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玖波駅→小方→苦の坂峠→両国橋→木野→大和橋→大竹駅
時間2.6H(昼なし)、距離11.3Km、天気晴、気温13.1℃、水分0.1L

岩国大竹道路(国道2号線)の進捗と西国街道を目的に歩く。
西国街道を玖波駅から苦の坂峠経由で木野まで歩き、そこから小瀬川に沿って大和橋まで下り、大竹駅まで歩く。
両国橋から大和橋までは初めて。

行動中に昼食は取らず、大竹駅でパンを食べる。

天気は晴にしていますが、強い風が絶えず吹き、時々雨やみぞれが降る。
服装は大半が4枚(下着を含む)で、苦の坂峠の登りだけ3枚。

お勧め度:☆☆(街道好き)
難易度:☆☆(大半が車道歩き。苦の坂峠の道はそれ程良くない)


八幡川から極楽寺山。雪が降っているかな。


これも関係ないけど、来月、広島市中心部にサッカースタジアムがオープンする。


玖波駅にある大竹市の観光案内。


玖波駅のすぐ南に新西国街道があり、西に向かう。
旧西国街道は山側にあったが、今は大半を消失している。
新西国街道の正式名は不明。区間によって名前が異なるかも。明治初期に民間の資金で建設されたらしい。
1876年(明治9年)西国街道が一等国道に指定される。
1885年(明治18年)明治天皇が山陽道(西国街道)を行幸している。

西国街道については、大竹市HPが詳しい。
https://www.city.otake.hiroshima.jp/soshiki/kyoikuiinkai/shogai/rekishibunkazai/1456208678558.html


恵川から、中央・行者山。


ゴミ収集場所に消毒液。この先でも見た。


大膳川から、大鉢山/笛吹山かな。


Y字分岐で、左直進・国道2号線と右直進・新西国街道に分岐する。新西国街道を進む。


亀居城が見えてくる。今日は寄らない。


亀居城手前で西国街道がクランクする。
1つ手前の交差点で、右(山側)から旧西国街道が合流する。
この辺りで細い水路と軽い段差を2度越える。それぞれ外堀・内堀だったと思われる。


亀居城の南が岩国大竹道路の東端になる。
橋脚だけで、まだまだだな。


楓園咊田翁之碑がある。
1852年和田(咊田)吉左衛門が新町沖を干拓した。

小方橋の少し下流で、南に直進する新西国街道と西に進む旧西国街道に分かれる(写真忘れ)。
地下道で山陽本線を潜り、旧西国街道を進む。


小方橋の少し上流にある右・新町川橋を渡ったこの辺りに、小方一里塚があったらしい。
この道を進むと団地に上がるので、1つ下の道(陸橋の先)を進む。

新町川は亀居城の麓を流れていたと思う。理由は以下。
・平坦地は北が低い。
・亀居城の防御に利用した。亀居城の南に高い石垣が残る(これは海岸線かも)。
・河川が直線的で、干拓地を不自然に分断している。
・河川名が改修を思わせる。
広島では瀬野川/太田川(放水路)/御幸川(草津)/八幡川/岡の下川(三筋川)/佐方川で流路が変更されている。
小瀬川も元町辺りから北東に流れていたらしい。


岩国大竹道路の橋脚を建設中。この右辺りが大竹トンネルの東側入口になるらしい。
ここに大竹西ICが設けられ、岩国大竹道路と山陽自動車道が接続する。
国道2号線はここから広島岩国道路(山陽自動車道と併用)、広島南道路と繋がる予定。
広島南道路の建設も徐々に進んでいる。


山陽自動車道のトンネル入口の上辺りにある巨大な案内板。


西国街道は車道から右の階段を登る。


階段を上がると、それらしき道になる。


苦の坂峠直前に旧逓信省の電話ケーブルの中継所がある。


X字分岐の苦の坂峠。


その案内板①。ここも長州征討の安芸口の戦場になった。


その案内板②。


下りになると大きなガレ石があって、歩きにくい。2度ひっくり返りそうになる。


山道を下った場所に案内板がある。
この辺りに三角点(上木野)があるが、探しても見つからなかった。


榺池神社に寄る。
2歳の子を背負った市杵島姫命が安芸に入り、榺(ちきり。糸を巻く棒)を池に投げ捨てたらしい。


車道に出ると巨大なタンクがある。


車道は車が通るので、小瀬川の土手を歩く。山陽自動車道が並行に走る。
右端に取水設備と思われるものがある。これは数ヵ所で見た。


水防用備蓄資材が置いてある。中は覗かなかった。


山の上まで黄緑色。竹は繁殖力が強い。


両国橋が見えてきた。その先のV字谷が小瀬峠。
安芸の人はこの川を木野川と呼び、周防の人は小瀬川と呼んでいた。
明治政府が河川名は西側を優先すると決め、小瀬川になったらしい。

少し調べると1968年(昭和43年)河川法により右岸の地名を当てるとなり、小瀬川に統一されたとある。
因みに1954年(昭和29年)の地図を見ると、既に小瀬(木野)川となっている。


渡し場跡にあった旧山陽道(西国街道)の案内板。


同所にあった木野川渡しの案内板。木野は木材などの重要な中継地点だった。
文禄・慶長の役で、その木材を使って、玖波で軍船が作られたらしい。


広い河原に降りる。この辺りに「舟渡し」があり、少し上流の浅い場所で「徒歩渡り」したと思われる。
渡った先に小瀬一里塚があった。


小瀬川は1級河川で距離標(4K4)がある。


金属標(4K35)もある。
起点は河口で、河口に向かって歩くので距離が短くなる。
河口より下流が埋め立てられた場合、その部分はマイナスになるらしい。


冬に多い山茶花(サザンカ)。


南天(ナンテン)も多い。


八朔(ハッサク)かな。これも多い。


岩国大竹道路の大竹トンネルの西側出口。ここもまだまだ。


その説明板。


対岸の岩国トンネルの東側入口。ここに架る小瀬川橋は、かなり高くなりそう。


小瀬川中市堰がある。この頃みぞれが強くなり、焦っている。


その説明板。農業用水の取水が目的かな。国境紛争も多発したらしい。


大和橋北交差点。
ここまでは元町で寺社が多かった。ここから先は本町。
両国橋からここまでは初めて歩いた。
新西国街道は正面から、ここで左折し、右・大和橋へ向かう。


同所の石標。歩いて来た道は、木野村石州道らしい。


何か怖い猫。


六叉路を直進・タイル張りのスペイン通りを歩く。新西国街道はその左。


これは犬かな。


中学生が作った巨石アートなんだ。


有名な通りとは知らず、後半の半分を撮る。


これはフクロウ。


これはヒョウかヒョウアザラシかな。


これはカメレオン。


カープとサンフレッチェ。他にも沢山ある。


大竹駅。駅舎は2023年2月竣工で真新しい。


20分待ちで、持ってきたパンを食べる。さらに踏切確認で13分遅れる。


駅舎はこのH鋼が支える。

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