダフシャン州だった。
・タリバンは政権基盤が弱かった北部で地元の有力者を調略し、国境を押さえた。大きな転換点になったのが、2011年オバマ大統領が米軍を暫時撤退させ、カタールに代表団の設置を認めた事である。これにより私もタリバンとの接触が可能になり、同志社大学への招聘が実現した。これによりタリバンも米国と単独和平交渉を続け、2020年トランプ政権と単独和平協定を締結する。
・一方ロシアもユーラシアからの米国排除/国内のムスリム諸民族の独立阻止のため、アフガン問題に取り組む。2016年ロシア/中国/パキスタンの首脳が、アフガン問題で会議を開く。2018年ロシアはアフガニスタン和平首脳会議を開き、これにアフガン政府ではなく、タリバンを招待する。2019年にはアフガニスタン対話集会を開き、カタールのタリバン代表部だけでなくカルザイ前大統領なども参加する。※米ロを押さえたんだな。完全に外交の勝利かな。
・2021年3月ロシアはモスクワで、米ロパによるアフガニスタン和平会議を開く(※タリバンも参加かな)。これによりタリバンは国際政治に完全に返り咲いた。また米軍撤退により、アフガニスタンは中ロパの影響圏に入る事を意味した。
・2021年8月タリバンはモスクワで、「ロシア/中央アジアを脅かさない」「イスラム国との戦いを継続する」を約束する。タリバンのカブール入城後もロシア大使館は通常業務を続けている。一方中国も、2021年7月王毅外交部長(外相)がタリバンの政治委員会議長(外相)バラーダル師と天津で会談する(※流石に北京ではない)。これは一帯一路を親インドのガニ政権ではなく、タリバンと共に進める事を意味した。タリバンは国連常任理事会の中ロを後ろ盾にカブールを攻略する、9月タリバンの報道官が「アフガニスタンの復興は中国が主要なパートナーになる」と述べている。
・2016年中国はパキスタンにアフガン問題に関する4ヵ国調整グループを作らせ(※中ロパとアフガニスタン?インド?)、アフガン問題和平プロセスを「上海協力機構」(SCO)にシフトさせる構想を進めた(※中国自らではなくパキスタン主導だな)。2021年9月国連アフガニスタン支援団(UNAMA)のライオンズ代表も「アフガニスタンの経済・社会秩序は崩壊している。そのためSCOなどの地域協力の枠組みに期待する」と述べる。
・SCOは2001年に発足し、当初は中国/ロシア/中央アジアが加盟していたが、インド/パキスタンも加盟し、ユーラシア大陸の6割を占め、人口も世界の半分を占めるようになった。しかしタリバンが中国の軍門に降る事はない。王毅外相は東トルキスタン・イスラム運動(※ウイグル人による中国からの独立運動)をテロとし、バラーダル師にそれとの断絶を求めたが、彼はそれには答えず、「国内の如何なる組織も中国には危害を加えない」と述べた。彼らはイスラム法/パシュトゥン・ワーリーに従い、庇護を求めて逃げてきたムジャーヒディーンを引き渡す事はない。
・イスラム革命により国家を樹立できた例はイランのイスラム共和国しかない。妥協なきイスラムによる統治を目指すスンナ派イスラム主義運動の過激派がアフガニスタンに亡命する可能性が高い。第1次タリバン政権(1996~2001年)はアルカーイダのサラフィー・ジハード主義の過激派を抑えられなかったが、20年の研鑽で過激派に付け込まれる事はない。※イスラム過激派も多種類あるだろうな。
・しかしホラサーン地方イスラム国(※主にイラン東部かな)はタリバンの支配が及んでおらず、過激派の亡命を完全にコントロールするのは困難である。また母国や同盟先の同胞との商売・人道支援を禁じる事はできず、これがムスリム諸国からも「テロリスト支援」と批判される可能性が高い。
・2021年8月12日「一帯一路」の宣伝機関「シルクロード・ブリーフィング」が以下を報じ(※簡略化)、9月17日イランのSCO正式加盟が決まった。
タリバンがイラン/タジキスタン/ウズベキスタンの国境を完全に制し、トルクメニスタン/パキスタンの国境も一部を制し、地域の安全保障上の緊急事態となった(※タリバンが制するのは緊急事態?)。この解決にはイランのSCO加盟が必要で、タジキスタン/ウズベキスタンへの情報提供・軍事支援が可能になる。※タリバンを危険視しているのかな。
・アフガニスタンは英帝国とロシア帝国の「グレートゲーム」の場になったが、共に征服できず「帝国の墓場」と呼ばれる。1989年ソ連はアフガニスタンから撤退するが、これがソ連崩壊の原因とされる。また米国も1~3兆ドルの戦費と20年を費やすが、タリバンを打倒できなかった。米軍協力者がカブール空港に押し寄せ、この映像が世界に配信されたが、これは1975年サイゴン陥落を思い起こさせた。※面白い法則だな。次は中国だが、中国はそんなヘマはしないかな。
・バイデン政権による撤退は、トランプ前大統領が結んだ和平協定の実行に過ぎない。さらに言えば、オバマ元大統領の中東・中央アジア重視からアジア重視への政策転換の延長である。しかしあのアフガニスタン撤退の混乱は、米国同盟国の米国への信頼を大きく揺るがした。
・これに乗じ中国の『環球時報』は、「アフガニスタンは米国の3大地政学的ライバル(中国、ロシア、イラン)に近く、反米の拠点であり、その価値は台湾に劣らない」「台湾海峡で戦争が起きると、台湾軍は瓦解し、米軍の援軍も来ず、政府高官は飛行機で逃亡するだろう」と報じている。
・この様にアフガニスタンからの米軍撤退は、「米国の世紀の終焉」「中国の台頭」を象徴する出来事になった。しかしこれは、中国がイスラムの新たな標的になる事を意味する。しかしパキスタンは中国と友好関係にあるが、中国人や中国投資案件へのテロが急増している(※この話は聞いている。東南アジアと中東で異なるのかな)。ミャンマー系イスラム学者は「アフガニスタンではタリバンが米国に勝ったが、次は中国が標的になる」と述べている。
第9章 タリバン暫定政権
・2021年9月6日タリバンが北部同盟の最後の拠点パンジシール州バザラックを陥落させる。翌日、最高指導者ハイバトゥッラー・アフンザダの下の33名の官僚を発表する。このメンバーは第1次タリバン政権(1996~2001年)の古参メンバーで、政府構成もイスラム首長国を引き継いだ(※閣僚33名を列挙しているが省略)。マドラサ(神学校)出身でないのは4人(難民大臣、中央銀行頭取、外務副大臣、情報文化副大臣)しかいない。以下に主要閣僚を紹介する。
最高指導者:ハイバトゥッラー・アフンザダ師-タリバンの政治・宗教・軍事の最終的な権限を持つ。2016年前任者が米軍無人機で殺害され選ばれた。※米国は最高指導者を殺害したのか。
首相:ムハンマド・ハサン・アーホンド師-旧政権で外相・副首相を務めた。タリバンの最高意思決定機関の指導者でもあった。国連制裁リストの対象である。イスラム学の著作も多い。
国防大臣:ムハンマド・ヤアクーブ師-タリバンの創始者ムッラー・ウマル師の息子。34州の内、南部14州を統括する。
内務大臣:スィラージュッディーン・ハッカーニー師-ムジャーヒディーンの司令官の息子。パシュトゥン人の主流ドゥッラ-ニー族ではなくカルラーニー族に属し、ドゥッラ-ニー族への反感が強いと思われる。タリバンの金融・軍事資産を管理する「ハッカーニー・ネットワーク」を率いる(※名前にハッカーニーが付く閣僚が多い)。南東部20州を統括する(※2人で34州になる?)。彼がアフガニスタンに自爆テロを持ち込んだとされる。カブール高級ホテルへの襲撃/カルザイ大統領の暗殺未遂/インド大使館への自爆テロなどの責任者とされる。国連制裁リストの対象である。
副首相:アブドゥルガニー・バラーダル師-タリバンの創始者ムッラー・ウマル師が最も信頼していた司令官。2010年パキスタンのカラチで逮捕されるが、2018年釈放される。その後ドーハで和平のための政治交渉を仕切った。
外務副大臣:シェル・ムハンマド・アッバース・スタネクザイ-旧政権でも外務副大臣を務めた。ドーハの政治事務所の責任者を務めた。アフガン政府との交渉や外国を訪問している。※タリバンはアフガン政府はを認めなかったはずだが。
法務大臣:アブドゥルハキーム・ハッカーニー師-イスラム学者評議会を率い、創始者ムッラー・ウマル師などのイスラム学での師である。1994年タリバンが創設されて以来、タリバンの宗教的判決を行ってきた。最高指導者アフンザダ師に次ぐ影響力がある。
・この政権に対し、アフガニスタンを破綻させた米国の軍産学複合体や国内外のメディアは、「女性閣僚がいない」「少数民族の代表がいない」と批判する。しかし2001年カルザイ政権も女性閣僚は1人しかいなかった。また政権に夜盗・匪賊の北部同盟を入れた事で国家は破綻した。また「タリバンは変わっていない」との批判もあるが、実際は変わろうとする勢力(革新派)とそれに反発する勢力(守旧派)が拮抗している。
・米国の人類学者が『イラン-宗教的討論から革命へ』の中で、「ホメイニ師らはマドラサのネットワークで革命を成功させた。イランはマドラサ・モデルで運営されている」とした。このマドラサ・モデルが適用可能だったのは、シーア派独自の「フムス(5分1税)の管理権はイスラム法学者にある」「平信徒はイスラム法学者の判断に服従する」による(※タリバンのパシュトゥン人はスンナ派だけど)。イランの革命政権は革命の前後で武装闘争の経験はない(※イランには革命防衛隊があり、様々な反米闘争を行っているけど)。一方タリバン政権は旧政権での武装闘争はないが、新タリバン政権は20年間の反米闘争により復権した。しかしイランの革命政権はマドラサの国内外のネットワークにより「法学者の統治」を実現しおり、これは新タリバン政権の将来を示唆する。※この政教一致は西欧との大きな違いだな。
第10章 文明の再編
・19世紀は欧州の世紀、20世紀は米国の世紀、21世紀は非西欧文明と帝国(※主に中ロかな)の再編の世紀となる。「帝国の墓場」であるアフガニスタンは、1989年ソ連が撤退し、2021年米国が撤退した。1996年政治学者S・ハンチントンが「文明の衝突」を唱え、21世紀にそれが現実のものになった。※読んでいないので分からない。
・アフガニスタンはイスラム文明と中華文明のフォルトライン(断層線)だが、その衝突は1度しか起こっていない。751年アッバース朝と唐が戦った「タラス河畔の戦い」だけである(※モンゴルは別か)。これにアッバース朝が勝利し、中東はイスラム帝国の版図になり、チュルク系/ペルシャ系もイスラム化する。アフガニスタンはこれ以降、イスラム文明と中華文明のフォルトラインであり続けている。
・アフガニスタンの旧名はホラサーンだが、預言者ムハンマドの言行録『ハディース』には「ホラサーンに黒旗が現れたらそこに行け。そこには正しく導かれたカリフがいる」とあり、実際アッバース朝革命の舞台になっている。※詳しく知らないが、アッバース朝は日本の武家時代(鎌倉~江戸)における天皇みたいな存在だったはず。
・アフガニスタンの中央にはヒンズークシ山脈が走り、イスラム文明とインド文明のフォルトラインでもある(※イスラム文明はパキスタンまで続くと思うが)。中央アジアのフェルガナ盆地に生まれたバーブルはカブールで小国を樹立し、インドに遠征しムガール帝国(1526~1858年)を建国し、インド・イスラム文化を開花させた。そのためアフガニスタンはインド亜大陸とも深い関係にある。
・21世紀、中華文明圏は中国、東欧正教文明圏はロシアを中核に新たな帝国として復活を遂げつつある(※東欧正教文明は分裂しているかな)。「帝国の墓場」であるアフガニスタンは、イスラム文明/中華文明/インド文明のフォルトラインである。タリバンは米国に勝利し単独講和を結び、中国から真っ先に承認された。これはスンナ派イスラム主義運動の初の成功例である(※トルコは世俗主義かな)。各文明のフォルトラインにあるアフガニスタンが、地政学的・文明論的緩衝地帯になる事を願う。※「文明の十字路」はトルコ?中央アジア?アフガニスタン?
第2部 タリバンの組織と政治思想
※第2部は、タリバンが公開した論文を翻訳している。
第1章 翻訳解説
・2009年イスラム首長国の公式サイトがアラビア語の論文『タリバンの思想の基礎(1-5)』『イスラム首長国とその成功を収めた行政』を掲載した。私はこの2論文を邦訳し、『同志社大学グローバル・スタディーズ』に掲載した。タリバンの資料は乏しく、またタリバンが政権に復帰したため、これを本書に再録した。
・2014年『ウォール・ストリート・ジャーナル』(WSJ)が元タリバン外相が運営するアフガン学校での女子教育を報道している。それなのに「タリバンは今年12月に米軍が撤退した後、権力を把握しようとしている。そして『イスラム主義環境下での女子教育を支持する』と広報している」とし、タリバンが人気取りをしているとの報道をした(※この報道は2020年にかな?)。しかし事実は全く異なる。『タリバンの思想の基礎』にあるように、タリバンは男女へのイスラム教育を義務としており、女子教育を禁じていない。
・女学校が閉鎖されたり、女生徒が学校に行けなくなったり、女学校の建設が許可されない事はあった。しかしこれらは学校の方針がイスラムに反していたり、アフガニスタンが最貧国のため予算が取れないからである。それなのに欧米メディアは「タリバンは女子教育を禁じている」と批判している。
・先のWSJの記事は、「アフガン学校で男女は厳密に区別され、職業訓練コースで少女は調理・裁縫、男子は電気工の訓練を受けている。これはアフガン政府とタリバンが認めるモデルである」と正しく書いている。これは欧米の男女平等・男女同権と異なり、イスラム共通の理解なのだ。
・アフガニスタンで女子教育を妨げているのはタリバンではない。「タリバンが女子教育を妨げている」とし、学校教育で男女平等を広めようとしている国際組織/NGOである(※欧米が学校教育を男女平等にするので、アフガン人が受け付けないのかな)。つまりアフガン人父兄に対し、「学校は反イスラム的である」との認識を植え付けようとしている(※変だな?学校教育を男女平等にして、わざと学校に行かせないようにしているとなる)。アフガニスタンの女子教育は、アフガン学校のモデルに則った方法の普及により実現される。
・「タリバン運動」はソ連軍を撤退させたムジャヒディーンによる内戦に対し、マドラサ(神学校)の学生が立ち上がった事に始まる。しかし彼らは閉鎖的なため、政治思想が西側に伝わっていない。しかし2010年頃から広報が洗練され、イスラム首長国の公式サイトは5ヵ国語(ペルシャ語、パシュトゥ語、英語、アラビア語、ウルドゥー語)で戦況などを報告している。ただし短い記事が多いため、彼らのイデオロギーを知るのは困難である。
・2009年から5回に亘り、公式サイトで『タリバンの思想の基礎』(※以下当論文)が5ヵ国語で掲載される。これはアラビア語雑誌『アル=スムード』に掲載されていたもので、原文はアラビア語である。署名はアブドルワッハーブ・アル=カーブリーだが、イスラム主義反体制武装闘争派の言説に知悉しているため、アラブ人の偽名と思われる。※反体制の説明が欲しい。まあ武装闘争派は反体制になるかな。
・当論文は第1講・第2講で、「①タリバン運動の指導部と創始者のイスラム理解」「②思想・行状・政治・制度における西欧文明が生んだ退廃による思想・知性の汚染の不在(※思想・知性の汚染が不在なら嬉しいけど?)」「③国際秩序、国連の法令・決議に裁定を求めない」「④アッラーのみに忠誠を捧げ、虚偽の徒との取引を拒絶する」「⑤領主・世俗主義者の指導部からの追放と学者・宗教者の指導部による代替」「⑥民主主義を無明の宗教とし、信仰しない」「⑦一致団結と無明の民族主義の拒絶」の原則を論じている。第3講の8章は「⑧純イスラム的方法に基づくイスラムの実践」、9章は「⑨政治的・制度的行動における西洋への門戸閉鎖」と思われる。第4講で「⑩女性問題に関する聖法に則った見解」、第5講で「⑪ジハードとその整備」を論じている。
・10章の「⑩女性問題・・」/11章の「⑪ジハード・・」より、本論文はイスラム学的思想基盤の論理を明らかにし、外部の人に対し「女性を抑圧し、見境なくジハードを仕掛ける好戦主義者」の誤解を説くのが目的と思われる。また「②・・西欧文明が生んだ退廃・・」「⑨・・西洋への門戸閉鎖」などから、宗教学の類型論(排他主義、包括主義、優越的置換主義、多元主義)を適用するなら、排他主義であり、如何なる妥協もしない事を表明している(排他主義強硬派)(※宗教学も出てきた)。また「女子教育を推奨している」「西欧の科学・技術を拒否していない」「領土的野心はない」など、タリバンの柔軟性を示す一方、譲れない原則を示している。
・「天啓のシャリーア(≒聖法)以外の権威(法)に従うのは唯一神崇拝に背く不信仰であり、多神崇拝である」とある。これはイブン・タイミーヤ(1328年没)が唱えた理論であり、サウジアラビアのムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アール=シャイフ(1969年没)が「人定法は不信仰」と再定式化し、サイイド・クトゥブ(1966年没)が「ナショナリズムはジャーヒリーヤ(無明)」とした「ジャーヒリーヤ論」であり、スンナ派イスラム主義武装闘争派の理論的支柱である(※これでも簡略化した)。これより著者はスンナ派イスラム主義武装闘争派の者だろう。
・スンナ派イスラム主義武装闘争派には穏健派と過激派があるが、タリバンは穏健派に属する(※穏健派と過激派の判定基準は省略)。当論文の特徴は、シーア派批判がない点である。アルカーイダやイスラム国などのサラフィー主義はスンナ派超正統主義「ハディースの徒」に属し、シーア派を主要敵にしている。タリバンもスンナ派正統主義に属し、教義的にシーア派と対立している。それなのに当論文にシーア派批判がないのは、イランに住むハザラ人への政治的配慮だろう(※アフガン人の1割がハザラ人だった)。
・スンナ派武装闘争派もシーア派武装闘争派も、異教徒の占領からの解放を論理としている。また世俗主義者に対しても「異教徒の手先になり、シャリーアの施行を妨げている」と批判する。ただしタリバンには「背信者を処刑」の心性はない。
・タリバンの特徴に、正統カリフの後継者としての自認にある。この「イスラム初期3世の理想化とクルアーン/スンナへの回帰」はイブン・タイミーヤの流れを引くスンナ派イスラム主義に共通する(※イブン・タイミーヤは、日蓮/親鸞みたいな人かな)。しかし現代のサラフィー主義/ワッハーブ派は、法学・神学・スーフィズムにおいて後世の伝統を否定するが、カリフ論においてはスンナ派伝統主義を追認し、カリフ条件「イスラム学の学識と高潔な人格」を欠く支配者を否定しない。※難解。「後世の伝統」とは何だ?
・しかし当論文は、ウラマー(イスラム学者)の輔弼を受けて善政を敷いたアル=アイユービー(1193年没)/アル=ガズナウィー(位997~1030年)/アル=ムザッファル・クッズ(位1259~60年)を除き、腐敗堕落した政治を否定する。※3代以外の全てを否定?
・タリバンの正統カリフ自認は『イスラム首長国とその成功を収めた行政』でより明言されている。タリバンは正統カリフによる統治はウラマーによる統治である。「モスクの導師が千年振りに政治的最高指導権を手にした。彼らこそ最高指導職に相応しい。これこそアッラーの使徒と正統カリフの慣行(スンナ)である」と書き、ウラマーが指導するイスラム国家を建設する自負を持つ。
・この点は同じく人定法を不信仰とするスンナ派イスラム主義のワッハーブ派と異なる。それはワッハーブ派が宗教改革者ムハンマド・分・アブディルワッハーブ(1792年没)と豪族ムハンマド・イブン・サウード(1765年没)の政教盟約を前提としているからだ(※18世紀の話なんだ)。そのためサウード家の世襲王権を認めている。タリバンではウラマーが統治し、ウラマー自体がジハードに参加する。特に異教徒に侵略されたアフガニスタンはその最前線になる。そしてこの行動がウラマーの真贋になる。
・西側がよく批判するのが女子教育の禁止である。当論文の第4講は「⑩女性問題に関する聖法に則った見解」と題し、女性観を詳述している。タリバン支配期に女子教育ができなかったのは、環境/カリキュラム/施設などが整備できず、延期したとある。2010年になり、最高指導者ムッラー・ウマルが女学校を開設している。
・タリバン運動はジハードを戦う神学生の運動として始まったが、今は変質し、ウラマーを自認する様になった。しかしシャリーアに基づいて裁定できるのは管区長レベルの400人、さらに刑の執行の責任を負うのは州知事レベルに限られる。また今のタリバン運動には理工系の学生も参加している。この世俗知識人との協力現象は今後も加速するだろう。
・タリバンの頂点は「信徒たちの長」である最高指導者である。彼の下に副官(2人)/高等諮問会議/中央委員会がある。中央委員会は内閣に相当し、9つの委員会(軍事、不況・教導、文化・広報、政治、初等中等教育、財務、捕虜・孤児、保健、外国機関)で構成される。
・地方は州/管区/村落に分かれる。州/管区の長は最高指導者が任命し、その下に軍事/財務/教育などの委員会が置かれる。村落の長も最高指導者に任命され、その下に10~50名のムジャーヒド(戦士)から成る前哨隊が置かれ、村落の問題を処理する。※ムジャーヒドとムジャーヒディーンの違いは何だろう。
第2章 『イスラム首長国とその成功を収めた行政』 ※本章は翻訳のため、大幅に簡略化。
<序>
・国家の成功・繁栄は、高貴な目的/指導者の手腕/側近の自己犠牲などに依拠する。この成功には、下された決定/行政命令/原則の実行を指揮する者の献身的な尽力と実行する者の清廉な選抜が重要になる。
・我々は成功を収める行政の解明を目指しているのではない。米国とその同盟軍に対するジハードに忙殺されるイスラム首長国/タリバンの政体に関する情報を、アッラーのお助けにより提供する事にある(※アッラーのお助けの詳述は省略)。
・行政に携わる者には、利他・滅私・自己犠牲の精神が必要である。※クルアーンを引用し詳述しているが省略。
・また有能・篤信・清廉な役人を選抜する必要がある。篤信を欠くと腐敗し、能力を欠くと行政が弱体化する。両者が背反するなら、篤信を優先する。ともあれ役人の選抜は重要である。※ここもクルアーンを引用している。常に最後にクルアーンを引用しているが、以下同様に省略する。
・また指導者の人格が優れている事も重要である。それは彼は枢軸であり、社会を目的の実現のために差配し、人々を善と幸福に導くからだ。設定した目標に人々を向けさせ、献身的感情を生み出させる責任がある。そのため指導者には、自由人身分、男性性、理性・感覚の健常、学識・洞察力、力・勇気、英知・気配りなどの資質が求められる。
<1.国制の法源>
・イスラム首長国は、アッラーの書(クルアーン)/使徒ムハンマドの言行(スンナ)/正統カリフの言行/その教友の言葉/追随者らの教養回答(ファトワー)/ウラマーの見解を学び、過去の歴史からも教訓を得る。そして神聖な目的/指導者の洞察力/信仰の力/従事者の経験・献身・信頼性・能力などのバランスが取れた要素を備える。
<2.地方行政の指導理念>
・イスラム首長国は州に分割され、敬虔な知事が任命される。現世・来世を目指す政治が行われる。人々に宗教を教え、善を命じ悪を禁じる。これは正統カリフ時代の原則に立脚する。ムジャーヒド(戦士)の指導規則を定める。これは彼らを啓蒙し、光明(?)の中で教友に倣うためだ。※第2代正統カリフ/第3代正統カリフの言葉を引用しているが省略。
<3.地方行政の区分>
・イスラム首長国はカンダハル/ヘルマンド/バルフなどの行政単位「州」に分かれる。さらにその規模に応じ管区に分かれる。さらに管区は地区/村落に分かれる。管区は400、地区/村落は数万に及ぶ。
<4.村落行政>
・村落には村長がおり、民事軍事の責任を負う。彼には10~50人のムジャーヒド(戦士)が付く。この小隊を「前哨隊」と呼ぶ。彼らは占領軍に対応する。村落の内外を問わず、苦情を受け付ける。些細な問題の解決は村落の有力者に委ねるが、重大な問題は管区の責任者に上げる。
<5.州自治>
・管区は敬虔な管区長がおり、彼に副官が付く。彼の下で司法/初等中等教育/軍事などの委員会が活動する。彼はその管区のシャリーア裁定の責任を負う。彼の任免は州の軍事委員会が諮問し、国の最高指導部が任免する。
<6.中央政府と州の関係>
・州は独立の単位で、その長が知事である。彼には副官が付く。彼は州の軍事/民事/財務/司法の責任を負う。彼は豊富な経験・宗教心・人徳を有し、信頼され誠実な者が任用される。彼はシャリーアの規範/法定刑罰を執行し、管区長を監督し、軍事に当たり、財源・支出を監査する。彼の下で司法/軍事/財務/初等中等教育などの委員会が活動する。彼の任免は高等諮問評議会が諮問し、国の最高指導部が任免する。
<7.中央政府>
・これらの上に中央委員会がある。以下のどの委員会も職務に通じ、信頼され、献身的な委員で構成する。
軍事委員会-ムジャーヒドに武器・弾薬・兵糧を供給し、軍事作戦計画を作成し、攻撃の指令をする。
布教・教導委員会-大ウラマーで構成され、法学的問題にイフター(教養回答。※ファトワーとの違いは?)を示す。またウラマーの任用/ムジャーヒドの教導/住民の教化/司令官・部下への忠言などを行う。
文化・広報委員会-「使徒たちの司令官」の声明や最高指導部・高等諮問評議会の裁定・声明・決定を放送する(※「使徒たちの司令官」=最高指導者かな)。ムジャーヒドの宣教・戦果を伝える。また敵の虚報・流言飛語・陰謀に反撃し、インターネットでその主張を論駁する。
政治委員会-外務省に相当し、国際関係の樹立・拡大・促進に尽力する。
初等中等教育委員会-学校の建設/教育カリキュラムの作成/校長の選任/教師・事務機構の任用を行う。これはイスラム学・近代学問の普及/文盲の一掃と無知の撲滅/新世代の育成が目的である。
財務委員会-財源の拡大/出納処理/支出監査などを行う。
捕虜・孤児委員会-捕虜の解放に尽力し、その子弟/殉教者の子弟の教育・扶養をする。
保健委員会-ムジャーヒドを治療・扶助し、静養所を提供する。※ムジャーヒドに限定みたいだな。
外国機関委員会-外国機関に緊急避難地への立ち退きを求め、彼らの活動を監視する。※緊急避難地の説明が欲しい。
<8.最高指導部>
・高等諮問評議会はイスラム首長国の幹部で構成され、任免は「使徒たちの司令官」が行う。この評議会は、アフガニスタン情勢の監督/内政・外交問題の探求/委員会活動の指導/国際的・地域的・国内的な事件に対する声明/クルアーン・スンナに照合した法令の発出などの権限を持つ。
<9.最高指導者>
・最高指導者「使徒たちの司令官」はモッラー・ムハンマド・ウマルに代表され、ムジャーヒドの最高指揮官であり、使徒の指導者であり、アフガニスタンの軍事・民事の最高司牧者である。彼の説教・言説から明白な様に、世界の全てのムスリムに対し、アッラーのシャリーアに裁定を求める事を切望する。また適切な者を側近に選び、公正な統治を行い、彼らを監督する。※大幅に省略。
<10.副指導者>
・最高指導者は2人の副官を置く。両名はアッラーのシャリーアを施行するための両腕になる。指導者の命令を忠実に実行する。両名は、ジハードの諸事/当局の活性化/高等評議会・諮問会議(※高等諮問評議会?)の開催/イスラム首長国の諸事運営の責任を負う。
<結語>
・指導者のアッラーへの信仰の強さ/目標の神聖さ、そしてそれが従事者に深く浸透している事がジハード成功の秘密である。この信仰の力とは、モッラー・ムハンマド・ウマルが不信仰者の侵略と彼らによる民衆への襲撃に「否」と述べ、「我々にはアッラーだけで十分」と述べ、ジハードを命じた事にある。
・高貴なウラマー/シャリーアの学究/アッラーに仕える義人がムジャーヒドを統率する。またイスラム首長国の目標は、アッラーの言葉の宣揚/イスラム政府の樹立/敵である米国の追放である。
・アッラーは不信仰者の言葉を卑しめ、真理を真理とし、虚偽を虚偽とする。アッラーはジハードによりイスラム/ムスリムに栄誉を与え、多神崇拝・多神教徒を卑しめる。
第3章 『タリバンの思想の基礎』 ※本章も翻訳のため、大幅に簡略化。
<序>
・20世紀の終わりタリバン運動はイスラム諸運動の前衛として、キリスト教十字軍(※この言葉は頻出する)の軍勢と戦うために出現した。そして政権を獲得し、人々が忘れていた統治形態を示した。タリバンはイスラム聖法(シャリーア)を施行し、人々に安心安全・幸福をもたらし、そして植民地主義者が押し付けた無明の法令と戦った。そのため不信仰世界は同盟し、タリバンと戦った。しかしタリバンはアッラーの恵みにより勝利した。
・タリバン運動は、闘争形態/思想/理論武装/世界観/人間観/他者との関係などでユニークである。その基礎はどこにあるのか。それには思想的背景、参照した書物、指導部が受けた教育などを知る必要がある。これにより統治理論、聖法の理解、イスラム史の解釈を知る事ができる。
・私(※論文の著者?本書の著者?)はタリバン運動の誕生からこれに加わり、彼らと同じ事を学んだ。しかし西欧のメディアはタリバン運動を誹謗中傷し、その実態は知られていない。そのため我々はタリバン運動の思想的基盤/運動の基本原則/統治/政治制度/不信仰とイスラムの見解について要約した。これが100%正しいと主張するつもりはないが、タリバン運動の基本原則/綱領だろう。
<1.指導部と創設者のイスラム理解>
・創設者・指導部・政治家・軍人、全てがイスラム学を学んでいる。その典籍は、宗教から逸脱した解釈がない純粋な聖法である。近代のイスラム学者は聖法を西欧風に、魂を抜き、文化遺産のように教えた。そのため学んだ者は、聖法を実践する必要がなくなった。これはイスラム世界で聖法を人間生活の法と信じていない諸政府により行われた。彼らは聖法より人定法/西欧諸法を重んじている。※本論文は西欧批判より、同胞であるイスラム世界への訴えが強い。
・一方タリバンは純正の宗教学校/モスクで学び、聖法の穢れを免れている。しかしこの宗教学校の運営管理/カリキュラムに問題がない訳ではない。しかしこれにより純正の宗教学校で学んだ者と西欧流儀で学んだ者との乖離をもたらした。そのため西欧・不信仰諸国が西欧的な政治・統治・法制・国際関係に従わないタリバンに敵対するようになった。西欧は軍事だけでなく、教育・広報・経済・政治・社会などの様々な領域でタリバンに戦いを挑んでいる。これはイスラム世界に定着してきた西欧の諸理論を抹消させないためである。またアフガニスタンでの戦争は、西欧やその手先になったイスラム諸国と妥協しないイスラム思想に対する戦争と云える。
・ここまでタリバンの政治理論/政治的立場を述べた。これから述べる聖法の知識は、学位の取得/就職/学歴などが目的ではなく、あくまでも実践が目的である。この実践を妨げる障害に対し、議論・論証が役に立たなければ、軍事力を行使するしかない。これがタリバンと西欧流で学んだ者との違いである。タリバンは聖法の実践のために、それを学ぶ。
<2.西欧文明は退廃した思想・知性を生んだ>
・イスラム諸国の諸政府は植民地主義者によって創られた。彼らはイスラム諸国に設立された学校で教育を受けた者か、西欧に派遣された者である。彼らはそこで洗脳され、無神論に犯され、非宗教的な統治・政治・制度を習得した。そのため彼らは統治権を引き渡されると無神論に従い、聖法を遠ざけている。それどころかそれに戦いを挑み、西欧流の基準・様式を定めた。
・これにより共産主義政権や、法裁定を聖法に求めないリベラル政権・世俗主義政権を樹立した。これによりイスラム世界は1世紀を経ずイスラム的性格を失い、ムスリムは外国の法令・理論に支配される異邦人になった。
・一方タリバンは、世俗主義/民主主義/日和見主義/便宜主義/現世的利益・快楽/暴力的支配/西洋哲学が生んだ退廃に汚染されていない。彼らは思想/理論/哲学/人との関係を聖法に求める。そして聖法を再生させ、非宗教的政権が輸入した制度・法令を廃止した。タリバンは西洋の物質的な基準に対し、イスラムの光明・正義・純潔を掲示した(※色々書かれているが大幅に省略)。これに西欧は脅威を感じ、タリバンの思想・制度を誹謗中傷し始めた。これにより西洋の考え方が浸透させ、堕落している国のムスリムがタリバンの思想・制度に倣わないようにしている。
<3.国際秩序・国連などに裁定を求めない>
・国際秩序・国連及びその関連機関は、西洋の植民地主義を隠蔽し、強国による弱小国支配を押し付けるための組織だ。強国は法令・決議などを弱小国に強制し、植民地主義が犯してきた罪を正当化している。彼らはこれらの法令をアッラーや預言者が啓示した教えの如く神聖化している。そのためこれらの法令に対し、如何なる批判・議論を認めない。※お互い様だな。
・今のイスラム世界の為政者は植民地主義に忠誠を尽くす者で、これらの法令・決議を信奉し、それらを執行している。そのためこれらの法令・決議に敵対する国家・民族は罪を犯したとされ、否応なく屈従される。
・ところがタリバンは、この虚構の神話への敵対を宣言した。そして内政・外政全てにおいて、アッラーの聖法のみに裁定を求める事を宣言した。これは如何なる爆風にも揺らがない。彼らは国際的な決議に従うか、聖法のみに従うかの誘惑の選択を迫られたが、後者を選択し、それを実証した。彼らは多大な犠牲を払うが、それでも政権・体制を保持する必要があった。それはその目的がアッラーの言葉の宣揚にあるからだ。
・しかしイスラムの教えに反しない条約・決議は遵守する。これは使徒ムハンマドがマッカ(※メッカ?)からの移住を説いた時の考え方である(※詳述されているが省略)。この彼の考え方を甦らせた事は、イスラム世界の不信仰の支配者に対する偉大な功績である。
<4.アッラーのみに従い、不信仰者と取引しない>
・アッラーに忠誠を掲げる者は多くいるが、厳しい試練・苦難に見舞われると、直ぐに妥協・打算し、不信仰者と取引する。さらに恥ずべきは敵と同盟し、ムジャーヒドやアッラーの擁護者に内戦を仕掛ける事だ。彼らはムジャーヒドらをテロ/過激主義/イスラムの知識・理解の不足などと誹謗中傷し、ムジャーヒド/ジハードを貶める。我々は彼らの団体・運動により様々な苦難を被り、イスラムの諸概念は歪曲された(※タリバンを彼らと言っていたが、ここでは我々と言っている)。彼らはムジャーヒドが敵対する国際十字軍同盟に加わった。
・しかしタリバンはイスラムのみに忠誠を捧げ、如何なる怪しい団体・党派とも取引しなかった。そして政権を獲得すると聖法のみを施行した。これはイスラム初の偉業である。しかし聖法の施行において、全く過ちがなかった訳ではない。我々の運動にも、現世的野心や権勢などに忠誠心を揺らがす者もいた。しかしそうした者は自身から運動を見捨てるか、我々が彼らを放逐した。
<5.世俗主義者の追放と学者・宗教者による代替>
・タリバン運動は、イスラム共同体(ウンマ)の指導権はイスラム学者と預言者の相続人である学者に属すると考える(※後者もイスラム学者なのでは)。この実例が預言者である。彼は最高指導者で、ウンマの政治・軍事・財務・法制を司り、宗教を教え、人類を闇から光明に導き、外交の大綱を定めた(※優れた人物と思う)。彼が亡くなると、指導権はアブー・バクル(初代カリフ)に委ねられた。この様に指導権は知者から知者に移り、その指導の下でイスラムは世界に広まった。
・しかし初期3世代が去ると、人々は宗教の教えから逸脱し、衰退する。そして指導権は我欲に従って人々を支配する者に移った(※指導権は大概3世代で衰退する)。これによりムスリムは領土を失い、ウンマも災厄を味わうようになる。アル=アイユービー(アイユーブ朝始祖、1193年没)/アル=ガズナウィー(ガズナ朝位997~1030年)/アル=ムザッファル・クッズ(バフリー・マムルーク朝位1259~60年)などの例外を除き、泥沼から抜け出せなかった。彼ら、あるいは傍らのイスラム学者により聖法が施行された。しかし支配権は専制君主に戻り、イスラム学者は政治・指導権から遠ざけられた(※イスラム諸国も様々だな)。
・外国人がムスリムの土地を占領すると、世俗主義を広め、生活・政治から宗教を根絶した。イスラム学者の役割は縮滅され、ムスリムの指導者を輩出する光塔から切り離された修道院にされた。さらに植民地主義者は官立学校を設立し、外国人教師あるいは我々と同じ民族で彼らの弟子となった教師が、世俗主義のカリキュラムを教えた。これにより生まれた新世代はイスラムの原則・規定を否定し、占領軍に忠誠を尽くした。彼らはイスラム学者/篤信の徒を支配・統治から遠ざけた。
・至高なるアッラーの宗教に替わったのが、欲望が支配する民主主義である。ここでは最善の人間と最悪の人間が平等に扱われる(※イスラムから見ればそうなるのか)。支配者達は軍事力・拷問・投獄などで、民主主義を確立した。
・この様にイスラム諸国の教育は西洋の目的に適うように替えられた。またイスラム学校での教育でも聖法の魂は抜かれ、言葉遊びのギリシャ哲学で教えられるようになった。こうして教えられる宗教は、礼拝・浄財・家族法と思弁神学諸派に属する一部の信条・教養(※これは何だろう)に限定された。
・イスラム教育では、イスラム世界を席巻している現代イデオロギーの諸派・諸団体(※営利企業など?)がもたらす悪影響を教えていなかったため、共産主義/自由主義が入り込んだ。これはアッラーの統治権や聖法の施行を否定した。
・この状況下で生まれたのがタリバン運動である。タリバンは正面から戦い、力関係・価値基準・諸事を元に戻した。そして導師は「支配権はアッラー以外にない」「アッラー以外に従う者は不信仰者」と宣言した。こうして千年振りに導師が最高指導者になり、アッラーの使徒の慣行(スンナ)が確証された。タリバンは政府を樹立し、聖法を施行し、西欧が2世紀に亘って押し付けようとした事が大嘘だった事を立証した(※大幅に省略)。
・しかしこの実験には血・命などの様々な犠牲を伴ったが、確固たる信仰に対する誇りにより、脅迫にも屈せず、道を開いた(※クルアーンを引用し、詳述しているが省略)。彼らは地域的(アフガニスタン)・地域的(イスラム世界)・国際的な圧力に屈せず、原則に従い取引もせず、悪魔の政令と混淆(※こんこう、交わる事)しなかった。
・不信仰世界はタリバンを平和的手段・政治的取引で買収する事を諦め、多くのイスラム運動・団体を民主主義の鋳型に嵌め込む試みが失敗する。すると今度はタリバンに対し侵略戦争を仕掛け、この実験を失敗させようと力の限りを尽くすようになった。これが米国であり、タリバンを自分達が樹立したカルザイ政権に抱き込もうと、色目を使って摺り寄ってきた。これが8年に亘るタリバンとの戦争から得た結論である。
・一方タリバンの指導者は西洋の世俗主義の政治家と全く異なる振る舞いをした。そしてタリバンが悪魔の罠に弄ばれるスーフィー乞食坊主(※イスラムの神秘主義者かな)でない事を証明した。また統治・戦争・国際的挑戦により鍛えられ、政治的賢慮を持ち、世界情勢・策略を深く理解している事を示した。彼らは、政治・指導から領主・世俗主義者を追放しただけでなく、戦争・政治・情報宣伝・国際的陰謀を賢明に理解するジハード戦士を育てた。
・これはイスラム世界で権力を失う事を恐れ、西洋の言いなりになる指導層の成員を惹き付けた(※他のイスラム諸国かな)。そして「イスラム学者とジハード戦士には指導力がある」との信頼を得た。またこれはイスラム初期3世代への復帰を期待させた。そしてこれはイスラムへの信仰が揺らいでいる者や宗教的・文明的闘争などの現代的諸事象の中、軍事・民事において聖法が施行される事で行われた。
・イスラム思想の探究者(※ムスリムのイスラム学者?世界のイスラム学者?)が、タリバン運動/ジハード/国際情勢/イデオロギー闘争などに関心・興味を持っていない事があってはならない。
<6.民主主義は無明の宗教>
・タリバン運動は民主主義をムハンマドの啓示を拒否し、全ての領域において欲望を最終審級とする無明の宗教とし、イスラムだけが政治制度・立法・経済・道徳・社会における完全な宗教としている。それは至高なるアッラーのクルアーンに記されている(※引用しているが省略)。イスラムは全ての領域を包摂し、その問題・課題を解決できる宗教である。タリバンは民主主義をアッラーの至上権を拒否し、多数決の形にして人間に落とし込めた無明の宗教とする。そしてその多数派が法令を定め、合法/禁止を判断し、利権を守る事に専念している。従って神の聖法の地位を、彼らの妄執が占めている。
・タリバンは民主主義をキリスト教会の堕落であり、近代西洋の哲学者が作った宗教と理解している。そしてこれは2つの原理から成立する。第1の原理は主権原理である。合法/禁止の最高主権(※=至上権かな)が人間にあり、特権的多数派の見解による絶対権力になっている。第2の原理は、権利と自由の原則である。要約すると個人の自由を脅かさない限り、あらゆる事を為さしめる。あらゆる宗教・聖法も、この自由・権利を禁じる事ができない。民主主義には信仰も不信仰もない。全ての人が平等で、善悪は多数派が決める。
・さらに民主主義の理論は、これに尽きない。イスラムに移植しようと奔走している「政治的多党制」がある。タリバンは政治的多党制を「ムスリムを分裂させるため」と考え、単一のイスラム政体の樹立を考える。そして「為政者は門戸を開くべき」と考える(※「為政者は助言を聞け」の意味かな)。その根拠は「宗教は助言」であり、「ジハードは不正なスルタンへの真理の言葉」「最善の助言はカリフに向けられる」からだ(※スルタンとカリフは大分異なると思うが)。
・侵略者・占領者が育て、巨額の投資を受けてきた世俗主義者・民族主義者は聖法に照らせば無に等しく、無宗教の活動は許されない。ムスリムは共産主義者による殺人・拷問・追放・冒涜を忘れてはいけない。ところがそれが終わると自由主義者が侵略してきて、虐待・拷問を行った。アフガニスタン/イラク/ソマリア/パレスチナで起きた出来事は、不信仰諸国が育てた自由主義者が犯した罪である。※出来事とは傀儡政権かな。
・タリバンの30年に亘るジハードは民主主義や西洋思想に門戸を開くためでなく、アッラーの言葉(※クルアーンかな)を宣揚し、聖法を施行するためである。そしてジハードやイスラム政体の樹立を妨げる全ての思想・理論は許されず、それらは抹殺されなければいけない。そのため民主主義は弘布のために世界を暴力で席捲する無明の宗教である(※時々難解な言葉が出て来る)。真理はイスラムだけにあり、人間の幸福もそこにある。両者の違いは、信仰か不信仰の違いである。※アッラーアクバルだな。
<7.一致団結と民主主義の拒絶>
・一致団結と無明の民主主義の拒絶はタリバンの重要な原則である。そのため敵はタリバンを「過激派」「急進派」と名付ける。しかしタリバンは指導者の下で団結しており、分裂する事はない。以下に団結を支える要因を述べる。
(1)指導者の善(命令)に対する絶対的服従
これは聖法に定められた事である。タリバンの指導者・成員はイスラム学の学者・学徒であり、聖法を最も理解し、これを遵守するのが最も容易な者である。そのためイスラムの諸運動の様に妄執により分裂する事はない。
(2)敵が行う流言に耳を傾けない
流言飛語は指導者への猜疑心から生まれる。しかしタリバンの成員は聖法を理解しているため、敵に攪乱される事はない。これはアッラーの言葉にある(※クルアーンを引用しているが省略)。彼らは何事も権威者に委ねるため、戦列が分裂する事はない。
(3)タリバンの指導者と成員で生活に区別がなく、成員が猜疑羨望を抱く事はない
指導者は貧者であり庶民である。食事も服装も成員と同じである。指導者は清貧・質素な生活を送り、この世の暮らしに無欲である。そのため成員は指導者から離反する事はない。
(4)諸運動・諸団体の分裂は、地位・職務の競争から生まれる
タリバンでの地位は名誉特権ではなく、義務負担であり、試練やジハードによる死・負傷・捕囚に身を晒す事である。そのため大臣だった者が、前線の指揮官になったり、普通の職に就いたりする事が充分ある。タリバンでの地位は重責であり、現世に欲がない者が就く。
(5)敵の金銭的・政治的誘惑に乗らない
敵はタリバンを分裂させようと、金銭的・政治的賄賂を提示したが、彼らは乗らなかった。それはタリバン運動に帰属する目的が地位ではなく、信仰とアッラーの道への献身だからだ。ただしタリバンも人間であり、利権・野望を抱き、規律に弛緩する者もいる。しかしその様な者は苦難・試練・苛酷さに耐えられず、タリバンに残れない。
(6)タリバンには無明の党派主義がない
タリバンには、民族・言語・地域などの無明の党派主義がない。タリバンはスンナ派イスラム主義の全ての民族が対象で、ウズベク人/トルコマン人(※トルクメン人?)/タジク人/バルーチ人(※インドに都市がある)/パシュトゥン人/ヌーリスターン人(※アフガニスタン東部に州がある)がいる。タリバンは、献身の純粋性/仕事の熱心さ/神への畏れで人物評価される。
<8.純イスラム的実践>
・タリバンの思想に「純イスラム的方法によるイスラムの実践」「政治的制度的行動における西洋への門戸閉鎖」がある。タリバンは西洋の教育を受け物質的原理に毒された者がイスラムに忠誠を誓えない事を知っている。彼らの理想は西洋であり、イスラムは政治体制や問題処理とは無関係で、単なる精神的な教えと考え、ムスリムを西洋的生活に染め上げようとする。そのためイスラム団体の指導者にはなれない。
・しかしタリバンは西洋で有益な知識を学んだ専門家・技術者・科学者が宗教・祖国に忠実であれば、それを拒まない。それは国・体制を政治的・思想的・文化的・法制的に西洋化するのを妨ぐためでもある。
<9.政治的・制度的行動における西洋への門戸閉鎖>
・20世紀後半のイスラム運動は、当初はイスラム共同体(ウンマ)の若者にイスラムの自尊心を蘇らせ、ジハードにも参加させた。しかしその後は後退し、西洋の様式を取り入れ、生き方/思想的言説を変え、イスラムの本質さえも変質させた。そのためイスラム団体は世俗主義になり、民主主義を行動基準にし、連立政権に参加するようになった。彼らは、純正なイスラム的概念を放棄し、信仰者/不信仰者や善人/悪人を平等に扱う選挙に参加し、イスラム政権の樹立を目的とするジハード団体を中傷し、政権を獲るために西洋に擦り寄った。
・この行動はエジプト/チュニジア/アルジェリア/スーダン/ヨルダン/トルコ/イラク/湾岸諸国/インド亜大陸/タジキスタンの小団体にも大団体にも見られる。アフガニスタンの諸政党もしばらく前はジハードの旗を掲げていたが、今は十字軍が樹立した傀儡政権に加わっている。これらの団体はジハード戦士を批判している。そして裏取引・日和見政策・秘密交渉により裏から傀儡政権に参加している。
・これらの準世俗主義団体は以下の入口から侵入された。
(1)生活・業務を西洋式にした。
(2)西洋の徒弟が内部で行動し、影響するようになった。
(3)個人的・組織的行動においで、イスラムの忠誠・絶縁の信条を放棄した。※説明が欲しい。
(4)現世的快楽を求め、粗末な生活や厳格さから逃避した。
(5)西洋が純正なイスラム的信条を「原理趣意」「過激」「反動」と蔑むようになった。
(6)西洋の物質文明に惑わされ、イスラムの精神的霊的規律を取り替えた。※説明が欲しい。
(7)西洋との闘いを早く終わらせるため、純正なイスラム的信条の犠牲を厭わなくなった。
(8)純正なイスラム政権の樹立より、傀儡政権での地位を志向するようになった。
・一方タリバンは純正なイスラム学校の寄宿舎から出立しており、堕落を免れた。アッラーの教えに堅忍不抜であり、西洋に門戸を開かず、西洋の徒弟を受け入れなかった。西洋の思想を受け入れた途端、堕落は始まる。
<10.女性問題への見解> ※本節「10.女性問題」と次節「11.ジハード」が本論文の中心かな。
・タリバンにおける女性問題は西洋で大きな論争になった。西洋のメディアは、「アフガニスタンでは女性が監禁され、人権・自由が制限されている。男性の営為から遠ざけられ、教育・労働の権利はない」と中傷した。これは預言者ムハンマドの弟子の「信徒の母たち」や貞淑に奮闘した女性たちを手本とするアフガン人女性の実状を歪曲させている。西洋はアフガン人女性を、無神論で穢れた見方でしか見れない。
・アフガニスタンの女性問題は様々だが(※省略)、まずは女性解放運動が失敗した経緯を知る必要がある。タリバンでは男女は姉妹同胞であり、イスラムが両者に課した義務は平等である。男性が聖法の規定遵守を求められるように、女性も求められる。イスラムでは女性の養育・扶養・尊厳を保護するのが男性の責任である。これはアッラーが女性の生物学的相違を尊重しているからだ。
・女性の廉直・放縦の基準はイスラムが定めている。そのため無神論の西洋がイスラムの基準を拒否するのは驚く事ではない。西洋は物質的自由主義で女性を見る。従って女性問題は西洋人の頭の中が問題で、植民地主義的敵対心やアフガン女性の思想への攻撃から生じている。それは十字軍とその同盟者に苦渋を飲ませるジハード戦士を育てたからだ。
・アフガン女性が西洋化に抵抗し、その父兄や息子がジハード戦線に立つのを見て、西洋は攻撃方法を変えた。その新しい戦略の責任を、イスラム世界の裏切者である傀儡政権の為政者に負わせた。そして彼らはムスリム女性に脱衣・半裸など、イスラムからの逸脱を強制した。
・ハビーブッラー(位1901~19年)は妻に洋服を着せ始めた。息子アマーヌッラー(位1919~29年)は西洋の自由主義にかぶれ、半年を超える洋行に出掛けた。同行した王妃は、膝を丸出しにした洋服で帰国した。そして彼らにより、女性の脱衣やスカーフ反対運動が始まった。その後ザーヒル・シャー(位1933~73年)は女性の放縦/共学/道徳的退廃を広め、無神論の共産主義の種を撒いた。彼を継いだ甥のムハンマド・ダーウード大統領はこれを継承し、都市の女性に残っていた道徳・宗教・貞節・羞恥心を根絶させた(※普通、都市が先に影響を受けると思うが)。
・共産主義政権が崩壊するとラッバーニーが率いるジハード諸組織が政権を握った。しかし彼は聖法の施行や腐敗の撲滅には関心を持たず、祖国を内戦に陥れた。多くのムスリムが祖国を離れるが、西洋は彼らを西洋文化に染め、アフガニスタン攻撃の毒槍にした。
・タリバンが政権を握るが、以下の道徳的堕落が大都市で引き継がれていた。
(1)世俗主義政権が生み出した女性の道徳的退廃。
(2)無規範主義で無神論の共産主義が生み出した道徳的退廃。
(3)西洋によるアフガン人疎外から生じる腐敗。※説明が欲しい。
(4)世俗主義・共産主義政権によるイスラム刑法施行の破棄。
(5)堕落した政権が広めた映画・劇場・クラブ・ラジオ・テレビ・新聞・俗悪雑誌・猥褻書籍などの不品行を広める手段。
(6)ムジャーヒディーン政府が腐敗との闘いに失敗し、政府要人の多くが堕落したネットワークに絡め取られた。※そんなネットワークあったかな。
(7)教育における共学制度。
(8)教育におけるイスラム式服装の禁止。
(9)西洋/共産主義諸国からのメディアによるイデオロギー攻撃。
(10)アフガニスタンに西洋思想・文化を普及させるため、人道・教育・医療支援を装った西洋の組織。
・これらの要因により女性・青年が危険な状況に置かれている。そのためタリバンは以下の断固たる政策を要求された。
(1)j女性教育のための環境・カリキュラム・黒板・建物などを用意するための期間。これは女性教育の禁止ではない。憲法にも女性に教育機会を与える事を明記している。
(2)女性公務員を退職させ、年金生活に入れる。
(3)聖法の施行と腐敗防止のため、ヒジャーブを強制する。
(4)石打刑・鞭刑などの施行。※知っているけど、残虐な刑罰だな。
(5)勧善懲悪省を設置し、宗教の教化や不品行を自粛しない者への懲戒を行う。
(6)西洋機関の監視・監督。
(7)思想的害毒を撒き散らす出版放送手段の禁止。
・西洋はこのタリバンの政策により、迷妄な思想や不信仰の理論がアフガン女性や新世代に浸透しない事を悟った。そこで西洋はアフガン女性が権利を侵害されていると吹聴し始めた。
・アフガン女性は他のイスラム世界の女性と性状が大きく異なる。彼女らは健全な天性を保持し、物質主義に汚染されておらず、移住・ジハードに耐え、その日暮らしに辛抱し、貞操・慎みを選好している。そのため彼女らは新世代にイスラムの諸原理を教える資格を有する。
・しかし西洋はこれに我慢できず、彼女らを堕落させるため、以下の計画を立案した。
(1)ヒジャーブを脱ぎ捨てろとの扇動。ヒジャーブはタリバン政権と関係しており、政権が崩壊した以上、着る必要はない。
(2)女性省の創設。この真の目的は女性の堕落にあり、この奇怪な省は米国の専門家が監督した。
(3)生活のあらゆる場所での男女混交。これは政治・教育・商業・娯楽・ミスコン・遊技場・ダンスホール・芸術・ジャーナリズム・メディアなどに及んだ。
(4)テレビ局・ラジオ局の開設。テレビ局はカブールで20以上、ラジオは全土で200以上ある。そこで女性を雇用し、猥褻・不品行な放送を行った。これらが腐敗・弛緩・分裂をもたらしたため、政府は倫理上の監督を強化したが、この暴走を止められなかった。
(5)以下の3原則を執拗に強制した。①万事における男女平等。②男性の女性に対する管轄権を失わせるための女性の自立(※説明があるが省略)。③社会の清廉・貞潔を守るためのイスラムの防壁を破壊するための完全な男女混交。
(6)扇情の手段(雑誌、写真、映画、演劇、ナイトクラブ)の大量の持ち込み。倫理規制の廃止。扇情的音楽/男女の猥褻を放送する放送局の開設。
(7)ゲストハウス(売春宿)を開設し、外国から売春婦を輸入した。害悪が増大したため内務省が閉鎖したが、若者が再開を求めた。
(8)エイズ防止と称する避妊具の配布。これは婚外性交を広めるためだった。
(9)国内外のミスコンに参加するための芸者集団の結成。
(10)聖法に従う地方裁判所に訴える事を望まない女性をおびき寄せるための権利擁護事務所の設立。
(11)油・食料品で女性を国立学校に誘う。この真の目的は、女性を天性から逸脱させ、貞潔を歪め、子供を西洋・インドに感化させ、家庭を放置させるためである。
・貞節な女性は、西洋にとって目障りなのだ。その様な女性は夜陰に家を襲撃し、彼女の前で夫を殺すしかない。何故なら、彼女はジハード戦士の妻か母だからだ。一方タリバンの女性に対する考え方は、バランスが取れたイスラムの考え方である。彼らは女性から授乳され、庇護の許で愛情を受けて育った。そのため彼らは、女性の名誉・尊厳を護る。彼らと聖法こそが女性の擁護者なのだ。
<11.ジハードとその装備>
・イスラム団体の多くがジハードを否定している。それは彼らがイスラム的行動の優先順位を間違っているからだ。彼らはイスラムを儀礼・祈りの言葉としか考えていない。彼らはオリエンタリスト的な教育を受け(※中近東の専門家かな)、現世の利益や政府の役職を望み、邪神(不正な支配者)に擦り寄り(※邪神は、たまに出てくる)、戦闘・負傷・投獄・逃避行などに耐える情熱を失っている。
・またジハードを掲げるが、戦闘現場に出る事はない。政府がジハードを否定すると、直ちにジハードの旗を降ろし、ムジャーヒド戦士に敵対する。そして民主主義・人権などの腐敗した市民社会で自分の地位を守る事に専念する。これは民主主義政権でも世俗王制政権でも同じである。
・一方タリバンはジハードを行う最大のイスラム運動である。彼らは不信仰・邪神に妥協しないと決意し、十字軍に対し自己犠牲によるジハードを行っている。世界のムスリムは、タリバンのジハードの概念/必要条件/目的/十字軍に対する備えなどを知りたがっている。以下にこれを説明する。
(1)タリバンのジハードに対する理解
・タリバンはジハードを、民族主義的・祖国主義的な利益のための政治闘争・軍事的戦争と考えていない。ジハードはアッラーの言葉を宣揚するための崇拝行為と考える。ジハードは崇拝行為の中で最も高貴で、単に戦闘・戦争を意味せず、アッラーの言葉の宣揚/イスラム体制の樹立のための全ての努力を指す。ジハードが無目的でない事はクルアーンに記されている(※クルアーンを引用しているが省略)。
・アッラーの言葉の宣揚でない利己的・宗派的・民族的な目的のジハードは受け入れられない。すなわちジハードは、アッラーの導きに従う事を妨げる全ての試み・誘惑を根絶し、ウンマを不信仰者から守り、善の命令/悪の禁止を守るのが目的である。
・そのためタリバンは理論武装し、外国の利権に乗り農業・牧畜を破壊した諸団体に対し立ち上がった。タリバンがジハードを信条とし立ち上がった時、タリバンが「悪と腐敗の諸団体」と命名した諸団体を米国は支持した。そして米国がアフガニスタン攻撃を始めると、それらの諸団体は十字軍の旗の下に降った。これにより命名が正しかった事が明白になる。
・タリバンはジハードを個人義務と信じる。殉教者アブドッラー・アッザーム師は著作『ムスリムの土地の防衛は最も重要な個人的義務』に、「特殊な条件下でジハードが個人義務になるのは、スンナ派の全ての法学派の見解」と書いている。そしてその条件を、①ムスリムの国が不信仰者に侵入された場合、②ムスリム軍と異教徒軍が対峙した場合、③イマーム(カリフ)がジハードを招集した場合、④不信仰者がムスリムを捕虜にした場合とした。
・今はその条件が揃い個人義務になり、何十年も前からユダヤ教徒/キリスト教徒/共産主義者と戦っている。アフガニスタンでは不信仰の首魁である米国の指揮による十字軍がイスラム首長国を崩壊させ、武力占領した。そのため最も重い義務になっている。
・国連の決議を承認する者も不信仰である。アッラー以外の邪神に裁定を求めている。国連は不信仰国の利権を守るために創設された行政府であり、国連決議に従う事は邪神の裁定に従う事になる。
・この様に現代においてはジハードは個人義務であるだけでなく、加害・屈辱などから自らを守るための本能的・自然的な反応である。そうしないと西欧は我々を攻撃し、我々の政府を転覆させ、我々の国を占領し、我々の教育法を変え、物質文明を押し付けてくる。
・西欧はムスリムに陰謀を企て、資源を強奪し、諸民族を侮辱し、土地を占領し、都市を焼き、大量の爆弾を降らし、ユダヤ教徒を支持し、ムスリムの地でキリスト教を布教し、悪人・背教者をムスリムの支配者にし、イスラム世界の不信仰者を支援している。さらにムジャーヒドと戦い、彼らを投獄している。イスラム世界の経済を支配するため、植民地主義の外資企業を導き入れ、何千もの犯罪行為を犯している(※イスラムで利子は認められない)。またムスリムの思想を攻撃し、ムスリムをその信条から逸らせようとし、そのために何千もの教育文化団体を利用している。国連も旧来からあるカシミール/パレスチナ/チェチェン/キプロス/アッサムでの問題に対し、ムスリムの不正しか見出さない。
・これらの不正に対し、ムスリムは様々な試みをしてきた。妥協、関係正常化、追従、政治的・軍事的同盟関係の締結、同調、民主主義・世俗主義・民族主義・共産主義の受け入れなどである。しかし不正が取り除かれる事はなく、むしろ不正は増した。これは預言者の言葉「ジハードを怠り、不正な商売をし、牛の尾尻に追従すれば、アッラーは屈辱を与える。宗教(ジハード)に戻らない限り、それは取り除かれない」を実証した。ゆえにジハードの復帰は義務であるだけでなく、不正を除去する唯一の方法だ。
(2)ジハードの目的の明白さ
・ジハードの目的は、アッラーの言葉の宣揚とシャリーアに則ったイスラム政府の樹立である。そのため名前だけがイスラム風の国家や我欲を法とする国家は認めない。それゆえアッラーに裁定を求めない機関への参加も認めない。そして不信仰国家やその下僕となった国家との交渉も一切行わない。これらに妥協の余地はない。※地球上の別世界になる。
・タリバンは共産主義と戦ったが、民主主義に同調し、十字軍の側に立ったかつてのジハード諸組織とは異なる。彼らは権力の座に就くのが目的なので、イスラム/シャリーア/ジハードを放棄し、十字軍に抱き込まれた。
(3)ジハードの装備
・世界最強国が集まった十字軍に抵抗するのは難しく、ジハードには組織化・作戦・綿密性が求められる。さらに今回はソ連との戦いと違い、イスラム世界の国も十字軍に協力し、資金・物資・人員・基地を供給している。しかしタリバンは以下の領域で成功を収める装備を有している。
①財政的装備-国内的な財源(戦利品、喜捨、浄財、寄付)を有し、それを効率的に運用している。十字軍はこれを枯渇させる事ができない。
②これはタリバンが財源の管理能力が優れている事を示している。またウンマには惜しまず与える者がいる事を証明している。
③軍事的装備は、戦闘員・武器の供給、戦闘・防衛装具の生産、戦闘計画の作成、目標の設定、教宣の広報、近代戦の訓練などの領域に分類される。ムジャーヒドの広報が、十字軍より強力である事を、十字軍は認めている。
④文学・文化的装備-文学・文化が、勇敢な行為/献身/贈与を促すのは確かである。ウンマの栄光の文化は、自由/自己犠牲/献身の威厳を保つ。タリバンはムジャーヒドの新世代のための書物を持つ。ムジャーヒドを戦闘・自己犠牲に向かわせる5千のジハード軍歌がある。またジハード文学はジハードの新世代を十字軍の破廉恥な歌から護っている。
・タリバンの野戦司令部は、全員がシャリーアの学問に従事している。彼らは、シャリーアの学者・裁判官・教義顧問/クルアーンの暗記者/シャリーアの学徒である。そのため彼らは物質的な誘惑に陥る事がない。またタリバンの野戦司令部は、献身・自己犠牲を望む者に門戸を開いている。司令部には死・捕囚・苦難・試練の覚悟があり、現世より来世を選ぶ者しかいない。そのため彼らは愛されている。
(4)世界のジハード運動とムジャーヒド
・イスラムには共通の信条/献身/ムスリムの土地の防衛/アッラーの言葉の宣揚があり、タリバンは世界のジハードの一体性を信じる。それゆえ宗教は1つ、クルアーンは1つ、預言者は1人、共通の敵は1つ、イスラム政権の樹立が夢であり、不信仰に対し団結できると信じる。十字軍はオーストラリア/カナダ/ポーランド/グルジアなどが手を組んでいるのに、東西のジハードが手を組めないはずがない。ムスリムの土地の防衛は個人・国・組織の問題ではなく、信条・宗教の問題である(※クルアーンを引用しているが省略)。
・今日、敵はムジャーヒドを区別せず攻撃し、ムスリムと同盟している。これに対しムスリムも一体になる必要がある(※クルアーンを引用しているが省略)。タリバンはジハードを統一するため、盟約を守り、忍耐・廉直・誠実を持ってムジャーヒドを支援している。
・以上がジハードの装備に関してである。これは理念で終わらず、実証されるだろう(※クルアーンを引用しているが省略)。
跋 タリバンとどう対峙するか
・1992年私は在サウジアラビア大使館で専門調査員に就き、同国とアフガニスタン内戦の関係を調査していた。その時留学生でイスラム党リヤド支部長のサイイド・ハビーブッラー師(※支部長が留学生?)にペルシャ語の家庭教師をしてもらい、孤児の生活支援プログラムに参加した(※調査が仕事で、プログラム参加はボランティア?)。当時の関心はイスラム党で、帰国後の1994年、タリバンの存在を知った(※イスラム党の説明はない)。その後アフガニスタン・ウオッチャーとしてタリバンの動向を注視してきた。
・2021年8月15日タリバンによるカブール無血占領は、最大の出来事である。これは米国の対テロ戦争の破綻を示すだけでなく、帝国中国の「終わりの始まり」かもしれない(※随分先読みだな)。2021年6月16日『フィナンシャルタイムズ』が「帝国の墓場が中国を呼び招く」との記事を書いている(※記事を引用しているが省略)。しかし7月28日天津で王毅外相がタリバンの政治委員会議長(外相)と協議し、これは事実上のタリバン政権の承認である。
・8月24日『ニューズウィーク』が、インド政策研究センター教授ブラマ・チェラニの「パックス・アメリカーナはアフガニスタンで潰れ、テロと中国の時代が来る」と題する論文を掲載する(※論文を引用しているが省略)。これは、カブール奪還は米国覇権の終焉であり、中国覇権の確立に繋がると分析している。
・防衛研究所中国研究室の山口信宏は、「中国はカブール奪還に不安感を持っており、米国覇権の衰退/軍事介入による民主主義国家建設の破綻と捉えている。今後テロが活発化する恐れがあり、中国がアフガニスタン内政に介入する可能性も高い」(※簡略化)と分析する。
・8月26日ホラサーン地方イスラム国による自爆攻撃で米兵13名が亡くなる。それまで西洋のメディアは「タリバンは恐怖支配をしている」と報道していたが、この事件が画期になる。権力の空白期間なら非常事態宣言が出されるのが普通だが、タリバンの報道官は非常事態宣言を発していないと指摘する。そもそも占領軍が20年に亘り、軍用犬を伴い民家を襲撃し、無法な検問をし、アフガン国民から怨嗟の的になり、これがタリバン支持を生んだ。
・この事件で西洋メディアの論調は、タリバンの検問は自由の侵害から一転し、治安維持能力への懐疑に変わる。バイデン政権は「タリバンが自爆攻撃者を招き入れた」とし、タリバンによる群衆の制圧と避難民の選別を容認する。検問の本来の目的は、体制・秩序・治安の維持にある。西欧のタリバンによる検問への非難はこれになかったのだ、そのため米兵に死傷者が出ると、タリバンの検問は義務になった。米兵の命は守るべきだが、アフガン人の米国入国を拒否しても人権侵害にならない(※米国人とアフガン人で人権が異なるか)。カブール空港に押し寄せた群衆の米国移住を妨げたのは、タリバンの検問ではなく、米国がビザを発給しなかったからだ。我々は事実を見据え、西洋の反タリバン報道を疑うべきだ。
・ロイターは、「タリバンはどの国であれ、ビザを取得した者の出国を保証した」と書いた。群衆の移動の自由を奪ったのはビザを発給しなかった国々であり、西洋のメディアは何故それを糾弾・告発しないのか。名古屋出入国管理局/牛久出入国管理局で外国人への暴行が問題になっている。日本はタリバンに人権を説く資格はない。
・カブールでの米兵殺害に対し、米軍はドローンによる攻撃を行い、市民10人が死亡した。米軍は報復のために目標を確認せず、民間人を巻き添えにしている。これまでに米軍の空爆で多くの民間人が亡くなっているが、正式に謝罪したケースでも1人2千ドルしか払っていない。
・8月19日『時事ドットコムニュース』が「2002年アフガニスタンは民主制に移行したが、今回政治体制が大きく変わる可能性がある」と書いた。しかし占領軍が撤退すると大統領は一目散に逃亡し、政権協力者は空港に殺到した。これは民主制が砂上の楼閣であった事を示す。
・そもそも欧米は民主主義を言い立てるが、傀儡政権は2004年10月まで選挙を行わず、タリバンをテロリストとして選挙から排除した。これはイランでも同様で、2004年に占領し、2006年に選挙を行うが、与党バアス党を解党させてからである。日本も同様で、財閥解体/農地解放/軍事裁判/公職追放などを行った後である。それなのに欧米はタリバンに早急の選挙を迫っている。
・8月18日EU欧州委員会の内務担当は「欧州では難民・移民流入が警戒される。アフガニスタン国内での避難民支援と近隣国との連携により、欧州への流入を防がなくてはならない」と主張した。しかしトルコのエルドアン大統領は「既に500万人の難民がおり、これ以上受け入れできない」と訴える。一方タリバン政権は全てのアフガン人の受け入れを表明している(※どこの国からの難民なのか)。EUは人権を標榜しているのに、移動の自由/生存権を拒否している。
・EUは1人当たりGDPが4.5万ドルを超えているのに、人類の平等/普遍的人権を口にできるのだろうか。1人当たりGDPが1万ドルに達しないトルコに難民を押し付けるEUが、EUのような政治的統合を目指すムスリムを、原理主義/過激派と非難できるのか。※どの様な統合が試みられているのか?
・カブール奪還(※凱旋/入城/陥落/攻略/占領/奪還などが混用されているが、ここでは奪還で統一する)により西洋のメディアは「アフガニスタンの芸術は弾圧され、女性は抑圧され、夢を奪われている」と書き立てた。しかし思想家ルネ・ジラールが説いたように、欲望は生得的なものではなく、他人の欲望の模倣から生まれる。従って芸術・恋愛などの夢は、「アフガン人は未開・野蛮なので啓蒙するため」として、伝統文化に敬意を払わず、国際機関が復興支援として莫大の富を食い潰し、アフガン人に押し付けた幻夢に過ぎない。復興支援のおこぼれを得たのは傀儡政権の要人と占領軍・国際機関と接点がある者だけで、大衆は周縁化・貧困化した。この大衆の不満により、タリバンが南部のパシュトゥン人だけでなく、北部・西部のタジク人/ウズベク人/ハザラ人にも浸透した。
・西洋のメディアは、傀儡政権の腐敗を隠蔽・正当化し、「対テロ」を口実にタリバンを誹謗中傷し、伝統社会のネガティブ・キャンペーンに終始した。西洋のメディアがすべきは、反タリバンで分断を助長するのではなく、タリバンに共感する大衆の声に耳を傾け、それを伝える事である。
・私はカンダハルの診療所から、「戦闘が終結した8月13日以降、紛争による死傷者はおらず、電気/インターネット/携帯電話は復旧している」との連絡を受けた。また診療所のウェブサイトには女性が出勤し、多くの患者が訪れている写真が公開されている。またペシャワール会も9月2日までに診療所/農業事業を再開し、用水路事業も再開予定である。鈴木会長は「タリバン批判より、アフガニスタンの実情を直視し、貧困層に手を差し伸べて欲しい」と訴えている。タリバンが中村医師の肖像画を塗り潰したが、「イスラム教では当然の事で、中村医師の否定ではない」と述べている。国際赤十字カンダハル事務所の薮崎代表は、「タリバンと対話しながら活動している。物資不足が深刻なので、支援を続けて欲しい」と述べている。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のスタッフも、治安の維持/仕事の確保/銀行の再開/清潔な水/移動の自由/食料の提供などが重要としている。
・アフガニスタン人口の半分1800万人が人道支援を必要としている。9月13日国連は12億ドル以上の支援金を拠出すると確約した。9月14日加藤官房長官も70億円を支援すると述べた。これらは喜ばしいが、本当に必要なのは価値観の押し付けではなく、目の前の輸出入や銀行の再開、旱魃/失業/コロナ禍への対策などである。これがアフガニスタンを占領し、国家を破綻させた国際社会の贖罪である。そして西洋のメディアは自分達の価値観でアフガン人を裁く事ではなく、アフガニスタンの独立に命を捧げる戦士や、結婚し幸せな家族を築こうとしている女の子を報じるべきだ。
・問題は、先進国の人間とアフガン人などに別々の基準が適用されている事である。つまり資源/資本/情報/高学歴の人的資源を先進国に吸い上げる一方、そうでない人間を後進国に隔離・遮断する「領域国民国家システム」にある。アフガニスタン侵攻の結末は、この領域国民国家システムの断末魔を示した。※領域国民国家システムは初めて聞いた気がする。
・タリバン政権の復権は人類の地政学的・文明史的な出来事になる。秩序・平和・安定などを口実に、欧米の覇権・既得権を守るために維持されてきた不正な領域国民国家システムの綻びを顕在化させた。これからは、より人倫に叶った試みがなされる。
・19世紀は西欧の世紀で、20世紀は西欧の自滅と米国覇権の世紀だった。21世紀は、中華/インド/東欧ロシア(正教)/イスラムの再編と帝国の復興の世紀になる。既得権を守ろうとする欧米先進国と帝国の復興を夢見る中国/ロシアなどが地域ブロック化し、集合離散する。精神性を欠く弱肉強食の世紀になるか、多民族・多文化・多宗教が共存し、帝国が甦る世紀になるかは、「帝国の墓場」であるアフガニスタンのタリバンにどう対峙するかで決まる。
解説 タリバンへの誤解 内藤正典
※この解説も重要と思う。
<8月15日>
・1945年8月15日日本は米国に敗れる。2021年8月15日その米国はタリバンに敗れた。当日朝タリバンは首都カブールを包囲し、市内に入り、夕方に制圧した。政府軍の治安部隊が消えていたため、無血開城になった。ガニ大統領はアラブ首長国連邦に逃亡していた。米軍・NATO同盟軍はカブール空港にいて、市内にいた自国民や、米軍・同盟軍に協力したアフガン人の退避させる作戦が始まった。
・軍のヘリコプターで市内から空港に人が輸送された。この映像を見て、ベトナム戦争を思い出す人もいた。飛び立つ飛行機に掴まり、振り落とされる人もいた。空港に入れるのは入国許可・ビザを持っている人だけになり、多くの人が空港の外に溢れた。8月26日カブール空港で大規模の自爆テロが起き、180人以上が死亡する。ホラサーンのイスラム国の犯行だった。
<政府軍は戦わなかった>
・バイデン大統領はアフガン政府軍が戦わなかった事を非難した。当日朝タリバンはカブールを包囲するが、入城は命令されていなかった。それは撤退期限の8月31日まで、市内の警備は政府側が行う事になっていたからだ。ところが治安部隊が消えており、秩序維持のためタリバンが入城した。米軍・同盟軍は空港に移動し、ビザの発給を続けた。
・バイデンは大きな誤解をしている。消滅するアフガン政府に命を懸けて戦う人はいない。そもそもアフガン政府軍は、米軍による空爆で維持されていた。また政府軍兵士はアフガン人であり、同じアフガン人であるタリバンと戦わない。さらに傀儡政権の腐敗/不正蓄財は明白で、幽霊兵士に給与を支払っていた。そんな無統制の軍隊が戦うはずはない。
<アフガン人は米国・同盟国をどう思っていたか>
・私達が最も誤っていたのがこの点で、アフガン人にとって米国・同盟国は終始、侵略者・占領者だった。2001年10月タリバンは追放され、傀儡政権が立てられた。しかし彼らは消滅した訳ではなく、故郷に帰り、反抗の機会を待った。その後20年間でタリバンに理工系・情報系の学徒も加わった。そして米国・同盟国に対する考え方も変わらなかった。
・ではアフガン人はどうだったのか。カブール陥落後(※ここでは陥落を使う)、救援・自由・人権を求める声がSNSに溢れた。彼らは英語が話せ、米国を解放者と捉えていたからだ。彼らは20年間カブールにいて、米軍に守られていたからだ。しかしアフガニスタン全国で見れば、米国は解放者ではない。地方の貧困/都市と地方の格差は解消せず、膨大な資金を政権の周辺や軍閥・部族長が懐に入れたに過ぎない。
<カブール空港の混乱>
・90年代のタリバンの統治が厳しく、それを恐れたアフガン人もいた。また米軍に協力したアフガン人は、当然タリバンを恐れた。米国・同盟国は彼らを退避させると決めるが、完遂できなかった。
・アフガニスタンから逃れた人を欧米メディアがどう報道するかが重要である。「タリバンから逃れた人を受け入れれるべき」が大勢である。そこにはアフガニスタン撤退を米国とタリバンの直接交渉で決めた後ろめたさがある。一方日本は同盟軍に加わらず、開発援助・技術指導を行っており、タリバンは日本を敵視していない。それなのに日本政府はカブール退避に自衛隊を派遣し、失敗した。
・欧米のリベラルなメディアも、「アフガン人を救え」とのキャンペーンを展開した。保守派のメディアも「女性を救え」と主張した。そこに自分達が侵略者・占領者だった認識はない。
・カブール退避の最後に悲劇が起きた。ホラサーンのイスラム国による自爆テロで180人が犠牲になった。さらに米軍による報復攻撃が民家を直撃し、子供を含む10人が犠牲になった。米国が女性・子供の人権を主張しても、ミサイルはそれを避ける事をしない。
<民主主義の拒否>
・欧米はタリバンを批判するが、それは2点に絞れる。1つは「民主主義の否定」、もう1つは「女性の人権の否定」である。1つ目はタリバンも言明している。そのロジックを本書から引用し解説する。
・「イスラムは人間の全ての次元を包摂し、問題を処理する宗教である」。これはイスラムに共通し、イスラム自体が聖法(シャリーア)である。民主主義に関しては、「民主主義はアッラーの主権を否定し、至上権を人間に帰属させている」「多数決で法が制定され、合法・禁止も決められ、支配者も決める」。民主主義はシャリーアを否定し、アッラーの主権を認めない。
・「民主主義はキリスト教が堕落した後、その哲学者が作った宗教である」。民主主義は、「主権原理」「権利と自由」に問題がある。「民主主義は人より上位の主権を認めない。またそれは多数派の見解による絶対権力である」「他人の自由を侵さなければ、自由に行動できる。いかなる宗教もこれを侵せない」「民主主義に信仰・不信仰はない。善悪は多数派が決める」。
・タリバンは民主主義を知らない訳ではない。イスラムと民主主義の原理が異なると主張する。タリバンを評価する際は、この原理の違いを認識する必要がある。ムスリムにも民主主義を理解し、タリバンを過激な「原理主義」と批判する人もいる。しかし欧米との妥協を拒否するムスリムが増えた。この要因はタリバンが主張する「侵略と占領の歴史」にある。
・「欧米はイスラムの国を分裂させるため、民主主義の多党制を移植した」。タリバンは多党制を拒否する。イスラムでは共同体は1つである。イスラムが誕生し、諸国家に分裂するが、理念は1つである。
・アフガニスタンでは20年に亘る占領を排除し、1つになれると確信している。カブール陥落後に報道官が「民主主義はない」と明言した。これは民主主義を根絶する希望に満ちた言葉である。イスラム世界は2世紀に亘り、侵略・占領と戦ってきた。そのためイスラム世界全てで民主主義を拒否する動きがある。※「アラブの春」は民主化を求めたが、全てが失敗かな。
・「唯一神信仰の上にムスリムを統合するイスラム政体を樹立する」。これはタリバンが樹立したアフガニスタン・イスラム首長国の本質である。「侵略者・占領者が育てた世俗主義者・民族主義者は、イスラムに照らせば価値はない」。アフガニスタンに現れた最初の無神論者は共産主義のソ連である。彼らは殺人・拷問・追放・宗教冒涜を行ったが、タリバンはそれを忘れない。次に現れたのが米国率いるリベラル・デモクラシーである。彼らは空爆・虐待・拷問でそれを移植しようとし、幾多の誤爆で住民の命を奪った。
<女性の人権をめぐる断絶>
・欧米とタリバンで大きく異なるのが女性の人権である(※2つ目の相違点だな)。これもタリバンは認識している。欧米は、「アフガン女性は不正に監禁され、人権を奪われ、自由を制限され、社会的な営みから排除され、教育・労働の権利を奪われている」と報じている。タリバンはこれを、欧米の無神論による評価と否定する。
・「イスラムでは女性は男性の姉妹同盟であり、聖法が両性に課した義務は平等である」。男女には別々の義務が課せられている。「女性は尊敬される母/大切な姉妹/気高い娘/貞淑な妻であり、尊敬される」「女性は奉仕され、男性は奉仕する存在である」(※貞潔、貞操、貞節、貞淑など似た言葉が出てくる)。女性の養育・扶養/尊厳・名誉を保護するのが男性の責任である。
・英国/ロシア/米国に苦汁を飲ませた戦士を育てたのがアフガン女性である。そのため戦争に勝てなかった侵略者は戦略を変えた。傀儡政権を利用し、女性の服を脱がせ、宗教規範から逸脱させようとした。そのためタリバンはカルザイ政権/ガニ政権を断罪する。
・カブール陥落後、タリバンは記者会見で「女性への教育はシャリーアの枠組みで行う」と表明する。それから男女別学/ヒジャーブ着用/シャリーアによる教育/ジェンダー平等の拒否が想定される。
<原理が違うものを、力でねじ伏せれるか>
・タリバンと欧米は「水と油」である。力ずくで混ぜても、やがて分離する。イスラムは世俗主義・民族主義・民主主義・自由主義と親和性がない。タリバンと向き合う際は、これが前提になる。燃える油に水を掛けると飛び散る。これが今イスラム世界で起きている「過激派によるテロ」である。
・欧米はイスラムを「穏健なイスラム」と「過激なイスラム」に分け、イスラムとの戦いを「テロとの戦争」とした。しかしイスラムには過激も穏健もない。9.11以降、米国は過激派を「テロ組織」に指定しているが、タリバンは指定されていない(※まあ政府を指定すると、ややこしい事になる)。
・イスラム世界では2世紀に亘って侵略者・占領者に対しジハードを行ってきた。しかし米国は、1979年イラン革命からである。しかしその後アフガニスタン侵攻/イラク戦争を起こし、結果としてより強硬なイスラム国を生み出した。米国は戦争を正当化するため、人権・自由・民主主義を持ち出すが、イスラムとは原理が全く異なる。イスラムの諸概念・諸制度を変革させようとするが、意味がない事である。
付録 アフガニスタンの和平交渉のための同志社イニシアティブ
※「和平イニシアティブ」は、序文/1.問題の背景/2.交渉のフレームワーク/3.問題/4.解決策/アフガニスタンの和解交渉のためのロードマップで構成される。内容については省略する。