五日市→廿日市→高畑山(194m)→対厳山(63m)→ちゅーピーパーク→宮島口→廿日市→五日市
時間6.7H、距離28.2Km、天気曇のち晴、気温11.6℃、水分0.4L
山で昼休憩は寒そうなので、西国街道を主とした長距離散歩。
往路は主に旧西国街道を歩き、高畑山/対厳山に初めて登り、「ちゅーピーパーク」に寄る。
復路は国道2号線(宮島街道)に出て、主に新西国街道で戻る。
ウォーキング・シューズで歩いたが、ソックスが登山用の厚手だったので、足の指が纏足状態。
これが最初から痛かった。復路では太腿四頭筋が痛くなる。
帰宅し靴を脱ぐと、足裏に3つ位水泡ができて痛い。
問題山積の散歩になった。靴が原因と片付けて良いのか?
服装は3枚±1枚。
出会った登山者は2名。
写真は大変多くなっています。
お勧め度:☆☆(高畑山は新鮮)
難易度:☆☆(距離あり)
八幡川を八幡橋で渡る。今日渡る川では、川幅が一番ある。中央・野貝原山、右・極楽寺山。
五日市の変形十字路。往路は手前から右・旧西国街道へ。復路は左・新西国街道から手前。
直ぐに五つ神社。五日市の名前は、毎月五日に市が開かれたので、この神社とは関係ないと思う。
直ぐに五日市村役場跡。
コイン通りと並行して流れる暗渠。これは旧八幡川の右岸。
同所から、西国街道を振り返る。
岡の下川を五観橋で渡る。橋名は五日市と観音の境界だからかな。
広島工業大学の正門。共通テストがあり、学生を散見。背景・極楽寺山。
左(南)は広大な干拓地で、低くなっている。
何の花?
新しくできた新佐方大橋で佐方川を渡る。これで大分便利になる。
同所から極楽寺山/小畑山。
廿日市市のマンホールはカキです。
南の国道2号線(宮島街道)に繋がる道は工事中。JRの下を潜るみたい。
JRを潜る。中世の佐方川はここを流れていたはず。
JRと西国街道は斜めに交差するため、JRを潜って右折する。
少し先のY字路で左・旧西国街道を歩く。右は廿日市駅。
ここで広電を渡る。
柿尾坂とあった。極楽寺山から天神宮に伸びる尾根を、ここで越える。
天神宮裏の巨木。
廿日市のかつての中心部の十字路(当然道は拡幅された)。
往路は正面・旧西国街道(廿日市駅にも通じる)から左へ。復路は左から右へ新西国街道を直進。
同所に町屋跡があった。
近くに本陣跡もある。
可愛川を渡る。左・野貝原山、中央・汐見山、右・極楽寺山。
可愛川は丁度見える3つの山の水が原に集まり、ここに流下する。
直ぐに広電を渡り、左に見える廿日市市役所前駅の北を通過する。
この道は旧西国街道。新西国街道は、先程の橋を直進する。
陸橋でJRを越える。当然江戸時代にJRはなく、ここは峠越えだった。
宮内串戸駅の北を通過する。
御手洗川を御手洗橋で渡る。中央・野貝原山。
御手洗川は烏帽子山/野貝原山の水が明石に集まり、ここに流下する。
この手前のT字路で新旧西国街道が分かれ、こちらは新西国街道。
旧西国街道は四郎峠(多分大野四郎が由来)を越えるが、危険なので滅多に通らない。
直ぐに地御前の一里標。
蝋梅が咲き始めた。良い香り。
地御前中心部にある道標。右しかない。
地御前の案内板。
地御前神社に着いた。
絵馬もある。
地御前神社の直ぐ先で新西国街道を離れ、阿品台に向かう。正面の九十九折を登り、メイン道路に出る。
阿品台中と阿品台東小が並んである。その花壇。
上りが続く。
一番高い場所に阿品公園があった。
その案内板。相当広そう。
人工ウンチ。
高畑山登山口の公園。
「こんな細い道?」と疑問を持ちながら登る。
途中の展望地から、右・宮島。
ちゃんとした道が左下から合流。
三角点(木上)に着く。
同所から廿日市/五日市方向。中央・鈴ヶ峯。
アンパンを1つ食べる。
T字路を直進・周回ルート。
高畑山に着く。三角点はないので、高畑山の正確な標高は不明。
ここもT字路だが、ここだけは左・周回ルートで下る。
同所から宮島。
このT字路も直進・周回ルート。
電波塔が2つあった。こちらは携帯電話かな。
もう1つはFM廿日市。
同所からはセメントの階段。
福面最上部の公園に出た。
この付近、南天が非常に多い。
近道の階段を下る。
対厳山の北の登山口。左・階段ではなく、直進し、谷道を登る。
ここは右直進。
T字路で右から西からの登山道が合流。
十字路に出た。右・対厳山を往復し、直進・ちゅーピーパークに下る。
墓場の裏のこの木が対厳山頂上。
同所から宮島。
牛舎が遺る。何時まで放牧していたのか。この辺り警備が厳しいので注意。
牛がいた。
ちゅーピー・アスレチック「SOLAE」を見学。奥は幼児用。
ちゅーピー・アスレチック「SOLAE」:https://www.chugoku-np.co.jp/athletic/
こんなのを登るみたい。
これも。
夏季はプールが開くのかな。学生の頃に何度か来た。
スナッグゴルフは営業中。ショートコースの頃には何度か来た。
アスレチック/プール/ゴルフは、まだやっているんだ。右・高見山/船倉山。
国道2号線(宮島街道、新西国街道かな)をしばらく歩く。
左はカキ船。手前の船は水没していたが、トンガの津波とは関係ないだろう。
宮島口のフェリー乗り場。蔓延防止で人は少ない。
国道歩きが長い(車が途絶えた時に撮影)。排気ガスは吸いたくない。
阿品駅の南で国道を離れる。遠方・鈴ヶ峯。
おあがりば公園。誰が上陸したのか。神功皇后かな。
同所から①、中央・鈴ヶ峯。
同所から②広島湾。中央・似島。
同所から③、中央・聖崎、右・宮島。
地御前神社まで戻って来た。ここで往路と合流。
往路では気付かなかったが、国道(新西国街道かな)の案内板。明治13年に大竹まで開通したとある。
宮内串戸駅の往路でも見た忘れ物。
新西国街道は宮内串戸駅の南を通るので、この旧西国街道を通るのは間違い。
新西国街道に復帰して、串戸陸橋を潜る。直ぐ右に国道2号線(宮島街道)が新西国街道と平行に走る。
可愛川を可愛橋で渡る。左・野貝原山、中央・汐見山、右・極楽寺山。
廿日市のかつての中心部(十字路)まで戻って来た。復路は新西国街道を直進。
桜尾城の北の入口。今は平坦にされ、桂公園になっている。
中世は3方が海だったので、ここが大手と考えられる。
街道松。
佐方の一里塚跡。
この東に井口/高須/広島、西に宮内/中山/大野浦の一里塚がある。高須以外は碑が建つ。
一里塚跡マップ:https://itiriduka.blog/map/
岡の下川にぶつかるが、橋を渡らず右岸を遡上。遠方は向山。
シロサギ/カモがいた。
岡の下川の左岸に御筋橋の親柱が残る。岡の下川はかつては三筋に分かれ、三筋川だったと思う。
一里塚は江戸時代、一里標は明治時代の道標で別物。この西が写真を撮った地御前の一里標。
楽々園の街道松その1。
楽々園の街道松その2。
五日市の新旧西国街道の分岐まで戻って来た。
往路は右から左・旧西国街道。復路は手前・新西国街道から右へ。
八幡橋まで戻って来た。中央・鈴ヶ峯西峰/鈴ヶ峯。