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『「力と交換様式」を読む』柄谷行人ほか(2023年)を読書。

『資本論』は経済の生産様式を重視する。本書はそれを含む交換様式を解説。
確かに交換には慣習・道徳・宗教・組織(国家、会社)・欲望(資本)などの背景・動機があると思う。
史的唯物論/経済的決定論などを解説し、それらの概要を理解できる。

複数の講演・インタビュー・書評を収めており、重複が多い。
近代文学について述べた章もある。第Ⅲ部には交換様式と心理療法を対比した章もある。

著者は哲学者・文芸批評家で、好奇心・探究心の強さ、読書量の多さ、知識の豊富さを感じる。

論理的で苦労すると思ったが、それ程でもなかった。

お勧め度:☆☆
内容:☆☆☆

キーワード:<柄谷行人>交換様式、国家、<力と交換様式>マルクス主義、言語学、社会主義、憑在論、脱成長、レント型資本主義、哲学、<モース、ホッブズ、マルクス>交換様式、Dの研究、資本論、霊の力、<アソシエーション運動、交換様式論>資本論、幽霊、NAM、1848年革命、宗教、亜周辺、国連、<マルクスその可能性の中心>史的唯物論、経済的決定論、宇野弘蔵、ヘーゲル、フェティシズム/物神、国家、宗教、<文学>近代文学、ルネサンス的文学、朝鮮/ベトナム、<全てを語った>交換様式、原遊動性U、ゲルマン社会/絶対王政、資本物神、社会主義、他者、<転移D>心理療法、友・親・店・鬱、<希望の現実化>潜在性、彼岸・此岸、クィアフェミニズム、<可能性の追求>霊的な力、宗教改革、<霊の力>物神性、原遊動性U、臣民、自然、<あとがき>柳田國男

Ⅰ 著者と読み解く『力と交換様式』

<柄谷行人ができるまで 「交換の力」を考え続けた60年>

○『力と交換様式』
・2022年2月私(柄谷行人)は「バーグルエン哲学・文化賞」を受賞する。まず驚かれたのが、1.4億円の賞金だ。これは設立者バーグルエンが「哲学のノーベル賞」を目指しているからだ。私はこれで社会運動組織(アソシエーション)を支援したい。

○柄谷行人ができるまで
・私は1941年生まれ(本名・善男)、1969年文芸批評でデビューする。父が読書家で自然と本を読んだ。アレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯』/吉川英治『三国志』など、大人向けの文学全集・哲学書も読んだ。

・小学校の先生から灘より甲陽を勧められ、中高一貫の甲陽学院に入学する。同じクラスから3人が同校に入学した(※詳細省略)。中学生でドストエフスキー/デカルト/ソクラテスなどを読む。バスケットに熱中したが、数学は得意だった。先生に勧められ、大学は東大1類(法学・経済学)に入学する。将来を考えれば2類(文学)が良かった。

○駒場寮
・1960年大学に入学し当初は三鷹市の学生寮に住んだ。その後駒場寮に移るが、その部屋は学生運動の中心だった。駒場寮には学生運動している学生が千人以上いたが、1961年は社会科学研究会と歴史研究会の2部屋だけになり、そこに住んだ(※複数人部屋?)。そのため毎日ビラを書いた。私は「共産主義者同盟」(ブント)に所属していたと言われるが、手続きをした事はない。慶応・早稲田・本郷校舎などで学生デモはなかったが、駒場だけはあった。西部邁/加藤尚武/廣松渉などが寮に遊びに来ていた。彼らと知的・文学的な話ができて楽しかった。

・本郷の学部で経済学部に進むが、経済学には関心はなく、経済学・政治学・哲学の根底に関心があった。そのため卒業後(1年留年)、大学院の英文科に進む。その頃から批評を書き始める。1969年「漱石試論」で「群像新人文学賞」を受賞し、デビューする。その前にも東京大学新聞の「五月祭賞」を2年連続(1966・67年)で受賞している。

○何故交換か
・1998年「交換」から社会システムの歴史を見る「交換様式」は不意に浮かんだ。交換と言うと、物と物/物とサービス/サービスとサービスを考える。普通は物と貨幣による売買を考える。ところが交換には違うタイプもある。例えば何かを贈られると、負い目を感じ、お返ししなければと思う。お中元/お歳暮などは共同体の内部で行なわれ、人間の根源的・根本的な原理だ。国家と国民の関係も交換だ。支配者は被支配者を服従させるが、保護する。国民は税を納めるが、軍が侵略から守る。また富める者から多くの税金を取り、貧しい者に再分配する。

・『世界史の構造』(2010年)で交換を4つに分類した。A:贈与と返礼、B:服従と保護、C:貨幣による交換、D:X。一番想像できるのが交換様式Cで、資本主義の市場経済で行われる。次が国民国家による交換様式Bで、両者が大半を占め、互酬交換の交換様式Aは縮小した。
※これは交換の動機・背景で3つの円のベン図で表せるかな。Aは社会的(慣習、道徳、宗教など)、Bは組織的(国家、会社など)、Cは人間的(物欲など)。宗教はBかもしれない。母性はCかな。

・ただ資本主義と国民国家による交換は限界に近づいた。近代社会は、経済的格差と対立をもたらす「資本制」、共同性・平等性を志向するが閉鎖的・束縛的な「ネーション(国民)」、規制や税の再配分で格差を是正する「国家」が接合したものだ(資本=ネーション=国家)。これは交換様式A-B-Cと一致する(※そのままの順番だとC-A-B)。

・現代社会を超えるのは、別の社会からもたらされる交換様式Dによる。交換様式Dは根源的な交換様式A(贈与と返礼)を交換様式C(貨幣による交換)で回復させるものだ。交換様式Aを拡大させるには、交換様式B・Cに頼るしかないが、そうすれば交換様式Aは小さくなる。未来社会は交換様式Dを予想するが、これは交換様式Aが高次元で実現される社会だ。台湾のオードリー・タンがビットコインなどの自律分散型の経済モデルを交換様式Dとしたが、これはまだ存在しない。これは意図的に作るものではなく、向こうからやって来る。

・近年交換様式Dを目指す兆候がある。長野では都会からのUターン者が小規模の農業を始めている。彼らは都会生活が嫌だからだ。資本主義から「手間を掛けて、無駄じゃないか」「機械で大量生産すれば」と言われるが、こんな自然な変化が見られる。

○交換を成立させる謎の力
・「交換」に着目した源泉は大学に入った頃にある。私はマルクス経済学者・宇野弘蔵の『経済言論』(1950年)を読んでいた。普通マルクス経済学者は生産を重視するが、彼は交換(流通)を重視した。カール・マルクス(※1818~83年)は「交換は共同体と共同体の間で始まる」とし、見知らぬ他者と交換するため、強制する「力」が必要とし、それを「フェティシズム(物神崇拝)」とした。そして「お金には物神が付着する」と考えた。
・私は文学評論や哲学的エッセイ『探究』を書いていた頃から交換を考えていた。言論の問題に取り組んでいた時も、言語によるコミュニケーションを交換と捉えていた。私は10代から交換を成立させる「謎の力」を考えていた。

・『力と交換様式』(2022年)に「今後も戦争と恐慌、つまり交換様式B・Cがもたらす危機が幾度も訪れる」と書いた。ソ連崩壊で世界は民主化するとの「歴史の終焉」が話題になる。ところが終わったのは米国の自由主義で、「新自由主義」が始まった。これは「新帝国主義」と呼ばれる。帝国と「帝国主義」は区別される。帝国は古代・中世のもので、帝国主義は資本主義以降に生まれ、帝国を否定する(※冷静に見ればそうだ)。
・私は『帝国の構造』(2014年)を書いた。ペルシア帝国・ローマ帝国・モンゴル帝国は異なる民族でアイデンティティを保ち、共存した。これらの前史は遊牧民社会で国家・部族による差異・区分を超える思想を受け継ぎ、多数の民族・国家を接合する原理を持った。ところが国民国家はこの原理を持たないため、自国中心主義になり民族紛争や国家間戦争を避けられない(※国民国家は包摂性を失うか。米国は移民の国なのに、今はこれを失ったか)。今の米国・中国・ロシアは帝国ではないが、帝国主義だ。これらの大国を悩ませている問題(米国のアフガニスタン問題、中国のウイグル問題)は遊牧社会から残存する問題だ。そのためウクライナ侵攻も予想外でなかった。

・コロナ禍により国家が規制をした。これに「越権だ。デモクラシーはどこへ行った。デモクラシーを取り戻せ」の声が上がった。そもそも国家はそんなものです。

○コロナがもたらした再会
・コロナにより私も家に閉じ篭り、書評委員会・飲み会・集会・講演会に行かなくなった。私は朝まで飲んでいたが、コロナ前に禁酒した。そのため社交が面白くなく、丁度良かった。コロナ中は多摩丘陵をよく散歩した。私は東京に来た時三鷹に住んだが、まだ田園が残っていた。そして散歩によって「いなか」に再会した。
・私の初期の文学評論は近代文学を「風景の発見」として論じている。大正時代の徳富蘆花/国木田独歩/佐藤春夫/柳田國男らは東京周辺の「いなか」を見出し、明治時代(?)の近代文学は江戸時代の文学と異なる。これを『日本近代文学の起源』に書いたが、私の思索の起源もここにある。

<講演 「力と交換様式」を巡って> 聞き手:國分功一郎、コメンテーター:斎藤幸平

・(國分)今日(2022年4月)は東京大学にお越しいただき、ありがとうございます。批評家・哲学者の柄谷行人さんの話を伺います。講演の副題は「疫病、戦争、世界共和国」です。理論的な仕事をされている彼が今の世界をどう考えているか伺います。特に彼は生産様式ではなく「交換様式」を打ち出されています。

○基調講演 力と交換様式について 柄谷行人
・1.今年10月『力と交換様式』が刊行されます。交換様式は、A:互酬(贈与と返礼)、B:服従と保護(略取と再分配)、C:商品交換(貨幣と商品)、D:Aの高次元での回復です。私は『トランスクリティーク』(1998・99年)で「交換様式」を初めて述べ、『世界史の構造』(2010年)で本格的に論じています。今回の『力と交換様式』(2022年)はその続きですが、力の概念が加わっています。

・まずは「交換様式」について説明します。これは私が言い出した概念です。マルクス主義(史的唯物論)に「生産様式」はありますが、交換様式はありません。生産様式は経済的下部構造で、イデオロギー的・政治的な上部構造を規定しますが、上部構造は相対的に自律します。この構造を主張したのがマックス・ヴェーバー(※1864~1920年)で『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904・05年)で述べています。マルクス主義者のフリードリヒ・エンゲルス(※1820~95年)も上部構造の相対的自律性を認めています。

・私が交換様式を見出したのはマルクス主義ではなく、『資本論』(1867年)からです。カール・マルクス(※1818~83年)は商品の交換で「物神」が成立すると考えました。この考え方はマルクス主義にありません。マルクス主義は生産を重視し、交換は2次的です。この考え方はアダム・スミス(※1723~90年)以降の古典派経済学の考え方です。商人資本主義の時代は流通=交換を見出していましたが、産業資本が成立すると「商品の価値は生産に要した労働に規定される」となります。
・マルクスは『経済学批評』(1859年)で商人資本主義に立ち返っています。そして『資本論』で商品から貨幣・資本に発展します。そして株式資本の出現で終わっています(※説明が欲しい)。これは生産を重視する史的唯物論にない問題です。彼がここで示そうとしたのが、貨幣物神・資本物神と言う観念的な「力」の成立です。これをゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(※1770~1831年)の論理学に従って書いたのです。従って『資本論』は史的唯物論とは違った観点で書かれています。

・2.私が交換を考える様になったのは、『資本論』を読んでからで、60年以上前です。この話をする気になったのは、ここが東大駒場だからです。私は1960年4月東大文科1類に入り、駒場寮にも住みました。当時は60年安保闘争の最中で、6月15日に国会デモで樺美智子さんが亡くなります。その時は三鷹寮にいましたが、安保闘争が終わり、共産主義者同盟(ブント)が分裂し、駒場寮に移ります。寮の部屋は学生が希望するサークルに分けられ、私は歴史研究会と社会科学研究会に入りました(※両方に入ったのか?)。歴史研究会は寝室・書斎で、社会科学研究会は活動家の部屋です(※両方で利用されたのか?)。

・私はここで『資本論』と宇野弘蔵『経済原論』を熟読しました。そして物の交換で成立する「価値形態」「物神」に注目する様になります。駒場ではほとんど講義に行きませんでした。しかし廣松渉(哲学)/西部邁(経済学)/坂野潤治(日本史)/加藤尚武(哲学)などが来ていました。その後経済学部に進み、鈴木鴻一郎『経済学原理』を暗記するほど読みますが、経済学はそこで止めます。1年留年し、大学院の英文科に進みます。そして文芸批評を始めます。

・27歳の時、群像新人賞を受賞し批評家になります。それでも『資本論』の交換の問題を考えていました。30歳の頃エッセイ『マルクスその可能性の中心』(1978年)を書き、その後その続きを書きます。「中心」としていますが、逆にマルクス主義・生産様式の周辺にある何か(交換様式)を書いています。私はこの問題を経済学で追求するのではなく、言語学で追求しました。これは言語学を別の観点から読み変える事です。例えばフェルディナン・ド・ソシュール(※1857~1913年)の「シニフィアンとシニフィエ」(意味するものと意味されるもの)を価値形態として捉え直すのです(※さっぱり分からない)。
・私は70年代~90年代は言語論・テクスト論をやっていました。この言語的交換(コミュニケーション)の問題は文学評論に近い問題です。その後世紀末に『トランスクリティーク』(2001年)を書き、文芸批評から離れ、言語学・経済学を超えて根底にある問題に取り組みます。

・3.マルクス主義/経済的決定論(※説明が欲しい)への批判は、イデオロギー的・政治的な上部構造を重視する事に導かれます。ヴェーバーやジークムント・フロイト(※1856~1939)は「政治的・宗教的な上部構造を考慮しなければいけない」と批判します。しかしこの観点では貨幣・資本の力も国家・宗教の力も説明できません。
・エンゲルスは『空想より科学へ』(1880年)に「社会的に作用している力は自然力と同じだ。それを考えに入れないと、盲目的・暴力的・破壊的になる。それを認識し、活動・方向・効果を把握し、意図的に手段にすれば目的を達成できる」と書いています。彼は「社会的に作用している力」は交換から来るのに、自然力と勘違いしています。国家の力は自然力ではなく、交換から来るのです。これを最初に考えたのが『リヴァイアサン』(1651年)を書いたトマス・ホッブズ(※1588~1679)です。マルクスは『資本論』に商品交換だけを書いています。

・私は『世界史の構造』で交換様式には4つのタイプがあるとしました。マルクスは『資本論』で交換様式Cに注目したが、他の交換様式にも着目しています。彼は物神を述べるのに『リヴァイアサン』を参照したのです。ホッブズは国家の力の根底を服従-保護の交換(交換様式B)とし、この力をリヴァイアサン(旧約聖書の海の怪獣)と名付けています。

・20世紀になり、マルセル・モース(※1872~1950年)が「贈与-返礼」の交換様式Aを見出します。彼は氏族社会・未開社会にこの互酬交換を見出します。彼の叔父がエミール・デュルケーム(※1858~1917年)で、社会的集団意識に注目し、これを観念的上部構造としています。つまりモースは互酬交換を経済的下部構造としますが、デュルケームは観念的上部構造としたのです。

・マルクスは晩年、人類学研究に向かいます。ルイス・ヘンリー・モーガン(※1818~81年)の『古代社会』(1877年)の詳細なメモを書いています。それは交換様式Aであり、氏族社会で重要なのは個人の平等性ではなく独立性としています。そしてそれは国家が成立した後の村落共同体や、それが解体された後の「想像の共同体(ネーション)」(※これも不明)には有り得ないとしています。
・晩年にマルクスが考えたかったのが共産主義で、この交換様式Aの「高次元での回復」を共産主義とします。一方ネーションは交換様式Aの「低次元での回復」で国家・資本を助けます。つまり資本=ネーション=国家は交換様式A・B・Cの結合体です。従ってそれ(※結合体?)を揚棄するのは不可能で、そのため交換様式Dが不可欠なのです(※揚棄とは対立する概念から全く新しい概念を作る事。止揚と似ている)。彼は社会の歴史を交換様式から見ようとしたのに、史的唯物論にかき消されたのです。

・4.エンゲルスの『空想より科学へ』はマルクス主義の要約です。そこには「プロレタリアートが国家権力を把握すると、まず生産手段を国有化する。これによりプロレタリアートはプロレタリアートを止揚し、階級差別・階級対立を止揚し、そして国家を止揚する」とある(※止揚とは対立する概念からより優れた概念を作る事。揚棄と似ている)。つまり国家が資本を否定すれば、国家の必要はなくなるとしたのです。

・これはレーニン主義(共産党による独裁)ではなく社会民主主義です。これを引き継いだ社会主義者は資本主義の危機に対応できず、第1次世界大戦に飲み込まれます(※危機とは植民地主義による対立かな)。この大戦でロシアは2月革命で議会や労働者・農民評議会(ソヴィエト)が生まれます。その後「世界同時革命」が有り得たかもしれません。ロシアではレーニン/トロツキーが率いるボルシェビキにより10月革命が起きます。

・これにより資本は抑え込まれますが、国家は絶大な権力を持つ様になります。しかしこの「社会主義」も、1991年ソ連崩壊で終わります。ところが議会制民主主義を通して資本・国家を制御すれば社会主義(ポスト資本主義)を実現できるとの考えは残ります。しかし私はこの考え方に反対です。資本=ネーション=国家は執拗に残るからです。これらはそれぞれ別の「力」に支えられています。これを乗り超えられるのは交換様式Dだけです。※そんな万能な価値観(力)が形成されるとは思えないが。まあ地球的危機になれば別かな。

・5.『世界史の構造』は世界から支持されました。しかし誤解もあり、交換様式Dは人間の意思により実現できると思われた様です。例えば此本臣吾は『デジタル資本主義』を書き、デジタル資本主義を「デジタルを活用し、差異を発見・活用・創出し、利潤を獲得し、資本を蓄積するシステム」とし、これを交換様式Dとします。またオードリー・タンは交換様式Dを「人間が知り、意図すれば実行できる」とします。
・実は私も「交換様式Dは人間が意図して実現できる」と考えていました。そのため2000年「ニュー・アソシエーショニスト運動」(NAM)を始めます。交換様式Aを拡大し、交換様式Dに転化させる運動です。しかし無理な事に気付きます。

・一方交換様式Dを神の働きとする人もいて、米国の神学校やドイツの大学の神学科から講演の依頼がありました。これらの誤解から、2017年論文『交換様式入門』を書いています。
 交換様式Dは「交換」を否定し止揚する衝迫(ドライブ)で、観念的・宗教的な「力」です。経済的ベースであり、交換に関わります。そのため交換様式A・B・Cの力に対抗します。人間の願望・意志から作られた想像物ではなく、人間を強いる力です。
 交換様式Dは宗教的です。なので交換様式A・B・Cも宗教的です。ヴェーバーは宗教を「神強制」としましたが、これは交換様式Aです。国家も交換様式Bに基づく宗教と言えます。交換様式Cも物神崇拝という宗教と言えます(※交換の全てが人間の精神が起点)。ただ先進資本主義国ではセキュラー化(※世俗化)し、新自由主義になりました。

・『世界史の構造』の時点で明確になっていなかったので考え直し、今回『力と交換様式』を発刊します。この切っ掛けがジャック・デリダ(※1930~2004年)の『マルクスの亡霊たち』(1993年)を読み直したからです。マルクスは、物神・亡霊・幽霊などの言葉をよく使っています(※引用省略)。そのためデリダは「マルクスは多くの亡霊と共にあった」と書き、「憑在論」を提唱します。しかしこれは言葉遊びになっています。
・『マルクスの亡霊たち』を最初に読んだ時は、「デリダはソ連崩壊でマルクス主義は死んだが、マルクスの亡霊は生きていると言いたかっただけ」と思いました。ところが読み直し、「私の交換様式A・B・Cの諸霊の考察は憑在論では」と思う様になります。そして「霊力は比喩ではなく、交換様式における現実の力」「マルクスはその1つである物神を観念的な「力」として考察する道を『資本論』に書いた」と考えます。そして交換様式A・B・C・Dの全ての諸霊を考察するものとして、『力と交換様式』を書いたのです。化物について書いたので、「社会化学」と呼んでいます。

○交換様式D
・(國分)講演ありがとうございます。私が関心を持ったのはホッブズの話です。一般的に交換様式Aの贈与と交換様式Cの交換の二項対立で語られます。ところが柄谷さんは『リヴァイアサン』を参照し、「国家の契約も略取と再分配の交換」とし、交換様式Bとしました。これにより謎めいた交換様式Dが第4象限として見出されました。後半は交換様式Dの説明をして頂きました。そこで質問です。交換様式Dを宗教的としていますが、柄谷さんの仕事には宗教・信仰が大な役割を果たしていると思います。
・(柄谷)交換様式Dを「神」とすると違うものになります。交換様式Dは交換様式A・B・Cでもあるからです。

・(國分)次の質問です。交換様式Dにより運動はどう変わるでしょうか。脱原発/バーニー・サンダース/BLM運動などが盛んになっています。運動のあり方を教えて下さい。
・(柄谷)社会運動は交換様式Aです。私が始めたNAMも交換様式Aです。2021年『ニュー・アソシエーショニスト宣言』を出しましたが、そこでNAMを説明しています。アソシエーションの運動は幾らでも可能です。松本哉さんと知合いましたが、彼は『世界マヌケ反乱の手引書』を書いています。確かにNAMはマヌケです。利口にやると国家・資本と結び付いてしまいます。マヌケの賛同者は多く、私は好きです。イエスもマヌケです。ただし世の中を変える事はできません。世の中を変えるには、交換様式Bになる必要があります。結局交換様式Dは向こうからやって来ます。

○柄谷と『人新世の「資本論」』
・(國分)ここで斎藤幸平さんからコメントを頂こうと思います。斎藤さんは気候変動問題から、切羽詰まった運動、必要性に駆られた運動に軸足を置きながら、マルクスの最新資料を文献学的に読まれています。
・(斎藤)私と國分さんは世代が違います。國分さんは『マルクスその可能性の中心』(1978年)世代でしょうが、私は『トランスクリティーク』(2001年)世代です。私が米国の大学の学部2年生の時、柄谷さんの存在を知り、『トランスクリティーク』(英訳版)の読書会を半年しました。私は宇野派に批判的で、それに近い柄谷さんとは距離を取ってきました。しかし今回の講演で共鳴する点がありました。
・(斎藤)例えば20世紀のマルクス主義は、上部構造・下部構造や歴史の発展法則、国有化による社会的な「力」の管理などの唯物史観のパラダイムが確立していました。しかし『資本論』や晩年の考察には、それに収まらないテーマが多くあります。その周辺化されたテーマが、マルクスには中心的だった気がします。私は『人新世の「資本論」』(2020年)を書きましたが、これは柄谷さんと重なります。
・(斎藤)もう1つは、『人新世の「資本論」』を読んだ人から、「柄谷さんを意識したのでは」と言われました。確かにそうで、私も「4つの未来の選択肢」を書きました。ただし交換様式Dを「脱成長コミュニズム」としています。私の4象限は気候変動時代の4つの社会のあり方を示しています(※ジョエル・ウェインライトの話は省略)。

○交換様式Dは待つだけか
・(斎藤)もう2点質問させて下さい。1つは「脱成長コミュニズム」です。気候変動と脱成長をマルクスに絡めた交換様式Dについてです。アソシエーション運動には資本主義に内在する運動もあれば、資本主義を超える運動もあります。今は資本主義により交換様式Cが広がり過ぎています。交換様式Aを拡大させる事で、交換様式Dに飛躍できると考えます。私もコモンを広げ、コミュニズムに移行する道筋を示しています。
・(斎藤)柄谷さんもこの変革を考えていたのでは。NAMも交換様式Dに向けた運動と思います。この変革を閉ざすとユートピアは実現できません。そのため交換様式Dは待つのではなく、主体的に取り組むべきです。気候崩壊が起きてからでは遅いのです。アソシエーションを作り、資本主義を超える運動にしなくてはいけません。これはマルクスにおいてはコミュニズムであり、私は「脱成長」として付け加えました。柄谷さんの地域通貨/アソシエーションも脱成長と相性が良いです。柄谷さんが脱成長をどう考えているかお聞かせ下さい。※彼はこの様な運動をしている。

・(斎藤)もう1つは交換様式についてです。私が『人新世の「資本論」』で消費より生産が大事としたのは柄谷さんを意識しています。柄谷さんはマルクス主義が生産を重視し過ぎているため、交換様式を強調されていると思います(※交換の代表が生産と消費の交換かな)。アントニオ・ネグリ(※1933~2023年)/マイケル・ハート(※1960年~)(ネグリ=ハート)も「社会が資本に包摂されているので、交換と生産は区別できない」としています。その流通・交換での抵抗は消費者運動となります。例えばSDGsに良いものを買う、環境・人権に配慮しない企業の商品をボイコットするなどです。ネグリ=ハートは『アセンブリ』(2017年)でこの路線を「社会ストライキ」としています。生産を工場に限定せず、生活を包摂する資本の世界に拡大しています(※消費までが生産かな)。ネグリ=ハートがそうしたのは、デジタル・プラットフォームが発達し、プラットフォーム資本主義への転換が始まったからです。GAFAMなどに注目すると、生産様式の変化を考察する必要があります。資本蓄積のダイナミックスや歴史的変化を捉えなければいけません。そこで柄谷さんはレント(利用料)型の資本主義的生産様式をどうお考えでしょうか。※最近話題の課金モデルだな。

・(柄谷)私は斎藤さんの運動には反対しません。ただ政治的社会的に酷い状況になると思っています。ネグリ=ハートはオキュパイ運動ではしゃぎましたが、行き詰まりました。私はそれを子供を見る様に見守っていました。私は悲観的で、「ああしよう、こうしよう」と言っても進まない。ただ交換様式Dは向こうからやって来ます。
・(斎藤)今の日本の社会運動を見ると、コモンを増やせば交換様式Aが交換様式Dに発展するとは考えられません。私は外からやって来るものを「黒船」と言っていますが、これは欧米からの環境規制や戦争かもしれません。その時支配されたり、破壊されたりするかもしれません。交換様式Dを待つだけでは、ダメな気がします。※レント型資本主義については回答なし。

○帝国主義は終わっていない
・(國分)柄谷さんは酷くなると考えられています。昨年(2021年12月)のインタビューで「戦争が起こるだろう」とおっしゃり、2ヶ月後にウクライナ侵攻が起きています。
・(柄谷)ソ連が崩壊した時、「歴史の終わり」と言われたが、私は「歴史は繰り返す」と思いました。ソ連は第1次世界大戦中のロシア革命で生まれましたが、同様な出来事が起こるのです。特に今世紀に入り、そう考えています。

・(國分)柄谷さんは交換様式以上の事を認識され、言葉を発している気がします。最後に私から質問です。柄谷さんは文芸批評家でスタートし、今は「哲学者」と自称されています。これについてお聞かせ下さい。
・(柄谷)哲学者と名乗ったのは、2005年朝日新聞の書評委員になった時です。90年代まで「野間新人賞」「群像新人賞」の選考委員でしたが、その時は文芸批評を止めていました。そこで哲学者にしたのです。

・(國分)私は柄谷さんの『哲学の起源』(2012年)に一番心を打たれました。当書には哲学が発生する瞬間が書かれている気がします。
・(柄谷)私は自分の哲学を職業としての哲学と一緒にしたくありません。ソクラテスは職業的哲学者の対極にあった人で、酷い目に遭っています。彼は街角で討論し、相手を怒らせ、殴られたり蹴られたりしています(※これは知らなかった。彼は書物を残さなかったが、その後の哲学者は残したらしい)。
・(國分)大学の哲学の先生と哲学者がやる事は無関係かな。斎藤さんは環境問題をやられていますが、意見対立が激しいのでは。
・(斎藤)むしろそうなって欲しいです。日本の活動は低調です。

○質疑応答
-交換様式Dは向こうからやって来るなら、人間の自由意思を無気力化しませんか。
・(柄谷)何もしなくて良い訳ではありません。努力しても上手くいかないかも知れない。楽な道ではありません。

・(中島隆博)古い世代の柄谷行人読者としては、起源への遡行ができました。マルクスは『リヴァイアサン』を読んでいた。さらに遡行するとモースの問題に行く(※これは交換様式A)。『哲学の起源』ではイソノミアに遡行する(※この話はあった?)。今日『ニュー・アソシエーショニスト宣言』を持って来ました。柄谷さんは「マルクスはヘーゲルを転倒させた事で、イマヌエル・カント(※1724~1804年)に近付いた。ただ単純に戻った訳ではない」と強調されています。そしてカントの統整的理念(※究極的理想?説明が欲しい)の問題を詳しく論じています。そしてこの議論は彼の普遍史の問題/世界平和の問題に繋がる。そして柄谷さんは「統整的理念を立てる事は、向こうからやって来る事」と書いています。ならば我々が統整的理念を語れば、単なる未来の目的ではなく、過去の未来を語る事で、新しい未来を論じられる気がします。
・(柄谷)最近改めてカント考えています。特に「自然」です。彼は『永遠平和のために』(1795年)で社会の歴史を「自然の隠微な計画」とし、人間でも神でもない働きとしています。これは唯物論ではなく、私の交換様式と同じと考えました。交換様式Dは「自然」と言えます。マルクスはヘーゲルの弟子と名乗っていますが、カントの弟子です。

・(國分)時間になりました。最後に斎藤さんお願いします。
・(斎藤)この問題は『力と交換様式』を読んでからにします。
・(國分)最後に柄谷さん、学生に言葉を掛けて下さい。
・(柄谷)私は62年前にここに居ました。そしてずっと同じ事を考えてきました。もう無視されてもよい年齢ですが、やる気が湧いてきました。
・(國分)柄谷さんの語り口、身振り、思考の流れ、全てが見れて最高の会になりました。

<モース、ホッブズ、マルクス>

○宗教/無意識から来る力
-柄谷行人さんは『トランスクリティーク』(2001年。※移動と批判?)で4つの交換様式で社会構成を見る視点を最初に提起しています。そして『世界史の構造』(2010年)で具体的に説明しています。そして今回の『力と交換様式』(2022年、※以下当書)で詳細に説明しています。この問題に四半世紀取り取んでいます。さらにこの問題から派生したテーマを『哲学の起源』『帝国の構造』『世界史の実験』『遊動論 柳田邦男と山人』などで論じています。この集大成と思える当書の経緯を教えて下さい。
・(柄谷)当書は基本的には『世界史の構造』(※以下前書)と同じですが、前書と違うところを書いています。前書は世界的に評価され、経済学・歴史学以外の分野でも交換様式が使われる様になりました。当書により、それがより強化されるでしょう。ただ交換様式Dへの誤解が今でもあります。交換様式Dは「交換様式Aの高次元での回復」ですが、それが理想形なら、それを目指せば良いと思われています。ところが交換様式Dは人間の認識力では達成できないので、自然に任せるしかないのです。社会変革しようとする人は、国家を使おうとします。これは交換様式Bです。例えばレーニン主義は先に国家権力を握り、国家を揚棄するのです。
・(柄谷)1991年ソ連が崩壊し、「歴史の終焉」と言われました。民主主義と自由主義経済が勝利し、世界平和が訪れるとされました。しかし終わりはしない。国家も資本も残り、変わらないのです。今は「世界戦争」が迫っています。これを予見したのはエマニュエル・トッド(※1951~)位です。彼は結婚形態や家族制度から世界史を見ます。ところがどの様な力が働いているか説明していません。私は当書でその力を論じています。
・(柄谷)その力に注目したのがマックス・ヴェーバー(※1864~1920年)です。彼はマルクス主義の経済的下部構造が上部構造を決定する考え方(決定論)を批判し、「宗教的観念がある」とします。ジークムント・フロイト(※1856~1939)もマルクス主義を批判し、「無意識から来る力がある」とします。彼らは決定論を認めていますが、ヴェーバーは宗教、フロイトは無意識から来を力の秘密を探ろうとします。

○交換様式B(服従と保護)
・(柄谷)けれどもマルクス主義、例えばフリードリヒ・エンゲルス(※1820~95年)も上部構造の自律性を認めています。マルクス主義が一方的に経済的決定論になったのは、レーニン以降です。ここで重要なのは経済を生産様式で見る視点ではなく、私が考えた交換様式で見る視点です。経済的下部構造から来る力(交換様式C)だけでなく、交換様式A・Bから来る力があるのです。

・(柄谷)当書を書いていて分かった事があります。カール・マルクス(※1818~83年)は交換様式Cから来る力を「物神」としました。マルクス主義者はこの存在を知っていますが、深く議論していません。廣松渉(※1933~94年)も宇野弘蔵(※1897~1977年)も無視しています(※詳細省略)。国家に関しても交換様式から来る力を考えるべきです。交換様式Bの服従と保護です。この交換関係があるから成立するのです(※詳細省略)。この問題に気付いたのがトマス・ホッブズ(※1588~1679)で、その力を「リヴァイアサン」(海の怪獣)とします。マルクスはホッブズを意識して『資本論』(1867年)を書いたのです。

○交換様式A(贈与と返礼)
・(柄谷)交換様式Aについては『資本論』では漠然としか書かれていません。少し後のマルセル・モース(※1872~1950年)が贈与と返礼の互酬交換を論じています。だがこれを「霊の力」としたため、非科学的と酷評されます。
・(柄谷)このモース/ホッブズ/マルクスがそれぞれ交換様式A・B・Cに注目した人です。それぞれが文化人類学・政治学・経済学で考えられたけど、共通して考える人はいなかった。これらを「交換」の観点で繋げたのが私です。3つの交換様式は補い合っています。例えばネーション=国家。ベネディクト・アンダーソン(※1936~2015年)は「想像の共同体」の言葉を使っていますが、未開の氏族社会の共同体とは異なります。氏族社会の様に掟はあるが、個人は独立しています(※「想像の共同体」は国家・組織・宗教・読者などの意識的集団かな)。ルイス・モーガン(※1818~81年)は『古代社会』を書いているが、古代社会を緩い繋がりとしています(※詳細省略)。一方ネーション=国家は強く結び付いています。※共同体・組織にも様々なものがあるかな。
・(柄谷)この事を『世界史の構造』(2010年)に書いたが、明確ではなかった。そこで2015年から季刊誌『atプラス』に「Dの研究」を連載しました。それでも物足りなく、当書を発刊しました。

○「Dの研究」は『緋色の研究』から
-当書完成までの経緯が分かりました。
・(柄谷)「Dの研究」の題名はコナン・ドイルの『緋色の研究』からきています。(※以下大幅に省略)彼はホームズ・シリーズを幾つも書いていますが、その最初が『緋色の研究』です。緋色が何かは謎です。ホームズには天才的な洞察力を持つ兄マイクロフトがいました。その兄が事件解決の道筋を作り、弟ホームズが歩き回って真実に辿り着く作品が幾つかあります。この関係は兄ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(※1770~1831年)と弟マルクスの関係に似ています(※当然実の兄弟ではない)。ただ歩き回るだけでは解決しない。観念の力を認めないといけない。霊の力を認めないと「探偵」になれない。

○『資本論』で放棄されたもの
-「物神」についてもう少し聞かせて下さい。マルクスはそれを『資本論』第1巻以降で放棄し、史的唯物論/生産様式に回帰します。
・(柄谷)マルクスは第1巻だけ書き、以降を完成させませんでした。以降は没後にエンゲルスが書いたものです。マルクスは「精神的にはヘーゲルの弟子」と言っており、第1巻の最後に「資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る」と書いています。彼は『共産主義者宣言』と同様に、『資本論』を闘争の本としたかった。エンゲルスが最後まで書こうと言ってもマルクスは断り、結局エンゲルスが書き続けた(※詳細省略)。

○共産主義は可能か
-当初の構想を放棄したのは、時代が関係しているのでしょうか。
・(柄谷)政治状況が差し迫っていたからです。1864年第1インターナショナルが結成され、革命の機運が高まり、悠長に理論的な『資本論』を書く状況でなくなったのです。彼は交換様式Aを考え、共産主義が可能かを考えていました。だから彼はモーガンの『古代社会』(1877年)に関心を寄せ、氏族社会を考えていたのです。
・(柄谷)一方エンゲルスはマルクスの死後、キリスト教の起源を研究し始めます。エンゲルスの死後はカール・カウツキー(※1854~1938年)がエンゲルスの志を受け継ぎます。彼はレーニンの10月革命を批判し、レーニンから「背教者」とされます。多くの人はレーニンからマルクス主義を学んだので、カウツキーも誤った解釈をされています。ドイツのエルンスト・ブロッホ(※1885~1977年)などはエンゲルス/カウツキーの思想を受け継いでいます。一方レーニン主義以降のマルクス主義はその観点(※古代社会やキリスト教?)が完全に抜けています。

-柄谷さんは『資本論』だけでなく、『古代社会』やエンゲルスの『ドイツ農民戦争』(1870年)などのテクストを取り上げています。これらのテクストの一文を拾い上げ、その意味を追究しています。これは「文芸批評家」の一面に思えます。
・(柄谷)それは普通の事です。そうでないと「探偵」できません。

○思想の生命力
-当書の帯に「21世紀に『資本論』を継ぐ、未来への書」とあります。柄谷さんはマルクスが書かなかった事を推理し、完成させたのでしょうか。
・(柄谷)マルクス以上の事を書いたつもりです。マルクス/ホッブズ/モースを尊敬しますが、彼らは狭い視点で仕事をしており、当書の視点はありません。ただ長年やっていると嫌になります。思想には生命力があるからです(※意味不明。時と共に変化する?)。

-細かい箇所について質問します。当書の第1部第4章で「ルカによる福音書」を引用しています。イエスが「神の国はいつ来るのか」と尋ねられ、「神の国は見える形で来ない。(※省略)。神の国はあなた方の間にある」と答えています。この言葉は交換様式Dそのものでは。
・(柄谷)この言葉は知っていました。交換様式を考え始めてから、聖書で語られている言葉も良く分かる様になりました。今旧約聖書を研究していますが、神学的に考えなくても理解できます。

-「霊の力」を論じられる中で「科学的・非科学的」を歴史的に考察されています。哲学者デカルト/天文学者ガリレオ/数学者ニュートンを取り上げ、「科学」について論じています。「霊の力を斥けると科学的な態度になれるのではない。その逆で霊の力の様な存在を認識し、解明する事こそ科学的な態度だ」と書かれています。
・(柄谷)霊的なものを見ない事が「科学的」とされる。ウィリアム・ギルバートは『磁石論』を著したが、ガリレオ/デカルトは「魔術的」と否定した。ニュートンの「万有引力」もライプニッツらが「オカルト的」と非難した。精神医学・精神分析も非科学的とされた。科学的・非科学的と区別する事は問題です。

○アウグスティヌスと墨子
-当書は多くの思想家・哲学者を取り上げています。特にアウグスティヌスについて多く論じています。『神の国』から「人間によって実現されるものではない。望もうが望まないが、恩寵として”向こうから来る”」を引用しています。
・(柄谷)アウグスティヌスはローマ文化の中でキリスト教を考えた人で、もっと読む必要があります。

-もう1つ印象に残るのが孔子・老子でなく、墨子の「兼愛」「非攻」を取り上げている点です。
・(柄谷)墨子を真面に書いている学者は少ないと思います。「非攻」は「非戦」ではなく、自衛を認めています。また弱い人を助ける義勇兵も認めています。そのため秦で弾圧されました。中国では革命的な人です。

○アーミッシュの生活
-交換様式Dを「千年王国運動」と対比している箇所も印象的でした。千年王国主義の5つの特徴の「超自然的な力により奇跡的に実現される」「終末論的・緊迫的」は、交換様式Dと一致しています。
・(柄谷)千年王国運動は「Dの研究」連載時に歴史書を読んで学んだ1つです。

-『資本論』は様々な時代状況で読まれ、誤解されてきた歴史があります。『資本論』が何を本当に訴えようとしたのか探究したのでしょうか。
・(柄谷)大半のマルクス主義者は物神を認めていません。それは認めないのが合理的と考えているからです。この力は交換様式A・Bにも存在します。マルクスは貨幣に物神が付着しているとしました。数学的に考えれば科学的と考える人は、真面に理解できません。

-交換様式Dは人間が意識して実現できず、到来を待つしかないとされました。社会状況が複雑になり、国家と資本制の揚棄はさらに困難になったのでしょうか。
・(柄谷)交換様式Dは交換様式Aの高次元での回復なので、割合簡単です。ただ下手に回復させれば「想像の共同体」になります。それを超えなければいけません。オハイオ州のアーミッシュは電気・自動車を拒否し、馬に乗っています(※アーミッシュはドイツ系移民の宗教集団)。アーミッシュに幼児洗礼はなく、自分で決めます。コミュニティを出て行っても良いのですが、誰も出て行きません。何も民主主義で世の中を変えるみたいな大袈裟な事ではありません。

○運動の可能性
-当書の序論は「戦争の危機が迫りつつある」と締め括っています。全体としては交換様式Dの到来を予想しています。当初は提言の書・希望の書として受け止めて良いでしょうか。
・(柄谷)はい。1990年頃「歴史が終わった」と言われましたが、私は「終わっていない」と言ってきました。帝国主義戦争は反復されるのです。ネグリ=ハートはマルチチュードの運動が世界に広がると楽天的でした。私は悲観的で、同じ事が繰り返されると考えています。アーミッシュの様に暮らす事もできます。私はアソシエーション運動の本を出しましたが、それが実現すると考えて書いた訳ではありません。アーミッシュは細々やっています、同じ様にやって行けば良いのです。

Ⅱ 思考の深みへ

<可能性としてのアソシエーション運動、交換様式論の射程>

-柄谷行人さんは台湾のオードリー・タンIT担当相など、世界の文化人に影響を与えています。集大成の『世界史の構造』(2010年)では「交換様式」で社会・歴史を分析されました。そこでは交換様式をA・B・C・Dの4つに分類し、交換様式Aをネーション(民族)、交換様式Bを国家、交換様式Cを資本に対応されています。そして交換様式Dは交換様式Aが高次元で回復したものとされています。まず何故交換様式なのでしょうか。

○世界の構造に幽霊がいる
・(柄谷)カール・マルクス(※1818~83年)/フリードリヒ・エンゲルス(※1820~95年)の唯物史観に交換様式は出てきません。彼らは「生産様式」(生産力と生産関係)が下部構造としてあり、上部構造に政治的・観念的なものがあるとしました。これにマックス・ヴェーバー(※1864~1920年)が上部構造には下部構造で説明できないものがあると批判します。例えば近代資本主義のプロテスタンティズム的な精神は経済的下部構造から説明できず、むしろそれが経済的下部構造を作ったとし、観念的上部構造の相対的自律性を主張します。しかしヴェーバーは、それがどこから来るのか説明していません。
・(柄谷)史的唯物論を認めながらも、その限界を批判する意見が続きます。史的唯物論者もその批判者も観念的な「力」がどこから来るのかを見ていません。そこで私は観念的な「力」は生産様式ではなく交換様式から来ると考えます。つまり観念的・政治的な「力」も下部構造から来る「力」の1つです。そして交換様式を4つに分けたのです。

・(柄谷)史的唯物論は実はエンゲルスが最初に唱えたのです。1848年2人は『共産党宣言』を刊行し、共産主義者同盟を結成します。その冒頭に「欧州で幽霊が徘徊している、共産主義と言う幽霊が」と書いています。欧州各地で革命が起きますが、失敗します。ところが大きな変化をもたらします。
・(柄谷)マルクスはロンドンに亡命し、「経済学批判」を始めます。これは『資本論』(1867年)に繋がります。そこでは生産ではなく、その力を「物神」とします。彼が「霊」「物神」などを使ったのは『資本論』だけです。彼は晩年「古代社会」に接近し、共産主義の鍵を見ようとします。彼は共産主義を「自由・平等・博愛の、より高度の形態における復活」とします。そして個人は集団に拘束されず、集団自体も移動するとします。
・(柄谷)これは交換様式Aです。これを最初に考えたのがマルセル・モース(※1872~1950年)です。彼は贈与と返礼の関係を見出します。(※ニュージーランドのマオリ族の「ハウ」を説明しているが省略)。しかしこの考え方は非科学的と批判されます。
・(柄谷)マルクスも同様の目に遭っています。彼は貨幣・資本を物神としますが、冗談扱いされます。マルクス主義者ルカーチ・ジェルジュ(※1885~1971年、ハンガリー語表記のため姓名)は「物神」に触れず、「物象化」だけ言及します。物象化は人間と人間の関係をモノとし、これからの解放を共産主義とします。物象化を本気に問題にしたのは私だけです。

○4つの幽霊、観念的な力
・(柄谷)マルクスの物神は交換様式Cです。この示唆になったのがトマス・ホッブズ(※1588~1679年)の『リヴァイアサン』(1651年)です。ホッブズは交換様式Bを最初に見出した人です。つまり国家を服従と保護の交換としたのです。この交換関係を1642年「ピューリタン革命」から見出します(※詳細省略)。
・(柄谷)マルクスはこれを参考に物神としたのです。ただし国家の考え方は異なり、国家の階級支配がなくなれば、国家も消滅すると考えます。ところがロシア革命で国家の力で階級支配を廃棄しますが、アジア的専制国家が再現されます。

・(柄谷)残るは交換様式Dで、ここから幽霊が出てきます。マルクス/エンゲルスも『共産党宣言』で共産主義を幽霊としました。交換様式Dは幽霊で、向こうから来ます。また「交換」で生じる観念的な「力」です。
・(柄谷)ジャック・デリダ(※1930~2004年)は『マルクスの亡霊たち』(1993年)に、「マルクスは沢山の亡霊に囲まれている」と書いています。彼は「ホーントロジー」、つまり出没する事の科学なるものを考察しています。ただ彼の考察は不十分・不正確です。霊は4種類しかいないのです。資本主義の幽霊(物神)、国家(怪獣)、共産主義(幽霊)は異なります。そしてこの観念的な「力」は「交換様式」から生じます。

・(柄谷)交換は人間と人間の間にあります。自然と人間の間にあるのは「交通」(代謝)です(※これは新しい話だな)。産業革命前は2つは同一視されていました。それはアニミズムが支配的で、人間と自然も交換していると思われていたからです。ところが産業革命により、自然は単なる物的対象になります。

○トランスクリティークからアソシエーションへ
・(柄谷)1991年ソ連崩壊により、「マルクス主義は終わった」と言われます。そこで私は逆にマルクスを読む様になり、「交換様式」を考える様になります。そして2001年『トランスクリティーク カントとマルクス』を発刊します。そして雑誌『批判空間』(1991~2002年)を止めて大阪に移り、「ニュー・アソシエーショニスト運動」(NAM)を始めます。

・(柄谷)2000年『批判空間』の発行元・太田出版の高瀬幸途社長らと『NAM原理』を共著します。そこで闘争を「内在的闘争」「超出的闘争」に区別しています。内在的闘争は世界・社会での闘争で、資本主義と闘います。超出的闘争は資本主義でない場を作る事です。これは交換様式Aをローカルに作る事で、地域通貨を作ったりします(※結局交換様式Cなのでは)。NAMはこの両面を持ちます。
・(柄谷)NAMには800人程が参加したが、多くは内在的な人でした。2年で解散しましたが、超出的な人の交流は続き、組織「associations.jp」が作られ、東日本大震災後の反原発・脱原発デモを行ないました。
・(柄谷)2019年高瀬さんが亡くなり、追悼の意味を込めて『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(2021年)を出します。ここに松本哉の『世界マヌケ反乱の手引書』の事を書きました。彼は超出的でマヌケでした。最近は東京を離れるなど、マヌケが増えました。

○『資本論』から消された謎
・(柄谷)資本主義国家が社会主義的になったのは、1848年革命が始まりです。マルクスもこれで変わります。どの革命も失敗しますが、国家が社会主義化します。これによりネーションが形成され、資本=ネーション=国家が出現し、交換様式C・A・Bが結合します。※ネーションは古代から存在したのでは。まあフランス革命後に国民国家が生まれ、国民主権が強化される時期かな。
・(柄谷)マルクスは革命を分析し『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852年)を書きます。最終的にルイ・ボナパルト(ナポレオン3世)が権力を握ります。彼は社会主義者で、国際労働運動インターナショナルを手助けしています。ドイツ帝国の初代宰相オットー・フォン・ビスマルクも社会主義者と仲が良かった(※この辺は知らなかった。産業革命の反動かな)。1870年プロシャとフランスが戦い、最初の帝国主義戦争が起きます(※ナポレオン戦争は帝国主義戦争ではないのか)。1894年日本では帝国主義戦争の日清戦争が起きます。マルクスはこの急激な変化を洞察し、「経済学批判」を始めます。これは資本制経済の特性を「交換」から生じる物神的な「力」で見る仕事です。

・(柄谷)エンゲルスも『ドイツ農民戦争』(1850年)を書きます。ここで宗教改革者トマス・ミュンツァーを高評価します。しかし社会主義者は宗教を否定するため、注目されませんでした。彼は『空想から科学へ』(1880年)を書きますが、科学的社会主義は非宗教的です。1880年代に原始キリスト教を研究しますが、これも注目されません。エンゲルスの仕事を受け継いだのがカール・カウツキー(※1854~1938年)/エルンスト・ブロッホ(※1885~1977年)で、ブロッホは『トマス・ミュンツァー 革命の神学者』(1921年)を書いています。

-エンゲルスは何故「交換様式」に思い至らなかったのですか。
・(柄谷)「生産様式」を発見したのはエンゲルスで、その理論を変えていません。一方初期マルクスはルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(※1804~72年)の疎外論の影響を受けます(※人間が作った商品が逆に人間を支配する)。マルクスは英国から戻ったエンゲルスの影響を受け、初期を出ます。ところが1842年頃、そこからも出て「経済学批判」を始めます。そこで交換様式に注目します。
・(柄谷)彼は『資本論』第1巻のあとがきに「ヘーゲルの弟子」と書いています。それはゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(※1770~1831年)の「精神」(幽霊)と関係します。『資本論』は「資本主義と言う幽霊の発展」を論じています。商品が貨幣になり、資本になり、株式資本で終わります。株式会社が商品として売買されるのです。『資本論』第1巻の冒頭に「資本主義的生産様式の支配的な社会の富は巨大な商品集積として現れ、個々の商品はその富の成素形態として現れる。従って我々の研究は商品の分析から始まる」とあります。つまり商品に株式商品も含まれ、『資本論』の構成はヘーゲルの論理学に基づきます(※この辺は深く考えない様にしよう)。
・(柄谷)彼は『資本論』を全巻書き終えますが、第1巻で終わる様、「資本主義の最後の鐘が鳴る」と書いたのです。つまり『資本論』を「インターナショナル」を象徴する仕事に仕立て様としたのです(※インターナショナルは結成・解散を繰り返しているが、「第1インターナショナル」は1864~76年)。これは「共産主義者同盟」(※1847~52年)発足に合わせ、『共産党宣言』を出したのと似ています。

-エンゲルスの「生産様式」はマルクス経済学の主軸になります。何もないところから何かが生まれる。生命力に似た不思議な「力」を感じます。
・(柄谷)交換様式は生産様式と共に出て来るので、それらは切り離せません。※そもそも生産様式を理解していないので困る。

○交換様式A・B・Cの後に来るもの
-マルクスが見ようとした謎の力「物神」は謎のままでしょうか。
・(柄谷)「物神」はもう謎ではありません。交換様式Cから来る観念的な「力」です。国家も交換様式Bから来る「霊」です。それを理解しても人間がこれらを解消できません。それができるのは別の「霊」で、それは交換様式Dから来る「霊」だけです(※価値観は簡単には置き換らないかな)。

・(柄谷)これは宗教に見えますが、宗教で説明できません。それは宗教自体が複数の交換様式に基づくからです。宗教は強大な国家を作り、財力を持った。そして交換様式Aの呪術的な要素があったので、高邁な理念が信じられた。宗教は政治権力になるし、経済的な「力」にもなる。ところが今のフランシスコ教皇は質素な生活をされ、「恵まれない人のための協会」を目指しています。これは交換様式Dであり、マヌケでもある(※著者は博愛を交換様式Dと考えているのかな)。しかし今のイタリアにカトリック信者はいません。共産党もおらず、交換様式Cだけの社会です。欧州連合(EU)も当初の理想が失われました。

・(柄谷)最近『アーミッシュの老いと終焉』(堤順子、2021年)を読んで面白いと感じました。彼らは馬車に乗り、車・電気も拒否します。「アーミッシュ」は再洗礼派で、自由意志で洗礼を受けます。米国ではこのアーミッシュが理想として語られています。彼らは税金を払っていますが、社会保障制度に加入せず、コミュニティーで助け合っています。交換様式Aに基づく社会で、マヌケです。一方交換様式Dは世界規模なので、車に乗れます。

○システムをチェンジする亜周辺
-柄谷さんは「交換様式論入門」に「交換様式A・B・Cが結合し、社会は作られる」と書いています。
・(柄谷)実際は交換様式A・B・Cが混ざり合っています。資本=ネーション=国家で結合しています。
-そして交換様式Dは交換様式Aの高次元のものとしています。
・(柄谷)交換様式Aは交換様式B・Cに席巻されています。交換様式Aはアーミッシュの様にローカルに限定されています。これを回復させるには、高次元にする必要があります。その意味で「神の力」と言えます。※時の流れに身をまかせ・・。そんな絶大な影響力を及ぼす尊大な価値観は生まれない。

-「交換」では売り手と買い手から成る交換様式Cが占め、交換様式Dをイメージできません。
・(柄谷)交換様式Cは世界を結び付けました。モンゴル帝国・大英帝国も一地域に過ぎません。交換様式C以前は、距離が離れ過ぎ、お互いよく知らなかった。そのため世界戦争も起きなかった。ところが交換し合う様になり、問題を背負う様になった。交換様式Aの時代に環境問題はなかった。交換様式Dは交換様式Aの高次元の回復ですが、これがいつ出て来たかは『力と交換様式』(2022年)に書いています。交換様式Dが出て来たのは帝国ができた段階です。帝国は交換様式Bの産物ですが、交換様式Dが必要なのです。例えばゾロアスター教です。ペルシア帝国はこれを採用します。帝国には普遍宗教が必要でした。

・(柄谷)ただ文化を論じるのは難しく、未開性が必要です。例えばゲルマン人は野蛮でした。彼らはローマ帝国に侵入し、ローマ/ギリシャ/キリスト教を知り、ドイツや英国は次の世界を作ります。彼らは交換様式Aを保持し、交換様式Bに服従せず独立性を保ちます。未開性は中心にはなく、周辺に残るのです。この考え方を『世界史の構造』に「亜周辺」の理論として書いています。
・(柄谷)私はカール・ウィットフォーゲル(※1896~1988年)の「中心、周辺、亜周辺」の考え方に示唆されたのです。亜周辺には未開性があり、意外な発展もある。中国から見れば、韓国/ベトナムは周辺で、日本は亜周辺です。日本は中国から必要な文明だけを摂取したのです。ギリシャ/ローマもペルシア帝国の亜周辺です。
・(柄谷)交換様式Bが強くなると、中心はダメになります。それは国家が市場経済を牛耳り、破壊・更新が行われないからです。ゲルマン人はギリシャ・ローマ文化を適度に受け継ぎ、自らの文化(交換様式A)を保持したのです。その亜周辺の英国で産業資本主義が生じます。英国は今でも政治的に統一されていません。交換様式Aが国家への従属に抵抗しています。※英国が連合国なのは文化(交換様式A)のため?

○交換様式Dは向こうから来る
-亜周辺・未開性と観念的な「力」は関係しますか。
・(柄谷)亜周辺・未開性には交換様式Aが残ります。これは交換様式Dを考える上で重要です。私は今後も世界各地で戦争が起こると考えます。ソ連崩壊で「歴史の終焉」と言われたが、それは冷戦体制が終わっただけです。ホットな戦争、つまり「帝国主義戦争」の時代に戻ったのです。近年は国境紛争が増えました。それは陸地のみならず、海底・地底・宇宙に及んでいます。

・(柄谷)そこで国連の問題を考えさせられます。国連の前身は1920年にできた国際連盟です。これもロシア革命も第1次世界大戦の産物です。しかし米国は参加せず、ソ連は外され、日本/ドイツは脱退し、無力になります。国際連盟の設立に『永遠平和のために』(1795年)を著したイマヌエル・カント(※1724~1804年)の理想主義が大きく影響しています。ところがヘーゲルの「国家間の紛争は戦争によってしか解決しない」が援用され、批判されます。
・(柄谷)そこで気付いた事がある。国際連盟の創始者たちは貴族が多い。日本の新渡戸稲造/柳田國男がそうで、無給でジュネーブに行った。事務総長のエリック・ドラモンドもスコットランドの貴族です。彼らは国家に従属しないため、国際連盟を成立させる事ができた(※世界的に貴族が政治をやっていた時代かな。日本も藩閥政治から抜け切れていないかな)。柳田は委任統治委員に就任し、エスペラントを学んだりします。彼らは超国家的な存在でした。

・(柄谷)第2次世界大戦後の国際連合は米ソが参加し、米ソの平和共存の手段になります。そしてソ連が崩壊し、役割を終えます。ただし国連には常任理事国が権力を持つ安全保障理事会がありますが、そうでない組織もあり、独自の課題に取り組んでいます。これはアソシエーションで、国家を超えた問題、例えば環境問題などに取り組んでいます。私は国連関係者と交流があり、国連には可能性があります。国家間の問題・地球規模の問題に取り組める特別な存在です(※最近米国が分担金・拠出金を停止した)。「国連は古い」と言われますが、だからこそ世界協同組合みたいな仕事ができるのです。

-ならば将来の社会構造のためには、国家(交換様式B)・資本(交換様式C)を進化させるのではなく、これまでの交換様式を減速・超出させる必要がありますね。
・(柄谷)交換様式Dは意識的に実現できるものではなく、交換様式Aを意識的に広げるしかありません。例えば生活クラブ生協の様な交換様式Aに立脚する組織が沢山あります。国連も交換様式Aに基づくシステムです。交換様式Dは我々が選んだり計画したりできません。それが到来すると国家・資本は消滅します。※そんな価値観(観念、交換)は簡単に生まれないと思う。生まれたとしても徐々に移行して行くかな。宗教もその様な道を歩んでいる。
・(柄谷)今の子供はスマートフォンを使い、交換様式Cに浸かっています。これは物神によります。しかし東京から流出している人が増えていますが、これは交換様式Dへの変化に似ています。

-先にあるのは「新しい資本主義」とする人がいますが、結局は利益に収斂しています。
・(柄谷)「新しい資本主義」は「新しい国家主義」です。資本は交換様式Cで「物神」によります。国家は交換様式Bで「怪獣」によります。これらの観念的な「力」は人々の頭に深く入り、簡単には消えません。ところが別の観念(交換様式D)が到来すれば違ってきます。それは「神」です。キリスト教ではそれが「終末論」として語られています(※その内調べるかな)。しかしこれは交換様式A・B・Cが中心です。一方交換様式Dは宗教・非宗教に見出せます。

<交換様式と「マルクスその可能性の中心」> ※本章は著者の講演の草稿。

○1.交換様式を見極める困難
・「交換様式」を最初に考えたのは20世紀末で、2001年『トランスクリティーク カントとマルクス』を出版します。その後練り直し『世界史の構造』(2010年)を出版します。2015年論文「Dの研究」を発表し、普遍宗教/神の力を考察します。そして全ての交換様式を考察する論文「力と交換様式」を書き始めました。この「力」は交換から来る観念的な「力」です(※交換を起こす力ではなく、交換から来る力?)。交換において働いている力を見極めるには、2つの困難があります(※ここだけ働いている力?)。第1は、交換様式は経験的に見出せません。それは観念的な「力」が働いた時に推測されます。これはジークムント・フロイト(※1856~1939)の「無意識」に近く、観念的な「力」として発現された後に推測されます。
・第2は、交換様式は単独で存在せず、複数が共存し、観念的な「力」も複雑です。資本は交換様式C、ネーションは交換様式A、国家は交換様式Bです。ベネディクト・アンダーソン(※1936~2015年)はネーションを「想像の共同体」としました。ところが資本=ネーション=国家は接合しているため複雑です。
・そのため苦労しましたが、『力と交換様式』(2022年)を来年出すつもりです。今日は、どうして交換様式を考える様になったかを話します。

○2.何故「交換様式」を考えたか ヴェーバー、デュルケーム、フロイト、フーコー
・1990年代後半、私は史的唯物論を根本的に考え直そうとし、そこで「交換様式」を考え始めました。オーソドックスなマルクス主義(史的唯物論)は、社会構成体の歴史(?)を観念的・政治的な上部構造と経済的な下部構造とし、上部構造は下部構造により規定されるとします。そして下部構造は「生産力」と「生産関係」からなります。生産力は自然と人間の関係、生産関係は生産力に対応して生じる人間と人間の関係です。生産力が増大すると生産関係に矛盾が生じ、階級闘争を通して新たな生産関係が作られます(※生産関係=労使関係かな)。こうして経済的下部構造が観念的・政治的な上部構造を決定します。この様に史的唯物論には「力」が出てきます。生産力は科学技術を含む物質的な「力」です。上部構造は政治的・イデオロギー的で観念的な「力」です。そして観念的な「力」は物質的な「力」で規定されるとしています。従って国家・宗教・芸術などの上部構造は、経済的下部構造に規定されます。

・しかしこの「経済的決定論」は批判されます。それは上部構造が経済的下部構造に影響を及ぼす事があるからです。これを最初に指摘したのがマックス・ヴェーバー(※1864~1920年)です。彼は『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904・05年)で宗教改革が「資本主義の精神」をもたらしたとします。もちろん彼は宗教改革自体が下部構造によって規定された事を否定していません。印刷革命がなければ、ドイツ語聖書の普及はなかったからです。生産関係では独立自営農民が産業資本家・産業労働者になり、プロテスタンティズム(※勤勉・禁欲などかな)を支えます。つまり上部構造と下部構造の相互規定性を主張します。いずれにしても産業資本主義の成立に観念的な「力」が不可欠だったのです。

・他方エミール・デュルケーム(※1858~1917年)は経済的下部構造に還元されない上部構造の力を「社会」に見出し、それを「社会的事実」「集合表象」とします。これは個人の意識・心理を超えています。彼は神と呼ばれていたものを「社会」としたのです。

・ジークムント・フロイト(※1856~1939)も力を「社会」に見出します。ただし社会を外在的対象ではなく「無意識」とします。この無意識は強迫的な「力」です。彼はマルクス主義について述べています(※簡略化)。
 マルクス主義の優れた点は歴史の理解や未来の予言にあるのではなく、経済関係が知的・倫理的・芸術的な考え方に与える影響を鋭く立証した点にある(※下部構造と上部構造の関係かな)。これにより因果関係・依存関係が暴かれます。しかし経済的動機が人間の行動を決定する唯一のものとされると私達は受け入れ難い。個人・種族・民族が異なった動きをする事実を見れば、それは成立しない。生きている人間の心理は無視できない。経済的関係は自己保存欲動/攻撃欲/愛情欲求などの根源的な欲動から、快獲得・不快忌避を衝迫的に求めている。あるいは超自我が過去の伝統・理想を代表し、新たな経済状況に抵抗します(※超自我も説明が欲しい)。

・この様にヴェーバー/デュルケーム/フロイトは史的唯物論の「生産力と生産関係」で把握できない観念的な「力」を見出し、それを経済的下部構造でない宗教・社会・無意識に求めます。

・ミシェル・フーコー(※1926~84年)も独自の「力」を見出そうとした。彼は国家を抑圧的な武力装置とする史的唯物論に反対し、国家は生産的な「力」があるとした。例えば学校・兵営・施療院・工場は産業労働者を「生産」する。つまりカール・マルクス(※1818~83年)の「労働力商品」を国家が作っている。彼は「国家機関より下層の別の次元に独立した大きな権力装置があり、それが凄まじい力を及ぼし続けている。そしてその装置が社会を堅固・安定に維持している」とします。つまり国家機関は上部構造で、その「下層の別の次元」に「凄まじい力」を及ぼすものがあるとします。

・彼らは下部構造に規定されない観念的な「力」が上部構造にあると考えたのです。それは社会・無意識・国家などです。またマルクス主義者に経済的下部構造による全面的決定論を主張する者もいませんでした。そのため「観念的上部構造は経済的土台(※下部構造?)に規定されるが、相対的に自律性を持つ」が標準になり、史的唯物論は柔軟になります。経済的決定論は解放され、経済だけでなく、政治・宗教・社会心理・メディアなど様々な次元を考察し、総合すれば良いとなります。経済的決定論は資本主義に至る歴史を説明するだけでなく、「共産主義」の到来も予告するため、共産主義も否定されます(※これはいつ頃か?ロシア革命との関係は?)。そしてソ連が崩壊し、「社会主義の終わり」「歴史の終わり」が唱和されます。

・私が経済的下部構造の「交換様式」を発見したのは1990年代末です。交換様式は生産様式より下方にあります。史的唯物論の生産関係は、(古代)主人と奴隷、(中世)封建領主と農奴、(近代)資本家と賃労働者と変わります。古代は支配・被支配関係で、中世は契約に基づく双務関係です。生産関係が変わるのは、その基底の交換のあり方が変わるからです。従って社会関係の「土台」(下部構造)は「交換様式」なのです。※交換様式が基底にあるのか。

○3.マルクスその可能性
・私はこの認識を『トランスクリティーク カントとマルクス』(2001年)に書きました。振り返ると、私がマルクス主義を考える様になったのは1960年の大学入学頃です。当時は安保闘争の最中で、新左翼運動には3つの流れがありました。第1は初期マルクス(疎外論)で、吉本隆明(※1924~2012年)に代表されます。第2は史的唯物論で、廣松渉(※1933~94年)に代表されます。第3は『資本論』(1867年)で、宇野弘蔵(※1897~1977年)に代表されます。マルクスの仕事は前・中・後期で異なります。例えば、ドイツの哲学、フランスの政治思想、英国の経済学です。これらの争いが、当時の日本で起こったのです。※これが新左翼運動?

・私はこの3人からマルクスの可能性に出会ったのです。私が文芸批評に向かったのは吉本の影響です。そして吉本が依拠した初期マルクスを斥ける様になったのは廣松の影響です。そして最も影響を受けたのが宇野です。史的唯物論は社会的構成体の歴史を生産様式(生産力と生産関係)から見る理論です。一方『資本論』は、商品交換/商品物神・貨幣物神/資本物神と発展し、社会を編成・規制する過程を把握し、資本制経済を解明するものです。多くのマルクス主義者は両者を接合しようとしますが、宇野は峻別し、史的唯物論を「イデオロギー」、『資本論』を「科学」としたのです。言い換えれば『資本論』は史的唯物論を「導きの糸」とし、異なる観点・方法で書いたのです。※単純に考えれば史的唯物論は経済史、資本論は経済学かな。

・宇野は『資本論』は産業資本の致命的な欠陥を示したとします。それは商品と成り得ない労働力を商品としているため、資本主義経済に必然的に困難・危機をもたらすとします。ただしこれは資本主義の消滅や共産主義到来の必然性を示すものではない。マルクス自身も同様の事を述べています(※詳細省略)。私も1960年以来同じ姿勢でいました。私も「現状を止揚する現実の運動」が重要で、「現にある前提」は多種多様と考えます。それは単に階級闘争に還元できない諸問題(女性、マイノリティ、自然環境など)を含み、「現状を止揚する現実の運動」が共産主義と考えます(※共産主義を広い意味で考えているのか)。
・宇野の『資本論』の読解は独創的でした。一般的に『資本論』は古典経済学者の「労働価値説」を受け継ぐとされますが、彼は『資本論』は生産より交換を重視しているとし、資本は本性において商人資本とします。私は彼の考えに説得され、経済学部に進んだのです。

○4.『資本論』を導きの糸に
・私には『資本論』が証明した資本主義経済は物質的と言うより、信用に基づく観念的上部構造に思えます。それは生産より交換の困難から生じたものです。「交換は共同体と共同体の間で始まる」と書いており、見知らぬ他者との交換を保証する「力」を物に付着する霊(物神)に見出します。そのため『資本論』は商品物神が資本物神に発展する過程を描いた作品です。

・『資本論』には「商品は平凡に見えるが、分析すると形而上学的な小理屈や神学的な偏屈さで溢れている」とあります(※具体例が欲しい)。私はこれを論じるには文学評論しかないと考え、大学院の英文学科に進み、文芸批評家になったのです(※大学院進学も資本論が影響した)。
・文芸批評家として2冊本を出した後(1973年)、文芸誌『群像』に評論「マルクスその可能性の中心」を連載します(※出版は1978年)。1975年イェール大学で客員教授として「日本近代文学」を講義します。これが『日本近代文学の起源』(1980年)として出版され、英訳された最初の著書になります。しかし私に大きかったのは、比較文学科のポール・ド・マン教授に会った事です。彼は私がマルクスについて書いた事を知ると読みたいと言うので、英語に訳し渡します(※詳細省略)。これがその後の動機付け・方向付けになります。2020年3月「マルクスその可能性の中心」の英語版が出版されます(※約半世紀後だな)。

・1973年にマルクス論を書いた理由があります。前年に連合赤軍事件があり、「意味という病」と言う文学評論(マクベス論)を書きます(※、※シェークスピアの悲劇『マクベス』が題材。連合赤軍事件は悲惨な事件が続いた)。この時期は西洋でも新左翼運動が破綻し、「マルクス主義の終焉」と言われていました。この様な時期に私は『資本論』を熟読し、「マルクスその可能性の中心」を書いたのです。
・これは1990年代末「交換様式」を着想したのと似ています。ソ連が崩壊し、「歴史の終焉」と言われます。そこで私は『資本論』を「導きの糸」として史的唯物論を「科学」として建て直そうと考えます。そしてそれは生産様式ではなく、交換様式を「土台」にするのです。

○5.『資本論』と史的唯物論の関係
・ここで『資本論』と史的唯物論の関係について説明します。まずマルクスは初期段階でルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(※1804~72年)に基づいて、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(※1770~1831年)の観念論的哲学を批判し、唯物論的に転倒させます。次の『ドイツ・イデオロギー』(1845・46年)の段階では、フォイエルバッハを批判し、ヘーゲルの観念論的な歴史観を唯物論的に転倒させます。※ヘーゲルの観念論的な哲学はフォイエルバッハに基づき唯物論的にし、ヘーゲルの観念論的な歴史観はフォイエルバッハを批判し唯物論的にした?逆の手段で共に唯物論的にした?ところで転倒とはなにか。他人の理論を変える事はできないので、解釈を変えるのかな。

・また史的唯物論を先の唱えたのはフリードリヒ・エンゲルス(※1820~95年)です。実はこれに関し承知すべき事があります。彼ら2人はモーゼス・ヘス(※1812~75年)から概念「交通」を受け取っていました。これは交通・交易・交換・性交・戦争などを含みます。2人は『ドイツ・イデオロギー』で「戦争も交通形態」「あらゆる軋轢は、根源に生産諸力と交通形態の矛盾を持つ」とし(※どんな軋轢・矛盾なのか)、広い意味での「交換」を重視しています。またヘスの交通は人間間だけでなく、人間と自然の関係(物質的代謝)も含みます。

・1840年代初期エンゲルスは英国に滞在し、産業資本主義と労働運動を見出します。人類社会史を通観する視点を得ますが、これはヘーゲル左派にないものです。彼は「唯物史観と剰余価値による資本主義的生産の秘密はマルクスによる」としますが、事実に反します(※唯物史観=史的唯物論かな)。マルクスもそれを自分の創見としていません。彼は「経済学批判」で述べています(※大幅に簡略化)。
 私の研究の導きの糸になった一般的結論を公式化すると、人間は社会的生産において一定で必然的で意志から独立した諸関係、つまり物質的生産諸力の発展段階に対応する生産諸関係を取り結ぶ(※生産力と生産関係の存在だな)。この生産諸関係が社会の経済的機構の土台となり(※経済的下部構造だな)、その上に法律的・政治的上部構造が聳え、社会的意識諸形態はこの土台に対応する(※観念的な上部構造だな)。物質的生活の生産様式は、社会的・政治的・精神的生活諸過程を制約する(※これが唯物の所以かな)。人間の意識が存在を規定するのではなく、逆に人間の社会的存在が意識を規定する(※これは良く分からない)。
 経済的基礎が変化すると上部構造も変化する。この変革を考察する際、生産諸条件に起こった物質的・自然科学的で正確に確認できる変革とこの変革を意識し決戦の場になるイデオロギー(法律、政治、宗教、芸術、哲学)の諸形態を区別しなければいけない。※生産(下部構造)とイデオロギー(上部構造)の区別かな。
 経済的社会構成は、アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョア的生産様式と進歩した。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産関係(諸個人の社会的生産過程)の敵対的な最後の形態だ(※労使関係を敵対的としたかな)。しかしブルジョア社会で発展しつつある生産諸力は、敵対関係の解決のための物質的諸条件も作る。そのためこの社会構成をもって、人間社会の前史が終わる(※資本主義が終わり、共産主義が到来するかな)。
・マルクスが史的唯物論の公式を説明したのはこれしかなく、自分の創見としていない。彼はこれは社会構成体の歴史を見る「導きの糸」になるかもしれないが、別の観点で資本主義経済を解明しようとした。『資本論』は科学、史的唯物論はイデオロギーとする宇野の見方はここから来る。

・彼は『資本論』第1巻のあとがきでヘーゲルを称賛している。ヘーゲルは「死んだ犬」と言われ、彼もヘーゲルの観念性を批判していたのに、態度を反転させた。
 私はヘーゲルの弟子だと認める。価値論に関して、彼の表現法をおもねた。弁証法が彼により神秘化されたとしても、弁証法の運動形態を最初に包括的・意識的に述べたのが彼だ。神秘的なヴェールに包まれた中の合理的な核心を発見するには、それをひっくり返さなければいけない。※何をひっくり返すのか?彼への批判?因みに弁証法は正・反・合(止揚、揚棄)かな。
・これは誤解を与える点がある。彼はヘーゲルの観念的哲学を「ひっくり返す」事をやってきたからだ。しかし『資本論』での転倒はこれらと異なる。むしろ彼はヘーゲルの論理的叙述に従っている。それは価値論だけでなく、全体系に及ぶ。それは彼が資本制経済に「精神」の活動を見出したからだ。これが「物神」で、商品物神が貨幣物神、資本物神と発展し社会総体を組織する歴史だ。彼は精神が自然的・直接的な形態から自己実現する事をヘーゲルの論理で編成した(※弁証法を利用したのかな)。

・彼は第3巻の草稿を書き終えるが、株式資本・金融資本を十分論究しなかった。それは1860年代前半はそれはまだ兆候的だったからだ。しかし彼がヘーゲルの論理に依拠した事は『資本論』の冒頭から分かる。「資本主義的生産様式が支配する社会の富は膨大な商品の集積として現れ、個々の商品はその富の基本的形態として現れる。そんため我々の研究は商品の分析から始まる」。この「膨大な商品」に株式資本も含まれる。この意味で『資本論』は、資本物神が商品から自己実現する全過程をヘーゲルの論理に沿って書かれている。
・彼はヘーゲル哲学に回帰した訳ではない。ヘーゲル哲学は「精神は高邁で、自然的・直接的な形態から自己実現する」とされる。『資本論』は物神が産業資本として全社会を牛耳る過程を書いている。その意味で『資本論』はヘーゲル哲学を唯物論的に「ひっくり返した」(※意味不明。ヘーゲル哲学は精神優位で資本論は物資優位?先述の「ひっくり返す」もこれかな)。彼は観念的な「力」を斥けず、唯物論的に明らかにした。そしてそれを生産ではなく、交換に見出した。

○6.物神と言う観念的な力
・マルクスは『資本論』で労働価値説(商品の価値は労働にある)を唱えたとされる。しかしこれはアダム・スミス(※1723~90年)/デヴィッド・リカード(※1772~1823年)ら国民経済学(古典派経済学)の考えだ。彼はそれを受け継ぐが、副題が「国民経済学批判」で、古典派経済学を批判した。
・古典派は生産を重視し、交換を副次的とした。それはスミスが標的にした重商主義が交換(交易)を重視したからだ。重商主義は交易を通し貨幣を蓄積し、保護主義的な政策を採った。一方スミスは商品の価値を労働とし、貨幣はそれを表示する手段とした。そのため自由貿易を推奨した(※当時から両者が存在したのか)。

・マルクスは重商主義に立ち返り、生産ではなく交換から考えようとした(※生産様式(生産力と生産関係)で考えたのでは)。貨幣の特別な「力」は生産ではなく、交換において生じると考えた。「商品は平凡に見えるが、分析すると形而上学的な小理屈や神学的な偏屈さで溢れている」「物の使用価値は物と人との直接的関係で実現される。その価値は交換の中、つまり社会的過程の中で実現される」「労働生産物が商品として生産されると、直ちに価値が付着する」。そしてそれを物神とした。物神は交換において存在する超感覚的な「力」で、これがないと物々交換も成立しない。フェティシズム(物神)はシャルル・ド・ブロス(※1709~77年)が定式化した概念で、彼はそれを持ち込んだ。
・彼は「商品交換は共同体間で行なわれる」とし、共同体内では行われないとした。従って見知らぬ者同士で行われるため、同意・約束などはなく、強制的な「力」が必要で、その観念的な「力」を物神とした。そして物神性が発展したのが貨幣で、さらに資本物神となる過程を『資本論』で論じた。

・マルクス主義者は物神について必ず言及するが、真面目に検討しなかった。そして物象化と言い換えられるようになる。ルカーチ・ジェルジュ(※1885~1971年、ハンガリー語表記のため姓名)は物象化を「人間が作った物が固有の法則性を持って人間を支配する」とした(※これは疎外論では)。廣松渉(1933~1994年)は物象化を「本来関係としてしか存在しないものを対象物として見る事」とした。ここで重要なのは関係一般・社会関係一般ではなく、共同体間の交換で生じる問題です。物象化論者はここで生じる社会的関係をフェティシズムで隠蔽したが、この社会的関係はフェティシズムなしで成り立たない。※そもそも共同体間における社会的関係とは何か?説明が欲しい。

○7.交換様式AとCの歴史的出会い直し
・マルクスは、貨幣は物に一般的価値形態あるいは貨幣形態が付着した状態と考えた。そのため物と交換できる「力」があり、貨幣を得ようとする欲望がもたらされる。彼は守銭奴(貨幣蓄蔵者)について述べている。
 貨幣蓄蔵者は黄金物神のため自分の欲情を犠牲にする。禁欲の福音に忠実だ。勤勉・節約・貪欲が主徳で、多く売って少なく買う(※節約と貪欲は矛盾しそう)。
 この絶対的な至富衝動・情熱的な価値追求は資本家・貨幣蓄蔵者に共通する。ただ貨幣蓄蔵者は狂気の資本家で、資本家は合理的な貨幣蓄蔵者だ。貨幣蓄蔵者は資本の増殖を貨幣流通から救い出そうとするが、賢明な資本家は貨幣を新たな流通に委ねる(※前者は蓄蔵で後者は投資かな)。

・彼は貨幣のこの力を貨幣物神とし、商品交換の起源を人類学的に考察しようとした。フェティシズムはラテン語だが、元来はアフリカで行なわれていた護符・呪物崇拝を意味し、欧州人とアフリカ人の交易で使われた。それをブロスが理論化・定式化した。これは後のマルセル・モース(※1872~1950年)の贈与交換(交換様式A)に繋がる。マルクスが貨幣形態の起源を論じるのにフェティシズムを用いたのは、交換様式Cの源泉を交換様式Aとしたからだ。また興味深いのは共に共同体間の交換である点だ。西欧人はアフリカでガラクタと思うものと金を交換した。フェティシズムは貨幣物神に染まった西欧人とアフリカ人との交換で生まれた。つまり交換様式Cと交換様式Aの歴史的出会いで生まれた。

・フェティシズムは『資本論』第1巻(1867年)が刊行されて間もなく消える。それはエドワード・バーネット・タイラー(※1832~1917年)が『原始文化』(1871年)で提唱したアニミズムが圧倒的な影響力を持ったからだ。さらに1888年アルフレッド・ビネー(※1857~1911年)がフェティシズムを性的逸脱(倒錯)とし、この意味で使われる様になる。
・マルクスはフェティシズムを嘲笑的な意味で用いたのではない。1882年彼はジョン・ラボック(※1834~1913年)の『文明の起源と人類の原始状態』の摘要を書き、フェティシズムを肯定している。さらにルイス・モーガン(※1818~81年)の『古代社会』の摘要を書き、未来の共産主義社会を氏族社会の「高次元での回復」とした。

○8.交換様式CからA・Bへ
・マルクスが商品交換でフェティシズムを用い、交換様式Cの根底に交換様式Aがある事を示唆します。これはモースの「贈与の互酬」です。彼の叔父のデュルケームは上部構造の力の源泉を「社会」に求めます。一方モースは「交換」(経済的な事柄)とし、贈与交換に「霊」が付着しているとします。

・マルクスが『資本論』で扱ったのは交換様式Cだけですが、交換様式Aに繋がり、さらに交換様式Bに繋がる考察もあります。彼は序文に「経済的諸形態の分析で顕微鏡・試薬を用いる事はできない。抽象力が両者に代わる」と書いています。商品交換の始原を問うには抽象力が必要です。彼は貨幣の始原を問い、商品世界における商品が一般的等価物(貨幣)として承認される過程を示します。彼は「商品は商品世界の市民」と書いています。
・マルクスはここで新約聖書を引用しています(※引用文省略)。これは旧約聖書の海獣「リヴァイアサン」を引用したトマス・ホッブズ(※1588~1679年)を念頭に置いています。彼は国家の成立を主権者の成立に見ました。「万人が対立する自然状態において、人々が自然権を1人の者に譲渡する事で主権者が成立する」とします。これを社会契約とし、「恐怖に強要された契約」とします。普通「恐怖に強要された契約」は無効ですが、彼は有効とします。「服従すれば保護される」も一種の交換(交換様式B)です。アントニオ・グラムシ(※1891~1937年)は自発的な服従による強制力をヘゲモニーとし、権力と区別します。この交換を最初に明示したのがホッブズで、国家権力における契約も交換とします。

○9.交換様式Dの手掛かりはエンゲルス
・『資本論』には経済的な問題だけでなく、政治的な問題の鍵も潜んでいます。それは政治も「交換」だからです。しかしここに交換様式Dの手掛かりはない。マルクスとエンゲルスは1848年『共産党宣言』を出版しますが、その後それぞれが史的唯物論で理解できない出来事に遭遇します。フランスでは王を倒した議会から皇帝(ナポレオン3世)が出ます。マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852年)を書き、政治的観念的な上部構造の自律性の謎を「代議制議会」に見出します。さらに資本主義経済を解明する「経済学批判」に向かい、資本制経済の謎を価値形態(交換様式)から解こうとします。

・一方のエンゲルスは1840年代初めに英国のチャーチスト運動に「真の階級闘争」を見出し、史的唯物論を唱えます。英国の労働者は一定の勝利を得るが、革命性を失う。階級意識や階級的利害の追求は残るが、階級を揚棄する「階級闘争」は消滅します。それは階級闘争・対立は常にあるが、階級を揚棄する運動は別の所から来るからです。そのため彼は階級闘争の鍵を経済的下部構造に求めず、16世紀トマス・ミュンツァー(※1489~1525年)が率いた宗教的運動「ドイツ農民戦争」に求めます。しかし宗教的運動はミュンツァー以前のヤン・フス(※1369~1415年)/ジョン・ウィクリフ(※1324~1384年)、さらに千年王国運動に遡れます。ヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904・05年)を書き、宗教改革をルター/カルヴァンに見出しますが、宗教改革の本流を忘れています。

・エンゲルスは『ドイツ農民戦争』に「天国はあの世のものでなく、この世で求められるべきだ。使徒はこの地上に神の国を作るべきだ。あの世に天国・地獄はなく、劫罪(※長く続く罪かな)もない。人間のあしき快楽と欲の他、悪魔もいない。キリストは我々と同じ人間で予言者で教師だ。聖餐はパンとブドウ酒を食する単純な記念の晩餐だ」と書いている。彼はそれ以後も千年王国/原始キリスト教の問題を手放さなかった。自ら『黙示録』(1883年)/『原始キリスト教史によせて』(1894年)を書いています。彼の意向に沿い、カール・カウツキー(※1854~1938年)は『中世の共産主義』『キリスト教の起源』を書いています。彼の考えを最も追求したのがエルンスト・ブロッホ(※1885~1977年)で、『希望の原理』を書いています。

・以上からマルクスもエンゲルスも史的唯物論の「経済的決定論」とは全く別の事を考えています(※長い人生、考える事は様々な方向に展開する)。私は『資本論』を「導きの糸」として史的唯物論を再構築しようと考えた。そしてそれは「マルクスその可能性の中心」を追求する事だった。

○10.交通=交換から考え直す
・史的唯物論では生産が重視され、交換は2次的に扱われます。しかし『資本論』は人間と人間の交換だけでなく、人間と自然の交換(自然代謝)も重視した。それはヘスの「交通」に基づきます。例えば資本主義的な農業を「人間と土地の間の代謝、すなわち人間が食料・衣料として消費する土壌成分の土地への復帰を、従って永続的土地豊度の永久的自然条件を攪乱する」としています。これは化学肥料型農業の創始者で循環型農業を提唱したリービッヒから得ていますが、元はヘスから来ています。
・マルクスは産業資本が労働者を搾取するだけでなく、自然を開発・搾取する事で人間と自然の間の「交通」が破壊されると批判します。さらに彼は資本主義的工業生産においても廃棄物が伴うと批判します。
 資本主義的生産様式が発達し、生産上・消費上の廃物の利用が拡張される。生産上の廃物とは工場・農業での屑で、消費上の廃物とは人間の自然的新陳代謝で作られる廃物と消費された後に残る形態の事だ。生産上の廃物は化学工業においては生産規模が小さいと失われる副産物もある(※廃水かな)。機械製造においては鉄屑として落ち、再び原料になる。消費上の廃物は人間の自然的排泄物や衣類の残片だ。排泄物は農業に重要だ。資本主義経済は排泄物をテムズ河の汚毒化のために用いる以上の良策を知らない。

・この事態は解決していないどころか、地球環境の存続が危うい。世界中の海底にプラスチック片が堆積しています。この環境危機は第1次産業に依拠する後進資本主義国で深刻です(※廃プラとか船舶解体などが発展途上国に押し付けられている)。これは先進国の「資本」の存続に重要でないからです。つまり人間と自然との間の交換の不平等・搾取と人間と人間との間の交換の不平等・搾取がねじれています(※発展途上国は環境危機にさらされ、先進国は豊かさを享受しているかな)。
・人はAIや科学技術で社会がどう変わるかを論じます。これは「生産力」に基づいて社会構成体の歴史を見る史的唯物論を受け継ぎます。そしてそこには社会構成体の歴史は人間と人間との間の「交通」と人間と自然との間の「交通」に基づく認識がない。さらに「交通」は生産力だけでなく、観念的な「力」を生み出す認識もない。ゆえに交通=交換から諸問題を考え直す必要があります。

<文学という妖怪> ※本章は著者の講演の草稿。

○近代文学の終わり
・昨日(2019年11月30日)私が書いた論文「近代文学の終わり」(※以下当論文)に関する国際会議が東大で開かれました。これは田尻芳樹さんが企画しました。そこで私は韓国のジョ・ヨンイル(曹泳日)さんと対話しました。数年前に彼の『世界文学の構造』(2016年)を読み、当論文が韓国で大論争になった事を知り、当論文を読み直しました。当論文を書いたのは、2004年頃「早稲田文学」を編集されていた市川真人さんから寄稿を頼まれたからです。当時は既に文芸批評を止めていたので、その意味で書きました。当論文はサルトル/ドゥルーズ/デュラスにも言及していたので、仏語に翻訳されています。

・ジョさんの『柄谷行人と韓国文学』を読むと、当論文は韓国語に翻訳され、「日本で近代文学が終わっても、韓国では発展する」と大論争になったらしい。1980年私は『日本近代文学の起源』を書いています。これは「近代文学」を称賛せず、風景・内面・告白・児童などを倒錯的な制度としています。そして当論文の題名はそれと対になっています。実際「近代文学」は終わっておらず、隅々に浸透した。私が「近代文学」を定義していなかったため、この論争が起きたと思います。

○ルネサンス的な文学
・『日本近代文学の起源』は明治の近代文学を論じています。そこには近代文学らしさ(写実主義、自然主義、ロマン主義など)があるが、それを拒否する何かがあるとしたのです。そこで二葉亭四迷/夏目漱石/泉鏡花/樋口一葉/森鴎外などを評価しています。私は後にそれらの文学をミハイル・バフチン(1895~1975年)に倣い、「ルネサンス的文学」と呼びます。彼は多声性やカーニバル的世界感覚を指摘しています。※ルネサンスには人間性回帰のイメージがある。
・ルネサンス的な作家はルネサンス時代に限らず、19・20世紀にもいます。彼らに共通するのは後進国的な状況で、未開的な要素が見られます。日本の中上健次がそれを受け継いでいます(※詳細省略)。私は文芸批評家になる前から「ルネサンス的文学」を説いていました。1974年「柳田国男試論」でも風景・児童などの問題を書いています。風景・児童などは昔からある観念を打ち消し忘却する事で成立したのです。※昔からある観念とは何か。江戸文学と明治文学は相当異なるのでは。

・私はこれを交換様式から見ています。近代文学の写実主義・自然主義・ロマン主義などは交換様式Cが優位になり成立したのです。一方「ルネサンス的文学」は交換様式Cが優位の下で、抑圧された交換様式Aを回復させるものです(※例えば小説には近代的な小説があれば、牧歌的な小説もある)。明治文学では二葉亭四迷/夏目漱石が該当します。亭四迷はロシアのゴーゴリ/ドストエフスキー、漱石は英国のスウィフト/スターンを受け継いでいます。彼らはルネサンス的文学に共感し、亭四迷は江戸の滑稽本、漱石は俳諧を受け継いでいます。俳諧の連歌はカーニバル的・多声的です。(※漱石が『吾輩は猫である』を俳句の会で朗読した話は省略)。

・しかし彼らの「ルネサンス的文学」は「近代文学」の拡大で衰退します。1969年私は漱石論を書き、群像新人賞を受賞します。この時の選考委員が江藤淳で、彼も漱石論でデビューしています。この頃から「漱石は偉い」となり、「ルネサンス的文学」が回帰します。井上ひさし/古井由吉/後藤明生/中上健次/津島佑子などがそうです。

○文芸批評から離れて
・しかしそれは1990年以降に消滅します。その象徴が1992年中上の死です。フランスでもマルグリット・デュラスが死にます。私は当論文で彼女に言及していますが、彼女はベトナム育ちで、フランスの国家試験をベトナム語で受験します。彼女は「ごろつきの親玉」と呼ばれていました。
・私は中上が死に、文学から離れようと思いました。その前に彼の全集の編集、「熊野大学」の面倒、「日韓作家会議」への協力を決めます。これで韓国の文学者との関係が始まったのです。しかしその頃には文芸批評への関心をなくし、1980年代には文学評論も書かなくなっていました。ただし新人賞の選考委員は続け、何人かの作家を世に出しています。当論文を書いたのは、完全に止めた後です。
・従って今世紀は日韓の文学者と交流していません。ジョさんから「韓国の文壇に4派あり、あなたは全ての派のリーダーと親しい」と聞き、驚きました。ただキム・ウチャン(金禹昌)とは米国で知り合い、『日本近代文学の起源』の韓国語訳に尽力してもらいました。またキム・ジョンチョル(金鍾哲)はNAM運動に関心を持ち文芸批評を止め、環境問題に取り組んでいます。他に釜山のインディゴと言う活動家から招待されました(※インディゴ書院を中心に読書・討論・教育を行っているみたい)。そのため『柄谷行人と韓国文学』を読んで、驚きました(※韓国では有名人なのかな)。

○韓国への関心
・今世紀になり、別の形で韓国に関心を持つ様になります。2004年『冬のソナタ』のブームの後、韓国や中国のドラマを見る様になったのです。それに伴い韓国史・中国史の本も読む様になります。韓国に関しては、特に李氏朝鮮(李朝、1392~1897年)において文官の支配が強かったと感じます。王と文官が激しく言い争うのです。高麗王朝(918~1392年)の初期は武官が強かったのですが、漢字が読めないので結局文官に負けます。李朝第4代の世宗大王は優れた君主で、ハングル(訓民正音)を制定しますが、文官が使用せず、普及しませんでした。李朝末期、福沢諭吉に出入りしていた金玉均が漢字とハングルを併用した新聞を出しますが、彼は暗殺されます。福沢はこれに憤慨し、新聞に「脱亜論」を書きます(※脱亜論はアジアの近代化に失望し、脱亜入欧を説いた)。

○何故韓国に近代文学がない
・ジョは『世界文学の構造』に「韓国で近代文学は終わっていない。そもそも近代文学がなかった。それは韓国人が戦争しなかったから」「近代文学は本質的の戦後文学」と書いています。この認識は日中韓の歴史的差異から来ています。日本の近代文学は日清戦争後に生まれます。国木田独歩は従軍記者として出征し、戦後虚無感に陥ります。北海道に渡り、どうでも良いものが「忘れえぬ」と感じます。この転倒から『忘れえぬ人々』を書きます。※戦争は文学に様々な影響を与えるかな。
・これは戦争に勝った日本ですが、負けた中国はどうだったのか。清朝は西洋文明を取り入れた日本に留学生を送る様になります。この留学生に魯迅(周樹人)と弟・作人がいた。魯迅は医学を学びに来たが、文学をやる様になります。それは近代文学だけでなく、柳田國男に注目します。そのため中国に戻ると『会稽郡故書雑集』を作り、彼の作品は「ルネサンス的文学」と言えます。彼の文学も戦争がもたらしたのです。
・しかし朝鮮の文学に変化はなかった。それは「戦わなかった」からです。彼らは漢詩文を続けた。それは文官が支配的だったからです。これは日中韓に限定されません。※私は世界文学に全く詳しくないので、判断できない。

○中心/周辺/亜周辺
・私はこれを中心/周辺/亜周辺の構造で見ます。これはウィットフォーゲルの考え方で、帝国の周辺は中心の文明を全面的に受け入れ、亜周辺は選択的に受け入れます。東アジアだと中心は「アジア的専制国家」、周辺は韓国/ベトナム、亜周辺は日本です。これを交換様式で考えると、中心は交換様式Bが強くなり、交換要素Aの独立性・遊動性は失われます。周辺は中心に従うので同様でう。一方亜周辺は選択的に受け入れるので、交換要素A・Bが共存します。

・日本は律令制を取り入れますが、真面に機能しなかった。官僚は漢詩文を学ぶが、実際は万葉仮名・平仮名でやっていました。韓国には科挙があり、文官は漢詩文を学びます。奈良・平安時代は文官が上位に見えますが、鎌倉時代になくなります。江戸時代に武士は朱子学などの漢学を学びますが、庶民は違いました。中心はどうだったのか。中国の秦・唐(※隋では)・元・清は圏外の遊牧民の王朝です。官僚制ですが、文官が皇帝を抑える事はできません。帝国は外部に敏感で、ここで取られた外交政策が「冊封」です。これは周辺国に朝貢させるが、帰りに何倍ものお土産を持たせました。

・日清戦争で朝鮮王朝は清が護ってくれると考え、戦う事をしなかった。さらに朝鮮と清(※1636~1912年)は複雑な関係でした。清は朝鮮より辺境の満州人が建国し、最初は朝鮮は自らが明の後継と自負し、清を軽蔑していました。明で尊ばれた朱子学は朝鮮で発展し、それが江戸時代に日本に渡ります。文官が支配する朝鮮は「戦争は野蛮人がするもの」と考え、日清戦争で戦わなかった。

○文学は交換様式Dとして回帰する
・同じく「周辺」のベトナムにも科挙があります。ただ違いとして、ベトナムには山地民の伝統(ゾミア)がある(※これは交換様式Aかな)。日本は2度の元寇を神風で退けますが、べトムは陸上の戦争を3度も退けています。さらにベトナム戦争でも米軍に勝っている(※詳細省略)。韓国とベトナムのもう1つの違いは、韓国の隣に日本があったが、ベトナムにはなかった。ただしベトナムはフランスの植民地になります。今の韓国とベトナムは占領した日本とフランスの違いによります(※説明がないので詳細不明)。

・今世紀、韓国は資本主義経済が浸透し、文官支配になります(※戻ったかな)。つまり交換様式B・Cの下で交換様式Aが逼塞しています。その意味で文学が終わった感じがします。これは日本を含め世界に共通します(※文学は交換様式Aだけに寄らず、多様化しているかな)。しかし文学が消滅したとは思いません。交換様式Aは別の形で回帰し、交換様式Dとなります。昨日の会議でアンドリュー・ギブソンは「文学は死んでも、終わらない。それは妖怪の様に付きまとう」と言いました。文学は必ず回帰します。「全世界に妖怪が徘徊している。文学と言う妖怪が」。そんな事態が来ると思います。

Ⅲ 『力と交換様式』を読む

<柄谷行人は全てを語った> 大澤真幸

一.語り得なかった「それ」としての「力」

○1.全てを語った
・柄谷行人は『力と交換様式』(2022年、※以下当書)で全てを語った。彼の著書は「これが全てではない」と思わせる著書が多かったが、当書は違う(※詳細省略)。交換様式論を着想した今世紀、彼は書く態度を変えた。それが彼の著書に新たな美点・魅力を与えている。この交換様式論は、「交換様式A:互酬(贈与と返礼)、交換様式B:服従と保護(略取と再配分)、交換様式C:商品交換(貨幣と商品)、交換様式D:交換様式Aの高次元での回復」によって世界史の構造を説明する。当書は「それ」(全てではない残り)について積極的に書いている。「それ」こそが観念的・霊的な「力」だ。

○2.史的唯物論との対比
・マルクス主義は「社会構成体の歴史を土台は経済的なもの(生産様式)、上部構造は政治的・観念的なもの」とし、歴史の決定要因を生産様式とする。ところが宗教などの上部構造が土台に能動的な「力」を発揮するとの反論があった。そのため「上部構造は土台から相対的に自律している」とされてきた。これに対し彼は『世界史の構造』(2010年)で「社会構成体の歴史は4つの交換様式で説ける」とし、「観念的な「力」もそれぞれ4つある」とした。経済的下部構造=交換様式とする事で観念的な「力」の問題を退けた。

二.力と交換様式

○1.交換様式Aと力
・当書は4部構成で、第3部までは史的唯物論が展開される。つまり第1部はアジア的段階、第2部は古典古代社会と封建社会、第3部は近代ブルジョア社会を論じる。4つの「力」は第1部で示している。「力」の原型は交換様式Aに由来する「力」だ。マルセル・モース(※1872~1950年)は世界の互酬交換を検討し、物に付着した霊が強いているとした。後続の論者が非科学的と批判し、欲望・意志に反して働く「力」を無視する事になる。これが交換様式Aだ(贈与交換)。これをニュートンの「万有引力」で後押ししている(※詳細省略)。交換様式Aは人類の定住化で始まった。これについては後述する。

○2.交換様式Bと力
・交換様式Bは主権者・支配者が臣民に対し行使する「力」だ。臣民は主権者に隷従し、命令に従う。その代わり主権者は臣民を保護する。これをトマス・ホッブズ(※1588~1679年)は海獣「リヴァイアサン」として説いた。交換様式Bは交換様式Aの垂直化だ。
・ただ交換様式Aから交換様式Bへの移行は簡単でない。氏族社会・部族社会が国家に抗うからだ。調整する首長が現れ、人々が自発的に服従する事で確立する。

○3.交換様式Cと力
・アジア的段階では交換様式Cは交換様式Bに寄生しているので確立しない。交換様式Cが支配的になるのは近代資本主義(産業資本主義)段階になってからだ(※マクロとミクロで違うのでは)。交換様式Cに由来する観念的・霊的な「力」は、『資本論』(1867年)の商品物神・貨幣物神と同じだ。この「物神」は物象化(人間と人間の関係が物と物の関係として現れる)として解釈されてきた。しかし「物神」を物象化と捉えるのは誤解だ。
・「商品物神」は物が一般的価値(貨幣で測られる価値)を持つ事だが、これに「力」が関わるとは理解しづらい。カール・マルクス(※1818~83年)は『資本論』で商品から貨幣が成立する仕組みをホッブズの社会契約で説明している。「貨幣(リヴァイアサン)は商品の社会契約の産物。商品は貨幣に自発的に隷従し、貨幣は商品を保護する」とした。ただし交換様式Bは人間同士の関係で、交換様式Cは物同士の関係だ。また交換様式Cにおける「力」は、商品物神・貨幣物神・資本物神と発展する。これについては後述する。
・交換様式Cが成立するのは信用があるからだ。この信用は交換様式Aの贈与から生まれる。また貨幣は物と交換しうる「力」がある。この貨幣物神を保証するのは国家で、貨幣経済は国家の下にある。

・古代国家は遠隔地との交易が重要になる。これは交換様式Cではない。これは「王の威信の拡大」が目的で、交易に従事する官僚(商人ではない)は身分確保が動機で、交換様式Bと言える。交易により都市国家は領域国家になり、さらに帝国になった。帝国は諸民族の自発的な服従で成り立つ(交換様式B)。帝国(交換様式B)は交易(交換様式C)を行うが、それを抑制したため資本主義経済に向かわなかった。※中国は貨幣経済が発達していたと思うが。
・帝国には王を従える皇帝がいて、その背後に神がいる。世界帝国には世界神がいて、それは世界宗教だ。この世界宗教は普遍宗教と異なる。これについては後述する。

○4.交換様式Dは交換様式Aの高次元での回帰 ※本章は回復ではなく、回帰を使っている箇所がある
・交換様式Dは他の交換様式から独立しておらず、交換様式Aが高次元での回帰したものだ。この「高次元での回帰」とは、交換様式B・Cが発展した後、交換様式Aが交換様式B・Cに対抗する要素として回帰する事だ。

・当書に「定住と共に贈与交換(交換様式A)が始まった。人類が遊動民(50人程度)だと贈与は必要ない。狩猟で獲得した獲物は、その場で共同寄託され、贈与以前の状態だからだ」とある。この状態は自由・平等でもある。彼はこの状態を「無機質」な状態としたが、原遊動性Uと呼んでいる。※UはUniversal(普遍的)の意味らしい。
・人類が定住すると社会は複雑化し、「有機的」な状態になる。彼は人間には無機質の戻ろうとする本源的な欲動があるとした。この状態になると他者への攻撃欲動が起き、それを抑えるために他者に譲渡・贈与を迫る「反復強迫」が現れる(※交換様式A(互酬)はもっと柔らかいものと思っていたが)。この反復強迫が霊となって出現する。交換様式B・Cが発展すると原遊動性Uに戻ろうとする欲動が交換様式Aと異なる交換様式Dを出現させる。※ならば交換様式Dは交換様式A(互酬)以前の原遊動性Uの回復となる。なので高次元かな。
・普遍宗教が正に交換様式Dで、彼はゾロアスター/モーセ/イスラエルの予言者/イエス/ソクラテス/墨子/ブッダの実例を示している。イエスは国家(交換様式B)/貨幣(交換様式C)/家族・共同体(交換様式Aの一部)を斥け、隣人愛を説き、それを「神の国」とした(交換様式Dの到来)。※交換様式Dの到来は、繰り返されてきたのかな。

三.古典古代から封建制を経て資本主義へ

○1.亜周辺としての古典古代
・当書は第一部で史的唯物論の生産様式のアジア的段階を体系的・論理的に扱う。第2部・第3部で、古典古代段階/封建的段階/近代ブルジョワ的段階を扱い、現代資本主義までの西洋の歴史を扱う(※本章はブルジョアではなくブルジョワを使っている)。※何故時代区分に古典が付くのか調べたら、規範の意味があった。

・興味深いのは、普通は交換様式Cは交換様式Bの下に置かれるが、欧州では逆で交換様式Cの発展に交換様式Bが貢献した。古典古代社会(ギリシャ・ローマ)は封建制(ゲルマン社会)に移行するが、ここで強調されているのが「未開性」だ。普通は「欧州の古典古代社会/封建制がアジア的社会より文明的・進歩的だったため近代が生まれた」とされるが、彼の考え方は逆だ。ギリシャで民主主義が成立したのは、氏族社会(交換様式A)が強かったためとしている。彼はこれを「中心/周辺/亜周辺」で説明する。中心にアジア的専制国家があり、周辺に官僚制国家が生まれ、亜周辺(ギリシャ・ローマ)は文明を選択的に受け入れた。

○2.封建制の未開性
・未開性とは交換様式Aが交換様式Bに抑圧されていない状態だ。封建制(ゲルマン社会)は古典古代(ギリシャ・ローマ)よりさらに未開性だった。西ローマ帝国が崩壊した後、西欧は部族が統合されず、未開性が高かった。各部族を繋いでいたのはローマ教会だった。王は封建領主の1人に過ぎなかった。領主と農奴の関係(農奴制)も互酬関係だった。
・この未開性によりゲルマン社会には独特の都市が生まれる。それまでの都市は都市国家か国家の中心都市だったが、どちらでもない都市(アソシエーション、連合体)が生まれる。※欧州の都市についてはほとんど知識がないな。点在する城郭都市のイメージがある。
・それまでは貨幣経済・商業(交換様式C)は国家(交換様式B)の下で発達した。ところがゲルマン社会は交換様式Aが強く、交換様式Bが弱い中で、交換様式Cが拡大する。欧州では国家間の交易はなかったが、十字軍が切っ掛けで都市市民が交易する様になり、彼らは「誓約共同体」となった(※都市市民による自治組織)。キリスト教はローマ帝国により「世界宗教」になるが、弱体化する。ところがゲルマン社会で再生し、中世で大きな役割を担うが、ここでは解説しない。

○3.交換様式Cに貢献する国家
・ゲルマン社会は未開性が強かったため、独自の発展をする。国家(交換様式B)は「絶対王政」として出現する。これは王(交換様式B)と都市ブルジョア(交換様式C)が結託し、封建領主(交換様式A)を抑え込んだ事により出現した。アジア的専制国家は交換様式Cを支配したが、絶対王政は逆で、交換様式Cに貢献する立場になる。これによりブルジョワ経済(資本主義経済)が発達する。

・彼によれば、絶対王政は臣下であった市民に打倒される。そしてその市民(友愛の共同体)は交換様式Aを回復させたもので、ネーション(国民)になる。ここに資本(交換様式C)=ネーション(交換様式A)=国家(交換様式B)の結合が出現する。絶対王政は宗教改革と結合し、近代資本主義(産業資本主義)を準備した。また共通言語でコミュニケーションでき、規律をもって集団的に労働する「労働力商品」を作った。宗教改革は聖書を俗語訳し、ナショナルな言語を作った。そして禁欲・勤勉のエートスは労働力商品の形成に貢献した。
・ミシェル・フーコー(※1926~84年)は「監視社会」や「生権力」(規律化された従順な身体の形成)に注目します。柄谷はこれについて述べています。かつては国家権力は「否」を宣告するだけだったが、身体に規律をもたらした。それは産業資本(交換様式C)の要請に応じ、労働力商品を生み出す必要があったからだ。マックス・ヴェーバー(※1864~1920年)は禁欲的な労働者の出現を「神の監視」で説明したが(※プロテスタンティズムかな)、フーコーは「国家の監視」で説明した。

・商人資本から産業資本にどの様に「転化」したのか。この問いは、共同体の農民が賃労働者にどの様に転化したのかと同義だ。これは個々の資本からではなく、「総資本」から見ると理解できる。個々の資本は労働者を搾取するが、総資本を拡大するには労働者に消費を促す必要がある。「新都市」において労働者が消費者となった。この新都市は中世の盟約共同体ではなく、農村共同体と繋がった市場都市(マンチェスター、リヴァプール)だ。ここにおいて商人資本から産業資本に転化した。

○4.資本物神
・「経済学批判」としての『資本論』は、商品の価値を「物神」とする。言い換えれば交換様式Cで生じる観念的な「力」と言える。まずは物々交換により商品物神が出現し、それが貨幣物神に発展する。さらに貨幣を蓄財する欲動により資本物神に転化し、無限に自己増殖する。『資本論』の最後に株式資本が登場する(※商人資本では商品物神/貨幣物神、産業資本/株式資本では資本物神が働くかな)。つまり資本そのものが商品になる過程を論じている(※近年は何でも金融商品になる)。

・「物神」こそ交換における霊的な「力」なのに、『資本論』第1巻でしか登場しない。マルクスは霊的な「力」として「信用」についても述べている。信用は決済までの時間的乖離における信頼だが、これも観念的な「力」が宿っている。信用主義以前は重金主義だったが(※これは今も続いている)、物神崇拝は信用主義により強化・一般化された。彼は重金主義はカトリック的、信用主義はプロテスタント的としている(※詳細省略)。

・株式資本において資本物神の支配が完成する。株式会社では株主と経営者が分離し、意思決定は取締役会で行われ、株主総会で決める事は少ない。産業資本が株式資本になると、国家から自律した大勢力になる。産業資本(※株式資本?)は国家の都合より、自身の増殖を優先する。産業資本が拡大すると国家の役割は小さくなるか。そうはならない。総資本の拡大のため、国家の役割は大きくなる(※帝国主義かな)。国家には2つの仕事があり、1つは義務教育などで「労働力商品」を提供する。もう1つは労働者が消費者として生産物を買い戻せる様にする。

○5.資本主義を交換様式で見る
・資本物神は資本を幾らでも増殖させる。これは価値体系の交換による。商人資本は物を安い所で買い、高い所で売る。産業資本も同様だが、空間的な差異ではなく、時間的な差異で利潤を得る。技術革新や共働化で生産性を高める事は、未来の価値体系を先取りだ(※この考え方は面白いな)。これが第1次産業革命(蒸気機関)・第2次産業革命(電気、石油)・第3次産業革命(コンピュータ)を起こした。
・交換様式から見ると、生産は差異の生産だ。その差異から利潤を得ると、差異は消去される(※貨幣交換により消去?)。そして今はグローバルな資本主義で文化的差異がなくなりつつある。そのため資本が存立する基盤が失われ、資本は危機に瀕する。しかし物神は死滅しない。※空間的・時間的・地理的・歴史的な差異は簡単にはなくならないかな。

四.社会主義の科学

○1.マルクス/エンゲルスが遺したもの
・当書の第2部・第3部を駆け足で見た。第3部「資本主義の科学」は資本主義を交換様式Cで捉え、物神的な「力」を解明している。彼は第4部「社会主義の科学」で社会主義を論じ、そこに交換様式Dが見出されるとした。マルクス/フリードリヒ・エンゲルス(※1820~95年)は交換様式の概念を持たなかったが、社会主義を交換様式で捉える見方を提起している。

・マルクスは晩年、エンゲルスに『資本論』第2巻・第3巻を完成させるよう促されるが、代わりに2つの仕事をする。1つはナロードニキの活動家ヴェーラ・ザスーリチ(※1849~1919年)の質問状に返信した。もう1つはルイス・ヘンリー・モーガン(※1818~81年)の『古代社会』のノートを作った。ここではこの仕事には触れない。
・柄谷はマルクスは国家の揚棄を交換様式Aの「高次元での回復」と考えたとした。「低次元での回復」だと想像の共同体のネーションを実現するだけで、「個人的所有」(※説明なし)は回復されない。「高次元での回復」が正に交換様式Dとなる。

・柄谷は当書で、マルクスの引き立て役で批判・嘲笑の対象だったエンゲルスを褒めている。1848年革命の失敗後、エンゲルスは『ドイツ農民戦争』(1850年)を書いた。これは宗教指導者トマス・ミュンツァー(※1489~1525年)を社会主義革命の先駆者として称賛する。当時は宗教が批判されていたのに、なぜ称賛したのか。1848年欧州の社会主義革命は全て失敗するが、資本主義国家が「社会主義」(労働運動の公認・支援)を取り入れたからだ。そうなると未来の共産主義について考え直す必要があった。そのため彼はミュンツァーの千年王国運動に注目した。さらに彼は原始キリスト教への関心を高め、「黙示録」などについて書いている。つまり未来の共産主義を原始キリスト教の回復(交換様式D)と考えていた。

○2.ブロッホの「希望」とベンヤミンの「神的暴力」
・当書の最終章(第4部最終章)はマルクス/エンゲルスの理論的可能性を読み取ろうとした人を書いている。エルンスト・ブロッホ(※1885~1977年)はエンゲルスを受け継ぎ、資本と国家の揚棄の可能性を「希望」とした。願望は人の主観に由来するが、希望は「未成のものが回復する事」だ(※詳細省略)。彼はキリスト教神学と唯物論を結び付けようとした。これによりキリスト教神学が刷新された。
・ブロッホの友人ヴァルター・ベンヤミン(※1892~1940年)は『暴力批判論』(1921年)で「神話的暴力」と「神的暴力」の対立を提起する。これを柄谷は「神話的暴力は交換様式B、神的暴力は交換様式Dとし、交換が異なれば、生じる「力」も異なる」とした(※詳細省略)。

○3.交換様式Dは向こうから来る
・柄谷は幾つか実践を検討している。エンゲルスの「科学的社会主義」は社会民主主義として受け継がれる。これは議会制民主主義を使って国家/資本主義を制御する。しかし国家/資本主義を人間の意志で制御するのは限界がある。交換様式Aに基づく「ユートピアン社会主義」は、国家/資本主義から人を相対的に自律させるものだが、これも限界があり、ローカルな運動に留まる。
・彼は「国家/資本主義を揚棄できないだろうか。これを考える事自体が、それらを回復させる。ならば交換様式Aに基づく社会を作れば良いが、それはローカルに留まる。これを可能にするのが、交換様式Aの高次元での回復(交換様式D)だ。ただこれは人が企画できず、向こうから来る」と述べている。そしてイマヌエル・カント(※1724~1804年)の「社会の歴史は自然の隠微な計画」に触れ、「自然とは人間でも神でもない何かの働きで、交換様式Dの働き」とした。

五.交換様式Dは必ず到来する

○1.他者と言う謎
・当書に何が書かれているかを解説した。ここに彼が捕らえてきた謎が「他者」と感じた。『探究Ⅰ』(1986年)から『トランスクリティーク』(2001年)の時期、彼は「教える-学ぶ」の関係に注目した。
 私は教える立場にあるが、学ぶ「他者」は私と同じ言語ゲームを共有いていない。そのため「他者」が学んでくれなければ、私の意味はない。私は弱い立場にある。しかし私は教えざるを得ない。それは他者が霊的な「力」を発しているからだ。
・彼は初期段階から「他者」に取り憑いていた。彼は『意識と自然-漱石試論』(1969年)で夏目漱石『道草』の冒頭を分析している。主人公・健三が「帽子を被らない男」に出会い、不安を掻き立てられる。これも観念的な「力」で説明できる(※詳細省略)。

・当書に彼に取り憑いていた謎に応答する概念が書かれている。「力」と言う概念だ。その概念が世界史および社会主義への希望を包摂している。

○2.ニュートン以上
・観念的な「力」はニュートンの「万有引力」に似ている。万有引力は不可解だが、これを認めるのが科学的だ。柄谷の観念的な「力」の概念は、これを超えている。万有引力に関しては量子力学と一般相対性理論でギャップが生じている。観念的な「力」にも「死の欲動」などの未解決な部分があるが、これは後続が受け継ぐ事になる。

○3.聖霊のコミュニズム
・私は当書と重なる『経済の起源』(2022年)を書いている。私はコミュニズムの論理的な可能性をキリスト教の「聖霊」で弁証した。聖霊とは信者の共同性(アソシエーション)で、「父なる神=キリスト=聖霊」が三位一体となっている。これが三位一体なのは贖罪(交換様式A)で説明できる。ただキリストの死(贖罪)は交換様式Aの否定で二律背反だ。この二律背反から信者の普遍的な共同性が聖霊として導かれる(※意味不明)。
・交換様式Dは交換様式Aの回帰だ。しかし交換様式Aの基底は原遊動性Uのため、交換様式Dは交換様式Aを肯定し、否定する。これがコミュニズムの可能性を与えている。当書の最後に「今後も戦争と恐慌、つまり交換様式Bと交換様式Cが危機を招く。それゆえ交換様式Aの高次元での回復(交換様式D)が必ず到来する」とある。

<転移D 友・親・店・鬱> 東畑開人

・柄谷行人の霊的な力は心的な力と言える。私達心理療法家は面接室で、お金と時間/ケアと物語/愛情と憎しみなどを交換する(※前者が医師、後者が患者だな)。私達の仕事は潮と風を読むヨットの操縦に似ている。心的な潮と風を分析する事を「転移」と呼ぶ。彼は世界史と言う極マクロでの4つの交換様式を掲示したが、私は極ミクロでの面接室での4つの転移を述べる。

○転移A=友
・転移Aの原則は「互酬」だ。大半のメンタルヘルスの問題は家族による配慮/友人との気晴らし/同僚との相談などの互酬的ケアで解消される。この様なピアサポートは「民間セクター」と呼ばれる。ここで解消されないと「専門職セクター」(心理療法家)を訪れる事になる。私達とクライエントを最初に結び付けるのは転移Aだ。私達は正常心理学・異常心理学に基づいて、クライエントの苦悩・混乱を説明する。※フロイトの「穏やかな陽性転移」を詳しく説明しているが省略。
・転移Aには友の感覚がある。自分の苦悩が人間的なものとして理解され、人間的な付き合いがなされ、お互いをよく知っている事、すなわち「熟知性」から来る互酬的な繋がりは「友」で、私はこれを転移Aとした。これを熱望したのが反精神医学・反臨床心理学だ。彼らは専門家による治療を暴力的とし、治療共同体を夢見た。しかしこれはサステナブルでなかった。

○転移B=親
・転移Aで解消されないと、精神分析的心理療法が開始される。数年におよび毎週会っていると2人の関係は窮屈になる。そうなると「服従と保護」を原則とする転移Bが頭をもたげる。面接室は親・家族の関係に変わる。そうなると心理療法家は脱価値化(?)・無能化・無情化・搾取的になる。あるいは逆に理想化・有能化・愛情深く・無私になる。これはフロイトが最初に指摘した転移で、過去が現在に反復される(※親子関係の復活かな)。
・理論的には転移Bはファンタジーだ。クライエントの内的世界が心理療法家に投影される。現代精神分析はこれに修正を加えた。心理療法家はクライエントの親の様に感じ、考える(逆転移B)。心理療法家は自身を振り返り、2人の関係性を話し合い、無意識の理解が深まる。転移Bをファンタジーとして感じられる様になり、現在を闊歩する幽霊は過去の記憶になり、その悲しみを置いておける様になる(※本人になり切れる様になり、客観化できるかな)。これが精神分析の治療機序だ。

○転移C=店
・問題は面接室に生記する転移Cだ。これは「商品交換」が原則で、面接室は「店」となる。心理療法は貨幣と時間の交換なのだ。積もった憎しみが心理療法家にぶつけられ、日常では有り得ないコミュニケーションが重ねられる(※簡略化)。50分の時間が過ぎると、紙幣と領収書が交換される。
・心理療法が商売である事で、守秘義務は守られる。心理療法家は第3者でしかなく、友でも親でもなく、それは店だ。転移Cは現実で、心理療法は資本主義における第3次産業の1つだ。この根源的な寂しさは転移Bを引き寄せ、心理療法家に激しい愛憎が必要になる。

○転移D=鬱
・心理療法は転移Aの失敗に始まるが、転移Bの暴風や転移Cの強い潮の中で進められる。孤独は深まり、心は戦争状態になる。そこに転移Dが現れる。柄谷は交換様式Dを交換様式Aの高次元での回復とし、それを超越的なものとした。しかし心理療法の転移Dはプラクティカル・プラグマティック・現世的だ。転移Dは、転移Bと転移Cの最中における転移Aの回復だ。つまり心理療法家は親であり、店であり、友でもある。

・これはメラニー・クラインが提唱した「妄想分裂ポジション」に対置する「抑うつポジション」だ。妄想分裂ポジションは心の中で様々なものが分裂した状態(部分対象関係)で、抑うつポジションはそれらが多面的な1つのものとして纏まった状態(全体対象関係)だ。乳幼児は前者から後者に移行し、心が発達する。
・転移Dは「鬱」と言える。これは鬱病の鬱ではない(※うつは一時的な症状で、鬱は長期的な症状みたいだが)。「心理療法家は親であり、店であり、友でもある」と感じた時、絶対的な善や絶対的な悪が喪失される。それは私達を悲しくさせる。「憎んでいたものに善があり、愛していたものに悪がある」と知るのは悲しい事だ。私達はクライエントに対する攻撃を悔い、その人への思いやりを抱く。つまり転移A・B・Cが同居する転移Dとなる(※大幅に簡略化)。

○終わりに
・結局は矮小化だ。転移Dは世界を変えず、現状を肯定する。現世を生き抜こうとする心の動きだ。私達は交換に備わる力を深く知っている(※交換を起こす力と、交換により生じる力は少し別かな)。人は無慈悲な世界に放り出され、絶望や希望を見出す。そのプロセスに付き合うのが私達で、そこには幻滅や喪失がある。そして喪失こそが回復との信念がある。※分かりにくいが、「酸いも甘いも」の寛容かな。
・親は老い、神はいない。経済には限界があり、地球に比し人間は小さい。この喪失から私達は他者を労わり、違った交換を始める。これが心理療法の知だ。そこに生起する力にどれ程の広がりがあるかは別の人の仕事になる。それは思想家なのか、政治家なのか、読者なのか。

<希望の現実化> 渡邊英理

○1.潜勢する力、交換様式D
・『力と交換様式』(2022年、※以下当書)は翻訳を意識し、簡潔な文体で書かれている。交換様式Dをカール・マルクス(※1818~83年)の思想に遡って導き出している。マルクス主義は経済的下部構造をベースにするが、柄谷行人は交換様式(交換様式A:互酬(贈与と返礼)、交換様式B:服従と保護(略取と再配分)、交換様式C:商品交換(貨幣と商品)、交換様式D:交換様式Aの高次元での回復)をベースにする。これらの交換様式は併存し、現代社会は資本=ネーション=国家の複合体だ。そして交換様式Dは人が企画する様なものではなく、向こうから来るとした。そのため交換様式Dは既に潜在してる。

・石井美保が潜在性と可能性について述べている(※大幅に簡略化)。
 潜在的なものは主観的・私的なもの(精神、持続、記憶)で、可能的なものは事実・客観的なものだ。後者は潜在性がなく、可能と実在がセットだ。一方前者は「実在化」のプロセスの途上にあり、実在する可能性を持つ。
・当書の交換様式は「観念的・霊的な力」を持ち、これは「事実・客観的なもの」ではない。そしてこの力は交換様式で異なる。交換様式Dの「力」も観念的・潜在的で、かつ実在性を持つ。彼は「これらの力を非科学的と斥けるのではなく、実在するもの」「交換様式Dは潜在し、いずれ実現する」とした。つまり当書は「希望」の書だ。

○2.現実化のレッスン
・交換様式Dは潜在し、いずれ現実化する。しかし彼はこの実現化の意思や企画を否定した。これは国家社会主義の失敗に由来すると思う。そのため彼は資本と国家の揚棄の条件として、マルクスの世界同時革命を重視する(※1848年革命は揚棄したのでは)。

・彼は交換様式Dの前段階である交換様式Aの実践として、スペインの協同組合モンドラゴン、オハイオ州のアーミッシュ、高円寺の松本哉による素人の乱に言及している。これらはローカルに留まるが、困難を抱える人を支えている。彼は『世界史の構造』(2010年、※以下前書)で資本主義と異なる経済圏の創出として、協同組合・地域通貨などに注目している。
・政治圏の創出として、彼は前書で氏族社会における「血讐」を述べている。氏族社会は交換様式A(互酬)が支配する社会で、平等性・独立性を重んじ、ゆえに国家の成立に抗する。血讐は共同体の成員が他の共同体の成員に殺された場合の報復で、これも互酬と理解される。彼は血讐が禁止されるのは、犯罪を裁く上位組織(国家)の成立によるとした(※江戸幕府は仇討ちを公認した。これは交換様式A・Bの混在だな)。罪の裁きを国家に委ねるのは、国家の内面化だ。国家の裁きからの解放は国家の揚棄だが、血讐の復活ではない。交換様式Dは交換様式Aの高次元での回復でなければならない(※さらに説明しているが、意味不明なので省略)。

・私達は資本主義的な近代国家体制で生きているため、それ以前の社会の思考・感性・実践・潜勢力を知覚するのは難しい。前書や当書は資本(交換様式C)と国家(交換様式B)の生成過程やその力を追究し、それらが主流化・制度化する前の水平的な社会を掲示する。それゆえ資本=ネーション=国家に拘束された私達に学ぶ契機を与える。このレッスンは交換様式Dの現実化の必要条件だ。

○3.もう1つのこの世と希望
・柄谷は交換様式Dの到来を原始キリスト教のイエスに見出した。彼によればイエスは王・国家・家族・共同体・貨幣を斥け、隣人愛を説いた。この隣人愛は「他者への愛」で「交換様式A・B・Cを超えて人と交わる事」だ。彼はそれに交換様式Dの契機を見出した。(※中上健次が柄谷と同様に路地の「公共性」をイエスの治癒・手当に見出した事を詳述いているが省略)。
・柄谷は前書で「神の国」を彼岸化・天上化する態度は非政治的だが、それを此岸に求めるのは現実に介入し、政治的に抵抗するとした。石牟礼道子は「この世ではなく、あの世ではなく、もう1つの、この世」としたが、交換様式Dも世界の片隅に留まる点において現実的・政治的だ。

・「霊」についても触れる。この霊はゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(※1770~1831年)の精神(ダイモン)に由来する西洋哲学の伝統で、形而上学的概念だ。マルクスはこれを人間と自然の「物質代謝」として論じており、柄谷も脱人間/人文主義的転回として論じている。※脱人間は行き過ぎた人間主義への批判、人文主義的転回は人間性の再評価かな。そうであるなら脱人間と人文主義的転回は反すると思うが。まあ精神性を重視する点は共通かな。
・神/宗教から人間性を解放する人間/人文主義は、人間による人間支配・自然支配を内包し批判される。ゴウリ・ヴィシュワナータンは師であるエドワード・ワディ・サイード(※1935~2003年)の「世俗批判」を宗教で代補した。彼女は「宗教-世俗」の二項対立(制度的宗教と公定世俗主義)で消される異他的異端的要素を彼岸的な理論・起源に依拠せず、此岸の権威への異議によって救えるとした(※難読。異端者軽視に対する政府への異議の推奨かな)。彼女は異他的異端的要素を手掛かりに、「宗教-世俗」の人間中心主義を問い直し、「もう1つの、この世」を探求した。彼の霊・宗教の思索は、彼女の脱人間/人文主義的な「異他的世界」「異他的思想」を想起させる。

・彼は交換様式Dの実現の意思・企画を否定する。この一義的な意図・目的への還元を拒む態度は、「革命」「運動」に対するジェンダー論的クィアフェミニズム的介入に近い(※クィアはLGBTQかな)。未来的ユートピアのために性の政治を等閑視する。「革命」の政治に対する優越、性差別・民族差別を含む「運動」の家父長制・自民族中心主義など、「革命」「運動」の一義的な意図・目的はクィアフェミニズムや少数者から批判されてきた。交換様式Dの現実化には、性暴力・性差別やクィアな関係性の抑圧の解消が伴っていると思える。※交換様式Dは新しい価値観と思えるので、これらも含むかな。

・交換様式Aは婚姻(性の交換)を含む。交換様式Dは交換様式Aの高次元での回復なので、これも解消されるべきだ。これについて彼は掘り下げていない。そんな彼を批判する暇があれば、それぞれの問題意識を代補すれば良い。彼の思索の先にある無支配・無権力の思想・実践を各自が展開すれば良い。
・無支配・無権力の実現は簡単でない。彼は「中断された未成のもの」の回帰を「希望」とした。これに世界に対する信頼を感じる。コミュニズムの価値が切り下げられ、社会主義の理念が致命的に傷付けられた世界で彼はマルクスの可能性の中心を賦活させてきた。当書の最後を「今後も戦争と恐慌、つまり交換様式Bと交換様式Cが危機を招く。それゆえ交換様式Aの高次元での回復(交換様式D)が必ず到来する」で終えた。彼は現状は必然・運命ではなく、変えられるとした。

<不可能の可能性の追求> 佐藤優

・柄谷行人は生産様式ではなく交換様式でマルクス主義の現代的可能性が生まれると考えた。『力と交換様式』(※以下当書)を引用する(※大幅に簡略化。以下同様)。
 マルクス主義は生産様式が経済的ベース(土台)で、政治的・観念的な上部構造を規定するとした。私はそれを交換様式で見る(※4つの交換様式の説明は省略)。経済的ベースの否定はマックス・ヴェーバー(※1864~1920年)が最初で、上部構造の相対的自律性を主張した。例えばマルクス主義は宗教改革を資本主義発展の産物とするが、彼は逆に宗教改革が資本主義を推進したとした。

・柄谷はキリスト教神学の聖霊を「力」として語っている。『資本論』(1867年)は3巻からなり、カール・マルクス(※1818~83年)が書いた第1巻とフリードリヒ・エンゲルス(※1820~95年)が書いた第2巻・第3巻で文体・思想が異なる。その後マルクスは古代社会を研究し、エンゲルスは原始キリスト教を考察する。
 一方は古代社会、他方は原始キリスト教に向かうが、両者は資本と国家を揚棄した共産主義社会の可能性を追求する。マルクスは古代社会の交換様式Aが優位だった共産主義を考察する。これは史的唯物論と異質だ。エンゲルスも未来の共産主義を原始キリスト教の「何か」の回復とした。これも史的唯物論・科学的社会主義と異なる。
 晩年の彼らは共産主義を生産様式(生産力と生産関係)で考えられず、交換様式Dとして考えていたが、理論を明確にできなかった。そのためマルクス主義にこれらは含まれていない。

・ロシア・マルクス主義(レーニン主義、スターリン主義)は交換様式Dを忘却させた。その役割をしたのがルカーチ・ジェルジュ(※1885~1971年、ハンガリー語表記のため姓名)の物象化論だ。
 マルクスの「物神」は比喩として受け取られた。ルカーチは『歴史と階級意識』(1923年)で物神化を物象化と言い換え、人間と人間の関係を物と物の関係とした。これにより交換と「力」に関する第一歩が阻まれる。霊的な「力」を認めるのは非科学的だが、これを認めないのも非科学的だ。
 霊的な「力」は経済だけでなく、政治・宗教にも存在する。例えばトマス・ホッブズ(※1588~1679年)は『リヴァイアサン』(1651年)で国家の「力」を海獣「リヴァイアサン」に例えた。

・科学は体系知だが、啓蒙的理性によって理解可能な部分だけを科学的とし、残余の部分を切り捨てる。言語化できない部分を言語化する「不可能の可能性」は神学方法論の基本だ。マルクスの追究も柄谷の継承もこれと親和性がある。共産主義の「不可能の可能性」は理性で構築できず、外から到来する。彼は千年王国の到来を別の言葉で述べている。

・彼の宗教改革の理解は通説と異なる。通説では1517年マルティン・ルターの「95箇の論題」の発表が始まりとされる。ところが彼は14世紀イングランドのジョン・ウィクリフ(ロラード派)、15世紀チェコのヤン・フス(フス派)、16世紀トマス・ミュンツァー(※1489~1525年)の宗教改革急進派の連続性を重視する。
 ドイツにおける宗教改革は英国に始まる。それは英国で封建制経済の解体がつとに進行したからだ。14世紀ウィクリフが始め、大陸に伝わりフス派の運動になり、ルターの宗教改革に及ぶ。それぞれが聖書を俗語に翻訳し、英語・チェコ語・ドイツ語になった(※これは知らなかった。欧州語族は聖書の影響が大きいのか)。
 ウィクリフ/フスの宗教改革を継承したのはルターではなくミュンツァーだ(※1524年ドイツ農民戦争の指導者だからな)。彼はルターの影響下にあったが、フス派の千年王国運動を知り、ルターと決別する。「ドイツ農民戦争」は英国で起きた事の反復だ。
・ルターの宗教改革は国家(交換様式B)と結び付いているが、ウィクリフ/フス/ミュンツァーの宗教改革はイエスの教えへの回帰だ。

・20世紀後半、マルクス経済学理論とマルクス主義哲学理論が格闘したが、彼は『資本論』の解釈で経済学者・宇野弘蔵(※1897~1977年)の影響を受けた。
 宇野は『資本論』の特異性に気付く。彼は価値形態から出発し、貨幣・資本の謎を解明しようとした。資本主義経済の歴史を国家の「経済政策」から見ようとした。私は交換様式Cと交換様式Bを区別する考えを彼から学んだ。
・ただし彼は宇野の経済学方法論「宇野三段階論」、原理論(経済原論)-段階論(経済政策論)-現状分析を取らず、資本主義の発展を世界システムと捉える。彼は宇野派から出発するが、世界資本主義論(鈴木鴻一郎、岩田弘)と親和性が高い。

・彼はマルクス主義哲学者・廣松渉(※1933~94年)の影響も受けた。廣松は疎外論から物象化論への転換がマルクス主義にとって死活的とした。
 初期マルクスはルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ(※1804~72年)の疎外論に依拠した。これが1950年代、スターリニズム批判の要となる。これに対しルイ・アルセチュセール(※1918~90年)は初期マルクスと史的唯物論との間に「認識論的切断」を見出す。廣松は初期マルクスの疎外論を批判し、それが史的唯物論で乗り越えられたとする。その後廣松は「物象化」を深く考察する。しかしこれは仏教哲学(鈴木大拙、西田幾太郎)を受け継ぎ、キリスト教とは別の神学に帰着する。
・彼は廣松の業績をマルクス主義の仏教哲学による解釈とした。

<霊の力> 鹿島茂

・『力と交換様式』(2020年、※以下当書)の書評を書くため『世界史の構造』(2010年、※以下前書)を読み返した。そのタイミングで柄谷行人が哲学のノーベル賞であるバーグルエン哲学・文化賞の受賞を伝えるニュースが流れた。前書で4つの交換様式を解説しているが、どんな思想書だったのか。「序論」で交換には人間・共同体の意志とは関係なく「力」が存在するとした。そして「力」を最初に発見したのは『資本論』(1867年)のカール・マルクス(※1818~83年)とした。前書を引用する(※大幅に簡略化。以下同様)。
 マルクスは商品交換における「人間の頭脳の産物」にも拘わらず、そこに人間を強いる「力」を見出した。これがフェティシズム(物神)だ。
・貨幣は物神性が発展した貨幣物神で、最終的に物神性は資本物神に宿ると論じたのが『資本論』だ。ルカーチ・ジェルジュ(※1885~1971年、ハンガリー語表記のため姓名)はこれを冗談とし、「物象化」として説明する。ところがマルクスは交換における物神と言う観念的な「力」を確信し、物神性が経済的下部構造を支え、上部構造を支配するとした。
 マルクスは資本の物神性を明らかにした。物質的に見える市場経済は観念的な「力」によって仕切られているとした。これは共同体や国家にも言えるはずだ。『資本論』は交換様式Cしか考察しなかったが、これを「導きの糸」として政治的・イデオロギー的上部構造を解明する事ができる。
・これが前書の執筆意図だ。マルクスは『資本論』第1巻を刊行するが、フリードリヒ・エンゲルス(※1820~95年)の再三の要請に拘わらず続編に取り組まなかった。そしてルイス・ヘンリー・モーガン(※1818~81年)の『古代社会』の詳細なノートを作った。それはモーガンの「共産主義は古代氏族の自由・平等・友愛の高度な復活」に共鳴し、社会構成体の歴史を交換様式から見ようとしたからだ。

・『資本論』には、「交換における物神性の「力」は共同体が他の共同体または成員との接触において始まる」とある。この共同体はホモ・サピエンスが定住生活を始めた原始共同体だ。
 共同体と共同体との間での交換、つまり見知らぬ者との交換において、それを可能にする「力」が不可欠となる。マルクスはその霊的な「力」を見出した。
・交換の起源が原始共同体なら、そこにおける交換様式Aを再検討する必要がある。定住以前の遊動的狩猟採集民の交換は臨時的で、必要があれば集団で移動した。また獲得した獲物はその場で平等に再分配された。ところが定住すると、その地域で確保できない物が生じるため、見知らぬ者との交換が必要になる。そこにそれを可能にする「力」が不可欠となる。

・前書第1部第1章「交換様式Aと力」は交換様式A(互酬交換)を徹底分析する。そこで彼はマルセル・モース(※1872~1950年)を高く評価している。
 交換様式A(互酬交換)は人々の合意・協力で生まれたのではない。それには人の意識を超えた霊的な「力」がある。
・彼はこの霊的な「力」をジークムント・フロイト(※1856~1939)の『トーテムとタブー』で説明する。この前期フロイトの学説は人類学者から完全に否定されている。それと後期フロイトの「死の欲動」の特徴である「反復強迫」を組み合わせると霊的な「力」を説明できる(※詳細説明がないので理解できない)。
 人類の初期の社会は遊動民社会だった。私はこれを原遊動性Uと名付けた。ところが定住すると様々な葛藤・対立が生じる。これを解消したのが交換様式Aで、フロイトの言葉だと「忘却されたものの回帰」だ。そしてこれは「反復強迫的」だ(※これは回帰に近い意味かな)。定住しても原遊動性Uは消滅せず、贈与交換を命じる霊として現れた。これにより原父の出現を許さない兄弟同盟(氏族社会)が作られた(※原父の詳しい説明はない)。
・因みに原遊動性Uは、いつでも集団を抜けれる自由や、成員が獲得した食料の再分配などの平等性を含む。交換様式A(互酬交換)は原遊動性Uが定住民に反復強迫され、「霊」として生まれた。この原遊動性Uの反復強迫的回帰は重要な意味を持つ。この思想により交換様式B・C・Dの成立を説明できるからだ。例えばゲルマン的封建社会は交換様式B(服従と保護)に相当するが、交換様式Bの下で交換様式Aが残存していた。
 封建制は交換様式B(支配と服従)でありながら、交換様式Aの互酬性が残っていた。つまり主人も服従する者に応える義務があった。義務を果たさないと関係は終わる。古代中国では封建制が国家の成立を妨げた。部族社会の原理が存続し、交換様式Bの優越を許さなかった。

・では交換様式Bが確立するのはいつか。中国では秦帝国(アジア的専制国家)の成立で、欧州では英仏の絶対王政の成立になる。王と都市ブルジョワが結託し、封建領主は抑圧され、交換様式Cは拡大した。「王の奇蹟」(王に触れると治癒する)が民衆に広まり、民衆は自発的に服従して臣民になった。国家には軍事的制圧が必要だが、民衆が自発的に服従する霊的な「力」も必要なのだ。そのためには「王の奇蹟」が交換様式Aの霊力を上回る必要がある。
 国家の成立に必要なのは「奴隷」ではなく、「自発的に服従する奴隷」(臣民)だ。これにより収奪と保護の交換が成立した。
・ここで疑問が生じる。「服従が得」とするのは「何と比べて得」なのか。それは「戦争より得」だ。封建社会は交換様式Aが残存し、互酬と言うポジティブな面と首領性国家間での戦争のネガティブな面があった。民衆はこの戦争回避から自発的服従を選んだ(※絶対王政時代は戦争が頻発したが)。
 国家は氏族社会・首長制社会の内部からは出てこない。王は首長の延長ではなく、「契約する人々の利害の上空に聳える第三者」だ。そのため戦争を終結させる「力」を持つ。トマス・ホッブズ(※1588~1679年)はこれを海獣リヴァイアサンと呼んだ。

・柄谷は「マルクスはホッブズに影響され、貨幣に物神が宿ると考え、『資本論』を発想した」とした。
 貨幣は商品社会で特別な「力」を持ち、マルクスはそれを「物神」とした。これはホッブズのリバイアサンに対応する。彼は貨幣の「力」を「社会契約」から説明しようとした。国家は交換様式Bにより成立し、貨幣は交換様式Cにより成立した。

・世界史は交換様式A・B・Cの霊力によりパラダイムシフトした。次の交換様式Dはどうなのか。まずは交換様式Dを確認する。
 社会構成体は交換様式A・B・Cの集合体で、どれがドミナントかで歴史的段階が決まる。そして交換様式B・Cが発展した後、交換様式Dが交換様式Aの高次元での回復して生じる。
・普遍宗教(ゾロアスター教、キリスト教、仏教など)により交換様式Dが強迫的に到来すると思われたが、交換様式B・Cに抑え込まれ帝国の宗教になり、交換様式Dとなるのを止めた。当書は前書を引き継ぎ普遍宗教を再検討している。社会主義運動も交換様式Dを目指したものとし、当書第4部「社会主義の科学」で最晩年のマルクスの思想から検討している。そこで交換様式Dは反復強迫的に向こうから来るとした。
 重要なのは交換様式Dは人間の意志・企画で来るものではなく、向こうから来る。
・そのため交換様式B・Cの揚棄を目指して交換様式Aに依拠する対抗運動しても、それはローカルに留まる。
 交換様式B・Cの揚棄させる事はできない。それは交換様式B・Cを回復させるからだ。唯一可能なのは交換様式Aに基づく社会だが、それはローカルに留まる。それを可能にさせるのは、交換様式Aの高次元での回復(交換様式D)のみだ。
・そのため私達は手の打ちようがない。しかしイマヌエル・カント(※1724~1804年)が『永遠平和のために』で提起した「世界共和国」の理念には「向こうから来る回帰性」がある。※この理念は国際連盟・国際連合の基礎になったが、18世紀の理念だな。
 カントは諸国家連合(アソシエーション)は人間の意志で作られるものではないとした。それを作る主体は人間でも神でもないとし、「自然」とした。
・この「自然」こそが、反復強迫的に向こうから来る交換様式Dだ。

・以上が当書の要約だ。柄谷は結論部分で交換様式Dに言及していない。ところが当書中に「原遊動性Uは向こうから来て交換様式Aを発動させる」とある。では原遊動性Uが回帰する兆候はあるのか。今先進国は人口減少し、発展途上国は人口爆発し、交換様式Cの問題になっている。先進国は労働力不足を補うため移民を受け入れている。これは交換様式Cの問題だが、移民には原遊動民の「いつでも移動できる自由」があり、従来と異なる要素が含まれる。移民の奪い合いになり、原遊動性Uが回帰するとどうなるか。これは人間の意志ではどうにもできない。「自然」に委ねるしかない。※歴史は逆行しないので、交換様式A・B・Cに新たな価値観(力)が付加され、更新されて行くのかな。

あとがき

・私(柄谷行人)は2022年『力と交換様式』を刊行した。20世紀末に交換様式を着想し、修正してきたが、ここで一応完成した。この過程に難航したが、期待する人に支えられた。草稿を書き終えた時点からインタビューや会議に応じ、それらを当書に収録した。
・当書は文春新書から出版される。当書の執筆中はコロナ禍で、近隣の多摩丘陵を歩き回った。私の考え方は柳田國男によるところが大きい。彼について何度も書いたが、『遊動論 柳田国男と山人』(2014年)も文春新書から出版している。